自分を罰するために激辛料理を食べるお嬢様・千景さん。
パートナーの志田さんと別行動の彼女が、別の人物に観測されたら……? 的な短編。

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素直になれないバスケ少女と素直になれなかった激辛お嬢様

 単身、遠出するのは久しぶりだ。

 七芝高等学校一年、荻山葵は見慣れない街並みの中を進みながら思った。

 

(あの子達も来られれば良かったのに)

 

 よく一緒に遊ぶ昔馴染達は生憎、用事があって来られなかった。

 今回の目的を伝えたところ顔を引きつらせていたので、もしかしたら捏造された用事かもしれないが。

 葵としても遊びに来たわけではないので、あまり無理強いはできなかった。

 

「と、ここね」

 

 商店街の一角にひっそりとたたずむ中華料理屋。

 いかにも「街の中華屋さん」といった感じで、女子高生が入るのはちょっと躊躇してしまうが……入り口前にまで漂う美味しそうな匂いは葵の胃袋を否応なく刺激した。

 小さい頃からバスケットボールを続けているスポーツ少女、自慢ではないが人より食いしん坊な自覚はある。

 携帯で時刻を確認するとちょうどお昼時。

 絶好のシチュエーション。

 

「いざ!」

 

 ガラガラと入り口を開けて中に入る。

 途端、独特の熱気が葵を襲った。

 中学最後の大会で会場に入った時にも似た感覚。間違いない。いる。ここには「強敵」が。

 

「いらっしゃいませ。お一人ですか?」

「あ、はい。一人です」

「かしこまりました。ではこちらのお席にどうぞ」

 

 店員さんの後に続きながら店内を見回すと、店は殆ど満員だった。

 唯一、空いていた二人席へ葵は案内された。

 もう少し来るのが遅かったら、空きっ腹を抱えて待つ羽目になっていただろう。

 

「ご注文お決まりになりましたらお呼びください」

「ありがとうございます」

 

 運ばれてきたお冷やで唇を軽く湿らせ、さて、とメニューを手に取る。

 

(結構いろいろあるのね)

 

 ラーメン、餃子、炒飯等々。

 日本における中華の定番は大体揃っている。

 お得なランチメニューもあって、食べ盛りの葵には魅力的だったが――ここは、やはり、来る前から目星をつけていたアレしかないか。

 店内に貼られたメニューも念のため確認しつつ、頷く。

 

「すみません」

「はい。お決まりですか?」

「麻婆豆腐定食の辛口を大盛りでお願いします」

「辛口ですね。結構辛いですけど大丈夫ですか?」

「はい」

 

 店員の確認に意を決して答えた。

 厨房に向かって注文が告げられる。これでもう、後戻りはできない。

 と。

 店が入り口がガラガラと開かれる音。

 また新しいお客さんらしい。人気があるんだな、と思いつつ何気なく視線を向けると、そこには葵以上に場違いな姿があった。

 

 お嬢様だ。

 

 歳は葵と同じくらい。

 ハーフなのか、きらきらした金髪と澄んだ蒼色の瞳が人目を惹く。

 女性らしい起伏を備えつつも「守ってあげたい」と思わせる体型は、筋肉質な身体が悩みの葵にはとても羨ましく思える。

 

(綺麗な子……)

 

 どうやら彼女は一人らしい。

 店を間違えたのではないか。ついそんなことを考えてしまうが、堂々と店内を見渡す姿からは慌てた様子が全く見えない。

 店員も一瞬、呆けた様子だったが、すぐに駆け寄って話を始める。

 

「いらっしゃいませ。一名様でしょうか」

「はい」

「申し訳ありません。ただいま満席でして、しばらくお待ちいただくか相席をお願いすることになってしまうのですが……」

 

 言いながら、店員は首を巡らせる。

 店内は家族連れや男性客が多い。

 相席でいいのなら空いている席は幾つかあるが、このお嬢様を案内するとなると……。葵と店員の思いが一致したのか、二人はどちらからともなく視線を合わせた。

 

(よろしいですか?)

(はい、大丈夫です)

 

 正しく伝わったようで、二人がこちらへやってくる。

 

「相席をお願いできますでしょうか」

「はい。どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 お嬢様が微笑み、上品な仕草で一礼する。

 葵にはお金持ちの知り合いが何人かいるが、ここまで堂に入った姿は初めて見る。思えば、知り合いのお嬢様は全員まだ小学生なので、当然といえば当然なのだが。

 

(何を食べるんだろう)

 

 失礼とは思いつつ観察したくなる。

 向かいの席にいるわけだし、少しくらいなら、

 

「激辛麻婆豆腐をお願いします」

「……へ?」

 

 背筋を伸ばしたまま着席するなり、お嬢様は静かに注文した。

 麻婆豆腐単品?

 しかも激辛?

 店員も「本当に?」という顔をして確認を取る。

 

「激辛ですと通常の十倍の辛さになりますが、よろしいですか?」

「お願いします」

「か、かしこまりました」

 

 マジですか。

 葵と店員は再び思いを共有した。ちなみに葵が注文した辛口は通常の三倍の辛さである。

 激辛となるとこの店で一番辛いメニュー。

 それをこのお嬢様が?

 修学旅行で京都に行って七味を買い込んでくる小学生のお嬢様を思い出しつつ、首を傾げる。

 そんな様子が気になったのか、向かいの席の彼女と目が合ってしまう。

 

「あの、何か?」

「あ、すみません……。お嬢様って辛いものが好きなのかなって」

 

 って、自分は何を言っているのか。

 それだけ言われても意味不明だ。これが友人達なら瞬時に理解して「そんなわけないだろ」と言ってくれるだろうが。

 案の定、彼女は何度か瞬きをした後、難しい顔をして、

 

「いいえ」

「あ、そ、そうですよね。そんなわけ」

(わたくし)は辛いものを好んでいるわけではありません。……これは罰なのです」

「罰……!?」

 

 お嬢様はこくりと頷くと、それきり黙ってしまう。

 

(罰。罰ってなによ……?)

 

 ミッション系の学校に通っています、と言われてもすんなり信じられる雰囲気ではあるが、それにしたって激辛料理が罰になるとはどういうことなのか。

 いや、葵もあまり人のことを言える動機ではないのだが、

 

「お待たせしました。麻婆豆腐定食、辛口、ご飯大盛りです」

「あ」

 

 来た。

 広くて浅い皿に載せられた麻婆豆腐と大盛りご飯、箸休めの漬物に中華スープ。

 

「ごゆっくりどうぞ」

「どうも」

 

 離れていく店員に礼を返してから、レンゲを手に取り、あらためて麻婆豆腐を眺める。

 赤い。

 湯気を立てるできたてのそれは見るからに辛そうで、ぶっちゃけ見ているだけで汗が出てきそうだ。一目で手強いとわかる。

 葵は少しでも気持ちを落ち着けようとお冷やを口にし、正面のお嬢様を見た。

 目が合う。

 

「あの、お先にいただきます」

「ええ、どうぞご遠慮なく」

 

 良かった。応えてくれた。

 気遅れしてしまう雰囲気はあるが、悪い人ではないらしい。

 

「……いただきます」

 

 小さく口にしてから、レンゲを麻婆豆腐へ。

 とろみのある餡と豆腐、ひき肉をバランスよく掬う。

 

(まずはこのまま、かな)

 

 熱そうなのでふーふーと冷まし、恐る恐るぱくり。

 

(あ、美味しい)

 

 口にした瞬間。

 唐辛子と花椒の複合による適度な辛さと複雑なうま味が口一杯に広がる。

 豆腐は絹ごし。麻婆豆腐だと木綿の方が一般的な気がするが、つるんとした絹ごしの食感のお陰でひき肉の存在がより強く感じられる。

 豆は畑の肉とはいえ、あまり肉々しくはない料理のはずなのに、強烈なパンチが高揚を生み出してくれる。

 

(これならいくらでも――っ!?)

 

 思った直後、来た。

 

(あ、これ、後から……!)

 

 ぴりぴりと痺れるような辛さ。

 舌を突き刺すような唐辛子のそれと、なんというか口全体を刺激してくるような花椒のそれの波状攻撃。これは来る。

 一発で全身の汗腺が開くのを感じる。

 気温の割には薄着なスタイルを選び、大きめのタオルを持ってきたのは正解だった。

 

「辛いけど、美味しい」

 

 この味ならば。

 葵は笑みを浮かべ、再び麻婆豆腐をひと掬い。そして、今度はレンゲをご飯に向かわせ――いっしょに口の中へ!

 

「うんっ」

 

 間違いない。

 食欲を刺激する辛さ。ややとろみのある餡と柔らかい豆腐。そして肉の旨味。ご飯に合わないわけがない。この組み合わせならいくらでも食べられそうだ。

 一度火がついてしまったらもう止まらない。

 そこからは矢継ぎ早にレンゲを動かし、麻婆豆腐とご飯を攻略にかかる。バスケにおいても速攻を好んでいるが、今のこれはスタイルというより「単に止まらないから」だ。

 

 辛い。美味しい。辛い。美味しい。

 

 白いご飯を介することで辛さにクッションを置くこともできる。

 これでご飯がなかったら攻略は難しかっただろうが、

 

「お待たせしました。激辛麻婆豆腐です」

「……ぁ」

 

 匂い。

 正面。あの少女の前に置かれた皿から強烈なプレッシャーが来た。

 思わず手を止めて顔を上げれば、葵が食べているそれとは一線を画す、圧倒的な赤色があった。

 真の強敵。

 いや、そんなレベルじゃない。

 あれは、ラスボスだ。

 しかも単品。ご飯という強い味方が彼女にはいない。

 

「それ、食べるの……?」

「はい」

 

 しかし彼女は全く臆さない。

 背を曲げず、凛とした表情を変えないまま、ただ、試練に向かう前の聖女のような独特の緊張感だけを持って、レンゲを手に取る。

 柔らかそうな唇がゆっくりと開き、小さく言葉を紡ぐ。

 

「誓います」

 

 一瞬、葵はお嬢様の手の中に十字架を見た。

 

「私は必ず、志田さんに謝って、彼女と仲直りします」

 

 十字架がレンゲに戻り、麻婆豆腐という溶岩の中へ差し入れられる。

 一口で食べられる量だけを掬い取ると、それは迷わず持ち上げられ――はむ、と、可愛らしく口の中へと運ばれた。

 

(あんなの、絶対辛いけど……)

 

 もぐもぐ、こくん。

 彼女は表情を歪めることなく咀嚼し、飲み込む。

 まるで辛さを感じていないかのように優雅な所作。

 だが。

 葵は見た。彼女の頬に、首筋にじんわりと汗が滲んでいるのを。

 当然だ。辛さ十倍ということは、葵が食べているものの三倍以上の辛さ。辛いものが得意な人間でも汗をかき、舌が痺れるのは免れないだろう。

 

 ましてや、全部食べるとなれば。

 

「あ、そっか。……だから、罰」

 

 好きだから食べているのではない。

 自分に耐えられる適度な限界を見据えているのでもない。

 自分への試練のために、

 

「………」

 

 こくん、と、首肯だけで答えが来る。

 ああ、納得した。

 納得すると同時に、葵の中にある感情が芽生えた。

 

(負けられない)

 

 視線を辛口麻婆豆腐へと戻す。

 

(私だって)

 

 料理はまだまだ残っている。

 胃袋には余裕があるが、辛さの方は油断できない。気を抜いてかかれば心が負けて、もう食べられない、と思ってしまいかねない。

 駄目だ。

 葵だって、ただ美味しい食事のために来たのではない。

 お冷やで水分を補給し、食事を再開。

 麻婆豆腐とご飯をバランスよく食べ進めていく。辛いのでついついご飯が進むが、それだと後半麻婆豆腐だけで食べることになる。いっそご飯をお代わりするか? 胃袋の具合的には可能だが、接戦の末に同点延長を狙うみたいで格好悪い。

 

(ここは、真っ向勝負!)

 

 食べる。食べる。食べる。

 途中、漬物や中華スープを入れて舌をリセットしつつ、麻婆豆腐とご飯の相乗効果を楽しみながら、懸命に食べ進める。

 その間も、お嬢様は黙々と食べている。

 食べ始めたのは葵が先だが、料理の総量が違う。また、向こうはペースが乱れない。つられるようにして葵のペースも上がっていく。

 

 暑い。

 全身から汗が吹き出している。年頃の女の子がはしたないが、バスケに夢中になっていればよくあること。激辛料理との戦いもある意味、スポーツみたいなものかもしれない。

 ちらりと見れば、向かいの彼女も汗を浮かべている。

 

「あはっ」

 

 楽しい。

 気づけば葵は笑っていた。彼女もそんな葵をちらりと見て、くすっと微笑む。

 ラストスパート。

 葵のペースは速くなる。お嬢様のペースは乱れない。

 

 ――そして、二人は同時に食べきった。

 

 からん、と、葵のレンゲが軽い音を立て。

 ことん、と、お嬢様のレンゲが静かに置かれる。

 

「ありがとうございましたー」

 

 会計を済ませて外に出ると、空気が妙に気持ちよかった。

 汗を吸わせたタオルは結構な濡れ具合。

 下着も濡れているだろうから、家に帰ったらシャワーを浴びて着替えた方がいいかもしれない。

 

「ありがとうございましたー」

 

 続けて彼女が店から出てきた。

 心地よさそうにほう、と息をつく姿になんだかほっとして、くすくすと笑ってしまう。

 葵を見た彼女は恥ずかしそうにほんのりと頬を染めた。

 

「ね。少しだけ、話せない?」

「……はい。喜んで」

 

 躊躇うような間はほんの一瞬のことで。

 葵と彼女は並んで歩き、自販機で冷たい飲み物を買うと、近くにあった公園のベンチに腰かけた。

 

 葵が名乗ると、お嬢様も名乗ってくれた。

 万願寺千景。

 学校名を聞けば案の定、有名なところだった。箱入りである。庶民の葵では、こんな機会でもないと話もできないだろう。

 

「そんなことはありません」

「そうなの?」

「はい。私が親しくさせていただいている方の中にも、ごく普通のお家の方がいます」

「へえ」

 

 その人物は学力で推薦をもらったらしい。

 

「私の幼馴染も高校は推薦だったよ。スポーツ推薦だけど」

「まあ。すごい方なのですね」

「あはは。そこまで言うほどでも……」

 

 笑ってそう答えようとして、葵は途中で止めた。

 

「いや。すごいかな。うん。……すごいんだよ、あいつは。私なんか追いかけるので精いっぱい」

「好き、なのですか?」

「ふえっ!?」

 

 いきなり核心を突かれてびくっとする。

 見れば、千景は澄んだ瞳で葵をじっと見つめていた。

 彼女に見つめられていると、嘘やごまかしができないような気分になる。

 わたわたと慌てた後、葵はふっと冷静になって、こくんと頷いた。

 

「……うん。好き」

「でしたら、ご一緒に来られれば良かったのでは?」

「駄目だよ」

 

 苦笑して首を振り、

 

「あいつ忙しいし。……それに、今日は修行だったから」

「修行、ですか?」

「うん。私、全然勇気が出せなくて。いざ告白しようって思っても、すぐ尻込みしちゃうんだ。だから、自分をいじめてそれを乗り越えられたら勇気が出るかも、って。あはは、馬鹿みたいでしょ?」

「いいえ」

 

 千景は笑わなかった。

 

「素敵だと思います」

「そう、かな?」

「はい。荻山さんは修行を最後までやり遂げられましたし……それに、挑んでいる間、とても楽しそうでした」

「それは、そうだね。そうかも」

 

 楽しかった。

 麻婆豆腐が美味しかったのと、後は、千景が一緒だったお陰だが。

 ふう、と。

 千景がため息をついて空を見上げる。

 

「私は逆なんです」

「逆?」

「はい。大切な方と喧嘩をして、反省と戒めのために来ました。……一人で」

「そっか」

 

 後悔しているのだろう。

 ひどいことを言ってしまったこと。

 だから、罰を受けようとした。

 

「でもさ。向こうもそう思ってるんじゃないかな?」

「え……?」

「万願寺さんと喧嘩したこと、きっと後悔してる。一人で罰を受けたなんて知ったら、きっと『一緒に行きたかった』って思うよ」

「……そう、ですね」

 

 千景がそっと微笑んだ。

 

「荻山さんは、少しだけ志田さんに似ている気がします」

「あはは。私は女だけどね」

「?」

「その人、彼氏なんでしょ? なんか、そういう顔してたし」

 

 別に、葵自身が幼馴染とそうなりたいから、というわけではないが。

 親しくさせていただいている方。

 大切な方。

 志田というらしい誰かのことを話す千景はとても良い顔をしていた。

 

「……荻山さん、今日はありがとうございました」

 

 千景が立ち上がって頭を下げる。

 

「私、志田さんと必ず仲直りします」

「ん、それがいいよ」

 

 できたら結果を教えて欲しい。

 そう言おうと思ったが、止めておくことにする。千景ならきっと仲直りできるだろうし、もしかしたら「志田さん」に嫉妬されてしまうかもしれない。

 

「応援してる」

「はい。荻山さんも、頑張ってください」

「あはは。プレッシャーかけないでよ」

 

 微笑みあうと、自然に別れのムードになった。

 もう会うこともないだろう。

 だが、この出会いは葵にとってもかけがえのないものだった。

 

「それじゃあ」

「荻山さん」

 

 そうして。

 駅に向かって歩き出そうとしたところで、千景に呼び止められた。

 

「どうしたの?」

「最後に、一つだけ」

 

 そっと駆け寄ってきた千景が耳元で囁く。

 

「――志田さんは、女性の方ですよ」

「え……?」

 

 ぽかんと口を開けて、葵が硬直しているうちに。

 

「それでは」

 

 何事もなかったように一礼して、万願寺千景は去っていった。

 その後、激辛お嬢様がどうなったかは定かではないが――きっと、その「志田さん」と辛いものを食べ、笑いあっているだろう。

 荻山葵はそう信じている。

 ただ、

 

「私の幼馴染は男だから!」

 

 禁断の恋の同士みたいに思われていないか、葵はちょっとだけ心配だった。



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