逸舗瀬良(いつみせせら)。
アイギス・レオ【ゲーム担当】イブニングの中の人。
イブニングというキャラクターは元気で明るく、笑顔の絶えない女性。ピンク色のツインテールを揺らして、魔法少女のようなフリルの多い衣装。胸元はハートのマークを付けて谷間を隠すように。あざとくて、天然で、どこか愛せるゲームストリーマー。それが彼女の説明文だ。
「……」
それが彼女を示す記号だったのだが。
逸舗瀬良はまるで勝手が違う。
大人しく、静かで、目元を前髪で隠すように下を向き、パーカーを着て、小さな猫の形をしたのネックレスを耳から揺らす。合わないと思った。まるで別人だ。
じぃっとコーヒーを見つめた後、ミルクを入れ、マドラーで混ぜずにただじぃっと見つめて冷めるのを待っているようだ。
「おい逸舗ぇ。混ぜればいいだろ」
「いい。混ぜたら味が全て均一化される」
「だから良いんだろうに……。というか、味かよ。胃があれるとかじゃないのか」
「カフェインは友達。人と回線は裏切るけど、カフェインは裏切らない」
「こ、これだからゲーム中毒は。全く理解できねぇ」
不動瀬都那という女性は右側の髪を全部ヘアピンでバックに止めて、毛先の跳ねた赤と黒のツートーン。
Vtuberグループアイギス・レオの【歌担当】ギリーの中の人だ。蒼い髪の長い女性Vで、歌姫のような印象を受ける。クールで、歌に命をかけたような女性。ある意味、中の人の熱量に釣り合っていないようで、歌だけで気持ちを伝えるような不器用なヒトだ。
「はわ、はわぁー……っ」
そんな有名Vtuberの中の人が目の前に2人もいる。
中の人と知り合っているという多幸感と、中の人と関わっているという背徳感が混ざり合って限界化してしまった一般リスナー南森一凛であった。
「おいおい一凛ちゃんさぁ、せっかくカフェに来たんだぜ。もうちょっとこう、会話に混ざってくれ」
「す、すいません!! だって、ほわ、ほわぁ……」
「あれ私ライブ共演したよな? もうマブダチ的なあれじゃないのか? お? あるぇ……?」
ここは吉祥寺のCDショップと併設されている喫茶店で、
4人掛けの席で、アイギス・レオ2人が隣り合う中、南森が不動の前の席にいた。
そして……、いつの間にか。不動瀬都那は南森一凛のことを、「一凛ちゃん」と呼ぶようになっていた。
「ま、まぁ良いんだけどよ。とりあえず用件だけ先に終わらせとっかぁ。逸舗も体調崩すし、真面目な話をさっさと終わらせてあとはゆっくりしよーぜー」
「……ごめんなさい」
逸舗が暗い声を出す。
南森も、どこか彼女に暗い影があることは察していたが、なんとなくこのままではいけない気がしていた。
なにせ、彼女の胸の中で、色が、深い青色の悲しみがやけに揺れているものが見えたから。
(私が人の心を見られるようになったのは、およそ1年と2か月前から)
(私はある日、交通事故にあったのだ)
南森が思い出せる記憶はそれほどない。
事故の前後の記憶だけが抜けているせいで、自分がなぜ事故にあったのかも覚えていないのだ。
(鮮明に覚えているのは、目覚めたとき、みんなの胸元に色とりどりの感情の色が見えたこと。それがなんなのかは、最初はわからなかったけれど、慣れてくると自然と分かってきたのだ)
情熱や、怒りのような激しい感情には赤い色。
愁いを帯びているときは青い色。
平常心で落ち着いた気持ちは緑色。
嬉しいときやテンションが上がっているときは黄色。
恋愛感情はピンクとか? 紺色はどんよりした気持ちの時?
(ざっくり、こんな感じかなぁって思ってるけれど、違うのかもしれないし……でも、一応そう定義してる。私が好きな感情の色は、夜空みたいにキラキラした色)
そして、南森がVになるきっかけを与えた、Vtuberのライブ。
そこで見たのは、アイギス・レオというグループの最高のパフォーマンス。
彼女たちの心は、驚くほど一心同体。
一体どうしたらこんなにも気持ちが通い合ってるのかと思うほど、同じ気持ちだった。
それがどんな感情なのかはわからないけれど、苦悩とか、苦難を希望で照らしていくような夜空は、本気の感情を超えて美しかったのだ。
(逸舗さんの心、なんだろう、深くて、まるですぐに溺れてしまいそうな……深海のよう。前にライブで共演した不動さんとは違う……。ギリーはマグマのようだった。感情にふたをしたことで、大噴火を起こしたような、激しい怒りと、苦しみ。……逸舗さんは、何をしても届かないような。まるで、海の中に溶け込んでしまって、触れられないような……)
「あ、あの!」
南森は逸舗の心の色を伺うように、言葉を選ぶ。
「どうして、私とコラボをしてくれるって話を……」
そっと、前髪の隙間から見えた瞳が、少しだけ、綺麗で、本当に、目を奪われた。心の色なんて見えないくらいに、夢中になるような魅力があった。
「……。え、っと…………」
「……は、はい」
「……。……。ライブ、見て。それで」
「あ、あのライブを! ど、どひゃー!!?」
南森は完全に失念していた。
冷静に考えればあり得そうなことだが、アイギス・レオの関係者があの日、ドン☆が開催したライブを見ていないはずがない。
ましてやマネージャーの佐藤がいて、同じアイギス・レオ所属の逸舗が見ていた可能性だって、あるに決まっていた。
「……一緒に、ゲームしたいな、って。……ダメ?」
「いや、いやぁああもう! 是非やりたいです!! もう、もう豪華客船に乗ったような有頂天です!!! なんだろう、タイタニックみたいな」
「いや沈没するじゃねぇかやめろよ」
「ふふ……。南森さん面白い、ね」
「あ、あははー……」
そして襲い来る、不安。
「あの、実は……」
「私はもう野原にポコポコ生える雑草系Vtuberです……うぅ……」
南森は家に帰って、部屋の中で机に突っ伏していた。
無理もない。
後日談ではあるが、逸舗と出会った後に彼女は練習を重ねた。
しかし南森がどれほどスタジオ練習を頑張ろうと、声は震えるし緊張は止まらないし何より内容がへっぽこだった。
スタジオ練習を選んだのは、南森の家では生放送をするほど環境が整っていなかったからだ。
なので諦めて、金はかかるが設備の整ったスタジオを借りて生放送をすることになっていた。
捨てアカウントを使用して、プラットフォームを変えて、無名のまま生放送の練習を通しでやってみたりもした。
だが結局へっぽこはへっぽこだったのだ。
「うぅ。何で本当にMVもライブも出来たんだろう。土壇場力? 火事場の馬鹿力? できないできないできないぃ。うぅ」
足をパタパタと振ったところで意味はない。音楽動画だけを投稿するVでもいいと繭崎は譲歩したが、結局彼女の頭にあるのは、憧れのVtuberの背中だけなのだ。
だが改善するための一手も浮かばない。
もう気持ちはどん詰まりで、どうしようもなかったので。
「やっぱり息抜きはVtuberに限りますね!あ、ネルちゃん放送中だ。……あれ、また視聴者数すごいことになってる。何かやらかしたのかな?」
Vtuberネル。
本名を君島 寝(きみしま ねる)と言い、南森の幼馴染である。
隣の家で引きこもっていた少女の正体は、なんとVtuber。
それもただのVtuberではない。
その道では非常に有名な、放送事故を起こしたVtuberであり、最近では、炎上系Vtuberとして名をはせていた。
どれほど炎上するかと言えば。
「あ、やばい今部屋に彼氏来たわwww 彼氏とデートなうwww って使っていいよwww」
うっそーwww、と言う前に拡散され過ぎて彼氏がいることになっていたり。
「最近思ったんだけどさ、リスナーって毎回高額スパチャくれるけど、大麻でも捌いてるの?」
訂正しようもない暴論で炎上したり。
「実は私、白銀くじらとマブダチなんだよね、もうマブよマブ。あれ見た? あのドミノ。実はドミノトラブったんだけど私助けたから」
本当のこと言っているのに炎上した。おそらく本当だから許されなかったのだ。ついでに「お前がどうせドミノ倒して妨害しちゃったんだろ」と煽られた。煽られた彼女は荒らしリスナーをブロックしようとして別のリスナーを間違ってブロックした。
それに加えて、天性の放送運の持ち主なのだ。
最近の切り抜き動画のタイトルが以下の通りである。
「【悲報】ネル、ひとりかくれんぼ中に聞こえた亡霊の声を同業Vtuberに送信してブロックされる」
「【放送事故】ネル、実況中に外から聞こえた酔っ払いのニートディスに大激怒して台パン、親フラ説教」
「【爆睡】ネル、深夜ゲーム実況中唐突な寝落ち、合計17時間睡眠した模様【起きれてえらい】」
「【放送事故…?】ネル、深夜に大絶叫でソーラン節を歌っていたら酔っ払いが外から混ざってきた件」
「【絶望】ネル、小学生の頃ワカサギでビンタされたことがある」
内容が濃すぎて訳が分からないのである。
その内容の面白さは、Vtuber屈指の者で、個人勢として今順調に伸びてきている。
そんなネルが、今FPSゲームの実況を行っていた。
生放送を見てみると、初っ端からネルが絶叫する。
「なん、でぇ! なんでアイギス・レオとマッチしてんのさぁ!!!? しかも、しかも姫プのやつにぃ!!」
絶賛炎上中のコメント欄。
■ 〇〇森森 ふざけんな姫プゆーな。がんばれイブたそ
■ 発狂魔人 これは炎上
■ ごんごん ネル
■ ビーナス佐々木 少し頭冷そっか
■ 衣料専門店オクヤス
この度衣料専門店オクヤスは生まれ変わります。
現在大学生向けファッションとして、雑誌等にも掲載され
関東全域で広くご利用いただいております。
詳しくはhttp://@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
■ †柊 終† ため口すんなや
■ ネルちゃんえらいね はよデスれ
■ ―――――――――――――――
岸田です
\ 1,000
イブたそさん 国を挙げて応援します。
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■ ボロボロス 総理もよぅ見とる
■ ゼンラー卍 はよ負けろ ネタじゃなくガチで
■ ボビンビン みんなネルちゃんをちゃんと応援しなよ! 古参も新参も、ワンチームで応援しようよ! イブたそしか勝たんわ(手のひらドリル)
■後藤てるゆき 草
「これはひどい」
見るも堪えない文面ばかりだ。
しかし、状況は非常に気になった。
何せあのネルが、アイギス・レオと戦っているという状況だ。
ゲームを見るに、おそらく最終決戦。ネルチーム(野良)vsアイギスレオチームだ。
「……あっ! イブニングちゃんだ!!」
南森は対戦相手の名前を見た瞬間、二窓してイブニングのチャンネル通知から動画を見た。
「わぁあ……相手のチームの人強いね! 勝てるかなぁ」
程よくちょうどいいぶりっ子ボイスが聞こえてくる。
アニメを見ているような程よい非現実感が、可愛いという感情が先に引き出されている印象だ。
「えーっとね。こういう時は、手りゅう弾? を使えばいいよね。えーい! ……あ、違うとこに投げちゃった?」
ゲーム画面の中で手りゅう弾が爆発する。
すると、隠密していたネルチームの人間が一人たまたま撃破されたのであった。
「キャー! やたー! ねぇキルできた! キルできた! やたー!!」
純粋にゲームを楽しむ様子は、本当にゲームが好きなんだなと思わせてくれるようだった。
「よーし、じゃあ味方さんの後ろをついていって、とつげきー! 今日はチャンピオンになってドン勝だぁ!」
彼女とチームメイトが勝利のために駆け出して、銃を乱射する。
そして。
「きゃー!!! 勝ったー!!! ねぇヘッドショットだ! エイム練習頑張ってよかったー!」
可愛い声が、楽しげな様子で部屋に響いた。
ついでに。
「ぁああああああああああああ姫プぐぅううぅううぅぅうううううううううううううううう!!!!! おんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ(ry)」
汚い声が、宇宙まで轟いた、気がする。
鼓膜が破れたかと思うほどの衝撃で南森は椅子ごとひっくり返って倒れた。
目を回す南森をそっちのけで、アイギス・レオの【ゲーム担当】が最後の締めのあいさつをした。
「今日も、イブニングの配信を見てくれてありがとー!!! いつもみんなのおかげで助かってるよー! 今日はここまで! それじゃあみんな、おつニング~」
ゲーム実況について考えた南森であったが、何も思いつかない。
目が覚めてから、昨日見た生放送を思い出しながら、むむむ、と一声上げる。
「うーん、例えばアイギス・レオの【ゲーム担当】イブニングちゃんの売りって「すごく楽しそうにゲームをする」って言うのもそうだし、プロゲーマーでも彼女のファンが多いんだよね。だからプロゲーマーとのコラボもあるし。キャラが受け入れられない人は結構アンチになるんだけど、人柄も優しいし、コラボで視聴者をたくさん掴んでいく、いわゆる人のチカラで挑んでるVtuberさん。……いいなぁ。私と方向性が似てるのかな、意識しちゃうなぁ。たくさんの人とコラボするっていいなぁ」
それに比べて、と。
隣人の炎上系Vtuberはどうだったろうか。
「Vtuberネルちゃん。こっちは逆に、コミュ障が売りでコラボしないタイプ(というかニート)で、暴言とかはっちゃけた発言でよく炎上して話題になるVtuberさん。真似したくないけど、でもすごい話題になる回数が多いんだよね最近。しかも豪運が持ち味。運の良さで取れ高をかっさらう……だったっけ。すごいなぁ」
彼女は諦めてベッドに改めてぼふっと横になった。
「うん、参考にできない!!! どうしようどうしようぅうううう」
ぶしゃーっと目から噴水のように涙が放たれた。
最近買った新しいパジャマの襟に鼻水がかかりそうになって焦りながら起床した。
鼻をかんだ後、枕をぼふぼふとベッドに叩きつけて、怒りを発散させる。
「……でも、ゲーム実況ってどうすればいいんだろう。全力でゲームをすればいいのかな……?でも、私のプレイなんて誰も見たくないよね……うぅうぅ。どうしたら」
南森は純粋に、何が受けるか理解できていなかった。
趣味でゲーム実況を見るときは何も考えていなかった。
漠然と「楽しい」と思いながら見ていたからだ。
「えぇっと……最近見てるゲーム実況者さんは……、【弟者】さんだったり、【k4sen】さんとか……【ウメハラ】さんもよく見る! 【キヨ。】さんとか、【ヒカキン】さんも見るし……。【レトルト】さんも好きだなぁ、あ、そうだ【シモエル】さんとかも好きだなぁ。バグとか、あ! 【からすま】さんもよく見る! んー、【ポッキー】さんとか、あ、【狩野英孝】さんもよく見るなぁそういえば。うわあーそう考えたらいっぱいいる……。しかも全部面白い。……ひゃあ……」
手作りノートを広げる。
繭崎から「色んな人の動画を見て自分なりに研究してみよう」と指導されたからだ。
音楽の勉強もした。
トークの勉強もした。
だが、ゲーム実況だけが、いまいちピンとこなかった。
「……とりあえず笑いをとればいいのかな? 共通点として……面白い? あとテンポ感がいいとか……。切り抜き見るからそう思うのかな。通しで見ててもコメント欄盛り上がってるイメージ……。あれぇ? じゃあ、ゲームトーク? リアクション? えぇ……? わかんない、私見てる時は面白いってすごく爆笑してたり、テンション上がったりしてるのに、どうして私ゲーム実況好きなんだろう……? テレビ見てる感覚? いやテレビじゃないし……。それをどうやったらいいの? 台本を作る? 即興で? わか、わかんないわかんない……!?」
ノートに小さく書いてある「ゲーム実況はお笑い?」という文字が、やけに弱弱しかった。
本当に面白いゲーム実況を、彼女はまだ模索している最中だった。