外に出ると、すっかり日が昇りきっていた。危機的な状況だったモニカを一刻も早く連れ帰るため、昨晩は夜通し歩を進め続けて大修道院にたどり着いたのだった。そんな朝の光に背を向け、ベレトはアビスへと降りていった。
「ああ、ベレトさん、やっぱりあんたも来ましたか。お疲れさんです。本日も異常ありですよ。今日は地上からのお客が多いんで、あんたもそろそろ来るかと思ってたんですよ。」
「地上からのお客が多い?」
「ええ、そうです。そのうえ、今日はアルファルドの旦那も居るもんで、遠くの居住区からわざわざあの人に会いに来る連中も居ましてね。今日はなかなか人が多いですよ。」
番人の言葉に首を傾げつつ、アビスの中へ向かう。エーデルガルトの姿は灰狼の教室で見つかった。ただし、他の「地上からのお客」たちも見つかった。意外にも、ベレトにとっても馴染み深い面々。各学級の級長にベレスという面々が顔を揃えていたのだ。これは普段通りと言うべきか、ユーリスも教室にいる。
「おや? 誰かと思ったら、ベレトさんじゃないか。」
まずクロードがこちらに気付いて手を振った。
「ああ、あんたか。見ての通り、今日は大所帯だぜ。」
「今のユーリスの反応を見るに、アビスには通い慣れてるって様子か……いったい何をしていたのか気になるところだが、それを聞くならまずはこっちの事情を話すのが道理か。」
「昨夜、クロードが見つけた怪しい人影を、その場に居合わせた面子で追ってきたのです。」
「もし賊が修道院に入り込んでいるのならば一大事、と思ったのですが、正体はアビスの住人だったと。」
エーデルガルトとディミトリの説明を聞いて、皆がここに居ることが腑に落ちた。
「ベレトはなぜここに?」
「……探し物をしていたんだ。」
ベレスに尋ねられ、初めてアビスに来た時、ユーリスにしたのと同じ説明をする。
「竪琴の節に入口を知って以来、今までに何度もここへ来ているよ。」
「ベレト君は騎士でありながらアビスの内情をよく知っているということで、アビスの治安維持を手伝ってもらっているのですよ。前節の女神再誕の儀の折などは、私から頼んでアビスでの任務にあたってもらいました。」
アルファルドがさらに補足をしてくれた。
「探し物は見つかった?」
「いいや。これからも、ここには来ることになると思う。それに、探し物とは関係なく、ここへの愛着も湧いてきた頃だ。」
「それはありがたいんだが、肝心の戦力が必要な時にはいなかったよな。あんたがいない間に、アビスが襲撃されたりしてたんだぜ?」
「襲撃?」
ユーリスの話によれば、つい先ほどまで皆は、地下闘技場で侵入者との激闘を繰り広げていたらしい。ベレスたちが居合わせたことでなんとか戦力は足りたが、敵の数も多く、厳しい戦いだったそうだ。
「まあ、そう責めるつもりはないさ。あんたも一応騎士だからな、地上で任務があったんだろ? 成果は上々か?」
ユーリスの言葉で、自分が今日アビスに来た目的を思い出した。予想外の人間が居たせいで、すっかり頭から飛んでいた。
「そうだ、今日の任務の成果について、エーデルガルトに報告してほしいとヒューベルトに頼まれているんだ。」
「私に? それを頼まれた貴方がここへ来たということは、ヒューベルトも私がここにいると知って……? まあいいわ。それで、私に報告というのは?」
「ああ。盗賊討伐の依頼を受けて、彼らの拠点を制圧した。拠点の地下には、モニカ=フォン=オックスが囚われていた。」
「モニカが……」
エーデルガルトは少し驚いた様子だったが、やがて数度頷き、ベレトへ向き直って尋ねた。
「それで……彼女は今どこに? 様子は……」
「今は、大修道院の医務室で眠っている。マヌエラ先生は、快復の見込みはあると言っていた。」
「そう。ならば、良かったわ。……少し、席を外させてもらうわね。彼女の様子を確認しておきたいの。」
そう言って、エーデルガルトは教室を出て行った。
「オックス……例の男爵の娘か。つうことはあんた、うまくやったわけだ。」
「ああ、男爵との約束は果たせたはずだ、と思う。今、オックス男爵領に急使が向かっている。」
「無事に済んだなら何よりだ……が、まだ気は抜くなよ。考え得るあらゆる憂いを絶ち切るまでは、な。」
気にかかることは無いわけではない。たとえば、まさにモニカを誘拐した組織の一員に他ならぬソロンが、ガルグ=マクに潜伏したままだということ。今はせめて、ガルグ=マクだけでも―――皆が憂いなく過ごせる場としたい。トマシュの正体を暴くための計画も、既に立てている。
「もちろんだ。一切手を抜くつもりはない。」
それから地下を見回っていると、級長たち以外にも、リンハルト、アッシュ、ヒルダという面々がアビスに居ることがわかった。そして、番人の言っていたとおり、見慣れない地下の住人も多かった。……今日のアビスは、なにか普段と違う雰囲気を纏っているような気がする。ベレトは、何かが起こる前触れのようなものを感じ取っていた。
地下を一周して灰狼の教室に戻ってくると、中からアルファルドの声が漏れ聞こえてきた。
「ジェラルト殿とシトリー……君の母君が婚約すると聞いた時は、驚いたものです。何しろ私たちにとってジェラルト殿は、いわば、師のようなものでしたから。」
会話の相手はベレスのようだ。話題は、ベレスの両親―――それはつまり、ベレトの両親でもある。ベレトが元いた世界線で、アルファルドが母の墓に花を供えていたのを見たことがある。ベレトやベレスにとっては貴重な、両親のことを昔から知っている人物だ。
母は病弱だったと語るアルファルド。大修道院を出られなかった母は、騎士団長として外の世界を知るジェラルトに憧れていたのだという。
「……私ではとても、ジェラルト殿のようにはなれませんでした。」
アルファルドはそんな言葉をこぼした。ベレスに聞き返されて誤魔化してはいたが、おそらく、母に……。
「何してんのさ……盗み聞き? レトさんも良い趣味してるね。」
「アルファルドさんの話だぞ? そりゃあ気になるに決まってんだろ。」
ハピとバルタザールが背後から現れた。
「何の話してるんだろ。『シトリー』……って、誰?」
「ベレスの母親の名だ。彼女が修道院にいた頃、アルファルドさんとも知り合いだったそうだ。」
「へえ、不思議な縁もあるもんだな。昔の知り合いの子どもと偶然再会するなんてよ。」
確かに、不思議な縁だ。……ベレトが元いた世界線ではアルファルドと知り合うことはなかったのだから、ベレトが別世界から介入したことで繋がった縁なのだろう。奇妙な偶然が重なって、二人はここに居るのだ。
「中に入らねえのか? そんなとこで集まって、何やってんだ。」
そんなことを考えているうちに、ユーリスとコンスタンツェも集まってきた。教室の中での会話も一区切りついたようだったので、皆とともに中に入ることにした。
ユーリスは、先ほど闘技場で捕らえた賊たちを尋問してきた帰りのようだった。大した収穫はなかったようだが、アビスにある「何か」を狙っていることは突き止められたらしい。いったい何を探しているのだろうか? 全員が首をひねる中、アルファルドは何か心当たりがある様子だった。
「アビスには、ある伝承が残っているのです。このアビスの更に下層“封印の谷”に、“始原の宝杯”が眠っているという……。」
はるか昔、失われた命を呼び戻す儀式に使われた道具らしい。ただ、儀式は失敗に終わり、宝盃は儀式を行った使徒たちによって封印されたそうだ。
「やはり、死者を蘇らせる……か。……欲する者がいるのも、不思議ではない。」
ディミトリが静かに言う。父か、継母か、友か……彼にとって、思い浮かぶ顔は多いはずだ。そしてそれは、ベレトにとっても同じことだった。父ジェラルトをはじめ、今までに経験した世界では、大切な人を何度も喪った。それを蘇らせることができるというのなら……何を投げ打ってでも叶えたい気持ちは痛いほど理解できる。
「いずれにせよ、もう少し伝承についての情報を集めたほうが良さそうね。」
それから少しの間、ベレトたちは地下書庫で宝杯の儀についての情報を探し回った。しかし、結局何の情報も得られないまま灰狼の教室に戻ると、なにやら言い争う声が聞こえてきた。
「……いいえ、それは私が許しません。君たちを危険な目に遭わせたくないんです。」
「けれど理由を突き止めてしまえば、危険を排除できるかもしれませんのよ!」
声の主はアルファルドとコンスタンツェ。どうやら、宝杯を探しに出ようとするコンスタンツェをアルファルドが止めているようだ。バルタザールも、コンスタンツェと共にアルファルドの説得を試みている。
「今は勝手な行動は控えてください。……約束を。君たちは、もう十分に傷ついてきた。これ以上危険な目に遭う必要はないんです。」
そう言って、アルファルドは教室を出て行った。入れ違いにベレトたちが教室に入ると、コンスタンツェは目を輝かせた。
「……ああ、貴方! ちょうどいいところに! 畑に翠雨とはこのことですわね! さあ、地下に潜りますわよ、貴方たち! 宝杯が私たちを待っていますわ!」
「地下?」
「そう! 大修道院の更に奥深く! 宝杯が眠るという“封印の谷”へ!」
コンスタンツェは、意気揚々と宣言した。アルファルドにあれだけ説得されてなお、アビスがこれ以上襲われないよう行動したい気持ちは失せていないようだ。
「おーっほっほっほっほ! 決まりですわね! 出発の刻ですわ!」
成り行きでベレトたちも共に行くことになり、一行はアビスのさらに地下深くへと出発した。
数刻ほど歩くと、外の光が見えた。そうやら、大聖堂前の橋梁下に出たらしい。ここが“封印の谷”らしい。コンスタンツェが日向に出るのを渋ってひと悶着あった後、谷の中に歩み出していくと、なにかが動くような音がし始めた。
「どうやら仕掛けがあったようね。封印を守護しているのかしら……ほら。」
巨大な絡繰人形のようなものが立ち上がるのが見えた。眩い光を放つ槍のような武器を手にしている。さらに、どこからともなく兵士たちが湧いてくる。
「その図体、鉄板みてえに畳んでやるぜ!」
バルタザールを先頭に幻影兵を打ち倒しにかかったが、倒せば倒すだけ他の兵が現われる。このままではきりがない、というところで、コンスタンツェが谷の奥に怪しげな装置を発見した。
「聖域ノ禁ヲ犯セシ者ヲ……立チ去ラヌナラバ、滅ス……」
人形の中でもひときわ大きなものが、こちらへ警告を発してきた。その体には、鍵が取り付けられているのが見えた。おそらく、あれが仕掛けを制御するためのものだろう。
そこからはベレスの指揮で、幻影兵たちを打ち払いながら谷の奥へ奥へと足を進めた。鍵を回収し、岸壁に三つあった鍵穴の一つに差し込むと、仕掛けは動きを止めた。
「冷や汗かいたが……仕掛けは止まったか。ここまでやって空振りってことはねえよな?」
「そのようだ。運よく、一度で本物の装置を引き当てられたのかもしれないな。」
装置の近くの岸壁には、紋章らしき紋様が四つ描かれていた。ハピが近寄ると、その紋様は突如光を放ち始め、岩壁がぱっくりと開いた。
「これは……紋章の反応!?」
「穴の奥に、何かあるぞ……!」
そこにあったのは、まさしく盃。英雄の遺産と同じような素材でできているように見えるこれが“始原の宝杯”なのだろう。コンスタンツェとリンハルトがしきりに考察を重ねている。
「……あら?」
「……雷か。これは一雨来そうだな。」
「ああ、本格的に降り出す前に、さっさとアビスに戻ろうぜ。」
とりあえず宝杯を回収し、アビスへと引き返すことにした。
「大変ですわ皆様! 後ろから……」
ひとり遅れていたコンスタンツェが猛然と走って追いついてきた。
「おいおいどうしたコンスタンツェ、そんなに焦って……」
その答えが、地下通路にガンと音を響かせて現れた。先ほど地下で出くわしたような巨大人形が一体、通路まで追って来ていた!
「走れ!」
ユーリスに言われるまでもなく、皆駆けだしていた。一目見ればわかるほどに、あの人形は異様な力を放っている。捕まれば命はないことは、火を見るよりも明らかだ。
それからは、皆ただひたすらに走り続けた。もうすぐで居住区という頃になっても、幻影の兵たちは追ってくる。
「もう少し走るぞ。敵を食い止めるのに都合のいい場所がある!」
「……! あの仕掛け扉か! 確かにクソ頑丈だったな。」
ユーリスの言う仕掛け扉は、すぐに見えてきた。通るために扉を開け、敵を通さないよう扉を閉め、確実に追手を分断しながら上へ向かう。
「お頭の言ったとおりだ! 連中が戻ってきやがったぜ!」
「おい、宝は見つけたのか!? えーと、何だったか……とにかく寄越せ!」
今度は前から賊の集団まで現れた。どこから情報が漏れたのか、宝杯を持っていることは知られているようだ。
ベレトとベレスを先頭に、賊の集団を切り崩して、通路を速足で駆け抜ける。こいつらに足止めを食っていては、仕掛け扉に閉め出され、幻影兵に追いつかれてしまう。
「よし、これで全員だな! 仕掛けを作動させるぞ!」
ユーリスが叫ぶ。一番奥の扉を全員が通り抜けたのを確認して、仕掛けを作動させる。リンハルトの背後で金属の扉が重い音を立て、賊や幻影兵たちを完全に分断することに成功した。
「もう今日は扉にはうんざりだよ……。はあ……疲れた……。」
「ま、これで無事に“始原の宝杯”をアビスに持ち帰れましたわ! おーっほっほっほ!」
しかし、今日の苦難はこれでは終わらなかった。アビスに帰った一行を待ち受けていたのは、アルファルドが攫われたという報せだった。
『枢機卿アルファルドの身柄は預かった。今のところ身の安全は保障しよう。助けたければ、宝杯を持ってこい。明日の夕刻、旧市街の礼拝堂跡で待つ。ただし、騎士団を連れてきた時には枢機卿の命はないと思え。』
リンハルトとハピが、こう記された置手紙を発見してきた。
「騎士団を連れてきた時には……。ということはどうやら、自分は力になれそうにない。すまないな。」
「あんたが謝ることじゃねえよ。とにかく、今できることを考えるのを手伝ってくれ。」
それからの一日は多忙だった。アビスにアロイスがやってきて、共にレアに謁見し、それからは事の処理を任されあちこち駆けまわっていたのだ。次にアビスに戻る頃には、もうすぐ旧礼拝堂跡に出発しようという時分だった。
「おお、戻ってきたな。まったく、こっちはあんたと逢いたかったってのに。」
きっと待ち構えていたのだろう、アビスに入るとすぐ、ユーリスに声をかけられた。ユーリスはベレトを人目のない通路に誘う。
「もう時間がないが、あんたとやりたいことがあるんだ。逢瀬の約束をしないか?」
「……目が笑っていないが。」
「ああ……悪いな。がっつくつもりはなかったんだが、つい。」
まさか、この切羽詰まった時に、単に逢瀬がしたくなったわけではあるまい。ユーリスは何か計画を巡らせていて、ちょうど都合の良い場所にベレトを呼び出すための言い訳だろう。彼は、そういうことをする人物だ。
「……今日の夜半過ぎ、大修道院の鐘が鳴る。それを合図に、聖廟の前で待ち合わせよう。こっちにも都合がある。夕方でも朝でもなく夜半過ぎだ。間違えるんじゃねえぞ?」
「わかった。夜半過ぎに、聖廟だな。」
「話が早くて助かる。絶対忘れてくれるなよ。きっと、楽しい夜にしてやるぜ。」
ユーリスは片目を瞑ってみせてから、旧礼拝堂跡に向かう面々の方へ戻っていった。