大海原に囲まれた緑溢れる地、孤島。
様々なモンスターの生息するその場所で暮らす彩鳥の雄は、ある日うつくしい火竜の雌を見かけ、忽ち惹かれてしまう。
異種への切なる思いを胸に抱える彩鳥だったが……。

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モンスター目線の異種同士の恋愛の話です。
苦手な方はご注意ください。


陽炎

 

 

 

 この世界に生まれ落ちた者は、他の生命を喰らって己の血肉にし、伴侶を見つけ、新たな生命を世に生み出して、後世へと繋いでいくのが道理。

 そうして、この大地には数多の輝きが生まれ、繁栄し、それぞれの歴史を紡いできた。中には他の種に淘汰され、世界から姿を消す種もあった。そうだとしても、彼らの生は決して無意味なものなどではない。骨や存在した空間が大地の中に刻み込まれ、姿を変えてなおこの世に生き続けているのだ。

 

 ……しかし、本当に、種の繁栄の為に尽力することだけが、生まれてきた意味となるのであろうか。

 否、刹那的なものだとしても、思いを貫くのを目的として生きることだって、罪ではないはずだ。たとえ、それが実を結ぶものではないとしても。

 死後のことは誰にも分からないけれど、「生きている自分」として存在し、思考や行動ができるのは、今の生命が続く限りなのだから。何にも替え難いその思いを抱くことができたならば、それはきっと生涯の輝きになり得るはずだから。

 

 そうであるならば、この感情だって、無駄なことではなかったのだと思う。相手にも自分にも、不可視の酷い傷跡をつけたそれは、同時にこの上ない鮮やかさで世界を彩った。形あるものとして歴史には残らずとも、確かにその色は存在したのだ。

 おそらくこの色彩が在る限り、自分は鮮血を流したまま、重い枷を付けたまま生き続ける。

 嗚呼、なんと惨く、しあわせな呪いであろう!

 

 

***

 

 

 その日は、温かく麗らかな陽気だった。

 程よい湿り気を帯びた風が、柔らかく頰を撫ぜる。

 若葉色と菫色の羽、橙の嘴と、類稀な派手な身体を持つ、彩鳥と呼ばれる生き物が、高木の天辺に枝を敷き詰めた住処で、座ってのんびりと日光浴をしていた。

 親元を離れてから、何度陽が落ちては昇るのを見ただろう。いや、実際は数えられるほどしか見ていないような気もする。

 少し前に見つけたこの住処は、近くに危険な竜の縄張りがあるわけでもなく、狩場からそう離れてもいない、良い場所だ。我ながらよくやったと思う。自分を褒めつつ、欠伸を一つ。平和なのは素晴らしいことだが、やや暇なのは玉に瑕である。

 そうして何をするでもなく寛いでいるうちに、腹の虫がくぅ、と鳴いた。太陽はまだ昇りきっておらず、昼餉にするには常よりもやや早い時間であることがわかる。

 まあいいか、と立ち上がり、彩鳥は翼を広げた。

 

 ここは広い大海原にぽつりと浮かぶ、緑豊かな孤島。

 海沿いの場所は勿論のこと、森の中や洞窟など、どこにいても、かすかに波のさざめきが聞こえるこの地では、多種多様な生命が懸命に日々を送っていた。

 空や陸の生態系の頂点を担うのは、主に空の王者の異名を持つ火竜や、紫電を纏い、無双の狩人と呼ばれる雷狼竜。それに対し、広大な深い蒼の中では、大海の覇者と恐れられる海竜が悠々と泳いでいた。

 各々が、己の生を思いのままに全うしていく。それらが一つに集まって、この島のうつくしい生命の大河を造っているのだった。

 

 彩鳥が食糧とするのは、主に魚である。川魚も良いが、丸々と肥えた海魚は格別に美味だ。

 ただ、当然ながらその日の周囲の状態によって、安全に食事ができるかどうかが変わる。特に水源の豊富な場所に棲む、水生獣の繁殖期に重なると、縄張り意識の強い彼らは煩わしいことこの上なく、食事などできたものでは無い。

 だから、海が駄目なら川へ、川が駄目なら海へ、とその都度判断し、移動しなければならないのだった。

 

 でも、なんだか今日は大丈夫な気がする。コンディションが良いと、何故か自然と確証のない自信のようなものが湧いてくる。

 もしその予感が外れたら、手間は増えるが川へ行けば良いのだし、一か八かで行ってみよう。そう決めると、彩鳥は黒い岩が点々と水面に出ている海辺の方へと、身体の向きを変えた。

 視線の先で、飲み込まれてしまいそうな一面の深い青の一点が盛り上がり、大海原の主が顔を出した。それに続いて、主と同じ姿をした白い竜も水飛沫をあげる。それぞれ違う色を持つ海竜の番は、束の間海面を揺蕩うと、やがて仲睦まじく青の奥底へと再び潜っていった。

 それを見て、彩鳥は他種の恋の季節の訪れを知った。

 自分もそろそろ、求愛の鳴き真似と舞を練習せねばならない。彩鳥という種族は、嘴と胸の膜を使って他種の鳴き真似をして呼び寄せ、自分や家族を守るという、独特の生存戦略を持っていた。

 より強い種を呼び寄せられることは、彼らを利用することも、逃げ延びるだけの力もあるという証明になる。演技の下手な雄には、雌は見向きもしてくれないのだ。

 

 目的の狩場まであと少しというところで、海に面した崖の中腹にある、大型の竜でも難なく入れる程の窪みに、赤と緑の二体の竜──火竜の番が巣を作っているのが見えた。少し前までは、ここは主を持たないただの岩場だったから、この数日の間に来たのだろう。

 円形に掘って縁を盛り上がらせた地面に、卵を温める為の草を敷き詰めながら、お互いの身体を舐め合ったり、頰を擦り付けたりと、しきりに愛情表現をし合っている。

 とても、幸せそうだった。

 

 この島では、雌雄問わず火竜は彼方此方で見かける。そして繁殖期である今、その多くが常よりもピリピリとしていた。皆、伴侶を見つけて我が子を守り育てるのに必死なのだ。

 

 昨年の冬は暖かく、飢えに苦しむことも殆ど無かった。そのお陰で、自分たち兄弟は一羽として欠けることなく、無事に巣立ちの時を迎えることができたのだった。

 しかし、本来生き物が命を繋ぐことが難しい時期に食糧が十分に手に入り、沢山の子らが無事に育つということは、翌年は各々の食糧の確保が難しくなることを意味する。

 草木が生い茂り草食竜が増えれば、それに伴い肉食竜も増えるのが常である。草食竜の豊富な最初のうちはまだ良いが、次第に自分たちの個体数に対し、草食竜の供給が追いつかなくなってくる。そうなれば当然、次に減っていくのは肉食竜だ。

 一々拡大した目線で考えて同情していればきりが無い。

 そのようにして、島の生態系は緩やかな一定の形を保つのだと、かつて父は言った。

 

 彩鳥はその場でホバリングをしながら、時間を忘れて火竜たちを見つめていた。目が離せなかったという方が正しいだろうか。

 特に心を惹かれたのは、新緑の甲殻に身を包んだ雌の姿だった。やや小柄であるが、今までに見たことのある、どの個体よりも鮮やかな色彩と翼の模様を持ち、遠目からでも、そのうつくしさは全く薄れることがなかった。

 まさか自分が、異種族を魅力的だと思う日が来るとは。なんとも擽ったい心地である。

 

 暫くの間、雌火竜に見惚れていた彩鳥は、ややあって自分の置かれた状況に気がついた。木陰にいるならばともかく、空中ではやたらと派手で目立つ色のこの身体だ。ある程度距離があるとはいえ、このままここにいれば、目の良い雄火竜に忽ち見つかって、縄張りの外のはるか彼方まで追い回されるに違いない。ただでさえ凶暴な火竜が、繁殖期にどうなるかなど考えるまでもなかった。

 

 彩鳥は、火竜夫婦の巣からさほど離れていない場所に、岩棚が張り出しているのを見つけ、彼らの目に止まらないよう、ひっそりと舞い降りた。この地質なら、自分が少しくらい暴れたとしても、足元が崩れることはなさそうである。

 岩棚と巣の間にはちょうど彩鳥の身が隠せるくらいの低木があり、小さな葉の隙間からあちらの様子を窺うことができた。

 彩鳥は、じっと息を潜めて彼らの立てる音や鳴き声に耳を傾けた。

 

 カサカサという音に混じって、時折喉を鳴らす穏やかな音が聞こえてくる。どうやらあれが、火竜における音での愛情表現であるらしい。

 彼らの、伴侶に危険を知らせる声や、自らの縄張りを主張する声ならば、親から習ったのである程度は分かっていた。しかし今までお世辞にも勉強熱心とは言えなかった自分が、彼らが家族に愛情を示す声や求愛のための声など、知る由もなかったのだ。

 これは新たな発見だ、と彩鳥は胸が高鳴るのを感じた。

 

 やがて雄が雌に頬擦りをし、立ち上がるのを見て、彩鳥は慌てて火竜の死角に入るようにして岩棚から飛び降り、翼で風を捉えて飛び去った。ここで警戒されてしまったら、二度と彼女の姿を見られなくなってしまうかもしれない。

 

 自分の住処に戻っても、彩鳥は上の空だった。目を閉じるたび、あの新緑が脳裏に浮かぶ。もしももっと彼女の傍に行けたなら。雌火竜の目はその多くが黄金色だと記憶しているが、彼女の瞳はどんな色合いなのだろう。光の加減で変わったりするのだろうか。そしてその瞳に見つめられたら、どんな感じがするのだろう。

 

 これまでは、自分はこの先同種の雌と番い、子を成して、そのまま生まれ育ったこの島の土へと還るものだと思っていた。

 けれど、果たしてこの思いを抱えたまま、他の雌を愛することなどできるのだろうか。燃え盛っているのを無理やり消した炎は、酷い火傷を残すという。その傷を負ったまま、伴侶となった者を守れるのか。

 

 そう、彩鳥は初めから、雌火竜の伴侶の座を狙ってなどいなかった。いくら彩鳥が雌火竜に好意を持とうと、その思いが届くことは決して無いのだ。

 何故なら、自分と彼女は違う種族だから。何故なら、彼女の温かな思いは、既に彼女の伴侶に注がれているのだから。

 それを分かっていても尚、彩鳥は雌火竜を思うのをやめられなかった。ただただ、幸せそうな彼女の姿を遠目からだとしても眺めていたかった。伴侶となることは無理でも、何か別の形で彼女の傍に居たかったのだ。

 本来であれば、同種の雌に向けるべき本能や感情。彩鳥は今だけは、とそれら全てをあの小さな雌火竜へと向けた。

 終着点の無い、ひたすらに虚しい横恋慕。そんなものでも、彩鳥にとってはかけがえの無いものに思えた。この灯火は、やがて自然に焚物まで燃やし尽くして消えてしまう時まで、静かに胸の内にしまっておこう。そう誓った。

 

 その時、突然自分の腹から聞こえた大きな音で、ふと彩鳥は当初の目的を果たさぬまま帰ってきてしまったことに気がついた。

 彩鳥はやれやれ、と溜息を吐き、今度は川の方へと飛び立った。キャンキャンと煩い狗竜の子分らに、食事の邪魔をされなければ良いのだが。

 

***

 

 あれから数日が経ち、同胞が次々と番っていく中、相変わらず彩鳥は雌火竜の元へと通い続けていた。

 今のところは、おそらくどちらからも気づかれていないと思う。もし気づかれている上で見逃されているのだとしたら、それはそれで気まずい。

 そんな日々で、以前と変わったことと言えば、彼女の足の下に、白くて丸い塊が在ること。幾度か日が沈んで昇るのを繰り返せばきっと、彼女に似た、さぞかし可愛らしい子竜が生まれるのだろう。彩鳥にはそれが、自分のことのように楽しみであった。

 勿論胸が痛まなかったと言えば嘘になる。けれど、雌火竜の我が子を慈しむその眼差しに、彩鳥は自分の身体の中心で、温かく小さな火が灯るような心地がした。

 母になった彼女は、きっと今よりもうつくしかろう。彼女が、大事な卵から目を離さないようにしながら、夫が運んできたらしい肉塊を少しずつ噛み裂いては咀嚼し、嚥下するさまを、彩鳥はじっと見つめていた。

 

 やがて日が傾き、蜜色の光が辺りを柔らかく照らすようになると、彩鳥は周囲を確認し、その場を立ち去った。

 名残惜しくはあるけれど、その気持ちに蓋をして帰路を急ぐ。最近の自分の日課は、暗くなってからでは、屈強な輩を刺激しかねないからだ。

 

 日課というのは、声真似の練習だった。否、声真似をするだけでなく、それによって意思疎通を図る為の練習だ。

 よくよく聞いてみると、火竜の鳴き声や立てる音にはそれぞれ意味があり、それらを組み合わせることによって会話をしているようであった。今はまだ彩鳥には正確な意味はわからない。けれど、それらを発している時の彼女らの様子を見ながら、大まかな意味を読み取り、その都度記憶しているのだった。

 現在の時点で意味のある言葉として把握しているのは、[相手][嬉しい][行く、もしくはするなどの行為][心配][謝罪]の五つ。これらは頻繁に繰り返されていたので、覚えるのも比較的早かった。

 

 すう、と息を吸い込むと、彩鳥は真っ赤な胸の膜を膨らませた。今は音を広範囲に響き渡らせる必要はないので、嘴はそのままである。

 今日、雄火竜がしきりに発していた音を思い出しながら、それに近い音を喉を震わせて生み出していく。どこか外れていたその音程と拍子も、幾度か繰り返せば、次第にオリジナルの音に近づいていった。

 

 理想の音を生み出せたことに、彩鳥は喜んだ。夫のこの鳴き声を聞き、彼女は嬉しそうに頰を擦り寄せていたから、きっとこれは良い意味の言葉なのだろう。

 あの場所でうまく鳴くことができれば、もしかしたら彼女と仲良くなれるかもしれない。あくまでも追い出されなければ、の話であるけれど。

 

 気づけば辺りはすっかり暗くなっていて、昼間は息を潜めていた虫たちの声が、賑やかに星空の下で響き合っていた。

 また明日、彼女の元を訪ねてみよう。事が全てうまく運んで、雌火竜があの瞳でこちらを見て会話を交わしてくれるさまを頭に浮かべ、彩鳥は胸を弾ませながら目蓋を閉じた。

 

***

 

 夜が明けて、海の水面が午前の白い光を弾くようになった頃、広い水場にいた彩鳥は、立派な襟巻きを持つ狗竜の頭領が、何やら焦った様子で見張りの雌や子分らを呼んでいるのを見た。やがて島のあちこちに散らばっていた者たちが戻ってくるやいなや、頭領は彼らを連れて、巣へと繋がっているらしい、苔むした岩の隙間へと身を滑り込ませた。

 

 その様子を見て、彩鳥は何か異変が起こっていることを悟った。頭領さえいれば、自分たちよりもはるかに巨大な竜にも立ち向かうほど縄張り意識の強い彼らが、そう簡単に逃げ出すはずがないのだ。胸の奥が、誰かに掴まれたように重苦しい。こちらまで被害が及ばなければ良いのだが。

 

 その時、耳をつん裂くような咆哮が辺りの空気を震わせた。彩鳥は突然の爆音に平衡感覚を失い、よろけてしまう。未だにくらりとする頭を振り、何事かと音源の方を見た。

 そちらは、火竜の番の巣のある方面だった。嫌な予感がする。今すぐにここから逃げろと、頭の中で警報が鳴り響いている。

 しかし、何が起きているのか知りたいという好奇心が勝った。幸か不幸か、この水場から彼らの巣へは、そう遠くはない。

 

 いつもの場所へと舞い降り、様子を窺って、彩鳥は絶句した。

 穏やかな雰囲気に包まれていたあの場所は、今やあちこちが燃え、辺りには焦げた臭いが立ち込めている。特に、蛋白質が焼けた臭いには、吐き気を催した。

 彩鳥は、炎の中に大きな影を見た。その中心に居たのは怒り狂う雌火竜──彼女だった。彼女は爛々と光る眼差しで牙を剥き出しにし、火球を続け様に吐き出した。その先にいた小さな影が、ころりと転がりすんでのところでそれを避ける。

 彩鳥は、口の中に苦いものが広がるのを感じた。あれはヒトだ。彼女は、狩人による襲撃を受けたのだ。

 

 雄火竜は一緒ではないのか、という疑問への答えは、すぐに見つかった。そこに在ったのは、太い縄で縛られ、下に変な丸いものの付いている木の板に乗せられた雄火竜の姿。彼女の夫は、傷だらけの身体で息絶えていた。

 おそらく、彼女が巣を空けている際に、雄は命を落としたのだろう。

 これはあくまでも憶測に過ぎないが、きっと彼はどんなに傷を受けても、妻に助けを求めなかったのだ。自分より力の勝る狩人に、彼女が傷つけられる姿を見るのは、たとえ己の身を裂かれようとも耐えられなかったのだろう。それが、結果として彼女を酷く傷つけた。

 

 彩鳥は、あまりの衝撃に動くこともできなかった。憤怒と悲しみで我を忘れた彼女を見るのがつらい。

 彼女の攻撃を潜り抜け、狩人は隙を見て両手の鋭い鋒で、炎に照らされた雌火竜の身体を斬り裂いていく。竜姫の進撃をひらりと避け、長い尻尾を振り回せばそれとは逆方向に転がり、再び一閃。

 小さな刃から繰り出されるそれらは、一撃一撃は浅くとも、確実に彼女の身体を傷つけていった。中でも、胸元のざっくりと開いた傷からは、彼女が翼を動かすたびに血が噴き出し、少しずつ、しかし確実に彼女の動きは鈍っていった。目も当てられなかった。

 

 それをわかっていたのだろう、あからさまに狩人は岩棚の上のフィールドを大きく使い、雌火竜が追いかけてくるのを見越したような戦い方に切り替えた。尻尾を当てるにはやや遠く、火球を飛ばすには近すぎる。

 だが激昂している彼女はそれに気付かない。もう考える余裕すらないのだ。

 

 狩人が近くを横切った時、地面に一瞬丸いものが見え、彩鳥は目を見開いた。彼女の卵だ。

 いくら火を使う竜の子とはいえ、あの熱の中に置かれ続けたら、きっと死んでしまう……!

 彩鳥は夢中になって、火の粉の舞う空へと飛び立った。狩人はこちらに気づいたようだが、構わなかった。彼女の怒りを、ほんの一瞬でも鎮められればそれで良い。

 むせ返りそうな熱気から抜け、ひやりとした空気が喉を冷ます。崖下の、雌火竜からは死角となる場所で、彩鳥は嘴を広げ、思い切り胸を膨らませた。

 

***

 

 "その声"が耳に届いた瞬間、雌火竜は弾かれたように顔を上げた。きょろきょろと周りを見回し、声の元を探す。しかし「彼」の身体はここに在る。ならば何故……? 

 大量に血を失い、朦朧とする意識の中で、雌火竜は夫を求めた。何でもいい。もう一度「彼」と話がしたい。

 直前まで怒りをぶつけていた狩人のことすら忘れ、雌火竜はその声を追って駆け出した。

 しかし、陸の女王の脚ですら、その声には届かなかった。次の瞬間顎が地面に叩きつけられ、目の前に火花が散る。

 歯を食いしばって後ろを見やると、自分から夫を奪った狩人が、刃に付いた血糊を振り払っていた。どこまで邪魔をすれば気が済むのか。どうして、どうして……!

 

 雌火竜は言うことを聞かない足を叱咤し、なんとか立ち上がる。周りは炎で真っ赤なのに、身体の震えが止まらない。その瞬間、己が生と死の狭間を彷徨っていることを悟った。

 狩人は未だ執拗に斬りつけてくるが、もう抵抗する気力すら湧かなかった。

 ふと視線を上げると、目の前には大切な夫と自分との子どもが眠る卵があった。周りの草は焦げていて、その中に埋まっていたのだとわかる。全て連れ去られてしまったと思ったけれど、この子だけは残っていてくれたのか。

 嗚呼、母である自分が守ってあげなければ。幼子に怖い思いをさせてしまった。

 その時、再び夫の優しい声が聞こえた。雌火竜は卵に頬擦りをすると、足を引きずりながら、そちらへと歩み寄った。もう少しで「彼」に会える。もう少しで……。

 

***

 

 雌火竜が、己の卵の前で倒れ込むのを見た彩鳥は、もう我慢できなかった。翼を畳んで空気の抵抗を減らしながら一気に高度を上げ、熱風に身を包まれるのも気にせず彼女の元へと舞い降りる。

 雌火竜が倒れ込んだ時点で攻撃を止めていた狩人が、鋭い目付きでこちらを見た。大切な相手を傷つけた相手は心底憎かったが、今はそれどころではなかった。

 狩人は彩鳥の真意を測りかねているようで、乱入者をじっと見据えている。それをよそに、彩鳥は雌火竜のもとへと静かに歩み寄った。

 

 後ろで息絶えているはずの夫が来てくれたのかと、現実にはあり得ない期待を込めて視線を上げた雌火竜は、彩鳥の姿を見た途端、目の色を変えた。

 夫だと思っていた声は、此奴の鳴き真似だったのだと理解してしまった。冷静に考えればすぐにわかること。それでも、雌火竜は絶望に打ちひしがれた。

 

 彩鳥はクルル……と優しく声を掛ける。それすらも、今の雌火竜にとっては耳障りでしかなかった。彩鳥の思いとは裏腹に、雌火竜は力を振り絞って吼えた。

 [相手]を指す強い発音の鳴き声、それから[行為]を表す声。つまり、『お前がやったのか』と問うているのだろう。彩鳥は、雌火竜の怒りと深い絶望をたたえた目に気圧され、何も言えぬまま舌が乾いていくのを感じていた。辛うじて口から出たのは、[謝罪]の言葉。それを聞くやいなや、雌火竜は目尻を吊り上げて絶叫した。その目から、ぼろぼろと涙が溢れる。

 こんな、こんなはずではなかったのだ。自分はただ、彼女を苦しみから救ってあげたかっただけなのに。

 彩鳥は悲しかった。胸を鋭い刃物で抉られたような心地がした。自分の行いは、彼女を救うどころか、より深い悲しみへと突き落としてしまったのだ。

 

 もう、どうすることもできぬ。彼女の傷口からは止めどなく血が溢れているし、このままここに居れば、狩人はこちらに刃を向けてくるだろう。何より、火はどんどん燃え広がっている。

 雌火竜の涙に濡れた目蓋が、次第に閉じていくのを見て、彩鳥は最後に、生前の雄火竜が彼女に愛しげに贈っていた[言葉]をかけた。

 その瞬間、雌火竜の表情がふっと和らぎ、やがて糸が切れたように全身の力が抜けた。

 

 彼女はもう、ここには居ない。それを悟り、彩鳥は嘴でそっと彼女に触れた。初めて触れた彼女の身体は、巣を燃やした炎で熱を帯びていた。

 彩鳥は次に、ただ一つ残った卵に触れた。表面はやや熱かったものの、半ば地面に埋まっていたからか、中までは熱は達していないことがわかる。

 この子はきっとまだ生きている。新たな生命を置いて、己の罪の重さに押し潰されてしまうわけにはいかない。

 

 そこへ、火竜たちを屠った狩人が歩み寄ってきた。もしや、これが狙いだったのか。彩鳥は激しく威嚇をした。

 何か鳴き声を発しているが、構わない。狩人が二つの刃に手をかけた瞬間、彩鳥は大きな卵を咥えて飛び立った。

 今まで持ったことのないような重さに、すぐに顎が痺れてくる。しかし、躊躇している暇はなかった。唐突に現れた猛烈な閃光に目を焼かれようとも、必死に羽ばたいた。

 

 そこからどうやって住処に辿り着いたかは、あまり覚えていない。

 

***

 

 あれからどれくらい経っただろう。彩鳥は食事もろくに摂らず、ひたすらに火竜の卵を温め守った。

 幸いにも、赤ん坊は無事だったようで、日を追うごとに成長の兆しが見てとれた。中の赤ん坊が動くたびに、痛みと共に強い喜びが彩鳥の胸を満たすのだった。

 

 夜が明け、空の端が白み始める頃、腹の下で卵が動く感触がして、彩鳥は目を覚ました。

 卵はなおも動き続けている。今日はやけに元気だと思っていると、それから遅れて、コツコツと硬いものを叩く音。彩鳥は目を丸くした。ややあって、白く滑らかな表面にヒビが入った。

 とうとう孵化の時が来た。新しい生命が誕生するのだ。彩鳥は卵の上から退き、雛が必死に外に出ようとしているのを、実の親であるかのように見守った。

 

 本当ならば、自分が介入してはいけなかったこと。それでも、一度思ってしまったなら、触れてしまったなら、もう戻ることは決してできない。

 この世にはもういない彼女に抱いてしまった思いと、己の罪すらも抱えて、この子を守り生きていこう。自らの血を残すことはできずとも、きっとそれが自分の生きる意味なのだ。

 

 新たな空と陸の王の産声が、朝の空に響いた。




登場したハンターは、モガの専属ハンター。
個体数の増え過ぎた火竜を狩ることで、孤島のバランスを元に戻す為に、心を鬼にして火竜夫妻を狩っていました。卵を親元から引き離したのもその為です。
でも、当のモンスターにそんな事情はきっと通じないので、ただの極悪人のような扱いになってしまいますね。難しいものです。

処女作なので拙い点も多々あるかとは思いますが、少しでもお楽しみいただけていたら幸いです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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