童磨さんは飛び級だろうなと思った。
その日、いつもは閑散としている無限城では盛大な戦闘音が鳴り響いていた。
「……ついにここまで来たか」
上弦の壱、黒死牟がその六つ目をある人物に向ける。
そこに居るのは猗窩座だ。刺青まみれの身体は全身血で塗れていて、その目の前に、現・上弦の弐だった者の肉塊がボコボコと再生しようとしていた。
その肉塊に猗窩座の拳が再度振り下ろされて、グチャリと生々しい音が無限城に響いた。
「三日三晩、貴様をすり潰してやったぞ。素直に負けを認めたらどうだ、弐」
猗窩座が自身の傷を再生させながら淡々と言う。足下の現・上弦の弐が抗議するように呻き声を上げるが、その口は潰れているため声にはならなかった。
その呻き声と同時、彼らの頭上から幼い声が降ってきた。
「素晴らしい戦いぶりだったぞ猗窩座。貴様を上弦の弐として認めよう」
声のした方を見上げると、そこには壁と垂直に立つ子どもが分厚い本を広げていた。
子どもの姿に扮した鬼舞辻無惨だ。
その顔は本に集中しているのか無表情で、こちらを一瞥もせず賛辞だけを送ってきた。
褒めているようには到底思えない声音だが、それでも猗窩座は片膝をつき頭を垂れ、その言葉を噛み締めた。
「は、有り難きお言葉」
「無ざ…ッさまッ」
その時、肉塊から言葉が発せられた。たった今降格した上弦の弐が、先に口だけ再生して言葉を発したのだ。
「私はっまだ……戦えッます……!」
「……無駄だ。誰がどう見ても猗窩座の勝ちだ。……どうしても戦うと言うならば、修行し直し後日……、今度はお前から猗窩座に血戦を申し込むがいい……」
無惨に代わり黒死牟が言い放つ。実際、猗窩座との闘いは接戦でありどちらが勝ってもおかしくなかったが、それでも立っているのは猗窩座だ。最終的に完膚無きまで体を破壊し尽くされた弐は、如何に上弦の再生力を持ってしても元に戻るまで時間がかかるようだ。
歯を噛み締める上弦の弐が徐々に人の形に戻ってきた時、無限城に似つかない明るい声が木霊した。
「やあやあ、凄い闘いだったねぇ猗窩座殿!ともあれ、上弦の弐昇格おめでとう!!」
ニコニコと気安く話しかけてきたのは上弦の陸・童磨だ。上弦の末席に着いて久しい彼は、血戦をどこからか見学していたようで屈託のない笑顔で猗窩座の隣に降り立った。
「陸がなんの用だ、失せろ」
「ッ陸程度が俺たちの会話に入ってくるな……!」
猗窩座と弐が鬱陶しそうにするが、気にした様子もなく近くに居座った童磨が、おもむろに弐に息を吹きかけた。
「がっ!?な、キサ、マ……!?」
ピキピキと弐の体が凍っていく。再生力の落ちた今では陸の血鬼術でさえも防げない。恨めしそうに睨む弐の眼球は凍りつき、それから二度と動くことはなかった。鬼の再生能力を持ってしても、氷漬けにされればその活動は停止してしまうようだ。
童磨は猗窩座を見据えると、ツゥ、とその頬に涙を流して言った。
「如何に上弦の鬼といえど、三日三晩もいたぶられてさぞ苦しかったろう。……猗窩座殿も悪い人だ、勝負が着いたのならばトドメを刺してあげればいいのに。あまりにも哀れだから、俺が救ってあげたよ」
「……余計な世話を」
猗窩座は奇妙なモノを見る目で呟いた。
通常、鬼同士の戦いは不毛だ。互いが無限の再生力を有しているのだから、陽の光に当てない限り生死の決着はつかない。
それでも拳のみで、しかも弐の再生力を落とすほどまで追い込んだ猗窩座の実力は今しがた黒死牟と無惨に認められたところである。
そんな中、氷の血鬼術で擬似的に鬼を殺してみせた童磨の言動は、三日三晩の奮戦を小馬鹿にしたようなものであった。
その自覚があるのか無いのか、童磨は氷漬けになった弐の肉塊を見下ろしてにこやかに笑うと、ひょんな言葉を吐いた。
「でもねぇ、
ギロリと猗窩座が無言で睨む。黒死牟が「ほう……」と息をこぼして、童磨に喋りかけた。
「中々……豪語するではないか。……試しに……猗窩座と闘ってみるか?」
「いやいや、そういうワケにはいくまいて。猗窩座殿は戦いを終えたばかりで満身創痍、いくら俺でも直ぐに勝ててしまうよ」
「構わん。貴様はここで死ね」
猗窩座の拳が童磨に振り下ろされ、バギャッ!と床板を割った。童磨はいつの間にか猗窩座の背後に立ち、「ほら、動きが鈍いではないですか」と耳元で囁く。
すかさず猗窩座は裏拳を放つと、童磨の頭が粉砕された。鼻から上がビチャビチャと飛び散り、残された口がカラカラと笑う。
「おお!すごい威力の拳、流石は上弦の弐だ!俺の頭ではひと溜りもないな!」
瞬時に頭が再生され、何事も無かったように笑う童磨。気味の悪いものを見るように猗窩座は目を細めた。
「貴様、ナメてるのか?」
「とんでもない!俺は賞賛しているのだよ猗窩座殿。ただの拳の殴打だけでそこまでの高みに登り詰めるなど尋常ではない」
パチパチとわざとらしく拍手する童磨だが、次の瞬間陸の目をスゥ、と細めた。
「ただなぁ、それしかないのなら、如何せん芸が無さすぎではないかな、と俺は思うワケだよ。猗窩座殿、闘いは拳だけじゃないと思うぜ?」
「殺す」
一瞬で距離を詰め殴り掛かる猗窩座。楽しそうに鉄扇を取り出して受ける童磨。
ドガガガ!!と突如争いを始めた二人を他所に、黒死牟は頭上の無惨に問いかけた。
「……これは、もう一度上弦の弐を懸けた……血戦という事でいいでしょうか?」
「……、知らん。興味ない。私は忙しい、後で結果を報告しろ」
一瞬だけ童磨を見下ろした無惨。だが彼は言葉通り興味が無いのか、直ぐに顔を本に戻した。
黒死牟が傅く。
「御意。……琵琶女」
呼ばれた琵琶女の鳴女がべん、と琵琶を鳴らすと、襖が閉まり無惨の姿は消えた。
黒死牟は振り返ると、二人の戦いの行く末を静かに見守った。
闘いはすでに佳境を極めていた。
致死の一撃を暴風の如く繰り出す猗窩座に対し、童磨は鉄扇で受け止め素早い動きでかわしていく。
辺りは余波であっという間に破砕痕だらけになっていた。
「あははは!危ないなぁ猗窩座殿、一撃でも喰らってしまったら俺は吹き飛んでしまうよ!」
「なら吹き飛べ」
ドン!と猗窩座が地面を鳴らす。すると足下が輝き、雪の結晶型の陣が出現した。
──術式展開【破壊殺・羅針】
「おおっ!これが先刻の……」
童磨が目を輝かせるが、彼のセリフは途中で遮られた。
──【破壊殺・空式】!!!
空を殴る猗窩座。瞬間、その拳が童磨の腹を直撃して吹き飛ばした。
ドゴォオ!と木造の無限城が破壊され、パラパラと残骸が散らばる。
ただの一撃で敵を粉砕してみせた猗窩座は、立会人である黒死牟を見上げて言った。
「おい、終わったぞ」
だが黒死牟はその六つ目をジッと、童磨が吹き飛んだ方へ向けている。怪訝に思った猗窩座もそちらを向くと、目の前に迫った虹色の瞳と目が合った。
「やあ猗窩座殿!素晴らしい血鬼じゅ……」
ブオン!と拳が振り払われる。
それは確実に相手の顔面を捉えていたが、その拳は空を切った。
パタタ、と猗窩座の二の腕の断面から血が垂れる。
「危ないなぁ。また殴られるところだった」
鮮血に濡れた鉄扇で口元を隠す童磨。空いた手には猗窩座の切断された腕が持たれている。
「調子に乗るな、陸」
猗窩座の鋭い蹴りが鳩尾を貫く。再び吹き飛んだ童磨から奪った腕をくっ付けながら、今度は注意深く飛んで行った方向を睨みつけた。
童磨は腹を擦りながら、全く堪えた様子もなく立ち上がってきた。再生はすでに終わっており、その跡は破れた服だけが物語っている。
「あーあ、信者の皆が頑張って用意してくれた服が……。しょうがない、もうそろそろ俺も本気を出そうか」
シャラン、と音が聞こえた。
──【血鬼術、冬ざれ氷柱】
猗窩座の上空に巨大な氷柱が無数に生成され、それらが音もなく降ってきた。しかし猗窩座は冷めた目で氷柱を見上げる。
──【脚式・飛遊星千輪】!!!
飛び上がって振り上げた足、その一撃で全ての氷柱が粉砕された。
「うわあ!凄い威力の蹴りだなあ!!」
伸ばされた足、そこにいつの間に接近したのか鉄扇が振るわれる。
「チッ」
舌打ちと共に空中で体をひねり、鉄扇の扇面を足場に離脱。遅れて童磨がフワリ、と優雅に着地した。
パラパラと砕かれた氷柱が二人の間を彩る。
「いやあ、流石は猗窩座殿だ。俺の血鬼術などまるで歯が立たないではないか」
「……」
ニコニコ話す童磨に対して猗窩座は何も答えない。その無表情な顔は半分が氷に覆われ、眼球ごと凍ってしまっていた。
猗窩座は凍った目を抉り捨て、再生を瞬時に済ますと無言で術式を展開した。
「ところで思ったのだけど、その模様は雪の結晶かな?」
ピクリ、と猗窩座の眉根が動く。それは猗窩座自身も無自覚な反応で、童磨もそれに気付いた様子もなくカラカラと笑った。
「俺の氷の血鬼術とお揃いだね!なんだか俺、猗窩座殿とは親友になれそ……」
「死ね」
──【破壊殺、砕式・万葉閃柳】!!!
猗窩座の一撃が無限城を揺るがす。絶大な威力とスピードを誇る技だが、童磨は難なく避けて緊張感なく笑っている。
「なんという破壊力だ!これは本当に俺も全力を出さねばならないな!」
──【血鬼術、寒烈の白姫】
女型の氷の結晶が二体生成され、その口からふぅ、と吐息が吐かれた。その息が通った場所が恐ろしいスピードで凍りついていく。
──【破壊殺、乱式】!!!
だが猗窩座の猛連打が凍てつく全てを破砕する。体が冷気に侵食されていくが、全く意に介さずズンズン前進していく。
「おおおおお!!」
「わ、わっ、ちょっと猗窩座殿!」
──【血鬼術、蓮葉氷】
蓮の氷が猗窩座の体を切り裂き、凍らせる。だがそれでも猗窩座の歩みは止まらない。止められない。
ズン!と重い踏み込みで童磨の懐に入った。
──【破壊殺、脚式・流閃群光】!!!
零距離になった猗窩座から上段・中段・下段の連続蹴りが放たれる。
扇で防いだ童磨だが、その勢いまでは殺しきれず遥か彼方まで吹き飛ばされる。扇は砕かれ、背中を強かに打ち付けた。
「むう、先刻から吹き飛ばされてばかりだなぁ……」
しかし何事もなかったように立ち上がる童磨。ここまで手応えがないと、流石の猗窩座もこの相手に奇妙な感覚を抱いていた。
(コイツ、これだけ殺傷能力の高い技を持ちながら羅針盤の闘気の反応が薄い。気味が悪い……)
「ん?どうしたんだい猗窩座殿?もしかして終わりなのかな?」
この言動もいちいち癪に障る。天然なのか狙ってやっているのか猗窩座には判断がつかないが、非常に不快であった。
「ほざけ。キサマこそ、その程度でよく上弦に上がれたものだな」
「お、言ってくれるねぇ。なら、今度は俺から攻めるよ!」
──【血鬼術、結晶ノ御子】
先程と同じような氷の人形が二体、形作られる。先と違うのは四肢があり、自らの足で猗窩座に迫ってきた。
「だからどうした」
それぞれを殴打と蹴りで一蹴。氷以上の冷めた目で童磨を睨む。
「まだまだいくよぉ」
童磨は楽しそうに次々と御子を生成し、猗窩座にけしかける。猗窩座はうっとおしそうに全てを粉砕していく。
「むう。この人形は俺と同じ能力を有しているというのに。流石は猗窩座殿だな!」
「俺はがっかりだ」
御子を倒しながら前進する猗窩座が、瞬く間に童磨を射程に捉えた。再び術式を展開しようとした時、童磨がそこで動きを変えた。
──【血鬼術、霧氷・睡蓮菩薩】
巨大な仏像が突如として出現する。童磨はその肩に乗り、折角詰めた距離が離されてしまった。
猗窩座が悪態をつく。
「っデカブツが」
「そぉれ!喰らえ猗窩座殿!!」
菩薩像の口からフウゥ、と氷の息吹が放たれる。辺りは瞬く間に氷の世界に閉ざされ、猗窩座も拳を振り上げた状態で停止してしまった。
「……ッこ、の!?」
筋力のみで氷の呪縛を解こうとする猗窩座。ミシミシと氷が悲鳴を上げるが、そこに菩薩像の手刀が振り下ろされた。
ズドオオオ!!と無限城に激震が走る。
その威力は絶大で、菩薩像に握られ持ち上げられた猗窩座はグッタリとしていた。
童磨は心配そうにその顔を覗き込んだ。
「おや、やり過ぎてしまったかな?」
瞬間、怒りに見開かれた目と合う。
同時に菩薩像の手が爆散し、次いで強烈な拳が童磨ごと菩薩像を叩き割った。
ゴゴゴゴ、と菩薩像の崩れる音を背に歩く猗窩座。その体には溢れんばかりの闘気が滲み出ており、這いつくばる童磨を見据えて言った。
「これで終わりか?」
「俺の最大攻撃を難なく打ち破るとは……っけど!楽しくなるのはこれからだぜ!!」
傷は直ぐに再生。童磨は後方に飛ぶと、氷の御子六体、菩薩像四体、蓮の花を随所に咲き乱れさせた。空気中には氷のガスが充満し、体の内側外側を余すところなく凍らせてくる。
「さぁさぁ!猗窩座殿はこの攻撃に耐えられるかな!?」
「血鬼術の同時展開か……、つまらん技だ」
【破壊殺、終式】──……
四方八方から襲い来る氷の乱舞に、対する猗窩座は構えをひとつだけ取った。そして……
【青銀乱残光】!!!
全方位へ百発の乱れ打ちを放つ。花も、像も、御子も空気ごと全てを殴り散らしていく。一瞬で生成され一瞬で壊されてく氷たちに、童磨が何故か嬉しそうに笑った。
「おお!まるで花火みたいだな!!」
「次はお前だ」
ドドドド!と氷瀑の如く勢いで崩れていく氷像たちを背に、童磨に迫ろうとする猗窩座。
──が、次の瞬間氷像たちが再び現れた。
「っな!?」
「どんどん行くよー」
驚愕する猗窩座を余所に、飄々とした童磨が次々と像を生成していく。
氷像たちは作れば後は自動で動いてくれる。その為童磨は逃げに徹し作ることだけに専念すれば、無限にその数を増やせるのだ。
「ッチィ!」
猗窩座は直ぐに決断。元凶である童磨を一直線に狙うが、蓮から伸びた蔓が行く手を阻み絡みついてくる。
その程度で止まる彼ではないが、一瞬の停止の間に御子と菩薩の猛攻が殺到する。
「ッこの!?」
「あははは!頑張れ猗窩座殿!!」
猗窩座を囲む御子たちが踊り、乱立された菩薩像たちが念仏を唱える。蓮と蓮が蔓で互いに結ばれ、ここが極楽浄土と言われても不思議ではない幻想的な光景が広がっていた。
しかしその実態は無尽蔵の氷が支配する末法の世。
人間など耐えられる術は皆無、鬼でさえもその意識を保つ事すら叶わないだろう。
氷の彫像たちによる葬送歌は途切れることなく、それは三日三晩続いた。
◆◇◆◇
辺り一面が氷に覆われた無限城。
ギシギシと氷のせめぎ合う音だけが反響する静寂の世界にて。
そんな寒風吹きすさぶ中、元凶である童磨は独り優雅に歩いていた。彼は目的の場所に辿り着くと、その光景を見て楽しそうに声を上げた。
「やあやあ猗窩座殿!貴殿なら耐えると思っていたよ。ご機嫌
「ッ殺す……!」
口元から右顔面を残して、余すところなく氷漬けにされた猗窩座が殺意を漲らせて睨む。
幾重にも重なった氷の牢獄。氷中の彼の腹は別の氷柱に貫かれ、右腕が切断され胴体から下など分断されてしまっている。
地獄の三日間は、猗窩座の実力をを持ってしても回避しきれなかったようだ。
しかし童磨は残念そうにため息をついた。
「しかし俺もまだまだだな。三日も掛けてようやく猗窩座殿を閉じ込めるのが限界だとは。いや、ここは素直に猗窩座殿の実力の高さを褒めればいいのかな?」
猗窩座がギリギリと歯を噛み締める。やられた側にしてみれば、童磨のセリフは完全に上から目線なのだ。そしてそんな相手の術にしてやられた自分の不甲斐なさにも腸が煮えくり返る思いだ。
怒りで言葉も出ない猗窩座に、童磨は何処からか刀を取り出した。
それを見た猗窩座が目を見開く。
「ともかく、この戦いにも決着を着けなければな!猗窩座殿が動けないこのチャンスに、拾ってきたこの刀で首を斬るとしようか」
取り出されたのは日輪刀。太陽以外で唯一鬼を殺すことの出来る、憎き鬼殺隊が使う武器だ。
「くそっ!どこまでも巫山戯たマネを……ッ!!」
流石の猗窩座も焦りが滲む。
鼻歌でも歌いそうな童磨が刀を振りかぶるが、ふと「あ、そうだ」と疑問を口にした。完全に動けない猗窩座を前に気が緩んでいるのだ。
「そういえば猗窩座殿は女を喰わず、あまつさえ殺しもしないそうだね。玉壺殿から聞いたよ。あの方もソレに関しては何故か不問みたいだし、変なこだわりを持っているよね猗窩座殿。女の方が栄養があって効率的に強くなれるのを知らないのかな?」
饒舌に喋る童磨に、苦虫を噛み潰したように眉にシワを寄せる猗窩座。
「……弱者の肉を喰ったところでたかが知れている」
「ふーん。でも今俺に負けたよね!という事は俺の方が正しいワケだ!なんなら今から女の肉を持ってきてあげようか?」
「……黙れ」
──【破壊殺、羅針】
氷の中に猗窩座の術式が展開される。童磨が一瞬驚くが、直ぐにカラカラと笑った。
「おいおい、悪あがきはよせよ。そんな氷漬けで一体どんな体術を繰り出せると……」
【
ガキン!!と噛み合わされる歯牙。同時に猗窩座の首元が粉砕され、その生首がボトリと落ちた。
(自分の首に、氷ごと噛み付いた!?)
童磨は起きた出来事を瞬時に理解。破壊殺、空式の要領で咬力を飛ばし、氷ごと自分の首を噛みちぎったのだ。
──【血鬼術、凍て曇】
上弦の再生力は凄まじい。瞬きする間にどんな傷も治ってしまう為、童磨は一瞬の判断で血鬼術を放ったが──……
「貴様の氷など片腕で十分だ」
右腕だけを優先的に再生させた猗窩座が拳を地面に叩きつけ、迫る寒波を吹き飛ばす。童磨は御子を生成しながら後退するが、五体満足になった猗窩座が猛追しながら叩き潰していく。
「ちょちょ、待ってくれ猗窩座殿!さっきので決着はついていたと俺は思うんだが!?」
「だったらキサマが負けを認めろ!!」
鬼気迫る猗窩座の形相。今、猗窩座の肉体では逆境を打破するために鬼の力、無惨の血が急速に感応を高めていた。
今までにない湧き上がる力を前に、猗窩座の思考も『鬼』で満たされていく。
(強く、もっと強く!弱者を蹂躙し、俺は更なる高みへとッ!)
──『もうやめて』
脳裏にふと、誰か女の声が聞こえた。ひどく懐かしくて好ましい、けれど今ばかりは忌々しい女の声。
(誰だ。やめるわけがないだろう、俺は強くなる約束をしたんだ)
──『もう十分、十分です。お願い、これ以上は……っ』
「黙れ!黙れ黙れだまれぇぇえええ!!!」
「ッ!?猗窩座どッッ!?!?」
突如豹変した猗窩座に面食らった童磨がそのまま殴り飛ばされる。
頭を抑えて蹲る猗窩座。脳内ではまだ女の声が響いているようで、苦しそうに呻いている。
「お、ぉォお゛お!?」
──『帰ってきて、狛治さ……』
“猗窩座!!!”
唐突な無惨の声が、猗窩座の意識を鬼一色に染め上げる。女の声はそれきり聞こえなくなるが、鬼の部分とかつての自分が精神を揺らし、猗窩座は何もかもを振り払うように術式に力を込めた。
「俺はッ!強くならなくてはいけないんだ!!」
──【破壊殺、滅式】!!!
その身全てを拳と化し、恐るべき疾さと威力を秘めた全霊の一撃。
その一撃が、目の前の呆ける童磨を削って通り過ぎた。
轟音と激震が無限城に響く。
氷と埃が舞い散る中、脱力した猗窩座が勢いよく膝を着いた。
「ッはぁ!はぁ!……っさっきのは、一体……っ」
未だ精神が落ち着かない猗窩座は、頭を片手で抑えて朦朧としていた。鬼への感応と無惨の強制干渉、そして猗窩座自身の忘れられた記憶が一気に起こった為である。
その背後に、ユラリと童磨が現れた。
「ッ!?キサマまだッ」
「素晴らしい一撃だったぜ猗窩座殿!!等身大の俺の氷人形を身代わりにしてなければ、俺は跡形もなく吹き飛んでいただろう!」
破壊殺、滅式が放たれる前。猗窩座が精神に異常を来していた時、その隙に童磨は身代わりの氷人形を生成して滅式の射線上から逃れていたのだ。
心を乱していたとはいえ、そんな単純なことに気付かなかった猗窩座が奥歯をギリリと噛み締める。
倦怠感の残る体に鞭を打ち、猗窩座は立ち上がった。
「ッならば今度こそ殺してくれる……!!」
「……そこまでだ、猗窩座」
殺意みなぎるその場に、
彼は無造作に二人の間に割って入ると、童磨に六つ目を向けて話しかけた。
「……戦いを……見ていた。…陸には不相応な血鬼術……見事なり。故に……上弦の弐になる事を……あの方に打診しよう」
「なんだと!?」
黒死牟の発言に反応したのは猗窩座だ。童磨が自分と同格の力がある事は不本意ながら認めるが、しかし勝敗の決していない現時点で判断されるのは納得がいかない。
詰め寄ろうとするが、その前に刀の切っ先が猗窩座の首元に突き付けられた。
六つ目と刀に蔓延る目がギョロリと睨めつけてくる。
「この男、童磨の能力……、玉壺並の神出鬼没さ……半天狗より汎用の効く分身体……そして今、猗窩座と正面から勝負できる事が証明された……。故に私は童磨を評価する……」
「黒死牟殿だったか、お褒めに与り光栄だ!」
黒死牟の賛辞ににぱーっ、と無邪気に笑う童磨。だが次には目を細め、黒死牟を品定めするように笑った。
「しかし、こんなに簡単に弐に上がれるのなら、このまま壱も俺が務めて……」
チン、と音がした。
黒死牟の納刀に童磨が反応した時には、彼の体は頭の先からつま先までサイコロ状になってボチャボチャと崩れて落ちていた。
陸の眼球がきょとんと黒死牟を見上げる。
(……微かにしか見えなかった)
猗窩座は黙って黒死牟の剣技を見ていた。異次元の速さで振るわれる刀に、血鬼術による不規則な月の斬撃。
この男を殺すことが猗窩座の目標であるが、その実力の差は筆舌に尽くし難いと改めて実感した。
「……より一層日々の鍛錬に励む事だ……、猗窩座」
そのまま黒死牟はフッ、と姿を消した。無惨に事の顛末を報告しに行ったのだろう。
猗窩座は黙って地面に残された刀傷を睨むことしか出来なかった。
「……」
「ごめんねぇ、猗窩座殿。折角上弦の弐になれたのに俺が繰り上がっちゃって」
首だけ再生した童磨が底抜けに明るい声で喋りかけてきた。猗窩座は無反応だが、構わず童磨は喋り続ける。
「俺はいつでも入れ替わりの血戦を受けるよ!まあいくら修行したところで俺や黒死牟殿には勝てま゛ッ」
グシャ!と猗窩座の拳が振り下ろされる。再び肉塊になった童磨に一瞥もくれず、猗窩座はその場を後にした。
ヒュウウ、と冷たい風が吹く中。ぽつねんと残された童磨はゆっくりと再生しながら、氷と破砕痕だらけの無限城で独り、嗤った。
「もう、誰も彼もつれないなぁ。いやぁしかし、猗窩座殿は面白いなぁ。後で信者の女の肉でもご馳走してあげようっと」
その瞳には、いつの間にか弐の文字が刻まれていた。
──その後、過去に童磨の手引きで鬼となった者が上弦の陸に上り詰めるが、それから百年あまり、上弦の序列は一度も変動する事は終ぞなかった。