「モーカー、愛しの蘭ちゃんのおかえりだよー♪」
「おーおかえりーって……今日はえらく酔っぱらってんねー」
「うんー、ひさしぶりに湊さんと話すのがたのしくってさー」
「……ああ~、そっかーよかったねー」
ふらふらと、若干頼りない足取りで玄関からリビングに入ってきた蘭は、それはもうごきげんでニコニコしている。
よくこれで無事に帰ってこれたものだと感心すると同時に、彼女のあまりの不用心さに少しムッとする。これはちょっと注意しないといけない。
今夜は湊さんと飲みに行くから遅くなるというのは事前に聞いていたけれど、まさかここまでひどく酔って帰ってくるとは……。
まぁ本人はすごい楽しかったみたいだし、お小言は明日にして今夜は寝かせてあげよう。
よほど上機嫌なのか、普段のしかめっ面からは考えられない笑顔を見せている蘭を微笑ましく思う。だが同時に自分ではない人と二人でお酒を飲み、楽しんでいた事実にどうしても嫉妬してしまう。
あたしのこういうところ、学生の頃から一向に成長していないなぁ……。
社会人にもなって恋人のプライベートな時間に干渉するのはどうかと思い口には出さないが、どうしても不安になってしまう。
昔よりかは社交的になった蘭は、華道の場や会社でもそれなりに交友関係があるらしく、一緒にいるとあたしの知らない人の名前が度々話にあがったりする。
今日はあたしも知っている人と会っていたからまだ良い。でもあたしが知らない人と蘭が同じお酒の場に……なんて考えると、不安という燃料が窯に投げ入れられ嫉妬の炎がますます燃え広がってしまう。
ただでさえ、蘭はお酒がそれほど強くない。
こんなかわいい女の子が酔っぱらっていたら男性はいわずもがな、たとえ同性であっても手を出したくなろうというものだ。そんなことになったらあたしはどうなるか……。
考えるだけで嫌になるが、今はあたしのことは置いといて蘭を寝かさないと。
「らーんー? とりあえずはやく着替えておいでーって、おおおおお?!」
「モーカー、もうねむいー」
子供みたいに甘えた声音でそう言いながら、蘭がソファに座ってテレビを見ているあたしの横に寝転がって、そのまま太ももの上に頭を乗っけてきた。
そして。
両腕をあたしの腰に回し、鼻先をあたしのおへそのあたりに押しつけてすりすりしてきた。すりすり、すりすり。
…………。
あまりの事態に微動だにしないあたしにお構いなく、んーとくぐもった声をあげながら、すりすりすり。
……………………。
なんだこのかわいい生き物ーーーーーー!!!!
猫のように体をすり寄せてくる蘭の頭を、ムツゴロウさんよろしくわしゃわしゃと全力で撫でまわそうとする自分の両腕。それを意志の力で必死に押さえつける。
ここで手荒に扱ってはこの猫ちゃん、じゃなくて蘭に逃げられてしまう気がした。猫はこっちから構おうとすると逃げちゃうって聞いたことあるし……。
いやしかしそれにしても……。
腰、お腹、そして太ももから感じる蘭の温もり。
普段同じベッドで寝ているのだから毎晩触れているはずのそれも、お酒の力で甘えん坊モードになった蘭の言動と表情、そしてこの膝枕というシチュエーションにより何倍も熱く感じる。
さっきまでくすぶっていた嫉妬や不安も、それ以上の熱量を持つ蘭の圧倒的なかわいさに一瞬で吹き飛ばされてしまった。
昔馴染みの友人以外にはどうかわからないが、普段はつんけんしている蘭がこうも素直に甘えてくると、なんというかこう……男心にグっとくるものがある。あ、あたし男じゃなかった。
あまりの蘭の愛らしさに頭が混乱しているようだ。落ち着けあたし……。
「あのね、モカ」
すりすりを止めて、相変わらず整ったお顔をあたしのお腹にうずめながらあたしの名前を呼ぶ蘭。
「ふぇ?! な、なに……?」
自分でも分かるくらい声がうわずって恥ずかしくなる。まあどうせ蘭は寝たら忘れちゃうだろうしいいか……。
そんなあたしをいぶかしむこともなく、少し顔を傾けて半分だけこちらを見てくる。だが酔っぱらていても恥ずかしいのか、目が合ったのは一瞬だけ。
そして。
「あたしね。モカのにおい、すき。それと……」
そ、それと……?
「モカのことも、だいすき」
そう言って、蘭は表情を隠すようにすりすりを再開する。
…………はー。
もはやトキメキとか興奮を通り越して、あたしの心は静。完全な凪。人間は許容量を超えた刺激にはうまく反応できないらしい。
これから蘭がお酒を飲んで帰ってくる日には部屋にこっそり盗撮用のカメラをしかけようかと本気で考えながら、あたしは虚無の心で、蘭のすりすりが止まるまで蘭の髪の毛をなでていた。
****
「あたまいたい、きもちわるい……」
「まさに、これぞ自業自得ってやつだねー」
「うっさい……」
お昼過ぎになっても、あたしはソファから動けず横になっていた。完全に二日酔いだ。
がんばって服を着替えて化粧を落としたあとは、ただひたすら横になって頭痛と吐き気と闘っている。
そんなあたしの世話を、モカが甲斐甲斐しくしてくれている。お水を持ってきてくれたり、わざわざ薬を買いに行ってくれたり。
「……モカ、なんだか機嫌よくない?なんかあった?」
今はあたしの目の前で床に座ってテレビを見ているモカは、そんな調子で朝から少し気味悪いくらい優しかった。
普段が優しくないってわけじゃないけど、今日はなんだか機嫌がいいというか、テンションが高い気がする。
「えー? それ聞いちゃうー?」
「え、なに。ダメだった?」
「いやー、そういうわけじゃないけどぉー」
ニヤニヤしながらモカがこちらを見てくる。やけにもったいぶるな……。
「じゃあいい」
まあ気にはなるけれど、正直いまの体調だと追及する気力もないので会話を打ち切る。
「ちょっとー自分で聞いといてそれはどうなのー?」
うーん、めんどくさい……。けれどこのまま放置するともっとめんどくさいことになりそうなので、話を振ってあげることにした。
「はいはい、じゃあ教えてくれる?」
「それはねー」
そう言いながらモカが机の上に置いてあった自分のスマホに手を伸ばす。
「これのおかげで、モカちゃんは朝から元気マンマンなわけよー」
スマホの画面を見せつけてきたので、身体は動かさず目線だけを向けた。
そこには、なんだか見たことのある黒髪の女性の頭と、それを撫でる手が映っていた。動画かな……?
それにしてもこの黒髪の子、やたらすりすりしてるな。猫みたい。
「はぁ。で、なにこれ」
「昨日の蘭とあたしー」
「………………は?」
「詳しく説明するとー、あたしにひざまくらされてる蘭と、それをヨシヨシしてるあたし」
「…………」
「…………」
お互い、無言の時間。
……あたしは、家出を決意した。