「ヒーローとは、弱き人々を守るために、怪人という脅威に立ち向かう強き人々である」

「……ヒーローなんて、信じない」

「ヒーローなんて所詮、我が身可愛さに逃げ出す奴らと同じだ」

「だから私は、ヒーローを当てになんかしない。名前が欲しいだけのヒーローなんて、嘘っぱちだ」

「本当のヒーローは……あの人だけだから」


これは、とある少女が、あるヒーローを追いかける物語である。

そのヒーローは、C級で、ダサくて、ハゲていて……誰よりも強かった。

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村田版ワンパンマンの二次創作です。本編で白い目で見られがちなサイタマですが、裏ではこんな子がいてもおかしくないと思いました。


ヒーロー

 春。桜が舞い散り、桃色の花びらが道を、そしてその上を歩く人々の上にひらひらと舞い落ち、桜のシャワーとなって降り注がれていく。

 

 その道を歩くのは、黒い学ランを羽織った男子、セーラー服を纏った女子といった、学生が大半を占めていた。

 

 

 桜が咲き乱れる今日この頃。本日はF市にあるとある高校の始業式である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業式当日の朝、生徒たちはそれぞれが在籍するクラスで、雑談に勤しむ女子や、ふざけあったりしている男子の声によって、喧騒に包まれていた。

 

「はぁ……」

 

 そのクラスのうちの一つ、同じく騒ぐ生徒たちの中、中央よりの席に座り、憂鬱そうなため息を一つつく女子生徒。黒に近い茶髪をポニーテールにした溌剌とした容姿をしている彼女は、机に腕を組むように乗せて、さらにその上に顎を置いて、だらけた姿勢で座っていた。他にも数名、彼女と同じ体勢の人がいたり、周囲の人間は自分と仲の良い友人と語らうのに夢中で彼女が視界に入っていないのか、誰も話しかけてこない。もっとも、彼女にとって今話しかけられたら鬱陶しいことこの上ないため、この状況はありがたいところではある。

 

「あ、ナツエちゃん。おはよう」

 

 が、そんな少女に話しかける人物が一人。黒い髪を三つ編みにして左右二本に束ねた、眼鏡をかけた少女だ。大人しそうな外見をしており、発する声もどこか控えめな印象を与えている。

 

「あぁ、フユミ。おはよう……」

 

 机に伏せていた少女ことナツエは、ダルそうにしながらも顔を上げて目の前に立つ友人、フユミに挨拶を返す。友人が声をかけてきたのに、いつまでも机に伏せているのは失礼だというナツエの良心から、気怠そうにしつつも上半身を机から起こして体を伸ばす。

 

「っあぁぁぁぁ! 今日から二年生かぁぁぁ! 早いもんだよねぇ年取るのって」

 

「ナツエちゃん、それお年寄りが言う言葉だよ? まだ私達早いよ」

 

「だぁってさぁ。つい最近まで高校一年生だったと思ったら、もう一年経ってるんだよ? こうやって月日を積み重ねて行って、やがては大学受験して、就職活動して、社会人になって社会の歯車になって……あぁぁぁぁ先が思いやられるぅぅぅぅ!」

 

「ナツエちゃん、思考が未来へ跳びすぎだよ。あと悲観しすぎだよ」

 

 ウガーっと叫ぶナツエを、フユミは苦笑しながら窘める。彼女達が高校一年の頃から繰り返されている会話であり、そしていつの間にか二人も教室の喧騒の一部へと化していた。

 

「というより、フユミはいいよねぇ。去年の期末テストも学年トップ5に入ってたし。その頭脳があれば大学受験だってお茶の子さいさいでしょー?」

 

「そ、そんなことないって。それを言うならナツエちゃんだって陸上すごいから、そういう大学に推薦入学できるんじゃないかな?」

 

「え、そう? あーでもスポーツかぁ。好きだけど、職業とかそういうのにするのはちょっとなー……」

 

「というより、まだ時間あるからこれから考えていけばいいんじゃ……」

 

「甘いよーフユミちゃーん。さっきも言ったけど時間なんてあっという間に過ぎてくんだからさー。今のうちに考えておいた方がいいんだってー。あ、考えようとしたら頭痛が……やっぱ考えるのやめよ」

 

「ナツエちゃん、すぐに思考放棄するのはよくないと思うよ」

 

 椅子にもたれてアハハーと笑う夏江に、冬美もつられて笑う。いつもと変わらない会話を、二人は楽しんでいた。

 

 

「えぇぇ!? あんた、あのイケメン仮面『アマイマスク』様のライブ行ってきたのぉ!?」

 

 

 と、教室の一番後ろの座席から、そんな声が二人の耳に届く。見れば、数人の女子生徒が姦しく騒いでいた。

 

「うん、もう最高だった! あのアマイマスク様が目の前にいたのよ! もう興奮しっぱなしだった!」

 

「うぅぅ、いいなぁ。いつもはテレビで見ることしかできないアマイマスク様を生で見れるなんて……」

 

「やっぱりいいよねぇアマイマスク様。かっこいい上にA級ヒーロー一位で強いし。私も怪人の魔の手からアマイマスク様に助けられたーい……」

 

「かっこいいと言えば、最近有名のS級ヒーロー『ジェノス』もかっこいいよねぇ。やっぱりヒーローは強くてかっこいい人じゃないとねぇ」

 

 そんな会話を繰り広げる彼女達。その表情は、まさに恋する乙女というのにふさわしいほど、うっとりとしているものだった。

 

 対し、その会話を聞いたナツエは、先ほどの上機嫌な表情から一転。鬱陶しそうな気持ちを隠そうともせずに眉をしかめていた。それを見て、フユミはあわわと慌てる。

 

「な、ナツエちゃん。気持ちはわかるけど落ち着いて。ね?」

 

「……大丈夫よ。気分は悪いけど、怒る程のことじゃないから」

 

 吐き捨てるように言うナツエを、フユミは不安げに見つめた。

 

「……ナツエちゃん、本当にヒーローの人達が嫌いなんだね……」

 

 ヒーロー……三年ほど前に建ち上がり、今では知らない者はいないとされている程成長を遂げた『ヒーロー協会』に在籍している、昔からいる世の中に蔓延っている怪人という脅威から守る、いわば正義の味方として、力のない人々のために戦う人々。C級からS級までランク付けされており、上へ行く程、怪人が束になっても到底敵わないようなヒーローがいる。また、他の女子生徒が話していたように、アイドル稼業を副業としているA級一位のアマイマスクのような、ヒーロー稼業以外にも活躍している者も少なくはない。

 

 そのヒーローを、ナツエはフユミと出会う前から極端なまでに嫌っている。理由は深くは聞いてはいないものの、フユミはどうしてそこまで市民を守るヒーローを彼女が毛嫌いしているのか、気にはなっていた。

 

「……別に、ヒーロー全部が嫌いってわけじゃないよ」

 

 プイっとそっぽ向くようにナツエは答える。不機嫌な顔は直らないままだった。

 

「まぁ、ちょっと語っちゃうと、昔ヒーローに対して幻滅しちゃったってところがあるからってところかなぁ。それに私、人助けを名目にして一々名前を売り出すような人間、好きじゃない」

 

 よくヒーローは、衆人観衆に向けて自らの名前を高々に名乗り上げる。そうすることで人々に印象を与え、活躍すればその名前がよい方向へと脳へ刻み込まれる。ランク付けはヒーロー協会が決めているようであるが、世間の人々からの支持を受けて、ランクが上がっていくということもある。

 

 だからか、ヒーロー同士の足の引っ張り合いなんてものもある。人々を守る存在が、ランクなんてものを気にしてどうするんだと、そんな光景を以前目の当たりにしたナツエは叫びたかった。それとアマイマスクは確かにイケメンではあるが、ナツエはテレビ越しにだが、爽やかな外見の裏で何だか近寄りがたい印象を覚えたため、正直好きになれなかった。

 

 ヒーローにだって生活はある。それに昔からあるテレビ番組でもヒーローが名を高らかに上げるのは定番中の定番。だから名を上げることに違和感はないし、生活のために躍起になるのもわからなくはない……が、頭ではわかっていても心は別だ。

 

「……そういうフユミはどうなの? ヒーローとかの話題は興味ない?」

 

「え、私? 私は、その、ヒーローよりも動物とかの方が好きだから」

 

「あぁ、そういえばそうだったよねぇアンタは」

 

 少し機嫌が戻ったナツエは笑い、またとりとめのない談笑へと戻っていく。それはチャイムがなるまで続き、フユミが自分の席へと戻る際に「言い忘れてた、二年生でもよろしくね!」という言葉にナツエも「うん、よろしく!」と元気に返した。

 

(……ヒーローなんて信じない)

 

 フユミが席へ戻ってから、ナツエは思い返す。2年前の中学3年の時、以前住んでいたZ市で起きた事件。それはナツエにとって、忘れたくても忘れられない事件だった。

 

(そう……)

 

 母と一緒に行った買い物の途中、生まれて初めて怪人に出くわしたあの日。

 

 自分たちを守るはずの複数のヒーローが、敵わないと知るや自分たちを見捨てて逃げ出したあの日。

 

 自分と母に迫り来る死に絶望し、ヒーローという存在に幻滅し、ヒーロー全てを信じなくなったかもしれないあの日。

 

 そして、

 

 

 

 

(私にとってのヒーローは、あの人だけだから)

 

 

 

 

 本物のヒーローが存在していたことを、改めて認識したあの日。

 

 全身傷だらけになりながらも、自分と母を助けるために全力で戦って、ケガをした母を背負って病院まで運んでくれた男性。

 

 男性が去る際、ナツエが何者か問うた時に返された言葉……それをナツエは、ずっと忘れない。

 

 

 

『趣味でヒーローを目指している者だ』

 

 

 

――――――

――――

―――

 

 

 

 

「あ~あ、帰って何しよっかなぁ」

 

 始業式も終わり、授業もなかったため、午前中で家へ帰される生徒たち。一部の生徒は所用で残っていたり、いまだ談笑を続ける生徒も数多くいる。大体の生徒は帰宅し、ナツエもその中の一人として、帰路へついていた。普段であれば、友人のフユミも一緒に帰り、会話に花を咲かせながら歩くのだが、その友人は隣にいなかった。

 

「フユミも頑張るよねぇ。塾とか、私にゃ付いてけないわ……ふぁ」

 

 成績優秀なフユミは、学校が終わり次第、すぐに塾に向かわねばならなかった。塾の方向は自宅とは違う道のため、必然的にナツエと別れることとなる。いつも行っている部活は、今日は休み。そのため、ナツエは現在一人で帰ることとなった。

 

 いつもと変わらない、通学時にも通る商店街を、手を頭の後ろに組みながらテクテク歩く。春の麗らかな日差しが眠気を誘ったため、大きく欠伸を一つした。周囲には同じ制服を着た生徒だけでなく、主婦やスーツを着た男性も歩いていたが、ナツエはそんなことお構いなしだった。フユミがいれば「みっともないよ」と窘めていただろうが。

 

『それでは、今現在、話題沸騰中のA級一位ヒーロー、イケメン仮面ことアマイマスクさんに、昨今のヒーローについてお話していただきましょう』

 

 家電製品を専門に扱う店の前を通り過ぎようとした時、ふとナツエの耳に気取った、それでいて嫌味のない凛々しさを感じさせる声が聞こえてきた。

 

『現代のヒーローは、昔と比べたら幾分かマシにはなったでしょう……けれど、やはりヒーローとして相応しくない者がいるというのも事実です』

 

『と、言いますと?』

 

『ヒーローとは、いわば正義の体現者としての在りようが求められます。なのに、実力もない人間がヒーローとして活動し、みじめな結果を残してしまえば、それを見た人々は正義という物を疑ってしまう。それはあってはならないことなのです。先ほども言いましたが、ヒーローの質は最近になって少しはマシにはなっているでしょうが、それでも“少し”なのです。ヒーロー協会に在籍している者ならば、そこのところを意識して今後励んでいってもらいたいものです』

 

 テレビの中では、長テーブルに水色の髪をしたアマイマスクと、コメンテーターの人間が向かい合って座っており、アマイマスクのコメントにコメンテーターが相槌を打っている。彼らの後ろのモニターには、『近年のヒーローについて』というテロップが議題として大きく表示されていた。

 

 テレビの前を陣取るように、数人の女子生徒と、他にも主婦も何人か、アマイマスクを見て興奮した声を上げている。その後ろで、ナツエは冷めた目でテレビを見ていた。

 

「最近のヒーローは少しはマシ、ね……どうだか」

 

 最近起きた事件として、桃源団と呼ばれるスキンヘッドの集団が、『働かない者は働く者に養ってもらえる社会を!』という、アホとしか言いようがないスローガンを掲げて暴れまわるという物があった。それに立ち向かったC級ヒーローが一撃で病院送りにされたというのを知ったが、ヒーローの名前なんてどうでもよかったし、桃源団の考えなんて理解もできなかったから、この事件のことは話題にもしなかった。

 

最も、後になって桃源団がいつの間にか壊滅しており、解決したのは件のC級ヒーローということになっていたが、テレビの向こうで本人が頑なに否定していたのは、格上相手に立ち向かったというのもあって、ナツエの印象に残っていた。

 

「……そういえば、“あの人”もヒーロー目指してるって言ってたっけ……」

 

 そしてふと、思い出す。ナツエと母を助けてくれたあの男性。母を病院に送り届けるや否や、ケガの治療を受けることもなく、颯爽と去っていたあの男性。死んだ魚のような目に、黒い髪をした青ジャージの男性。ヒーローを目指している、と言っていたが、後になってヒーロー協会のHPにあるヒーロー名簿を探してみたが、どこにも載っていなかった。あの実力ならば今頃S級かA級になっているだろうと思っていたが、彼の顔はどこにも見当たらない。隅から隅まで探したものの、名簿に載っていないのを確認してから、夏江はZ市を探し回った。が、結局見つからず、家の事情でF市に引っ越すこととなってしまったため、捜索することはできなくなってしまった。

 

 何故ナツエがそこまでして彼を探すのか。それは偏に、助けてくれたお礼を言いたかったためだ。怪人に襲われた上、母がケガをしていて気が動転していたこともあり、一番大事なことを伝え忘れていたことに気付いた時は後の祭りだった。

 

 もう一度Z市へ行って、男性にお礼が言いたい。その一心で、親に内緒で交通費に使うお小遣いもコツコツ溜めている。怪人が最も出没する市ということもあって、今やゴーストタウンと化しているZ市には行かないようにと両親に釘を刺されていたが、ナツエはそれでも行きたいという気持ちの方が勝っていた。

 

(……もう一回だけ、ヒーロー名簿確認してみようかな。もしかしたら今なら載ってるかもしれないし……)

 

 あれから2年経つ。怪人に立ち向かい、勝ってみせた彼ならば、もうすでにヒーローになっていてもおかしくない。家に帰ってから、もう一度ヒーロー名簿に目を通してみようとナツエは思い立った。

 

 そしてテレビでまだコメントをしているアマイマスクの声を耳にしながら、その場を去ろうとした。

 

 

 

 瞬間、轟音。地響き。

 

 

 

 ナツエだけでなく、歩いていた人々、テレビの前にいた女性たち、商店街で店番をしていた店員たちも、突然の音と揺れに戸惑い、驚き、悲鳴が上がった。

 

「な、何!? 何!?」

 

 思わず声に出たナツエの視界に、黒い煙が上がったのが見えた。近くにあった古いビルが破壊され、瓦礫がまき散らされ、舗装されていた道が破壊されてめちゃくちゃになる。そしてその道の上に、ズン、と重い音を響かせながら、“それ”は現れた。

 

『ウオオオオオオオオ!! どいつもこいつも楽しそうに歩きやがってぇぇぇぇぇぇ!!!』

 

 身の丈4メートル程もある巨体。その巨体を覆うような、爬虫類のような黄緑色に鈍く光る鱗。背中に負った、どどめ色の気味が悪い色合いの甲羅。亀とトカゲが合わさって二足歩行ができるようになったような風貌で、前方に突き出た口からはずらりと並び生える鋭い牙が見えた。その牙の隙間から流れ出てくる、異臭を発する液体。化け物が叫ぶと、その液体が周囲にまき散らされた。

 

「な、何あれ……」

 

 おぞましい怪物が突如現れ、思考が停止するナツエ。一歩二歩、後ろへ下がって慄く。怪物が現れて僅かに静止していた空間だったが、

 

「きゃああああああああ!!」

 

「か、怪人だぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 誰かの悲鳴を皮切りに、商店街はパニックに陥った。我さきに逃げ出す人々の前に、怪物は尚も叫ぶ。

 

『グガガガガガガガ!! 俺様は会社をクビになって以来、社会に恨みつらみを吐きながら引きこもったことが原因で怪人となったヒキガメル様だぁ!! 俺様の苦しみも知らないで呑気に歩き回る人間に復讐してやるぅぅぅぅ!!』

 

 何ともまぁ、八つ当たりもいいところである。普段のナツエならば呆れ果てる内容だが、目の前にいる異様な怪物、否、怪人がまき散らす殺意の前に、何も考えることができなかった。

 

「か、怪人……」

 

 目の前で暴れまわる、ヒキガメルを名乗る怪人。その巨体、凶暴性、それらを見るに、怪人の脅威の度合いを現す災害レベル『鬼』かもしれない。それほどの脅威が建築物の破壊という形で、ナツエの目の前で繰り広げられている。逃げる市民と肩がぶつかり、衝撃で正気を取り戻したナツエは、今すべき事を瞬時に思い浮かべる。

 

「に、逃げないと……!」

 

 運動神経がいい以外は普通の人間であるナツエが、怪人に立ち向かうなどという自殺行為をすることは考えない。相手はまだこちらへ向いていない今、悲鳴を上げて逃げる人々にまじって、ナツエは踵を返そうとした。

 

 

 

「うぁぁぁぁぁ! お母さぁぁぁん!!」

 

 

 

 悲鳴の中、子供特有の高い声が聞こえてきた。それも、怪人側から。

 

 怪人のすぐ近く、瓦礫の傍で蹲る、5歳程の少女。母親とはぐれたのか、泣き叫んで母を呼び、そこから動こうとしない。というより、ケガをしていて動けないのかもしれない。怪人の傍には、少女以外誰もいない。皆、自分の命を守るのに必死で、少女に気に掛ける余裕がなかった。

 

 やがて、怪人は少女に気付く。人間に対し怨みを撒き散らす怪人。そんな輩が、社会にすら出ていない、親の庇護の下で愛されながら育てられているであろう子供に対して、慈愛の念を抱くだろうか?

 

 答えは、否だ。

 

『ピーピーうるせぇんだよこの虫ぃ!!』

 

 醜悪な笑みを爬虫類の顔で浮かべながら、巨大な足を振り上げる。その足の先には、状況が理解できていないのか、いまだ泣き続ける少女。その足が振り下ろされれば、その小さな身体は肉塊となり、幼い命を散らすことは必定。

 

「あ……」

 

 周囲にはもう誰もいない。先ほどまで賑わっていた商店街は、我先にと逃げ出した者たちが消えたことで無人と化している。すなわち、少女を救う者は周りに誰もいない。

 

 いや……誰もいない、というのは語弊があった。

 

 今、この場にいる人間は潰されようとしている少女……と、少女の泣き声を聞いて立ち止まったナツエのみ。

 

 だがナツエはただの人間だ。運動神経がいいだけの、ヒーローではないただの一般人。人一人簡単に捻り潰せる怪人相手に戦う能力など皆無。故に逃げるが吉であり、それが生物の生存本能として当然の判断だ。少女一人見捨てたとて誰も咎める者はここにはいない。

 

「ダ……」

 

 その時、彼女の脳裏を過る光景―――死を前に絶望し、救う者たち(ヒーロー)に失望し、そして傷つきながらも戦った救う者(ヒーロー)の背中―――が、ナツエの足を硬直から解く。

 

 

 

「ダメぇぇぇぇぇ!!」

 

 

 

 そして、その足は真っ直ぐ、今まさに振り下ろされんとしていた巨大な足の下で蹲る少女の方へ向かう。

 

 火事場の馬鹿力、という言葉がある。人は土壇場になると、信じられない力を発揮するという言葉。ただ少女を救うために、そして何より、自分は背中を向けて逃げ出すような連中になりたくないという気持ちと、あの人(・・・)は絶対見捨てないという確固たる自信が、元から陸上部で鍛え上げられたナツエの足の限界を一瞬だけ超えさせた。

 

 その結果、

 

「っ……!」

 

 幼い少女を、無慈悲な鉄槌となった巨体の足から救うことに成功した。飛びつき、少女を抱きかかえながら一緒に転がるナツエ。直後、彼女たちの背後を強い衝撃と振動が響き渡る。舞い上がる土煙の中、ナツエは地面に横たわりながら少女が蹲っていた場所を見る。足がコンクリートの地面にめり込み、その周辺に瓦礫が散り、罅が無数に走っている。あと一歩遅ければ、そこから血の海が流れていただろう。

 

 その血の中には、少女と、そして助けたナツエ自身が含まれていたと思うと、ナツエは肝が冷えていく感覚を味わった。

 

 だが、その感覚を味わうには、

 

『テメェこのアマァ!! 何俺の邪魔してくれてんですかぁ!? アァァァァァン!?』

 

 まだ、早い。

 

「っ、逃げ、逃げなきゃ……!」

 

 庇った拍子に、少女は気を失ってしまったようで意識がない。仕方なく、ナツエは少女を抱えて立ち上がり、躓きながらも走り出す。

 

『まぁぁぁぁぁてぇぇぇぇぇぇ!!』

 

 怪人も逃がしてやるつもりは毛頭ない。少しでも己の意に沿わなければ、それだけで万死に値する。怪人となったことで全ての生物の頂点に立ったつもりでいる愚かな思考回路の持ち主は、己が殺すと決めた獲物が逃げるのを決して許さない。地面を踏み砕き、そこいらの物全てを破壊しながらナツエを追う。その巨大な足ゆえに歩幅も大きく、全力疾走しているナツエに今にも追いつきそうだ。

 

(か、亀なら亀らしく、鈍足でいろっつーの……!)

 

 心の中で悪態をつく。だが口に出す程の余裕はない。陸上部で見せる走行のフォームを取ればもっと早く走れるが、今のナツエの胸元には、意識のない少女が人形のようにぐったりとしている。そのせいでいつもの全力を出すことができない。

 

 このままでは追いつかれる。そう考えた瞬間、ふと視界に入った物があった。

 

 建物と建物の細い空間……すなわち、脇道。

 

(これなら……!)

 

 道は、ナツエ一人が通る程の幅しかない。これならば、怪人も追ってはこれない。そう考え、ナツエは脇道へ飛び込み、走る。

 

 この時、ナツエは失念していた。怪人は巨大で、道幅が狭ければ追ってはこれないと、そう考えていた。普段のナツエは、もう少し思慮がある。だが、ナツエはただ逃げるのみに意識しすぎていた。

 

『ゲハハハハハハッ!! どこへ行こうってんだぁ!?』

 

 その結果が、怪人が脇道の左右の建物を押しのけるようにして破壊しながらナツエを追うという、常識を覆されるような光景だった。

 

「うそぉ!?」

 

 尚も追いすがる怪人に戦慄し、逃げ続けるナツエ。この時、ナツエは己の思慮の無さを怨んだ。相手は怪人。超常的な力を得た連中を相手にすれば、常識など簡単に覆される。

 

 が、不幸はまだ続く。ナツエが飛び込んだ脇道。地面にはゴミが散乱しており、不衛生なその道の先は、

 

「え……そ、そんな」

 

 

 

 袋小路……それすなわち、行き止まり。

 

 

 

『ゲバババババ! 残念だったなぁ!』

 

 荒い息を吐き、絶望に肩を落とすナツエの後ろを、追ってきた怪人が周囲の建物を破壊しながら醜く笑う。悪臭漂う口から唾液を垂らしながら、バカな獲物を前にして。

 

 ナツエは、どこまでも己を呪った。ヒーローになんてなるつもりはなかった。ただ、己の中の正義感に突き動かされ、子供を助けて、自分の判断を信じた結果が……この様だ。

 

 どこで間違えたのだろうか? 子供を助けようと思った時か? 脇道へ入ろうと考えた時か? ……答えなど、見つかる筈もない。

 

『それじゃあ、早速……』

 

 追い詰められ、ナツエは壁に背をつける。逃げ場はない。ただ少女を強く抱きしめ、必死に守ろうと、同時に恐怖による震えを誤魔化そうとする。目は怪人を睨むも、溢れ出そうになる雫で潤む瞳では威嚇にすらならない。寧ろそれは怪人の加虐欲求を増す材料になる。

 

 故に怪人は躊躇わない。そして牙が生え揃った爬虫類の口を大きく開き、

 

『俺に食われて死ねやぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

 殺意を持って、ナツエと少女を喰らわんと襲い掛かった。

 

「ひっ……!」

 

 最早、どうすることもできない。悲鳴すら上げられない上、こんな状況なのに誰も、それどころかヒーローは誰も来ない。

 

 ナツエは、少女と共にここで死ぬ。

 

 迫り来る死。ナツエは痛みを畏れ、少女を抱き込みながら目を固く閉じる。

 

 全てがスローモーのように映る中……ナツエの脳裏は、俗に言う走馬燈とも言うべき現象が起き、過去の出来事が再生され始めた。

 

 

 

 

――――

――

 

 

 

 

 2年前……私が中学3年生だった頃。もうすぐ高校受験が始まるっていう時、母さんが息抜きに買い物へ連れて行ってくれたあの日。久しぶりの母さんとのお出かけを楽しみにしていたのに。

 

『う……』

 

『母さん! 母さん! しっかりして!』

 

 母さんは……突然私たちに襲い掛かって来た衝撃から私を守るために、全身傷だらけになって倒れた。母さんをこんな目に合わせた存在が、私の目の前で暴れている。見るも悍ましい、到底人間とは思えない化け物だった。

 

 その化け物を、私は知っている。テレビの中だけの景色かと思っていた存在、人間に害なす者たち……怪人。人間にはない鋭い牙や爪、或いは超常的な力で人間を襲う。いわば生きている災害。

 

 そんな奴が、私の目の前で暴れている。母さんは意識が朦朧としていて動けない。そんな母を一人置いて逃げるなんて、私にはできない。けど私には、母さんの傍で膝を着くしかできない。

 

 だけど、私は知っていた。怪人が現れたら、それに対処する人たちがいるということを。

 

『待て、怪人め!』

 

『これ以上好き勝手なことはさせないぞ!』

 

 怪人が暴れていると、私たちの前に変わった格好をした人たちが現れた。

 

 ヒーロー。最近発足したヒーロー協会に所属している、対怪人のスペシャリスト……だって、私は聞いていた。

 

 私は、安堵した。ヒーローが来てくれた。彼らがいれば、私と母さんは助かる。私はヒーローたちに全幅の信頼を寄せ、彼らの戦いを見守っていた。

 

 ……けど、現実は甘くなかった。

 

『グワァッ!?』

 

『な、何だよこいつ!? 滅茶苦茶強ぇじゃねぇか!?』

 

『クソッタレ! 話が違うぞ!? 俺たちでも対処できるって……!』

 

 暴れる怪人を前に、次々と吹き飛ばされて行くヒーローたち。悪態をつく彼らに、容赦なく怪人は豪腕を振るう。

 

 それでも私は祈った。彼らが怪人を倒してくれるって。私たちを助けてくれるって……。

 

『こ、こんなの、やってられっか! 俺は逃げるぜ!』

 

 なのに。

 

『ちょ、ふざけんなよ! お前だけずりぃぞ!』

 

 彼らは。

 

『俺だって、もう協会からの評価とかどうだっていい! 自分の命が大事だ!』

 

 ヒーローなのに。

 

『お、お助けぇぇぇぇぇ!』

 

 逃げ出した。

 

『そ……そん、な……』

 

 

 

 私と母さんを置いて。

 

 

 

『ま、待ってよ……助けて……』

 

 背を向けて逃げる彼らに、私は手を伸ばした……けど、彼らヒーローは、私と母さんなんて目も暮れずに、どんどん離れていく。

 

『なんで……なんで……!』

 

 伸ばした手は届かない。祈りは届かない。私たちは、守ってくれる筈の人たちに見捨てられた。

 

 何で逃げたの? 何で私たちを置いて行ったの? どうして? なんで?

 

『誰……か……』

 

 考えても、考えても、結果は変わらない。ヒーローは逃げた。私たちは逃げられない。

 

『誰、か……!』

 

 願っても、叶わない。私の中に芽生えた暗い感情は、もう全てを諦めていた。

 

 ヒーローに対する怒り、失望……そして、私と母さんにゆっくりと歩み寄ってくる怪人に対する絶望。

 

 私と母さんは……怪人の手にかかって、死ぬ。

 

『誰か……!』

 

 それでも、私の本能は叫ぶ。

 

 ありもしない、伸ばした手を取ってくれる救世主(ヒーロー)を願って。

 

 

『助けて……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

「『大丈夫か?』」

 

 

 

 

 

 

――

―――

 

 

 

「……え?」

 

 いつまで経っても、痛みが来ない。代わりに、ナツエの耳に声が届く。

 

 声の主は、少女の声でも、ましてや怪人の声でもない、男性の声……一瞬、初めて聞いた声だと思った。

 

 だが、ナツエはこの声を知っている。2年前の日、ナツエが聞いた声。

 

 恐る恐る、顔を上げる。先ほどまで目の前に立っていた怪人はいない。

 

 代わりに、周囲が緑色の液体で汚れ、そしてその中心には怪人の下半身と思われる足が、何が起きたかわかっていないようにその場に突っ立っていた。上半身があった筈の部分は、怪人の臓器が見える。普段ならそこで、ナツエは吐き気をこらえていた。

 

 そんな物よりも、ナツエの視界に入ったのは、風で靡き揺れる白い布。そしてその布、マントを羽織った、身体にフィットしている黄色い服と赤いグローブとブーツ。一昔前に見たテレビ番組のヒーローのような出で立ちという、しかし実際に見るとダサいとしか言いようのない恰好。

 

 それより何より……その服の持ち主の頭は、頭上から降り注ぐ太陽の光で反射し、見事なまでに光っていた。

 

「え……あ……」

 

 言葉にできない。この惨状を推測するに、怪人は倒されたと見ていいとナツエは思っていた。そして、その貢献者は誰であろう、ナツエの前に立つハゲ頭の男。

 

 声にならない言葉が、ナツエの口から出る。男性は、覇気のない顔をナツエに向けたまま、眉を上げる。

 

「なぁ、大丈夫かって聞いてんだけど。どっか怪我したのか?」

 

「……あ……その……」

 

 何と返すか、混乱するナツエにはわからない……だが、彼の声を聞き、そして頭以外、見覚えのあるその顔立ちを見て、フラッシュバックする。

 

 2年前、怪人に向かっていった青ジャージの男性。鋭い爪に切り裂かれ、殴られ、蹴られ……それでも尚、素手で立ち向かっていったその姿。

 

 

 

 ナツエは、確かにそこに見た。本当のヒーローの背中を。

 

 

 

 そして今、その姿が男性と被り……ナツエは、呆然と、口を開く。

 

「あ……あなた、は……?」

 

 無意識に出た、ナツエの問いかけ。それを男性は、何てことのないように答える。

 

「俺? 俺は……」

 

 

 

 

 

 

『ほら、病院着いたぞ。後は医者に診てもらいな』

 

『あ、ありがとう! 本当にありがとう! 母さんを助けてくれて!』

 

『ああ……んじゃ、俺もう行くわ』

 

『え……ま、待ってよ! そんなひどい怪我……!?』

 

『へ……こんなもん、怪我の内に入らねえよ。今日は、久しぶりに歯応えある奴と戦えてよかったぜ』

 

『で、でも……』

 

『いいって……じゃあな』

 

『……ね、ねぇ! あなたは一体、何者なの!?』

 

『ん? 俺か? ……俺は』

 

 

 

 

 

 

『趣味でヒーローを目指している者だ』

 

「ヒーローをやっているサイタマだ」

 

 

 

 

 

 

 この日を、ナツエは生涯忘れることはない。

 

 

 

 ようやく会えた、本当のヒーローの姿を。

 

 

 

 そして……ナツエの、生きる意味を見つけた時を。

 

 

 

 彼を追い、彼の中のヒーローを見続けるとある会の会長が生まれた瞬間だった。

 

 

 




実はこの作品、遥か昔に書いていたんですが、途中でやめてからフォルダで眠っていた物で、最近ワンパンマン二期を見始めたんでもっかい開いて、ちょちょっと手直ししてから完成させました。短編、という形ですが、評判がよければ続き書きます。といっても、今はまだ投稿していない仮面ライダージオウの二次となろうのオリジナルの方がメインなので、こちらは片手間という形になります。ご了承ください。

もしかしたら、恋愛要素入るかもしれん……そうなったらタグ編集しなきゃ。


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