時系列的にはIF絵の少し前とかそのあたり。
Laura day romanceを聴いてみてください。すっかりハマっている。
夜更すぎに飛ぶ空は、いつもより少し、肌寒く感じる。眼下にはまばらに雲。ブルーとグレーを混ぜたような色をしたキャンバスに、月の砂を散りばめたようなこの空はとても綺麗だったけれど、いつもと違って何かが足りない。
静かな夜だ。エンジンの唸る声の他には何の音も聞こえないし、今日に限ってはその静寂を邪魔する悪魔も眠ってしまっているのかもしれない。
ラジオからはピアノの音。少しテンポの遅い、ジャズの音色はとても心地良くて、それでいてどこか寂しげ。
わたしの帰るべき場所が見つかって、それと同時に帰りたい場所が無くなってしまったのは少し前のこと。それはとても、そしてみんなにとっても同様に嬉しいことなのは分かっていたけれど、わたしには得られたものと、これから手離さなければならないものとを天秤にかけることは出来なくて、ずいぶんひさしぶりに1人で泣いていた。
ついにその日が来た時も、わたしはやっぱり笑うことはできなくて、さようならのその瞬間にも、俯いたまま、言わなきゃいけないことは何一つ言えずにさようならを告げた。
きみは遠い国に行くそうだ。そして、わたしも。
昔は夜を飛ぶのは好きではなかった。夜はぱっくりと口を開け、消えてしまいそうなわたしのことを飲み込む日を待ち望んでいたかに思えたから。
初めて1人で夜空に出た時、わたしはきっとこのまま帰れなくなるのだと思った。何の根拠もなかったけれど。その恐ろしさというと、まだ忘れることはできない。
夜の空は孤独だった。
わたしの飛ぶ夜空が1人のものだけでなくなった時のことをふと思い出す。ずいぶん前のことだ。それは、故郷を追われ、新しい基地に異動になって少ししたころ。
場所が変わったとしても、わたしのやる事、または出来ることというのはなにも変わらなかった。夜に飛ぶということは、だれにでも出来ることではない。そのことに誇りなんて感じたことはなかったけれど。
その日は月もなく、分厚い雲の上を飛ばなければいけない日だった。灯りもない、本当の暗闇。そんな夜に向かうところを、たまたま自分の相棒を整備していた彼女に、わたしは見つかった。
おういと声をかけられたわたしが、整備員すらも伴わずのただ1人なのに彼女は気づくと、それを不思議そうに指摘し、それがごく自然であるかのようにわたしも行くよ、一人で飛ぶ空は寂しいじゃないかなんて言う。
そんなことは当たり前だと、もうずいぶん前に諦めて割り切っていたわたしには、このきれいな銀色の瞳をした少女をどうすればいいかわからず、かといって無碍にもできなかったしで、はいともいいえとも取れないような、中途半端な方向にに小さく頭を振ることしか出来なかった。
あとから知ったことだけれど、その人は夜間飛行の訓練なんてまるで受けたことが無かったらしい。そうとも知らず、雲の上まで来たところで、夜の空がこんなに寒いとは思わなかったなんて、ここが戦場であることを一瞬でも忘れさせるような、間の抜けた感想を言うこの人と会話すら碌にしたことがないことに、その時初めてわたしは気がつくのだった。
名前は知っている。北国からきた、とびきりのスーパーエース。わたしにとって、雲の上のひと。この基地のウィッチたちはみんながそうだったけれど。
いずれその人がイタズラ好きで、時に抜けたところのある、底抜けに優しいだけの、わたしとおなじ少女だと知ることになるのだけれど、その時のわたしは、そんなことなど知らないもので、何を考えているのか見当もつかないその人が、時おり発する言葉にに少し相槌を返すだけだった。いま思えばわたしはとても無愛想で、つかみどころのない人間にうつっていただろう。
それから、そんなわたしの何を気に入ったのかわからないけれど、彼女は気まぐれに格納庫を訪れては夜間飛行についてくるようになり、いつからかそれはほとんど毎回のことになった。
そうして時間を2人で過ごすうちに、わたしも自分のことを、ぽつり、ぽつりと、少しずつ話すようになっていた。
故郷のこと、夢のこと、そして両親のこと。そういうとき、あの人はあまり話に割り込んでこない。そして、わたしが自分から話したこと以上のことを話させようとはしなかった。
わたしの空は、もはやわたしだけの世界ではなくなった。
となりで飛ぶあの人が、時折呟くように何か言う。わたしはそれに応えたり、何も言わなかったりする。それを見たあの人は、いつも決まって優しく笑う。
そんな時間が心地良くって、わたしは夜空のことが嫌いではなくなったのだった。
ああ、今日もまた静かな夜だ。人も、空も眠りにつき、この世界に今いるのは、きっとわたしだけ。
となりからはもう、いつも微かにいたわりが匂う、あのすてきな声はきこえてこない。
それになんと言っても、この灯りの消えたようなさびしさには、大人になるというのは独りを受け入れることだ、なんて自分に言い聞かせてみたところで、いつになってもちっとも慣れそうにない。
けれど、わたしはまだ夜が嫌いではないのよ。
この暗い空の向こうには、あなたがいると、わたしは知っているから。
ハロー、いとしいあなたへ。言いたいことも、言われたいことも、たくさんあるの。
今は叶わないことかもしれないけれど、きっといつかは、なんて思っているのよ。
了
(一部出典:Laura day romance『Night Flight』より)