『私達はもう永遠に地上の民なんだから──』

梅の花が香る季節、私は思い出す。
向こうの方を熱く感じる度に、思い出す。

永遠に続くのなら、ましてや春の夜なら、こういうことがあったっていいじゃない。

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春夜

 熱は消えて、少しずつだが変化していくものたちが私も人間であると教えてくれる。私たちは地上の民だと輝夜が言った日からそう時間は経っていないと思ったが、廃屋同然の自分の家の床に転がる木材を踏んで、ばきっと折れたのが時間の経過を教えた。最近の私は、ぼんやりと生きていた。輝夜の姿もろくに見ていない。脆くなった床に埋まった私は、そのまま夜を過ごした。

 眠気が襲う中でぼんやりと漂う何かが向こうに見えた気がした。私はああ、輝夜だ、と思った。

 そういえば、輝夜と殺し合うこともなく過ごした幾つかの夜の中に、こういうのがある。私が筍を焼いて火を見ていると、鈴仙ちゃんが闇の中に現れて、和紙の括りつけられた梅の枝を持ってきた。

「姫様からです」

「はあ? なにそれ」

「恋文、ではないですか」

「おかしいだろ。私たち、宿敵なんだ」

「そう思っているのは妹紅さんだけですよ」

「……まあいい、貸してよ」

 受け取った梅の枝には見事に花が咲き、風に香るにおいがかぐわしい。恐らく高級な紙を開くと、そこからも梅の花のにおいが飛び出した。

 

春の夜の間はあやなし炎あかりこそ見えね熱やはかくるる

 

 濃い墨で書かれた短歌を見ると、私はその手で紙を燃やした。鈴仙ちゃんがああっと声を上げるが私は無視して目の前の火に集中した。

 しばらくすると、鈴仙ちゃんはしくしくと泣き始めた。どうしてこう、女の泣き声というのは大きくもないのに気になるのだろう。仕方なく彼女を見ると、彼女は

「返歌を貰うまで帰ってくるなって言われているんです」

 と言って鼻を啜った。

 私はぐ、と声を出してあー、とかふん、だとか言った後頭を掻いた。

「じゃあ『火にはあらぬ』と言ってくれ。返歌は遠慮しておく。それとは別に、こんなめんどくさいことをするなら盗作じゃなくて自分で考えるように、とも──」

「火にはあらぬ、ですか」

「うん。頼んだ」

「なら、これも言わなければなりません。姫様からの伝言です。『思い出して』」

「『思い出して』?」

「では失礼します」

 鈴仙ちゃんはすっかり元気を取り戻して闇に消えた。手の中に残ったままの梅の枝が炎の熱に浮かされたように香ってくる。私は鼻先まで近づけると、唇を当てるようにして思い切り息を吸った。

 頭を上げ、鈴仙ちゃんの消えた方角を見ると、輝夜の声で『思い出して』とはっきり聞こえた。ああ、そうか、と、私は納得した。『梅の花を香を嗅ぐ度、私を思い出して』。炎が見えなくても、熱を感じているから。

「嫌なにおい嗅いじまった。ばっちいなあ」

 私は炎を見るのも嫌になって筍を急いで食べてしまうと、火を消して家に戻った。梅の枝はどうしても捨てられなくて、欠けた湯飲みに入れた。梅の花はかなり長い間家ににおいを残した。輝夜の気まぐれはこれだけではないが、私が覚えているうちでかなり嫌な気まぐれだった。嫌がらせだった。

 そのあとむかついてあいつの家を焼きに行くと、あいつは炎の揺めきの奥で微笑み、黒髪が風に舞った。私は半歩進んで立ち止まり、その場から逃げ出した。熱かった。骨が軋み、鼻の奥がおかしくなってしまう。

 舟を漕ぐ。床にはまったまま寝るのは失敗だったのかもしれない。じわじわと暑くなってきて、違う、暑いじゃなくて熱いだ、と分かるようになってきた。暖を取る為に焚き火をしていたものが、あちらこちらに飛び火して火事になっていた。水を頭から掛けられたように目が覚めて、水を汲みに行った。

 呪いだな、と思った。

 輝夜が私に梅の花とあの短歌を贈ったことは呪いとなってまとわりついている。だって、今も自分の火を見る度にあいつのことを思い出す。梅の花の香りがする。唇が触れそうなくらい、近づけた濃い、燃えるような色の、梅の花。

「……これ、あんたがやったの?」

 影がぼんやりと言った。「熱い、暑い。この辺全部、あついわ」黒髪が重たそうに揺れて私を見た。輝夜だ。

「お前、なんでここにいんだ」

「熱いと思って」

「へえ。見ての通り焼いたんだ、この辺全部」

「どうりで」

 久しぶりに会った輝夜は炎の中にぽつんと浮かんでいた。「あんた、夢遊病とか、そういう感じ? 違うわね、ただ火も見てられずに眠ったんだわ」

「見てたんなら消せよ」

 やはり見間違いではなかったらしい。私がせっせと消火活動をする間、輝夜はなにもせずにただ突っ立っていた。火がすべて消えると、辺りは暗く、輝夜の姿なんて見えなくなった。

 早く帰れとコールしてもあいつは一言も発さずにそこにいるようだった。今日は弾幕ごっこも何もする気にならない。次第に私も黙りこみ、廃屋の壁に背中を預け、目を閉じた。

 一刻もした頃、ようやく音を立てて輝夜が消えた。何をしに来たのだろうか。考えてみたが、何も思い当たらずにまた目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 昨日輝夜が来たけど様子が変で、と言うと鈴仙ちゃんはえ、という顔をして赤くなった。その慌て方が異様だったので、無理矢理吐かせようとした。皮を剥いで兎鍋にするぞ、と耳をきゅっと持ち上げると既に泣いていた。

「姫様は昨日、師匠に黙って抜け出したんです。私が見つけて、帰るように言ったんですけど、逢い引きなのよ、なんて言われちゃって」

 まさか相手が妹紅さんとは、とへにょへにょになる。私は手早く耳を離してやった。逢い引きなんかじゃない。そうじゃないのに、またあいつのやりたい放題だ。

 永遠亭を覗くと、輝夜がいつも通りだらっと座っていた。なにも変わりないか、と戻ろうとすると、庭の木々に目がついた。その一つに梅の木がある。

 焼いてやろうか、と一瞬頭によぎったが、家の中に放置してあった梅の枝を思い出してやる気が失せた。輝夜がお姫様とは思えない不細工な顔で微睡んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

春の夜の間はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる

 

 春の夜というのは本当にわけが分からない。梅の花は闇の中では花の色は見えないが、香りまで隠せるだろうか、いや隠せない……梅の花の香る夜に、いくら隠れたってそこにいるのはわかっているよ。

 梅の花は闇の中では見えない。炎はよく見える。『炎あかりこそ見えね熱やはかくるる』この熱は炎の熱だと思っていたが、違うらしい。

「お客か」

「客に見えるかしら」

「いや、見えないな。どうやら溝鼠が入り込んだらしい。病気持った鼠だ」

「あらやだどこ?」

 輝夜が辺りを見回す。突っ込みは放置して立ち上がる。構えをとったが、輝夜は興味がなさそうに私の家にずかずか入っていく。「おいおいおいおい、お前の城か? ここは」

「鼠小屋でしょう。犬小屋にもならないわね。こんなボロ家」

 輝夜が笑う。考えるより先に右足が出た。持ち上げた足裏で輝夜の背中を蹴り上げ、勢いのついた右腕でよろめく奴の顔面を殴る。左足を軸にして体が回るままに行った乱暴な攻撃だ。

 輝夜は左に倒れ込んだかと思いきや、重力を振り切るように両手を机の上について踏みとどまった。

「お前──」

 輝いている。掴み掛かろうとした輝夜は、私が捨てられずに置いたままの梅の枝を見詰めて輝いている。出ようとしていた声が、短いしゃっくりが出たようになった。

「梅の枝……」

 もう花は枯れた。ただの折れた枝になっていた。欠けた湯飲みに入れっぱなしで、そこにあった。

 手を伸ばそうとする輝夜の脇腹を足で思い切り押した。届かなかった手の形もそのまま、輝夜が床に転がった。

 まさか、この状況で輝夜を誰もお姫様だなんて思わないだろうし、私も思わない。だが、のろのろと体を起こした輝夜の無の表情は、恐ろしい。消えてしまいそうな儚さでもなく、此処に居ないかのような存在感。

 こちらを向いた輝夜の顔はいつも通りだった。呆然と眺めていると、踏み込んだ足も見えずに輝夜の殴りが飛んできた。脆い家の壁を突き抜けて、私は地面にうつ伏せになった。

「やっとやる気になったか?」

「仕方ないから、相手してあげましょう」

 輝夜が崩れてきた屋根を払って笑った。家はもう跡形もなく無くなってしまっていた。

 私は立ち上がり、久しぶりに二人で弾幕ごっこではなく、先程の延長戦のように殴りあった。二人とも力ではそう違いはなく、倒れても立ち上がる。私の横殴りが輝夜の頬を空気を押すだけの、ぺちっという音を出した時、輝夜は懐から取り出したものを私に掲げて見せた。

 梅の枝だった。

「これは燃やしなさい」

「は」

「燃やしなさい」

「なんで」

「じゃあ逆に聞くけど、なんで妹紅はいつまでもこんなもの持ってるのよ」

 輝夜が不満げに枝を振る。

「……綺麗だからだ」

「綺麗? どこが」

「梅の花の香りが……する。日本人っていうのはそういうのにわびさびを感じるんだよ。お前は宇宙人だから分からんか。ま、分からなくていい」

「梅の花の香り……」

 輝夜はぼこぼこに腫れた顔を歪ませた。不細工だ、とぼんやり眺めているとああ、と気づいた。嬉しがっている。笑っているのか。

 唐突に私の頭に浮かんだのは、聞き耳を立てて聞いた晩の永遠亭でのこいつらの会話だった。『私達はもう永遠に地上の民なんだから』。ああ、そうか、こいつ、日本人だったか。

「かれぬるや梅の花なくとも香る地に立つ人」

 香っている。私にも、香っている。

「……下手くそだな」

「ちゃんと自分で考えたでしょう、妹紅も考えてよ。それとも初めて作った私より酷いものが出来るのかしら」

「私はそんな貴族のお遊びは性に合わないんだ」

「逃げるの?」

 背中から輝夜の勝ち誇った声が降ってくる。振り返ると、私は輝夜の手と一緒に梅の枝を燃やした。「ああああっつういい!!!」

 輝夜が暴れまわっているのをよそに、崩れた家から紙と筆を見つけると溜め息をついた。ああ、またこいつの暇潰しに付き合っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜になり寒くなってきて、暖をとろうと焚き火をしていた。体の熱が冷えて、消えかかっている。ゆらりと竹藪に影が揺れる。風が強くなっているんだろう。炎が私を焼き殺すかのように暴れまわった。

 一層炎が大きく膨らみ、梅の花の香りが匂った。そういえば、梅の花は、今年はもう咲いたんだったか。闇の中に誰かがいるような気がした。ああ、輝夜だ、と思った。輝夜がいる。この暗闇の中に。

 私はじっと炎を見ていた。

「相手はしてやらないぞ」

「いつも相手しているのは私よ」

 ふと、夜の間には言葉を包み隠すような時間がある。黙って、ただ一言しか聞こえない相手の声をここにいると信じさせるだけの力がある。

「早く帰れ」

「熱いと思って──」

「馬鹿だなあ、ここが熱いんだよ」

「──逢い引きに来たのよ」

 梅の花の香りに振り返る。輝夜が口元を裾で隠して立っていた。鈴仙ちゃんが言っていたな、こういう風に輝夜が現れた日、こいつは逢い引きに行くと言っていたと。

 自分の胸に手を当てる。熱は、消えてなかったのか。こいつを殺したいほど憎む気持ちも、何かにすがるような気持ちも、消えてはいなかったのか。逢い引きという言葉が妙に癇に触る。

「火だ。私は火だ。逢い引きならそっと来てくれよ、寝首をかけないぞ」

「風情がないもの」

『春の夜の間はあやなし炎あかりこそ見えね熱やはかくるる』頭に浮かんだふざけた和歌の意味が違って見える。春の夜というのは本当にわけが分からない。あいつの私を殺したいという想いは見えないけど、熱までは隠せない。忘れても、感じている。

 何が恋文なんだ。完全に宣戦布告じゃないか。

「趣味が悪いな、鈴仙ちゃんにあれを持たせて」

「あれって?」

「梅の枝につけた手紙のことだ」

「ああ、あれ、恋文よ」

「けっ、なあにが」

 輝夜は微笑んでいた。私は開いた口を言葉も掠れて閉じ、右手に炎を浮かばせる。余計な言葉は不要だった。私は飛び上がった。

 梅の花の香りが香っている。すれ違った輝夜の袖口に触れた左手を鼻に近づけ、私は思わず笑っていた。



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