Vtuberの中の人!@ゲーム実況編   作:茶鹿秀太

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真っ黒です

その日のうちに、南森は大野を引きずってサーシャの家に連れて行こうとしていた。

 

「ね、ねぇ南森さん!? 走らないで! まだ靴はけてない!」

 

「えー!? お願いします! 早く行きましょう早く!」

 

「はは、……どうしてこうなった」

 

何故か大野は訳の分からないといった表情で、暗く沈んでいた。

 

屋上に連れて行ったとき、大野は少し顔を赤らめていたが話が進むにつれ、

 

「……ダンス、かぁ。……そっち目当てかぁ……」と涙を流していた。

 

その真意は分からないが、大野は話を真剣に聞いてみたいと乗ってくれたのだ。

 

「大野君、本当にいい人だなぁ。ね、魚里さん!」

 

「……はは。私もついていけねーけどねぇ」

 

魚里は呆れた表情で、ノートパソコンを仕舞わずに腕に抱えて持っていた。

 

「だって、自分のことのようにすごい共感してくれてるんだなぁって思うんだ」

 

南森には見えていた。

 

普段視界にあまり入らない大野の胸元は、ずっと真っ赤に燃え盛るようだった。

 

情熱を人にしたら大野の姿をとるに違いないと思わせるほど、彼は情熱の赤に染まっているのだから。

 

ちなみに、魚里も赤く燃えている。しかし、なんとなくその赤は激しすぎて、繭崎に対する怒りも含まれているのかもしれないと推測出来た。

 

繭崎はどうだったろうか、と南森はふと考えを巡らせる。

 

南森から見た最近の繭崎は、焦りも、喜びも、理不尽も、楽しさもごちゃ混ぜのカラフルな色で、何を考えているのか分からない。

 

ただ、胸の中央にほくろのような黒い点が少し気になる程度で。

 

(色がどんな感情を正確に表しているのか、私にはわからないけれど……)

 

全力だ。

 

みんな、ベストを尽くしている。

 

なら、自分もベストを尽くさなければ、絶対にダメだとこぶしを握り締める。

 

「行きましょう! 繭崎さんのところへ!!」

 

 

 

 

 

「……君が南森が見つけたtiktokのインフルエンサー? ダンスの」

 

「は、はい。大野流星です。……」

 

大野は名前を名乗った後、ぼそっと誰にも聞こえない声で、「眉毛濃いな」と呟いた。

 

「ちょっと踊って」

 

「え?」

 

「……出来ない?」

 

「いえ、出来ますけど……室内ですよ? しかも内職の方のオフィスで」

 

「……」

 

「……わかりました。小さい動きのやつやりますね」

 

そう言って、大野が小さい動きで迷惑をかけない程度に足と手を動かす。

 

「わ、すごい」

 

南森が手を合わせて笑顔を浮かべる。

 

「シャッフルダンスだ。曲が映えるやつ」

 

魚里が感心するように解説した。南森もそれを聞いて、「すごい、キレもあってかっこいい」と呟いた。

 

同時に、「私、こんなのやったことないからかもしれないけど、誰でもやれるダンスって感じじゃなくて……出来る気がしないよ……」と悩みも打ち明けた。

 

大野は涼しい顔をして、足を交互にクロスさせ、つま先とかかとを軸にして、ウサギのように飛び跳ねる。

 

「こんな感じでいいですか?」

 

汗一つかかず、涼しい顔で決める大野を見て、魚里が額に手を当てた。

 

「こりゃモテるわ。Tik toker(tik tok投稿者のこと)馬鹿にしてたなぁ」

 

伺うように、表情を覗き込むように、ソファに座っていた南森が隣に座る魚里を見つめる。

 

「わー」

 

ほんの少し、魚里の胸元にピンク色が混じる。

 

(どうしよう、これ、もしや恋が始まっちゃう……!)

 

だが、すぐさまそのピンクは消える。

 

繭崎がその場の空気を切り裂く一言を呟いたからだ。

 

「ま、中の下か。素人にしてはすごいな」

 

ぴきり、と魚里の額に血管が浮き出る。

 

おそらく物言いが気に食わなかったのだろう。

 

当の大野は、苦笑いを浮かべるだけだ。

 

「多分外ならもっと上手くやれるんですけれど……」

 

「いや、そうじゃない。ダンスの今のキレの問題じゃなくて、基本的な体の動かし方がプロとやっぱり差が出てるもし、今後ダンサーとして食べてくなら継続して練習を重ねた方がいいかな。体幹は良いもの持ってる、ただ君の場合は小手先の技よりも基本練習を毎日続けて専属のコーチを……いや、すまん。多分ダンサーにはならないよな。口が過ぎた。君、華があるし、今度知り合いの芸能事務所紹介しようか?」

 

「い、いえ……おかまいなく」

 

「そうか。勿体ない」

 

「あれ、っていうことは……」

 

南森が期待を胸に浮かべる。

 

はぁ、とため息を吐いた繭崎が胸元から手帳を取り出す。

 

「そうだな、オリジナルの振り付けを考えた経験は?」

 

「あの、中学の学校祭で……あと、tiktokで何個か元ネタをアレンジしたやつを……」

 

「お、いいね。じゃあ女子向けの振り付けは?」

 

「それも一応、2回……あったかなかったかくらいなんですけれど」

 

「そっか。じゃあちょっと今日からダンスの振り付けの構成考えてほしいんだけどどうだい? 給与はこんくらいで」

 

「えぇ!? 高い!? バイト代より高い!?」

 

「ダメか?」

 

「い、いえ! ぜひやらせてください!」

 

「その代わり、金出すに値するもの出さなかったら没で。まぁ金一封は出すけど」

 

「わ、わかりました!」

 

大野が体育会系の直立体制で大きな声で返答した。

 

繭崎がそこでようやく笑顔になった。

 

「じゃ、次。魚里さん。昨日の今日で来てるけど、昨日以上のものは出せるかい?」

 

「こんの、対応全然違うじゃない……!」

 

完全に他人行儀になっている繭崎に目を嫌というほど光らせ、緑茶の置いてあるテーブルのど真ん中にどしんとノートパソコンを置いた。

 

「昨日本気出した。叩き台3パターン。テーマによって音色変える予定あり、昼休みにリサーチした後授業さぼって打ち込みしたのが一番聞かせたいやつ」

 

「じゃ、とりあえず流すか。1つ目」

 

繭崎は一曲目を10秒ほど聞いて曲を止めた。

 

「次、二曲目」

 

「!? ……こん、のぉ……」

 

「感想は後で全部伝えますので」

 

二曲目はワンコーラスだけ聞いて、止める。

 

「まぁ、成長は認めるけれども……。じゃあ最後な。これが授業さぼったやつ?」

 

「……そうですよぉ」

 

涙目になっている魚里の背中をさする南森。

 

「じゃ、流すぞ」

 

二回クリック音が聞こえる。

 

曲はすぐ流れ出した。

 

「あ。これ……」

 

南森がふわっと顔を上げた。

 

「……なんか、イメージできる」

 

突然、頭の中に白銀くじらの絵が浮かんだ。

 

音色は今まで魚里が作っていたテクノ寄り、あるいはテクニックを披露する類の曲ではなく、POPに近い。

 

更に、なんとなく楽しい気分になってくる。

 

Aメロの部分はワクワク感を誘っていく。まるでサイリウムの海が左右に振れるような錯覚すら覚える。

 

Bメロから、オタ芸をイメージしていく。光が乱雑に、それでかつ整っている飛び跳ね方。海みたいに波が上下に揺れるような面白さ。

 

そしてサビは、……一番の盛り上がりを見せて。

会場全体が、七色に爆発していくような、ファンシーで、キャッチ―で、……ダイレクトに心に響くサウンド。

 

「……わぁ」

 

南森は目を瞑る。

 

そして、自分の姿を想像した。

 

ライブ会場でこの曲を歌っている自分を。

 

そして、隣にいるであろう不動のことを思いながら、笑顔の自分を。

 

そしてそして……。

 

曲が止まった。

 

驚いて目を開ける南森。繭崎は呆れた顔をしていた。

 

「……次からは授業ちゃんと出るんだぞ。はぁ、若さを舐めていた」

 

「……へ?」

 

もう涙腺が決壊しそうな顔をメッシュの垂れ下がりだけで隠そうとしている女子高生が、顔を覆っていた手に隙間を作って繭崎を伺う。

 

「曲、魚里。ダンス、大野。これで行こう。MVについては、カメラワークやらなんやら、今後同時に進めていく。良いか?」

 

「…………や」

 

南森が両手の拳を掲げて立ち上がった。

 

「やったー!」

 

そのまま崩れるように魚里の背中に飛びつく。

 

「やったね魚里ちゃん! 頑張ろうね!」

 

「うぅ、うっさい……良かった、良かったぁ」

 

ぽろぽろと涙をこぼす魚里を見て慌てて大野がハンカチを差し出した。

 

そして、大野が思わずといった様子で……。

 

「……泣くほど、頑張ったの?」と言葉を漏らした。

 

「自分が作った作品を否定されたら!! 悲しいに決まってるでしょこの馬鹿!!」

 

「ご、ごめん! そんなつもりじゃ」

 

「何よぉ。いい子ぶってさぁ。今までの頑張りを否定されて、悔しかったんだからこっちは……うぅ……びええええええええええん!!!」

 

熊フードを深く被って顔が見えないようにしながら魚里は膝を丸めて泣いた。

 

「ま、繭崎さん!」

 

魚里をここまで追い詰めた繭崎に一言いいたくて南森が叫んだ。

 

繭崎は頬を掻いた。

 

「……、天才肌っているよなぁ、音楽業界って。まさか一日で要望通りのモノをつくると思わなかった」

 

「びええええええええええええん!!! びええええええええええええん!!!」

 

「うるさいわよ!!! 人の家でびえーびえー泣かないで!!」

 

 

コミケの時期で追い込まれた表情、目の下に深い隈とげっそりとした頬、ぼさぼさの髪にスウェットを着た山姥のような女性が階段から降りてきた。

 

「ぎゃああああああ山姥ぁ!?」

 

「誰が山姥じゃごるぅああああ!!!」

 

繭崎が思わず叫んでしまい、両足をサーシャに抱え込まれ、天井を再び突き破った。

 

10月も終盤に近付いてきた。

 

ライブまで残り四か月。

 

仕上げるには時間が足りなかったが、間に合う予感だけはしていた。

 

 

 

 

それからというもの、南森の学校生活は少しだけ色を変えていく。

 

「おはよういっちゃん」

 

「おはよー里穂。昨日のテレビ見た?」

 

「見たよー。最近のアイドルもユーチューブデビュー多いんだねぇ」

 

「だねー」

 

南森は、いつもと変わらない日常を過ごす。

 

「みんなぁ、おはよー!」

 

「おはよう大野君!」

「きゃー! おはようおはよう大野君!」

 

「おはよー。……あっ」

 

大野が南森と目が合う。

 

大野が小さく手を振った。南森も、小さく手を挙げた。

誰にも気づかれないように、本当に小さく。

 

「邪魔、邪魔だって」

 

大野の取り巻きを視線で散らして、肩で風を切るように自分の席に着く魚里。

 

普段ならば、パソコンを出して曲を作っているが、アイマスクを取り出してそのまま眠ってしまった。

 

「あれ、魚里寝てんの?」

「あいつ学校終わったら何してんだか」

「噂によると、男に会いにくとかなんとか」

「マジかよ、草生えるわ~」

 

男子の嫌なうわさ話も意に介してないのは、イヤホンで音楽を流しているからだろう。

 

そしてその曲はおそらく……。

 

「……頑張んないと」

 

「ん? どうしたのいっちゃん」

 

「なんでもない、そういえば最近弄られなくて嬉しいんだぁ」

 

「あー、そうね」

 

里穂が大野の取り巻きの様子を見る。

 

どこか南森を大野に近づけないように、腫れ物に触るようなおそるおそるとした様子で、観察しているような感じだった。

 

「いっちゃんなんかあったの? あ、嫌だってちゃんと言えたの?」

 

「ははは、わかんない」

 

「……いっちゃん、最近よく笑うね」

 

「え、変だった?」

 

「ううん、そうじゃなくて……なんだろうね」

 

里穂は少しだけ、暗い笑みを浮かべるが、今の南森には真意がわからなかった。

 

胸の感情も、少しだけ青い色を乗せているけれど、おおむね平穏そうな緑色をしていたから。

 

多分大丈夫だろうと、高を括っていた。

 

 

 

 

 

放課後からは戦争が始まる。

 

例えば喫茶店で。

 

「歌詞はもっとみんなで楽しめるやつがいいんですけど、なにか気持ちよくあてはまる言葉ないですかね」

 

「何文字くらいが理想? 5? 6? やっぱちょっと音伸ばして5っしょ」

 

「ダンスの振り付け的には、6の方が音ハメ良い感じになるんだけれど、6文字にしない?」

 

南森、魚里、大野は放課後、学校が終わったら予定さえ合えば話をした。

 

ある時は市の総合体育館で。

 

「こんな振り付けでどう? 通しでやるとこんな感じに繋がるんだ」

 

「それって皆でできますかね?」

 

「場所の想定は? ライブ会場なら手わざ中心の方がいっしょ。あと、別に全部皆できなくていいと思うんよ。肝心なのはサビ。サビに一緒に楽しめれば全体的に整うよ」

 

ダンスの構成を持ち寄った大野を中心に、創作の軸である南森と、ライブの観点からモノを見る魚里が意見をぶつける。

 

 

ある時はカラオケボックスで。

 

「はぁ、はぁ、こんな感じでどうでしょうか!」

 

「もっと動き大きくしないと!! 両手でマイクもって歌うなんて昭和のアイドルだしょ? もっと煽るように動かないと」

 

「んー、いまいち盛り上がりにくいのはやっぱり毎回動きが違うからじゃないかな? ライブパフォーマンスも考えた方がいいんじゃないかな」

 

南森が歌ったものに感想を伝える。

 

 

繰り返す、繰り返す。

 

そして、1か月が経った。11月の終盤。

 

学校は臨時休校だったから、午後には自然と南森はサーシャの家に出向いていた。指し示したように、仲間二人からラインが入る。文面を見て、南森はコンビニに向かった。

 

それぞれが持ち寄って、サーシャに栄養ドリンクをプレゼントした。

サーシャは泣いて喜んでいたが、かつて見てきた女性らしさは今となっては皆無だ。

 

繭崎が逃げようとするサーシャを抱えて二階に向かったときは、南森はかつて泊った時のことを自然と思い返して、ちょっぴり悲しくなった。

 

南森が、ふと思ったことを大野に尋ねる。

 

「そういえば、その、大野君はなんで手伝ってくれるんですか?」

 

「え、今更?」

 

大野はマフラーをほどきながら南森に真っ赤な顔を見せる。

 

外は少し肌寒かった。

 

「その、……気になって、さ」

 

「あ、Vtuberですか! 嬉しいなぁ、大野君も興味持ってたなんて」

 

「いやいやそっちじゃなくて! いや、Vtuberって俺知らなかったし!」

 

「そう、ですよねぇ」

 

「……あの、南森と話してみたかった、なんて……」

 

「え? 何でですか?」

 

南森がつぶらな瞳で、じっと大野の瞳を見つめる。

 

「あ、あの、その。ほ、ほら! だってあれだろ? 南森、最初の方けっこう長く休んでたじゃんか! それで、その、……大丈夫かなって……」

 

「わぁ、嬉しいです。ありがとうございます。でも、私は見ての通り元気ですので!」

 

「はは、そうだよね。それが嬉し……っっ!?」

 

突然大野が口を自分で塞ぐ。

 

そして、「お、俺何言ってんだか! やっべー暑いね部屋。ちょっと外で涼んでくる!」と叫んで、飛び出して行ってしまった。

 

「……行っちゃった。……何だったんだろう」

 

「お茶入ったよーん。おろ、大野は?」

 

「外出ちゃった」

 

「……まさか、高校生でヤニ?」

 

「まさかぁ! あははっ!」

 

魚里が南森の隣に座る。

 

いつも座っているソファは、心地よく沈んでくれる。

 

「ここまで来たねぇ」

 

「うん。一か月前とは大違いだよ」

 

「……正直、南森ちゃんじゃダメだと思ってたよ」

 

「ははは、実は私もダメかと思いました……」

 

「んなことないよ。この一か月でよ~く分かった」

 

「?」

 

「あんた根性あるよ。それもすっごい。今は実力はないし、才能があるかもわかんないけれど、うん。気合いの一本勝ちって感じ」

 

「なぁにそれ」

 

「いや~。でも、南森ちゃんがこんなに頑張ってるもん。私も頑張んないとなって、すごい引っ張られるの。きっと、南森ちゃんは頑張れば頑張るほど、誰かの背中を押してる、そんなクリエイターになれるよ」

 

「大げさだよぉ」

 

「ううん、私信じてる。多分、南森ちゃんが活動を始めれば、きっと誰かに刺さるよ。その諦めない姿勢と根性が、きっと誰かを動かせる。そんな気がする」

 

「……ふふ、真面目口調な魚里さん、初めて見たかも」

 

「うっさい! ……ねぇ」

 

「ん?」

 

「隈子(くまこ)って呼んでよ。私も、一凛(いちか)ちゃんって呼ぶから」

 

「う、うん! うん!! くまこちゃん!!」

 

「――うっ! うぅっ! あーもー顔真っ赤になってきた!! ちょっと外出てくる!」

 

「え!?」

 

魚里も突然立ち上がって熊のフードを深々と被って外に走り去ってしまった。

 

「行っちゃった……」

 

「あぁ! 一凛ちゃん!」

 

「!?」

 

階段から這い出るようにサーシャが現れる。

 

「たすけ、たすけて、もう描きたくない、締め切りまだなのに描けって繭崎が言うの、もう描けない、描けないぃ」

 

「逃げるなサーシャ! 描け、お前の資金源だろ! 俺がいる以上クオリティは落とさず上げてやるからな!」

 

繭崎が階段からドシドシと力強く降りてくる。

 

「やぁ! いやぁ! もー描きたくないの! やなの! や! いやぁ!」

 

「ほら行くぞ、今日はあと4ページ仕上げるぞ」

 

「やらぁ、一歩も動かないもん! やだぁ!!」

 

「くそ、面倒くさい……サーシャ、終わったら打ち上げやるんだから頑張れ!」

 

「……ほんと? やっぱりうそじゃない?」

 

「おう。だから南森にそんなみっともない姿見せるんじゃない! おらぁ行くぞ!」

 

「やだぁ!!! たすけて一凛ちゃん! 一凛ちゃぁああああああんん!!!!」

 

ズリズリと、ごつごつ音を立てながら階段に背中を打ち付けながら上に引っ張られるサーシャ。

 

「サーシャさん……」

 

南森は淹れてもらった緑茶を啜った。

 

「……あそこまで、追い込まれても作家を続けてるサーシャさんはすごいです。でも、こう、……見たくなかったなぁ……」

 

今週中に音源が完成する予定だ。そして、サーシャさんによれば、3Dモデルはあと少しだけ微調整をすれば完成するらしい。

 

MVは、12月中に作り終わる算段だ。

 

「良かった……本当に良かった。間に合うんだ……」

 

満たされたような顔をして、南森はまたお茶を啜った。

 

「あ、そうだ!」

 

南森はスマホでラインを開く。

 

そして、不動にメッセージを送ったのだ。

 

実は初めて会った後も、何度か不動と会うことがあり、ラインは交換していたのだ。

何度かあの思い出の喫茶店で話をすることもあったのだ。

 

ここ2か月は忙しいのか、そっけない返信が多かったが、何かあるたびに不動にメッセージを送り続けていた。

 

「ふふ、楽しみだなぁ。早く、不動さんに会いたいなぁ」

 

まるで恋に夢を持つ少女のように、顔を赤らめてスマホを両手で包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月初頭。

 

鼻歌交じりにスキップでサーシャの家に着いた南森。

日曜日で、繭崎と一緒にボイトレを行う予定だったのだ。

 

繭崎の車で送ってもらう予定だったが、曲とダンスがもうすぐ完成しそうな喜びで楽しくなってしまったのだ。

 

「こんにちはー! ……。……? あれ、おはようございますって言った方がいいのかな? …………。あれ?」

 

靴を脱いで玄関を上がると、ぎし、ぎし、と木の音がよく聞こえた。

 

「……繭崎さぁ~、ん。いませんか~……、誰も、いないんですか~……まゆざ」

 

「ドン星(ぼし)さん。ふざけないでください!」

 

「ひっ」

 

思わず尻もちをついてしまう南森。

 

繭崎が何もかもを叩きつけるような激しい怒鳴り声を出したので、怯えが先に出てしまったのだ。

 

へっぴり腰で立ち上がった南森が、壁伝いで歩き、こっそり繭崎の様子を伺った。

 

繭崎は、タバコを吸いながら立ち上がり怒鳴っていた。

 

(タバコ、吸ってる。やめておきましょうって言ったのに)

 

変なことを考えてしまいながら、ゆっくり顔を出す。

 

「え、え?」

 

初めてだった。

 

南森は、初めてのことに怯え震えた。

 

「ま、繭崎さん……」

 

繭崎の胸元の色が、真っ黒に染まっていた。

 

あのほくろのような黒い点から、煙のように真っ黒な感情が炊き上がっている。

 

いろんな感情の色を飲み込みながら、黒一色に染まっていく。

 

「なに、これ……」

 

へなへなと座り込む南森。

 

電話から聞こえる声が、嫌に悲しそうな声だった。

 

『すいません! 本当にすいません……!』

 

「な、にがすいませんだ……そっちの都合じゃないですか!!!」

 

『すいませんすいません。でも、ごめんなさい、本当に、もう、ダメだって……変更は認めないと、ぅ、すいません、本当に……本当にぃ……』

 

「いい加減にしてくれ……っっ、こっちが、……っこっちの子がどれだけ頑張ったか知ってるのか!?」

 

『許してください、許してくださいぃ……っ。もう、変更できなくて……』

 

「だからって……っ、だからってMVの期限を今週までに変更するのはないでしょうがっっっ」

 

「――――ぇ」

 

南森は、聞いた。

 

聞いてしまった。

 

今まで聞いたことのない繭崎の怒鳴り声。

 

今まで聞いたことのない知らない大人の泣き声。

 

そして、もう、本当にどうしようもないことがわかって。

 

どうしようにも覆らない事実と、現実があって。

 

子どもにはどうしようもない、本当にどうにもならない壁が見えた気がした。

 

ふと、南森は分かってしまった。

 

繭崎の胸に浮かぶ真っ黒な色は、どす黒い感情だと。

 

怒りでも、苦しみでも、悲しみでもない。

 

どうしようもなくて、どうにもならなくて、どう説明したらいいかもわからない感情。

 

どんなに頑張っても報われなくて、どんなに頑張っても救われない感情。

 

真っ黒で、沈んでしまったら一生底に引きずられて、飲み込まれて、押しつぶされてしまう感情。

 

絶望。

 

黒は、絶望の色だったのだ。

 


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