「早坂!次の作戦について相談したいことがあるのだけれど」
「あー……」
「早坂?」
かぐやの自室。
今日も、白銀に告白させるための作戦を組み立てていた。その相談相手として近侍の早坂に声をかけたのだが。
目の前に立つ早坂はいつも通りの無表情。しかし、どこか気の抜けたような声を出しながら、ぼーっと突っ立っていた。
よく見ればどこか遠いところを眺めているのがわかる。
「聞いているの早坂?」
もう一度声をかけると、焦点のあっていない視線がかぐやに向けられる。
「あー……はい、聞いていますよかぐや様。なにかご用ですか?」
「聞いてないじゃない」
早坂の言葉に、またか、とため息をつくかぐや。
ここ数日、彼女は魂が抜けたように腑抜けた状態が続いていた。
それもこれも理由はわかっている。
「まだ天野くんに言われたことを気にしているのかしら」
かぐやの言葉に早坂はピクリと肩を揺らす。
天野グループ社長の息子にして、白銀との恋路を邪魔するかもしれない同じクラスの男子生徒。
大層な肩書きにしては平凡な彼の調査を信頼できる近侍に任せたのだが、彼女からの報告は『かぐやではなく早坂に好意を抱いている』という意味のわからないものだった。
正直、かぐやは早坂の勘違いだろうと、勝手に確信していた。
しかし、早坂も相手が悪かった。
自慢の武器をあっさりと折られて、身内以外からの優しさを与えられる。
それから好きな人のヒントで、早坂にピンポイントで刺さるような言葉を次々と言われたのだ。
なんだかんだ澄ましているが、恋愛経験のないむっつり早坂にはよく効いた。
とにかく今の早坂は恋愛相談と天野関連の仕事においては全く使い物にならないのだ。
しかし、四宮かぐやの近侍としての仕事は十全にこなしている。
ほぼ毎日仕事をしていることも理由だろうが、意識半分であの激務をこなせる辺り、やはり彼女も天才である。
「大体、あなた。そんなにチョロくないでしょ。どうして男なんかに振り回されているのかしら」
「……その言葉、そっくりそのままかぐや様にお返ししたいですね」
ブーメラン。
かぐや、自分のことを棚上げして、早坂のことを上から目線で情けないと首を振る。
放心していた早坂もあまりの主の態度に口をつぐんでムッとしてしまう。
「でも、驚いたわね。まさか天野くんが早坂の演技に気づくなんて」
意識が戻った早坂の言葉をスルーしながら、報告にあった内容の1つに意識を向ける。
天野は能力値で見れば平凡で、そこらの庶民と大差ないはず。
それなのに、未だ誰にも気づかれていない早坂の演技を見破ったかもしれないのだ。素直に感心する。
かぐやの中で少しだけ天野の価値が上がる。
かぐやは知らないことだが、実際は原作知識を持っているだけにすぎない。
原作を知らなかったら気づかないまであると、天野は内心で自負している。
「でも、あなたがこのままなのは困るわね」
ティーカップを片手に思っていたことをつぶやく。
四宮家としての仕事は十分にこなしてくれてはいる。
が、肝心の白銀攻略では使えない。
恋愛話をするだけで今の早坂は不調になってしまう。
(別に早坂がいなくても私は上手くできますけど。……でも、少しぐらいは客観的な意見ももらわないといけないわね)
内心で私利私欲が
彼女には早く元の状態に復帰して、白銀攻略の手伝いをしてもらいたい。
「申し訳ありません、かぐや様」
考え込む主を見て、自分の不甲斐なさに頭を下げる早坂。
「いいわよ、早坂。それと当分は天野くんに関する仕事はしなくていいわ。頭を冷やしなさい」
頭を冷やすなら3日もかかるまい。
そう判断して、主としての指示を出す。
早坂もしばらくは落ち着きたかったため、彼女の提案に素直に納得する。
「はい、わかりました。……ですが、数日の間、彼の対応はどうしますか?」
もし早坂が好きならば、わざわざ早坂が邪魔をする必要もない。
だが、やはりかぐやが狙いなのだとすればその数日間は隙となり、攻め込まれてしまう。
でも、何も問題はなかった。
「大丈夫よ、早坂。このまま守りに入るなんて四宮家としてはありえないことだから」
早坂の考えていることはわかっているとばかりに、氷のように冷たい眼をしたかぐやは、そう告げた。
「私が天野くんの情報収集を行います」
★
(なんて早坂には言ったものの、どうすればいいのかしら)
全ての授業は終えて、時刻は放課後。
かぐやは秀知院学園の廊下の端から、こそこそと天野のことを観察していた。
仮にもこの学校の生徒会副会長にして目立つ存在。
もちろん周りからの目線も気にしながら、時には廊下ですれ違った生徒と談笑し、無理のない尾行を続けている。
すでに生徒会の仕事は終わらせて、白銀にも用事があるから先に帰ると伝えておいた。
何事も抜かりはない。
あとは天野が何か良からぬことでもしようものなら、脅迫材料にしてしまえばいいと目を光らせている、のだが……。
「ありがとう、天野くん助かったよ」
「はいはい、どういたしまして」
(普通に良い人じゃないですか!)
女子生徒からお礼を言われる天野。
彼女が運んでいた重そうなダンボール箱を天野が代わりに運んであげるところを終始見ていた、かぐやが心の中で叫ぶ。
これだけなら女の子に良いところを見せようとする思春期男子特有のアレだったはず。
しかし、それは違う。
天野が誰かに手を貸したのは今日だけで5回目。しかも、男女関係ないどころか生徒だけでなく教師の手伝いまでしている。
これではただのお人好し。
早坂の報告から予想していた天野のイメージとズレまくりである。
(これで何の情報も集められなかったら、早坂にバカにされるわ)
別に早坂にそう思われるのはそこまで嫌ではない。が、自分から宣言した手前、収穫なしというのも気分が悪い。というよりそれは四宮家としてダメだ。
仕方ないことだが、かぐやはもう少しだけ天野の情報収集を続けなければいけなかった。
「すまん、天野。ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけどいいか」
「あぁ、田中か。勉強教える以外なら別にいいよ」
(またですか!いくらなんでも安請け合いがすぎますよ!)
今度は男子生徒からの頼みに二つ返事で答える天野。
あまりに不合理。何の利益も生まないであろう行動に彼女は驚愕してしまう。
こればかりは四宮家で育った彼女にはまだ理解できない。
天野は男子生徒としばらく話をすると、そのままどこかを目指す。
彼から少し離れたところを気づかれないように歩くかぐや。
後ろ姿しか見えないが、天野が男子生徒と楽しそうに笑っているのがわかる。
これまでの他生徒たちとのやり取りを思い出す。
天野と関わった人たちは目の前の2人のようにどこか楽しそうに会話をしていた。
ふと、忘れていた去年の彼にまつわる呼び名が頭の隅をよぎった。
(入学当時の〝
——
それは天野羽衣のことを指した蔑称である。
彼は天野のグループの社長の息子だが、この学校には外部入学で入ってきた異例人物だ。
それまでは一般の学校に通っていたというのは、この学校に通っている生徒のほとんどが噂などで知っていること。
なぜ高校で秀知院を選んだのかはわからない。
が、それが知られる程には天野グループという存在は大きく、天野羽衣という存在は小さかった。
四宮家と敵対関係にある天野家。
その息子が
おまけに天野羽衣には天才の姉もいる。天野家を率いるのもその姉になるのだろう。
天野家の落ちこぼれに加え、一般校からの外部入学。
その二つの事実は同じ外部入学の
その時につけられたものが堕ちた羽衣。彼にとってどうしようもない
(私ならそんな
「ひっ!」
天野の境遇を自身に置き換えてみたが、あまりのイラつきに、つい内心の冷たさが漏れてしまう。
近くにいた女子生徒がそんなかぐやを見て悲鳴をあげたので、すぐにその考えを振り払い、怯えた女の子に笑みを浮かべる。
それから、さっきより少しだけ離れた天野たちとの距離を縮めるため、品を崩さい程度に足の歩みを速めた。
彼らからはまだ笑い声混じりの会話が聞こえてくる。
(どうして天野くんは今、
そんな疑問が彼女の頭に浮かんだ。
去年までは多くの生徒から蔑まされていたはずなのに、今の彼からはまったくそんな雰囲気は感じられない。
かぐやたちが生徒会に入る前にはその蔑称を使う生徒たちはいなくなっていたこと。しかも、あれほど流行っていた噂はいつの間にか消えていた。
当時の白銀は初の生徒会として介入しようとしていたのだが、肩透かしをくらったのだ。
当時はそんな天野の境遇など興味のなかったかぐやだったが、このことを早坂に調査させておけば良かったと、今更ながら後悔する。
正直、あの
凡人で、特に優れた能力のない彼。
白銀御行は生徒会長という箔や、かぐやすら退ける学力、そして誠実な行動を見せつけたからこそ秀知院の生徒たちを認めさせた。
では、天野は?
白銀以上の過酷さを平凡な能力だけで、どうやってくぐり抜けたのか。
悪意なんてものは簡単には消せない。ねちっこくて、ドロドロしていて。他人のことなどどうとも思っていない感情。
たくさんの悪者を見てきたかぐやだからこそわかる。
人は簡単に変わらない。
でも彼がどうやって解決したのか、その方法は彼女にはわからない。
「まるで多くの生徒が
かぐやは廊下を歩きながら静かに言葉をこぼす。
天の羽衣。自分の名前と謎深いそれ。
その衣を着た人は着る前と心が変わってしまう。
そんな話を思い出した彼女は少しだけ、目の前を歩く天野のことが怖くなった。
★
「助かったよ、天野」
「はいよ、お疲れさん」
(天野くんは、いつまでお人好しを続けるのかしら)
何度目かわからない天野のお人好しにかぐやは
あれから何度ともなく誰かに会っては頼みごとを受けるの繰り返し。
自分で尾行していてなんだが、いい加減何かしらの変化が欲しかった。
そんなかぐやの理不尽な願いが叶ったのだろうか。
学校にある庭園。
男子生徒と別れた天野を少し離れた場所から眺めているかぐやは、彼に近づく一人の女子生徒の存在に気づく。
「あら可愛い」
思わず口から出てしまい、ハッとして手で口を抑える。
(あれは中等部の生徒かしら。なぜ私は初対面なのに可愛いだなんて。でも、どこか見覚えが……)
中等部を示す白色の制服。
かぐやはその女子生徒と会ったことはないはずなのだが、彼女のことをずっと目で追ってしまう。
白黒のレースのバンドを揺らして天野の元へ歩みを進める彼女に、ものすごい既視感を感じるのだ。
主に目つきというか、雰囲気というか。
天野も少女の接近に気づいたのか、顔を向けると優しげな笑みを浮かべた。
「白銀妹か。こんなとこでどした?」
「その呼び方やめてください。おに……兄さんと同じ扱いで嫌です」
「それは白銀が可哀想だと思うけど」
白銀妹と呼ばれた少女は呼び方に不満をこぼす。
彼女のあまりのばっさりとした意見に、天野は苦笑する。
前世とはいえ同じ兄という立場もあり、白銀に同情してしまう。
そんな二人のやり取りを収めたかぐやはというと、
(この子、話に聞いていた会長の妹だわ!)
少女の存在が白銀御行の妹だと知ると、今までの疲れが吹き飛ぶくらいにはテンションが上がっていた。
「いいんですよ」
「いいんだ」
(目が怖いところとか面影ある!)
かぐや、
すでに彼女の頭の中では白銀御行に告白させるため、白銀圭と仲良くなる計画が立てられていく。
ターゲットを狙うなら、まず周囲から。
身内と仲良くなれば家族ぐるみの付き合いに発展して、より親密な交流が発生する。
ゆくゆくは白銀圭の口から『かぐや姉さん!』と声をかけられて……。
(あっ、いい!いいですよこれ!いずれはこの子に姉と呼ばせてみせましょう!)
かぐや、妄想が膨らむ。脳内お花畑ができあがっていた。
そこではたと気づく。
なぜ会長の妹が天野に声をかけたのかと。
どういう関係なのか確認するため、かぐやは遠目に見える二人の会話に耳を澄ませる。
「じゃあ、なんて呼べばいいの。白銀だと会長さんと被っちゃうし。圭ちゃんとか?」
(圭ちゃん⁉︎あなた、会長の妹さんに馴れ馴れしすぎやしませんか!)
天野の発言に
できることなら私だってそう呼びたい、なんて願望がチラチラしてしまう。
「圭でいいですよ、天野先輩」
(圭っ⁉︎)
まさかの彼女からの提案。
名前の呼び捨て。
素直になれないかぐやのフィルターで見ると、それは相当仲が良くないとできない所業。
(あなたは、天野家のくせにプライドの欠片もないんですか!私だって、圭って呼び捨てしてみたいのに!)
別に天野から提案したわけではないのに、理不尽な怒りが注がれる。
そんな彼女のことなど気づかずに2人は会話を続ける。
「あ、そういえばこれ。もしよかったら使ってくれよ」
「え、さすがに何度も貰うのは……」
(なにかを渡そうとしている?)
天野がスマホケースに挟んでいた小さなチケットサイズの紙を3枚ほど、圭に渡す。
圭はそれを見て、困ったような申し訳ないような表情になる。
遠目で見にくいが、かぐやには関係ない。
視力の良さで天野が圭に渡した紙に書かれた内容を見ると。
「……コーヒー、一杯無料?」
それはどこかのカフェで使える無料券だった。
なぜそれを圭に。
そこでかぐやの思考が一瞬のうちに加速する。
(もしかして、ナンパっ⁉︎)
不正解。
それは天野のバイト先で貰ったもので、天野自身、特に使うつもりもないし白銀家の事情を知っていたから、良心で圭に譲っただけにすぎない。
しかし、かぐやはそうは受け取らなかった。
(あなた、早坂が好きなんでしょ!なに、妹さんにまで手を出そうとしてるんですか!)
違う。
ただの勘違いである。
そんな事実は天野と繋がりのない彼女には知ることの出来ないことであるが。
「いいよ、どうせ俺は使わないし。それに圭だからあげるんだよ」
(なんですかその浮ついた言葉は。やっぱりナンパですか⁉︎)
全くもって違う。
天野は妹属性をもつ圭に対して前世からもつお兄ちゃんスキルを発動しているだけだ。
しかも無意識。
この男、今世に持ち込むほどに
「あ、ありがとうございます。今度、使わせてもらいますね」
どう言っても引き下がらないと判断した圭は、素直にお礼を言って無料券を受け取る。
それから花が咲いたように優しく微笑んだ。
「あー、もう!私だって妹さんと仲良くしたいのに!」
地団駄を踏んで怒りに燃えるかぐや。
こんな気持ちになるのは白銀の手作り弁当をかぐやの目の前で食べた藤原以来。
彼は藤原とはまた違ったトラブルメーカーの素質を持っているのかもしれない。
結果的に四宮かぐやの尾行はそこで終了。徒労に終わった。
その日、天野羽衣はかぐやたちから対象Aとして、対象Fに並ぶほどに危険視されることになる。
あと、なぜかかぐやは天野のことをライバル認定するのだが、それは当分、天野が知ることはないだろう。