××の先祖返りだった藤丸立香の話   作:時緒

2 / 18
思ったより早く思いついたので書いてみました。
前話の直後の話ですが説明が多いです。


ヒト科ヒト目両生類 ※魚類でも可

 この物語の主人公、人類最後のマスター藤丸立香のルーツについて話をしよう。

 

 彼女は日本生まれの日本育ちである。当たり前のように日本の病院で産声を上げ、健康に育って高校生になった普通の少女である。戸籍にも出自にも後ろめたいことは何もない。それは彼女の両親もまた同様である。

 敢えて特異なことをあげるならば、彼女の遠い遠い先祖は五百年ほど前に人魚と交わったらしい。網にかかった人魚を漁師が助けたのだが、その漁師に人魚が一目ぼれして押し掛け女房したのだと伝わっている。この時点で某世界的童話作家の描いた悲恋などはふんが! と鼻息で吹き飛ばされる事案であるが、事実なので仕方無い。現実なんて所詮こんなものである。

 

 人と妖のカップルなどただでさえ面倒ごとが多く、万が一にでも発覚すれば村八分どころか皆殺しもあり得る。そうでなくても寿命や文化の違いで後々上手くいかなくなることも多い。

 事実、人魚と漁師の暮らしはあまり長く続かなかった。不幸中の幸いは、人魚も人間も互いを好いたまま関係を終えられたことだろう。人魚は老いない身体を持っており、不死ではないが人の何倍もの寿命が尽きるか首を落とされないと死にもしなかったため、年を取らない自分を他の村人たちが怪しむ前に漁師の家を去った。しかし完全に近寄らなくなったわけではなく、年に一度はこっそり海岸から姿を現して我が子や孫を抱いて帰ったという。

 ふたりの間に生まれた子供は三人いた。男が一人に女が二人。男の方は年を経るにつれて村一番の泳ぎの名人となり、網で魚を取ることも出来れば一人で銛を持ち大きな魚や貝を山ほど捕えてきたという。お陰で家は随分と栄えたそうだ。子宝にも恵まれ、晩年は孫たちに囲まれ毎日釣りを楽しんだという。

 

 問題は二人いた娘である。彼女たちは母たる人魚に似て美しい顔立ちと声をしていたが、それ以外にも秘密があった。今の立香と同じく、海――海水を浴びると忽ち母と同じ人魚の姿になってしまったのである。海辺の村の漁師の家に生まれながら、ふたりは家族以外の前では決して海に入ることができなかった。今のように引っ越しや職業選択の自由が許されなかった時代において、彼女たちはさぞ息苦しい人生を強いられたことだろう。

 母親も流石にそれを哀れに思ったようで、娘たちに海で生きる道を提案した。娘のひとりは悩んだ末に母の手を取り、母と同じ海の眷属と生涯を共にした。もうひとりの娘は幸か不幸か人間の男と不思議な縁があり、そのまま輿入れして幸せになり、その血は連綿と受け継がれていった。

 

 つまりその、人間側に嫁入りした二人目の娘こそが、立香の遠い遠い先祖なのだという。

 

「流石に五百年も経ってるとだいぶ血は薄くなってるんだけどねー、でもたまにこう、先祖返り? ってのがあるみたいで、私がそれだったんだよね。私の前はひいばあちゃんがそうだったよ。ちなみに私がカルデア来る前も元気だったから人理戻ったら会えるよ」

 

 スマホに写真あるから帰ったら見せるね、と一人でけらけら笑っている藤丸立香。彼女の周囲以外の空気はだいぶ引き攣っているが、気づいていないのか気づいていて敢えてスルーしているのかといえば恐らく後者であろう。

 

『で、でも立香ちゃんバイタルチェックは普通、っていうか変なところは何処もなかったのに……!』

「あー、何か普通にしてるとほんとに普通なんだよね。多分この姿でチェックしたら色々違うと思うよ? そもそも両生類みたいな状態だし、今」

「先輩あの、流石にご自身を両生類呼ばわりはどうかと……」

「そお?」

 

 立香本人は「肺呼吸も鰓呼吸も出来る」という意味で言ったつもりだが、マシュは渋い顔だ。如何にもロマンチックな人魚の姿で自分を蛙やイモリと同じくくりに入れるのは如何なものか――と、ロマンというニックネームを持つドクターより余程ロマンティックな後輩は言いたいらしい。立香としては仮に魚類と罵倒されても「まあ半分そうか」と納得してしまう人間なので全く気にならないが、可愛い後輩の意思を組んで口を噤むことにした。

 

「お、戻った」

 

 予備の魔術礼装の上着とスカートだけを着た立香の、投げ出されていた魚の尾が、魔法のようにその姿を変えていく。色のついた氷が融けるように尾びれが失せ、鱗が消え、あとにはすんなりとした少女の二本足だけが残された。

 

「すごいですね、先輩……」

 

 読書家のマシュは当然人魚姫は原典を読破しており、なおかつアンデルセン童話のファンでもある。おとぎ話の人魚と自分を重ねられるというのは、立香としてはだいぶ気恥ずかしい。

 

「血が混ざりものなだけだよ。伝承にあるみたいに不老不死だとか肉食べると不死になるとかそういうのは無いし、まあアステリオスにしたみたいに治癒効果はあるんだけど、それも本当に駄目なときは駄目だし。あと自分の傷は治らないから、気を付けないと私の方が失血死しちゃう」

 

 ほら、と広げられた立香の手のひらは、噛み痕と爪痕で血が滲んでおり確かに治る気配は無い。

 

「でもまあ、歌は割とね。ただその、昔、普通に歌ってたつもりなのに両隣の友達が脳震盪起こしたことがあってさ」

 

 上手い下手で言うのなら上手い、と自信を持って言えるくらいの歌唱力はあるのだが、意識せず周囲に影響を当てることが特に幼い頃は多々あったのだ。ちなみに脳震盪事件は幼稚園の頃で、以来立香は「大きな声で歌いましょう!」という先生の号令に従ったことは一度も無い。思い切り歌ってクラスメート全員が失神したら目も当てられない。

 

「ああ、だからマリーさん達のお誘いは断ってたんですね」

「そうそう。あとマリーちゃんぶっ倒れさせたらヴィヴ・ラ・フランスの皆さんに殺されそうだし」

 

 本人は笑って許してくれそうなのだが、立香自身もフランス王妃に暴行を働く可能性は排除したい次第である。

 

『ふむふむ、つまり話を総合すると、立香ちゃんの先祖の「人魚」は色んな伝承からちょっとずつ設定を拝借した感じなんだね』

「オリジナルはこっちなんだけどねー、まあそうだと思うよ」

 

 マーメイド。ローレライ。海人魚。メロウ。アイヌソッキ。セイレーン。メリュジーヌ。赤鱬。そして人魚。

 古今東西、魚と人間を合わせたような、と称せられる妖怪や精霊は数多く存在している。細かな外見や性質、能力についての伝承は様々であるが、日本でオーソドックスな人魚といえばハンス・クリスチャン・アンデルセンの『人魚姫』と、『八百比丘尼』の伝説だろう。

 

 前者は如何にもロマンチックで哀れな、少女たちが憧れ哀れむ『プリンセス』の偶像である。上半身が美少女、下半身が魚。美しい髪と歌声を持ち、人間の男に恋するも破れる。健気で哀れなお姫様だ。

 後者はそれとは雰囲気も内容も全く異なる。日本における人魚伝説にほぼ共通するのは「肉を食べると不老不死になる」というものだ。八百比丘尼は元々人間であったが、網にかかった人魚を助けた際に肉を分けてもらい、それを食べたことで死ねない身体になった。

 

 なお、『八百』というのは言葉通り「八百年」という意味だけではなく「たくさん」という意味もあると此処で注釈しておこう。八百屋、八百万の神という言葉が象徴する通り、日本人の言う「八」は「eight」だけでなく「many」も指すのだ。

 

「確かに立香、あたしたちの知ってるセイレーンとは違うわね」

 

 つい、と立香の頬をなぞって首を傾げるのは、ギリシャ神話の処女女神アルテミス。前回の話では書き手の技量不足故に出番がなかったが、彼女とそのマスコットもとい恋人もきちんと同船していたのである。

 …………いたのである(大事なことなので二度言いました)、

 

「だなぁ。人も食わねえし、おっかなくねえし、共通点っつったら可愛いのとおっぱい大きぎぎぎぎぎ……!」

「だ・ぁ・り・ん?」

 

 普段のご機嫌な笑顔と何ら遜色ない微笑みでオリオンを締め上げる女神にツッコむ者はもはやいない。

 

「オリオンさー、そういうのやめてねホント。私アルテミスのコイバナ聞くの好きなんだから、自分が間女になって登場するとか勘弁してほしい」

「うそだろお前コイツのスイーツトーク付き合えんの!?」

「えー? オリオンわかってないなー時代は肉食系女子ですよ。大体可愛いじゃんアルテミス。何が不満なの?」

「かわいいっ!? きゃー! 聞いたダーリン!? 可愛いですって! 立香ってば見る目あるぅー!」

 

 スイーツ女神は黄色い声を上げて立香に抱きついた。マシュよりも更に大きくて柔らかいものが顔に押し当てられる。

 うーん役得。女同士の触れ合いはこれだから堪らない。……伝承上の人魚たる少女の思考回路は、この通り何処までも俗物であった。

 

「肉食女子ねえ……そりゃコイツは猪でも熊でも素手でいけるナチュラルゴリラだけどあだだだだだだだっ!」

「うーん、熊も鳴かねば撃たれまいに」

『よーし、そろそろ話題を戻そうか。戻すよ? いいね?』

 

 毛皮に覆われているにも関わらずチアノーゼをおこしかけているのが顔色でわかるとはこれ如何に。どうでもよいことを考えている立香を見越してか、『こら、聞きなさい』と回線越しに叱咤が入る。 

 

『美声と魅惑の歌声を持つ人魚、は西洋全体に伝播している伝承だ。その歌声で嵐を起こすのはメロウだね。ギリシャのセイレーンやドイツのローレライは歌声で漁師を飛び込ませるタイプだ。肉、ではないが血に長寿の効能があるというのは日本や中国の伝承にある。そのくせ人は食べず人間と恋愛はする。……うーん興味深い! 君の先祖が各地の人魚伝説のルーツだとすれば、一体どうしてこんな風に特性がちぐはぐに伝わったんだろうか!』

 

 回線からダ・ヴィンチの興奮した様子が伝わってくる。立香は「どうなんだろうねー」と適当に流しつつパンツとタイツを履いた。

 念のため付け加えておくと、一応人払いはしてもらっているしオリオンは呼吸困難でそれどころではない。そしてアステリオスの眼はエウリュアレが塞いでくれた。実にありがたい。純粋な彼の前で公然猥褻行為はしたくない。

 

「ただまあ、さっきも言った通りあの姿にならないとボロはまず出ないよ。歌は気分が乗ってると出てくるけどのらないとただの歌だし。姿を変えるにしてもそれなりの量の海水が必要だし、乾くとこうやって勝手に戻っちゃう。ちなみに真水だと人よりは長く潜ってられるけど姿は変わらない。血もフレッシュじゃないと瞬間接着剤よろしくすぐ固まって役立たずになる」

『そっかあ。あんまり応用は利かないんだね』

「ドクター・ロマン、それは先輩に失礼かと」

 

 立香よりむっとしてくれる後輩が今日も可愛い。立香は彼女の頭をよしよしと撫でながら首を振る。

 

「マシュの気持ちは嬉しいけどドクターの言うことは事実だよ。我ながら今回は本当に運が良かった」

 

 四方八方が海に囲まれており、味方も敵も海の中という立香にとっては最高のロケーションだった。おまけに敵方で立香の姿をまともに見たのはバーサーカーのヘラクレスしかいない。意思疎通が困難であることは見て取れたし、間違っても立香が人魚であるとはバレてはいまい。

 

『とにかく、立香ちゃんは戻ったらバイタルチェック以外にデータ取り直しだ。正式な記録には残さないからそこは安心しなさい。人理修復の功労者を解剖させるわけにはいかないからね』

「はーい」

 

 右手を高く上げて良い子のお返事をする立香だが、内心ではカルデアメンバーの順応性の高さに結構びっくりしている。立香自身適応力は高いと自負しているが、人類最後のマスターがまさかの人外(ただの先祖返りだが)だとわかっていてもこの落ち着きは凄いと思う。人外だろうが何だろうがマスターをやれるのが立香しかいないのだから、当然といえばそうかも知れない。

 

「話がまとまったならいい加減本題に移りましょ。このままじゃ全員どん詰まりだわ」

 

 アステリオスの肩に腰かけてふん、と息をつくエウリュアレは、そもそも立香の正体にはあまり興味が無かったらしい。それよりもわかりやすい脅威であるアルゴー号のメンバーが気にかかって仕方ないのだろう。アステリオスもまだ本調子ではないし、余計気が逸るのかも知れない。

 

「そこだよねー。流石にまたヘラクレスが海に飛び込む可能性はなさそうだし、っていうか仮に飛び込んでくれても私だけじゃ絶対対処無理だし」

「私も、デミ・サーヴァントとしてマスターをこれ以上一人にするのは賛成しかねます」

 

 ヘラクレスの『十二の試練』は彼に十二もの命を与えた。アステリオスが頑張った分と長時間水に沈めたおかげで最低二つくらいは削れているだろうが、それでも残りは十。おまけに一度味わった死因は二度と使えないという厄介な性質があるらしい。

 流石はギリシャの大英雄。陳腐な感想だがもはやこれしか浮かばない。

 

「陸でどうにかするしかないね。とはいっても鉄砲の弾にも限りはあるし、船を壊されたら終わりだよ」

「上手いことヘラクレスだけおびき出すとか?」

「上手くいってもアレをあと十回殺せるかい? 流石に自信は無いよ」

 

 ドレイクがやれやれと首を振った。彼女自慢の帆船と砲台もギリシャ英雄の前ではただの船だ。もし彼女が英霊であればまた話も違ったのだろうが……否、無いものねだりをしても仕方ない。そもそもドレイクは生きた人間でありながら既に伝説に片足を突っ込んでいるレベルの傑物だ。

 

『ヘラクレスを遠ざけて親玉のイアソンを叩くか、或いはヘラクレスだけ先に動けなくするか……突破口があるとしたらそのどちらかだろうね。何にせよイアソン達とヘラクレスを別行動させる必要があるかなあ』

 

 ロマニの情けない声は、しかし正鵠を射ている。バーサーカーのヘラクレスに、へっぽこでも指示を出す人間が傍についているというのは実に厄介だ。しかもヘラクレスは明らかにイアソンの意思を尊重している。この二人が一緒にいては此方の寿命が縮まるばかりだろう。

 

「あーもー! 神は自らを助くる者を助くんじゃないのかー! 助けてよーもー! 何か良い知恵か人手か降ってこーい!」

 

 藤丸立香は普通の子である。人魚の血を引いていようが先祖返りだろうが、二十一世紀の日本で普通に生まれ育った女の子である。だから軽率に神頼みもするし、悪いことが重なれば投げ出したいと思うことだってままある。

 

「やあ、お悩みのようだね」

 

 草原を吹き抜ける微風のように爽やかな、それでいて奇妙なほど軽薄にも聞こえる美声が耳朶を叩いたのは、頭を抱えた立香が地面に突っ伏したそのときだった。

 

 

 

 時間を少しだけ巻き戻し、黄金の鹿を逃したアルゴー号にて。

 

「くそ! 何なんだあの嵐は! 奴等はなんで逃げられたんだ!?」

 

 イアソンはアルゴノーツのリーダーでありアルゴー号の船長である。戦闘での指揮は勿論だが自ら船を操縦する技術もある。本来ならライダークラスでの現界が適正であるはずの彼が何故セイバーなのかは本人にさえ分からないことであるが、ともあれそんな彼は船の操縦、そしてそのために必要な天候を読む力も十分に備えている。

 しかし、今し方襲ってきた嵐はイアソンにその予兆さえ感じさせなかった。腫れぼったい雲は雨の気配さえ嗅ぐ間もなく頭上を覆い、気付けば雨は降り注ぎ雷鳴が轟いた。波は船を浮かせるほど高く激しく、気付けば船体にしがみつくのでやっとの有様だった。

 

「メディア! 何故すぐに嵐を押さえなかった! お前の魔術はこんなときのためのものだろう!?」

「ごめんなさいイアソン様、すぐに何とかしようとしたんですが……きゃあっ!」

「言い訳をするなこの馬鹿女! 最初しか役に立たないのは生前だけにしておけ!」

 

 大の男が魔女とはいえ少女の頬を張る、それもろくな力加減もせずに。見ていて流石に愉快ではない光景だが、仕事人たるヘクトールは顔をしかめはするものの二人のやりとりに口は出さない。叩いたイアソンは仮にヘクトールが何を言ったところで反省はしないし、メディアもメディアで叩かれたからと言ってイアソンに怒りを覚えたりしないのだ。……気味が悪いくらいに。

 

「はあ……」

 

 仕事は仕事だ。守るべきトロイアはとうの昔に亡く、自分も英霊でありつまりは亡霊に過ぎない。従っているイアソンは根底に善性があるようだが、ああも魂が捻れてはどうしようもない。きっと良いことにはならないだろう。――と、分かっていてもサーヴァントの主従関係は容易に破れるものではなく、またその気もないのだが……。

 

 それでももし、『次』があるのなら。

 

「おいヘクトール! 何ぼさっとしてる! ヘラクレスが戻った以上追撃あるのみだ! 急いで帆を張れ!」

「ハイハイ、仰せのままにっと」

 

 あの真っ直ぐな眼をした勝ち気そうな少女と、彼女を守って大盾を構えていたデミ・サーヴァントを思い出す。

 きっとあれが、マスターとサーヴァントの理想的な関係、数あるものの一つなのだろう。

 

 

 

 悩む人類最後のマスター(両生類)とその一行の前に現れたのは、新たなる野良……失礼、はぐれサーヴァント達だった。旧約聖書に登場しかつ実在の王としても知られるイスラエル王国二代目国王ダビデ、そして古代ギリシャの女狩人アタランテの二名である。

 一神教の王と多神教の狩人とうっかり宗教戦争が勃発しそうな組み合わせだったが、どうやら二人ともその辺りはきちんと折り合いをつけて対話したらしい。あまりに軟派な態度にアタランテの方がダビデに閉口している様子も見受けられたが、彼も事の重大性は誰より理解しているようなので立香としては目くじらを立てるほどでもないと思っている。

 

「でもマシュにセクハラはしないでね」

「おや手厳しい」

 

 可愛いマシュはただでさえ荒くれ者の海賊や黒髭のセクハラ発言で疲弊しているのだ。幾らイスラエル王とはいえうっかり第二のバト・シェバにされては困るのである。

 

「でもまあ人手は増えたし予想外のアイテムも入ってきた! あとは作戦通り動くのみ! みんなー、配置と役割は覚えたか!」

『おおー!』

「よーし結構! チャンスは一度きり! 私とエウリュアレが主に命がけ! でもまあ失敗したらみんな死ぬんだから一蓮托生だね! 気張っていきましょう!」

『おおー!!』

 

 近接戦闘が可能なのはドレイク、マシュ、そしてアステリオス。あとのオリオン(アルテミス)、ダビデ、アタランテ、エウリュアレはアーチャーだ。遠距離タイプに偏った陣営だが、それでも勝ちの目は見えてきた。賽はもう手の中にあり、あとはもう投げるだけ。

 

「それじゃあエウリュアレ、一発撃ったらすぐ持ち場について。私もすぐ行くから」

「分かってるわよ。……落としたりしたら承知しないんだから」

「勿論。女神様をお運びできる名誉だもんね、そんなことしたら勿体ないよ」

「……あっそ」

 

 ぷい、と顔を背けるエウリュアレの両手には、きちんと畳まれた魔術礼装が収まっている。矢を射るには邪魔なのが申し訳ないが、そこは我慢して貰うしかない。即席の手提げバッグでもあればよかったのだが、生憎とこの島にそんな材料は腥い毛皮くらいしかなかった。しかもエウリュアレに持たせるには些か罪悪感が勝る類の。

 

「アステリオスも、頼りないだろうけどエウリュアレのこと任せてね」

「う……」

 

 まあ、彼女の矢は当たれば儲けもの、当たらなくてもあまり問題は無い。まず重要なのは立香の初動だ。緊張した面持ちで此方を見つめるマシュはまだ少し物言いたげで、しかし立香にはもうこれしかかける言葉は無い。

 

「マシュ、頼りにしてるよ」

「……はい、先輩。お帰りをお待ちしてます」

 

 藤色の瞳を揺らす後輩に微笑んだ立香は、しかし長居せず海に飛び込んだ。数多の生命の匂いに満ちた潮流に包まれた四肢が、瞬きをする間にその姿を変えていく。

 伝承通りの人魚と化したマスターは水中深くに潜り耳を澄ませる。耳とはいってもそれは既にヒレへと変質していたが、それでも感覚としては「耳を澄ませる」と同じことだ。

 

『みーっけ』

 

 魚の動きと船の動きでは立てる音もその大きさも違う。二十一世紀の排他的経済水域でもあるまいし、こんな大海原に漕ぎだしている船はもう黄金の鹿以外はアルゴー号だけだ。そちらに向けて泳ぎ出す。あまりの順調さに鼻歌だって謳ってしまうくらいだ。

 

『ビンゴ!』

 

 果たして立香の予想通り、間もなくして見覚えのある船底が見えてきた。

 

『そういやアルゴー号って造船したアルゴスも神様の祟りにあった説あったっけ。みんなよくこんな曰くつきの船に乗ったよね。船長アレだし』

 

 ギリシャ英雄は腕試しや冒険に目が無いというのが立香のぼんやりとした印象だったが、アルゴー号とイアソンにまつわるエピソードはまさにその典型例だと思う。何せあの時代に生きていた(その定義も結構曖昧だが)英雄の殆どが、王位を追われ馬小屋で育った青二才の号令で集まってきたのだから。

 彼らの道中では盲目の王様を救ったりとなかなかの武勇を打ち立てていた筈だが、イアソンのあの調子ではヘラクレス達に指示を出すだけ出して自分は後ろの方でふんぞり返っていたというのが正しいのだろう。端から見ると本当にただの調子に乗った○ネ夫だが、アタランテが彼を嫌いぬいている反面、ヘラクレスはどうも自らの意思でイアソンに従っているように見える辺り、近づいた者にしか分からない魅力があるのかも知れない。ちなみにメディアはこの際除外だ。彼女がイアソンにぞっこんなのはただの呪いである。

 

『まあいいか。船に恨みはないけどイアソンには若干あるからなー! 思いっきりいくぞー!』

 

 いや私は何もしないんだけどね! あっ、もしかしてこれイアソンとやること同じか!?

 

 

 

 場面切り替わり、再びアルゴー号。

 

「きゃっ!」

「うわああ!? な、なんだなんだ!? 何がおこった!?」

 

 ずしん、或いはどしん、というオノマトペが相応しい、低い衝突音が船底に響く。小柄なメディアのみならず膂力の塊たるヘラクレスすら一瞬バランスを崩すほどの衝撃とあらば、イアソンが狼狽えるのも無理はない。すわ、また嵐かと身構えたが空は快晴。一番最初に冷静になったヘクトールは眉を顰める。船底に何かが掠めたのか、穴など空いていないだろうなと顔を顰めたのだが、

 

「ま、またか!? なんだ!? なんなんだ!? 船底に爆弾でもあたったってのか!?」

 

 さながら海中から巨人に蹴りつけられているような衝撃が断続的に発生し、体幹の弱い者から次々と立っていられず転倒する。強かに後頭部を打ったイアソンが「ヘラクレス! 何ボケっとしてる!」と涙声で怒号した。

 

「急いで海に潜って原因を探れ! 連中が仕掛けたものを見つけたら排除しろ!!」

 

 低く唸ったヘラクレスが揺れる船から海に飛ぼうとする。瞬間、まるでそれを嘲笑うかのように大量の水飛沫が甲板中に撒き散らされた。

 

「おいっ! マジかよ!?」

 

 ざばんっっ、と大きく水面を切ったのは巨大な尾びれ。青く澄んだ海、船の丁度真下を潜る巨大な魚影を最初に見つけたのはヘクトールだった。

 

「此処からすぐ離れろ! 鯨がこの船にぶつかってきてやがる!!」

「なんだとぉ!? なんだってそんなこと、が!?」

 

 イアソンの声を遮るように、一際大きく船が揺れる。

 そんな馬鹿な。海中の生き物が自分からこの船に向かってきている? 仮にも、否、仮にもも何もない、このイアソンのアルゴー号に? 女神アテナの祝福さえ受けたこの誉れ高き宝具に?

 

「ヘラクレス! 殺せ! この下にいるデカブツだ! 今すぐ行って殴り殺してこい!!」

「はあ!? ちょっとアンタ何考えて」

「黙れ! 負け犬の将が俺に口を出すな!! ヘラクレス! いいから早くい」

 

 風を切る音。それを認識するには一瞬遅かった。海風を物ともせず陸から真っ直ぐに跳んできた矢が、イアソンの白い頬を掠めて船底に突き刺さる。

 

「なっ……! なっ、なん……!?」

 

 続いて二発。もう一発。更に三発。また二発。

 明らかに神性を帯びた矢と、そして何故か石が次々に船へと飛んでくる。それらは狙いすましたかのようにイアソンの方ばかりを狙い、そのくせ肝心なところで当たらずギリギリのところで逸れて何処かにぶつかっていく。流れ弾に当たったメディアが短く叫んだが、今更気遣うほどの余裕も優しさもイアソンには無かった。否、現在進行形で皆無にまで削がれていた。

 

「ヘラクレスぅ!!」

 

 揺れ続ける船にしがみつきながらも、憤怒と憎悪に染まった顔でイアソンは陸を睨みつけた。弓矢も石も全てあそこから飛んできている。大人しくわかりやすくヘラクレスを狙えばまだ可愛げはあったというのに、これは間違いなく『イアソンを』狙っている。

 ただの人間、何処の馬の骨とも知れないサーヴァント、頭の悪い女神に牛の化物……大英雄イアソンが本来歯牙にかける必要もない連中が、小賢しくも浅ましい手段で『イアソンを』害そうとしている。

 この時点でイアソンは完全に立香達の術中に嵌った。ヘラクレスは単独で船を離れて陸に向かい、船底でそれを見届けた立香も見つからないよう水を蹴る。

 

『――――♪』

 

 ふう、と息を吐くように、或いはハミングするように。少しだけすぼめた唇から零れる音が、海流を密やかに戦慄かせる。

 

『――♪ ――♪――♪』

 

 宙に浮かぶように伸びあがり、少しだけすぼめた唇から零れるのは不思議な旋律だった。低い笛の音よりももっと深く、腹の底に響くような、いつまでも耳に残り続けるような歌声。人語では決して紡ぐことの出来ないそれが聞こえたのだろう、アルゴー号の底にじゃれついていた鯨が、すい、と此方に向けて潜ってくる。

 

『ありがと、助かった』

 

 大きなアルゴー号をそのまま背中に乗せてしまえるほど大きなそれは、立香の手に少しだけすり寄った後、すい、と尾びれを振って何処かに去っていく。生憎と見送ってやる余裕はなかったので、立香は急いで踵、もとい尾を翻して陸に向かった。

 

「ただいま! エウリュアレいる!?」

「いるわよ、此処に! ほら着替え!」

 

 水飛沫を上げて顔を出した立香に向かい、弓をつがえていたエウリュアレが礼装を投げ寄越す。ステンノなら絶対にやりそうにないことだ。姉妹でこういう違いが出るのは面白い。カルデアに呼んでメデューサと会わせるのが楽しみだ。

 

「ヘラクレスは予定通りこっちに向かってる。頑張って走るから揺れても我慢してね」

「わかってるわよ」

 

 大判のバスタオルで身体と髪を拭く。素直ではない女神様だが、戦う術を本来持たない彼女がヘラクレスとの鬼ごっこを良しと言ってくれただけでも奇跡だ。今はその機会を存分に生かすしか生き残る道はない。

 藤丸立香は所詮普通の人間だ。人魚の血を引いていても不老不死ではない。死ぬときは死ぬし殺されもする。

 だから、生き残るためならいつでも全力で頑張るしかない。人類最後のマスター? 大層な肩書結構。此処まで来たら、ただの女子高生もマスターも人魚も変わらない。

 

「よし、いこう!」

 

 人間のものに戻った脚で立ち上がった立香は、エウリュアレが弓を下げたタイミングでその細身を抱き上げた。きゃあ、と叫んだエウリュアレの顔が本当に子供みたいで可愛かったのだが、笑って暴れられては困るので何とか我慢した。結構頑張った。

 

 

 

 

 

――さて。さて。

 

 此処までを目にした多くの方々が既に承知しているように、人類最後のマスターとその一行はこの後作戦通りヘラクレスを倒し、ヘクトール、イアソン、メディア、そしてその裏にいた魔人柱を辛くも退ける。人理焼却の黒幕として『ソロモン』の名が初めて上がったのもこのときである。

 

 敢えてこの物語と原典の相違をあげるとすれば、それはただ一つ。このとき、マスター側についたサーヴァント達は誰一人として途中退場はしなかったということに尽きる。

 この特異点で起こったことは、恐らく原典やその他多くの世界と比べれば、『短期的には』マシなものだっただろう。しかし一つが『マシ』で済んだからと言って、この先がどうなるかは分からない。実際、この世界ではオルガマリー・アニムスフィアをはじめ、これまでの世界では『順当な』犠牲を払ってきたのだから。

 

 しかしながら、この世にはバタフライ・エフェクトなる言葉もある。

 人理修復の旅は未だ道半ばであり、皆々様がご存知の通り、修復した人理には漂白という未来も待っている。

 異端の血を引くというただその一点にのみ他と差分を持つこの世界のマスターが如何なる運命を辿るのか。

 それはまた、別の機会があれば、お目にかけたい次第である。




仮に「魚女!」とか言われても「まあ事実だよね」と怒りもしないぐだ子です。人類最後のマスターは基本仏のように寛容じゃないと出来ない仕事だと思う。
代わりにマシュが怒ってくれると思います。可愛い後輩とかうらやましい。

話は変わりますがFGO本編って男主人公を基調にしたシナリオだからか女主人公選んでもまったく女扱いされてないのが地味に残念に思っています。
そんなわけでこの話のぐだ子はこの先普通に女の子扱いされる予定です。

あと別作品のマスター・サーヴァント関係も履修中とはいえ大事にしていきたいのでまだ登場してませんがこのカルデアにいるエミヤは割と軽率に以前のマスターの話とかします。セイバーアルトリアはそもそもカルデア来ないかも。
サーヴァント相手に逆ハーするんじゃなくて家族とか友達みたいにきゃっきゃしつつごく一部と良い感じになるのが個人的な理想です。

最後にも書きましたがFGOゲームシナリオをまるっと変えられるだけの技量があるわけではないので(ぐだ子自身としても書き手の技量としても)、この先続く場合は「本編と何かしら変わりそうなところがあったら」となります。
死ぬときはその通り死んでいくと思いますのでご了承いただければ幸いです。

此処までお付き合いありがとうございました。


どうでも良い補足ですが最後のシーンで海に飛び込む直前のぐだ子はすっぽんぽんです(礼装の予備がもうなかったので)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。