タイトルに深い意味は略
からん、ころん。
喫茶店から最後のお客さんが出たのを見て、碧音はドカッとカウンター席に座った。
黒を基調とした喫茶店の制服が少し浮かび上がる。
「ふー……終わった」
一日の仕事の終わりである。
土曜日の今日、部活をやっていない碧音は丸一日シフトを入れていた。
相変わらず人が来る。激務だった。
「お疲れー碧クン。はい、カフェオレ」
「すみません、ありがとうございます」
碧音をねぎらい、カフェオレを差し出してきた一人の女性。
店長の瞳ではない。眼鏡をかけた、キャリアウーマンのような印象を受ける女性だ。
彼女の名前は
この喫茶店で働く碧音の仲間であり、先輩である。
普段は副店長的な立場で、頼りになる先輩だ。
ミルク多めのカフェオレを口に含むと、スッと疲れが消えた気がした。
「凄く美味しいです。また上達しましたよね」
「そう?お客さんからは中々言われないからわかんないや」
むしろ喫茶店の店員に味の感想を伝える方が稀である。
平日は大抵一人で来る人が多いのだし、店員と話すのは常連くらいだ。
藍李はこうして、暇があれば碧音やほかの店員にコーヒーを出す。
特訓とまかないをかねてとのことだが、碧音としては助かっていた。
それだけ藍李の入れるコーヒーは絶品である。
「ほんとに美味しいですって。そう言えば、店長どこ行ったんです?」
「裏で会計作業。大変だねー」
今日は碧音と藍李、そして店長である瞳の三人で店を回していた。
瞳が肉体労働しているのだったら手伝うべきだと思ったが、お金にまつわることなら出しゃばらない方がいいだろう、と碧音は判断した。
瞳が戻ってくるまでの間、片付けをする藍李と雑談でもしようと決める。
「それにしても相変わらず、この店人きますよね」
「今時どうしてこんなアナログな店来ようとするのか分からないケド」
酷い言いようだが、素直に碧音は同調した。
何故ならこの店は、『オーグマー』に対応していないのである。
次世代型ARマシンデバイス、オーグマー。
十数年前に開発されたそれの勢いは未だ止まらず、今でもAR技術の先端を走っている。
拡張現実と呼ばれるそれは、過去に出来なかった様々な事を実現した。
その影響は、日本中の飲食店にも広がった。
注文から会計まで全てオーグマー一つで完結してしまう。
オーダーを受け、会計をする人員は要らないのだ。
オーグマーを利用すればより多くの利益につながる。
では、オーナーや瞳が何故それをしないのか。
「……まぁ、助かってるのは私たちの方だけど」
「ですね……今時、オーグマー不適合なんてどこも雇ってくれませんし」
そう、碧音含めここで働く店員は皆、オーグマー不適合者すなわちフルダイブ不適合の人間なのである。
人体的、精神的に障害があったり、過去のトラウマ等で極度にFCが低い人間のことだ。
一般的には不治の病とも称され、FNCと呼ばれる。
FNCと判断された者はVR、AR機器の使用が禁じられる。
___それはすなわち、社会的な死と同じである。
先程述べた通り、オーグマーは今や様々な企業で利用される。
それを使用できない人間を雇うメリットは、どこにも存在しないのだ。
「店長には感謝してる。拾ってもらえてなかったら私、ずっと引きこもってたし」
「俺も、同じ気持ちです。まさか雇ってもらえるとは」
実は面接の合格条件にも、FNCというのがある。
残るもう一人の店員も、同じ病気だからだ。
何故それが条件なのかは分からないが。
「藍李さん……藍李さんはもしFNCじゃなかったら、何の仕事してました?」
「私かぁ……普通にオフィスで働いてたと思うよ」
「確かに、藍李さんのイメージぴったりです」
藍李はいかにも『働く女』というイメージがある。
「私だって、好きでFNCに生まれたわけじゃないから。普通に仕事して、ふつーに結婚して、ふつーの生活してみたいとは思う。でも、今の仕事にも満足してるよ」
「……そうですか」
「うん。碧クンは、夢とかあるの?」
そんなこと、碧音は考えたこともなかった。
小さい頃の夢など覚えていなかったし、両親が死んで考えている暇もなかった。
バイトを始めて、心の余裕ができたのがつい最近なのだから。
「考えたこともなかったです」
「それはもったいない!碧クンまだ若いんだから、夢はでっかく持つべきだよっ」
大きく、子供のように手を動かしながら言う藍李。
藍李さんもまだ若いと言うのは、少し蛇足だろうか。
七時を過ぎて、碧音はようやく帰路についた。
今日は店を閉めるまで2人に付き合っていたから、遅くなってしまった。
いくら春も半ばだと言えど、まだ肌寒い。
薄い長袖にシンプルなパーカーを着てきた碧音は、厚着するべきだったと後悔する。
寒さに身を縮ませながらも、碧音は藍李の言葉を思い出していた。
『私だって、好きでFNCに生まれたわけじゃないから』
FNCには、二つの種類がある。
遺伝や発達障害などによる、先天性のFNC。
そして、トラウマや事故による、後天性のFNC。
藍李は前者であり、碧音の場合は後者だった。
碧音の両親が亡くなったのは、VR上での出来事だった。
それにより碧音はVR、そしてARに強い拒否感を覚えてしまったのだ。
(なんだかなぁ……)
碧音だって、好きでFNCになったわけではない。
社会的に不遇だし、何よりも健常者との差別が激しいのだ。
今やオーグマーは学校でも利用されている。
それを使用できない者が浮いてしまうのは、当然のことだろう。
でも、碧音はどこか信用できないのだ。
仮想世界、拡張現実という世界が。
現実にない物に心を躍らせ、哀しみ、苦しんで、喜ぶ。
そんな姿が、碧音にはどこか滑稽に見えた。
何処にも行きつかない思考を彷徨わせていると、いつの間にか自宅の近くにいた。
今日は疲れたし、さっさと風呂でも入って寝よう。
そう思っていた時だ。隣の桐ケ谷家のドアが開いて、大きな声が聞こえてきたのは。
「わたしはそんなこと……望んでないっ!」
そんな言葉と共に飛び出してきたのは、他でもない明日葉だった。
漏れてくる涙を必死にこらえて、家を飛び出していた。
明日葉は前を見ないで走っていたので、たまたま進行方向にいた碧音と衝突した。
「前向かないとあぶねーぞ」
「ふぇ……せん、ぱい?」
明日葉はこらえていた涙腺が崩壊し、大粒の涙をこぼした。
時は数分前に遡る。
明るい桐ケ谷邸で、一人の少女が叫んだ。
「わたしはそんなこと、したくないっ」
長く艶やかな黒髪に、愛嬌のある顔。碧音をせんぱいと呼ぶ少女、明日葉だった。
碧音をからかい、笑顔に染まっていたその顔は、今は怒りで歪んでいる。
その怒りをぶつけた対象は、同じく若い少女だった。
少女と呼ぶには、いささか大人びてい過ぎているかもしれない。
明日葉と同じ黒髪に、すらっとした体。
彼女の名前は桐ケ谷ユイ。明日葉の姉である。
「そんなこと言っちゃったダメ。明日葉の為にパパもママも頑張ってるんですよ」
「……でも。わたしはお願いしてない!」
「いつか必ず、明日葉のためになります!人生を棒に振るつもりですかっ」
「人生損してるなんて、思ったことない!」
どんどん、二人の口論は熱を増していく。
「お姉ちゃんは何もわかってない!私は治したいなんて一度も……」
「だから!明日葉はそうでも、パパとママは」
「お姉ちゃんいつもお父さんお母さんのことばっかりっ!もういい」
明日葉は感情の向かうまま、バックを手に取った。
そのまま靴を履いて、外へ飛び出した。
「わたしはそんなこと、望んでないっ!」
彼女たちが産まれてから初めての、姉妹喧嘩だった。
明日葉が家を出ると、桐ケ谷邸は嵐が過ぎたように静かになった。
姉妹喧嘩を心配そうに見つめていた弟が、ユイに声を掛けようとする。
しかしそれよりも早く、ユイは自分の部屋に行ってしまった。
一人になった部屋で、ユイはうずくまる。
「私は、どうすればよかったんでしょう……」
「たすけて……たすけてくださいパパ、ママ……」
お分かりいただけましたでしょうか。
この小説のテーマとして、FNCというのがあります。
原作でも少ししか触れられていないFNCですが、もしなったらこんな感じだろうな、といろいろ想像して書いてます。
主人公がFNCと言うことで、ゲームしたりする場面は限りなく少ないと思いますが、是非現実と仮想の関わり方について色々考えながら見て頂けると幸いです。