駆逐棲姫が鎮守府にスパイとして潜入した話   作:カマタマーレ讃岐

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Candy drops
voyage and rain


三浦半島の外れに在る、棄てられた場所。

 

かつては数多の船舶がひっきりなしに出入りする船の名所であったが、実に寂れてしまったものである。

長い年月の間使われていないのであろう大型船舶用の港と、錆びれた赤いクレーンがそれを静かに物語っていた。

 

そんな旧庁舎の窓の外から光射すのは、ぼやっとした月明かり。

その僅かな光源が古びた執務室の床を照らしている。

__彼は此方に気が付くと、臙脂(えんじ)色のデスクチェアをゆっくりと回転させた。

 

「やぁ、鈴木君...か。いや、今夜は月が怖いくらい綺麗だねぇ」

 

こちらを睨んでいるようにも見える、どこか濁った瞳。

彼の顔に刻まれた幾つもの深い皺が、歪に歪んだ。

 

「佐原元帥、夜分遅くに失礼致します」

 

私の目の前の椅子に深く腰掛けているのは、関東周辺を管轄に置く老元帥、"佐原源二(さわらげんじ)"

 

10年程前まで、激戦海域の泊地で艦娘たちと共に深海棲艦と戦っていた提督だ。

現役を退いた現在は艦娘を率いる提督という立場ではなく、ここら一帯の鎮守府を総括するという立場で、元帥として大本営に仕えている。

そして、彼はこの元帥という位置を5年も維持している影の実力者でもあった。

 

「おやおや、その様子からして...また"あの件"かね?」

 

元帥はまたか、と呆れた様子で言い放つ。

 

「前にも散々伝えただろう。彼は行方不明。捜索もとっくの昔に打ち切られている...のだがな?」

 

元帥のいつもの言葉。違う、聞きたいのは、そんなことじゃない。

「___嘘です!!おじ様!彼はきっと生きています!彼は、きっと、今も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

___燃え盛る鎮守府の庁舎。

 

爆音、悲鳴、赤い海。

 

目の前に広がる海と同じように赤く血塗られた波止場には、傷だらけの少女が一点を見つめたまま立ち尽くしていた。

 

 

『お兄ちゃん...?何、してるの...?』

 

『ごめんな、咲』

 

煙巻く世界で、はっきりとした視界に映るのは、少女の亡骸を抱えた青年。

 

 

『____お前だけには、見られたくなかった』

 

 

彼はそのまま、静かに海へと身を_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ...」

 

 

思いがけず、あのときの光景がフラッシュバック。

目を背けられない過去の出来事に、胸が苦しくなる。

 

「ほら、君だって覚えているんだろう?あの惨状を」

 

元帥はさも自分が狂言回しであるかの様に振る舞う。

___でも、私にはその姿がひどく不器用に見えてしまうのだ。何故なら。

 

 

「...咲君。もうその話はやめにしないかい」

 

 

__元帥は静かに、声を殺して泣いていた。

これはもはや、あの日以来時間の止まってしまった私達にとって、ルーティーンの話題となりつつある。

 

それでも私は縋ることをやめない。私がこの出来事を忘れてしまったら、彼は"本当に死んでしまう"からだ。

 

 

 

「...分かりました。あと、元帥。近々南方海域の攻略が本格化すると伺っていますが...」

 

「ん...?」

 

元帥はしばらく黙ったまま虚空を見つめると、顔を上げた。

 

「ああ、そういえばその用件で君を呼び出したんだったよ」

 

私ももう歳だからな、と薄く笑いながら呟く元帥。

ごほん、と年季のある咳払いをすると、机の上の厚い書類を私に手渡してきた。

 

 

「横須賀鎮守府の艦隊には___ソロモンに行ってもらう」

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

「あー、なんか最近冷えてきましたよね」

 

空いた窓から吹き付けてくる風が、晩秋の訪れを静かに告げていた。

ぶるぶる、と思わず身震いした私は布団の中で猫みたいに丸くなる。

 

「そりゃあもう11月だもの。このぐらい冷えてくるとお雑煮とか、温かいものが食べたくなるわねー」

 

向こう側の布団から顔を出したのは村雨姉さん。彼女もまた布団の中に丸く収まった状態で、もうすぐやってくる秋の夜長に思いを馳せていた。

 

先週のハロウィンでは由良さんを救出しに夕張さんのところに皆で仮装して突入して...いや、大変だったなぁ。

あれだけ長く感じた晩夏と初秋も、振り返ってみれば...いやに短期間であった。

 

「今度みんなでシチュー作るっぽい!」

 

夕立姉さんが布団の中でぐぐっ、と体を伸ばしながらそう言った。

相変わらず夜でも、寒くても元気な夕立姉さんが羨ましいものだ。

そんな彼女の赤い瞳は、暗闇の中でも妖しく光っているような錯覚さえ覚える。

 

 

「シチュー...はちょっと早くないですかね?私が温かいスープ作るので夕立姉さんはそれで我慢してください」

 

少し不満そうに口を尖らす夕立姉さん。でも、彼女は表情が面白いくらいコロコロ変わる。

 

「えぇー、ケチ。でも春雨の作るスープ、作る度に上手になってるっぽい」

また、にへらぁと笑顔を浮かべる夕立姉さんに、村雨姉さんも嬉しそうに話題に便乗してきた。

 

「私達も手伝ったり味見したりしたんだし、おいしくなるのは当然よね。ね、春雨」

 

「...はいっ!そうですね!」

 

着任したての頃は料理が下手くそだった私だけど、姉さんたちの協力もあって人並みぐらいには上手くなったハズだ。

料理に触れるきっかけをくれたのは司令官なんだし、今度こっそり司令官に春雨スープでも作っちゃおうかな!?...なんちゃって...。

 

 

「そういえば明後日は”提督主催焼き芋大会”よね?春雨は参加しないの?」

村雨姉さんがふと思い出したように口にした。

 

焼き芋大会...?あ、そういえば司令官がそんな事を言っていたっけ。

 

つい最近聞いたことなのだが、ここの鎮守府はオールシーズンで何かしらイベントを開催しているらしいのだ。

 

夏に至っては『スイカ食べたきゃ自分でスイカ割れ大会』『スイカの種どこまで飛ばせるかな選手権』極めつけは『私とあなた、こっからあっちの岸までどっちが早く辿り着けるか競走し大会』などという珍妙なイベントが存在しているというのだ。

まさに暇人の集まりである。

 

「私はどうしようかな...」

 

別に、明後日の焼き芋大会に混じって、こんな暇人たちに仲間入り出来るという事が嬉しいという訳ではない。

まぁ焼き芋はおいしそうだし気になるけど...

 

「もちろん、春雨はきょーせい参加っぽい!」

「なに勝手に決めてるんですか、もうっ...」

 

しばらくして部屋のみんなが寝付くと、環境音が心地よく部屋にこだましていく。

鈴虫の声は11月だから、もう聴こえない。

名前も知らない虫たちが大波の後に残された残溜みたいに細々と鳴いていた。

 

ちょうど私がここに着任したときは、蛙やらコオロギやらの大合唱が聴こえていたんだけどな。

 

「...月が、月が...きれい」

 

そんな言葉が自然と口から漏れる。

 

___渇いていく空の中、黄金の月が窓から顔を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「今日は皆に大事なお知らせがあります」

 

 

今日もいつも通り"なんでもない日"が始まると思っていた。

朝起きて、歯を磨いて、やかましいルームメイトと談笑したり。

 

__なんて事のない、いつも通りの朝になるはずだった。

 

「突然ですが、来週から南方海域への反復出撃を行います」

 

司令官の朝礼によって講堂に集まった私たちは、唐突にこんな事を知らされた。

南方海域...?またまだ弱い私には縁もゆかりも無い海域。それが今、どうして?

 

(___あ、そっか)

 

つい先週、ボスから南方海域への侵攻を開始したとの連絡を受けていたのだった。

多分、大本営が進軍を感知したのだろう。巡り巡って、ここ横須賀に作戦の指令が舞い降りてきたんだ。

 

ただ、あの時は突然司令官に攫われたから詳しい事が聞けなかったんだったな。

でもその後部屋に戻ってきたら...不思議な事に、床に落としたはずの受話器が定位置に戻ってて...

 

...まさか、夕立姉さんが電話にでちゃったとか...?

 

 

私は芽生えてしまった不安の芽を摘み取るべく、すぐ隣で司令官の説明を聞いている夕立姉さんの顔をジッと覗き込んでみた。

 

「...珍しく真面目な顔してますね」

「...ぽい?」

 

夕立姉さんも私の視線に気付いた様子。

若干怪訝そうにこちらを軽く一瞥すると、私がいつも見る夕立姉さんの顔に戻った。

まさか...ね。

 

「おーい提督。南方ってもよー、どこの海域なんだよ?アタシはそれが1番気になるんだが」

 

やけに露出の激しい重巡洋艦娘が、司令官に疑問を問い掛けた。

確かに、一体どこの海域なんだろうか。

まず、南方海域といったら南の海の殆どを指す。南方海域は俗に言うゴーワン(5-1)以外の全ての海域でフラグシップ(最上級)や姫級の手強い深海棲艦が出没する奥地中の奥地である。

 

結局は、どこの海域に決まっても手強い敵を相手にすることになるのだが...

 

 

「___海域は...ソロモンだ」

 

「え」

 

___"ソロモン"

唐突なそのキーワードが私の記憶の断片を甦らせた。

突然、忘れていたことを一気に思い出し、記憶の奔流が私の思考を遮る。

 

 

「この後各部隊の編成表を配っていきます。また、各艦隊の旗艦はこの後会議室に集まるので、該当する者はちゃんと目を通しておくこと...」

 

演説台の方から飛んでくる司令官の声が、右耳から入ってそのまま左耳から抜けていく。

 

「来週から順次、部隊を出撃させていくから...皆、来週までにはコンディションを整えておくように!」

 

「はーい!!」

 

__艦娘たちのやる気に満ちた声が、私を現実に引き戻した。

その後、流れる様に集会は解散。ぞろぞろと歩き始めた艦娘たちに、思わず巻き込まれそうになる。

 

 

 

...ソロモン?

確か、比叡さんと霧島さんの戦艦率いる第11戦隊を中心にした連合艦隊がガダルカナル島に侵攻した戦い...だよね。

 

記憶の何処かにはあった筈なのに、思い出せなかったこの記憶は瞬く間に私の頭を埋めつくした。

 

 

「___あっ、いたいた!春雨ー、これ見てみるっぽい!」

 

ぼやけた視界の隅から駆け寄ってきたのは、遠目からでも分かってしまうぐらい、嬉しそうな顔をした夕立姉さん。

はぐれた私を探していたみたいで、右手には1枚の紙が握られていた。

 

「ゆ、夕立姉さん...っ」

 

まっすぐ此方に向かってくる彼女に、目を合わせられない。

夕立姉さんの澄みきった瞳に気を押され、思わず後ろに1歩後ずさってしまう。

 

「提督から編成表をもらってきたんだけど_____なんと!夕立と春雨は同じ艦隊に所属することになりましたっぽい!」

 

 

___夕立姉さんは、笑っていた。多分、心の底から。

なんで?どうして?夕立姉さんはこの海域が、怖くないの?

 

 

「...どうして」

「えっ?」

 

それでも彼女はいつもの表情を崩さない。おどけたみたいな、ふざけているみたいな顔で小首を傾げた。

 

「___っ!夕立姉さんは、怖くないんですか...?...あの海に行くのが...怖くないんですか!?」

 

__ああ、言ってしまった。

いつもなら抑えられたはずの感情が、言葉の弾丸となって彼女を貫く。

 

「...!そ、それは...っ」

 

夕立姉さんが、今まで見た事もない顔を浮かべた。

そうだよね、普通こんなことを言われたら...そんな顔をしても可笑しくないよね。

だからこそ。

 

 

「...私は、怖いです。____あなたが沈んだ海域に行くのが」

 

 

__どうして今まで、忘れていたんだろう?

無意識で忘却の彼方に追いやっていた、魂に刻み込まれていたであろう記憶が、私の心を刺した。

目に見えない温い涙を拭って、私はそのまま駆け出そうとする。

 

 

「___待って!春雨はそうでも夕立は...っ!」

 

 

夕立姉さんの右手が私の左腕を掴もうとして、宙を切る。

 

「少し、お手洗いに行ってきます。...探さないでください」

 

私は少し躊躇ったのち、もう一度差し伸ばされた夕立姉さんの右手を強引に振り払うと、たまらず走り出した。

 

 

 

 

ある艦娘は、自慢の主砲を整備していた。敵の親玉を撃ち抜くために。

ある艦娘は、虎の子の酸素魚雷を点検していた。敵の打ち漏らしがないように。

ある艦娘は、海月の夜に拳を握り締めた。過去の無念を晴らすために。

 

 

 

___そして、ある艦娘は爆雷の詰まった飯盒型の艤装を持って、工廠裏に駆け出した。

 

◇◆◇

 

夕食後、とぼとぼと部屋に帰ってきた夕立を村雨が心配そうに見つめていた。

__春雨のいない部屋。

 

「なんか春雨、帰ってくるの遅いわね」

「ぽい...」

 

夜がやけに静かに感じる。

春雨は夕飯の時間になっても戻ってこなかった。

 

「春雨ね、こんなこと言ってたっぽい」

 

春雨との別れ際、彼女はこんなことを言っていた。

 

「少し、お手洗いに行ってきます。探さないでください」

と。

 

多分、トイレは春雨のジョークだとして、探さないでくださいっていうのはどういう事なんだろう?ま、まさか...

 

「夕立、もしかして嫌われたっぽい...?」

「そんなことないわよ。最近の春雨、夕立大好きオーラが隠せなくなってきてるから...」

 

 

__ガチャ。部屋のドアがゆっくりと開けられた。

もちろん、その先に居たのは紛れもなく夕立たちのルームメイトの春雨だった。...けど。

 

「...春雨__」

 

「...っ!」

 

そんなことを言いかけて、やめた。

あれ、なんでだろう。体が動かない。呼びかけるだけの声は出ても、彼女に駆け寄っていく筈の脚がこの場から動こうとしなかった。

 

___なんだか一瞬、春雨が夕立を畏怖の念を抱いた眼差しで此方を見ていたような気がしたからだ。

 

「もう、春雨ったらどこにいってたの」

 

そんな中、村雨が心配そうに春雨に駆け寄っていくけど、春雨はちょっとトイレが長くなっただけです、と返すだけだった。

 

春雨、その理由はちょっと無理があるんじゃ...なんて頭に浮かぶけど、違う。今の春雨が求めている言葉は"そんなこと"じゃないんだ。

 

 

__春雨の空虚な瞳と目が合う。

 

「夕立姉さん、気にしないで下さい。...あなたが気にすることじゃ、ないですから」

 

(...なんで、そんな目で夕立をみてくるの?)

 

苦しそうに、無機質な返答をした春雨は特に何も話すこともなく、厚い布団に包まってしまう。

 

「春雨...」

 

夕立の声は春雨に届かない。

 

昨夜よりも冷えた空気が、窓の隙間からびゅうびゅうと肌に吹き付けてくる。

月が昨夜と同じく照らしてくれているはずなのに、部屋は変わらず薄暗い。

 

___外を見ると、冷たい雨が降り始めていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

『____夕立姉さんは、あの海に行くのが...怖くないんですか!?』

 

自暴自棄になって走り出せば、嫌なことも全て忘れられるかと思っていた。

でも後悔という名の現実は私に甘くないみたいで、さっき夕立姉さんに言い放ってしまった言葉は、相変わらず私の頭の中をぐるぐると廻り続けているままだった。

 

「...っ...ふぅ」

 

無我夢中で走り続けていたから気づかなかったけど、私が迷い込むようにたどり着いたのは工廠裏だったらしい。

どうしようもなく肩で息をする私がもたれかかっていたのは、秋の空気に冷やされた冷たいコンクリートの柱。熱くなった体に冷たい感触。

こんな冷えた時期には不愉快なハズなのに、今はそれが心地よく感じてしまった。

 

「......私が、夕立姉さんを、守らなくちゃ...」

 

自分に言い聞かせるように、言葉が漏れ出していた事に気付く。

掌に爪がくい込むくらい手を力強く握りしめた。

強くなって、あの人を守らなきゃ。でも、私は弱い。身も心も。

 

「...じゃあどうすればいいの?」

 

朝礼の時から持ってきていた黒い飯盒を意味もなく見つめる。

空虚な時間だというのは頭のどこかで理解しているはずなのに、それ以外の事をしようとする気力さえ湧き上がってこない。

 

「...」

 

...不意に、先程突き放してしまった夕立姉さんの顔を思い出した。

駄目だ。やっぱり、謝らなきゃ、あの人に。

今ならまだ間に合う...!夕立姉さんに許してもらえ____

 

 

 

 

___プルルルルル。

 

自己保身の為の思考が、着信音で塗り潰された。

___なんだろう。この胸騒ぎは。

受話器に手を伸ばそうとすると、胸の動悸が激しくなっていく。

 

加速していく感情を落ち着かせるため、私は一度深く息を吸うと、意を決して受話器を手に取った。

 

「...はい、もしもし。春雨...です」

 

『春雨。突然カモシレナイガ、君二アル任務ヲ遂行シテモラウ事ニナッタ』

ボスはいつもより冷徹な調子で続ける。

 

「ある任務...ですか?」

 

『アア、ソウダ。君ニヤッテモライタイ事ハ...』

 

任務...か。私が覚えている限り最後に出された任務は『鳳翔という軽空母は横須賀鎮守府にもいるのか』とか『君のところの提督はしっかり仕事をしているのか(これそもそも任務なのかしら?)』なんて内容だったけど...。

今回も似たような任務なのだろうか。

 

作戦が始まって忙しい時期だけど、ちゃんとボスの命令もこなさなくちゃ。

私は少しでも気を保とうと、ひび割れた心に鉄の鞭を打ち付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君ノ手デ...夕立君ヲ________殺してくれるかい(・・・・・・・・)?』

 

 

 


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