ワンナイト聖杯戦争 第三夜 対決、三人のセイバー! 作:どっこちゃん
「ハハ――だろうと思った!」
雨のように降りそそいだ血色の刃を回避しつつ、大戦士ウィリアム・ウォレスは括目する。
表情こそふてぶてしいままではあるが、その四角い顔には、それまでには在りえなかった戦慄の冷や汗がわずかに生じていた。
さも在ろう、見据える光景はまさしく人語を介するに有り余る絶景であった。まるで、巨大な血錆色の大蜘蛛が闇の中で足を広げているかのような。
サーヴァントの常識から考えても、常軌を逸している。今や見る影もないほどに破砕された乙女の身体は、それでもなおささくれ立つような血色の刃に支えられて屹立しているのだ。
さらに、沸騰するかのような血潮が瞬く間に皮膚を繋ぎ合わせ、無残に歪みねじれた四肢を強引に成形していく。
ゴリゴリと言う音が周囲の闇に響き渡った。
そして次の瞬間――自らの足で自立した女は間髪も入れず、闇夜に紅い影を残して悪夢のように飛翔した。
ウォレスめがけて、砲弾のごとく距離を詰めてくる!
刃鳴りの音が唸りを上げる。まるで狂気の笑い声のようだ。
だが女は剣など持っていない。ふるうのは拳だ。笑う刃は、その五体を締め付ける拘束具めいた装甲から、無数に突き出している。
「――っぶねぇ!」
炸裂した。紅い血色の刃をまとう拳打の一撃が、半径10メートル余りを燃え殻の灰塵に変える。
距離を取りながら、ウォレスはさらなる冷や汗を流す。
その一撃はもはや近代兵器のそれだ。ただの生身で暴れるだけでこれほどの破壊をもたらすのはサーヴァントの中でも一部のバーサーカーのみであろう。
それほどに、今やこの白亜のセイバーの性能は、存在は、主義思考までもが先ほどまでとはまったく別種のものへと反転していた。
「くたばったか!? ――くたばったのかよこのタンカス野郎がぁぁぁぁぁッ!!!」
そして、吼える。
マグマの如く沸き立つ窪地から立ち上がり、女はケダモノのように四肢を押し広げ、先ほどまでには考えられなかった言葉を吐き散らかす。
その変貌は目に見えて凄まじい。
華奢だった肢体は艶めかしい丸みを残したまま巨大な肉食獣の如く肥大し、流れるようだったサンライトイエローの髪は獅子の鬣の如く逆立っている。
美しく滑らかだった白い皮膚は剥がれ落ち、ケダモノの如く筋張った褐色の肌が覗く。さらにはその五体をまるで拘束具めいた血色の装甲が覆い、禍々しく飾り立てていくのだ。
剣を執ってさえ涼しげであった眼光は、今や視線も定まらず炒る様な赤色に燃えている。
そこには、もはや先ほどの白亜の乙女の面影は存在していなかった。
そこにあったのはアテナの化身などではない。むしろ逆だ。その姿は暴虐と殺戮の息吹に彩られたアレス神の眷属を想わせる。
これはいかなることか?
彼女ことパラス・アテナとは、即ちアテナであってアテナでない存在なのである。
アテナとはオリンポスの神々の中にあってさえ稀有な「完全にしても無欠の女神」として知られる。
その本姓は潔白にして厳粛。洗練された文明の息吹をそのまま形にした、斯くも貴き理想の具現。
つまり神としてもあり得ぬ存在として生まれた神格なのだ。故に『自らもそう在らねばならぬ』という自戒ものもと、アテナは自らの中にあった蛮性を切り離した。
『パラスとアテナは幼き日を過ごした盟友であった。鍛錬中の事故によってパラスがアテナを殺しそうになり、ゼウス神がアイギスの盾でパラスの剣を阻み、逆にアテナの剣が彼女を斬った』
――神話にはそう伝わる。しかし、一方でアテナは生まれた時から完成した女神であり、幼少期など存在しないとも語られる。
ここに矛盾が存在する。条理で測れぬ神話的パラドクスといえばそれまでだが、実際にはこの矛盾は矛盾などではないと解説することが出来る。
即ち、幼き日のパラスとアテナが盟友であったというのは、彼女の内部にあった自己葛藤を擬人化して伝えたものなのである。
彼女らは実際に剣で打ち合っていた訳ではない。彼女らはひとりのアテナであったのだ。
その戦いはアテナ自身が己の中の蛮性に立ち向かい、これを克服し、己の中から切り離すに至った経緯を記したものなのだ。
故にパラス=アテナなどと言う英霊は、本来存在しない。
彼女は正真正銘アテナであり、同時にアテナと言う女神から切り離された不純物であったのだ。
その存在は紛れもなくアテナでありながら、本性はアテナとは真逆。
荒々しく、残忍で、流血と暴力をなによりも求める。――言わばアンチ・アテナとも呼ぶべき神格。それがパラスと言う英霊の中核なのだ。
「チクショウ! チクショウよくも!! ――よくも、よくもこんな、よくも私を! こんなふうに。元に――こんな、元の、私に! 戻してくれたなぁぁ…………!!!」
紅いケダモノは拘束具めいた外殻に包まれた己の五体を抱きしめるようにして掻き毟り、血の涙を流して苦悶する。
「ぶっ殺す! ただじゃ殺さない。殺さない! 剥いでやる。――生皮、剥いでやる……ッ」
あまりの怒りに、あまりの憤激に、パラス・アテナ=アンチ・アテナは全身を一個の拳のように握りかためた。
「それで、それから! ぶちまけてやる! ――ハラワタ、脳ミソ、キンタマの中身までなぁ――――ッッッッ!!!」
満身の力が、感情が、魔力が一点に凝結していく――そして、
『ま、マズい――!』
ウォレスは今度こそ恥も外聞もなく、敵に背を向けて疾走した。
次の瞬間、絶叫と共にパラスの全身から迸る魔力が無数の刃となって飛び出した。もはや狙いクソもない。その目にはウォレスの姿など映っていない。
ただ、ひたすらに全力で、全方向、全方位へ向けて、血色の刃が放射される。
まるで深紅の金属で出来上がったウニかクリのごとき様相である。或いは
内側ではなく、自らの外界を丸ごと蹂躙せんとするその棘は長く、執拗に長く、そして禍々しく、いかなる生命をも生かしては置かぬという鬼気に満ち満ちていた。
「なるほどな……へへ。これが本性かぃ」
ウォレスは笑う。無論、苦笑いだ。
彼はこの変貌の程度に驚愕しつつも、この変貌そのものに動じてはいなかった。
むしろ、彼は最初から彼女の纏う
彼、大戦士ウィリアム・ウォレスの本質は「剣」ではない。
その最大の特性は、天然の軍略家としての才覚だ。それ即ち、感性によって戦場の機微を読み取る戦略眼である。
あらゆる敵を、あらゆる脅威を、論理からではなく直感に近い感覚で感じ取り捉える類い稀なる感性。
スキル「比喩抽象」としてサーヴァントである彼に与えられたその力が読み取ったパラス=アテナの本性。
それは「擬態」であった。すなわち、ある種の生物が全く別の生き物であるかのように、己の姿や行動を偽り、また装う生態である。
この男の眼は、言葉ではなく確かなイメージとしてパラスの欺瞞に満ちた振る舞いを見抜いていたのだ。
その容姿、振る舞い、装飾戦術、精神性に至るまでもが、まるで峻厳な生存競争に晒される擬態生物のごとく、巧妙に偽装されたものであると彼の眼は見取っていたのだ。
だからこそ、彼は一計を案じて彼女の本性を暴き出そうとした。
巧妙な擬態の奥に隠された本性を知らねば、彼女と言うサーヴァントの攻略など在りえぬと判じたのだ。
しかし、彼は今になってその判断を後悔せざるを得なかった。
まずいことになった。とんでもないものを引きずり出してしまったかもしれない。
「ヘヘ――
ウォレスはさらに闇夜の中へと身を躍らせた。後退だ。こんなものと真正面からの戦闘は自殺行為に等しい。
「あぁ!? ど――こ行きやがったデクの坊がッ!! いっちょ前に、――隠れてんじゃねぇぞデカブツがぁぁぁッ!!」
ここで初めて、紅きケダモノは怨敵の存在を思い出したかのようにギョロギョロと視線を廻らせた。
「そこか!? ――そこに居いんのかクソがぁぁぁああああッ!!」
紅い双眸が闇夜を射抜く。ウォレスを補足したケダモノは、しかしそこで一転横っ飛びに身をひるがえした。
そしてすぐに気配を消す。今度敵を見失ったのはウォレスの方だった。
「お――おいおいどうした。口だけか? 追いかけっこはまだ――――んがッ!?」
逃げながらの揶揄に対する応答は、地を這うような横撃によって成された。
対しての反撃は空を切る。本当にネコ科の猛獣のような手際の良さだった。
一撃を加えてすぐさま距離を取り、また予測もしない角度から闇を裂いて攻撃が飛んでくる。
この紅きケダモノは、どんな場面で正面から相手の攻撃を受け止めようとしていた白亜の乙女とは、あらゆる意味で真逆の戦法をとる。
いかなる時も真正面から戦うことに固執していた乙女に対して、このケダモノは激昂しながらも常に相手の死角へ回り込もうとする。
さらに、一撃よりも手数。正確さよりも威力。守りよりも責め、自制よりも威嚇。
そして奇妙ではあるが、先ほどまで自らの矮躯を補うために体外へ放出されていた魔力が、今度は内側に向かって凝縮されていくというのも正反対であった。
その深紅の魔力は外ではなく内に向かい、拘束具めいてその五体を、そして魔力そのものをまるで紅い金属の如く凝結させ、その全身をバネ仕掛けの刃物のように操ることを可能としている。
反面、――魔力が内側に向かうが故に、防御力、守りはかなり手薄だ。
しかし、その違いが、先ほどまでとはまるで別物である戦闘スタイルが、大戦士ウォレスをして反撃らしい反撃を許さない。
四方の闇から襲い来る凶刃がウォレスをの五体を切り刻み、赤く染めていく。
巨体が、いまにも崩れそうなほどに傾いだ。倒れ伏す寸前だ。
先ほどまでとは勝手が違いすぎる。――が、無論、ウォレスとて手をこまねいている訳ではない。
『お前こそ、舐めるなよ? ニャンコロめ……ッ』
劣勢であるときほど、不敵に笑って罠を張るのだ。ウォレスは己を鼓舞する。こういう手合いは隙を作ってやると喜び勇んで、罠に飛び込んでくるものだ。
先ほどまでの「白亜のセイバー」には通用しない稚拙な戦法だといえる。しかし、今の「紅いケダモノ」にはそんな駆け引きは存在しない!
「――うぉぉらあぁぁッッ!」
ウォレスは吠える。どんぴしゃり! むざむざと飛び込んできたケダモノに大上段からクレイモアを叩き付けた。
手ごたえありだ。禍々しい紅の凱甲を砕き、大剣の刃が女の肩から背中にかけて身体深くまで撃ちこまれる。
如何に固く押し固めようと、内に向かう魔力の流れが、敵の、すなわちウォレスの刃ををもその身に引き入れてしまうのだ。
「――だから、なんだ? テメェ、バラしてやる! バラバラにして! ぶつ切りにして! 干からびた犬のクソみたいに! 道端にさらしてやるぅぅぅあああああああッ!!!」
だがケダモノは、ウォレスではなく己に撃ち込まれた大剣の刃に向けて拳を叩き付けはじめた。
がむしゃらに、無造作に、なんの戦略もなく、ひたすら力押しに、血色の刃をまとった拳を叩き付ける。
燃え盛る血色の鋼が周囲を紅蓮に染めていく。
無論、ウォレスは宝具の力で一時的に自らのクレイモアを空間に固定している。先ほどと同様に相手の攻撃エネルギーを反転利用しようとする試みだ。
どんな腕力でも能力で固定された剣は微動だにしない――ハズだった。
しかし、その時異様な音が鳴り響いた。頑健なはずの金属があり得ない負荷に悲鳴を上げるかのような。
そんな音が、振動が空間に静止しているはずのクレイモアから聞こえてくる
「う――そだろ、おまえッ」
「く――ったばれぇぇぇえええええ!!!!」
空間に固定されているはずの名剣は、空間に固定するという事象ごと捻じ曲げられ、粉砕されてしまったのだ。
もはや身を守るものもないウォレスを、蓮華の華の如く展開した無数の凶刃と凶獣の双拳が蹂躙した。
まるで紙片のように、ウィリアム・ウォレスの巨体が宙を舞う。
『コイツは――た、たまらねェな……』
その様、まさしく
「どうだ? ――ビビったか? ――ビビったのかよこのクソヤロウ!! テメェ必ず、ビビらせてやる! 二度と――二度と舐めた口を、舐めた面で言えねぇようになぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」
大戦士は倒れ伏す。そして、パラス=アテナはとどめを刺すべく、自らの血潮から鍛え上げられたマガツの刃を振りかぶる。
「――ッ」
しかし、そこで闇の中の一点を見つめたパラスは不意に紅い刃を取り落とし、――ぽろぽろと涙を流した。
その視線の先には先ほどの暴虐によって粉砕された
まるで虚を突かれたかのように瞠目した様子の女は、そこで目下に切り殺そうとしていた敵のことさえかなぐり捨てて、崩れ落ちた。
「――あ、ぁぁぁぁぁあああッ」
そして声を上げて、泣き始めた。
――同刻。
バルバラは英霊たちの激突した痕跡をたどりながら、夜の虚空を駆けていた。
市街地の破壊された部分を修復・保全し、近くの人間に感づいた者が居ないかを確かめる。
もしも居たなら催眠なり認識の阻害なりで隠ぺいを図らねばならない。
しかし、おかしい――と、バルバラは感じていた。
あまりにも範囲が広すぎはしないか? 工業地帯を抜け、市街を縦横に走る河川を超え、自衛隊演習場を掠めて夜の市街地を延々あてどなく彷徨っているかのようだ。
白亜のセイバー・パラスはこの地方都市の市街地内のをこれでもかと引き回されている。蒼のセイバーは、あの男は何がしたい?
もしもここになんらかの意図があるというなら、その終着には何がある? なんにしろ、ろくでもないものがある違いない。
バルバラは胡蝶の群れと共に夜に佇む。その顔にはこの女傑にしてありうべからざる焦燥が陰を落としていた。
胸騒ぎは大きくなる一方だった。やはり、この上は無為な左官修繕など投げ出して、セイバーを追うべきではないのか?
――否。任せると言った以上、受け持つと言った以上、その言葉を違えることはあり得ない。
サーヴァントとそのマスターが誇りに掛けて交わした盟約はそんなに軽率なものであってはならない。
「そうよねセイバー……」
バルバラは意を決して、その場にとどまることを選択する。
現状パラスが正常でないことはパスを通して察知している。――しかし、それを克服して見せるのもまた英霊の務めであるはず。そう、信じなくてどうする。
故にバルバラは、再び使い魔を操り『完璧な』修繕を行うべく手を尽くす。
すべてを完璧に保全したのち、優雅に戦場へ向かうべきだ。――たとえそこに、望まぬ結末が待っているのだとしても。