墓所の中。
試練をクリアしたエミリアは、背中に硬い感触を味わいながら小さく唸る。
試練が終わった。忘れていた後悔に舞い戻り、封じてきた過去を目の当たりにした。その中で、自分がどれだけの想いに守られていたのか理解できた。
過去ではフォルトナに、ジュースに、アーチやみんなにその心を守られ、その後はパックにずっと頼り切りになり、今はソウゴやラム、仲間達に支えられて。
何が欠けても試練を突破できなかったかもしれない。封じた過去に怯え、誰にも頼れず心を脆くし、泣いて挫ける夜を過ごしてたかもしれない。
そうならずに済んだのは、仲間達のおかげだった。過去も今も、エミリアは一度も一人になったことはない。
「ごめんなさい、母様」
エミリアは押し殺したような声を漏らした。鼻をすすり、涙を流し始める。
「かあさま……かあさまぁ……」
溢れ出る涙、止まることなく流れ続ける優しい記憶への郷愁。本当なら百年も前に、流していたはずだった涙。
ずっと悼むことすらできずにいた母の死を、エミリアは石室の中で悼み続ける。
表に出たときに、この泣き顔を知られないように、弱いところを見せずに済むように。
泣いて、泣いて、泣き喚いて、泣きじゃくって、それから、母の思い出を、母の愛情を、母から与えられた全てに感謝し、悼んだ。
エミリアは涙を拭いて、頰を叩く。乱れていそうな髪を整え、袖の皺を丹念に伸ばした。
今、みっともない顔をしてしまってはいないだろうか。
普段なら、エミリアの身嗜みにうるさいパックの存在が今はない。
「……だけど、絶対に私から迎えにいくから」
どこへいったとしても、消えてなくなったわけではない。エミリアが契約する精霊は、ずっと親代わりでいてくれたあの猫精霊だけなのだ。
「それにパックがいないと、マナの無駄遣いが多いみたいだし……」
エミリアは自分の身体に漲る膨大なマナに眩暈を起こしかける。故郷の森を氷漬けにする力。パックはこれを自覚させないように骨を折ってくれてたはずだ。
「ホント、パックったら過保護なんだから」
薄く微笑んだ後、エミリアは深呼吸をする。胸に空気を入れて、沈んだ弱い気持ちをいっぺんに出す。
「よしっ! もう大丈夫」
言い聞かせるように強く言い切る。その後、エミリアは墓所から一度出ようと歩き始めた。
「お帰りなさいませ、エミリア様」
墓所から出た時、外にいたのはラムだった。
「ラム! ……ソウゴ達は?」
「……悪巧みのために別の場所で待機中、といったところです」
「へぇ……?」
どうやらソウゴ達が何か計画しているというのは分かった。
「待っててくれなかったのはちょっと……すごーくちょっとだけど、寂しくてムッてならなかったわけじゃないけど。……でも、失敗するなんて思ってなかったってことだもんね」
自分のことを信じてくれていたのだと、エミリアはそう思った。
「エミリア様、こうしてお戻りになられたということは……」
「試練のこと? ええと、ちゃんと過去とは向き合えたけど、まだ終わりじゃないみたい」
「それはどういうことです?」
「試練はあと二つあるの。それを突破したら、結界が開けるみたい。だから、また墓所に入らなくちゃいけなくて」
とはいえ、やることは変わらない。ラムや聖域の住民、アーラム村の人々には待ってもらうことになるが、最後まで前進は続ける。
「……本当に、お強くなられたんですね、エミリア様」
エミリアの想いをその目から感じ取ったのか、ラムは呟く。
「エミリア様、申し訳ありません」
「……ラムが謝るなんてすごーく珍しい。急にどうしたの?」
「ラムもそう思います。今、ラムは初めてエミリア様に本心から頭を下げたと。……これまでラムは、エミリア様がお立ちになられると信じていませんでした。試練に心を挫かれ、拠り所であった大精霊様まで失われ、どう立ち上がるのかと」
「………………」
ラムは謝罪と懺悔を続ける。
「ですがエミリア様は今、こうしてここに立たれています。胸を張り、前を向いて。頬に涙の跡が残ってるのは、少しだけ減点ですが」
「あっ、やっ、もう……」
頬を拭い、涙の痕跡を消したエミリア。
「それじゃ、ラムは私が泣き虫だから、ソウゴ達に協力してくれたの?」
「ご冗談を。ラムは、ソウゴ達に手を貸したわけではありませんよ。ラムが手を貸したのは、協力する価値があると判断したのは、エミリア様です」
「そう、なの? ……うん、そうかもしれない。でも、どうして?ラムはどうして、私を助けようと思ってくれたの?」
「願い事をするのに、自分の方から誠意を示さないわけにはいかないからです」
その言葉と、続く行動にエミリアが息を詰める。
ラムはエミリアの前に跪くと、頭を垂れていた。それは最敬礼と呼ばれる最上位の礼だ。これまでラムがエミリアに見せた、形だけの敬意ではない本物の敬意の表れだった。
「お願いです、エミリア様。どうか、我が主、ロズワール様をお救いください」
「……ロズワールを?」
「あの方は、妄執に取り憑かれておいでです。心を縛り付けた照いのような妄動に。それでも、ラムはよかった。あの方がラムを見ていなくても、ラムのことを、その妄執を果たすための道具としか思っていなくても、それでもよかった」
最敬礼を捧げたまま、ラムはその胸の内をエミリアに正直にさらけ出す。
「でも、その妄執はすでに結末への道を外れました。全ての根幹にあった願いは矛先を見失い、ロズワール様は形だけの文字に織るばかり……どうか、それを砕いてください」
「ロズワールは、それを砕かれて平気なの?」
「平気、ではないでしょう。きっと取り乱します。自分の人生の意味を見失い、崩れ落ちるかもしれません。ですが、エミリア様しかいないんです。ロズワール様が拠り所としてきた道筋、それを外れた先でなお……想いを、遂げさせられるかもしれないのは」
それは懇願だった。頭を下げ、声の調子は普段のままに、ラムは懇願する。
彼女の懇願をエミリアは正しく理解できていない。だが、ラムの願いは本物だ。
「私は、何をしたらいいの?」
「王座に、おつきになってください。エミリア様が、ルグニカの玉座に座られた時、ロズワール様の願いは果たされます。歩み続けた道の外でも、想いの結実する日は訪れる。そう、ロズワール様にどうか教えて差し上げてください。今日を、明日を、生きる意味をお与えください」
押し黙るエミリアに、ラムは途切れることなく言葉を重ねる。
「お願いです、エミリア様。あの人を、助けてあげて」
その、静かな訴えに、エミリアの総身は確かに震え、胸の奥にたった一つの使命感が宿る。
「私が王様になることと、ロズワールが救われるってこと、その関係はよくわからない。ラムの想いも、きっと本当の意味じゃ、まだ私はわかってあげられない。でも」
無言で、自分を見ているラムの瞳を見つめ返し、エミリアは一呼吸。
「ラムが私に何かをお願いするなんて、初めてのことだもの。いいわ、ラム。私をじてくれたあなたに、私は今、応えてあげたい。きっとそれが、ここから私が始めなくちゃいけないことなんだわ」
その答えに、最敬礼するラムが「あ」と小さく口を開ける。どこか、緊張の糸が切れたような様子。きっと不安もあったのか、安堵に唇が震えて見えた。
その表情に、エミリアは微かな満足感を得た。そうして、エミリアは跪くラムに手を差し伸べ、そっと彼女を立たせようとし、
「そーぉろそろ、私からも祝辞を述べさせていただいても構いませんか?」
「……っ」
握った手の震える感触、声にエミリアは顔を上げ、この墓所の前に姿を見せる人影を見つける。
「……ロズワール」
そう、エミリアは微かな警戒を胸に、相手の名前を呼びかけた。
「お取り込み中のご様子でしたが、一区切りついた雰囲気で……よろしかったですか?」
ロズワールは格好は普段通りの奇抜な衣装に、久しぶりに見せる化粧顔。負傷し、寝台での姿と違い、エミリアの知る彼そのものであった。
それなのに、彼の様子が普段のそれと明らかに違ったものに思えた。
「そこまでよ」
「……ふむ」
エミリアの一声にロズワールの足が止まった。それは声に込められた硬い感情だけが原因ではない。ロズワールへ向けた、エミリアの掌が原因だ。
エミリアは右手でラムを引き寄せ、マナが集う左手をロズワールに向けていた。
「こーぉれはこれは、ずいぶんな歓迎ではありませんか。エミリア様が『試練』に挑まれると聞き、こうして重傷の身を押して駆け付けたっていうのに」
「それがホントの本心なら、私も信じてあげたいんだけど……」
エミリアは眉を顰める。
本来、ロズワールはエミリアにとって、王選における味方。試練で目にした凍土と化したエリオール大森林からエミリアを連れ出し、氷漬けの仲間たちを救える可能性を示してくれた恩人でもある。そのロズワールを、エミリアは警成する。握ったラムの掌が、震えているから。
「そう怖い顔をされないでください、エミリア様。私はこれでも、本気であなたのことを心配しているのです。……同情していると、そう言い換えてもいい」
「私に同情……? それって、いったいどういう意味?」
「そのままの意味です。あなたには心から同情する。周りの期待に応える以外に愛される術を知らないあなたが、望まぬ過去との相対を余儀なくされる状況を」
痛ましげに首を横に振り、そう言い放つロズワールにエミリアは目を見開く。
同情と、ロズワールはエミリアの境遇を哀れむように言った。しかし、そこに込められた冷たく風識とした感情は、悪意に近い代物だった。
「改めて、あなたに祝辞を、哀れみと同情の念を重ねて、お送りいたします。よくぞ『試練』を越えられた。あなたには無理だと、私は思っていましたが」
「……素直にありがとうって言いづらいお祝いね。それに、まだちゃんと『試練』が終わったわけじゃないの。まだ、あと二つも残ってて」
「ええ、存じ上げています。それに、少し安心しました。今の私の祝辞が善意の言葉でないことは、能天気なあなたにもおわかりいただけるのですねーぇ」
エミリアにロズワールは皮肉めいた言葉を続ける。
「ロズワール、あなたはここに何しにきたの?本当に、それを言いにきただけ?」
「概ねは、そうです。あとは、確認でしょうか」
「確認って……私の、『試練』の結果のこと?」
健目し、ロズワールが頷く、確かめたかったのは試練の結果のようだ。
「私じゃダメだと思ってたって言ってたけど……少しは見返せた? そうよね、たくさん心配かけたと思う。ほんのちょっと前まで、私はずっといじけてばっかりで……パックにも、スバルにも、みんなにいっぱい迷惑かけてたもの」
エミリアに『試練』は越えられないだろうと、そう思われても当然だった。
正直、今だって、こんなに弱い自分が『試練』に挑めたことが不思議でならない。心はぐらぐらで、考え方だって浅はかで、惚くて情けない自分なのに。
「でも、迷惑かけたはずなのに、みんなが私を助けてくれたの。ダメな私に、みんなが手を貸してくれた。それで私も、へこたれてなんてられないって思えて……」
ロズワールに向けた左手を引き、エミリアは自分の胸中にある熱情を揶もうとする。マナではなく、言葉をこそ今のロズワールに届かせようと思った。
だが、そうして言葉を腕ぐエミリアに、瞑目するロズワールがくつくつと笑っていた。
そして、開いた黄色い片目をエミリアに向けて、
「それは、あなたがソウゴ君に理想を押し付けられたからそう思えてるだけでは?」
「っ!」
「ロズワール様!」
声を詰まらせるエミリアに代わり、ラムがロズワールの侮蔑に声を高くする。
ここまで沈黙を守り続けたラムは、エミリアの傍らで主に薄紅の感情を強くぶつけた。しかし、ロズワールはそれを無視し、エミリアに続ける。
「ここで『試練』に挑むことは全てはお膨立てされた上の選択肢。責めてはいません。そうしろと、あなたに望んだのは私であり、周囲だ。ただ、それをわかっていてなお、ソウゴくんは酷なことを迫る」
「そんなことない! ソウゴは私に……」
「なんて言葉を投げかけられましたか? 耳心地の良い言葉揃いだったでしょう。エミリア様を甘やかし、優しく壊れやすいものに触れるかの如く丁寧に丁重に扱われたことでしょう。エミリア様が本当は弱く、抱く、儚い願いを抱くことのある、普通の少女であるなどと考慮もしてくれなかったでしょう? 本当のあなたになんて、彼はこれっぽっちも興味がない。彼が信じてるのは、自分の中にある理想の貴方だ。でしょう?」
畳みかけるように言って、ロズワールは瞳をそっと伏せる。
言葉の勢いに圧倒されながら、エミリアは小さく息を吸った。
「…………それだけ?」
「………………」
「言いたいことは、それだけ?」
エミリアの問いかけに、ロズワールの目に怪訝な色が浮かんだ。しかし、ロズワールの反論はない。
「……記憶が戻って、不安だった。パックがいなくなって、押し潰されそうで……何もかも思い出したとき、私が私じゃなくなって、今での自分は嘘だったってなりそうで」
信じていたものがゼロになり、何もなくなった自分は動けなくなる。そんな思いで蹲っていたエミリアが、こうして今、過去との相対を越えて立てているのは
「やりたいって思ったとき、変わりたいって願えたときに手を引いてくれる、手伝ってくれる。そう言ってくれる人がいるって、教えてくれたもの」
「それは、ただの欺瞞では? あなたを体よく立たせるための……」
「ううん、嘘なんかじゃない。根拠のない、出鱈目なんかでもない。その気持ちは嘘にならない。……嘘にしない。それが、私の答え」
ロズワールの抗弁を、エミリアは堂々と否定する。
常磐ソウゴが嘘つきだなんて言わせない。言わせてはならない。
ソウゴがエミリアに、乗り越えられると言ったのは嘘ではない。エミリアが己の殻を破り、それを成し遂げれば、嘘は嘘ではなくなる。
エミリアの言葉に、ロズワールは途中から何も口を挟まなかった。
ただ、投げかけた言葉が聞き流されたわけでないことは、彼の目を見ていればはっきりとわかる。
ロズワールの表情は、笑顔の如く装飾された化粧の下の素顔は、痛切な感情を堪えるかのように、エミリアの二色の眼差しを向けているのだから。
複雑すぎて、読み解くことのできないロズワールの心情。彼は賢く、エミリアには想像のつかない世界を生きていると思っていた。
「貴方もまた、変わっていく。それが、私には到底受け入れ難い」
「ロズワール?」
「決断は尊く、歩もうとする意思は気高い。あなたが痛みと傷を受け止めた先に、その在り方に希望を見出したことは理解できる。だからこそ、私はあなたに同情する」
同情と、ロズワールは最初に切り出した言葉を再びエミリアへと投げかけた。
「あなたが傷付くことを是とした決断さえも、この終わる世界ではすでに無意味だ」
「終わる、世界……?」
「正確には、終わりに向かう世界でしょうか。正しい道筋を外れ、誤った行く末に向けてずれた世界だ。すでに「聖域』も、王選すらも、無意味に」
ゆるゆると首を横に振り、ロズワールは心から切実に惜しむようにそう言った。その態度の生んだ矛盾の感情に、エミリアは困惑を隠せない。
惜しいと、心から思いながら、ロズワールはそれを手放そうとし
「ロズワール……何を、投げ出そうとしてるの? あなたが……あなたと、私が始めたことでしょう? それを途中でなんて、そんなこと、絶対にダメよ!」
「では、あなたはいったいどうしたいと?」
「そんなのわからない! だけど、ダメなものはダメよ! ロズワールが何を諦めようとしてるのかはわからないけど、諦めないで! そんなの、勝手すぎるじゃない!」
子どもじみた論法とわかっていながら、エミリアはロズワールの無念に手を伸ばす。ロズワールが手放そうとするものを代わりに無み、強引にこちらへ向き直らせる。
「何も手放す必要なんてないわ。これ以上、何も」
胸を張り、そう断じたエミリアにロズワールが息を抜く。それきり、彼は気抜けしたような様子で肩をすくめ、視線をエミリアの背後、墓所に向けた。
「あなたの口にする大言壮語、はたしてどこまで実現可能なのか」
「それは、私がこれから証明する。墓所で……ううん、「聖域』の外でもよ」
二つ目の『試練』へ挑む、エミリアはロズワールに強く言い切った。そして、ここまでずっと、手を放さずにいたラムの方へ目を向
ける。
「エミリア様」
沈黙し、二人を見守り続けたラムが、唇を震わせてエミリアを呼ぶ。その呼びかけに頷くと、エミリアは繋いだ掌を優しくほどいた。
「いくわね、ラム。あなたのお願いは、絶対に、何とかしてみせるから」
目礼するラムに頷きかけ、エミリアは振り返り、墓所の入口へと視線を向けた。
ロズワールへの言葉も、ラムへの言葉も、エミリアは全て言い尽くしたはずだ。あとは言葉ではなく、行動で、エミリアの行き着く答えを証明しなければならない。
石段に足をかけ、一度は離れた墓所に再び望む。その背中に
「始めたのは私と、先生だ。それだけは間違っていますよ、エミリア様」
ひどく、郷愁を帯びた声音だった。
そんな声を背に受けて、エミリアは光の生まれる墓所へと進む。一度は離れた通路を抜けて石室へ。そこで、二つ目の「試練』が待っている。
誰かが言った嘘の言葉を、真の願いにするための、『試練』が。
「過去は、見た。それなら、その次は……」
何が待ち受けるのか。一つ目の『試練』への苦戦を胸に、エミリアは石室へ突き進む。
残す『試練』は二つ。三つ目の『試練』を越えたとき、『聖域』が迎える未来とは。
それを、思ったときだ。
『ありうべからざる今を見ろ』
聞こえたと、耳元で囁く自分の声に気付いた瞬間、体の力が抜ける。
意識が白み、強烈な感覚がエミリアの肉体から魂を引き剥がし、ここではない別の場所へと連れ去っていく。
◇
エミリアが墓所に入るのを見届け、草原にはロズワールと、ラムの二人が残される。
薄い胸に、ラムはエミリアに握られていた左手をそっと重ねる。
「……思いの外、覚悟が極まっていたようだねーぇ」
ラムがそうする傍ら、同じくエミリアを見送ったロズワールがそう言う。
「せっかく君が作ってくれた好機だったが、役立てられなくてすまなかったね。ああまで言われて激発しないとは……隙だらけなのは筋金入りらしい」
「……ロズワール様は、いつからラムとエミリア様の会話を?」
「ソウゴくんに啖呵を切られてね。エミリア様がどうあれるか確かめに……だから、君が彼女に膝をつくところも見ていたよ。君も、役者なものだ」
感心した様子で、ロズワールはラムの質問にそう応じる。
「……ロズワール様は、これからどうされるおつもりなんです?」
「依然、私の求むるところは変わらないよ。少し、無理をする必要はできたがね」
「ラムは……」
「ここで、エミリア様のお戻りを待つといい。健気なあの方を出迎えるものがいなくては、さすがの私も胸が痛むからねーぇ」
そう言ってロズワールは歩き始める。
ラムは、ロズワールの背中に一礼し、それを見送る。草原を抜け、集落ではなく、森に向かってゆくロズワール。
どこへ行くか、その場所を千里眼で確認したラムは、意を決して行動を開始した。
それから、辿り着いたのは森の最奥に潜むのはかつての魔女の実験場。場所は森に秘匿された施設。シーマの語った過去にも現れた、聖域の中核ともいえる場所だ。その場所に、ラムはついに足を踏み入れていた。
「……『千里眼』を用いれば、ここに辿り着くことも容易だろうね」
ロズワールは部屋の入口に佇むラムを見やる。
「君にはエミリア様を待てと、そう命じたはずだね」
「ええ、命じられました」
「では、聞こうか。————何のために、君はここへやってきたのかーぁな?」
「簡単なことです。————魔女の妄執より、あなたを奪いに参りました」
桃色の髪を揺らし、ラムは杖を抜いた。ロズワールに仕えて間もない頃に、彼自身に贈られた愛用の杖。折れた、ラムの角が使われたもの。
「妄熱、ねーぇ。……よもや、とは思うが……君は本気で、私に対して材を向ける気なのかな?」
その問いかけにラムが顎を引くと、ロズワールは「そうか」と肩を落とした。
「君に杖を向けられるのは数年ぶりだが……ここで、とは残念だ。妄執と、私の想いと目的を知る君に、そう言われたこともね」
「口にしてこなかっただけで、ずっと思っていましたよ。当然でしょう」
「当然……まーあ、当然だろうね。君からすれば、長く長く伏した屈辱の日々だ」
肩をすくめながら、ロズワールが二色の瞳に製然と停むラムを映す。
「本を、お持ちですね? ロズワール様が自ら動かれる局面で、あなたが何より頼りとする叡智の書、それを手にしていないはずがない」
ロズワールは、『叡智の書』の保管場所を誰にも教えない。実在だけは確かな叡智の書は、常にラムの手の届かぬ場所に仕舞われていた。
その『叡智の書』が確実にロズワールの手中にある好機、それが訪れたのだ。このときを、ラムはずっと待ち続けていた。
「忘れたことはなかったよ。君と私の間に交わされた、たった一つの誓約を」
「剣を握るものは剣に、魔に絶るものは魔に、炎に委ねるものは炎に」
「そして、鬼に願うものは鬼に、拠り所にしたそれに滅ぼされる、だったね」
その誓いの言葉を交わしたのは、それこそ二人の関係の始まりへと立ち返る。
まだ幼かった時分のラムは、鬼族を滅ぼしたしへの応報にロズワールの手を借り、それを成し遂げたのちに誓ったのだ。ロズワールへの忠誠と、彼の願いを滅ぼすことを。
「その時がきたわけだ。確かに、この世界の流れは私の望むそれと道を違えた。そしてそれは誓約の履行を……望みをなくした私を、君に差し出す約束を意味する。抜け殻となった私でよければ、君の好きにするといい。そう誓ったね」
「生かすも殺すも、ラム次第」
「そうだ。君の応報は……十年近い時間を経て、ようやく果たされる」
忘れるはずのない誓約を確かめ合い、ロズワールが懐から黒い本を抜く。それは叡智の書で、かつて、滅ぼすと誓った魔書。
「君にとっては本当に、長く長く辛い時間だったことだろう。なにせ……故郷を滅ぼした一因である男に、したくもない忠誠を誓って過ごさなければならなかったんだ。角をなくし、肉体を維持できなくなった君が生きるのに必要だったとはいえ、これほどの苦痛はそうあるものじゃない。他人事のようですまないがね」
感情の渇いた声音で、ロズワールがラムの在り方を定義する。
故郷を滅ぼした一因、その言葉に、ラムの胸中を痛みと共に記憶が蘇る。燃え盛る故郷、泣き叫ぶ同族、救いを求める家族達の最後。
かつて最強と謳われたラムも、数の暴力には対抗しようがなかった。少数の同胞はより多くの悪意に討たれ、たった一夜で一族は駆逐され、ラムとレムしか残っていない。
ロズワールとの誓約は、その後、生きるために必要だった。
そのことをレムには知らせず、ラムもまたレムには何も語らずに。
「復讐心を忠誠心の殻に覆いながら、心中で育ってゆく応報の炎を隠して君は私に仕えてきた。だとしても、君ほど優秀な駒は他にはいない。これまでも、この『聖域』においても、どれほど君を重宝したことか」
ロズワールの壇場が続いた。その言葉の多くは称賛だった。
「だからこそ、惜しい。君の決断はほんのわずかに、時期尚早だ」
声に込めた称賛の念が、ほんの刹那で落胆のそれに変わる。
「あと一歩、ここで私が為そうとする行いを見過ごすべきだった。そこだけが惜しい」
両手を広げ、右手に本を持ったまま、ロズワールは自分の背後に意識を向けさせる。
施設の最奥、白い壁には空洞が生まれ、隠された部屋からは青い光が痛れ出している。光を辿って目を凝らせば、視界に入るのは異常な大きさの結晶石……否、魔水晶と、その内に封じられる幼い少女の姿だ。
その少女こそが、シーマの語った『聖域』の真実、リューズ・メイエル。
「『聖域』の核となり、友人のためにその身を捧げた尊い少女だ。だが、この瞬間の私の目的は彼女にはない。必要なのは、この魔水晶だ」
「魔水晶を触媒に、大魔法を行使するおつもりですか」
「天候を変えるほどの、ね」
ロズワールはこの『聖域』に雪を降らせる。そのために、魔法の触媒として魔水晶を求めてここへきた。先日の雪も彼が原因で、今回は二度目の魔法を行使しようとしていた。
「そして大魔法を行使するには、絶大な集中と、精緻なマナの扱いが必要になる。その瞬間であれば、君の応報は確実に果たせたろう。角をなくしたとはいえ、君の奇襲だ。私の傷は深く、君を信用するあまり反応も遅い。間違いなく、討たれていた」
「……それでは、意味がありませんでしたから」
「? 万全の状態の私を屈服させることに意味があるとそれとも、一秒でも早く私を滅したかったのかな? その気持ちはわからないでもないが」
「いいえ。やはり、あなたは何もわかっていらっしゃらない」
ラムの返答に、ロズワールは本気で怪訝な顔をするばかり。
瞼の裏側には、決して表に出せない複雑な感情の渦がある。生涯、誰にも見せまいと誓った自分の在り方を、ラムは目をつむることで自分にだけ見せつける。
目を開け、顔を上げた。普段通りの不敵な眼差しを、ロズワールに向ける。
「あなたの望みは叶えさせない。誓願が成就し、抜け殻になったあなたを差し出されてからでは意味がない。壊れたあなたを迎えても、この胸は満たされない」
「それはそれは、強欲なことだ。しかし、それでどうする? 君が神童と呼ばれた鬼であっても、角のない今はかつてに遠く及ばない。私も負傷した身ではあるが、術式の構築に入る前なら、魔法は万全に扱える。勝てると?」
「いいえ、無謀でしょう。ロズワール様のお力は、あなたの師の次に理解しています」
勝算のない戦いであると、ロズワールの宣告にラムは頷いた。事実、ラムに勝ち目はない。
「では、君はいったい、どうやって目的を遂げるのかーぁな?」
掲げていた本をロズワールが懐に仕舞い込む。そうして空いた両の掌に、揺らめく炎が浮かび上がった。
赤、青、緑と、次々と色を変える炎を見せつけ、ロズワールは目を細める。
そのロズワールの視線に、ラムは杖を握る手に力を込めて、空いた反対の手をメイド服の内側へと滑り込ませた。
「ラムでは勝ち目がない。それは明らかです。ですから……」
『二対一なら、こっちが優勢になるかな?』
「…………!」
声は、ラムのものでもロズワールのものでもない。
「なるほどねぇ……!」
「言ったはずですよ、ロズワール様。魔女の妄執から、あなたを奪い取ると」
ロズワールの高い声に、ラムがそっとスカートを摘んで一礼する。その二人のやり取りの間に光が生まれた。それは徐々に形を成してゆき、
「そしてボクは、通りすがりの野良精霊。さあ、いつかの延長戦の始まりだ」
灰色の毛並みに長い尻尾、無駄に強烈な愛嬌を振りまく、小猫の大精霊、パックが顕現する。
ラムの手には、魔水晶未契約の大精霊、一夜限りの気紛れだ。
「ああ、なるほど。これならば、確かに」
「や、ロズワール。君とはそういえば、決着をつけてなかったからね」
喝采するロズワールに、顔を洗いながらパックが応じる。
そして、この状況を作り出したラムの策謀に、ロズワールは深く頷いた。
「来たまえ」
「お望みのままに」
色彩の艶やかな炎が燃え盛り、無色の風の刃が荒れ狂い、凍て付く冷気が爆発的に世界を侵していく。
衝撃波がこの瞬間だけの『聖域』に広がり、鬼と魔人と精霊の戦いが始まった。
ラムはロズワールから福音書を奪い取れるチャンスはこの一度しかないと理解しており、ロズワールがこの場所に向かった時点でこれが最初で最後のチャンスだと理解していた。しかし、今のラムでは勝率は限りなくゼロに近い。色々あって手に入れた隠し玉であるパックを投入しても五分と言えるかどうか。
しかし、ソウゴのある一言を聞いたからこそあえて賭けに出た。福音書奪取のための布石。ソウゴがそれを用意していたのは驚きだが、裏を返せば、その布石となる人物もまた福音書奪取のために状況を伺っているはず。なら、ここで行動を起こせばその布石を誘導出来るかもしれない。それなら事実上三対一だ。福音書を奪取出来ればレムの勝ち、破棄まで出来れば完全勝利なのだから。
戦いの中、ラム達は外へ。ロズワールの激しい攻撃を避けて地面へ降り立つが、その先で炎が迫り来る。それを氷が防いだ。ソウゴの言う布石はまだ現れない。
「大丈夫? あんまり無茶すると体に毒だよ」
それはパックのおかげだった。
「お気遣いは結構です。大精霊様のおかげで、なんとか戦いにはなってますから」
「強がるなぁ」
二人はそんな会話をする。周囲の森は既に荒れ果てた状態で、炎がくすぶり、氷漬けになっている木もあった。
「やはり、外へ連れ出して正解だった。この調子で暴れて、魔水晶を砕かれては困るからねーぇ。無論、それでも君の目的は果たせるはずだが?」
そんな中でも、ラムとパックの一人&一匹を相手取っているロズワールは余裕の状態であった。
「大精霊様に足止めをお願いして、その隙に、ですか? ご冗談を。……そんなことをしても、ラムの願いは果たされませんから」
「とはいえ、このままではジリ貧だろう? 大精霊様も万全ではないのだから」
「君の用意周到さには頭が下がるよ。……いつからリアに術をかけた?」
「聖域に出向く前に、エミリア様はスバルくんと喧嘩して気落ちしていましたからね。貴方とエミリア様の契約に細工するくらいは容易い」
「君はリアにへこたれたままでいてほしかった」
「ええ、その為にあなたが邪魔だった。細工していた時は、ここでスバルくんに色々やってもらおうと思っていましたが……残念ながら、彼は手元から離れた。残ったのは、道筋を踏み荒らしていく魔王だった」
「だとしたらいいザマだね。ボクも、スバルが離れて行ったのには思うところはあるけど」
「大事な愛娘を預けるに足るかどうか、気にかけていたからですか? 今はもう、てっきりソウゴくんの方に乗り換えていたのかと思っていましたが。まぁ、私がスバルくんにかけていた期待には届かないでしょうけどね」
「……思い上がるなよ、魔女の弟子」
ロズワールからの挑発にパックが声に激情をこめる。
「その分だと、誓約以前のことも思い出したのかーぁな?」
「状況からの推測も多分にあるさ。でも、ここが誰の森で、ボクに誓約を課したのが誰なのかを思えば想像はつく。君に、よく似た喋り方の男も思い出した」
「…………」
「傷を覚えておくためか、それとも戒めかな。どっちにしても、後ろ向きだね」
「後ろ向き、ね。そうですとも。私は常に後ろを、過去を見ている。私にとって、素晴らしいものは全て過去にしかない。今あるものは、亡骸の上に立つまやかしだ」
「っ……」
ロズワールのその言葉にラムの表情が強張る。
「……君の在り方にケチはつけないよ。ただ……」
「何です?」
「ベティーが悲しむね、ロズワール」
「っ」
パックのその言葉に、今度はロズワールの表情が強張った。
「……ウル・ゴーア!」
「図星をつかれたからって大人げない!」
繰り出される炎弾。それを氷壁が迎え撃つ。
爆発音が鳴り響き、白い衝撃波が森を薙ぎ倒して戦闘の再開を告げる。
「エル・フーラ!」
ラムは杖を向ける。そこからを風刃が迸る。
「遅い」
それが放たれる前に、ロズワールが急接近し、ラムの腹を平手でうち吹っ飛ばす。
「下がって!」
その頭上、後頭部側へ回ったパックが両手を突き出し、巨大な氷柱がロズワールへと放たれる。百年の大間に匹敵する質量、その氷撃にさしものロズワールも大きく飛びのいて、
「ここまで使わされるのは半年前のあなた以来だ!」
称賛に値すると声を高くして、ロズワールの超絶魔術技巧が真価を発揮する。それは両手と唇と、加えて両足でそれぞれ別の足踏みによる術式展開……五重展開魔法だ。
五方向から異なる術式による魔が放たれ、渾身の氷撃を融解、切断、破砕して無力化する。焦熱と絶対零度の衝突に、森は再び白い蒸気に呑まれる。それに乗じて、
「立てるかい? すぐ立たないと、次のがきて負けるよ」
「……簡単に言ってくれますね」
口の端をこぼれる血を拭い、ラムは体勢を立て直して嘆息する。横目に見れば、大技を放ったパックはその体からわずかな光をこぼしていた。
制限を超えた力を使い、肉体を構成するマナがほつれ始めた証拠だ。
エミリアとの契約を解除し、未契約状態にあるパックの実力は大きく減退している。そもそも彼の場合、その存在を維持するだけでも覚大なマナを必要とするのだ。それを契約者から賄えない以上、存在の維持も魔法の行使も自前で何とかするしかない。
その制限下でも、パックは持てる技術を尽くしてよくやってくれている。
蒸気を割り、姿を見せたロズワールがボロボロになったラムを見据え、目を細めた。
「……私は至極、残念だよ、ラム」
「…………」
「私は君に、願いを果たして、幸せになってもらいたかった」
ロズワールの目に哀れみが滲んでいる。それは、彼が本気でラムの日的が果たされないことを残念に思い、共にあれなかったことを悔やんだ証拠だ。
「あれだけ繰り返しても、あれだけ触れていても、あなたは真意に気付いてもいない」
呆れて、情けなくて、怒りと自嘲でラムは頭がどうにかなりそうだ。
鈍いであるとか、理屈に合わないだとか、そんなこととはもはや次元が違っている。
頑ななのだ。ラムの想いが、復讐ではなく恋慕であると、彼の中では決してありえないのだ。
「同族の応報を願い、憎悪に身を焦がすただの鬼であれればよかった。ただの復讐鬼であれたなら、この胸、痛まずに済んだ。ですが」
ロズワールは怪訝に眉をめるばかり。苦笑が漏れる。
本当に、この人はまるで、自分の想い以外は何も見えていないのだなと思って。
「ラムは、ロズワール様を愛しています」
真っ直ぐに、愛情の告白を受けたロズワールが瞠目し、硬直する。本気で想像していなかった答えに、ロズワールは絶句し、頭を振った。
「どうかされましたか?」
「どう、も、何も……私を、からかっているのか?この期に及んで、揺さぶりを……」
「そんな小細工が通用すると考えると思いますか?ラムは、ただ本心を告げただけです」
「だとしたら、なおさらそんなはずがあるものか!」
声を荒らげ、ロズワールは指を突き付け、ラムに強選る表情を向ける。
「私を、愛する? 何を言っている! 憎き相手だ。憎い男だろう。君にとって、故郷を滅ぼした原因に関わる男だ。事実、君も私を殺したいほど憎んでいたはずだ!」
「始まりはそうでも、今は違います。ラムは今、あなたを愛しています」
「馬鹿なことを……! いったい、誰がそんな、安っぽい感情を信じる!」
想いは不変のものとなに肩じる彼には、ラムの心変わりが信じられなかった。
「復讐はどうする!? 君は誓ったはずじゃないのか! 焼け落ちた故郷を前に、死した同胞たちの魂に、必ず応報を果たすと誓ったのではないのか!」
「同胞たちに悪いと思う気持ちはありますし、故郷を思えば胸も痛みます。ですが、愛してしまったものは仕方ない。死者より、ラムはラム自身の気持ちを優先します」
堂々と居直るラムに、ロズワールはただ押し黙る。
「ラムは、あなたを廃人になどさせません。そんなあなたを手に入れても、意味がない」
「……矛盾、している。君の想いがどうあれ、いや、口にした通りならなおさらだ。ここで、君が反旗を翻す理由がわからない。書の記述と外れれば、私は……それで何故!」
「だから、今このときなのです。ロズワール様の心に揺さぶりをかけている今だけが、ラムの千載一遇の好機。魔女の妄執から、あなたを奪い取る。唯一にして、最後の好機」
理解できないでいるロズワール、その表情にすら愛おしさを覚え、ラムは自嘲する。
この恋に付ける薬なし。なれば、熱に浮かされて死ぬまで足掻こう。
「大精霊様!」
「いいとも。ボクは愛娘の次に、恋する女の子の味方だからね」
ラムの呼びかけにパックが応じる。軽口を聞き流し、ラムは吠えた。
瞬間、森を凍える暴風が席巻し最後の、賭けの時間が訪れる。最後の好機に全てをかける。もう布石を待つ余裕はない。
風がやんだとき、反応の遅れたロズワールは息を詰め、その光景に奥歯を噛んだ。
周囲、森には氷で作られた鏡が無数に浮かび上がっている。それは光と景色をロズワールの視界に乱反射して叩き込み、戦場の把握に異常をきたした。
「小細工をーーッ!」
鏡に映る無数の森に、ラムとパックが反射する。悠長なことはしていられないと、ロズワールは魔法の五重展開を即断、術式が組まれ、世界に干渉する。
生じる桃が氷の鏡ごと森を焦土へ変える。
爆炎を放ったロズワールの頭上に影が差し、それは飛びかかっていく。ロズワールは挙で迎撃、脆い。砕け散る手応えに障目する。
氷像だ。人の形をした氷像が次から次へと、四方八方からロズワール目掛け投げつけられてくる。
強く大地を踏む。直後、吹き上げる暴風が氷像と氷柱の連撃を纏めて空へ飛ばした。一瞬の間除、ロズワールは次なる魔法を編み、後ろへ飛ぼうとする。つんのめった。
「足下を……」
「無目的にばらまいてたわけじゃ、にゃいんだよ?」
注意を上へ誘って下、典型的な小技だが、高度な魔法戦の中では恐ろしく効果覿面だ。
一瞬、だが致命的に動きを封じられ、ロズワールの意識が周囲へ張り巡らされる。ここで決めにくると、研ぎ澄まされる警戒心、そこへ、肥大化する気配が突き刺さった。
まさか、とロズワールが驚愕する。だが、気配は疑いようもなく膨れ上がっていく。
木々を薙ぎ倒し、焦土と化した森を踏みしめ、巨大な威容が顕現する。それは灰色の体毛に、小山ほどの巨体だ。
星獣化……それは大精霊パックを『終焉の獣』と言わしめ、かつて四大精霊の一角であった『調停者』メラクェラを滅ぼした、切り札にして悪夢の一手だ。
それを使わせないことが、ロズワールにとっての勝利条件の一つであった。
訳あって、今のロズワールには全力を、切り札である魔法の六重展開ができない。本気のパックと相対すれば、この拮抗は崩れ、押し潰される。
故に、ロズワールはその巨に対し、編んだ最大火力を叩き込むことを選択する。
すぐ背後へ振り返り、その星獣化した精霊の顔貌を睨み、
「……なっ!?」
「ばあ! でっかくなっただけでしたー」
正面、愛らしい顔そのままに巨大化した精霊と目が合い、罠だと気付くが遅い。
魔法の発動は止まらず、ロズワールは的を大きくした巨軀の精霊に炎弾をぶち込み、精霊が弾け飛んだ。即座の戦線復帰は不可能、あとはこの機に、
「エル・フーラ!!」
詠唱、集約する風が大地を爆砕し、舞い上がる土塊にロズワールの視界が覆われた。その攪乱を腕振り一つで払い、立て続けに投げ込まれる氷像を足で蹴り落とそうとしたその時、突如ロズワールと氷像に”青色の光弾が”降り注いだ。氷像も砕かれ、光弾に数発被弾するロズワール。
しかしラムはその隙を逃さなかった。本来の予定とは違うがこのチャンスにかけて僅か2秒の鬼化を果たす。
「あ、ぐ」
額に意識を集中し、激痛に視界が真っ赤に染まる。全身の筋肉が、骨が軋み、いくつもの筋が断裂していく。それを全部無視して、鬼族の血が沸き立った。
刹那の攻防、ラムに気付いたロズワールが打撃を放り込んでくる。遅い。首を傾けるだけで回避し、彼の右手にそっと手を添えて骨を砕いた。苦鳴を押し殺す表情を目に焼き付けたまま、ラムの腕が彼の胴体に触れる。ロズワールが息を呑んだ。
二秒に満たない不完全な鬼化だが、今のラムの力は人体の限界をはるかに超え、撫でるだけで人の骨を砕き、内臓を抉り取る力がある。
この瞬間、ロズワールは自身の敗北を予期したはずだ。しかし
「な、に?」
あるべき衝撃と痛みが訪れず、ロズワールは呆気に取られた声を漏らした。
そのロズワールから離れた位置に、一足跳びに到達したラムが停止。俯く顔から血を流し、ついには大量に吐血して膝をついた。
決定的な場面で、勝敗を決しなかった。その判断にロズワールは眉を寄せ、気付く。
崩れ落ちるラムの手に、それは握られていたからだ。
「それは……!」
「ラムに、とって……諸悪の根源は、これですから。…………やっと、これで」
ロズワールから、書を奪取していたのだ。
血相を変えたロズワールがラムに駆け寄ろうとする。その行動に微笑して、ラムは何の影躇いもなく手にした書を、を燃え続ける倒木の炎に投げ込んだ。
炎に飲み込まれるまであと少し、そうラムが思った次の瞬間、突如飛び出してきた何者かが書をギリギリでキャッチし、そのまま転がりながら停止する。 何者かは、本の無事を確認すると、服の泥と書の汚れを払い落としながら言いはなった。
「危ないじゃないか。せっかくのお宝を僕が検分する前に勝手に処分しようとするのはやめてくれないか?」
「何を馬鹿なことを……その本を返せぇ!」
襲いかかるロズワールを銃撃で迎撃しながら華麗にかわす謎の男。その男こそソウゴが用意した布石、仮面ライダーディエンドこと、海東大樹だった。
「やはり、そこまで良いお宝ではないね。これなら白ウォズのノートの方が遥かにマシだ。でも、これで魔王の挑戦状は僕の勝ちということ……」
そこまで言いかけたそのとき、書が謎の布に巻き取られていく。布の先にはラムもよく知る人物がいた。
「確かに君の実力は一応称賛するよ。この勝負は君の勝ちだし、君を重用した我が魔王の目に狂いがなかったこともね。とはいえ、この本は今ここで処分しなければならないものだ。これに関しては諦めたまえ」
突如現れたウォズに一瞬銃を向けるが、その後すぐに銃口を下げた。
「何時もなら意地でも取り返すところだけど、今回は君たちに譲るとしよう。勝負は僕の勝ちだし、何より、この地になかなか面白そうなお宝を見つけたんでね」
「お宝?」
「エキドナ……と言うんだったね? この地に封印された強欲の魔女の魂。しかも、調べてみればエキドナは自身が復活するための布石まで用意してあった。僕が盗むにはふさわしいお宝だろう?」
「ほう、君が魔女を御せるとでも?」
「さあね。だとしても、お宝である以上盗むよ。後の事は盗んでから考えればいい」
「エキドナを……私の悲願を盗むだとぉ……!? 貴様のようなコソ泥に、彼女を渡してたまるものかぁ!」
怒り狂うロズワールに海東は臆することもなく一枚のカードを取りだし、銃に装填する。
「ねぇウォズ、あの男がソウゴの言っていた布石なのかしら?」
「一応はね。とはいえ実際はただの泥棒だ。我々も何度苦労したことか……」
「心外なことを言わないでくれたまえ。盗むべきお宝はきちんと見極めている。それに泥棒ではなく怪盗さ。そして……」
海東はカードを装填した銃、ネオディエンドライバーを持ちながら銃身を伸ばし上に掲げ、そして告げた。
「僕も、通りすがりの仮面ライダーさ、覚えておきたまえ、変身!」
『KAMEN RIDE! DIEND!』
混迷しながらも終局に向かう聖域に更なる混沌が投下された瞬間だった。
◇
「君にはこれなんかちょうどいいかな!」
変身したディエンドは3枚のカードを取りだし、ネオディエンドライバーに装填する。
『KAMEN RIDE! SORCERER !WISEMAN! NA-GO・FANTASY!』
召喚されたのはウィザードライダーでも屈指の魔法使いのダークライダーの仮面ライダーソーサラーと仮面ライダーワイズマンと、仮面ライダーナーゴ・ファンタジーフォーム。グランドジオウ以外でライダーを召喚出来ることに一瞬驚愕したが、すぐに攻撃を仕掛ける。
『バリア!』
『エクスプロージョン!』
しかし、ソーサラーもワイズマンもナーゴも、ロズワールの魔法をでバリアで防ぐ。
ソーサラーとワイズマンがエクスプロージョンの魔法をロズワールに叩きこみ、手にクローを纏わせたナーゴが直接攻撃を仕掛けていく。 グランドジオウとの戦いと全く同じ展開の上に、空間を直接爆破するエクスプロージョンと追い討ちのクロー攻撃。おまけに二人はベルトを操作して指輪をかざすだけで、一人はノーモーションで発動。スピードも尋常ではない。
大規模魔法を展開しようにも、敵の攻撃が激しすぎて回避と防御が精一杯のロズワール。福音書を奪い返したくても、前に進むことが出来ない状況だった。 そんなロズワールにディエンドは語り書ける。
「君も哀れなものだね。あんなもののために人生を捨てるなんて」
「貴様のようなこそ泥にィ、私の何が分かる! 私の福音、私の全て! 私の400年をあんなものと呼ばれてたまるか!」
「たしかに、お宝の価値は人それぞれではあるけれど、あれはお宝じゃなくて呪いの類いだ。お宝と呪いの区別もつかなくなっている時点で君は十分破綻しているよ」
「黙れ! こそ泥風情に、狂えるほどに執念をかけられるものなどありはしない! そんな貴様に、私のエキドナは奪わせはしない!」
「なら、そのこそ泥が一言言わせてもらおうか。自分の人生の旅路くらい、自分で選びたまえ。今の君は、その全てを放棄して生きている。悲願を達成したら、君には何も残らないよ」
そう言いきると、ディエンドは黄色のカードを装填する。
『FINAL ATTACK RIDE DI・DI・DI・DIEND!』
さらにソーサラーとワイズマンも必殺技の指輪をかざす。
『イエス! ファイナルストライク! アンダースタンド?』
『イエス! キックストライク! アンダースタンド?』
『FANTASY STRIKE!』
「ならば貴様の死で証明する! この人生こそが私の選んだ道だとなぁ!」
ロズワールは最大攻撃力の四重魔法で対抗する。 それぞれの必殺技が放たれたそのとき、両者の間に闇の空間が現れ、二つの巨大な斬撃が両者の必殺技を粉砕する。
爆煙の中から現れたのは、ツクヨミとベアトリスだった。 先程は闇の空間から出てきた最光が両者の攻撃に対して、ドライバーを操作しサイコーカラフルを発動。更に月闇を地面に突き刺し引き抜いたエックスソードマンワンダーライドブックを即座に必殺リードさせ、その上で光剛剣も"光あれ"を発動。月闇を引き抜き聖剣二本を共鳴させて斬撃を放ち、ロズワールとディエンド達の必殺技を迎撃していたのだ。最光はその後消滅した。
「この辺りで失礼させてもらおうかな」
ちなみにディエンドはこの爆風を利用して撤退し、召喚したライダーも消滅した。
「ベアトリス様!?」
「バカな、なぜ君がここにいる!?」
ラムとロズワールが二人ともベアトリスの姿を見て驚愕する。 ベアトリスは周囲を見渡すと大体状況を察した上で呟いた。
「随分とややこしいことになったかしら。とはいえ、とりあえずは間に合ったのよ」
「ようやく吹っ切れたようだね、ベアトリス君」
ウォズが不適に笑い声をかけてくる。
「まだ、少し迷いはあるかしら。でもほぼ吹っ切れたようなものかしら。今はソウゴに答えを聞くためにとりあえずここに来たのよ」
「なら、道案内をしよう……といいたいが、その前に処分しなければいけないものがあるのでね、少し待ってもらおうか」
そういうとウォズは、ラムにロズワールの書を渡した。
「もう心は決まっているのだろうが……これをどうするかは、君が決めるといい」
「……ええ」
「ッ! よせェ!」
福音書を受け取ったラムはロズワールが引き留めようとする中、迷うことなく戦闘の余波で生じた倒木の炎に福音書を投げ込んだ。 福音書はあっという間に燃え上がり、灰となっていく。その様をラムはしっかりと見届けた。
「なっ…………あっ…………」
手を伸ばすロズワール。彼は書が燃えていく様を見た後、血が滲み出るほど拳を握り、震える。
「くっ…………ラムゥ!」
怒り狂ったロズワールは、ラムに襲いかかろうとするが、それを防いだのは、紫色の結晶。ベアトリスが放ったものだった。
「なんのつもりだベアトリス……そもそも、なぜ君は生きている!?」
「そんなの決まっているかしら。ベティーの運命は変わったのよ、ソウゴ達によって。そして、私もそれを選んだかしら」
「運命が……変わった、だと? ましてや、君が選んだ? 君の福音書は白紙のままでしかなかったはずなのに?」
「確かに私の福音書は400年ずっと白紙だった。今だって、この選択が正しいかどうかなんてわからないのよ。でも……私の運命は、未来は間違いなく変わった、進みだした。これがその証拠なのよ!」
ベアトリスは抱えていた本を見せ、ロズワールは驚愕した。それこそ、ベアトリスの福音書だった物。そしてそこには新たな名が刻まれていた。
「Re:仮面英雄歴……!? おのれェ……! おのれ常磐ソウゴォォォォ!!」
先のコソ泥といい、今の現状といい、よもやここまで自分の思惑を狂わせていく常磐ソウゴに対しロズワールは怒り、叫んだ。
「ロズワール、オマエにもお母様にも悪いけど、ベティーは先に進むのよ。そのために、オマエをここで倒すかしら。ソウゴに会う前の準備運動にはちょうどいいのよ」
ベアトリスがロズワールに向き合うと、ツクヨミはウォズの元に向かう。これから起こる戦いに自分は邪魔だと理解したからだ。 Re:仮面英雄歴が光りだし、自らページを開くと、一人のライダーが召喚された。
『飛び上がライズ! ライジングホッパァー!』
『A jump to the sky turns to a rider kick.』
黒色のアンダースーツににネオンイエローのアーマー。バッタを模した特徴的なフルフェイスマスク。 自信満々のベアトリスに嫉妬や憎悪等の感情が入り交じった顔を向けるロズワール。ベアトリスはいい放つ。
「私を殺そうとしたこと、禁書庫を焼こうとしたこと、後悔させてあげるのよ。ロズワール!」
そして、彼女の言葉を引き継ぐように召喚されたライダーがロズワールを指差した後、親指で自分を指して宣言する。
「お前を止められるのはただ一人! 俺だ!」
ベアトリスの決意の具現、新時代の戦士たる仮面ライダーゼロワンが、全てに決着をつけるべく突撃を開始した。
ウォズ「金の切れ目は縁の切れ目とは言うけれど、金があっても縁が切れることはあるみたいだ。ならこの場合、縁が切れたのはその者の人間性が原因ということだろうか? 金と心。本当に信頼できるのはどちらなんだろうね」
次回 2019:シン時代の仮面ライダー
ウォズ「私が信頼してるのはもちろん我がry」