「さて、そろそろ行きますか」
午後になる少し前。練習メニューのチェックをしていた海未は立ち上がった。
着替えを済まし身だしなみを整えてから、ケータイに届いていたメッセージを再度見やる。『海未ちゃんお誕生日おめでとう! 穂むらに来てね!』。
相手は勿論、猪突猛進系幼馴染。
「どうせ穂乃果の事ですし、また良からぬサプライズを画策しているのでしょう。念の為、用心はしておきましょう。──希あたりに、変な入れ知恵されてないといいのですが……」
一瞬、武者震いする海未。
「……誕生日にお説教は、できればしたくないですね」
海未は自宅を出ると、空を仰ぐ。
抜けるような青空と、コートが暑く感じる気温。
「もうすっかり春ですね。桜の開花も近いと聞きましたし。──μ'sのみんなでお花見というのも、計画してみていいかもしれませんね」
園田家から高坂家である穂むらはすぐ近くなのだが、
「──海未ちゃん、見つけたにゃ〜!」
その僅かな距離ですら、平和には済ませてもらえない。
「り、凛?」
聞き覚えのある元気な声に、海未は驚いて振り返る。
「にゃ〜っ!」
すると、こちらへ向かって全速力で駆け寄ってくる小柄な人影が見えた。よく見ると、その後ろにやや遅れてバタバタと走るもう一人が見える。
「……あれは花陽ですね」
そんな判断をしているうちに、凛は一瞬で距離を詰めてくる。そして、
「お誕生日、おめでとうにゃー!」
勢いそのまま、両手を広げて飛びついてきた。
「ちょ──!」
なんとか踏ん張り転倒を回避した海未だったが、当の本人は気にせず抱きつき、あまつさえ頬をすり寄せてきた。
「な、なんですかいきなり! こんな街中で……は、恥ずかしい!」
羞恥で顔に血が登るのを自覚するが、抱擁されていては逃げ場はない。
結局、
「は〜満足満足!」
凛が離れるまでの十数秒間、されるがままだった。
「な、何なんですかいきなり……」
「じゃ、海未ちゃんまた後で!」
奇行に説明も無いまま、凛は再び駆け出し姿が見えなくなった。
「本当に何なんですか……?」
「──あの、海未ちゃん」
凛の対応で頭がいっぱいだった海未は、控えめに呼ばれた声に振り向く。
「ああ、花陽。さっきの凛は一体──」
「──ぎゅっ!」
「花陽⁉︎」
振り回されていながらも何かしら理解はあるだろうと説明を求めようとした花陽からも、無言の抱擁を受ける海未。
「あ、あなたまで何を⁉︎」
「…………!」
慌てる海未に、花陽は何も答えない。凛同様しばらくハグを続けると、唐突に離れる。そして、
「ご、ごめんね海未ちゃん!」
海未が口を開く前に、走り去ってしまった。
「…………」
残されたのは、変な体勢で固まる海未だけ。
「──どうしたのよ、そんな変な格好して」
「!」
するとそこに、またも声がかかる。振り返ったそこに腕を組んで立っていたのは、
「真姫じゃないですか。どうしてここに?」
「穂乃果に呼ばれてるのよ。海未もそうなんでしょ?」
「え、ええ、そうですが……」
海未は首を傾げる。
「真姫の家からだと、この道は通らないのでは?」
「あら、やっぱり鋭いわね。おバカなリーダーと違って」
真姫は歩み寄ると、肩をすくめる。否定できないので海未も黙るしかない。
「普通に穂乃果の家向かおうと思ってたら、凛と花陽から連絡が来たのよ。“ここにいる”って」
「ああ、待ち合わせをしていたんですね。ですが、凛と花陽ならつい先ほど行ってしまいましたよ」
「あら、“ここにいる”のがあの二人だなんて私言ったかしら?」
「え?」
ゼロ距離まで接近した真姫は、片方だけ口角を持ち上げる。そして、両腕を海未の背中に回した。
「ま、真姫⁉︎ あなたまで何を⁉︎」
「いいから!」
三度目の抱擁。しかし前二つと比べて、その時間は短かった。
「…………」
す、と離れた真姫は、
「ち、違うんだからね!」
意味深なセリフを残して駆け出してしまった。髪から見えた耳が赤く染まっていたような気がした海未だったが、真偽のほどは分からない。
「一体、何が起きているんでしょうか……」
唐突に三回ものハグをかまされた海未は、混乱する頭で答えの出ない問題に悩む。──すると、ポケットのケータイが震えた。
「穂乃果から? ──『海未ちゃんまだ来ないの?』……ああ、どうやら待たせてしまってるようですね。三人には、次会った時に説明してもらうとしましょう」
ひとまず結論付けた海未は、穂むらへと足を向けた。
穂むらへ到着した海未は、見慣れた看板を見上げながら大きく息を吐いた。
「……ここまでの道で、これほど疲弊した事はあったでしょうか……」
やや重くなった足取りでお店の扉を開けようとした瞬間、
「──ワシッ」
「ひょわぁぁぁぁ⁉︎」
何者かに胸部を鷲掴みにされた。自分でも驚愕するほど情けない悲鳴を上げてすぐ、海未は我に返って魔の手から抜け出す。そこに立っていたのは、
「希……!」
「いやー、海未ちゃんも可愛らしい声出せるやん。サイズは将来に期待って感じやけどな〜」
相変わらず飄々とした態度だが、今の海未には些細な事である。
「……覚悟はいいですね?」
ゆらりと剣道の構えをとる。あいにく竹刀は手元に無いが、多少なりと無手での心得もある。
「ちょ、海未ちゃん落ち着いて! ほんのジョークやん!」
「問答無用……!」
背後に般若でも背負っていそうな海未。今にも飛びかかりそうな時に、
「──落ち着きなさい、海未」
その肩に優しく手が置かれた。
「絵里……! しかし!」
「希もやり過ぎよ。謝りなさい」
「はーい。──ごめんな、海未ちゃん。つい悪ノリしてもーた」
「あ、いえ……」
勢いが削がれた海未は、ゆっくり手を下ろした。
「穂乃果とことり、待ってたわよ。早く行ってあげなさい」
「あ、はい。ありがとうございます」
「あ、でもその前に──」
絵里はウインクして海未に顔を寄せると、その頬に軽くキス。
「な、なななななな……絵里⁉︎」
「わお、絵里ちってばだいた〜ん」
「私達も、後から合流するわ。だから、今はこれで我慢して、ね?」
数秒固まった海未は、
「も、もうこれだけで結構です!」
全力で扉を閉めて二人を遮った。
「──何ようるさいわね〜。中まで響いてきてんの──あら海未、やっと来たのね」
奥の暖簾から、ツインテールが顔を出した。
「にこ? どうしてここに?」
「何でって、今日はアンタの誕生日でしょうが。キッチン借りて、にこがご馳走作ってあげてんのよ」
「そ、そうでしたか。それはありがとうございます」
「あんまり嬉しそうじゃないわねぇ? にこの手料理は不満?」
「いえ、そういう訳ではなくて……ここまでの道のりで、色々ありまして……」
「ふーん、あっそ。──あ、せっかくだから味見してよ。一応、知ってる限り海未の好みの味にしてみたつもりだけど、本人の感想が聞きたいわ」
「え、ええそういう事でしたら」
ちょっと待ってなさい、とにこは奥に引っ込むと、何やら料理の乗った小皿を持ってきた。
「美味しそうですね」
「食べてから言いなさい。──はい」
「えっ……」
自然な動きで、にこは料理を箸で掴むと差し出してきた。
「じ、自分で食べられますよ」
「何恥ずかしがってんのよ。ここで食べないなら、アンタの分の用意しないわよ? はい、あーん」
「う……。あー……あむ」
『あーん』をされた海未は、恥ずかしさが引かない表情で咀嚼する。
「──美味しいです。やはり、にこの料理は美味しいですね」
「そ、なら良かったわ。じゃ、仕上げするからまた後でね」
「はい」
キッチンに引っ込んだにこ。頬の熱さを感じながら、海未は階段を登る。
「……やっと着きましたね。何だか遠回りをした気分です」
一度深呼吸をした海未は、
「穂乃果、お待たせしました」
いつも通りドアを開ける。
そこには、誰もいなかった。
「穂乃果? ことり? いないのですか?」
部屋の中に隠れられるスペースが無い事は海未もよく知っている。部屋の中央まで入って見渡してみるが、返事は無い。
「おかしいですね……。絵里の話なら部屋にいると思ったんですが……」
首を傾げた海未は、
「──ハッ!」
突如何かの気配を察知して入り口へ振り向いた。しかし一歩遅かったのか、そこにいた二人はすでに構えに入っていた。
「「海未ちゃん、お誕生日おめでとうっ!」」
全力で飛びついてきた穂乃果とことり。流石に二人分の体重は支えきれず、海未も背中から倒れ込んでしまう。
「──ムギュ」
二人が計算したかは定かではないが、背後がベッドだった為痛みを感じる事はなかった。
「穂乃果⁉︎ ことり⁉︎ 一体どこに……⁉︎」
「雪穂の部屋に隠れてた!」
「…………」
幼馴染に妹に、心から同情する海未。それから二人を引き剥がそうとするが、
「…………」
二人は動かない。
「……あの、そろそろ離れてくれませんか? 充分驚きましたし……」
「じゃあまだ!」
何が『じゃあ』なのか分からないが、揃って力を緩めない穂乃果とことり。
「……流石に、恥ずかしいと言いますか……」
「「!」」
そう海未が言った瞬間、二人は離れる。そしてハイタッチ。
「やったー!」
「成功だね!」
ようやく解放された海未は、何が何だか分からない顔。
「あのね、今日は海未ちゃんの誕生日だから、何かサプライズしたかったの」
そこまでは予想できていた。
「でも海未ちゃんはきっと先回りしちゃうから、海未ちゃんが考え付かなそうな事にしたの!」
「……それが?」
「「──海未ちゃんを恥ずかしがらせる!」」
「…………」
ガックリ肩を落とす海未。
「……みんなの行動に、ようやく納得がいきました……」
「あ、でもねでもね! 海未ちゃんをお祝いしたかったのは本気なんだよ?」
「怒っちゃった……?」
「──まさか」
海未は吹っ切れたように立ち上がると、
「お祝いしてくれる事は、素直に嬉しいですよ。穂乃果、ことり、ありがとうございます。むしろ、おかけで忘れられない日になりそうです」