数日後。
「はぇ〜、色んな人が集まってるね」
ソウゴはクルシュ邸の広間に集まっている人々を見て少々、驚嘆の声を漏らす。
「この人たち皆、白鯨の討伐に行くのね」
広間にはエミリアとウォズも来ていた。陣営の代表としてエミリア、ソウゴとウォズは彼女の護衛も兼ねている。
「来たか」
ソウゴ達の前からクルシュが来た。
彼女は普段の男装めいた礼服ではなく、装飾を極端に減らした軽鎧姿だ。動きやすさを重視し、機動性に比重を寄せたのだろう。
「いよいよ出陣だ。昨晩は休めたか」
「うん、よく眠れたよ」
クルシュの問いにソウゴは答える。
「そうか。ならば良い」
「それで、白鯨討伐の為の戦力はここにいる全員か?」
「いや、ここに来ているのは主立った顔ぶれだ。残りはリーファウス街道への隊の展開のために、すでにフリューゲルの大樹へ発っているはずだ」
ウォズの問いにクルシュは答えた。
「クルシュ様、そろそろ」
「あぁ」
フェリスの呼びかけにクルシュは応じ、前へと進み出た。
「四百年だ」
定刻となり、集った戦士たちの前でその言葉が告げられた。
重々しい響き、張り詰めた空気の中で、場に集まる全員からの注視を浴びるクルシュが堂々と胸を張る。
カルステン家の刻印が刻まれた剣を地に突き立て、柄尻に手を置くクルシュは全員の顔を見渡し、
「世界を襲った最悪の災厄。嫉妬の魔女の手で生み出された白鯨が世界を狩り場とし、我が物顔で弱者を蹂躙して、大きな月日が過ぎた。
白鯨によって奪われた命の数は数え切れない。霧の性質の悪辣さも相まって、犠牲者の数は正確には誰にもわからないというべきだ。四百年の時間を経て、銘の刻まれた墓碑と、銘すら残すことのできない墓碑の数は増えるばかりだ」
クルシュの言葉に下を向き、歯を食い縛って嗚咽を堪える兵がいる。握り固めた拳に爪を突き立て、血をにじませる兵がいる。
その胸の内側に尽きることのない激情を溜め込み、なおも静かにその怒りを爆発させる機会を待ち続けた老剣士がいる。
「だが、その無念の日々は我らが終わらせる。白鯨を討ち、数多の悲しみを終わらせよう。悲しみにすら辿り着けなかった悲しみに、正しく涙の機会を与えよう。すでに主を失った身で、なおも終わらぬ命令に従う哀れな魔獣を終わらせよう」
下を向いていた兵が、拳を固めていた兵が、目をつむっていた老剣士が、今はその眼を開いて、正面に立つクルシュを見つめている。
それらの視線の熱を受け、クルシュは手を前に突き出し、声を大にする。
「出陣する! 場所はリーファウス街道、フリューゲルの大樹!」
応じる声が重なり、地を踏み鳴らす轟音が地面を揺るがした錯覚を生む。
その中で一際強く、高く、クルシュが抜き放った剣を空に向けて突き上げ、
「今宵、我らの手で、白鯨を、討つ!!」
14年前の討伐以来、白鯨討伐の大規模な作戦はこれが初である。
この遠征の為に編成され、クルシュの指揮下にある大討伐隊、その隊長を任されているのはヴィルヘルムだ。
ヴィルヘルムに従う討伐隊は十五の隊に分かれ、各隊の隊長を大広間での演説に参列していた兵たちがそれぞれ請け負っている。小隊の構成は各隊が十五名ずつで、クルシュ率いる討伐隊の総数は約二百二十人といったところだ。
討伐隊はトラブルに見舞われることなく、無事に目的地、リーファウス街道のフリューゲルの大樹へ到着した。到着した頃には、夜空に白い月が昇り始めていた。
討伐隊が先遣隊と合流すると、武器の点検や作戦の最終確認が行われた。ソウゴ達も話し合いに参加して各人の立ち回りを含めた作戦の詰めを終えた。
そして、五時間後。大樹の周囲に、討伐隊が配置される。交代で食事と仮眠を取り、討伐隊のコンディションは万全であった。討伐隊の後ろにソウゴ達は待機中。
「いよいよ、か。彼らがどれだけやれるか、見物だね」
ウォズが討伐隊の後ろ姿を見て呟く。
「……ねぇ、やっぱり俺たち出ちゃ駄目かな?」
「ダメよ、ここで待つってクルシュ様と約束してるでしょ?」
「それに、相手側が予想外の手を使う可能性もある。我が魔王が鯨程度に負けるとは思えないが、念のため、というやつだ。それに心配せずとも、彼女達もある程度はやれるだろう」
ソウゴは行けないかと問うも、エミリアとウォズの2人に諭される。
全員で、その時を待った。
しばらくして、その時は、来た。
「ーーーーーー」
夜空の彼方から声が聞こえた。その場にいる全員が、夜空に目を向けた。
魚影が浮かんでいた。
「あ、白鯨」
エミリアが見開いた目でその魚影を見、ウォズもその魚影を見上げる中、ソウゴは呟いた。
クルシュが息を呑んだのと同時、討伐隊のほぼ全ての人員が同じ理解に達した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへ投げかけられる。
クルシュは息を吸う。
「総員、総攻撃!!」
そのクルシュの号令に従った討伐隊が次々と砲筒に着火。大砲のような砲筒に魔鉱石を詰め、弾丸として射出する魔石砲だ。一斉砲撃が爆音を上げて着弾する。
「始まったか」
ウォズがそう言っている間にも、魔石砲が再び稼働され、白鯨の巨体に次々と着弾する。着弾によるダメージが蓄積され、悶える白鯨の高度が落ちてくる。
その中で、白鯨へと駆ける地竜が跳ねるように跳躍し、その巨体に見合わぬ軽やかさで空へと駆け上がる。しかし、白鯨と比較すれば質量差は明白だ。鼻先に浮かぶ地竜の姿はまるで、白鯨からすれば虫けらのようなものなのだろうが、
――真っ直ぐにひた走った剣閃が、その魔獣の鼻先を縦に深々と割った。
「十四年」
割った鼻先に剣を突き立て、人影がしゃがみ込みながらぼそりと呟く。
「ただひたすらに、この日を夢見てきた」
「────ッ!!」
白鯨が痛みに絶叫し、尾を振り乱しながら空で踊る。
先ほど縦に割られた傷に追加で横に一文字の傷が加えられ、十字の傷口を額に生んだ白鯨の背を、軽い足音を立てて影が踏む。
剣鬼は笑みを浮かべ、瞳を殺意で輝かせた。
「ここで落ち、屍をさらせ。化け物風情が」
言い捨てて、剣を両手に構えるヴィルヘルムの体が風と成る。
白鯨の頭部から尾の方へ背中を駆け抜け、魔獣の岩肌を両手の刃で滅多斬りにしていく。
固く、強靭な肌をなんなく斬り裂き、どす黒い血で空を彩っていく。
体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効な手段を持たない。軽やかに走るヴィルヘルムを振り落とさんと空で側転するが、
「わざわざ斬られにくるとは協力的で結構!」
空で白鯨の身が回る寸前、短く跳躍するヴィルヘルムは足下へ剣を突き立てる。その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走った。
ヴィルヘルムは両手剣を振りかぶりながら巨体の側部へ。V字に振られる剣が肉を削ぎ、傷の断面が露わになる。
空をつんざく怒号が走り、落下するヴィルヘルムを白鯨の尾が横殴りに狙う。しかしその直撃の寸前に駆け込んできた地竜がヴィルヘルムを拾い上げ、即死の威力を掻い潜って躱した。
着地し、即座に地竜は疾走。白鯨は怒りに任せて地竜に乗るヴィルヘルムを追う。
「はあっ!」
クルシュがヴィルヘルムを追おうとして横腹を見せた白鯨に向かって腕を振る。すると、白鯨の側面に大きな傷が出き、そこから血が噴射される。
これは彼女の手から発生した無形の剣である。射程を無視した攻撃であり、彼女の剣技だ。
「今だ!」
クルシュが指示を出したのは、これまで攻撃に参加せず、魔法の詠唱に集中していた魔法隊。
「アル・ゴーア!!」
複数の詠唱が重なり、生み出されるのは赤熱の極光。空に月が存在する景色の中、低い空に太陽が出現する。
その大火球が揺らめき初速を得ると、すぐに加速へ変わり、高速へと変わる。火球が横腹を向ける白鯨の胴体へ直撃。傷から炎が肉を焼き、内臓を沸騰させられる白鯨の絶叫が夜空へと響き渡る。
砕け散った火球が燃える破片を平原に散らし、下を走る傭兵たちが慌てて避難。白鯨は白い体毛を燃え上がらせる。
「おぉ……何かこのまま行けそうじゃない?」
戦況がこちら側に有利に進んでるのを見て楽観的な意見を述べるソウゴ。
「……いや、本当なら今ので地に落としたかっただろう。白鯨は未だ空の上だ」
ウォズの言う通り、白鯨は今も空の上に漂っていた。
場面は変わってとある洞窟。
「ぐあああっ…………! あの男が憎いぃぃぃぃぃ…………!」
ペテルギウスは爪を噛んでいた。それも血を流す程に。
「あの男に2回も敗北を喫するとはぁぁぁぁぁ…………! 勤勉たる私が怠惰と言わざるを得ない醜態を晒すなんて何という屈辱ぅぅぅぅぅ…………!」
常磐ソウゴに2回も敗北をしてしまったペテルギウスは怒りに燃えていた。
「次こそは絶対に殺す…………ッ!」
「そうか、ならお前に力をやるよ」
突如後ろから声が聞こえたペテルギウスは、そちらを振り向く。すると自身の腹に何かを突っ込まれた。
「ぐはぁ…………!? 貴様ァ、何者…………ッ!?」
「俺は復讐者であり、いずれ神を超越する者、だ」
「ぐ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ペテルギウスは苦しみ悶え、異形へと変化する。
「お前の憎む男はリーファウス平原にいる。勝てるとは思ってないが、精々足掻くんだな」
白鯨の背を走る老剣士の姿がいる。
剣を突き刺し駆けるヴィルヘルムが、その刃で白鯨の背を裂いていく。尾から背にかけてを駆けるヴィルヘルムの影を、遅れて噴き出す鮮血がまるで噴水のように追いかけていくように見える。
ヴィルヘルムの単身とは思えない斬撃に討伐隊の士気が高まり、連続する魔石砲の連射速度と騎竜隊による攻撃の勢いを増す。
苦痛に悶えて、中空で身をよじる白鯨はまったくそれらに対応できていない。
「せぇぇぇぇぇいっ!!」
ヴィルヘルムの剣撃が白鯨の頭部までを行き、駆け抜ける老躯が白鯨の先端から軽やかに飛び立つ。宙で身を回し、そのまま下へ降下。
ヴィルヘルムが双剣を振り回し、斬撃が荒れ狂う。鼻先から頬にかけてを無残に切り刻み、巨大な瞳に向かってヴィルヘルムは刺突を放った。
「――――ッ!!」
白鯨の巨大な左目に深々と剣が埋まり、眼球の奥から水が流れ出す。ヴィルヘルムは柄まで埋まったそれを即座に手放し、両手で瞬時に別の二本を引き抜いて一閃、左右から迫る斬撃が眼球を切り裂き、刃がその傷口の左右を割る。結果、白鯨の左目は四角の斬撃に深々と抉られ、切り落とされる。
落下する目は赤い血と体液をぶちまけながら、すさまじい轟音を立てて地面に着弾する。
落ちた眼球の真横にヴィルヘルムが着地。彼はそのまま転がる眼球に剣を突き立て、それを真上にいる白鯨に見えるよう持ち上げると、
「――無様」
と、口の端を持ち上げて凄惨な笑みで一言を告げる。
剣鬼の壮絶な戦いぶりに、翻弄される白鯨には為す術もない。見事に眼球ひとつ抉られ、その戦闘力の差は肉体の大きさに左右されていないのが歴然だ。
「くるよ!!」
白鯨の目の色の変化に気付いた瞬間、フェリスが叫んだ。
「――――!!」
白鯨は咆哮を上げ、片目を抉られた怒りに残る隻眼が真っ赤に染まる。
血色に染まった目で眼下を睥睨し、その狂態に慌てて距離を取り始める討伐隊の方へと体を傾ける白鯨。そして、白鯨の肉体に変化が生まれる。
白鯨の全身の窪みが口を生じ、それが一斉に声を上げ始めた。
金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。
その咆哮に人間はもちろん、地竜たちまでも背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませる。
そして白鯨の全身の口から、『霧』が放出される。
それは瞬く間に見渡す限りの平原に降り注ぎ、世界を真っ白に塗り潰していく。