……はい。すんませんでした。仕事忙しいのぜんっぜんマシにならんかったです。一日をあと3時間くれ、いやほんとに
龍門市内、その路地裏。
本来であれば常に気を張って、そして素早く通り抜けるべき繁栄都市の裏側。
そんな場所で、白衣の男は、さも当たり前であるかのように無防備に携帯端末で通話を行っていた。
『ミーシャの捜索は無理だ……けど、続ける』
「無理なのに続けると来たか。無茶苦茶だな」
『…………』
「分かっていると思うが、既に相手は動き出している。ロドスという古巣に戻らないというのなら、今のお前は孤立無援だぞ」
『知った上でだ。……お前さえ居れば、ミーシャは延命できるだろ』
通話相手――――カイナの言葉は、あまりにも絶望的な状況を自ら望む選択だった。
サトウとしては患者を見捨てないという一点のみでミーシャを匿うことが確定している。それはサトウのある種のプライドであり、数少ない彼の譲れないものだからだ。
だから彼は何としてもミーシャを奪い返すと決めている。ミーシャという少女が裏に抱える秘密など彼にとっては知ったことではないし、そもそもどうでもいい。
彼はトランスポーター用の車両を大型救急車として改造した移動拠点を龍門付近に隠している。本来の予定では、機材ごと患者を積み込んで逃げおおせる予定だった。
だが、龍門近衛局とロドスが同時に動き出したとなれば話は別だ。下手に動けば察知され、ミーシャの身柄に用がある以上は追われる。
加えてロドスも龍門近衛局との協定の都合上、ミーシャの治療を円滑に始めることは出来ない。ミーシャがどういう扱いになれど、レユニオンは動き出すだろう。そうなればスカルシュレッダーも当然動き出す。弟が動くとなれば、姉であるミーシャがどんな反応をするか想定できないという点も問題だった。
……つまり、ロドスを頼る事を諦め、レユニオンとも縁を切り、更に龍門を敵に回すであろうサトウの味方をするということは、少なくとも――――
「……つまり、何か? お前は
『……そうだ』
「……阿呆だな。それで付き合ってくれる勢力がどれだけいると思っている。よしんば居たとしてお前だけで子供一人を無数の思惑から守れると?」
『思ってねぇよ。……思ってねぇけど、やるしかなくなった。全部俺のせいなんだけどな』
結果的に言えば、カイナ・ウルフドッグの今の状況は彼自身が引き起こしたものだ。
律儀に約束を守りながら自己保身を願い、結局どうすればと右往左往。そんな様で跳ね返りが来ない訳が無い。
『……ミーシャは取り返す。そうしたら連絡を入れるから――――』
「龍門地下だ」
『……?』
「地下に行け。話はそれからでいい」
言葉は少なく、苛ついているかのように携帯端末を
それだけでサトウの思惑はカイナに伝わった。
『……分かった』
「患者が最優先だ。お前の手足程度なら良い義肢を付けてやる。這ってでも確保してくれ」
そう言うと端末を地面に落とし、そのまま踏み砕いた。
そして、首だけで背後を振り向く。
そこに居たのは、ヴイーヴルとリーベリの女性、そしてサルカズの少女。
「何だ、今日は同窓会でもするのか、サリア」
「……久しぶりだな、アルバート」
「ああ久しいな。だが今の名はサトウだ」
体も相手へ向け、薄く笑うサトウ。
瞳に光が無く、裂けるように左右に伸ばされた口が生み出す貼りついたような笑みは何よりも不気味で、それが彼の不機嫌を何よりも証明していた。
「闇医者をしていたとはな、お前らしい」
「君こそ、未だにその盾で慣れない防衛戦をしているとは思わなかったよ……ああそうだサイレンス、
「……」
リーベリの女性――――サイレンスは口を開かない。真っ直ぐにサトウを見つめ、目を逸らさず臨戦態勢で構えている。
サトウはいやに饒舌だ。瞳孔が歪んでいるのではないかと錯覚する細めた目付きで、笑いながら両掌を見せている。
「まったく、そこまで警戒しなくてもいいじゃあないか。旧知の仲だろう、私達は」
「……」
「……まあいいさ。イフリータ、元気だったかい」
「……っ」
いくら待ってもサイレンスが口を開かないと理解すると、サトウはサルカズの少女――――イフリータに声を掛ける。
名前を呼ばれたイフリータはびくりと肩を震わせるが、その身に奔る危機感だけを頼りにサイレンスの前に出る。
「その調子だと、まだ白衣嫌いは治っていないか。担当の医師に迷惑など掛けていないだろうね?」
「う、うるせぇ……オマエには関係ないだろ!」
「あるとも。私は君を案じていたからね。心配位させてくれ」
穏やかに笑うサトウ。だが、纏う雰囲気は異質の一言に尽きる。
言うなれば、喜びながら激怒している。
それまでの冷静な闇医者という
この圧力に耐性があるのは、この場においてはサリアだけだ。サイレンスが知る科学者の狂気とも、イフリータの知る『白衣』の恐怖とも合致しない、燃え盛るヘドロを想起させる凶暴な意思。
――――それは、もはや「闇医者サトウ」ではなかった。
「いい加減にしろ、“アルバート”」
「頑なだな。警戒心が高いのも併せて相変わらずか」
その短い叱責と同時、サトウの背後に再び気配が出現する。
ネコ科動物を思わせる尾と耳に、鎖付き鉄球を構える女性。そして、その背後に付き従うのは龍門近衛局。
「『闇医者サトウ』。貴方をテロ画策の容疑で拘束します。抵抗するなら手足の数本は確保なさい」
「……まったく、もっとそれっぽい容疑など幾らでもあるだろうに、よりによってテロリスト扱いとはね」
わざとらしく肩を竦めるサトウ。
ゆらゆらと揺れるように動き、そのまま壁に背を付ける。
「……私はね、集団が嫌いだったんだ」
当然、サリア達も龍門近衛局も反応はしない。ただ何をするのか、サトウの全身に注視する。
それを尻目に、彼は言葉を紡ぐ。
「具体的に言えば複数の思惑が入り乱れる現場、というものかな。……始まりは、そうだ。私が10歳の頃か。『鉱石病の治療薬を絶対に造る』とスクールの課題で発表して、周囲の全員から笑われたんだ。理解が出来なかったよ」
さも当然の権利であるかのように懐から煙草を取り出し、吸い始めるサトウ。
周囲に爆薬か可燃性の液体があるのではと近衛局員の感知系アーツが起動するが、反応はない。
「次にアカデミーでだったね。大真面目に鉱石病の治療の研究をして、卒業論文まで書いたのに、それが屑籠に捨てられていた。逆に鉱石病がもたらすアーツの増大についての論文は皆が賞賛していたんだ――――
「あら、そういうのって普通は喜ぶものじゃないの?」
「馬鹿を言わないでくれ。鉱石病は治療されるべき病だ。けっして祝福などではない」
サルカズの傭兵が聞けば怒りかねない言葉を平然と吐き捨てる。
落ち着くように紫煙を吸い、吐き、そして屋根で狭まった空を見る。生憎の曇りだ。
「最後がライン生命だね。そこで、私は絶望したよ。鉱石病を研究しているのは良い。だが、本気で治そうなどと考える同志は私の知る限り一人も居なかったのだから」
言葉と同時、煙草を握り潰す。
雨が降り出した。
「『掛かってしまったものは仕方がない』『少しでも長く生きられるように』――――愚図の発想だ。何故、どうして『絶対に治す』と奮起しなかった? ふざけているだろう。そんな諦めが常識だから差別など無くならんのだ」
サトウの周囲に力場が生まれる。
雨が逸れ、黒い結晶が舞う。
「……君達も同じだ。鉱石病を『仕方のないもの』として碌に研究しようとも、どうにかしようとも思わず対症療法を繰り返す。そして、
始まりは、男の足元からだった。
バキバキ、パキパキと歪な音を立てて物体が白い結晶に置換されていく。
それはサトウがほんの少し動くだけで麩菓子を握り潰すような音と共に砕けてしまう。
石も、土も、硝子も、鋼ですらも。なにもかも、捩じれて壊れていく。
全てが白い軽石になって死んでいく。
「――――死ねよ、愚図共。お前らのような力だけが自慢のゴミ風情に何が分かる? 碌に考えもせず、上の命令だからと従い、のうのうと停滞した今を享受し、ほんの少しでも可能性を模索しようとしない豚風情が」
死が蔓延する。
病が侵食する。
すべて、すべて死んでしまえ。邪魔をするな死ねと、静かな叫びを代弁するかのように崩壊が進行する。
「消えろ。邪魔だ。治療を邪魔する精神異常者は皆殺しにしてやろう」
これこそ、サトウ――――本名“アルバート・エリアーデ・ベスラー”がその身に宿した殺意の集大成。
あらゆる物質を菓子よりも脆い構造に不可逆変換する最悪の破壊能力。
白衣の使途が操る、病魔の象徴に他ならない。
渦中にある狼犬とは別の場所で――――最大規模の暴力が、動き出す。
サトウ(アルバート・エリアーデ・ベスラー)
鉱石病を治療することを志し、研究職に邁進した。
しかし、誰もが彼の理想を嗤った。
――――不可能だ。
――――所詮若造の理想だ、流してやろう。
――――夢見がちだが有望だ。
ふざけるな、と。彼は静かに激昂した。
そして、全ての組織に見切りをつけた。
今の彼が力を貸しうるのは、辛うじてロドス・アイランドの実際の治療現場くらいなものだろう。