焼け付くような鉄の匂いと鼻につく血肉の香り、吹き荒れる鉄の嵐、尽くの生命がすり潰されていく、正しく疾風怒濤の如き世界。
嘗て、同盟国の作家の作品に『鉄風雷火の限りを尽くし、三千世界の鴉を殺す、嵐のような闘争』という文言があったが、正しく目の前の光景はその嵐のような闘争なのだろう。
つい小一時間ほど前に談笑していた同胞が、昨晩に肩を並べ簡素なスープを飲んだ仲間が、数十分前に双眼鏡越しに視線がかち合った同盟者が、全てが!
まるで芥のように、生命だったものが死んでいく。美しく青かった海が赤く染まり、鉄くずと化した艦が沈んでいく、奴らがこちらの方を見ている。この地獄を作り上げてみせた人型の怪物が。
まるで発光器官か何かのように怪しく瞬く瞳が────違う、こちらの方を見ているんじゃあない。アレは、あの少女の様なナニカは明確に私を見ていて──────
───あなたに決めた
狂気的な笑みを浮かべた奴に、私はその瞬間、意識が途切れたのを理解した。
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10年。
10年だ。およそそれぐらいで人類は大きく変わった。地表のおよそ七割が水で覆われたこの世界で人類は各々の国に分かれながらもその文明を発展させてきた。だが、それが10年前のあの日に一変した。
我々人類の繁栄は、突如として海よりその姿を表した正体不明の異質な存在《セイレーン》によって崩された。いや、崩されたというのは少し間違えかもしれない。
とにかく、奴ら《セイレーン》には人類の築き上げてきたものが尽く崩され、制海権を奪われ人類は陸に閉じ込められた。海を奪われるという事は大半の国にとって首に手をかけられているのと変わらない。
水産物や食塩などの食に関係するもの、天然ガスや石油などの生活に関わってくるものそれら海洋資源を取得する事が出来ないというのはあまりにも人類へのストレスでありこれらが原因で国が混乱に陥る可能性があるのは否めなかった。
だが、それはあくまで過去の話。数年ほど前に《セイレーン》への対抗手段が生まれたのだ。
その名はKAN-SEN。正式名称をKinetic Artifactual Navy - Self-regulative En-lore Node という女人の姿をとった存在。
メンタルキューブなどという果たして何処から転がり込んだのか分からない代物によって生み出された彼女ら、人知の及ばぬ来歴不明で海を往く女の姿をとる存在となんともまあ、《セイレーン》に酷似しているがしかし利用出来るものは利用するというのが上の方針なのだろう。
とにもかくにもそんなKAN-SENの存在により、人類は今までの確執を忘れ、手を取り合うことを決めた。それが国家連合アズールレーン…………まあ、アズールレーンは《セイレーン》を押しとどめることに成功し、我々人類は完全にでは無いがそれなりに制海権を取り戻したのだ、と言えよう。
「はてさて、どうなるのやら」
人類の行く末を案じながら私は今日も今日とて書類書類書類のデスクワーク。いや、デスクワークが嫌いというわけではなく、私もなんやかんやでアラフィフと呼ばれる歳なわけでこう……目が疲れる。
「指揮官?どうかなさいましたか?」
「ン、いや。なんでもないよ」
どうやら、ペンが止まった事で心配でもさせたか秘書艦であるニーミが手を止めてこちらに声をかけてくる。私は彼女の心配は杞憂だ、と返し書類に視線を戻し手を動かす。
さて、私の話をしよう。
と言っても、私自身について話せる事などそうそうなく、せいぜい一線を退いて内地勤務に勤しんでいた所に上司から呼ばれてこうして母港で指揮官を務めている程度ぐらいしか話すようなことは無い。
なので、話すのは私の今やっている仕事か。先も言っていた通り私はセイレーンのせいもあり前線から退き、七年ほど内地勤務をしていた。正直に言えば、前線から内地に引っ張られたのはあまり私としても良くはなかったのだがまあ、それはまた別の事情がある為になんとも言えない。
さて、そんななんとも言えぬが中々に忙しかった内地勤務にいた私を同じく10年前の《セイレーン》が原因で昇進して上層部の方に食いこんでいた私の元上司が召喚したと思えば、適性があるとか何とかでこうして内地からこの母港に送られKAN-SENたちの指揮官を務めることとなった。
命令が下った時は難色を示したし、《セイレーン》を直に見ている分彼女らKAN-SENへの警戒も強かった……だが、三年、三年も経つと存外そういうものも無くなるのだな。
それもそうか、彼女らは《セイレーン》と違って傍から見て、歳頃の少女らにしか見えないのだから。
「指揮官、こちらの書類の方は終わりました」
「そうか。こちらも終わったところだよ」
ニーミから彼女が終わらせた書類を受け取り、私が終わらせた書類と見比べながら、分類ごとに書類を分けていき書類棚へと移すものは移し、それとは別の提出すべき書類は書類で引き出しにしまっていく。
「いま、お昼ご飯用意しますね」
わざわざ用意してくれる彼女に私は礼を言いながら、部屋の隅に置いてあるコーヒーマシンを動かして二人分用意する。
ニーミが秘書艦の時は執務室と繋がっている給湯室で彼女が軽い昼食を作ってくれている。私としては秘書艦をさせているのにわざわざ昼食まで用意させるのは罪悪感がある為、何度か彼女に食堂の方で昼食を摂ろうと言っていたのだが中々の熱量に押され、かれこれ三年を過ぎた。今では存外ニーミの昼食が楽しみの一つになっている。
さながら孫……いやニーミの外見年齢と私の年齢を鑑みてもギリギリ娘か。娘の昼食というのはなかなかどうして、嬉しいものだよ。
「指揮官、今日はヴァイスヴルストですよ」
「ありがとう、ニーミ」
差し出された皿の上に陣取るヴァイスヴルストに私はつい笑みを浮かべつつ、ナイフを手に取り食事を始める。
本来、ヴァイスヴルストは正午までに食べるものであるがこうして正午をやや過ぎて食べるというのもなかなかどうして、背徳的な行いのようで年甲斐も無くウキウキしてしまうところがある。正直に言えば、白ビールを合わせて飲みたいものだが、軍属で立場ある仕事をしている以上、夜の仕事明けでもなければ飲むことが出来ないのがとてもつらい。
だがまあ、それもこの美味しいヴァイスヴルストと付け合せのプレッツェルが忘れさせてくれる。それらに舌鼓を打ちながら、コーヒーを軽く飲む。
「指揮官、今朝の報告書だけど。あら」
「オイゲン」
昼食を楽しんでいるそんな最中に執務室の扉が開かれ、隙間からひょっこりとオイゲンが顔を出しこちらを覗く。
忙しそうにしているわけでないからか、彼女は遠慮なくそのまま入室し部屋の隅のスペースに置いてある予備椅子を引っ張って、私の机前に陣取った。そんな彼女に私は苦笑しつつ、身体をズイと机に乗り出す彼女の口に切り分けたプレッツェルを放り込む。
「ん、ありがと」
あまり慣れたくはなかったがこの三年でこれも慣れてしまったな…………まだ着任して一年も経っていなかった頃はこちらもなんやかんやで戸惑ったりしたし、彼女に色々茶化されたものだが、いまでは手が塞がってる娘の口にスナック菓子を放り込むのと何ら変わらないところまで来てしまった。
思い出せば、着任当初は彼女の妙に丈の短い服装に苦言を呈す事が多かった気がする。だが、それは娘と言っても通じるような外見年齢である以上、指揮官として服装に小言を言ってしまうのは仕方ないことではなかろうか。
今はまあ、あまりその辺りは口にしないようにしている。彼女のアイデンティティを壊すわけにもいかんだろうし…………それに昨今はそういう注意がセクハラなどに繋がりかねないしな。
「オイゲンさん、指揮官のお昼ご飯ですよ」
「いいじゃない、別に全部ちょうだいって言ったわけじゃないんだから。それに指揮官のモノなら、それをどうしようが指揮官の勝手じゃない?」
「そうですけど……」
さて、一度フォークを置いて、軽くコーヒーに口をつけてから私はオイゲンが机に置いた報告書を手に取り、視線を走らせる。
今朝の哨戒について、口頭での報告は彼女から受けていたが何事もこうして文面におこしてこそ、だと思うのは歳だろうか。いや……まだ、手書きをさせてない分大丈夫じゃないだろうか……うーむ。
「ところで指揮官」
「ん?どうかしたか」
ニーミとの話も終わったのか、彼女がこちらに話を振り始めた。
「ビスマルク知らないかしら。今朝から全然見てないのよね」
「ああ、ビスマルクか」
ビスマルク。この母港において、KAN-SENたちのまとめ役を担っている戦艦のKAN-SEN。確かに言われてみると私も彼女の事を今日は一度も見ていない。
「ふむ……朝食の時も食堂にいなかったな……ティルピッツは?」
「一番最初に聞いたわよ。そしたら、知らないって」
「そうか……で?ビスマルクに何か火急の用でもあるのか?」
「別にそういうわけじゃないわよ。昨晩、何だか眉間に皺寄せてたから気になっただけよ」
彼女の言葉に私はなるほど、と思いながら皮から外したヴルストを口にする。
彼女、オイゲンは他者の変化に目敏く、私も彼女のそういった点に何度も助けられた。そんな彼女が言うのならば、ビスマルクは何かしら悩みがあるという事なのかもしれない。
指揮官という立場として彼女の抱いているであろう悩みを解決出来るかはともかくとして聞かなければならない。何事も自分一人の中だけで思い悩んでいては悩みが肥大化し押し潰されてしまうからだ。
だが、だがしかしである。
これでもいい歳したおじさんである…………下手に悩み事を聞いてもそれが異性……まあ、異性に言えない内容であるかもしれない。私としてもセクハラになりかねないことは避けたい。ここはやはり、オイゲンに頼むしかないのだろう。
「私の方もそれとなく聞いてみるから、オイゲン君も彼女に何か悩んでいるかどうか探って欲しい」
「ええ、任されたわ」
そう言って、彼女は部屋を後にする。去り際に残っていたプレッツェルを持っていかれてしまったがそれはまあ、曲がりなりにも頼み事をした以上私からは特に言うことは無い。
コーヒーを口にしながら、私は午後の仕事を頭に浮かべていく。
「指揮官、午後も頑張りましょうね」
「そうだな」