頭ふっわふわな短編集   作:サラダ豆乳パン

13 / 37
ルートが二つにわかれます


橙ルート

 猫は飼われるのではない。人が飼われるのだ。

 

 猫というものは、気ままなものが多い。甘えてきたと思ったら、すぐ引っかいてきたりと気持ちも行動も変動が忙しそうなものに見える。甘えてくれるのは、手が離せないときが常。手が空いて、さぁ、甘えて来いとやっても、とたんに知らん顔。下手すると噛まれるわ引っかかれるわ、痛い目を見る。甘えられても、すぐ気を損ねて、もういいとばかりにその場からさっさと去ってしまう。

 

 だが、それがいい。

 

 そう猫好きは言うのだ。犬のように従順でなくていいらしい。人は犬を飼いならすが、猫ではできない。猫は人を飼いならすもの。どちらも、古代から人と密接に暮らしてきた。ネズミやイノシシといった害獣避けのために、オオカミやヤマネコなどといったものを飼いならしてきた。犬が人の言うことを聞くと、その犬は賢いといわれるが実際のIQの高さでオオカミとどちらが賢いのかといえば、オオカミの方だ。人間に都合がいいことで賢いといわれるのが犬である。

 では、猫の方はどうだろう。トイレの場所や爪とぎ用のものを教えれば、それにするようになる。賢い。犬も同様にすればできる。どちらも、人間に都合がいい。ちゃんと人間に“飼われている”。だが、これでは最初に語ったこととは違うと思うだろう。そう、これは誤認だ。“人間は猫に飼われている”が正しい。トイレの場所を覚えるために、人間がトイレを用意し教え“させてあげた”。爪を研ぐのにちょうどいいものを、用意“させた”。これが正しい。犬も同じではないかと思うだろうが違う。彼らはちゃんと、できたよ、褒めてと小さな子供のようにできたことをアピールする。猫は、やってやったぞ、という俺様だ。逆に出来なければ、犬は本当に申し訳なさそうにする。猫は、なに? と悪気を見せずいつも通りにする。猫のこの俺様っぷりに眉をしかめるものがいてもおかしくはない。人間で例えるなら、飲んだくれの亭主関白を気取るくそ親父だ。

 そんなことなのに何故猫好きという物好きが存在するのか。このような様が愛おしいと躾られてしまっているからだ。

 

 ここまででわかっただろう。猫は飼われるのではない。人が飼われるのだ。

 

 飼うというのは世話をすること。猫が人の世話など出来ない。では、間違っているのかというとそうではない。世話“させてやってる”から、間違っていない。人にご飯を用意“させてやってる”。人にトイレの世話を“させてやってる”。

 なんともうんざりする生き物だ。猫好きは皆世話好きだから猫が好きになるなどとそういうことではない。世話好きでないものもいる。猫限定で世話好きなだけだ。これだと、DVする屑とその相手という関係だが、あながち間違っていない。ときおり甘い顔をするのが共通点だ。個体差によって常に飼い主にはデレデレなのもいるが、基本はツンデレであるのが猫だ。無邪気に弄んで、飽きたらさよなら、という熱しやすく冷めやすいのもある。だけれども、甘えた声で鳴いたりすれば、可愛いものだ。そうでなくとも、歩く姿はしゅっとして美しく龍がそこにいるようで、寝床にもぐりこんで一緒に寝てくれたらもう可愛くて仕方がない。ご飯を食べる姿などもう言うことがない。好物であって喜んでくれたなら、もっとお食べお食べ、とあげてしまうものだ。猫じゃらしにじゃれる姿は思わず食べてしまいたくなるほど。猫じゃらしが動くたびに、必死に前足も後ろ足も使ってぴょんぴょん跳ねて、ウサギよりも上手く跳ねていると確信するもの。忙しいときに限って、甘えてくるのもたまらない。最初は、困ってしまうものの甘えた声で鳴いたり彼らの目がじーっとこちらを見る、なにより傍から離れない様がなんともいじらしいではないか。これを無碍に出来るだろうか、否、できるはずがない。

 

 猫の魅力をなんとか絞って語ったが、お分かり頂けただろうか。本当は一つの辞書でも収まりきらないほど魅力なところがまだまだあるのだが、疲れてしまうだろうからここまでだ。

 

 つまり、何が言いたいか。

 

 博麗夢蔵(人間)()に飼われる生き物なのだということだ。

 

 まだ分からない? 仕方がないな。もう少し噛み砕いて言おう。

 

 博麗夢蔵は橙を愛している、ということ。そして、同様に橙も博麗夢蔵を愛している、ということだ。

 

 

 

「橙」

 

 

 優しい声が好き。心が温かくなっていくから。

 

 

「どうしたの、夢蔵?」

 

 

 同じようになって欲しくて、優しい声で言う。

 

 

「呼んだだけだ」

 

「なぁにそれ」

 

 

 笑みがこぼれる。

 

 夢にまで見た二人っきり。お日様が当たっているだろうところで仲良く日向ぼっこ。

 

 隣の夢蔵からいつもの少し古臭い臭いはしない。彼のいた家は神社であるため、その独特の臭いに包まれている。それをいいにおいというものもいれば臭いというものもいるだろう。橙もどちらかと言えば臭いと言い放つ嫌いなものだ。彼女が化け猫のせいもあるだろう。神社なのだから、いろいろとそういうものが嫌うものが多い。夢蔵は博麗の宮司ではなく博麗の武士なのだから関係ないといえば違うもの。彼は基本的に必要としないが特殊な墨を使い符を書いたり、精神修行の一環として写経をしたりする。他にも博麗の子として霊力を妹には満たないがある。それが、なんとも魅力的にも映れば嫌でもあるのが妖怪からの視点。

 霊力のある人間を喰らえば強くなれるというのが、言い伝えであるだけでなく事実であるのだ。霊力が多ければ、強ければなお良い。少なく、弱くとも育てて喰らうということもある。だが、そうやって舐めてかかると退治される場合が常。ハイリスクハイリターンかローリスクローリターンの選択肢。どちらも迷う。数を集めるのが面倒ならば前者、安全性を求めるならば後者。そうなればいいが、どちらもリスクが上がっていってしまうものだ。“やられたらやりかえす”。そういうものが人間にもあるからだ。喰らう者が良いほど、多いほど喰らったモノを退治しようとする。止めれば済む、と簡単にいうができない。とある妖怪のような、人を驚かすだけで腹が満ちるような安心親切設計であればいいが、そうでないものがほとんどだ。見た目は無害そうなのに実はまったく逆だというもの。人間にとって危険かそうでないかは阿求女史の本を読めばある程度はどうにか分かる。だが、それが“確実に”分かるものではない。

 妖怪も人間も食欲は変わらない。腹が減れば、あるものを喰らう。それがなんであるかなど些末なことだ。食べたいから喰らう。死にたくないから喰らう。理由はどうあれ、結局喰らうのだ。美味ければまた食べたいとなるし、不味ければ今度は違うのをとなる。…余裕があれば、の話だ。どうしようもない飢餓感に襲われたなら? 人間とて人間を喰らう。倫理観だのなんだの関係ない。腹が減ったから喰らうのだ。我慢して我慢して。我慢が限界で、限界だから。喰らうのだ。

 カニバリズムを肯定する話ではないし、これはここまでにしよう。つまり、食欲をざわつかせる様な臭いはそんなにしないということだ。

 

 それを超えるだろう、良い匂いがする。それは食欲を騒がせるものではないが、強く本能を刺激するもの。

 

 

「んふふ~」

 

 

 匂いをもっと嗅ぎたくて夢蔵の方へ向き直り、体を寄せる。すると、耳に触れないよう注意しながら頭を撫でるのだ。

 

 

「橙」

 

「なぁに?」

 

 

 優しい声の中に、奥がきゅんとするような何かを入れてくる。猫の状態では収まりきれないもの。

 

 

「好きだ」

 

「うん」

 

 

 きゅんっと。きゅんきゅんっと。奥がする。食欲を見る見るうちに超えてくる欲が出てくる

 

 

「ひゃ、あっ」

 

 

 尻尾の近くを掻くように撫でられ、あのときのような声が出てしまう。思わず顔を赤くして、両手でそんな声を出した口を塞ぐ。

 

 

「橙。いい子だから、もっと聞かせてくれよ」

 

「あぁぁぁあっ! あ、ふ…やっ」

 

 

 あられもない声が上がるのを必死で堪えるが、堪えていない感じになってしまう。

 

 

「橙」

 

「い、ま…ふにゃぁあん! ひな、た…ぼっこ…っつ!!」

 

 

 したいのはしたいけど、今は日向ぼっこの気分だったのに。

 

 

「可愛いな」

 

 

 そういう顔は笑っている。

 

 いやらしく笑っているのはずに。

 

 

「橙」

 

 

 甘えたさんの顔だから、しょうがないなと思う。

 

 甘えたさんを甘えさせる。私の見た目と夢蔵の見た目でそうすると違和感がすごいらしい。でも、私たちは満足しているし違和感などない。当たり前のものになっている。

 

 今、ふにゃりと蕩けた目と表情で、全身で私のことを呼んでは好きと言ってくる。それに応えるため此方の手を伸ばし胸に抱え、彼の頭を優しく撫でるのだ。そうすると胸にぐりぐりと頭を寄せてくる。

 甘えん坊で可愛い人。時折、少し膨らんでいる胸の頂をわざとなのか知らないが、鼻や唇で掠めてくる。もう少ししたら咥えさせてあげるから、もうちょっと待って欲しい。

 

 そういうふうにしたのは他の誰でもない私。

 

 

 迷い家のある里に迷い込んだ夢蔵たちを追い返そうと迎撃するが敗北。家の家財を霊夢に持っていかれそうになるが、それを夢蔵が止めたため恩義を感じる。以降は夢蔵を「夢蔵しゃま」と呼び甘えるようになった。

 

 

 甘えていたのは私だった。けれど今は逆。夢蔵は、子猫のように私に甘えてくれる可愛い人になったのだ。

 

 どうしてそうなったのか。

 

 私は式神が憑いている間は人間の子供程度の智慧を持つ。故に子供のような様子を振る舞う者だ。そしてこのときは、妖術を扱う程度の能力を扱える。これは、そんな対したものではない。手品に近い程度のもの。このまま変化しなければ何も変わらないものだ。

 けれど、人と同じように妖怪も成長する。それは容姿であったり能力であったり様々だ。子供程度の智慧で考えついたものは未熟、それを行う自身の能力も未熟。けれども、それを成長させれば…?

 智慧は子供程度とはいえ、人間の年で計算すれば私は夢蔵よりずっと年上だ。まだ二尾の化け猫でしかないが、それは変わらない。智慧を軽く置いていくほどの精神年齢であるのは、なかなか気づかれない。式神が憑いているときに見せる容姿年齢に引っ張られることが多く、言動や行動もそうなってしまうから。それもしょうがないと諦めるのは容易い。だが、そんな情けない選択はしなかった。

 その選択は許されない。誰でもない私が許さない。ならば何故そんな選択をし変えたのか。

 

 寂しそうに泣いている夢蔵を見たから。

 

 そんな様、甘えるようになってから一度たりとも見たことがなかった。甘えるようになるまでに彼と接したことがあるかといえばはっきりしない。自分に式神を憑けていた藍様は夢蔵ら博麗兄妹を育てたことがあるので関係は深いものだろう。たまに仕事を手伝わされるときなど紫様や藍様伝いで聞いたことがあるかもしれない。人間など興味なかったのだからどうでもいいと聞き逃したのだろう、その話をどれか一つでも覚えているかと尋ねられたなら一つも欠片も覚えていない。

 

 何故と思って尋ねた。泣く姿に疑問を抱いたのだ。

 

 夢蔵は強い。これまでほぼ全ての敵を一撃で倒すなど、身体能力は規格外。耐久力や生命力も幻想郷一で、明確なダメージを負ったことはほとんどないのだ。スペルカードルールでの戦いも並大抵の実力ではない。

 そう言う面で強いだけでなく、心も強いと思っていたのだ。強いと、誤解していたのだ。成人しているとはいえ、此方から見れば子供などと、そういうことではない。夢蔵は男であるし、当時の私やルーミアといった妖怪が甘えてきても他の人間の子供と同じように優しく平等に接してきた。普通ではない。人間と同じ子供の容姿であっても、いつどうなるか誰も分からない。あどけなく笑う顔が、残忍な笑みに変わることは少なくないのだ。里がそう言う教育方針だから、夢蔵は藍に育てられたから、そうであるからかもしれない。そして彼はどんなことがあっても折れないよう並々ならぬ鍛錬を己に課してきた。身体のものの、精神でのものも、どれも最高峰と胸を張れるほどの物を、会得した。はず、だ。

 

 それが、なんとも寂しそうに泣くのだ。頬に涙が流れずとも、そうわかるように泣く。

 

 何故と、聞く。そんなことはないと言って、いつものように優しく笑って頭を撫でてくれる。茶を濁すようであるが、そうしてくれた方が此方も安心に落ち着けたはず。けれど、このとき、弱音をこぼしてくれたのだ。

 

 

 “親父に会いたい”

 

 

 その日は、夢蔵の父親の命日であった。そして十回忌でもある。まだ残っているはずの家族の方でひっそり何かするはずが、猫の里にいる私のところでそんな弱音をこぼしに来た。それを不思議に思う。私なんかよりも、夢蔵と霊夢、博麗兄妹らの育ての親とも言える藍様のほうがそういうことを言ってもいい感じではないだろうか、と。けれども、すぐにそれを片す。恩に報いるのは今しかないと思い直したから。

 

 父親に会いたい以外にも色々と弱音を言った。もう疲れただの、もういやだだの。

 

 情けない、とは思わない。いたいいたい、と泣く彼を抱きしめてあげるのは私しかしないから。そんなこと思っては、彼が壊れるしかなくなってしまうから。溜め込んでいたものを吐き出させる。自身の程度の能力をもって吐き出させる。手品程度とはいえ、このときであればそれでも十分だ。視点を入れ替え騙す、ことができるから。

 

 彼の口からは弱音をこぼすたびに、それをなんとかしようとしている言葉を出す。

 

 “ごめんなさい”と。

 

 なんども、なんども。おなじ言葉を言う。

 

 それは子供程度の智慧しかない私でも分かった。

 

 “甘えてしまってごめんなさい”、だ。

 

 甘えている様など、見たことがなかった。藍様についていって神社に行ったときも、寺子屋にいるときも。どちらも親というものがいた。前者は、藍様や夢蔵の生みの親が、後者は慧音といった大人がいても、いつも通り。男らしくきりっとして、けれども誰にでも優しい父性も持って接している、そんな彼が。

 

 こんなにも子供らしく、(子供)に甘えている。

 

 それがなんとも、嬉しく、心地よかった。

 傍から見れば、異様だと感じるだろう。夢蔵は大の大人で、橙は多めに見積もっても十代中ごろの子供の容姿。彼らの様子は異様だ。

 

 けれども、彼らはそれがしっくりきている。子供のように橙に甘える様、母親のように夢蔵を甘やかせている様。これが、彼らの間では普通だ。

 

 人間であっても猫であっても、大人になれば親に甘えるということはしなくなる。人間であれば、思春期に入ると親がうっとうしくてたまらなくなるものだ。猫は本能的に自分で立たねばと、親元から巣立つ。どちらも途中で、親の元へ戻りたいと思うときがあるだろう。猫は許さない。大きくなれば、自分の餌も縄張りも番も自分一匹で見つけやりくりせねばならぬ。だが、人間の場合は戻ってもいいよと甘えさせてくれる。子供のように振舞うのは羞恥心がある。子供のときはそんなものはない。子供であったのだから当然のことだ。大人になれば視線は高くなり親の方が小さく物理的にも精神的にも感じる。子にとって親というものは、親のままだ。当たり前だろう。血の繋がりがどうのこうのは関係ない。絶対不変であるものだ。だから、甘えてもいい。

 

 けれど、甘えたままでいることは許されない。親は子供を育てた。子供は大人になった。大人になったなら、今度は子供であった大人が親になる番なのだから。実際、親にならなくてもいい。誰かや何かを育てればいいのだ。何故か。自分の大事なものを教え次代に託し、それをまた次代に託していかなければならないから。種の観点から言えば、優秀な遺伝子。智慧を持っているものならば、その意思や智慧など。自分が生きていたという記録を残し伝える。神話のような偉業や、学者や発明家のような才や智慧でなくてもいい。誰かや何かに、自分が生きていたことを刻み付けるのだ。

 それを連綿と続かせていく。そういう意義ある。

 

 これを放棄するのが、大人になれなかった子供のままのものらだ。生きていたことを刻み付けるなら、親だけでもいいではないかと戯けたことを本気で当たり前に思っている奴らだ。

 親が面倒を見続けられればいいが、なかなかそういうことは出来ない。親の資金や世間体などのこともあるが、親はいずれ子より先にいなくなってしまうからだ。いくら健康であっても、年を老いればあちこちガタが来る。いくらメンテナンスしようと、いずれは朽ち果てるものだ。その不安を親も子も考えている。けれど、打開するには甘えたの子が自立するしかない。一人ぼっちで生きていくのかどうかは、もう大人になってしまったなら自分で決めるべきものだ。どうすればいいと親に泣きつくことは許されない。大勢の人に認められなくとも、一人でもいいから認められればいいのだ。それは非常に難しいけれど、自分の生に意味があったのかと考えたとき、何か一つでもあれば安心するもの。何もなければ絶望して終わり。どちらが良いかといわれれば断然前者だろう。意思疎通が出来るならば誰でもそう考えるはずだ。

 

 長々とまだ詳しく考えたい内容だが、今回は夢蔵と橙という甘えたさんと甘えさせさんの話。前置きはこのくらいでいいだろう。

 

 夢蔵の甘えたは、どういうものであるか。許されるようなものとも言えるし、違うとも言えるもの。

 

 一人で立ってきたのだ、今まで。父親と同じ、博麗の武士になりおふくろと妹という大事な家族のため正気を疑うような鍛錬を積み、一人前であろうと求められることは全部為してきた。ファンクラブが出来るほどのカリスマ持つことが出来た。褒められるものだ。立派な大人である。

 

 けれど、本当は辛くて仕方がなかったのだ。追い越せない目標になってしまった父、こっそり自分たち兄妹にばれないよう父の死を悲しむおふくろ、寂しい思いを忘れるよう自分を慕う妹。家族が大事で重荷だった。しっかりせねばと感じたのは、自分から。父の代わりにはなれぬのを自覚しながら、おふくろや妹のため自身を鍛え上げた。誰かに頼りたいのは残された家族全員だったのだ。全員がそのまま甘えたではいけない。だから、夢蔵は甘えるのを我慢した。甘えたくて仕方なかったが我慢した。自分は一人で立てるよ、と自他とも騙し抜いてきたのだ。

 

 それも、橙に弱音をこぼしてから終わった。

 

 思わず零れたものだ。いや、思わずではない。我慢の限界であったことは気づかなかった。入れ物が壊れてしまっていたのに気づかなかった。

 妖怪の山であれば普通誰も近づかない。しかも歩くのに適していない獣道であったならなおさら。そこで、誰にも見つからないようにばれないように泣いたのだ。自身の程度の力である覇気を操る程度の能力は敵味方の位置を探知できる。それを行使できる余力はあるはずだと初めは思うも、泣き出すとそんな余裕はなかった。誰にも知られないよう小さくしていたが橙にはあっさりばれたから、余裕などなかったのだ。

 

 泣いたことなど、父が死んでから一度もなかった。どんなに苦しくても辛くても泣くまいとしてきたから。弱音すら腹の底に押さえつけた。自分がしっかりせねばという気の張りは尋常ではなかったのだ。だから、簡単に割れてしまう。ずっとしまいこんでいた、弱音が溢れ出て止まらなくなる。それを情けないと自分で思う余裕すらなかった。ただ、辛い、苦しいと。一番言ってはいけない言葉さえ言ってしまったほど。

 

 “助けて”などという禁止にしていた言葉を言ってしまうほど、限界だったのだ。

 

 最初は俺の様子に驚いていたものの、俺を抱きしめ優しく頭を撫でてくれた橙。小さな子の胸の中でみっともなく、それこそ自分の方が小さな子だといわれるほどみっともなく、泣いた。

 

 泣き止むことはなかなか出来なかった。嗚咽混じりに、“助けて”、“助けて”と誰に向けたのか分からないが求めた。許されないことだと、このときは思っていたのだ。

 

 でも、彼女が言ってくれたのだ。

 

 

「私が助けてあげる」

 

 

 そう、言ってくれたのだ。

 

 だけれども、すぐさま断るような愚痴を言った。

 

 

 “甘えは許されない”

 

 

 おふくろと妹を守らねばならぬ。一人で立たねばならぬ、迷惑を欠けてはならぬ。そういう思考が泣いてすっきりした頭の中で騒いでいた。けれども、それは躾けられて。

 

 

 “甘えてもいいんだ”

 

 

 に、変わった。

 

 

 いや、変わったのではない。変えられたのだ。橙の程度の能力によって。

 

 彼女の能力は、妖術を扱う程度の能力と人を驚かす能力だ。式神憑依時が前者で、化け猫時が後者。そのときの行使した能力は前者であった。簡単な妖術程度だが、このときの俺には効果抜群だったのだ。躾けられたのは、この程度の能力の力が最初大きく働いたのだ。妖術は様々あるが、このときのは洗脳のようなものだった。橙であれど全力であれば人間の洗脳など容易い。とくに心身が衰弱しているときならば、特に条件がいい。洗脳は強すぎるものではない。意識に軽い傷をつける程度だ。だが、それが強力なのだ。

 

 意識に無理やり自分でのものではないものが入ったら、自分のものではないものを異質と即座に判断し処理をする。傷なんてつけたらならどうなるか。その意識を処理してしまう。このときの場合“甘えは許されない”という意識に傷をつけたことで、それが有害だと判断され処理されたのだ。ばい菌が入れば、それを排除しようと動く白血球のような仕事ぶりだ。だが、いきなりなくなるものではない。そんなことをしたら廃人まっしぐら。ほんとうに軽いものである。処理される時間を稼ぐよう、徐々に傷を刻み込んでいく。痛みをともわないよう繊細にやる。これをなすには、二尾程度の化け猫である橙では実力不足のはずと思うだろう。だが、彼女に式神を浸けているのは誰だ。さらにそれを為しているものの上は誰だ。どちらも幻想郷のパワーカーストの上位に位置する連中。それらに世話になっている身だ、その程度難なくこなせるべきもの。

 

 とにかく、俺の意識を変えられた。それに不幸だ、不満だと怒鳴り泣き喚くことはない。そういうふうに意識を変えられたからだけではない。女になりかけの少女の優しく甘い香りは、嘘さえ包み込んでしまうがそうではないのだ。

 

 自分を肯定できた。甘えたかったという自分を肯定した。

 

 情けないと思う気持ちすら湧かない。今も少女の胸に抱かれ頭を撫でられていても。

 

 俺の甘えとは、“愛して欲しい”、“相手をして欲しい”という誰でも思うことだ。こんなこと誰でも思うことだろう。だが、本当に思うことは、“許して欲しい”、“助けて欲しい”ということ。何からという具体的なことはもう思い出せない。優しく愛して、助けてくれる橙がいれば思い出すことなどいらないのだから。橙だけいればいい。

 

 

「夢蔵」

 

 

 俺の名を呼び、父親似の少々固めな髪をくすぐるように撫でてくれる。こうなる前は、舌足らずに“夢蔵しゃま”と敬称をつけられていたがなくなって安心する。愛しい女()に敬称なしで呼ばれるのは嬉しい。とんでもなく嬉しい。

 

 

「夢蔵」

 

 

 甘い匂いの中に、男の本能をくすぐるものが入っている。少女から女になるのだろう。それは変化でもなんでもなく、彼女の成長からだ。それに少々恐怖心が起こる。大人になればこうすることは許されなくなるのだろうか、と。

 

 

「ずっと一緒にいようね、いつまでも。いつまでも、ね」

 

「あぁ」

 

「心配しなくていいから」

 

「うん」

 

「守ってあげるね」

 

「うん…」

 

 

 甘えさせてくれる彼女の胸に頭を押し付ける。“甘えたい”というこの思いは自分のもののはずなのに別のもののように感じてしまう。だが、それもすぐ忘れるだろう。

 

 

「眠いの?」

 

「う、ん」

 

 

 少女の中の確かな母性愛に包まれ全身が溶けるような感覚がする。

 

 

「じゃあ、ずっと撫でてあげるね」

 

「いなくらならないで」

 

「大丈夫、ずっといるよ」

 

「ほんとうに?」

 

「当たり前でしょ?」

 

 

 怖さを打ち消すため橙の顔を見上げる。その目は嘘を言わない。俺を愛してる、愛してるとずっと言ってくれている。

 

 

「ずっと一緒にいようね」

 

 

 まるで夢心地だ。このまま眠ればいい夢が見れそうじゃないか。

 

 

 夢を見るのは楽しくて仕方がないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

起きることを止めようかな

 

視界を白くする

 

視界を黒くする

どれぐらいのヒロイン数がいい

  • 一人
  • 二人ぐらい
  • ハーレム
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。