Muv-Luv Alternative Plantinum`s Avenger 作:セントラル14
[1999年8月5日 国連軍仙台基地 医務室]
目を覚まして見えたものは知らない天井だった。
何故かぼーっとしている頭をすぐに動かし、むくりと起き上がる。辺りを見渡せば、私がいるところが医務室であることが分かった。
間仕切りは閉められ、簡易ベッドの脇には小さなテーブルが置かれている。その上にはメモ書きが置かれており、小さな見慣れた文字で『体調がよさそうなら第2発令所に戻ってきてください』とだけ書かれていた。
「お目覚めになられましたか?」
喉がカラカラで言葉が出ない。ゆっくりと頷いて返事をすると、横に腰掛けてくる彼女は話を続ける。
どうやら私は倒れたらしく、すぐに医務室に運び込まれた。今から簡単に診察するから、質問に答えて欲しい、とのこと。断る理由もないし、答えることにする。
ただただ簡単な質問だった。直前の記憶、目を覚ます時に何かおかしな感覚はあったか等。意味不明だったが、私は素直に答える。
彼女は衛生兵とのことで、私の診察を終えると、医務室に運び込まれた後のことを教えてくれた。
軍医の指示で勝手に診察してしまったこと。運び込まれてから数時間が経っていること。明星作戦は順調に進んで、今は横浜ハイヴ周辺と内部の制圧が行われていること。あまり実感のないことばかりで、私の知らないところで行われたことだ。別に怒る理由もなければ、むしろ、教えてもられたことに感謝した。
バインダーにペンを挟んで立ち上がった衛生兵は、報告があるからとカーテンをくぐって出ていってしまう。
小さい頭に大きな髪飾りをいつも揺らしていた少女が脳裏に過り、同時に内側から割れんばかりの頭痛に襲われる。声も出ず、小さくうずくまり食いしばることしかできないが、それも数秒で治まった。そして、同時に"受け取って"しまった。
走馬灯のように次々と情景が切り替わっていく。
『や~い! ニブチン!』
私をからかう、私の半身。
『純夏、』
驚いた顔をして私の手を取る。
『純夏?』
あまり見せることのない、心配そうな表情で私の顔を覗き込む。
『純夏ぁ……』
呆れ顔をするが、それでも助けてくれる。
『純夏!』
必死の形相で手を伸ばしてくれる。
そして最期の場面。
『ゴメンな、純夏……』
顔は見えない。ただそこには、青白く光るあの"シリンダー"があるだけ。
視界もクリアになり、再び自分が病室にいることを確認する。先程まで見ていたものは何だったのか。そして、最後の意味ありげなあの映像は何だったのか。分かる訳がない。だが、直感的になんだったのかは分かった。
言語化はできない。どういうものなのかの説明も難しい。ただ、それは"私"が見せたものだということに代わりはなかった。"そういうこと"が起こる条件は満たしていた筈だ。
身体に力が入らない。それでも今動かなきゃ、私は絶対後悔する。掛け布団を蹴り飛ばし、脱がされていた上着はそのままに、軍靴は履かず、カーテンを引きちぎる勢いで開く。
「か、鑑少尉?!」
驚く衛生兵の顔を一瞬見て、出入り口に向かって走り出す。医務室や出入り口にいた衛生兵や、同い年くらいの子たちも振り切って走り続ける。目指すところは、行き慣れた"あそこ"だ。準備なんてできていないが、どうにかなる。いちいち面倒な事務手続きなどやっている暇はない。
廊下で時には上の階級や先任の人たちにぶつかりそうになりながらも、私は走り続ける。頭はまだ痛い。それでも、立ち止まってなんていられない。
[1999年8月5日 国連軍仙台基地 第2発令所]
鑑の件が明星作戦の如何に関わることはまずない。結局のところ、G弾は投下された。
あのラザフォード場に飲み込まれたモノは全て粉微塵に分子レベルで破壊される。どれだけ重力異常に対処していたとしても、人類には発生させても制御するだけの技術力は備わっていなかった。
横浜ハイヴのモニュメント上空で炸裂した2発のG弾は、ハイヴの地表構造物を根こそぎ破壊し尽くした。炸裂する直前まで、BETAの注意を引きつけるという副効果を発揮しながら。その副効果に助けられたモノなんて"今回"に限っていえば、全くなかったのだが。
G弾投下後の作戦は2回目ということからか、以前よりも呆気なく事が進んだように思える。戦力を温存していた作戦参加部隊はBETAを追い散らしながら横浜ハイヴ周辺地域を制圧。内部も結局、国連軍地上部隊が全ての掃討と調査を担うことになった。
また、無通告でG弾を投下した米国への攻撃も忘れてはいなかった。終始、社に取らせていた記録を元に、掃討戦へ移行後間もなく国連を通して抗議。無論、根回ししていた日本帝国・大東亜連合も連名してのものだ。
流石に動きが早かったこと、そして極東国連軍を中心に米国の不審な行動に気付いていた点を用いての抗議に功を奏し、過半数を米国政府に握られている国連も道理と正義に則り、そして理不尽を振りかざせないほどに敵を作ってしまったとして、米国を叩く他なくなってしまった。
ここまでのことを、作戦が終了してものの1時間で済ませてしまった。やはり用意をしておけば簡単かつ思い通りにことを運ぶことができる。以前ほど余裕がない訳ではないので、ここまで大掛かりな根回しができたというものだった。
作戦参加部隊の順次撤退の指示で騒々しい発令所内で独り、丸椅子に腰掛けて弘前産コーヒーモドキを飲む。
普段ならば絶対に飲まないものだが、今日は気分がいいので美味しく感じてしまう。その辺に生えている雑草の根を燻したものだろうが、そんなことはどうでもよかった。
「香月博士、ご報告です」
「何」
「鑑少尉の意識が回復しました」
「続けなさい」
成人もまだしていないであろう衛生兵が、たどたどしく鑑の状況説明を始める。
作戦の最中に発狂した鑑は、衛生兵によって鎮静剤を投与された後、基地の医療スタッフに引き渡された。診断の結果は恐らくPTSDであろう、とのこと。それはアタシも同じ考えだったので聞き流したが、それ以外の点で気になることがあった。
「脳波を計測したところ、常人よりも使用領域が広いことが分かりました」
つまるところ、普段人間が無意識に使用を制限している脳が、ある程度の制限が解除された状態で機能しているということらしい。
サヴァン症候群という病気が存在しているが、あの病気は一般的に自閉症と関連のあるものとされている。しかしそれ以外の原因として、後天的に発症する例がある。それは、何らかの理由で脳または神経の中枢に損害または状態異常を起こした場合にも発症する、というものだ。
それに関連付けるのならば、サヴァン症候群と鑑の症例がイコールでは繋がらないが、脳へ先天的または後天的に損害または状態異常を起こしたため、制限されていた機能が解放されてしまったというもの。
この場合、一番に関連のあるものすれば、"前の世界"からの因果やそれに関わる記憶。つまり、自身の脳が脳でなかった時の状態だ。これはつまり彼女の認知するところの後天的状態異常であり、そもそもそうなる以前には損害を受けている。仮説としては矛盾点も恐らくない。サヴァン症候群は近いから選んだだけで、説明しやすかったから選んだだけだ。
話を戻すと、鑑は脳の機能に異常が見られるとのこと、というのが医者の見解だった。
「今は普通に話せているのよね?」
「はい。目を覚ました後、自身が病室にいることに驚いていました。発令所で何があったかは覚えていない様子でしたが、いつも基地内で見られるような雰囲気に戻っておられます」
「分かったわ。そのまま戻らせて。念の為に薬を出しておいてもらえる? 鎮静剤、向精神薬とかその類。彼女にはめまいや頭痛がした時に飲むように言えばいいわ。鑑はバカだから、それだけで納得するわ」
「り、了解しました」
ひとまず鑑のことは置いておきましょう。十中八九、彼女は00ユニットとしての機能を取り戻そうとしている。否。因果がそうさせようとしているのだろう。その証拠にG弾投下のタイミングでの錯乱だったのだ。
少し発令所の空気が和らぎ始めたこの瞬間、またもや事態が動き出す。
「ハイヴ東側未発見の門より戦術機が出現」
「数は」
「1機のみです」
まだ掃討戦はハイヴ地下へ移っていないはず。となると、G弾投下直前に突入した部隊だろう。さして興味もなかったが、CP将校の続けた報告が、アタシの意識を切り替えさせたのだ。
「国連軍所属 第403任務部隊、レイヴン隊です!」
「詳細を報告しろ!」
「米国から投下されたG弾なるものの投下直前に、ハイヴへ突入した隊と思われます。当時は重金属雲の影響で詳細までは分かりませんでしたが、今は問題なく情報を収集できています。第403任務部隊、香月博士直属の戦術機甲部隊。当初は2機1個分隊だったようですが、僚機を失っている様子」
僚機を失っている、という言葉に衝撃を受ける。
レイヴン隊、つまり白銀とまりもの隊のことだ。2人が撃墜されることは考えはしたが、可能性は限りなく低いと見積もっていた。だが、アタシの予測は外れたことになる。
どちらかが撃墜されている。どちらかが死んだ、ということなのか。
「レイヴン1、神宮司機です」
白銀、か。
アタシの脳はその情報を聞いた瞬間に、別のことを考え始める。彼が死んだとなれば、オルタネイティヴ計画の今後に大きく関わる。彼がいなければ円滑に進まないことだってあった。彼にしか頼めないことも。そして、こんなこともあるだろう、なんて何処か諦観したような感覚も持ってしまう。
因果律量子論。その理論は多次元並行世界を説いたものであり、少しずつ違う選択肢を取った世界が何重にも重なり、樹形図のように枝分かれして存在しているもの。"この世界"の白銀 武とアタシは、よりよい未来を掴むことができなかったということに他ならなかった。
「いいわ。レイヴン隊は至急撤退。A-01から迎えを出して」
「了解」
簡単な指示だけを出し、再び丸椅子に腰掛ける。先程とは違う感覚を持ちながら。
しかし、未来は予知できることはできないが、予測することはできる。それは統計データから導き出される、いわゆる結果に過ぎない。だからこそ、アタシは幾重にも折り重なる事象全てに人間は対処できない、そう考えていた。
突然、発令所内に警報が鳴り響く。何事かとCP将校たちが事態の情報収集を始めた。そして、いの一番に報告したのが、基地の異常事態だった。
「だ、第7ブロックから戦術機が強奪されました!?」
サブモニタから正面モニタに仙台基地の地下格納庫からせり上がるエレベータの状況が映し出される。
「何処の誰だ?!」
「は、は! ……え、閲覧不可?!」
「何?!」
基地司令が狼狽える。この発令所は、基地の中でもトップクラスのセキュリティが充てがわれており、管理者・権限が共に基地司令のものになっている。そんな発令所で見れない情報等ないはずなのだ。それなのに閲覧ができない。
それもそのはずだ。なぜなら、トップクラスというが、一番ではないからだ。
エレベータは地上層に到達。その機体の映像が正面モニタに映し出された。
「F-14……」
「どこの部隊だ!!」
「閲覧不可のままです! 映像視認……部隊不明! 肩部装甲ブロックに部隊識別表が印字されていません!」
その機体は、最後の拘束具であるキャットウォークとガントリーを強制排除し始めた。力技に訴えて強引にエプロンに出てくると、カタパルトに脚部の固定を始める。しかし、アレはこちらからの操作がなければ作動しない。そのはずだった。
「カタパルト起動!」
「即応部隊を出せ!」
激憤する基地指令に、アタシは待ったをかけた。
「お待ちになってください、司令」
「こ、香月博士……! 何を」
「アレは私の部隊の機体ですわ」
チラッと視線を少女の方に向ける。社はこちらを向いていた。表情はいつものようにあまり変化は感じられないが、雰囲気で分かる。申し訳なさそうにしているのだ。ということは、社がカタパルトの操作をしたのだろう。
外していなかったヘッドセットから、あの子に向かって話しかける。
「アンタ、何をしているのか分かっているのよね?」
『分かっていますよ』
バストアップウィンドウは表示されない。それでも声を聞いて確信した。やはり、あの子だった。
「アンタらは揃いも揃ってまぁ……」
『帰って来たら怒られます。だから、今は……』
「怒られるで済むわけないじゃない。キャットウォークとガントリーを壊して、どうせ格納庫でも色々やってきたんでしょ?」
『あー……えへへっ』
小さく溜息を吐き、アタシは司令の方に向き直る。
「彼女の出撃はこちらの予定通りですわ、司令」
「し、しかしだな」
「どうやら指示を忘れている者が多かったようで。もしかしたら、本責を忘れて、他事にかまけている者が多いのではないでしょうか?」
それだけを言うと、司令は黙る。もう何も言えない。
それに、彼女が動いたということは、まだ望みはあるのかもしれない。まだ諦めるには早すぎるのだろう。
「……慣れない機体でも行くのね?」
『はい。この子しか今はいませんから』
「いいわ。行きなさい」
『了解!』
アタシの管理下にある戦術機は、彼女の言う通りF-14しか今は動かせるものがない。A-01は予備機も久留里にあり、それは訓練部隊ものも予備の予備として持っていってある。そうなると、残っているのは教官機とF-14だけ。選ぶこともできないのだ。
CP将校にカタパルト射出の指示を出し、F-14は単機で空へ舞い上がる。発令所にいる誰もが、訳もわからない存在も知らなかったF-14を呆然と見送ることしかできなかった。だが、アタシを含めた2人だけは、彼女が何を成すために往くのかを確信していた。