【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。   作:土ノ子

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「貴方は冥界に残りなさい」

 

 と、端的に主命を下した。

 当然俺は反対した。

 そもそもの話、地上に向かう役と冥界に残る役が思い切り逆だろう。

 

『何を仰られますか。御身が冥府に残り、私めが地上に参ります。地上でエレシュキガル様の神威を代行する者が必要なはず。こうした時のために過大な恩寵を賜っている身なれば、私こそが向かうべきかと存じまする』

 

 大前提としてエレちゃん様の地上における直接顕現は駄目だ。

 少なくとも絶対に同意できない。

 エレシュキガル様のホームグラウンドは冥界だ。逆に言えば地上ではエレちゃん様は中堅程度のどこにでもいる神格に成り下がる。

 もちろん女神なのだから相応の神威は有するが、グガランナ相手では無力に等しかろう。それでもウルクを余波から守ることは叶うだろうが、その程度ならエレちゃん様でなくとも俺が行けば代行可能だ。相応の負荷がかかる、結構な無茶になるが…。

 

「いけません」

『いえ、ですが』

「ならぬ、と言いました」

『伏して申し上げます。此度の―――』

「却下します」

 

 取り付く島もないとはこのことか。

 

「……貴方が行けば、貴方は無茶をするでしょう。もしその果てに貴方が冥府に還らぬ結末ともなれば、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。イシュタルはもちろん、私自身も、ウルクも、この愛しき冥界ですら」

 

 血を吐くような言葉だった。

 続けようとした反論が思わず喉の奥に引っ込むほどに。

 

(……それほどお心は傷ついていたか)

 

 エレちゃん様は果てしのない年月を孤独に過ごした女神だ。

 頑張り屋で、健気で、責任感のある真面目で優しい彼女。そんなエレちゃん様が長い年月を孤独に過ごし、心が歪まずに済むはずが無かったのだ。

 その歪みの一つが眷属()への執着。

 自惚れでもなんでもなく、俺が来たことで冥界は変わった。ならば俺を失えば冥界はあの暗く寂しい世界に逆戻りすると、エレちゃん様は恐れているのかもしれない。

 

「いなくならないで、私の眷属(アナタ)

 

 縋るように、袖を引くようにエレちゃん様は声を絞り出す。

 

()()()()()()

 

 懇願するような、粘り着くような、重苦しい情念の籠った嘆願に。

 

『申し訳ございませぬ…』

 

 俺は頭を下げ、謝罪することでその願いを拒絶した。

 

「何故…? これは貴方を思うが故の主命。我が配慮、我が愛を何故受け取らぬと貴方は言うのかしら」

 

 ()()()、とエレちゃん様の瞳が濁る。

 無いはずの背筋に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒を感じる。

 静かで、穏やかで、だからこそ危険な熱量の秘められた呟き。

 が、エレちゃん様はいま決して声音通りの心持ちではない。

 むしろ噴火寸前の活火山、嵐の前の静けさに例えるべき危うさを俺は感じ取っていた。

 かといってその怒りを解くために、何と言えば良いのか正直見当もつかない。

 ならば―――、

 

『私は御身の第一の臣なれば。戦場という危険を恐れ、引っ込んでいるなどあり得ません』

「私はそんな理由で貴方を軽んじるつもりは毛頭ありません。貴方が立つべきは戦場にあらず。私と共に和を繋ぎ、共に冥界を盛り立てることに注力すべきよ。自らの得手不得手を知らぬ貴方ではないでしょう?」

『ご指摘、まことに御尤も。私は戦人の心得など持たぬ一介の文官。戦場が似合わぬことなど百も承知』

「では」

 

 ならば、俺に出来るのはただ誠心と真心を以て説き伏せるのみ。

 あるいはエルキドゥとの出会いが無ければ、このままエレちゃん様の言う『愛』に呑み込まれていたかもしれない。

 その結果、心が擦り切れた果てに魂の消滅という最期を迎えていたのかもしれない。なんとなく、そう思った。

 

『なれど自らに不向きだからと主の後ろに控えていては配下の名折れ。恐れ多くもエレシュキガル様の第一の臣と地位を預かる私が主を盾に引っ込んでいるなど、我が誇りに賭けて断じて御免』

 

 深々と頭を下げ、叶う限りの真心を込めて語り掛ける。

 元より俺が選べる道などただそれだけしかないのだ。何と言ってもギルガメッシュ王とエルキドゥの二人からのお墨付きだからな!

 

『主が臣を慮り、コトを為せねばコレ即ち本末転倒。ご配慮ありがたく、されどその儀は無用と言上仕りまする』

「……私の愛を、無用と貴方は言うの?」

『申し上げます。包むべき時を間違えた愛を、人は執着と呼ぶのです』

 

 愛すべき、敬すべき主人であろうと言うべき時は言う。

 諫言とはそういうものだろう。

 

『私は御身の臣として誇りを以て地上へ向かいます。使命を果たす道半ばで倒れたとしても、無念ではなく、誇りを持って果てることが出来ましょう。どうか、ご再考を』

「……貴方はいつも私に優しくて、全力で、頼りになる眷属()だと思っていたのだけれど」

 

 どこか諦めたように、困ったようにエレシュキガル様は溜息を吐いた。

 その溜息と共に毒を吐き出したかのように、エレちゃん様の瞳から重苦しい情念が薄れていく。

 

「私が思っていたよりもずっと、私に厳しいのね」

『それが主の御為と心得ますれば』

「分かっています。諫言、ご苦労。貴方の言を容れましょう。地上へ私の名代として向かいなさい」

『感謝致しまする!』

 

 エレちゃん様のお言葉に、俺は深々と頭を下げた。

 苦笑と共に寂しげな横顔を見せるエレちゃん様に、俺はつい口を出してしまった。

 

『エレシュキガル様、繰り言を一つ申し上げてもよろしいでしょうか』

「なにかしら?」

『私が地上へ向かうのは冥府のため。なれどそれ()()ではございませぬ』

「……どういうこと?」

『地上の友がため』

「友?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような、エレちゃん様の驚き顔。

 ううむ、エルキドゥとの友誼について、そういえばエレちゃん様に報告していなかったっけか。

 まあいい、いまは重要ではない。

 

『エルキドゥにはひとかたならぬ恩があり、縁があります。我が迷い、我が弱さは奴の言葉に祓われた。()()()()()()。ならば今度は()の番』

 

 知らぬ間に一人称が変わっていたが、この時の俺は気付かなかった。

 そしてエレちゃん様が俺を見る視線の色合いが変わったことも。

 

『しかし奴は俺の助力を望まないでしょう。奴と奴の親友であるギルガメッシュ王が手を組み、乗り越えられぬ障害などないのだから』

「それなら…」

()()()()()、俺は奴に言ってやりたい』

 

 一筋の未練を乗せたエレちゃん様の呟きに、きっぱりと告げる。

 

『調子に乗るな、()()()()()()と』

 

 ええ…、とエレちゃんがドン引く気配がしたが、無視だ。

 正直その程度にはエルキドゥに腹を立てている。

 大体だな、冥府向けの第一報に何で救援要請が付属していないのだ。ついこの間、お前が何を言おうと助けると言っただろうが。

 なら素直に助けろと言え。そっちの方がずっと動きやすいし、気分も良い。それともあれか。ちょっとばかり相手が馬鹿でかい鈍牛でただの一歩でウルクが壊滅しかねないくらい危険だから、そこから遠ざけようと気遣ったか?

 もし肯定するようならふざけんなと言ってやろう。

 

『大きく、強い者が弱く、小さい者を守るというのなら。弱く、小さい者が大きく、強い者の力になりたいと()()()()()()。俺はそう思います。アレはもう少し、アレが思う以上に周囲から思われていることを知るべきだ』

 

 エルキドゥを慕い、その力になりたいと思っているのは俺だけではない。

 シドゥリさんもそうだし、ウルクの民もそうだ。いいや、ガルラ霊たちの中にもエルキドゥを認める声は多い。

 だというのに奴は周囲を気遣い、慈愛を注ぐばかりで自らと友の力を頼むことしかしない。これを身の程知らずと言わず何と言う。

 

『俺は奴よりもはるかに弱く、ちっぽけです。だからこそ奴を助け、そして言ってやりたい』

 

 調子に乗るな、身の程を知れと。

 お前はお前が思う以上に皆から思われているのだからと。

 

「……そう。そうなの」

 

 俺の言葉にそう相槌を打つエレちゃん様の顔は何と評するべきか。

 子の旅立ちを見守る親鳥のような、あるいは可愛がっていた子供を他所に取られたような。

 なんとも優しそうだが、ひどく複雑そうな顔をしていた。

 

「ならばその言葉、友としてあの者へ叩きつけて来なさい。冥府のため、そして友のため、思うように振る舞うがいい」

『勿体無きお言葉!』

 

 冥府のためという一線を超えない限り好きにやれ。

 事実上、今回の事件に関する全権委任だ。まったくエレちゃん様の寛大さにはただ頭を下げる他ない。

 

「我が加護を授けます。冥府の女神の恩寵は例え天の牡牛と言えど突き破れるものではないと、証明してきなさい」

『必ずや! 地上に遭って冥府の威を示して参りまする!』

「ならば征きなさい。我が眷属よ」

『ははーっ!!』

 

 地に額づき、エレちゃん様から授けられる加護を受けとる。

 これまで授かっていた不朽の加護にさらに上乗せられる莫大な力。果たして俺に制御することが叶うか…。不安に思いながらも、表には出さない。あれだけ大きな口を叩いて弱音を吐くなど許されるものか。

 

『征ってまいります』

「ええ、吉報を期待しています」 

 

 最後に一礼し、急ぎ地上へ向かう。

 女神の加護を享け、冥府における俺の権限は更に増大した。

 地の下、あるいは夜に限れば俺は空を翔ける鳥よりもはるかに速く移動できる。

 

(急げ…! グガランナがウルクに辿り着く前に!)

 

 そしてその背をエレちゃん様はじっと見つめていた、らしい。

 

「まったく、もう」

 

 呆れたように。

 あるいは微笑ましいものを見たかのように。

 俺が知らぬところで、エレちゃん様はそう呟いたという。

 

「―――男の子なんだから」

 

 その時、エレちゃん様がどんな顔をしていたのかは、誰にも与り知らぬことだった。

 




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