『おい週刊文秋のあれはなんだ』
『文秋砲キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』
『いや見ての通りだろ? 白雪姫はとっくに九頭竜のものだったってことだろ?』
『あああああ俺たちの白雪姫があああああ』
『四段昇格のご褒美が竜王とデキることだったってか? カーッ羨ましいねぇ!』
『というかあいつロリコンじゃなかったのかよ』
『まぁ九頭竜と白雪姫はそもそも幼馴染以上というか家族というかだもんなぁ、弟子とくっつく方が不自然と言うか』
『>>お前は家族と恋仲になるんか? ん?』
『>>じゃぁお前は血の繋がりがないとわかってる年頃の女子とずっと暮らしてて恋に落ちないと言いきれるのか? ん?』
『>>寧ろ血の繋がりがある方が興奮しますハァハァ』
『>>誰かこいつを捕まえろ』
『今北産業』
『白雪姫 竜王と 熱愛報道』
『>>知ってた速報』
『おいちょっと待て、以前の副題で重複スレ立てたの誰だおい』
いつも買っている週刊誌は、紙面上が大変な騒ぎになっていた。それに追随したかのように、別の先生が開けているスポーツ新聞の一面で踊る文字が否が応にも目に入る。でかでかと描かれた煽り見出しによって、下地にされている写真が際立っている。
『白雪姫、竜王と熱愛』
よくもまぁ、こうも隠し撮りで綺麗に写真を撮れるものだ。保護者という体で、顔を見知った少年の右腕に、アイドル的な有名人の両腕が絡みついて、その上で表情がにへらとだらけている。共におめかしっぽい服装で少し見慣れない感じはするけれど、そもそも隠せていない表情に、被写体が誰であるかは一目瞭然だ。
「こうして見ると、普通の少年少女という感じがするわね……」
別に、これがいっぱしのアイドルだ俳優だ、面識もない殿上人なら気に留めることもなかっただろう。私自身、さしてそういった話題には興味が薄い自覚がある。
しかし、今回ばかりはそうでもない。被写体の二人の内、男の方は直接の面識がある。女の方も、先日町内会のお祭りの際に私のすぐ脇にまで顔を出していた。ここからすぐ近くに住む、勝負師の二人。アイドルかどうかはその世界には何も関係がない。
ふと、職員室を見回すと、それとなくこの記事に注目している先生も多いらしい。それもそうだろう。この二人は、特に男の方は私のクラスで課外授業も受け持ったその人であり、会いに行こうと思えば優に行けてしまうという地の利も相まって、この近所全体の関心毎となってしまう。
ふと、私が受け持つクラスの、一人の少女を思い起こした。10歳にて恐らく規格外の少女。私の手に余るかもわからない、途轍もない能力を秘めているらしい可愛いげのある子。
急に、彼女のことが心配になった。関わりがある以上、やはり彼女には大成してもらいたいという気持ちはある。そして、彼女が落ち着いて過ごせるようにクラスを整えるのは、私の役目だ。彼女が、そのクラスの中で平常でいられないというのならば、その保護者には連絡を取るべきだろう。たとえその彼が、何かしらの渦中の人だったとしても。
だからこれは駄目元だ。残務処理はある程度済ませてあるし、多少翌日に回っても問題はない。明日追加で一時間未満残業すれば終わる話だ。それより、彼女のことを考えるなら、早い方がいい。予定はあるから、時間は区切った上で。
「あ、すみません、明日なんですけど、ちょっと早上がりさせてもらってもいいですか? ええ、ちょっと人に合う用事がありまして」
『白雪姫ガチ恋勢涙目m9(^Д^)プギャー』
『いやまぁアイドルだし? アイドルはみんなのものだし? アイドルの私生活は不可侵だし? 本人が幸せならそれでいいし?』
『>>とりあえず涙拭けよ』
『いやでもみんな白雪姫ガチ恋してただろ!? なぁ!?』
『>>お前の価値観は多夫一妻制かよ……』
『俺は九頭竜とくっついてくれてほっとしたけどな。というか白雪姫に似合う男とか誰がいるんだよ他に』
『>>俺』
『>>鏡見てから言えよ……白雪姫だけに』
『>>審議中』
『というか知り合ってもいない相手とワンチャンあるかもとか考えてるお前らが怖いわ』
『とりあえず明日はクズを付け狙うとするかいっぺん○さないと気が済まねぇ』
『>>通報しました』
「疲れた……」
九頭竜八一は有名人である。我ながらその自覚――が出てきたところだ。弟子のことだ俺自身のタイトルのことだで一時期に比べてメディア露出機会も増えたし、何より俺の周囲の人が有名人が多すぎて、それに引っ張られる形での取材も増えた。
故に、銀子ちゃん程ではないが、俺の顔を知ってる人もそれなりに多い。だから、最近は銀子ちゃん程ではないが、私服の際は変装することが増えた。銀子ちゃんとお揃いに近いような感じの帽子も桂香さんにお願いして買ってきてもらったし、私服で一緒に出かける時はこれでお揃いだ。今日はスーツだけど。
「これ、不可抗力だよね……ふへへ……」
ついつい頬が緩んでしまう。俺が今持つスマホには、ディナーテーブルを挟んで語らう俺と銀子ちゃんの写真があった。
撮られたのはたまたまだ。丁度、他のお客さんで銀婚式を迎えた夫婦がいて、それに併せる形で式場側のカメラマンがいた。広報用にと、全体的な写真を撮っている内に、自然とツーショット写真が出来てしまったという訳だ。差し上げましょうかというご好意を無駄にするのも失礼なので生写真とデータとを頂いて、データはそのまま待ち受けにしている。
こうしてみると、銀子ちゃんの誕生日に神戸デートを出来たのはよかったよなって思う。サン・アンジェリークKOBEでのディナーに、終わってからの観覧車。昼過ぎまで、銀子ちゃんが四段昇格に伴う取材を受けていたから、予定が終わってすぐ電車に飛び乗って、そのままディナーと慌ただしかったのだけど、それでも満喫出来た。本当に満足出来た。
まぁこうして最初からデート入れてたからよかったよね。日付が変わったくらいでね、お泊りになってたけどね、そこで銀子ちゃんとね――。
「――はぁ……」
思わずため息が出る。9日は確かに楽しかった。だからこそ現状との落差にため息が出る。
取材自体は問題なかった。だけど、それを終えてから、取材の後の電車に飛び乗るまでの間に、どうにも週刊誌のカメラマンに二人でいるところを撮られていたらしい。お互い正装だったから隠すのも難しかったし、その上であぁもばっちり顔がわかるように撮られてしまえば正直言い逃れも厳しい。写真に於ける、銀子ちゃんの顔が割と緩んでいたから、尚更。
――あれは銀子ちゃんがよろけそうになってたから、支えてあげていたという側面が大きいんだけどなぁ。
だけど、そんな言い訳は通用するわけがない。個人情報ガン無視の週刊誌にこうもすっぱ抜かれてしまっては、俺たちや将棋連盟が何と言おうと止めることは難しい。現状、世間的にはこの関係がうわさレベルの話でしかないが故に、却って余計な憶測を生んでしまう。
ということで、昨日辺りから、どうにも追っかけが多い。常に誰かに後ろをつけられているという感覚がある。俺ですらこうなのだから、銀子ちゃんはこの比ではないだろう。棋界を代表するアイドルの色恋沙汰なんて、好色家が好みそうなネタだ。せめて学校にいる間だけでも落ち着いていられるといいのだが。
と、そんなことを考えながら将棋会館に着くと、思ってもみなかった意外な人影を見つけた。
「あれ、鐘ヶ坂先生じゃないですか。お世話になっております」
俺が声をかけると、何やら携帯をいじっていた先生がぱっと顔を上げる。
「ご無沙汰しております。九頭竜先生」
ご無沙汰と言っても、一ヶ月も経ってないから、そう久々という感もない。まぁその間に俺は色々なことがあったが。
「九頭竜先生は、お急ぎの用があってこちらへ?」
「いや、そこまでではないです。俺自身の帝位戦第二戦が近いので、ちょっと他の人に構想を聞いてもらおうかと」
半分本当で半分嘘だ。自宅は物々しくて落ち着けないから、静かに検討をするためにこっちに避難してきたというところが大きい。
とはいえ、その内容自体は鐘ヶ坂先生には関係ないはずだ。鐘ヶ坂先生が関係あるとするならば、やはりここはあいのことだろう。
「えっと、あいですか? でもあいはそれこそまだ学校だと思いますが……」
だけど、鐘ヶ坂先生は、俺が想像していなかった答えを返す。
「いえ、九頭竜先生をお待ちしていたのです。ちょっとご相談がありまして」
思ってもいなかった話題の飛び方に俺が目を白黒させる間に、鐘ヶ坂先生はそのまま話を続けた。
「そうですね。お時間は大丈夫ですか? その、雛鶴あいさんに関する話なのですが」
『【トップブリーダー】九頭竜八一スレ1453【史上最強のロリコン】』
『【可愛さも】空銀子応援スレ2374【史上最強】』
『【クズ竜王】九頭竜八一の竜王失冠を信じて鶴を折るスレ1453【史上最強のロリコン】』
『【アイドル独り占め】空銀子と九頭竜八一の離別を期待するスレ13【魔王と白雪姫】』
『【内弟子同士】空銀子と九頭竜八一の進展を生暖かい目で見守るスレ12【幼馴染】』
『【小学生】九頭竜八一の弟子雛鶴あいと夜叉神天衣の行く末を案ずるスレ3【犯罪】』
「すみません、お茶の一つも出せない状況で」
「いえ、大丈夫です。連絡もなしに押し掛けたのはこちらですし」
ランチタイムが終わったトゥエルブは、夜の営業が始まるまで誰もいない。
話す内容が、一人の女流棋士の個人情報に関わりそうだと踏んだ俺は、なんとか頼み込んでスペースをお借りすることが出来た。一応竜王としての賜物かな。いや夏祭りの実行委員を務めたあいの功労か。
「それに、静かな環境をお望みなのは、九頭竜先生こそ、でしょう?」
「――そうですね」
それだけは間違いない。銀子ちゃんはともかく、俺は自宅の場所を割と公開状態にしているのが仇になった。今はあいは師匠の家に避難中だ。俺は今のところ一人でアパートにいるけど、師匠の家か銀子ちゃんのワンルームに行こうとすれば行く準備は整えてある。
正直、帝位戦を前にして、あまり他のことに悠長に時間を使っていられる状況ではない。とはいえ、形式上は自身で蒔いた種だ。だから出来る限り自身で処理しなくてはいけない。祭神雷の時とはもう違うのだ。
「まぁ、差し当たって週刊誌辺りでの報道にも関連してだとは思うのですが」
「そうですね。ただどちらかというと、それはあくまで因果であって、そちらがメインではないですから」
それはそうだろう。先にあいに関してと伝えられているんだ、それが本筋に当たるわけではない。
「参考までに、週刊誌報道は事実でお間違いないのですか? 回答に差し障るようでしたら答えなくて結構ですが」
「事実です」
そこに関しては、はぐらかしちゃいけないなと思った。あいの保護者として、疑わしき関係ではいけないと思ったから。
「お話する機会が出来たら包み隠さず話せればとは思いますが、銀……空とは真剣にお付き合いをさせていただいてます。俺としては、結婚まで至って、ずっと傍に居続けるつもりです」
銀子ちゃんには告白しようとした際に伝えたこと。銀子ちゃん以外には好きな感情を抱けない。
「勿論弟子のことは、それにかまけて放っておくようなことはしません。弟子も指導した上で、俺も空も、勝ちを積み重ねられればと考えております」
それは絶対条件だ。あいを預かるなら、女流棋士のトップクラスに育て上げることは最初に約束をした。今となっては、ともすればそれ以上のことが出来るかもわからない。
「えっと、空さんですか、彼女も高校生でしたら、性行為だとか、ともあれ変なことをしてなければ、目くじらを立てることもありません」
鐘ヶ坂先生としては、それはあくまで軽口のつもりだったのだろう。今までの話の延長線がてら、付き合いを問題視はしないという。
だけど、俺はその言葉に固まる他なかった。俺の脳内が途端に、二日前の夜の幸せな映像の中に閉じ込められる。
日付が変わった、私の誕生日だからと。ともすれば俺も18で、何かあっても俺と結婚出来るようになったからと。
強くなりたいから、俺のこれまでの研究手を見せて、と言って8日から9日にかけて銀子ちゃんのワンルームにお呼ばれして泊まった時。それまでの甘い空気と理性を打ち砕く甘い声と、下着以外の一糸纏わぬ姿で、俺の着ているものを全てするすると脱がし陰部を弄るという物理的な行動に、ダムの如く固く立てていた誓いはもろくも崩れ去った。
あれだけ大好きと囁かれて。あれだけ甘えられて。あれだけもっとと求められて。これまで全然素直になってくれなかったのに。そんな、瞳の奥に様々な感情を湛えながら言われたら。一回だけしていた大人の封じ手をあれだけ積極的に向こうからかまされたら。俺のを上から下まで全て脱がさせきって、最後に俺の手を動かすようにして下着を外させられたらと。
「――ま、まぁ避妊してるなら、年頃ですし、そうおかしくはないですし。そこまで目を立てることもないです」
本当に一糸もなかったのだ。もっと言えば、そこはラブホテルではなくて、俺も事前に要るものを仕入れておいてなかったから、備えておくべきものもなくて。その二人の繋がりに、人工物は何一つとしてなかった。
だけど、途中からとにかく銀子ちゃんを名実共に俺のものにしたくなっていた。プロにさえなれれば、極論高校を辞めても問題ないとは銀子ちゃんも以前言っていた。子供も最低二人は欲しいと二人して口にしている。家もある。金もある。それならば、何も我慢する必要なんてなくて。
「――ほぅ、だんまりですか」
記憶に残るのは、朱に染まった白い素肌と、破瓜の赤と、それを内側から汚した白い液と。二人して熱病に浮かされていて、出会った時よりは確実に成長したあの柔肌に、俺と言う刻印を嫌というほど刻み込んだ。
俺も銀子ちゃんも、生まれたままの姿で、お互いの身体の隅から隅までを五感全てで味わって、一緒に行き着くところまで辿り着いた時は、口元から足先まで、全身が限りなく一つになっていて。そして若さ故の有り余る体力で、二回も三回もしてしまって。三回目が終わるが早いか、そのまま二人して気絶してしまって――。
「もしもし? ポリスメン?」
らめええええええ! ほんとにお縄になっちゃううううううう!
「――いや、ほんと先生、このことはご内密にお願いします……いやほんとすみません……」
俺は法改正したら成人になるような齢で、銀子ちゃんは未成年。それを抜きにしても、いくら俺が棋界最高峰タイトルの一つ竜王を所持するからといって、棋界を代表するアイドル白雪姫に最後まで手を出したなんて広まったら、流石にその内どこかで刺される。
いや銀子ちゃんと付き合えるかとかいう、何かステータスみたいなものがあったとして、よくよく考えれば、自慢じゃないが俺に勝てる人なんてそうそういない。とはいえ、付き合い始めたということが公に出来てない内は、誰が何と言おうと『棋界のアイドル』であり、そういう点で共有財産的な節があるから、そういった意味でまずい。
誘惑したのは銀子ちゃんからだった。それでも、事実が公になったとして、世間はそれを信じないだろう。だからこそ、今だけは俺は頭を下げ続けるしかない。
「ゴホン! まぁ、明らかに年齢が離れてる中での淫らかな関係ではないですし、節度を持てば私は何も言わないでおきましょう……小学生『との』恋愛は厳禁としか私も言ってないですし、これなら九頭竜先生の恋愛が小学生に向くこともないでしょうし」
ひでぇ言われようだ。でも多分今言われてることはそんなことじゃない。
「ですけど! 避妊はしなさい!」
「返す言葉もありません……」
そりゃ銀子ちゃんが望んだことだし。俺の理性が崩壊しちゃったというのもあるけど。世間的にはそんな言い訳通用なんてしない。
テーブルに肘をついて、頭を押さえつつ、どうにかして口を開く。流石に今は鐘ヶ坂先生の顔を見ていられるような状況でもない。
「まぁ、ここまで来たら言い逃れ出来ないのと、鐘ヶ坂先生はその辺り信用出来ると思うのでお話ししますけど、週刊誌報道の写真、空が俺の所為で万全ではない状態だったんですよね。だから、まぁ一人の時は隠し通せたみたいなんですけど、本当は少し歩くのも覚束なくて、俺が隣にいる時は常に腕を組むような感じになってたんですね。で、惚気覚悟で言うと、その時の空の顔がまぁ安心しきってまして。丁度そこを撮られたみたいなんですよね……」
「まぁ、確かにあの表情は、恋人に見せるそれですよね。そこはわかります」
ひとまずの同意を得られて落ち着く。この先生は、とにかくまずは話を聞いてくれる。その上で判断をしてもらえるから、よくも悪くも公平だ。印象論で話を進めることがない辺り、先生とは流石だなと感じる。
まぁ正直、あの時の銀子ちゃんの表情、本当に素直で、いつもそうじゃなかったから余計にクるものがあったんだけど……ということを口にすると余計なことを言われかねないから、それは置いとくとしよう。
「というより、関係者の皆さんは何か言ってないんですか?」
「えっと……いや、行くところまで行った話はバレてないはずですよ? 多分……」
「そうじゃなくて、お二人のお付き合いのことに関してです」
そのことならまだ話が早い。とは言ったものの。
「それが……お恥ずかしい話なんですが、みんなやっとくっついたかというような反応ばかりでして……時には今更かよと言われる始末でして……。一時将来の嫁は内弟子だとか勝手に言われてたこともありましたけど、俺としては空一筋だったので。惚気っぽいですけどこれはこれ以外に答えようがないので」
正直、あそこまで、ですよねとか、やっとかとかいう空気を醸し出されるとは思ってもみなかった。反対されないに越したことはないが、だけど全員が全員、わかっているという空気を出されるのも、それはそれとして癪なところがある。
「なのでまぁ、なんというか、仮に今後弟子に迫られてみたいなのがすっぱ抜かれても、その気は起こさないので、目くじら立てないでいただけると助かります……ないのが一番ですが」
だから、今はこう答える他にない。
「えっと、すみません、話が脱線しすぎました。それで……あいのことですか? 何か学校であったんですか? でも俺にも関係することですか……」
本題を話そうとして俺から切り出すと、何やら鐘ヶ坂先生が神妙な顔になる。
「ええっと……雛鶴さんとは、内弟子として今もお二人で生活されているのですよね?」
「そうですね。二人暮らしです。時折俺が外泊となった際は、基本的に俺の師匠である清滝鋼介の家に泊まらせてます」
だから、8日の晩も師匠の家に泊まらせた。一夜を小学生一人にするのは怖いし、あいも桂香さんに懐いているし、問題自体はなかったはずだ。
「端的に言いますと。雛鶴さんが最近学校で兎角元気がなくてですね」
「あいが……ですか?」
「その反応を見る限り、自宅では空元気を振りまいている、ということですか? いやこの質問は答えづらいですよね」
あいが……目に余るほど元気がない? 家ではいつもと変わらない様子で俺の世話をしてくれているぞ?
帰ってきて、詰将棋をして、研究手の検討に付き合ってもらって。将棋と、ご飯と、風呂と。一般的とはいいがたいかもしれないが、だけど必要なものは揃っている生活。
これで一年半やってきた。この生活を崩すなんて、今となっては考えられない。だけどどこかで終わりがあるだろう生活。もしかしたらそれが明日になるかもわからなくて。
「さて、ロリコ……先生はどうお考えで?」
「今ロリコンって言い掛けましたよね?」
「すみませんつい本音が出かけました」
「まずは否定してくださいよぉ!?」
「すみません脱線しました」
「誰のせいですか……まぁともあれ、あいがですか……」
「今ご自宅では、どのような?」
「変わらないんですよ。『これまでと変わらずいつも通りに』接してくれています」
「変わらず、ですか……」
鐘ヶ坂先生が、少しだけ考える素振りを見せる。だけどすぐにそれをやめて、改めて俺の方に向き直った。
「確かに、私のクラスでも、色恋沙汰がどうだとかありますし、現時点でクラスメート同士で付き合っているという話もありますし、女子を中心に、だいぶその手の話題が出やすくなっているのは事実です」
それを言われると、どうしても思い出してしまう子が一人。美羽ちゃん、だったか。
「あいと仲良くしてくれてる女子が、以前年上男性を落とすというような雑誌を持ってきていたことがあって、その子の影響は多分に受けてるとは思うんですが、でもあいの様子を見る限り、煽られてというわけでもなさそうなんですよね……」
あの子も彼氏だとかいるのだろうか。もしかしたらいるのかもしれない。澪ちゃんや綾乃ちゃんだって、ともすれば好きな人、又は誰かに想いを寄せられてるのかもわからない。
でも……このくらいの頃は、俺にはまだ愛だ恋だわからなくて、それでも銀子ちゃんのことは特別には思ってたんだよな……。
「まぁ……最近の小学生は、明らかに以前より『ませて』ますよね。だから、そういう意味では、小学生が誰かに恋愛感情を持つこと、そのものに関しては、もうおかしくはないのだろうと、私の方でも割り切ることにしました。大事なことは、その行く先が、小学生を食い物にするような人に向かってはいけない、ということですから、同級生同士みたいな、すぐにお金や性が絡むことのなさそうなお付き合いは、黙認することにしています」
うん、確かに今みたいな『好き』ではなかった。それでも、幼心ながらの『好き』で、それはあの頃だけの特別なものだったんだ。それは、今こうやって関係が変えられたからこそわかる。そしてこの頃の『好き』はもう戻ってくることはない。
「だから……すみません」
「と、申しますと?」
「以前の私の発言を撤回しようかと。雛鶴さんに限ってなら、九頭竜先生とお付き合いという話になっても、大事にはならないだろうと、改めて考えて思いました」
「――お金は寧ろそればかりですし、場合によっては性も絡みそうですけど……?」
「だからですかね。お金は勝ち負けという圧倒的なわかりやすさと、勝負師の世界という、時には生死がかかるからこそかなと。勿論性の方は今のところ言語道断ですが、七歳差というのが問題ではなく、実年齢が問題なだけなので、あと十年くらい経ったなら、白い目で見られることもないでしょうし」
それは、鐘ヶ坂先生なりの譲歩なのだろう。鐘ヶ坂先生としては、そこまで俺とあいの関係を認めてくれたというつもりなのだと思う。
対して、俺の気持ちはどうにも複雑だった。俺が認めてほしいのは、あいとの師弟関係で、そういった恋愛沙汰にまつわる話ではない。もう認めてもらっているから、何もそれ以上は望んでいなかったのだけど。
「まぁ、そういう話を出そうと思ったのも、報道の内容が事実であるとすぐに認めたからというのもあるのですけどね。少なくとも、そういったことに関しては誠実であるとわかりましたから」
「どうなんでしょうね……。俺としては、空とは末永く一緒にいたいとは思ってはいますが……」
「そうですね。まぁ、今は考えない、考えたくないでしょうけど、仮に破局だとか、もしくは事件事故または病気でどちらかが死別するだとか、何らかの理由でその関係を解消するようなことになった場合も、誰がどう言おうとないとは断言できません。そしてその際に影響がどれだけあるかもわかりませんが、身の振り方一つで人間関係なんて容易く変わるということは、頭に入れておいてください」
鐘ヶ坂先生はそういう経験があるのだろうか? ただ単にあるかもわからない可能性を示唆しただけ? 俺自身がまだ大人にはなりきれていないと思うからこそ、鐘ヶ坂先生の真意を測りかねている。
俺としては、そういったもしもは考えたくないのが本音だ。だって、そのもしもがあるとするならば、それはきっと――。
「え、えっと、じゃぁ、一つ俺から相談、いいですか?」
このことは考えるのをやめよう。そんなことは、せめて今は考えたくないから。
そして、その上で、第三者視点で聞いて欲しいことが一つだけ。身の振り方一つで変わってしまいそうな、現在進行形の事柄について。
「どうぞ」
「あいとは別の、俺のもう一人の弟子なんですが――」
これも俺一人で抱えるには大きすぎる。だけど身の回りの人には中々相談出来なかったこと。誰かに中立な立場で聞いて欲しかったこと。
「――まぁ……同じ理屈なんでしょうかね。彼女のことを、生徒としては存じ上げないので、言及は控えますが、雛鶴さんと同様、頼れるからこそ、というのはあるんかもわかりませんね……」
そして聞き終わった鐘ヶ坂先生は、教師であるからが故か、存じ上げない人物への明言は避けた。
「九頭竜先生は、その彼女と、お付き合いするつもりはないんですよね?」
「それは、はい、そうですね。あいと同様、師匠と弟子という関係のみで終わらせます」
「それを聞いて安心しました」
「そもそも付き合い始めの彼女がいて、早速不倫なんて、する気があるかとか抜きにして色々とまずいでしょう」
「――それもそうですね」
「彼女持ちが浮気だなんて、ただでさえ心象悪いのに、付き合い始めでそれをする人は流石に猛者ですよ」
「確かに公式発表はまだなんですよね……週刊誌報道で騒がれすぎて、てっきり既に発表済みというような錯覚を覚えさせられます」
それは俺も感じるところだった。自身が当事者なはずなのに、こうも渦中だと、どうにも別の誰かのことのように思えてしまう。
「ところで、本当に何も変わってないんですか?」
「本当に、とは?」
なんだろう、詰みを見落として、逆に詰まされに行かせられた時のような冷たい心地がする。とても大事なことに気付かず、そしてこの手から勝利が滑り落ちるかのような。
「雛鶴さんや、天衣さんですか? と、そういうことがあって、その後だけではなく、その前に変化があったということも、ないんですか?」
天衣は本当に奇襲で、毎日顔を合わすわけでもないから、実際どうだったかはわからない。その前後で、これという変化はなかったはずだ。
あいは、少なくとも、後の方は変わりがなかった。だけどその前、は――。
「ありま、した……」
綺麗な寝間着。俺のシャツを着たあい。銀子ちゃんと同じような視線で俺を見るあい。マッサージも自宅の掃除も料理も、いつも以上に手間暇かけて行われて。
――そうか。あの後。全てが『今まで通り』すぎたんだ。
俺と添い寝して、俺が帝位戦の第一戦に赴くまで。あの間だけは、きっとあいとしても一歩がそれ以上にスキンシップを多くしようとしていたのだと、今になって気付いた。
天衣が角のように死角から奇襲するかの如く銀子ちゃんから俺を奪うと宣言したのとは対極で。あいはひたすらに俺の傍に居続けて、細かい行動を積み重ねて、自分という歩を『と金』にしたかった。だけど俺と言う王将、いやチェスのキングには、既に圧倒的強さを誇るクイーンが隣にいて、俺もそんなクイーンにずっと惚れていたんだ。
そして、あいの行動は元に戻った。戻ってしまったんだ。関係を元に戻すような素振りを見せて、実際は戻れない亀裂を包み隠して。
思えば、8日の晩、泊まらせに行かせた時も、少しだけ、そうほんの少しだけ物憂げな表情をしていた。きっと俺よりも、何をしでかすかという想像がついていたのだろう。
そして、それ程までに。
「俺のと関係を進展させたかったのか……あいは……」
年の差なんて関係なく、ただ想い人との仲を深めたかったと。例えどんな手を使ってでも。そして、俺はそれ程までに想われていたと。
「――こうお尋ねすると失礼ですけど、どんなお気持ちですか?」
「――鐘ヶ坂先生もご存じの通り、本当にいい子なんですよ。人懐っこくて、誰からも好かれて、色々なことが得意で、俺の生活も全面的にバックアップしてくれる。どこに出しても恥ずかしくない。師匠と弟子は名実共に親子なんですけど、その理屈に則れば、あいは自慢の娘ですよ、本当に」
でも、父と娘は恋愛出来ない。なのに娘は父に恋してしまった。これを不幸と呼ばずになんと呼ぼう。
「だから、本当にありがとうございます」
だから、俺が出来ることは、俺と共にあいを見てくれている大人への感謝を示すことのみ。
「何がですか?」
「正直、最初は前任の先生が変わって、どうなるか不安だったんです。その先生は、あいが将棋を指すことに関して、よく理解してくれていましたから」
あのおじいちゃん先生は、今でもいい先生だったと言える。転校したてのあいがすぐに懐いて、そして学校にも棋戦がある時の対応などを取り計らってくれた。
「課外授業を持たせてもらうまで、本当に信頼されてるのか、ただ倫理観に則っただけの、というと失礼ですが、どうにもお堅いだけのように感じることもありまして。俺から信頼、というより担任ですから、まぁお任せするしかなかったですが、状況とも相まって俺が信頼されてないよなとやはり思うところもあって」
多少俺の自業自得な面もあっただろう。ただ、何より時代が内弟子を取るということが少ないというのは大きく、尚且つ俺が若すぎた。師匠と俺の年の差みたいなのだったら、あまり言われることも少なかったのだろうけど、こればかりは仕方がない。
「でも、落ち込んでるのを見かねて、わざわざ俺のところにまで相談に来てくれるなんて、俺を信頼してくれてるのがわかって嬉しかったです。何より誰が見てもいい先生ですよ。あいは本当に先生に恵まれてるなぁって」
そしてこれだけは、素直な本心だ。立場を抜きにして付き合うとするならば、寧ろ苦手かもしれない。だけど、置かれた立場を明確にした上でやり取りを交わすのならば、誠実で、これ程やりやすい相手もいない。
「九頭竜先生は、何か教師の理解で困った経験がおありのように見受けられるのですが、あったんですか?」
「あぁいや、先生と言うか、俺がかつて行ってた中学校がどうにも理解を中々してくれなくてですね……。だから、俺が高校に進学しなかったのはその際の経験が大きいですね。空もその中学は結果的に避けましたし、あいが進学する時も避けさせるつもりです。まぁ公立ですから、俺がいた時とは先生の入れ替えで変わってるでしょうし、現状でもあいの知名度なら行かせても理解出来ないということはないでしょうが……。順当に行けば、挑戦中の女流名跡も含めて、何かしらタイトルを取れるかもわかりませんし……」
そもそも、あいにタイトルを取らせなければ、あいのお母さんにしばかれてしまう。というよりそういえば約束がご破算になってないはずだから、石川に連れてかれてあいと籍を入れさせられ旅館の主人修行だ。俺が将棋に集中するために、これだけは意地でもやらせないといけない。
「あの……雛鶴さんは、それほどお強いのでしょうか……?」
「強いですね」
改めて同じ人に、同じ返答をする。本当に、どれ程強調しても、こればかりはしすぎることもない。
「鐘ヶ坂先生もご存じかもしれませんが、本当にあいは規格外なんですよ。将棋を初めてまだ一年半ぐらいしか経ってない。もしかしたら自身の才と少しの努力だけで先日うちの空が成し遂げた同じ土俵に立てるかもわからない。それくらいの逸材です」
天衣だって天才だろう。だけどその裏にある圧倒的な努力があったからこそ、今こうしていられている側面は大きい。銀子ちゃんも、そういう意味ではどちらかというと天衣と同じタイプだ。
それを考えてしまうと。あいの才能は俺でも怖気づいてしまう程のものだ。どうして今まで誰も気づかなかったのかというレベル。銀子ちゃんに続いて、あいと天衣も合わせれば、本当に女流棋士制の廃止など、想像もつかなかった変化が起こるかもわからない。
そしてあいは、それに加えて。
「何より心が強い。だからこそ、その心を休ませられる場所として、学校には信頼を置かせていただいているのです、が……」
――そうだ。その心の強いあいが、学校ではこうも落ち込んでいるから、今こうやって相談に来てもらっているんだ。俺が思い返しても、あいが心を折られたという状況に出くわしたことがない。だからこそ、この話を聞いて、俺も困惑しているわけで。
結局、現時点で行き着くところは。
「本当に、わからないんですよね。この状況も初めてで、だから今はまだ困惑の最中、というところです」
「まぁ、そう答えるしかないですよね」
「未だに俺も手探りで、だけど方針が見えてきたところでこれだったので。あいを傷つけず、だけど空との関係を認めてもらいたく、且つ師匠と弟子の関係を綺麗に継続できるか、悩み続けていることだけでもご理解いただければと」
「――お気持ちは理解、しようと務めます」
そう語る鐘ヶ坂先生の瞳は、あいが岳滅鬼さんと戦って勝った後の時のように、怖れが混じっていた。
――そうだよな。多分これが普通の反応だろう。銀子ちゃんからあだ名の話を聞いて、俺がそう見られていると知って。俺は俺が普通であると思うことをやめることにした。鐘ヶ坂先生は、恐らく最初からそうだったのだろう。
「さて、押し掛けておきながらすみません、私も仕事の処理があるので、この辺りでお暇させていただこうかと」
「あ、わかりました。すみませんわざわざご足労頂いて」
「いえ、雛鶴さんは小学校の宝ですし、何も憂うことなく通ってきて欲しいですから。そしてそのためには九頭竜先生のご協力が欠かせませんので」
結局、鐘ヶ坂先生は、あくまで教員としての姿勢を崩さなかった。だけど、その中でクラスのことを真剣に考え、あい一人のためにわざわざ俺と話をしに来るのは、率直に言えば普通じゃない。普通じゃないのだけど、とてもあいのことを考えてくれているのがわかるのは、素直に嬉しかった。
「私も、一度は認めた内弟子の約束を、反故にはしたくないですから」
だから、俺も可能な限り誠実に答えたつもりだ。せめて、あいに関することだけは、あいのためになるようにと。
そして鐘ヶ坂先生を見送ると、途端に疲れが出た。守衛さんに声をかけ、裏口の方へと回り込んで、壁にもたれかかる。
「言えるわけねぇよ……俺に恋されてて、俺の所為で叶わないとわかってるのに、人伝手であっても俺の口から何か言うことなんてよ……」
自分でもつまらない見栄だと思う。自分の恋愛相談する分にはまだいい。だけど、自分に恋されているとわかっていて、その上で振らなければいけないこともわかっている、落ち込む相手のことを、自分から元気出せよというようなことはとてもじゃないが言えない。言うにしたって直接だ。そしてそれは、誰を介してもいけない。
でも、あいのことを考えてるように見せかけて、結局は自身の保身だ。それに走ってしまった自分にほとほと嫌気がさす。
「俺って、本当に将棋しかないよなぁ……」
銀子ちゃん程じゃないけど、俺だって人よりコミュ力があるとは思ってない。それも含めて、将棋と出会わなかった俺が、真っ当な人生を歩んでいたかと尋ねられれば、正直あまりそうと思えないのも事実だ。
俺と銀子ちゃんは、将棋がなければ出会わなかった。そして、俺とあいも、将棋がなければ出会わなかった。勿論、天衣とも。
どうしてそんな基本的なことも忘れていたのだろう。師匠に出会ってからの俺の人間関係は、全て将棋で繋がったものだというのに。
俺と銀子ちゃんが将棋で結ばれたというのなら。あいが、そして天衣が俺に恋したのも将棋によってだ。俺たちは将棋に依らないと人に恋することも出来やしない。
あいと天衣のことはすぐには解決出来るようなものではないということは、鐘ヶ坂先生も理解してくれたはずだ。時間が解決してくれるかもわからない。死ぬまで解決しないかもしれない。だけど、先延ばしにはしないようにすることだけは、心に決める必要がある。
勿論、本当は急がなければいけないだろう。だけど、まだ世間的には曖昧なことがあるから、落ち着かないという側面もあるかもしれない。そしてその状況は、何より俺と銀子ちゃんが落ち着いていられない。
そうすると、今すぐにでもやるべきことは一つだけだ。どうにかして会長か男鹿さんの予定だけでも確保しなければならない。連盟も騒ぎが大きくなる前に収束させたいだろうから、二つ返事で手伝ってくれるだろう。
銀子ちゃんとは、必然的にテーブルも盤も挟まないツーショットになる。だけど背に腹は代えられない。
「――まぁ、すっぱ抜きの写真の時点でもう撮られたようなもんか……正直あの写真欲しいと思ってる自分がいるしな……」
登録していなかったがために、通話履歴にある番号とその時の会話を思い出して、その内の一つに電話をかける。あれは銀子ちゃんが包丁を持ってた直後だったから――よかった、合ってた。
「あ、もしもし会長ですか? ええ、すみません、急ですみません、お願いがあるんですが、はい、ええ、その件に関してです――」
そしてその依頼の通話を終えて、またすぐに別の番号へと電話をかける。
こちらは簡単だ。お気に入り登録はしてあるけど、それよりダイヤルで打った方が早い。記憶の面でも、俺の番号よりすぐに出る。
俺自身の番号よりすぐに番号が浮かぶ人――俺の弟子二人、ではない。意外と電話をかけることがなく、大概メール代わりのメッセージアプリで終わらせてしまうから、番号自体はすっとは出てこない。
だから、すぐに浮かぶのは、メッセージアプリも電話も他の人以上にするただ一人、俺の大切な――。
「あ、銀子ちゃん? 学校終わった? 将棋会館ってその足で来れる? ほら、例の話のさ、そうそう、うん、そうだね、出待ちには気を付けて。あぁそうだね、じゃぁこちらでタクシー手配するよ――」
『【速報】白雪姫、公式に竜王との婚約を発表』
『>>婚約じゃねーよホセ』
『でもあれ実質婚約会見みたいなもんだろ』
『俺たちの白雪姫があああああ』
『ほんと竜王タヒね』
『>>お前は女性初のプロに対して現在二冠のチャンスという史上最年少タイトル保持者並みに釣り合う人間なんだな? ん?』
『というか棋界じゃ竜王と白雪姫、未だにくっついてなかったのかよって声ばかりって話だぜ』
『いっつもずっとイチャコラしてたって話だろ?』
『俺中の人だけど、正月の時に白雪姫が九頭竜のアレを上と下とで咥えてたという話かとかなんとか』
『>>何それkwsk』
『>>やっぱ九頭竜○すしかねぇ』
『俺も現場にいたけどあれ即否定してたしそもそもその頃竜王と白雪姫関係微妙な時期だったぞ』
『>>いや待ってその話何』
『九頭竜と白雪姫って内弟子時代からの幼馴染なんだっけ?』
『そうそう、昔はどこ行くにも二人手繋いでたようだし』
『>>そりゃどんな白雪姫ガチ恋勢も勝てるわけないですわはーいお疲れ様でした』
『ところで拾いもんの動画だけど、この時の竜王はなんだったの?』
『>>たまよんの巨乳ガン見ですやん』
『こん時九頭竜と白雪姫が二人で大盤解説やってたんだっけ?』
『金髪ロリにチューされて通報しますたで埋め尽くされた時のだ! なっついなぁ』
『というかこん時あいちゃん天ちゃんいたんだっけ?』
『>>金髪ロリチューで意識がぶっ飛んでたか、かわいそうに』
『弟子二人はこの直後から頭角表現わしてきたんだよな』
『あーあいちゃんにイカちゃん負かされたのってこの直後だっけ』
『これまだ一年ちょっと前なんだよなぁ』
『ほいこれが竜王就位式の花束贈呈の写真』
『>>これは魔王化待ったなし』
『JS弟子二人と当時JCの白雪姫侍らせてたとかやっぱ犯罪だわwww』
『>>JSを内弟子にしてる時点でry』
『>>JS側から押し掛ける分にはセーフ(?』
『まぁ竜王防衛ならこの図ぐらい許されるやろ』
『あぁそういや九頭竜まだ18か! 魔王と化して十年ぐらい居座ってる気がしてたわ』
『>>それでも七つ下のまだJSを内弟子に取るって……』
『ところで竜王と白雪姫って何年来の付き合いなんだっけ?』
『公式発表では竜王6歳白雪姫4歳からだから12年とか』
『昨年のマイナビは九頭竜が出ることを条件に白雪姫が解説を引き受けたとのこと。尚同様の事例多数』
『>>昨年マイナビって休憩時間に入った途端白雪姫が竜王どっか密室に連れてってたけど』
『>>マジかよシッポリムフフしてたともわからんのかよ』
『他にも、その直前の原宿でおめかしした白雪姫を竜王がエスコートしてたり、真冬の道頓堀で腕組んで歩いてるのが目撃されてたり』
『寧ろそれで付き合ってなかったのかよ……』
『ところで魔王って何?』
『九頭竜のあだ名。強すぎてこれからの将棋界をずっと支配するだろうからその名が付いた』
『いやその前にゴッドコルドレンが光の聖騎士とか名乗って、それに相対するような形で付いた奴だろ』
『ゴッドコルドレンって神鍋か。次の名人も本来なら全てを差し置いて注目されるべき逸材なはずなんだがなぁ。九頭竜がなぁ……』
『あれは間違いなく即C級1組抜けますわ』
『白雪姫は順位戦はどこまで持ちこたえるかね』
『いやいや、椚もだけど、あれは普通に即抜けしてもおかしくねーぞ。奨励会一期で抜ける奴が弱いってか? ん?』
『三段リーグで白雪姫と当たったけど、あれはなんなんだ、マジでつえーわ』
『まぁどっかで昇級はすんだろ、俺は詳しいんだ』
『しっかし個人スレと違って、こっちは平和な方だな、まとめの民度はやべーってのに』
『いや反対したところでどうなるっていうんだよ』
『まぁなんつーかあれだな。白雪姫の相手竜王なら、経歴と相まって似合わないという話は出ようがないだろ』
『どっちかっつーと白雪姫が竜王にべた惚れっぽいけどな』
『まぁどっちでもいいけど、竜王は弟子がいるからともかく、白雪姫は竜王じゃなければ誰ならいいんだの世界だから、まぁ妥当じゃねーの』
『同歩』
『十二年来の幼馴染同士の恋愛とかほんとおいしいれす^q^』
『>>おいヤベー奴が来たぞ』
『>>は、お前らにはこの尊さが理解出来ねぇのかよ』
『それよりナチュラルに小学生が恋愛対象だろってなってるお前らがこえーよ……』
『天ちゃんが師匠と何もないならこれからもペロペロ出来るねペロペロ』
『>>おまわりさんこの人です』
『久々に将棋界が将棋以外の話題で盛り上がってるな』
『>>本来そういうもんだろ白雪姫の人気がおかしいんだよ』
『今北産業』
『白雪姫 竜王と 婚約発表』
『>>結局そこに落ち着くのかよ』
夜のインターネットは大盛り上がりであった。知っている人がその渦中にいるという状況は、なんだかんだ初めてだと思う。
大型掲示板の専用スレッドが一晩でPart4まで伸びた。SNSのトレンドは勿論国内一位。将棋界を超えたアイドルの恋愛模様に、日本中から注目が集まっている。
将棋連盟のホームページに於いて突如公開されたビデオレター。『週刊誌報道につきまして』と題されたその中身は、週刊誌ですっぱ抜かれた内容を、本人らが直接ほぼ全面的に認めるものであった。
数日前に北海道で大地震があったばかりだというのに、こういうエンターテイメント的なネタでバラエティーが盛り上がる辺り、平和ボケしているようにも思う。
『それで、こちらが将棋連盟のホームページで公開されてるビデオレターですね、ちょっと見てみましょう』
そして、昼休みの職員室にて民放を映しているテレビも、早速それに乗じている。大阪の一組の少年少女の恋愛模様に、在京民放がこれぞとばかりに乗っかっている。
『第三十期竜王、九頭竜八一です』
『四段、空銀子です』
そしてそこからのテレビでの放映は、バラエティー映えする場面のみを映し、その上でスタジオでのパネルで解説が行われた。
曰く、週刊誌報道はほぼ事実であること。曰く、内弟子として十二年来の付き合いもとい家族であること。曰く、共に思春期の時点で好きだったこと。曰く、空がプロに上がれたのを機に想いを伝えたこと。曰く、交際自体は結婚も見据えて真剣に行いたいとのこと。曰く、空はまだ高校生なため、空の高校生活への支障がないようにお願いすること。
要約すると、白雪姫のネームバリューぐらいしか知らない人でも一から十までわかるように、前提条件からこれまでの関係性、今後の考えからお願いまでを端的にまとめていた。どうにも、深読みしなくとも、割柏惚気が混ざっていたようにも思うが、そこは若者故のというところだろう。
ともあれ、それが、彼なりのけじめのつけ方なのだろうと思った。雛鶴さんのことは、何も解決していない。今日も雛鶴さんは昨日までの落ち込んだ様子からは変わらなかった。時間が解決してくれるかもわからないが、恐らく数日で好転するようなことはないだろう。
彼が雛鶴さんにちゃんと説明したのかはわからない。恐らくはしたのだろう。した上で、あの状況なのだろう。だとすると、彼から出来ることはもう何もないはずだ。
「小学生に背負わせるには酷よね……いやでも最近の小学生はませてるから……」
雛鶴さんは、同年代の中では大人な方だろう。それが故に、同級生よりも多くのものが見えてしまっているのかもしれない。そして、雛鶴さんはそれに見合う活躍をしているのも、また事実であるらしい。
それは精神的なことも、将棋のことも。9歳児が石川県から単身で九頭竜先生の家に押し掛けて、そのまま内弟子になって。そして将棋を初めて一年も経たずに女流棋士になってしまった。九頭竜先生の話を統合すれば、ともすれば、現時点で私の稼ぎすら越しているかもわからない。
それを取り巻く環境も強烈だ。師匠は最年少タイトル保持者。自身の妹弟子も同い年で歩調を合わせるように若くして女流棋士になった。そして一門の叔母は女性初のプロ棋士。
これが普通なのだろうか? いや、そんなことはないはずだ。だけど、私が期せずしてそういう人にばかり出会っているのだとするならば、それは実に恐ろしいことだ。単純に私の中の常識がねじ曲がってしまっていることだから。
たまたま、私はそんな人たちとばかり知り合ってしまった。とするならば、水越さんへの対応も、雛鶴さんへのそれと、また違ったものにすべきだったのかもしれない。
「私が業界を知らなさすぎるだけなのかしらね……」
それでも。やっぱり、私は恐ろしいものの片鱗に触れてしまった。どんなに教育者の矜持があったとしても、私如きでは到底指導することの出来ない次元の人。
九頭竜先生も空先生も、雛鶴さんまで、きっとみんながみんな形而上の存在なのだろう。勿論彼も彼女も実在はしている。だけど、それを踏まえてもそう思わずにはいられない。
私用携帯でネットの掲示板を開いてみる。将棋関係の板、九頭竜先生の板、空先生の板にとどまらず、時事ネタを話すような雑多な板まで、その殆どで二人の交際のことでもちきりだった。
――まぁ、私もこういうところを覗く時点で彼らと同類か。
誰にも聞かせられないその自嘲は、多分ネットの海を漂う書き込みのどれかには反応するのだろう。同じことを想いながら書き込みをする人は他にもいるはずだ。
個人情報は勿論漏らさず。自分が何らかでも関係しているとは露ほども思わせないように。
そして私は手慣れた手つきでそれを打ち込む。アップロードされて、画面に打ち込んだ文字が現れた。
『ま、お似合いなんじゃねーの、だってあいつら、共に人類超越してるもん』