背中を見てたら苦しかった
彼はきっと、このまま誰にも見つけられずに、消えてしまうんじゃないか
だから私は、声をかけてしまったのでした
「あのぉ……」
「えっ…」
「あの何か……困って、ません?」
話しかけられたら、とても驚いてるみたいだった。
当たり前かな。いきなり声を掛けられたんだから。
私だって戸惑ってるもん。
何で声かけちゃったかな。
「あ……!」
「あ、困ってないならいいです。ごめんなさい。突然話しかけて」
「いや……」
眼鏡をかけた、同い年くらいの男の子は、しどろもどろに目を伏せたけど、ハッとなった様子で私を見て尋ねた。
「あの、実は……困ってます」
「え?」
「道が……分からなくて……」
「………」
しばらく声が出なかった私は。
思わず噴出した。
「……」
「……」
あ、今の私、めちゃくちゃ失礼なことしちゃった
いや、だってしょうがないじゃん……
この世の終わりみたいな顔して、「道が分からなくて」て……
「穂乃果、失礼ですよ」
「ご、ごっめんなさい!」
「い、いえ、いいんです…」
海未ちゃんに言われて慌てて私は頭を下げる。眼鏡の人も慌てながら手を振った。
「あの、田舎から出てきたもので…この辺りの地理が良く……」
「行き先は、どこですか?」
「えっと、四軒茶屋の…」
海未ちゃんが率先してその人の行き先を尋ねた。彼はスマホを取り出すと、住所と地図を見せた。
「四軒茶屋でしたら田園都市線ですね。ここからだと…」
海未ちゃんはテキパキと行先を教えてくれる。とても分かり易い説明で、男の子もふむふむと頷いていた。
さすが海未ちゃん。私も幼馴染として鼻が高い。
えへん、なんてやってたら、ふとことりちゃんと目が合った。
くっと笑うことりちゃんの目に私もへへってなって鼻を擦った。
……一瞬海未ちゃんのジト目が見えたの、気のせいだよね。
「どうも、ありがとうございます」
「いえ、どうぞお気を付けて」
「はい」
眼鏡の人はそう言って丁寧にお辞儀をすると、私の方へと向き直った。
「あの、ありがとうございました」
「え?」
「わざわざ聞きに来てくれて……お陰で、助かりました」
「あ、ううん。良いんです、全然」
私はあっけらかんとして答えると、それでも男の子は頭を下げて、お礼を言ってくれた。
それから海未ちゃんが教えてくれた道を進んで行って、地下鉄がある方向へと消えて行った。
私はそれを見送ってから、隣にいる海未ちゃんに向き直る。
「海未ちゃんありがとー!」
「別に私は良いですけど。それより穂乃果、ダメでしょう、困ってる人にあんな態度」
「は、は~い……」
海未ちゃん、最近私に対してお母さんみたいなんだよな~……このまま歳を取って口うるさい小ばばみたいになるのかなぁ……私は悲しいよ、ことりちゃん。
そんな風にことりちゃんを見た。ことりちゃんも私と同じような事考えてたみたいで、思わず苦笑してた。だよね~
「失礼なこと考えてませんか?」
あ、心読まれた?え、海未ちゃん、えずぱー?
「そ、そんなことないよぉ」
「で、でも穂乃果ちゃんが声かけてなかったら、あの男の人、道に迷ったままだったよね」
ことりちゃんがフォローしてくれた。
「そ、そうそう。私が見つける、海未ちゃんが助ける。これ、幼馴染のコンビプレー」
「……もう」
海未ちゃんは溜息をついた。許してくれるのが海未ちゃんの良い所だよね。
「まぁ……穂乃果がキッカケなのはそうですが」
「でしょでしょ」
「でも穂乃果ちゃん、よく分かったね。あの人が困ってるって」
「確かに、穂乃果にしてはよく気が利いたというか、目ざといというか……」
私も首を傾げた。そう言えば、何でだろ。
どうして私は、あの眼鏡の彼に
(目が離せなかったんだろ……)
私がその答えを知るのは、この日からずっと先だった。
一年近くも、後の頃。
私はこの日に出会った本当の意味を、再びこの場所で知ることになった。
・・・・・・・・・・
雨宮蓮はその日、一人で上野を歩いていた。
桜が綺麗に立ち並んで舗装されている道路は、五月にもかかわらず満開だ。今年は例年より遅咲きらしい。
「ここが神田かぁ……中々キレイな街じゃないか」
「ああ」
「花が沢山咲いてるな」
蓮へとかけたその声の主は、彼の周囲にいなかった。
鞄だ。彼の学生鞄から、やや甲高い声は聞こえる。
だが蓮は疑問に思わずに短く答え、ゆっくりと歩く。街並みを堪能しながら目的地を目指すのは、久しぶりで、どこか贅沢だ。
「それで、ゴシュジンの言ってた店ってのは、どこなんだ?」
「…ここから少し先に行ったところらしい」
少年はメモを再び開いて住所を確認した。急いで走り書きをしたメモに移っているのは店の名前と住所だった。
「ここで手に入るのが、カレーに必要な材料なのか?」
声の主が不思議そうに尋ねる。
「そうらしい」
「クミン、カルダモン、サフラン……なんだこりゃ」
「香辛料の名前だよ。俺も詳しくは知らないけど、市販のものは駄目なんだって」
「プロのこだわりだな。怪盗として大いに見習うべきところだぜ」
その言葉に慌てて蓮は辺りを見渡し、ほっと溜息をつく。
鞄から聞こえる声は、普通の人間には聞き取れない。分かっていた筈だが、やはり落ち着かない。
それ以前に、鞄の中から声がする時点で普通じゃないが、その辺りの感覚がマヒしてる自覚くらいはあった。
「まあ、とにかく今はゴシュジンの依頼を片付けようぜ。居候とは言え、訳ありのワガハイたちを置いてくれてるんだ。恩義には忠節で返さないとな」
鞄の中で声の主が言った。
時代劇みたいなセリフだ。
春先からの彼の下宿先である喫茶『ルブラン』がある四軒茶屋とは逆方向だが、これには理由があった。
『カレーに使ってる材料が切れちまった。今日発注してる分が届く予定だったんだが、運送会社にミスがあったとかでな。明日一日だけ別の所で調達しねえといけねえんだ』
昼休みの事だ。携帯に下宿先のマスターから電話がかかってきた。
『知り合いの店が神田にあるんだが、さっき電話して、幾らか分けてもらうことになった。俺は店があっていけねえからよ。すまねえが、取りに行ってもらえるか? 電車代の他に、手間賃くらいは出してやるよ』
そう頼まれては断れない。
迷いは無かった。頼みを聞かない選択肢は頭に滅多に出てこない。
とは言え、少々せっかちすぎた、と反省している。元々この辺りの土地勘がないうえに、住所だけで探すのは骨が折れた。
近くに交番でも無いだろうか。
そう思い、キョロキョロと辺りを見渡した。すると……
「お願いしまーす!」
「放課後、講堂でライブやりまーす!」
「よろしくお願いしまーす!」
視線が自分の歩いている歩道の先へと進む。
学校の正門だ。放課後で自由になった生徒たちが次々と門をくぐり、笑いながら下校していく様子が見えた。
だが、気になったのはその点ではなかった。蓮が注意を引かれたのはただ一つ。
「ありがとうございます。是非お越しくださーい!」
下校していく女学生たちに対して、紙を配り歩いている、一人の少女に向けられていた。
(あれは……)
気付いた時、蓮の身体は勝手に彼女の方へと歩きだしていた。
本能…というには弱すぎるけれども、まるで、命じられているかのように。
距離を詰められたのはすぐだったけど、その数秒はゆっくりと、舞い散る花弁、車の音、人の喧騒、全てが遠く置き去りにされたように彼の周りで動いていた。
「あの」
青年が後ろ姿に声をかける。
少女は気が付いて、元気よく振り返った。
「あ、はーい! 明日講堂で、私たちのファーストライブやります! ぜひ見に来て……くだ、さ…い?」
勢いよく差し出した彼女の右手が空中で静止した。
ポカンと蓮を見つめる栗色の髪の少女。
黄色のリボンで止めたサイドテールの髪が、桜の花びらと一緒に風に揺れている。
間違いない。あの日、自分が初めて渋谷に降り立った時、道に迷っていたところで声をかけてくれた子だ。
「あの……」
上手く二の句が継げない。
なんていうべきだろう。思わず近づいてしまったけれど、名前だって知らないのに、それでも何か言わないといけないと思った。
でも上手く言葉を作れない彼の表情を見て、少女は目を丸くして顔を覗きこむ。
「ん~……あなた、もしかして……」
ふと、少女の顔がハッとなって閃いていた。
もしかして彼女も気が付いた? そんな期待を寄せつつ改めて彼女の顔を見ると、栗色の髪の少女は自分を指差して一言。
「あ、分かった! 小学校で一緒だった金剛寺君だ!」
「……」
全然違った。
いや、ドラマじゃないし、別に分からなくても良いんだけど、その……なんていうかもっとこう……
「穂乃果ちゃん?」
「穂乃果、どうしたんですか?」
校門の向こう側から、二人の女子が駆け寄ってきた。
長い黒髪が腰まで伸びた清楚な美少女と、サイドポニーが特徴の柔らかな雰囲気が伝わるこれまた可愛らしい子。
きょとん、と二人は自分を見上げた。
「穂乃果ちゃん、知り合い?」
「え? えっと……そのはず、なんだけど…」
穂乃果と呼ばれた少女が自分を見上げた。
いやそんな、助けを求めるような目線を向けられても……
そもそもなんで俺はこんなに困惑してるんだ?
悪い事はしていない筈なんだけど、でも見た感じ、女子高生に声をかけてる不審者に見えるのかな?
「あれ、金剛寺君じゃないのかな?」
いや、だから誰それ?
「穂乃香ちゃん、金剛寺くんって誰?」
「え、ほら、小学校で一緒だった子だよ。6年の時、私の隣の席にいた」
「えっと……それ多分、近藤君だと思うよ」
「あれそうだっけ?」
え、名前違うの?
「あの……4月に、道を教えてもらった者です。渋谷の交差点で」
埒が明かない。自ら正体……というほどではないが、晒すことにした。
「渋谷の交差点?」
「はい。俺が立ち往生してもらったら、あなたに声をかけてもらって」
「……」
少女は自分の顔を見ながらえーっと、と思案していた。
気付かないか……当たり前だ。一ヵ月前、自分にとっては忘れられない始まりの日だったが、向こうにしてみれば当たり前の日常の一コマなんだろう。途中で何かしても忘れるに決まってる。
「すいません。覚えてないですよね。急に声かけてごめんなさい。もう、行きますから」
素早くそう言って離れようとした、その時。
「あっ!」
空気を突っ切るような叫びが蓮の耳を貫く。目を大きく開いて、セミロングの彼女は叫んだ。
「そーだ! あの時の、四茶の行き方分からなくて死にそうな顔してた人!」
「………」
びしっを指を突き立てて、先程以上に確信に満ちた眼差しで見つめてくる。
蓮は一瞬たじろぐ。その様子を見て、また間違えたと思ったのか、少女の顔は再び困惑気味になった。
「あれ…もしかしてまた間違えちゃった?」
「あ、いえ……その、通りです」
何かが、蓮の中で溶けていく感触があった。
思い出してくれたのが素直に嬉しかった。
しかし、『死にそうな顔』……そんな表情をしていたんだろうか?
「あ、そうだよ。海未ちゃんが道案内してあげた人だね」
「ああ、あの時の」
後ろの二人も得心がいった様子で頷いていた。
「ごめんなさい、気付かないで。あの時と全く表情、違ってたから」
「確かに、前にお見かけした時はもっとこう……」
「落ち込んでるって言うか、生気がないっていうか……」
……ああ、そうか。
そうかもしれない。顔に引っ付いた花びらを剥がしながら蓮は思った。
島流し同然にこの街にやってきて、そんな顔をしていない方が不自然だった。
だから、声をかけてくれたこの人のことを、嬉しく思った。
「す、すいません、失礼なことを…!」
「あ、いえ、いいんです、そんな」
黒髪の少女が慌てて頭を下げる。こちらも同じぐらい戸惑いながら返した。
「俺、確かにあの時は凄い落ち込んでて、気分も悪かったし……酷い顔してても、しょうがないと思います」
「そうだったんですか?」
「はい。でも、今はもう違いますから」
そうだ。今は違う。俺はもう、絶望して生きるだけの屍体じゃない。
自分は曲げない、そう誓った。『もう一つの世界』で得た『仮面』がその証。
「そうだよね」
「え?」
「あの時より、ずっと生き生きしてる気がする。よく分かんないけど、そっちの方が良いと思う」
そう言って少女は笑った。満面の笑みで。
家族と一緒に置き忘れてしまった、温かい、幸せに囲まれている者だからできる、笑顔。
優しさとか、愛情とか、幸運とか……満ち足りているんだろう、この子は。
僻んでいるわけじゃない。純粋にただ羨ましいと、それだけを想った。
「あ、そうだ!」
少女は手に持っていたA4サイズの紙を一枚、こちらに手渡してきた。
おもむろにそれを受け取って眺める。可愛らしい少女たちのイラストがカラフルに躍っていた。
この描かれている三人は……目の前にいる少女達だ。
「これ、良かったら来てください」
「……これは」
「明日、ここの講堂でファーストライブをやるんです」
「ライブ?」
ふと黒髪の女の子を見ると、彼女が恥ずかしそうに顔を伏せた。
ライブって言うと……あれのことか? 楽器を演奏したり、歌ったり踊ったりするような…。
チラシを見ると、『μ’s』という一際大きな文字が飛び込んだ。
「みゅーず?」
「はい、私たちのグループの名前です」
「石鹸の?」
「違います!」
黒髪の子ががばっと顔を上げて叫んだ。
「す、すみません……」
「海未ちゃん、またそんな恥ずかしそうにして」
「だ、だってそれは、その…」
海未と呼ばれた子は不安げに再び顔を伏せてしまうのだった。
どうしたのかなと思っていると、ふと周りの景色が飛び込んでくる。ああなるほど、道理でさっきから男を一人も見ていないと思った。
「あの、俺が来ても大丈夫なんですか?」
「え?」
「女子高ですよね、ここ」
「あ…」
真ん中の子……穂乃果はすぅーっと視線を泳がせ始めた。
え、ちょ、確認してないの?
「こ、ことりちゃん。どうだったっけ?」
泳いだ視線の先にいたサイドポニーの子が苦笑しながら言った。
「だ、大丈夫だと思うよ? 知り合いとか、父兄の人とかよく来るから。もちろんキチンと言っとかないとだけど」
「よかったぁ~!」
ほっと胸を撫で下ろす少女。何とも言えない複雑な表情の自分を見て、すぐに我に返ると、改めて自分に向き直った。
「と、というわけで、是非来てください! お友達も誘って、是非!」
「穂乃果……あなた知らずに秋葉原でチラシを配り歩いていたんですか?」
「え、ま、まあ、ほら、結果オーライだったんだし、良いじゃない?」
「もし駄目だったらどうするんですか! 折角来て下さった人を追い帰すことになるんですよ? 失礼です!」
「だ、だって、海未ちゃんの特訓の為だったんだよ…? なりふり構ってられないというか…」
「私を言い訳にしないで下さい!」
「まあまあ二人とも……」
『ことり』なる少女が言い合いを宥めるのを尻目に、蓮はチラシに再び目線を移す。
μ'sか……確か、ギリシャ神話に出てくる女神の総称だったかな……うすぼんやり思い出していると、自分の鞄がモゾモゾと動き出し、やがてチャックがジーッと開いた。
「なんだ、その紙?」
学生鞄の中からひょこっと、黒い塊が飛び出してきた。それは首をもたげるように自分の持つチラシを覗き込む。
蓮は三人に聞こえないよう、黒い塊……鞄の中に潜んでいたそいつに答えた。
「ああ、ライブのお知らせだって」
「らいぶ? 歌ったり踊ったりするアレか?」
「ああ」
「へえ、面白そうじゃないか」
「あれ?」
ふっと、三人の中から、中心で仲裁をしていたことりという子が、こちらに視線を向ける。彼女の見ている方向は自分の持つ鞄に向けられていた。
「わあ、ネコちゃん!」
一際黄色い声が聞こえた。
ネコちゃんと呼ばれたそいつ……真っ黒な毛並みのオス猫の姿をした蓮の仲間『モルガナ』は、可愛らしく目を細める。
「あ、ホントだ!」
「にゃ、にゃお~ん」
女の子たちが目を輝かせて近づく。モルガナは慌てて可愛い鳴き声を作って応えてみせた。
(まあ、他の人間には意味ないけど…)
モルガナは世にも奇妙な喋る猫だ。
ただし声を聞き取れるのは蓮を含めて三人だけ。他はただの猫の鳴き声にしか聞こえない。
「にゃーんにゃーん」
「あなたが飼ってるんですか?」
「飼ってるっていうか……成り行きで拾ったというか…」
「にゃにゃあ、にゃーにゃにゃー(拾ってねえよ、お世話させてやってるだけだぞ)」
「分かってる。同居人だよな、俺達」
「にゃん(その通りだ)」
「え、この猫ちゃんの言葉、分かるの?」
「……分かるって言うか、まあ、何となく」
「へえ、凄い!」
モルガナの言葉は聞こえなくても、彼を連れた蓮がどう見られるかは別問題だ。
(春先の変な人に見られかねない)
ただ穂乃香嬢も深く考えなかったようで、すぐモルガナに向き直る。
「この子、名前は?」
「えっと…モルガナって言います」
「モルガナちゃんかぁ……じゃあ、略してモナちゃんだ」
「え?」
「あ、ごめんなさい。駄目ですよね、勝手に略して」
「いえ、良いんです。俺達も、よくモナっていう時があるから、ちょっと驚いて」
愛称ではなくて『コードネーム』なんだけど……まあ、良いか。
『あの世界』は話しようがない。
「ねえ、撫でてみても良いですか?」
「ああ、うん。どうぞ」
「ありがとう! よーし……よしよーし、ごろごろごろー!」
「にゃにゃにゃにゃ、にゃふふー!」
「あはは、喜んでる。ことりちゃんもやって見なよ」
「うん! よしよし、いーこいーこ…」
「にゃ、にゃお~ん……にゃふ~ん……」
「あは、カワイイ!」
「にゃふふ……」
声じゃない。素で漏れた鳴き声だ。
モルガナ自身「これは仮の姿で正体は人間なんだ」と言っているが、この様子じゃ、どこまで本当なのか……
「海未ちゃんも、やってみなよ!」
「え、ですが……」
「すっごい可愛いよ! いいからほら!」
「は、はぁ……」
戸惑いがちにこっちを見る。可愛いものを見た女子特有の好奇心がありありと浮かんでいる。
こういう反応は田舎も都会も関係ないか。
「どうぞ。やってくれると、こいつも喜ぶ」
「で…では、少しだけ……」
おずおずと手を伸ばす。
さわり、と指先が毛に触れる。
「にゃふ」
「あっ……」
思わず声が漏れるモルガナ。
その時、彼女の身体に電流が走った。
「……」
さわさわさわ
「にゃふふふ」
「…………」
さわさわさわさわさわさわさわさわ
「にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃあ!」
「か、カワイイ……」
さわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわ
「にゃ、にゃ、にゃ、にゃふふふふふ、にゃにゃにゃあぁ!!?」
「う、海未ちゃん、あんまりやりすぎると……!」
「うにゃあ!? にゃおーん、にゃんとぉー!?」
「ちょ、海未ちゃん、落ち着いて!?」
隣にいた二人が制するも、全く手は止まらない。
「にゃーあん、にょわー?(ちょ、苦し、強すぎだ!)」
「あったかくて……すべすべして……もふもふで……!」
「にゃ、にゃにゃ、んにゃ、ふぎゃーご!(い、息が、息が出来ん、死ぬ!)」
「毛並みも柔らかい…!」
「にゃうおーん!? にゃ、にゃあんにゃにゃあ!!(ちょ、ちょっと待て!? れ、蓮、助けてくれ!)」
(そう言われてもな……)
ちらりと、撫でまくってる海未嬢を見た。
「海未ちゃーん! ちょっと、ちょっとストップ!」
「そんなにワシャワシャしたら可哀想だよ!」
「可愛い……! こんな、こんな感触だったんですね、猫って…!!」
「「うみちゃーん!!」」
友達が引き剥がそうとしているがビクともしない。
見かけに反してかなりの筋力だ。
あと、ちょっと顔ヤバい。
「にゃおーん!(ダレカタスケテー!)」
「ちょっと待ってて」
「んにゃおー!(待てるかー!)」
・・・・・・・・・
「も、申し訳ありません!」
「いや、大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
ぐったりしたモルガナを抱えて蓮は答える。
さっきまで恍惚とした表情でモルガナを愛撫していた少女……園田海未は地面に頭を擦り付けんばかりの勢いで深々と頭を下げていた。
「あんまりふわふわしていたもので……我を忘れて…気が付いたら……」
恥ずかしさと情けなさが入り混じった表情に、苦笑いしそうになった。
そんなに気にしなくてもいいのに。
というより、こいつも大概役得だよ、なあモルガナ?
「すみませんでした……」
「本当に気にしないで下さい。コイツもそんなにヤワじゃないし、ね?」
「にゃ、にゃおーん…!(あ、当たり前だぜ…!)」
「ほら、結構元気ですよ、これで」
「んにゃ、にゃにょわー……!!(レ、レディに惚れられるとは光栄だぜ……!!)」
「撫でられて嬉しいって言ってます」
「にゃんにゃん、にゃにゃにゃあ…(こんなもん、いつでも、朝飯前だぜ…!)」
「また撫でてくださいだそうです」
「ふぎゃーご、ふぎゃーご(後で覚えとけよ、こいつ)」
「今度また会いに来ます、って」
「ふにゃあ!(お前のことだよ!)」
ボロボロの毛並みを撫でて整えながら、蓮はポーカーフェイスを崩さずに続けた。
手元で何か鳴いているが気にしない。
「う、海未ちゃん、大丈夫って言ってるし……」
サイドポニーの長髪の子……南ことりと言うそうだ……が、必死にフォローしている。
「そ、そうだよ。確かに、目ちょっと怖かったけど、しょうがないよ、うん」
蓮が最初に声をかけたセミロングの子……高坂穂乃果が海未の肩に手を置いて苦笑しながら励ます。
いやそれ、フォローになってないけどね。
その後、毛並みのブラッシングに三時間かけたが、それは余談。
「は、はい……」
結局、それ以上謝り続けても相手が困るだけだったので、海未はようやく伏せていた頭を上げた。
「ごめんなさいね、モナちゃん」
「にゃあ」
海未は改めて最後とばかりにモルガナに声をかける。とりあえず落ち着きを取り戻したらしいモルガナも、気にするな、と軽く鳴き声を返した。
(猫相手にここまで……なんというか……)
生真面目を絵に描いたような人だ。
腰まで伸びている髪も癖一つなく、清楚な雰囲気は大人びた印象を覚えさせる。
『大和撫子』というのは多分こんな子のことを指すんだろうな。
そんな事をぼんやり思った。実家でも今の高校でも、こんな女性は見たことがない。
(こんな大人しそうな人がライブ…)
「あの」
ふと受け取ったチラシを思い出した。
「このライブって言うの、どんなものなんですか? 軽音楽とか?」
「いえ、アイドルです」
そう胸を張って答えたのが、高坂穂乃果だった。
「アイドル?」
「私たち、この音ノ木坂学院のスクールアイドルなんです」
「スクール…アイドル」
「はい!」
アイドルと言うと、よくお茶の間に映っている、可愛かったりカッコよかったする、アレ?
って言うことは、この子たちは芸能人?
いや、それにしてもファーストライブが講堂って……
「あの……スクールアイドルって、他のアイドルと違うんですか?」
「え?」
「今度デビューするってことですよね? スクールってことは、学生がメインってことなですか?」
「もしかして……スクールアイドル知らないんですか!?」
「は……はい」
「えーっ!?」
信じられない!と穂乃果が叫んで食い入るように自分を見る。慌てて一歩引いてしまった。
「スクールアイドルって、今一番人気があって凄いんですよ!」
「そ、そうなんですか?」
「そうです! キラキラしてて、迫力があって、もうとにかくこうバーン!って盛り上がって!」
「は、はぁ…」
「穂乃果ちゃん、それじゃあ伝わらないと思うよ……」
「と言うより、あなたも始めるまで殆ど知りませんでしたよね」
「……」
友の言葉を受けて、固まる穂乃果さん。
なるほど、とにかく凄いもので、今流行りなのは分かった。
それ以外は全く伝わらなかったけど。
「と、とにかく、感動すること間違いなしです!」
「そんなこと言って……もう」
はぁっとため息をつく海未。
彼女は苦労人ポジションなのが分かってしまう。
ウチのメンバーにはいないタイプだ。
(ウチのメンバー……そうだ、そう言えば)
ふと蓮の頭によぎるものがあった。この東京に来て、初めて出来た二人の友人たちの事だ。
「ま、まあ、まだまだ至らないところもありますし、お忙しいとは存じますが……」
「はい、行きます」
「え?」
「まだここに来て日も浅いので、どんなものがあるのか興味があって。知り合いも誘っていきます」
「ホントですか!?」
「はい」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶ穂乃果。隣の二人も嬉しそうに顔を見合わせていた。
あっとそうだ。これだけは聞いておかないと。蓮は口を開く。
「あの、それで……ここの講堂、車椅子とか入れますか? もしかしたら、そういう人も来るかもしれないんですけど」
「車椅子……えっと、どうだったっけ?」
「脇にスロープもあるし、大丈夫の筈だよ」
心の内で胸を撫で下ろす蓮。
よし、これで前提条件はクリア。
「じ、じゃあ、時間4時からですけど、大丈夫ですか?」
「はい。俺の学校、蒼山一丁目なんで、そんなに離れてないし」
土曜だから授業は午前中で終わる。
確か例の病院もこの近くと聞いたし、十分間に合う。
「それじゃ、都合がつくようなら、その人も誘ってみます」
「ありがとうございます! やったよ二人とも! 一気にお客さん二人ゲット!」
ガッツポーズを取る少女。
それを見て、自分の顔が自然とほころぶのを感じた。
何だろう、この気持ちは…?
俺の周りに、こんな子はいなかった。目の前のことに一生懸命で、とにかく明るくて、幸せを存分に享受している。
(本当に…こんな)
「おい蓮」
不意にモルガナの声で現実に引き戻された。
慌てて視線を鞄に戻すと、彼は蓮をじっと見ながら言った。
「そろそろ行かないと、マズいんじゃないか? ゴシュジン、首を長くして待ってるぜ」
そうだった。
ただでさえ厄介者扱いされている身だ。このチラシも大事だが、お使い程度に何時間かけてんだ、とお小言を喰らうのもゴメンだ。
「すいません、俺はこれで」
「あ、はい! ありがとうございました!」
そう言って、栗色の髪の女の子が深々と頭を下げた。二人の友達も一緒に頭を下げる。
蓮もつられる様にお辞儀した。
「それじゃあ、また明日。楽しみにしてます」
「はい、楽しんじゃってください!」
その言葉に苦笑して踵を返そうとした時。
「あ、そうだ、名前!」
「え?」
「名前、教えてもらっても良いですか」
「あ、ああ」
少しばかりの抵抗感を覚えながらも、自分の名を口にした。
「蓮です。雨宮蓮」
・・・・・・・・・・・
国立音木坂学院の校舎裏から、正門にいる生徒を観察する一人の影があった。
日本人とは違う、金色の髪の毛と緑がかったブルーの瞳。見れば一目で心を奪われずにはいられないほどの端正な顔立ちと細い身体。
「………」
生徒会長の絢瀬絵里は、じっとその場に立って三人の女学生たちを見つめていた。
高坂穂乃果、南ことり、園田海未。
この学園に新しく発足したスクールアイドル。
(上手く行くはずがない……)
廃校を阻止するために集まった三人。
学校存続の為、そう言えば聞こえはいい。学園内でも、彼女たちのことはおおむね好意的に捉えられている。
だが絵里はそんな彼女達を認めない。
(無茶が過ぎるわよ)
もう結果は分かりきっている。それだけ心で呟いて立ち去ろうとした。砂金をちりばめたような美しい髪がふわりと舞う。
その時だった。
『あの……』
聞きなれない声を耳にして足が止まった。振り返ると、三人は校門より外に出て誰かと話しているのが見える。
どうやら男性みたいだ。
(誰? 何でこんな所に男子が……)
この音ノ木坂学院に他校からの生徒、それも男性が来るなんて殆どなかった。少なくとも自分が入学してからは一回もない。
昔はお嬢様学校として名を馳せた高校らしいから、出待ちくらいはいたらしいが、今ではお伽噺だ。
『あの時の、四茶の行き方分からなくて死にそうな顔してた人!』
女子三人の内、リーダー格の高坂穂乃香が声を張り上げていた。行き方分からなくて死にそうって何? と少し思ったが、絵里の疑問は彼の出で立ちだった。
(あの制服……秀尽学園の…)
私立秀尽学園高等学校。蒼山一丁目に居を構えている都内ではごくありふれた一般の進学校だ。文武両道を謳い、特にスポーツの中でもバレー部は抜きん出ていた。あくまで以前までの話だが……
(どういうこと?)
「えりち?」
「…っ…!? あ、の、希?」
ふと、後ろから声を掛けられた。
慌てて振り返ると、そこにいたのは同級生で生徒会副会長の東條希。自分の相方ともいえる存在だった。
「どないしたん?」
「えっと……」
おっとりとした様子で尋ねる希。
自分と真逆の性格ながらも、よく気が利く彼女は生徒会に欠かせない存在であり、絵里も信頼している。仕事を抜きにしても一番の友人だった。
「んん? なんや、あの子たちを見とったん? やっぱり気になるんやろ」
「……そ、そんなんじゃないわ」
あの子達というのはスクールアイドルの穂乃果たちだ。会長の絵里とは違い、希は三人の活動に肯定的だった。学園存続のために下手な博打は打つべきではないと考えていた絵里にとって、希の行動は理解しがたい部分もあった。
「じゃあ、どないしたん? 興味がないなら見ることもないんやない?」
「…ちょっと別のことが気になって」
「別のこと?」
「あれ」
顎でクイッと、正門の方を示す。
希はそちらを覗き込むと、途端に目を丸くした。流石の希も男子生徒が校門前で自校の生徒と話し込んでいるのは新鮮だったようだ。
「あら珍しい。ウチのとこに男子が訪ねてくるなんて」
「ええ。それにあの制服、秀尽よ」
「それって、マコちゃんのいる所やんな」
マコちゃんとは、秀尽学園の『新島真』だ。
この辺りの学校では、生徒会同士による合同定例会が行われており、より良い学校活動の為に意見交換を行っている。この音ノ木坂も参加しており、絵里はそこで出会った秀尽の生徒会長の真とは旧知だった。
『類は友を呼ぶんやねえ』というのが希の談。
「向こうの生徒会からお使いでも頼まれたんかな?」
「そう言うのは聞いてないわ。彼女もわざわざ男子を行かせるなんてしないと思うし……それに、あっちも今定例会どころじゃないでしょ」
「そう言えば秀尽学園、今とんでもない騒ぎやもんな」
「えぇ…あれじゃあ真も、しばらく対応に忙しいでしょうね」
「大学の部活動も同じような事件があったばかりやのにねぇ」
「それに……」
と、絵里はそこで一旦言葉を濁した。これは余り言い触らすような内容ではない。別に希を信用しない訳ではない。他の生徒から聞いたこの話が余りに荒唐無稽なのだ。
「えりち、どないしたん?」
「別に何でもないわ。ちょっと、変な噂を聞いたものだから」
「……もしかして、『心を盗む怪盗団』のこと?」
「え?」
「ウチの耳にも入ってきた。秀尽学園の校舎に、『お前の心を盗んで、罪を告白させる』いう予告状が貼られてたって。数日経ったらホントにその先生、自分のやってきたことを白状したんやって」
絵里は希の言葉にハアっとため息をついた。どうもこの子に隠し事は出来ないらしい。思慮深さや視野の広さ、それに観察眼は自分より遥かに上だ。趣味の占い……というだけじゃないんだろう、多分。
「不思議な話やね。心を盗むなんて、流石にウチにも分からへんわ」
「まさか希……あなた信じてるの?」
「ウチは見てへんから何とも言えんけど……でもロマンがあるやん?」
「……あなたまでそんなこと言うなんて」
「えりちは、信じてへんの?」
「ただの噂でしょ。誰かのイタズラに、偶然が重なっただけ。それで周りが騒いでるのよ」
下らない、とばかりに絵里は切って捨てた。そんな絵里を見て、希はん~、と口元に指を当てる。
「せやけど占いにも出とったしなぁ」
にこやかな表情を崩さずに言う希。
彼女がおもむろに掲げたその右手には、いつも持ち歩いている占い道具、タロットカードが握られていた。
「なにそれ?」
「これ? アルカナ0『愚者』のカード。これが正位置で出ると『未知の可能性』『新しい冒険』を暗示するんよ」
「いえ意味を聞いてるんじゃないのよ。と言うか何回も聞かされたから知ってる。そうじゃなくて……」
「近い将来、この国にトリックスターが現れる」
「え?」
希の表情は、どこを見るわけでもない、ただ空を仰いでいた。
「トリックスター?」
「定めに抗う、変革を望む者……歪みを直し、運命を変える存在……そう、出とったんよ。何回も何回もやって……それでも」
ひゅう、と一迅の風が吹く。この感覚は、どこかで感じた事がある。これは、確か生徒会室で……
「こんなにハッキリと出たんは二度目や。あの子たちがスクールアイドルをやるって言い出した、あの時と一緒」
「まさか希……」
希の視線は、校門前で男子生徒と話す穂乃香たちに向けられていた。その表情を見て、恐る恐る絵里は尋ねる。
「あの三人が、その怪盗団の正体……なんて言い出すんじゃないわよね?」
「………えりち、おもろいこと言うんやね。それは流石にウチも考えつかへんかったわ」
「え?」
「それやったら驚くけど、ふふふ、案外えりちもロマンチストやな」
面白そうに自分を見る希。絵里は恥ずかしそうに顔を逸らした。
「べ、別に……あなたがもったいつけて話すから、勘違いしそうになるじゃない」
「くすくす」
『それじゃあ、俺はこれで』
『はい、ありがとうございました!』
そうこうしている内に、謎の男子生徒との会話は終わったらしい。黒い制服に身を包んだ秀尽校の生徒は、そそくさと道を歩いて消えて行った。
『やったね、海未ちゃん、ことりちゃん!』
『うん、友達も連れてきてくれるって言ってたね』
『よーし、気合を入れて、まだまだ配ろう!』
『そうですね』
どうやら良い返事を貰えていたらしい。三人は顔をほころばせて、チラシ配りを再開する。その様子を見て、絵里の目が細くなった。
「お、どうやらあの男の子、ライブに来てくれるみたいやね?」
「……」
「よかったやん、ちょっとずつ成果が出てて」
「一人呼べただけよ。それに来るかどうかなんて、当日にならないと分からないわ。舞台にお客を呼ぶって言うのは、そんな簡単な事じゃないのよ」
「やっぱり、よう分かってるんやね」
「…希」
「ん、ごめん」
希はそれ以上言わなかった。多分、今絵里が考えていることに関しては希も同じ考えなんだろう。
あの子たちのライブは上手くいかない。これは意固地でも感傷でもない自らの経験則からくる事実。奇跡でも起こらない限り不可能だった。
腑に落ちないのは、それが分かっていながら、どうして希が彼女達の肩を持つのか、という事だけど……
「けど、かのカレは来るよ」
「え?」
「見えるんよ……あの人は他とは違う。あの子たちにとって……ううん、ウチらにとっても、大事な存在になる」
そう言う希の目は、今までに見たことのない表情をしていた。
全てを見通す鳥瞰的な視点……でも、なんだろう、これは? こんな顔をする希を、私は知らない。
けど、どうして? 彼女の言葉に、どうしても、首を横には振れない。
男子生徒が去って行った方角を見る。もう姿は消えてしまっていたが、それでも……
(……本当に、来るのかしら)
その予感を、絵里がハッキリと自覚できるには、まだ時間が必要だった。