μ's&Ours〜歌姫と僕らと〜   作:ディルオン

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続きです。
最近、感想を下さる方が増えてきたので、とても嬉しいです。
この調子で、シンフォギアの方も書き上げていきますので、皆さん応援よろしくお願いします。

それはそれとしてスクスタのスコアの上げ方が未だにわからん…


5話 −I'm cheering for you− Sideμ's②

「いや~世の中何が起こるか分かりませんなぁ!」

 

誰に話すべくもなく、帰り道をスキップしながら進んで行った。予想以上の成果だ。

チラシを置くことも出来たし、念願のファンも出来た。次のライブも来てくれると言ってくれたし、友達に伝えてくれるかもしれない。

そうして次の集客に繋がればいうこと無しだ。

 

「帰ったら早速、海未ちゃんとことりちゃんにも…」

 

この感動を、いち早く分かち合いたい。

その一心で実家の老舗和菓子屋への道を急ぐ。

とその時、店の前に今心で思い浮かべていた人物が立っている事に気が付く。

 

「穂乃果〜っ」

「海未ちゃん?」

 

玄関前に立って、園田海未が手を振って自分を出迎えてくれていた。

目を丸くして穂乃果は彼女の前へと駆け寄る。

 

「どうしたの? 部活は?」

「中止になってしまったんです。顧問の先生方同士で、急な会議になって」

「会議?」

「あとで説明します。上がってもいいですか? 空いた時間で新しい歌詞を作ったので、見てもらいたいんですが…」

「もちろん! 入って入って!」

 

妙に歯切れの悪い言い方は少し気になったが、グッドニュースを早く伝えたい気持ちが勝った。これを聞けば海未もきっと喜ぶだろう。

そうだ、ことりちゃんも呼ぼう。

買い物も済んでいる頃合だ。

 

「じゃあ、ことりちゃんにも連絡するよ。実は私からもいい知らせがあるんだぁ~!」

「なんですか?」

「うっふっふ。二人揃ってからのお楽しみだよ!」

 

そう言ってスマホの画面を叩いてことりへの連絡を取る穂乃果。

ややあって、ことりは通話に出てくれた。

 

『もしもし、穂乃果ちゃん?』

「あ、ことりちゃん? 今、私の家で、海未ちゃんと一緒にいるんだけど、ことりちゃん、今から来られる? 話したいことがあるの」

『今から?』

「うん。あ、用事まだ終わらない?」

『あ、ううん。ちょっと待ってて。もうすぐ上がりだから』

「え? アガリ?」

『じゃ、じゃなくて『終わり』ね! もうすぐ用事終わって、それから行くから! あ、あと一時間くらいかかっちゃうんだけど…!』

「うん。それ位なら平気だよ。じゃあ、待ってるからね」

 

と、そう言ったところで慌てたように通話は切れてしまった。

なんだろう? あんな風に早口で捲し立てるような態度を取るなんて滅多に無い。

 

「ことり、どうかしたのですか?」

「あ、ううん。もうすぐ用事が終わって、一時間くらいしたら来るって」

「そうですか」

「でもなんか変なんだよねぇ。いつものことりちゃんぽくないって言うか」

 

そう言いつつ扉を開ける。

いつもの彼女ならもう少し疑問に思うところだったが、この時、さっきまでの嬉しさで、別段深く追及はしないことにしたのだった。

 

「ただいま〜」

「お邪魔します」

「おかえり~。あ、海未ちゃん。こんにちは」

「こんにちは、雪穂」

 

店のカウンター側に立って二人を出迎えたのは、和菓子屋『穂むら』のもう一人の看板娘で、穂乃果の妹の雪穂だった。

穂乃果の二つ下で、今年で中学三年生になる。彼女とは対照的で真面目なしっかり者だ。『お姉ちゃんを反面教師にしたからね』というのが本人談だ。

 

「お店番ですか?」

「まぁね。お母さん、今ちょっと買い物に。お姉ちゃん全然頼りにならないから」

「ゆ、雪穂っ!」

「だって本当のことじゃん? 最近スクールアイドルで忙しいみたいだし」

「うぅ〜…」

 

本当のことだけに反論できない穂乃果。

確かに店番やら店の手伝いやらが出来なくなって、しわ寄せが雪穂に言っているのは事実だ。

ただ、隣でそれを見ていた海未は苦笑していた。

雪穂とも長い付き合いの彼女だからよく分かる。『お姉ちゃん、たまには自分がやってよ』と雪穂が言わないのは、姉の頑張ってる姿を応援しているからだ。

とは言え、姉が気付いているかどうかは別問題だ。そういうささやかな機微に関してはとことん疎いのが穂乃果だ。

 

「ぶ~、雪穂ってば、ファーストライブも来てくれなかったし…この間話した人達がいなかったらゼロだったんだよ、お客さん」

「そんな事言ったってしょうがないじゃん。学校説明会だから無理って、前から言ってたでしょ?」

「説明会? この時期にですか?」

「海未ちゃんもそう思うでしょ! やっぱり雪穂、音ノ木坂受けないんだよ!?」

「え、いや、まぁ、それは……なんて言うか…」

 

ビシッと妹を指差して涙交じりに悲痛な叫びをあげる姉。

ほら見たことか。

はあ、と海未は溜息をつきながらフォローすることにした。このままでは店の入り口で姉妹喧嘩が勃発するだろう。

 

「穂乃果、雪穂には雪穂の道があるんです。強制は良くありませんよ」

「でもさぁ…!」

「進路や就職を考えたら、別の高校が有利な事だってあります。穂乃果だって、雪穂には自分の道を頑張ってほしいでしょう?」

「そ、そりゃあ、そうだけど……」

「べ、別に…私だって廃校が良いとは思ってないって」

 

しかし海未の考えとは裏腹に、雪穂は真っ向から言い返すと思いきや、しどろもどろに言い辛そうな表情を浮かべていた。

 

「って言うか説明会は、そういう奴とか、音ノ木坂とか関係ないよ。UTXとも違う学校のだし」

「ふえ?」

 

キョトンとする穂乃果。

これには海未も首を傾げた。確か雪穂はA-RISEの通う学校でもあるUTX高校を受験すると聞いていたが……

 

「雪穂、UTX受けないの?」

「違う違う。滑り止めに決めてた秀尽学園高校、別のにしようってお母さんが」

「秀尽?」

 

あれ…秀尽学園?

その名前、聞いたことがある気がするぞ? 

確かネットニュース? テレビ? 何処かの掲示板?

いや違う…それもあるが、もっと最近……それこそ今日どこかで耳にしたような…

 

「確か、蒼山辺りにある学校ですよね?」

「うん。ほら、ニュースでやってたじゃん。元メダリストの体育教師が逮捕されたって……あ、これこれ」

 

雪穂はスマホを取り出すと、動画配信サイトを開いて、ある一つの動画を二人に向かって見せる。

昼間やっているワイドショーの内容を一部切り取って編集したもののようだった。

 

『今日の特集です。都内の進学校で突然起こった事件は、学校関係者はもちろん、周囲に住む人々にも衝撃を与えました。逮捕されたのは、高校の体育教諭で元金メダリスト、鴨志田卓容疑者です。容疑者は、自らが顧問を務めるバレー部の部員たちに対して、指導と称した体罰を繰り返し、女子生徒へのセクハラや交際を強要していたとされ、容疑者は容疑を全面的に認めているとのことです』

 

「あれ…このニュース、昨日見たような」

「そうですね。弓道部でも話題になってました。今日の会議もきっと」

「え? 海未ちゃん部活休みになったのって、これ?」

「あくまで噂です。でも、この時期に急な話し合いなんて変だと思いましたし、多分、そうではないかと…」

 

その時、画面の向こう側でキャスターが学校の屋上を遠くから撮影した映像を出しながら解説をしているのが目に入った。

 

『えー、ここから女子生徒が飛び降りた屋上が見えます。少女はバレー部でレギュラーを務める程の実力者でしたが、校庭の中庭へ飛び降りたそうです。彼女は執拗に…』

 

「あ、これ…」

 

穂乃果はドキッとして口を噤んだ。

あの時ライブに来てくれた女の子は…やはりそうらしい。ニュースで話題になっていた、自殺未遂のバレー部のレギュラーの子だ。

 

(海未ちゃん)

(黙っておきましょう。おいそれと触れていい物では無いですから)

(そうだね…)

 

胸を締め付けられるような痛みを覚えながらも、穂乃果は彼女との指切りを思い出していた。

 

「どうしたの?」

「あ、ううん、何でもない。それで、雪穂がこの学校受けないのって」

「うん、これのせい。最低だよね、屋上から飛び降りるとか、よっぽどだよ」

「…そうですね。酷い話だと思います」

 

海未の言葉は静かだったが、その奥底には怒りが感じられた。彼女の父親も厳格で、早朝から夜遅くまで弓や日舞の稽古を実の娘に課していたが、それでも健康にはとても気を遣う人だった。そんな家庭で育った海未にしてみれば、ただ己の承認欲求を満たすためだけの行動は道から外れた恥ずべきものだ。

 

「それでお母さんもなんだけど……ついさっき、お父さんの耳にも入っちゃてさ」

「…まじ?」

「まじまじ」

「怒ったよね?」

「干菓子の抜き型、真っ二つに捩じ切っちゃったってお母さんが」

「うわぁ…」

「おじ様なら当然でしょう。娘が行くかもしれない学校でそんな事件があったら……私も、同じ立場ならとても平静でいられないと思います」

 

ため息が出た。頑固一徹の和菓子職人の父がそんなのを耳にすれば怒り狂う。

それに多分、海未ちゃんがお母さんだったら学校に直接乗り込んで教頭先生辺りを1発叩く。グーなのは言うまでもない。

 

「今どうしてるの?」

「厨房篭って、黙々と練り餡作ってる。当分出てこないね、あれ」

「じゃあお母さんの用事って」

「そう、壊しちゃった抜き型の修理頼みに行ったんだ。あれ月島のおじいちゃんしか直せないらしいから」

「それでこの時間に店番を…」

 

穂乃果は腕を組んで奥で平静を保とうとしている父親を想像した。

今度ばかりは雪穂も災難だ。

 

「そ、そう言うわけだったからさ。別に黙ってたわけじゃないんだよ? ちゃんと決めるまでは無暗に話せないし、まだ学校の方からもちゃんとした説明がないからってお母さんが…お、応援は、してるからさ…私だって、音ノ木坂が無くなるのはイヤだし」

「そっかぁ…」

 

雪穂は伏し目がちに穂乃果を見ている。

人の心を察する苦手な穂乃果だったが、こういう時は姉思いの気持ちが伝わる。

子どもの頃から二人揃って、制服を着て歩いているお姉さんたちを見ていた筈なのに、雪穂の中で母や祖母の母校でもある音ノ木坂への憧れが無くなって知ったのだろうかと、それが不安だった。

が、それが間違いだと知ることができただけでもいい。

 

「仕方ないね、そう言うことなら」

「…うん、ありがと」

 

頑張れ、と言った穂乃果は雪穂の肩を叩く。隣では海未が安心したように胸を撫で下ろしながら微笑を浮かべていた。

と、その時流れっ放しだったスマホのニュース映像から、またもキャスターの興奮した声が三人の耳に届けられた。

 

『えー、そして事件の発覚する数日前、奇妙な出来事がありました。学校に対し、怪文書が送られた…ということです』

「かいぶんしょ?」

「あー、これもクラスで話題になってるよ。『心の怪盗団』だって」

「こころのかいとうだん? 何それ?」

 

雪穂の聞きなれない単語を聞いて目を丸くする穂乃果。海未も初耳だったらしく、キョトンとしていた。

 

「なんか秀尽学園の校舎の掲示板に、『お前の心を盗んで、罪を告白させる』いう予告状が貼られてたんだって。で、数日経ったらホントにその先生、自分のやってきたことを白状したんだって」

「…何それ?」

「ほんとだって。その予告状も見せてもらったんだよ! ほらこれ」

 

そう言うと雪穂はスマホを操作して、複写した画像を二人に見えるように再びかざす。

確かにテレビドラマや漫画にあるような切り出した文字で作られた怪文書が映っていたが……

 

「色欲のクソ野郎…鴨志田卓殿……抵抗できない生徒に歪んだ欲望をぶつけるお前のクソさ加減はわかっている」

「だから俺たちはお前の歪んだ欲望を盗って、お前に罪を告白させることにした」

「明日とってやるから覚悟してなさい……心の怪盗団…?」

「何というか…怪盗団という割に、内容が幼稚と言うか…」

「イタズラ書きみたいだね」

 

国語2の穂乃果が見ても、知性は欠片も感じられない。

と、雪穂は珍しく真顔でぐいと顔を近付けた。

 

「実際あんまり信じてる人いないみたいだけど、でも本当に数日経ったら、その先生自首したんだよ」

「ただの偶然ではないですか? 私は、正直こういった物は余り…」

「…」

「穂乃果?」

「私はいると思うけどな」

「またそんな事を言って…」

 

海未があきれ顔で言う。

確かに海未ちゃんの通り、特に根拠があるわけじゃないんだけど……

何だろう。

不思議と目を話すことができない、この気持ちは…どこかで……

 

 

「ごめん下さい」

 

 

意識は、唐突に扉を開いて現れた表れた一人の客人によって引き戻された。

 

「あ、いらっしゃいませっ!」

「どうも」

「ああ、喜多川さん。いらっしゃい」

 

雪穂が声掛けをする。穂乃果も急いで『いらっしゃいませ』と声を這って挨拶をした。そう言えば今も営業中だったことを不意に思い出すと、海未に向かって耳打ちした。

 

(海未ちゃん、私もちょっと店番手伝うから、先の部屋上がってて)

(あ、分かりました。では後程)

 

海未が二階へ上がったのと同時に、穂乃果は雪穂にも耳打ちしていた。

 

(雪穂も、ここは私がやるから、ちょっと休んでていいよ)

(え、いいの?)

(今日も忙しかったでしょ? 少しは息抜きしなって)

(そう…? じゃあ、そうさせて貰おっかな…)

 

最初は戸惑いがちだったが、雪穂も姉の気遣いが伝わったのか、少し笑ってその場を後にした。

 

「すみません、お待たせしちゃって」

「いえ」

 

静かに時間が流れる店内で、穂乃果は脳裏をよぎった怪盗団への気持ちは綺麗さっぱり無くなってしまったのだった。

 

「この詰め合わせを頂けますか?」

「はーい」

 

目の前に現れたのは、白い学ランに身を包んだ長身の青年だった。

名を、喜多川裕介という。

彼は、何度か『穂むら』を訪れている常連だった。

自分が店番をするタイミングといつもズレるから、詳しくは知らないが、それでも母が接客しているのを何度か見たことがある。

 

「おかみさんは、お休みですか?」

「いえ、ちょっと出掛けてて。お一つでいいですか?」

「はい」

 

頷きなから喜多川は答える。

やや痩せ気味だが、顔は整っていた。

と言うより…かなりのイケメンだ。白く透き通った肌が印象的だった。

今朝の明智君といい、最近そう言うのに縁があるのかな、私…?

いかんいかん。

ジロジロ見たら失礼だ。

 

「あ、お包みしますか?」

「ええ。お願いします。あと、熨斗を付けてもらえますか?」

「わかりました。少々お待ち下さい」

 

和菓子屋をやっていると、プレゼントや進物用に買っていく人も少なくない。

手先は不器用な穂乃果だが、実はこの手の冠婚葬祭に関しては雪穂よりも得意だったりする。

 

「種類はどれにします?」

「内祝を」

 

内祝とは、祝事などで貰った品に、返礼として物を送る際に使用する文字だ。

包装紙に箱を包み、後は熨斗紙を貼るのみ…と言う時に、穂乃果の手はピタリと止まった。

 

「あ、お宛名はどうしますか?」

 

この手の商売で少し悩ましい所だ。

大手デパートなどはプリンターが普通だが、東京大空襲さえ生き抜いた老舗和菓子屋『穂むら』にそんな文明の利器はない。

礼儀的な意味もあるから、流石に穂乃果も安易に書くわけにはいかないのである。

大抵は母が書いているのだが…さてどうしたものか。

父も書けないことは無いのだが……例のニュースで怒り心頭の父上に丁寧な字が書けるだろうか…

 

(うーん、いっそ海未ちゃんにでも頼むかなぁ……)

 

と、そこまで悩んだ時。

 

「ああ、結構。宛名は自分で」

「え?」

 

言うが早いか、喜多川は懐から筆ペンを取り出すと、サッと穂乃果から熨斗紙を受け取り、カウンターに用意されている台紙の上に広げる。

そのまま一気に筆を走らせた。

 

「……わっ」

 

思わず目を見張ってしまう。

書き上げられた宛名は、母が書くよりもずっと綺麗で、それでいて繊細だった。

それだけではない。

 

宛名を書き終えると、その横に、更に線を重ねて行く。

 

家紋?文様?よく分からないが、彼が筆ペンを仕舞うと、熨斗紙には見たこともない様な花をあしらったマークが踊っていた。

 

「これで、貼って頂けますか?」

「……え? あ、はいっ。ありがとうございます」

 

慌てて穂乃果は熨斗紙を受け取ると、丁寧に貼り付けていく。

破いたら台無しと思うと少し手が震える。

 

「ど、どうぞ」

「ありがとう」

「あ、あのー」

「ん?」

 

純粋に興味が湧いた。

普段、筆文字を見慣れている筈の穂乃果でさえ見惚れてしまう様な、達筆な出来栄えだった。

いや、達筆と言うレベルじゃない。

これはもう……多分、芸術の域だ。

 

「筆ペン、凄い上手なんですね」

「ああ、どうも」

「習字とかやってらっしゃるんですか?」

「いや、俺は…」

 

と、青年が口を開いた時、

 

「あら? 喜多川さん? いらっしゃい」

 

ガラ、と扉を開けて中へと入ってくる人影。

ふと見ると、そこには見知った顔があった。

 

「あ、お母さん」

「ああ、ご無沙汰してます」

「いらっしゃい、よくきてくださったわねえ」

 

穂乃果の母が大きな紙袋を下げて顔を明るくさせて立っていた。

帰ってきて数秒もたたずに営業スマイルに切り替える辺り、さすが老舗和菓子屋の女将だ。と穂乃果はこの辺り感心している。

 

「今日もお遣い?」

「ええ。先生は、ここの和菓子が大好物で」

「ありがとうございます。主人も喜びます」

「こちらこそ」

 

その後、他愛ない世間話をいくつか交わすと、「それでは、失礼します」とだけ言って、彼は戸をくぐり帰っていった。

慌てて「ありがとうございました!」と後ろ姿を見送った。

 

(さっきの絵、凄く上手だったなあ……)

 

喜多川がいなくなるのを見計らって、ふと母に尋ねた。

 

「ねえねえお母さん」

「ん?」

「喜多川さんって、書道とかやってるの?」

「あら?言ってなかったかしら?そっか、穂乃果は喜多川さんと殆ど話してないものね。彼、画家志望なのよ」

「画家?」

「確か…何とかって言う、有名な日本画の先生のお弟子さんなんですって。美術科のある洸星高校にも通ってて、今は住み込みでお手伝いしながら勉強中なんですって」

「へぇ…」

 

確か洸星高校は、ここと渋谷のちょうど中間点にあった。

割と自由な校風で、白い学ランも特徴的だったから覚えている。

 

(住み込みで勉強中かぁ…雨宮君に似てるかも…)

 

「あっ! ポスター!」

「ポスター?」

 

すっかり忘れてた。

今も海未ちゃんが上で待ってる筈だ。

急いで今日の成果を報告に行かないと。

その時、再び玄関が開いて、遅れてやってきたことりが顔を覗かせた。

 

「こんばんは〜」

「お、ことりちゃんナイスタイミング!」

「ごめんね、遅くなっちゃった」

「ううん、全然! 海未ちゃんも来てるから入って入って!」

「え、ちょっと穂乃果、店番!」

 

急いで穂乃果はことりの手を引くと、そのまま店の奥へ続く暖簾をくぐって自失をへと駆けて行った。

母が「待ちなさい!」と叫んでいたのが聞こえるものの、さっきの青年とのやり取りと一緒に、頭の隅へとすぐ追いやった。

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

西木野真姫はその日、父親と夕食を共にしていた。

珍しく食事でもどうかと誘われたのだ。

母は仕事が入っていたのだが、父が自分一人だけを食事に誘うのは珍しかった。だが一緒に食べに行く相手を聞かされて、真姫はすぐに頷いていた。その相手というのは、父の古い友人で、その同伴としてついてくる子も、真姫が昔から知っている人だったからだ。

 

「いやあ、それにしても、真姫ちゃんもすっかり綺麗になったね」

「別に、そんな事ないですよ。普通です」

「あはは、そうかい」

 

目の前でワインを傾けながら笑っているのが、父の友達の奥村邦和だ。食品会社の社長をしていて、近年グングンと急成長を遂げているらしい。父とは学生時代からの親友同士だ。

 

「それに成績も優秀だそうじゃないか。お父さんから聞いたよ。学年トップだったってね」

「まあ……って、パパ」

「良いじゃないか、一人娘の自慢くらい」

 

あっはっは、と隣にいる父は笑って流した。父は医者とは思えないほど、デリカシーがない。

思春期の娘の気持ちが分からないでよく院長が務まるものだ。ある意味、感心する。

 

「凄い、真姫ちゃん。将来お医者さん目指しているだけあるわね」

 

ため息をついた時、奥村氏の隣にいた少女が感心しながら口を開いた。

 

「春、お前も他人事ではないぞ。奥村の娘として、恥ずかしくない教養を身につけなさい」

「大丈夫ですお父様。成績については、前にお話しした通りですから」

 

そう言って笑顔を自分に向けてくれているのは、奥村氏の一人娘の奥村春だった。

 

「その点に関しては僕が保証するよ。時々ウチに来て、真姫に勉強を教えてくれるくらいだからね」

「あ、はい。春さん、とっても教え方上手なんです」

「ううん、真姫ちゃんの呑み込みが上手いのよ。それに私も、お返しじゃないけど、ピアノを聞かせてもらっているし」

 

ね? と春はにっこり笑って言った。

春は真姫と歳も近く、今年で高校三年生になる。小さい頃から知り合って以来、ずっと仲良しだった。多分、一番仲の良い友達かもしれない。

学校が変わって以来、会う回数は減ってしまったが、時々こうして食事などを一緒にする。

 

「ピアノと言えば、真姫ちゃんはもうコンクールには出ないのかい?」

「ええ、まあ……」

「あれ? この間、弾いてたじゃない? コンクールの曲じゃなかったの?」

「ああ、あれは……」

「ん?」

 

目をパチクリさせる春。

…少し話辛いというか、普通に弾いてたわけじゃない。

 

「…なんか、2年の先輩に頼まれたの。曲を作ってくれって」

「え? 作曲?」

「うん。イミワカンナイけど、なんかアイドルみたいのやりたいんだって」

「アイドル? それって、スクールアイドルってやつ?」

「春さん、知ってるの?」

「うん。最近、結構有名よね。ネット配信とかもしてて、楽しいんだよ」

 

無邪気に笑う春。

彼女は人を先入観とかレッテルとか、そういうので見ない。

自分よりずっと純粋だった。

 

「アマチュアとか思ってたら、とっても本格的なの」

「ふうん…」

 

彼女も、子どもの頃バレエをやってたんだし、いっそ春が音ノ木坂に来てくれればよかったのに…そうしたら変な勧誘も受けることはなく、真っ先に彼女を推薦した。

あの先輩たち…確か、高坂さんだったっけ? 春さんほどの美人なら一番に誘い入れたに違いない。

 

(そうしたら私だって……)

 

ん?

私、今何考えた?

 

「けど、そうすると、真姫ちゃんは勉強に専念するのかい?」

「ああ。本人はそのつもりみたいだ。なあ、真姫?」

「……うん」

 

止めよう。

気の回し過ぎだ。

こんなもの、多分、ただの感傷だ。

或いは……同情?

あのファーストライブでお客が殆どいなかった彼女達への……

 

『いつか私達、ここを満員にして見せます!』

 

違う。

あの人達は、諦めてなかった。

あの歌の様に。

じゃあ、何…?

私は、あの三人に……

 

「僕はもう少し続けても良いと思うんだけどねぇ。真姫のピアノが聞けないのは残念だよ」

「立派なお医者さんになるには、今から頑張らないとでしょ。パパだって、若い頃は一心不乱に勉強してたって、よく言ってたじゃない」

「まあ、それはそうなんだけどね……」

 

そう言って自分の父は魚料理を一口に口に運んだ。

……不満があるなら言えばいいのに。

私に医者なんて無理…父は心の底でそう思ってるんじゃないか。そんな事ないと分ってる。分かっていても、時々そう感じてしまう瞬間がある。

そんな事ない。私は絶対に立派なお医者さんになる。そう約束したんだ。

 

「確かに、君の集中力には目を見張るものがあったね。あ、いや、一回だけ成績の落ちた時があったな」

「え?」

「お、奥村君、その話は…」

「そんな時あったの? いつだってテストで一番だったって言ってたじゃない」

「あ、いや、それは…」

 

と、奥村が軽く振った話題だったが、珍しく口ごまった自分の父を見て、奥村はにやりと笑った。

 

「ははあ、西木野君…あの話をしていないね? いいだろう、話してあげよう真姫ちゃん」

 

そう言うと奥村は身を乗り出して嬉々として語り始める。

 

「こいつ、学生時代にある女性に一目ぼれしてね。それが原因で食事は喉を通らないし、勉強も手につかないしで、もうボロボロだったのさ。流石に私が心配になって病院に連れて行ったら、先生が『そりゃ恋の病だねえ』なんて、大真面目に言ったんだ。もう傑作だったよ」

「お、奥村君! その話は…!?」

「ふーん……」

 

ほほう。

教育上余りおヨロシクない話を黙ってたみたい。

ジト目で真姫は我が父を睨み付ける。

出会った時からママ一筋だと言っていた姿はウソだったわけか。聞いたらタイソウお嘆きになることでしょう。

 

「ママに言いつけてあげる」

「い、いや、それは…」

「はっはっは、大丈夫だよ真姫ちゃん。その時に一目ぼれした女性というのが、何を隠そう、君のお母さんなんだ」

「え……そうなの?」

 

真姫はポカンとして、耳まで真っ赤にした父を見上げた。

 

「ま、まあ、そうともいえる、かな」

「まあ、素敵です! とっても純粋な恋をなさってたんですね!」

「あ、あはは……そうかい?」

「純粋も純粋だ。食べ物もヘアースタイルも車の趣味も全て彼女に合わせたんだからね」

「そうなんですか、おじ様?」

 

春が目をキラキラさせて父を見つめる。彼女はこういうプラトニックな話には目がない。自分よりもよっぽど乙女だ。

尤も自分も父の初恋がわが母と来れば黙っていられない。

 

「あ、いや……ま、真姫、ママには内緒だからな」

「んー、どうしよっかなぁ」

「わ、分かった。今度、新しい服でも買ってあげるよ。な?」

「…じゃ、今度付き合ってね」

 

おもいっきり高いのをねだってやろう。

ちょっと溜飲が下がった真姫だった。

 

「ん、んん! そ、そう言えば奥村君、身体の方は大丈夫かい? 近頃忙しく飛び回っているようだが」

「平気だよ。健康管理には人一倍気を遣っているつもりだ」

「しかし最近の精神暴走事件のこともある。食品関連企業の重役や社長による交通事故とやらもこのところ増えている。十分気を付けてくれたまえ」

 

そう言った父の目は本気だった。

街の人間がいきなり正気を失って滅茶苦茶な事をしてしまう、という事件がこのところ相次いでいた。ニュースや新聞でも取り沙汰されている。

ここ最近では4月に地下鉄の運転手がいきなりスピードを上げ、駅構内で脱線し転倒、多数の死傷者がでるというとんでもない出来事があったほどだ。

 

「相変わらず母親のような男だね、君は」

 

と、奥村は溜息をつきながらワインを飲んでいたが、父は唸るように捲し立てた。必死に説得する時の癖だ。

 

「僕は気がかりなんだよ、奥村君。僕はね、近頃の一連の事件には裏があるんじゃないかと睨んでいるんだ。運ばれてきた患者を何人か見てきたが、どれも普通じゃない。一体どんな方法を使えばあんな風になってしまうのかまるで分らない。ストレスや過労と言ってしまえばそれまでだが、それにしても度が過ぎる」

「西木野君、それ位にしたまえよ。娘たちの前だ」

「あ……」

 

呆然として父は自分や春の方を見て、そして慌てて我に返った様子だった。

 

「すまない。春ちゃん達には関係ない話だったね」

 

そう言って頭を下げる父。春とふと目が合い、そして苦笑した。父が友人をとても心配しているのは分かっていたから、責める気にもなれなかった。

 

「あ、いえ、平気です。私も最近、学校で同じような事件があったから、少し興味があって」

「事件と言うと、例の体育教師の?」

「はい」

 

春は頷く。このところ話題になっているオリンピックメダリストの件だ。

 

「まったく酷い話だよ。若い頃テレビにかじりついて応援していた自分を殴りたい気分だ。そう思うだろ、君も?」

「確かに、あの選手があんな事件を起こすとはね……君の部屋に押しかけて生中継を夜通し見ていた頃が懐かしいよ」

 

憤慨する父に、奥村氏も同意していた。若い頃は今とは比べ物にならないほど熱血漢だったらしい。

 

「しかし春ちゃん、それとどういう関係が?」

 

父が尋ねると、春は苦笑しながら話し始めた。

 

「……実は噂があって。『心を盗む怪盗団』なんです」

「心を盗む?」

「学校のあちこちに変な紙が貼られてて、『お前の口から罪を白状させる』って言う内容なんですけど……数日後の全校集会で、本当に先生が罪を告白したんです」

「ああ、その話は少し耳にしたな。しかしそんなのをわざわざ貼り付けるなんて、まるで本当に怪盗の予告状だね」

「そうなんです。学校でも話題になっていて」

「何それ、オカルト系?」

 

訝しげに真姫は尋ねた。

今どき怪盗団なんて、中高生向けのライトノベルでもネタにしない。真姫にしてみれば痛々しいにも程がある。

春の父親もこれには同意したようだった。

 

「くだらんな。ただの子どものイタズラだろう」

「私だって、本気で信じてはいないけど……でも……もし本当にそんな人たちがいるんだとしたら……」

「いるとしたら…なんだ?」

「……」

 

父親のその問いに、春は押し黙ってしまった。キョトンとする自分たちをよそに、春は手をぎゅうっと握りしめている。

また…何か背負いこんだんだろうか?

真姫は皿の上に食器を置いて立ち上がると、春の手を取った。

 

「ねえ、パパ。私、ちょっと外を散歩してきても良い?」

「ん? ああ、構わないけど」

「春さん、一緒に行こ? ここ、噴水がとっても綺麗なんだって」

「え……あ、えっと」

「行こう」

 

そう言って強引に春を立ち上がらせると、真姫はレストランを出て、ホテルのラウンジの方まで向かった。

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

多分、自然体で接してくれる数少ない人だったからだと思う。

 

父の同伴で、パーティやら食事会やらに何回か連れてかれたが、どいつもこいつも生まれや経歴を鼻にかけている連中ばかりだった。

大人だけじゃない、子供の間でも既にヒエラルキーが決まっていて、代議士や弁護士、官僚や大手企業の社長の子や孫が王様やその取り巻きの様に振る舞っていた。

 

こんな絵に描いた様なバカ殿連中がいずれ日本を牽引していくと思うと気持ち悪かったが、春は例外だった。

 

自分を「お嬢様」なんて呼ぶ人もいるけど、それはきっと春みたいな人を指すんだろう。

 

 

『はじめまして、わたし奥村春。よろしくね』

 

 

初めて出会ったのは、彼女の祖父が経営していた喫茶店だった。今でもコーヒーの香りを覚えている。

仕事で忙しかった両親に代わって、よく春の祖父は自分の面倒を見てくれていた。

 

『私が2つお姉さんだからね』

 

と、本人も進んで世話を焼いていた。小学生や中学に上がってもそれは変わらなかったが、不思議と真姫は嫌な気分はしなかった。

いつでも優しくて、笑顔が素敵で、お淑やかで、本当にお姉さんのような人だった。

 

そんな春に心底憧れた。

 

いつからだろうか、それが歪になったのは。

 

春の祖父の喫茶店が閉店してからだろうか。

春の父の会社『オクムラフーズ』が徐々に大きくなったのも。

春から笑顔が徐々に無くなっていったのも。

 

「ありがとう、真姫ちゃん」

「え?」

「わざわざ連れ出してくれたんでしょ? ごめんね、変に気を遣わせちゃって」

「べ、別に……気にしなくて良いですよ。一人で来てもつまらなかったから……ですから」

 

不意に意識を昔より引き戻されて、真姫は目を逸らした。

つい春のしぼんだ顔を見て手を取った真姫だったが、何か目的があったわけではなかった。悩みがあるなら聞きますよ、なんてそんな柄じゃないのは分ってる。

だが春はとても感謝したように自分に向かって笑いかけた。

 

「もう、そんな風に敬語使わなくて良いんだよ?」

「で、でも、一応、私よりも年上な訳だし……」

「それこそ気にしないで良いよ。むしろ昔みたいに『お姉ちゃん』って呼んでほしいな、私は」

「そ、それは……その」

 

真姫は赤面した。

子どもの頃、一人っ子だった真姫は姉妹がずっと欲しかった。真姫も同じ気持ちだったらしく、子供の頃は本当に姉妹のように遊んだりしていたが……流石に今そう呼ぶのは気が引けるというか……

 

「流石に、恥ずかしいっていうか…」

「ふふ。そうやって照れるとすぐに顔に出て目を逸らすの、変わらないよね」

「うえっ!?」

「お姉ちゃんはお見通しだぞ」

 

そう言っていたずらっぽく笑う春。

途端に顔が真っ赤になった、恥ずかしさではなく怒りで。

誰の為にここまでしたと思ってるの!?

 

「も、もう! そんな事言うと、次からは助けてあげないんだからね!」

「ごめん、ごめん」

「ふんだ……」

 

こんな顔、絶対に彼女以外には見せられない。クラスの人間に見られようものならばマントルまで直下降で穴掘って沈んでいく。

頬を膨らませた真姫に、春は何度もごめんねと手を合わせて謝ってきたので、ようやく真姫も不承不承ながら頬っぺたを軽く抓るぐらいで許してあげることにした。

 

「おじさまには感謝してるのよ。こうやって食事に招待してくれて」

「親バカなのよ。高校入学くらいではしゃいじゃって」

「そんな事ないよ」

 

それから真姫は頬をさすりっている春と一緒に噴水広場のあるホテルの裏を散歩しつつ、他愛無い会話を続けていたが、ふと春が神妙な顔になって話し始めた。

 

「真姫ちゃんのこと、とっても可愛いって思ってるんだよ? それに多分、お父様の事を気遣ってくれたんだと思う」

「春さんのパパを?」

「お父様、すごく忙しくて、家に帰らない事もしょっちゅうなの」

 

口元だけは笑って居たが、どこか物悲しそうな顔をしていた。

 

「それに、あんな風に笑ってるお父様見るの、久しぶり」

「……でも、私達と会う時はいつもあんな感じでしょ? うちのパパの昔の話とか、喜んでしてくれるし」

「おじさまと真姫ちゃんの前だからだよ。中学生の頃からの付き合いだもん。多分、今のお父様が心を許せる、唯一の人だと思う……」

 

そう言って春は目を伏せた。

 

…春さん、寂しいの?

 

そう訊こうとして、何故か言葉が出なかった。

彼女の顔に映るものが分からない。まるで表面を見えない膜で覆っていて、他人を寄せ付けないように見えて。自分でさえも立ち寄れない何かに、真姫の心はチクリと痛んだ。

 

「……」

「あのね、真姫ちゃん。お願い、聞いてくれる?」

「…なに、いきなり?」

 

恐る恐る尋ねた。

あまり続きを聞きたく無かったけれど。

 

「私ね、お嫁に行くんだ」

「……え?」

「高校を卒業したら、籍を入れる予定」

 

すぐに後悔した

 

……およめ?

 

それって結婚する時のあれ?男女が一緒になってくらして、その為に役所に届け出して、指輪交換の……え、ちょっとまって、え?

 

「有名な代議士の息子さんだって」

「え、ちょっと…お嫁って…?」

 

唐突に出たその言葉に、真姫の頭はパニックになった。

しどろもどろになりながら何とか言葉を探す。

 

「う、うそでしょ? だって、春さんまだ……」

「今のうちに慣れておいた方がいいだろうってお父様が。いずれ、奥村の家に必要な人になるらしいの」

「ま、待ってよ、だからって、そんな……」

「……」

 

待って。

一体何の話してるの?

これなに?

今目の前にいるのは自分の幼馴染の友達で、ずっと仲良しだった人だ。今までもそうしてきたし、これからだってずっと変わらない。大人になっても、その後も、ずっと……ずっとそうなるって、そう思ってきたはずなのに……

 

「おじさんが、決めたの?」

「うん」

「…」

 

信じられない。

あの人が、決めた?

ずっと一人娘だからと、大事に育ててきたはずなのに、それを……こんな歳からお嫁に行かせる?

真姫の心の中は、いつの間にか大きな穴が開いていた。

 

「なにそれ…家の為にって、そんなのおかしいわよ、そんな……春さん、ひとり娘でしょ? いきなり結婚って、いつの時代の話してるのよ?」

「うん…そうだよね。なんだか、笑っちゃうね」

 

そう言って春はこっちを向いた。笑顔で。

 

いや…なに笑ってんの?

ふざけないでよ?

 

「春さん、それで良いの? そんな風になって……だって春さん…!」

「ううん。いいんだよ」

「いいって…っ」

「こうなるような気はしてたんだ。奥村の娘に生まれた時から……私は、きっと自分の人生が決まってたんだって。家のために生まれたんだって」

 

やめて。

そんな話聞いたことない。

そんな話聞きたくない。

 

「ごめんね、真姫ちゃんにそんな顔させたくて。話したんじゃないのに…」

 

そう言って春は自分の頬を撫でた。

 

「…っ」

 

それで気付いた。

自分の頬を一筋、涙が伝っている。

春はそれをそっと拭った。

 

「ごめんね真姫ちゃん」

「私のことなんてどうでもいいからっ!」

 

外だという事も憚らず真姫は叫んでいた。

違う。

こんな事を言いたいんじゃないんだ。

私が言いたいのは……

 

「…そんな……お姉ちゃんがそんな顔してるからっ…」

 

はた目には微笑んで、泣き虫の妹を慰める顔をしていながら、心の奥で泣いてるのは自分のくせして……バカじゃないの? 

どうして自分の為にその気持ちを使わないのよ。馬鹿みたいじゃない。そうして慰められている自分が。

 

「そうだね……ごめんね、真姫ちゃん……ごめんなさい……」

 

春はそっと自分の肩に手を置いた。ぽろぽろ涙が溢れる。別に何も悪いことはしていないのに。心配するようなことだって何もない筈なのに…それでも涙が止まらなくなってしまっていた。

どうしてこんな……わざと自分に悟られない様な、柄でもない演技までして……

 

「真姫ちゃん……さっきのお願いのこと、聞いてくれる?」

「……なに?」

 

涙がしばらくしておさまった時、春は穏やかな口調でそう言った。

 

「もし真姫ちゃんにやりたいことがあるのなら…我慢だけはしないで。それが私の……奥村春としての、最後のお願い」

 

それは唐突に告げられた、『お姉ちゃん』からのお別れの言葉だった。

 

「……誰かが別の場所に連れて行ってくれるなら、迷わずにその手を取って欲しいの。お医者さんになるのも良い。別の仕事をしてもいい。誰かのお嫁さんになるのもいい。でも…もし、私のことを想ってくれたなら……私の分まで、やりたい事を、精一杯楽しんでね」

「……ずるい」

 

こんなの不公平だ。

自分には何も告げずに、一方的に物事が進んでしまって、ただそれを自分は後から言われるだけ。それで何食わぬ顔で世界は変わらずに進んでいく。

理不尽だ、こんなのは……

 

「ずるいわよ、そういうの」

「……本当にそうだね。卑怯よね。こんな風に言うのって」

 

自分の手を握りしめたまま、春は言った。

まるでこの時が、自分に与えられた最後の我儘だとでも言わんばかりに。

…その手がふと、唐突に離された。

 

「ごめんね、今言ったこと、全部忘れて」

 

そう言って、春は背を向けて歩き出した。レストランへ向かう入口へ歩き出して、その背中が小さくなろうとしている。そのまま消えてしまいそうで、真姫は思い切り叫んだ。

 

「お姉ちゃん!」

「……」

 

春は応えない。

ただ立ち止まって、自分が来るのを待っているだけ。

当たり前だ。自分だって、何を言えばいいのか分からないのに。

 

「戻ろう。おじ様、心配しちゃう」

 

そう言って振り返った時、春は元通りだった。さっきまでの壁を作ったような態度も、無理矢理穏やかな風を装ってもいない。

ただ、さっきまでと同じように、普通の友達としての奥村春にしか、真姫には見えない。

もうそういう風にしか、彼女を見られなかった。




今回はここまでです。
問題はこの後のパレス攻略シーンをどうするかが中々悩み所です。
スニーキングしながら探索なんてシーン書いたことないので難解です。
頑張ります。


みなさま、体調にはお気をつけくださいませませ。
では、次回も読んで頂ければ幸いです!
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