特にロンドンは原作と差分を出せそうな箇所が見つかりませんでした。力不足ですみません。
あと今回は普段よりやや短いです。それもすみません。
あと監獄島は未クリアです。巌窟王復刻PUのときはゲーム自体やってませんでした。
星5アベンジャー切実にきてほしい。
監獄島はいつか番外編でリベンジ出来たらします。
その前にプレイしなきゃですが。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンという名前は、ともすれば未就学児でも知っていておかしくない名前だ。
世界三大童話作家のひとりであるのみならず、作品の多くを地方の伝承や民話をもとに書き上げたとされるアイソーポス(イソップ)、グリム兄弟と異なり、その豊かな想像力と文才で一から名作を組み上げた偉人。遅筆であったがために作品数は他より少なくとも、老若男女に愛され続ける物語を多数書き上げた彼は紛れもなくある意味での『英雄』であっただろう。
マッチ売りの少女、親指姫、みにくいアヒルの子、雪の女王、裸の王様。
彼が鮮やかに描いた悲劇の世界にショックを受けた者も多かろうが、同じくらいに救われた人間もきっと沢山いたのだろう。晩年はその仄暗さも僅かに和らいでもいるし、彼の人生はきっと悲しいことばかりではなかったに違いない。……と、かつて彼の童話集を一読した立香はそう思っていた。
『ちなみに私は即興詩人が好きかな』
「やめろその名前は出すな!」
オケアノスの次に見つかった特異点、ロンドンで現界していたアンデルセンは、その時の縁を辿って定礎修復後にカルデアに来てくれた。今の彼は最初に出会った時と同じく分厚い本を読み、そしてあれこれと喚きながら羽ペンで物語を書き散らしている。
「あんなものはただの妄想の具現だ! 青臭い夢にも恋にも破れた、まだ童話作家でさえなかった惨めな男が現実から逃げるために夢想し書き殴った『ぼくのかんがえたさいきょうのしゅじんこう』だ! ご都合主義、王道、ああくそっ吐き気がする! お前の目は俺が思っていた以上に腐っていたらしいな、マスター!」
『仮にも金を落とす読者に対してひどくない?』
いつ部屋に行ってもこうして〆切に追われ、雑然とした所謂『汚部屋』(但し生ごみの類は無いので悪臭はしない。せいぜい埃臭い程度だ)でぶつくさどころかガミガミと文句を言いながら執筆活動に励んでいる彼だが、今日はその執筆の場をマスターの部屋に移している。
何故、といえば勿論、例えば多くのサーヴァントのようにマスターとくだらない会話に興じたり、ただ単に一緒の時間を楽しんだりしたいといった殊勝な理由からではない。
なお、彼の言葉を肯定するわけではないが、童話ではない作家アンデルセンが最初に名声を獲得したきっかけたる小説『即興詩人』は、今では殆どの国においてさほど知られていない。これは後に出した童話があまりにも世間に広まりすぎたためであろう。日本で比較的この著作が有名なのは、最初に翻訳したのがかの森鴎外であり、そしてその訳が絶妙だったからというのも大きい。
ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』しかり、名作が国境を越えるにはその作品の質だけでなく、巡り会う翻訳家の技量やその相性にも寄るということだ。鴎外の訳した『即興詩人』は決して正確無比な訳ではなかったが、擬古的な表現がその世界観を美しく彩る名訳とされ、今でも愛されている。
「馬鹿め! お前がこの時代に落とした金が俺の懐に入るわけがあるか!」
『そりゃそうだ』
すい、と背中を反らし、ゆるりとバク転をするような格好で天井を眺める。一瞬だけ水面に出た尾びれがぱしゃん、と水面を叩く音がして、それに呼応するようにブラックコーヒーをずぞぞ、と啜る音が室内に響いた。
人間が一人入ってもこの通り全く不自由しない水槽は、先日のオケアノス攻略後の雑談からダ・ヴィンチが実際に作ってくれたものだ。ロンドンで初めて相まみえた人理焼却の元凶――ソロモンを名乗る男から辛くも生きて帰った立香にとって、彼女のこのサプライズはエミヤが作ってくれたハンバーグと同じくらいに嬉しかった。
『ところでさー、私他に何もしなくていいの?』
楽だから良いんだけど、とひっくり返ったまま水槽のガラスに手を伸ばす。向こうに見えるアンデルセンは顔も上げないまま「そのままでいい」と即答した。
「お前から情報を絞っても創作意欲が減退するだけだと気付いたからな」
『本当に酷い言い草だなあ』
ふん、とやたらと良い声で言い捨てるアンデルセンの筆は止まらない。一体誰から仕事を受けてどんな交渉があったのかは不明だが、彼は今日も締め切りと戦っている。
さて、この気難しく遅筆で有名な童話作家アンデルセンと、曲がりなりにも彼のマスターとして縁を結んだ藤丸立香。
何故この二人がこんなやりとりをしているのかを説明するためには、少しだけ時間軸を過去に戻さなければならない。
「はじめまして、藤丸立香です。見ての通り魔術的にはポンコツのマスターだけど、人理修復のために貴方の力を貸して欲しい」
これは、冬木以降のオケアノス突入前まで立香が口にしていた決まり文句である。呼び出しに応じてくれた英霊はバーサーカーで無い限りクラスと名前を教えてくれるので、立香もそれに倣ってきちんと自己紹介をしている。側には必ず『万が一のため』に戦闘モードのマシュと時間の空いている英霊がついていてくれているが、人理修復のために重い腰(場合によっては軽い腰)を上げてくれた英霊達相手に、立香自身が危機感を感じたことは無い。
この姿勢が脳天気と散々言われる所以だと分かってはいるが、魔術素人の娘の召喚に応じてくれた彼らが少なかれ人理修復への協力意思を持っているのは間違いない。それを疑うのはやはりよくないことだと、立香は何度言い聞かせられても思うのだ。
……それはさておき。
マスター、藤丸立香のそんな、取り立てて特徴の無い自己紹介は、オケアノス特異点の修復後はこのように変化した。
「はじめまして、藤丸立香です。見ての通り魔術的にはポンコツだし混ざり物のマスターだけど、人理修復のために貴方の力を貸して欲しい」
意思疎通がほぼ出来ない類のバーサーカーを除けば、マスターのこの自己紹介にまず首を傾げるだろう。事実、オケアノスで立香の正体を知ること無く退場した(つまり敵勢力だった)面々は、「お前は何を言っているんだ」と口に出したりもした。
立香は此処で敢えて言葉を重ねず、「取り敢えず部屋に来て」と呼び出したサーヴァントを案内がてら自室に誘う。勿論、何かの勘違いが発生しないよう(と、危惧していないのは本人だけだ)護衛達も一緒にだ。
「ちょっと待ってて」
部屋の前に辿り着くと、マスターはまず一人で部屋に入る。頭にクエスチョンマークを浮かべつつも黙って待つしか無い新顔サーヴァント達は、やがて「入っていいよー」という脳天気なマスターの声に従って扉を開け……まあ、大体後はお察しの通りである。
サーヴァント達ひとりひとりに宛がわれる個室と大差ない広さの部屋、その半分近くを占める、天井まで届くほどの高さの巨大な水槽。白い砂利が敷き詰められ、お洒落のつもりなのか作り物の珊瑚なども入れて飾られたその中に、『それ』はいる。
人魚。
様々な濃淡と風合いのみどりやあおを中心とする鱗、それに覆われた魚の下半身。薄いガラス細工にも見える尾びれと両耳のあった場所から伸びる小さなひれ。胸元のきわどいところは藻のようなもので絶妙に隠されているが、意味不明な箇所にベルトが存在するカルデアの制服とは違い正統的に艶っぽい。
『おーい、大丈夫? 呼吸してる?』
腰元まで伸びた橙の髪が、みどりやあおとコントラストを描いてこれまた美しい。幻想的と呼んで差し支えのない姿を取った『マスター』は、あどけなくしかし何処か蠱惑的な声で、奇妙なほど脳天気にこう続けるのだ。
『見ての通り、先祖が人魚の先祖返りです。両生類や魚類のマスターなんて認めるかっていうなら座に還って貰うしかないけど、そうじゃないなら改めてどうぞよろしく』
ちなみにオケアノス攻略後にこれをやったとき、新顔達の反応は主に二分した。
中世近代に活躍した海賊達は、一種の都市伝説的なものとして憧れは持ちつつも「どうせ(何がとは言わないが)溜まった男達が見間違えたかしたんだろう」と思っていた人魚の実在に絶叫。
神代に生きた英雄達、或いは自身も人外の血を引いていたりゆかりのある者達は、「まあそういうこともあるか」と多少は驚きつつもすぐに順応した。神と人間とのハーフがそれなりに多かったギリシャ神話出身の者達は、特にそんな感じだった。
ちなみに水槽の側にはカルデアの白い制服が脱ぎ捨てられており、彼女の後輩が小言を言いながら拾い集めていたのは完全な余談である。
さて、此処まで語ったところでそろそろアンデルセンの話に戻ろう。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンは名作佳作の多い作家であり、その代表作は、と聞かれても人によって評価が分散する。しかしその名作のひとつに『人魚姫』があることは疑いようがない。
此処だけの話、藤丸立香はことアンデルセンに対しては自分の正体を秘匿すべきでないかと思っていた。彼が自身の作品にどのような評価を下しているかは分からないが、少なくとも『人魚』というモチーフに多少なり思い入れがあるからこその『人魚姫』だったことだけは間違いない。
美しく儚く、そして愚かな人魚姫。彼女は恋破れたがいずれ魂を得る精霊となり、最後のページで生まれて初めての涙を零す。『人魚姫』の世界は乙女達が夢見る美しく、それでいて絵に描いたような繊細な恋物語だ。
が、人魚(少なくともその元ネタになっただろう生き物)の生態は、ぶっちゃけ『これ』である。立香は姿こそ人魚のそれを取れるが意識は殆ど人間であり、有り体に言って俗物である。もう少し端的かつ丸い言葉で称するなら「現代の女子高生」である。『人魚姫』に描かれたような儚さも繊細さも、恋を夢見る少女の健気さも(少なくとも今の時点では)ありはしない。
「ああ知ってたさ! 知っていたとも!! 現実なんぞクソだってことは嫌ってほどな!!」
それでもいつかはバレるだろうから、と(脳天気な立香にしては)苦渋の選択で正体を明かすと、アンデルセンはわなわなと震えながらそう叫んだ。普段の異様な語彙力から考えると貧相でしかない罵倒だった。
それだけショックだったのだろう。アンデルセンはその後すぐに引きこもった。呼んでも扉を叩いても返事さえせず、辛うじて気配察知の得意なサーヴァントが「まだいるぞ」と教えてくれる情報だけを頼りに安堵するしかなかった。
その期間、実に十日。如何に寝食の必要ないサーヴァントとはいえ、流石に周囲は気を揉んだ。特に立香は彼が引きこもって以来、このまま自害でもして座に還り、この衝撃を記録として刻んでしまうのではないかと気が気ではなかった。ただし最初の一日だけ。
何故最初だけなのかと言うと、それから一週間、立香は魔術王ソロモン(或いはソロモンを名乗る何者か)の呪詛によって魂だけを牢獄に閉じ込められてしまったからだ。一週間ほぼ昏睡状態に陥り、その間命の危険が常にあったため、正直アンデルセンのことどころではなかったのだ。多分立香のみならず、カルデア全体がそんな感じだったと思われる。
閉じ込められた先で何があったのか――それはまた別の話で語るとしよう。あくまで此処での主題はアンデルセンである。
たっぷり十日も引きこもって何をしていたかは定かでは無いが、アンデルセンはその期間で何とか頭を切り替えたらしい。現実と理想のギャップは生前から彼が幾度となく突きつけられてきたものであり、その立ち直り自体は彼にとってそう難しいことでは無かったと言うことだろう。
「マスター、少し付き合って貰うぞ」
「え? なに?」
「執筆だ。何せ〆切りが迫っている。嫌とは言わせんぞ。お前のお陰で俺の執筆意欲はゼロからマイナスだ。だが〆切りは無慈悲だ。絶対に作家を許さないし逃がさない。ならせめて意欲がゼロに戻る程度までは最低限ネタを提供して貰わねば割に合わん」
「それ私のせいなの?」
「人が折角積み上げた物語を根底から否定しておいて何をぬけぬけと。良いから付き合え。現代の風潮にぴったりの今時な異種間ラブロマンスでも書いてやるぞ! その方が世間のウケも良いからな!」
「でもそれどうせ悲恋でしょ?」
「当然だ!」
頭を切り替えてからは、生きた幻想種(と、言えなくもないレベル)の立香を『取材対象』と見なしたらしい。人魚の生態や先祖の人生やら、立香の知りうることは根掘り葉掘り聞かれた。掘られすぎてもう土が何処にもないレベルにまで掘られた。いや、決して変な意味ではなく。
そして粗方情報を搾り取った後、彼は執筆場所を立香の部屋に移した。「リアルな描写が必要だ。すぐそこに飛び込め」と水槽を指さした彼に、立香は最初からほぼ諦めていた抵抗を完全放棄した。子供の姿を取ってはいるが意識は老成している彼に一応後ろを向いて貰い、立香は服を脱いでどぼんと水槽に飛び込んだのだった。
そうして、ようやく今に至る。
「……っ、お、わった…………! おわったぞ…………!」
『おつかれー』
チアノーゼに近い顔色で机に倒れるアンデルセン。助け起こしてやりたい気持ちはあるが、水槽の中にいる以上それは難しい。
なので立香は取り敢えず水槽から上半身を出すと、水槽の縁によいしょ、と苦労しつつ腰掛けた。用意して置いたバスタオルを身体に巻いて、タオルが水気を吸い取ってくれるのを待つ。
『コーヒー……は折角終わったのに逆効果かな。ハーブティーでも貰ってくるからちょっと待っててよ』
「匂いがキツいのはやめろ……」
『語彙がすくなーい。オーケー任せて。あ、「今顔上げないでね素っ裸だから」』
「言いたいことは色々あるがその残念な口を閉じてろ馬鹿め……」
語彙力も少ないし元気もない。原稿とはかくも恐ろしいものらしい。明らかに執筆中の方が元気だったが、アレは単に脳がハイになっていただけということか。
ともあれ、立香としてはただ単にぷかぷか浮かんでいただけだし、退屈していたかといえばアンデルセンの罵倒混じりの話が面白かったのでそんなこともない。元気は有り余っているので、取り敢えず言ったとおりハーブティーをもらいに行くことにした。シャワーを浴びている時間は勿体ないので、髪の毛はタオルでまとめ、適当な部屋着をさっと着込む。
「おっ」
大判のバスタオルを畳み直していると、白くてふわふわのそれの間から何かが落ちた。何か、と言いつつ立香にとっては見慣れたものなので気にとめるものではなかったが、ようやく顔を上げたアンデルセンにとってはそうではなかった。
「鱗か?」
「うん」
それは立香の掌よりも少し小さい、薄い一枚のガラス板に見えた。色は新緑からエメラルドグリーンに移りゆく見事なグラデーション。光が当たって一部が虹色に輝いてもいる。鱗と言われなければ恐らく気付かれない、ことによれば薄く研磨した翠玉のようにも見えた。
「たまに落ちるんだよね。まあ頻度はだいぶ落ちるけど髪の毛が抜けるようなもんかな、感覚的には」
「だからそう絵にもならん俗な発言をするな! 折角ネタが降ってきそうだったのにどうしてくれる!」
アンデルセンはちょっと元気になったようだ。折角ひとつ仕事が終わったのにもう次のことを考えているらしい。嫌だ嫌だと言いつつ実はワーカーホリックなのでは無いだろうか。
「……要る?」
何だか随分じっと見られているような気がして聞いてみると、ぴくんと片方の眉を跳ねさせる。しかし否定の言葉はかからない。
「よかったらあげるよ。どうせ私が持ってても捨てるだけだし」
「だからお前は……!」
物凄く忌々しそうな顔をされるが、先にも言ったとおり立香にとって鱗は髪の毛や爪と同じなのだ。無理矢理抜こうと思えば痛いが自然に抜ける分にはどうでもいいし、それこそ切った爪を見ているのと同じような気持ちしか沸かない。
……と、此処まで言えば流石に怒って突き返されそうなので黙っておく。マスターとして最低限の空気を読むスキルである。
「……返せと言っても聞かんぞ?」
「いいよ、言わないから。少なくとも私は楽しかったしね」
元々立香も読書は好きで、アンデルセンの本も好きだ。アマデウスのお陰で創造主と創造物を分けて考えるという思考は既に十分身についている。それに、立香個人はこの、如何にも厭世的で「人間嫌い」を隠さない、それ故に「人間理解」が誰よりも深いハンス・クリスチャン・アンデルセンという英霊を好ましくも思っている。
「ほう、それなら遠慮無くまた付き合わせることにするか。今度は生け簀の中ではなく正式なアシスタントして三十分ごとにコーヒーでも煎れて貰おう」
「うわーこの人こき使う気満々だー! いやいいけどね、別に」
あ、そうだ。
「こき使うのはいいけどこの後召喚付き合ってくれる? まだ呼べてない人がいるんだ」
部屋に引き摺られる前にぼんやりやろうと思っていたことを思い出す。机にぺったりと頬を付けた半分ゾンビ状態の少年(の皮を被った老人)が、何とも言えないジト目で此方を見上げてくる。
「……あの劇作家か?」
「そう」
劇作家――無論だがウィリアム・シェイクスピアだ。彼もまたロンドンでは随分と世話になった相手である。作家という括りは同じでも性格はアンデルセンとほぼ正反対だが、あまりにも違いすぎて逆に話が合うようにも思っている。
「いいでしょ? 生前ファンだったって聞いてるけど」
「だから何故お前はそういう無駄な知識だけはしこたま蓄えてるんだ! 適切な処理を忘れた肥だめか! 漂わせる悪臭は魚臭さだけにしておけ!」
「……流石にそのたとえは年頃の女子に失礼だと思う」
せめて魚類呼ばわりくらいで留めて欲しいところである。さしもの立香も少しは傷ついた。
「まあ良い。曲がりなりにもモデルをして貰った礼はせんとな」
「わーい、アンデル先生ありがとー」
「妙な呼び方はやめろ。日本人は何故そう訳の分からん単語の略し方をするんだ」
お国柄じゃない? としか応えられないような文句を口にするアンデルセンだが、のそり、と緩慢な動作で立ち上がる。ハーブティーよりも立香の召喚を優先してくれるつもりらしい。
「アンデルセンって何だかんだいい人だよね」
「よく分かったぞマスター。お前の目は節穴どころか虚そのものだということだな」
「はいはい。良いから管制室行くよー召喚するって伝えてこなきゃ」
かくして彼らの希望通り、この後の召喚の儀ではかの劇作家が俳優よろしく『芝居がかった』口調で口上を述べる。そして彼らのマスターはこれまで通り自らの正体をあっけらかんと明かし――数多くの劇作品を残しながらも『人魚』を生前のうちに題材にしなかったことを嘆いた劇作家によって、アンデルセンを超える三日もの間マイルームを占拠されたのだが、これは全くの余談である。
数日後。
「失礼、アンデルセンさん」
レイシフトを繰り返す中で随分改善されたというカルデアの食事事情。サーヴァントも(生存者のスタッフやマスター達よりは優先度が低くなるが)ある程度食事を取ることが許されるようになったため、食堂にはいつもそれなりの数の英霊達がいる。
新しい原稿依頼の内容をげんなりしながら反芻していたアンデルセンもまた、今日はたまたま食堂に来る気分だった。そして、来て早々その気まぐれを後悔した。
「なんだ。用件なら手短に言え。俺は忙しい」
『嘘』ではない――自分にそう言い聞かせる。この後は実際また原稿地獄が待っているのだ。食事は軽く、手早く済ませて部屋に戻る必要もある。コーヒーは後でマスターにでも用意させよう。
「ではお言葉通り手短にお聞きしますね。……アンデルセンさん、貴方の手にあるそれは何処で?」
それ、というのは今アンデルセンが手に持っている次作用の資料――ではない。清姫がそのほっそりとした指で示し、そして蛇の化身らしいじとりとした視線で貫いているのは、その分厚い資料の間に挟まれた『しおり』に他ならない。
緑のグラデーションを描くガラス板、のような鱗。その端に小さく穴を開け、目立つように金色のリボンを結んだものだ。決して目立つように持っていたつもりはなかったのに、食堂の隅にいた清姫はどうやってかこれをめざとく見つけたらしい。蛇とは、そんなに視力の良いものだっただろうか。
「……無理に取ったわけじゃないからな」
そもそもこれは立香自身がくれると言ってくれたものである。アンデルセンが自ら望んだものではない――決して嘘では無いという気持ちを込めて押し殺すように言うと、清姫は愛らしいかんばせにこれまた愛らしい笑みを浮かべてみせる。
パチン、と閉じた扇の音がやけに耳に残った。
「ええ、ええ、勿論です。そんな真似をする方ではないと存じてますし……そんなことを企てるほど命知らずではないとも思っております」
その割には随分声が冷ややかで、背筋の冷たくなるような殺意さえ感じるのだが。
アンデルセンの脳味噌は、それこそ〆切り間近の原稿を前にしたときでもそうそう無いほどフル回転を始めた。端的に言って命の危機である。アンデルセン自身にやましいことは何も無いが、このまま会話を引き延ばすことはすなわち死亡率の急上昇を意味する。
これは早く矛先を別に……具体的に言うならばあの脳天気なマスターに変えなければ。
「時々勝手に抜け落ちるらしい」
「え?」
「だから、勝手に抜けたものなんだ、これは。それをたまたま近くにいた俺が貰った。本人は捨てるしかないものだとムードも何も無いことを言っていたがな……お前が見つければ、同じようにくれてやるんじゃないか」
「まあ……! それは素敵なことを聞きましたわ。ありがとうございました。失礼します」
みるみるうちに紅潮する白い肌。いそいそと駆け出していく清姫。そしてその背を、盗み聞きしていた何人かのサーヴァントが追っていく。
「……部屋に戻るか」
多分この後は軽く修羅場だろうが、妙に対話能力に長けたあのマスターなら何とか切り抜けるだろう。アンデルセンはすっかり食欲が失せてしまったことを自覚すると、長く深い溜息をついて食堂を後にするのだった。
「あれ? 清姫……だけじゃないか。どうしたの? え? 鱗?」
「あー、アンデルセン? いや確かにあげたけど……え? 欲しい? なんで?」
「いや、欲しいなら欲しいであげるけど……でもアレ抜けない時は抜けないからいつになるかわかんないよ? 流石に自分で剥がすのは嫌だし」
「待つ? んー、まあいいか。見つけたらあげるよ、順番に一枚ずつね」
「あ、でも落ちてるの誰かが見つけたらその人の自由ってことで。いちいち届けて貰うのも面倒だし、ゴミとして捨てちゃう人もいるだろうしね」
「しかしあれだね。アンデルセンも結局捨ててないみたいだし、なんでみんなそんなの欲しいの? 鱗だよ? 蛇にも魚にもあるやつだよ? いや、良いんだけどさ」
シェイクスピアが出なかったのは割と作者の都合も大きいです。
ていうか作家陣営の口調難しすぎません…?
特に劇作家はアレ何なんです‥?みんなどうやって書いてるの…?
最後の鱗ネタは前から書きたかったことの一つです。
何かの拍子に落ちるときは二、三枚ぽろっといくけど落ちないときは全く落ちない。幸運値の高いサーヴァントなんかは廊下に転がってるのを見つけたりもする。低いサーヴァントは幾らマイルームに居座っても落ちないから貰えない。
……という、多くのマスターがアイテムドロップ狙いの周回で味わう苦悩を知らず知らずのうちに体感していたら面白いなと思ってます。わたしが。
この辺はまた別の話でネタにしたいところです。