石上くんとつばめ先輩に幸あれ!!!
※発想は上記の話より得ていますし、その内容を少しだけ含みますが、基本的にコミックス18巻までの内容でお楽しみいただけるようになっています。
デートの定義とはなんだろうか。
2月初旬の寒空の下、そんな取り留めのないことを石上優は考え始めた。時刻は13時55分、待ち合わせ相手からのLINEによれば14時ジャストの到着になるそうだから、今しばらくは思索の時間があるだろう。
デートの辞書的な定義としては、「日時や場所を定めて男女が会うこと」らしい。なるほど、確かにクラスメイトや偶に見るバラエティー番組などを思い出しても、そのような意味で使われていることが多い気がする。しかし、どうしても自分的には、石上優的には、デートとはやはり「好きなひとと出かけること」であるような気がした。というか、もしも男女で出かけることを単にデートとして括ってしまうのであれば、とても怖くて鮮烈な、だけどどこか優しくて面倒見の良いとある先輩に申し訳ないような気がするのだった。
いずれにせよ、自分定義に則れば、今日こそが自分の初デートといってよいだろう。想い人が来るまであとわずか。石上優は今日の段取りを今一度頭の中で見返した。といっても、そこまで複雑なルートではない。そもそも待ち合わせ場所自体が最初のポイントにして最大の目玉である東京スカイツリーの最寄り駅であるし、そのあとはスカイツリー下の複合施設でダラダラと買い物などをして過ごし、夕食を共にする。
もちろん、夕食の場所はリサーチ済みである。ここの複合施設は様々な料理店が入っているからそれだけで選択肢は十分かと思っているが、念の為周辺の探索も行っている。幸運にも、この前四宮先輩に見せてもらった「横浜デートプラン」に載っていた店の系列店が近くにあったから、もしもモール内の店で気が乗らなかったら、そこに連れていけば大丈夫だろう。
そういう意味では、あのデートプランは有用だったと言える。見た当初はあまりの時間の詰めっぷりに驚いてしまったが、今思えば、自分の想い人と出来る限りたくさんの思い出を共有したいという乙女心の表れだったのかもしれない(内容から察するに、多分女性なのだと思う)。もっとも、なぜかプランの欠陥を指摘している最中に急に記憶が途切れてしまい、起きたらソファの上だったのは中々解せないが。まあ、何にせよ、ふがない自分を助けてくれたことには違いない。顔も知らない四宮先輩の知り合いさんであるが、機会があったら必ずお礼を伝えておこう。そのときはきちんとあの時言い損ねたプランの欠陥も―――――
「ごめーん!待たせちゃったっ!?」
そこまで考えて、石上優の思考は現実に引き戻された。見れば、改札の方向から茶色いコートを着た自分の待ち人――――子安つばめがこちらに手を振っている。チェックのスカートにタイツの見えるその格好はどこか幼気な、それでいて大人な女の人の雰囲気もあって、彼女の可愛げな容貌とよく似合っていた。
「いえ、大丈夫ですよ。僕もさっき着いたところです」
その言葉自体は嘘ではない。この改札口に来たのはついさっきだ。もっとも、実際にスカイツリーの上り場までどうやって行くのか、施設内のフロアはどんな構造なのかをチェックするために、30分以上前に着いていたのは秘密である。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うんっ!楽しみだねっ!」
自分がそう声をかけると、子安つばめは笑顔を浮かべて返答してくれた。その笑った顔がどうにもむずがゆくて、思わず目を背けてしまう。しまった、今のが子安先輩に見られていやしないだろうか。日頃、四宮先輩にも度々行動のズレを指摘されてしまっている。自分なりに正直な心で振る舞っているつもりだが、なにが相手の感性に触れるかわからない。とりあえず今は、前を見て誤魔化すとしよう―――
「ま、まあ!とりあえずツリーの入り口まで行きましょうか!」
そうして前を向いた石上優だったが、それが誰かに照れたときの人間の振る舞いそのものだったと気づくのは、ようやくツリーを昇るエレベーターの前に並んでからのことだった。
「うわーーーっ!どうしよーーーっ!本当にスカイツリーに登れちゃうよー!!どきどきしてきたー!」
「そうですねー。なんかこう、いざ『行ける!』って時になると緊張しますよね。ジェットコースターで坂を登っている時みたいな」
「あーー!それわかる!アレって登る前からわかっているはずなんだけどねー!」
展望台行きのエレベーターを待つ間、石上優は子安つばめとの会話に花を咲かせていた。
「ああ!そういえば優くん、このスカイツリーの高さが何メートルか知ってる?」
「ええと・・・たしか、634mでしたっけ」
「そうそう!じゃあ問題!どうしてこのスカイツリーは634mなんでしょうか!」
「なんで634mなのか、ですか・・・・うーん」
唐突な子安つばめからの問いかけに、石上は腕を組んで考える。
「うーん――――。航空法の制限があるから、ですか?
あるいは日照権の問題とか?」
「おー、流石優くん。理性的な答えだね。でも残念、実はもっと歴史的な理由があってね」
「昔、今で言う埼玉県や東京都、神奈川県の一部の地域までは、東海道に帰属する『武蔵国』って呼ばれる地域でね、当然この場所もその一つだったの。そして、このスカイツリーからはその旧武蔵国の地域が一望することができる。だから、建設の時に当時の名称の『む・さ・し』になぞらえて、「6・3・4」メートルになってるんだ!」
「へぇ~そんな理由があったんですか」
「うん!まあ、スカイツリーって結局は大きな電波塔だからね、高層ビルの多い都心に電波を届きやすくするためには600m以上の高さが必要だったっていう、実務的な理由もあるんだけど」
「なるほど。でも、なんかお洒落ですね。最新の設備である電波塔に昔の要素を紐付けてるというか・・・」
「そうっ!それが良いんだよね!こう、なんて言うのかな、新しいものを追い求めているんだけど、オールドタイプな考えを忘れてないっていうかさ。故きを温(たず)ねて新しきを知る、みたいな」
「私、新体操にけっこう入れ込んでるじゃない? それで、色々と練習を重ねていく中で新しい自分だけの動きを生み出したい!って思うんだけど、どうしても上手くいかないときもあって。そういう時、昔からある型を見直してみるとバァーって道が開けることがあったりしてさ――――――!」
よかった、つばめ先輩、楽しんでくれているみたいだ。
嬉しそうに新体操に熱弁を振るう子安つばめを見て、石上優はそんな言い得ぬ安心感を抱いていた。気づけばエレベーターは展望台に着き、石上は窓から少し離れた場所で隣でしゃべる子安つばめの話に耳を傾ける。
正直なところ、今日のプランは子安つばめの気分がノッてくれるかが一番の不安要素だった。出かける誘いに応じてくれたとは言え、自分とつばめ先輩はクリスマス関連で少しやらかしてしまっている。互いに認めあった(?)ことで一応の収束はしたのだと自分は考えていたが、つばめ先輩の側がどう捉えていたのかはわからない。
今回の誘いも、大勢の前で誘ってしまったから承諾しただけで、作り笑いや応答で見え透いた態度を取られるのではないかと気が気でなかった。別に自分にやましいところがあるわけではないのだが、自分の人生柄、どうにも上手くいかないことの方が多い。無用な心配と切り捨てられるだけの勇気は、今ひとつ自分に足りないのだった。まあ、本音を言えば展望台から見える景色で感動させたかった気持ちはあるが、贅沢は言うまい。まだデートは始まったばかりであるのだし、楽しそうに話すつばめ先輩が見られた時点で、自分の目的は達成されていると言えよう。
「―――――って感じなんだよね!あっ、ごめん、なんか私自分の話に夢中になっちゃって・・・」
「ねえねえ!優くんはほら、どこの景色が見てみたい!?」
慌てた表情を浮かべた子安つばめが、すぐにまた快活な様子に戻る。
――――ズルいなと思う。そもそもが後輩から先輩の話を遮るという真似はなかなかハードルが高いものではあるが、つばめ先輩の場合は聴いていてこちらまでも楽しくなってしまう。それが子安つばめの話の面白さ故であるのか、はたまた惚れた弱みというやつなのか。そこの判断は、ひとまずこの場を楽しんでからでも悪くはない。
「そうですね、あっちの望遠鏡のある方なんか空いてますし―――――」
「あー楽しかった!すっごい高かったね!!」
スカイツリー階下の複合施設、東京ソラマチ内のとあるカフェの一席で、子安つばめの声が響く。
あれから2つある展望台での景色をどちらも堪能した石上たちは、ツリーでの疲れを癒やすのとこれからの行動の計画を建てるために、ひとまず施設内のカフェに入ったのだった。
「そうですね、僕たちの学校も見えましたし、晴れてますから山々の方も―――」
「ねー!なんか、地球は丸いんだなぁー、ってわかった気がする!」
子安つばめの問いかけに応える形で、石上が、石上の言葉に反応する形で子安つばめが言葉をつむいでいく。
・・・・いいなぁ、こういうの。
カフェに入り楽しそうに話す自分たちの様子は、傍から見ればカップルのように思われるのではないかと、石上優はちょっとよこしまな考えを抱いていた――――
よし、この流れを上手く維持しつつ、次のお店へ・・・・
「それで、つばめ先輩。この後のことなんですが、僕、靴を見に行きたいんですよね」
「靴?ランニングシューズとかそんな感じの?」
「いえ、そういう運動系じゃなくて、本当の革靴とかの方ですね」
「へぇー!前のパーティーの時も思ったけど、優くんって結構オシャレさんだよね!」
よし、かかった!
石上はテーブルの下でガッツポーズを浮かべた。意外と上り下りに時間がかかり、ずっと立ちっぱなしになるスカイツリーでの行動の後に、体力を使い別の場所に移るのは愚策。となれば併設されているこのソラマチ内でどうにかするしかないが、そこは腕の見せどころ。
早々に飽きるようなものではなく、かつ自分の良いところをアピールするならば服関係の買い物が最適。始めは普通のコーデを見てもらおうかとも考えたが、それでは試着などで無為な時間が発生しやすし、荷物がかさばってしまう。その点、靴であるならば試すのは一瞬で出来るし、男物の靴へは慣れていないであろうつばめ先輩の興味を引きつけ、自分のセンスをアピールできる。
我ながら名案であると、石上優は心のなかで得意げに笑った。
どうですか四宮先輩!僕もやればちゃんとしたプランが建てられるんですよ!
???「へくちっ!」
ありがとうございましたー
靴屋の店員の事務的な挨拶を背に、石上優と子安つばめは店を後にした。
石上優の計画は、一言で言えば成功だった。
予想通り、子安つばめは男物の靴に関しては造詣があまり深くなかったようで、昨日の夜にインターネットで集めた知識が随分と役に立った。なかなかの“ファッショナブルな男”の演出だったのではないだろうか。それでも、終盤には自分から聴いた知識をもとに靴の良し悪しを考えられるようになっていたあたり、やはり秀知院のトップ層としての格の違いを感じざるを得なかったが。
何はともあれ、無事にデートの計画は後半戦に突入している。ちょうどいい時間である、あとは夕食をどこかのスタイリッシュなレストランなどでこなせば、晴れて完璧なデートプランの遂行である。
「それじゃあつばめ先輩、そろそろお腹も減ってきましたし・・・」
「そうだね~。時間も悪くないし、ご飯にしよっか!」
「ええ、つばめ先輩は何を食べたいですか?」
聞きながら、石上は周辺のレストラン情報を頭の中にリストアップする。一番ありがちなルートとしては、イタリアンやフレンチ系を想定している。施設外の場所で把握しているのも、ピザが美味しいと話題の店舗である。もちろん、つばめ先輩の好みがそこにあるとは限らないから、念の為、洋食屋や和食系の店もサーチ済みである。
さて、つばめ先輩は何を選んで・・・
「じゃあ・・・・焼肉!」
「や、焼き肉ですか!?」
石上は思わず素の声で返事をしてしまう。
予想外だ。確かにイタリアンやフレンチのありがちコースは外されるかもと思っていたが、さすがに焼き肉の方は――――
「あれっ・・・もしかして、焼肉とか苦手だったりする?」
「い、いえっ全然そんなことは!ほら、仮にも育ち盛りの男子高校生ですし、焼肉はむしろ大好物ですよ!」
子安つばめの悲しそうな顔を見て、石上優はあわててフォローにまわる。
別に嘘は言っていない。ただ、筋トレ中である身からすれば焼肉は割とリスキーな食べ物であるし、何よりリサーチが不十分だ。確かこの施設内にもあった気がするが、果たしてどこだったか――――
「じゃあ良かった!大丈夫、私ここに焼肉屋さんあるのちゃんと知ってるから!さあ行こう!」
そう言って、自分の左手を子安つばめの右手が掴む。その手の暖かさに驚いて途端に顔が赤くなるが、前を歩く彼女には見えていないと思い直す。よく考えてみれば、つばめ先輩は陽キャラの中の陽キャラ、キングオブパリピのような人である。自分のような陰の人間とは違い、スキンシップに抵抗がないだけなのだろう。
あぶないあぶない。あやうく“イタい”勘違いをしてしまうところだった。冷静になれ冷静になれ・・・・
頭の中でそんな思考をめぐらせながら、石上優は戸惑っていないフリに努めた。
――――手の甲から伝わる熱は、不思議とさっきより熱い気がした
「焼肉美味しかったね!やっぱり良いお肉は違うっていうか~―――――」
「そ、そうですね・・・!」
夕食を終えて、再びソラマチのフロア内で、石上優は自身の心臓の荒波を鎮めるのに必死になっていた。
訪れた焼肉屋は、提供される品のクオリティは別として形式的には普通の焼肉屋であり、自分たちは二人であったので当然のように二人用の席に案内された。ところがこの二人用の席が問題だったのである。
壁に沿うようにして設けられた座席は片側からしか入れないようになっており、おまけに案内されたのは角の曲がった先の一番奥のスペースであった。トイレなどとも反対方向にあったその場所は、注文がタブレットで済まされてしまうこともあり、料理が来る時以外は人気のなくなる擬似的な密室空間だったのだ。
しかも、座席が向かい合わせなものだから、いやでもつばめ先輩の顔が目に入る。照明がこころなしか暗めだったこともあり、石上優は料理を食べ終えるおよそ90分間、ずっと子安つばめを見ながらの時を過ごしていたのであった―――――――
つばめ先輩はお肉が美味しかったって言ってたけど、正直、味なんてろくにわからなかった・・・
どうにか通常のリズムを取り戻し始めた心臓をなだめつつ、石上優は冷静な思考を再開させた。
最後でとんだドキドキタイムを経験してしまったが、思い返してみれば、食事中になにか粗相をやらかした覚えはない。あいも変わらず笑顔で肉や野菜を頬張るつばめ先輩の可愛い顔が目に入り続けていたことが、何よりの証明だろう。
そして、それはすなわち、今日のデートが成功に終わったことを意味する。現状、ここまでの進行に狂いはない。当初の予定通り順調に進んでいるし、むしろ予想よりも良い方向に進んだと言えるくらいだ。
あとは、つばめ先輩を待ち合わせ時と同じ最寄りの改札口まで送れば問題はない。さすがにそれまでに何かしらの障害が発生する可能性は少ないだろう。スマートフォンでチェックしたが、ダイヤの乱れなども特に発生していない。
万全だ。この上なく成功したと言える。
石上優は心の中でガッツポーズをした。
これまで色々な障害(と自分が思い込んでいた)の出現によって一喜一憂していた自分の恋路であるが、今日この場に関して言えば、これ以上なく「喜」の感情を浮かべていいだろう。つばめ先輩だって見る限り悪い反応はしていなかったし、四宮先輩からだってプラスの評価がもらえるはずだ。
・・・っと、いけない。つばめ先輩の方を対応しないと!
ここまできたらあとは詰めるだけ。さあ、つばめ先輩を帰して気持ちよくデートを終わろうと石上は振り向いて――――――――
―――――――――えっ?
思考が停止した。
正確に言えば、強烈な違和感に呑まれて呆けてしまった。
――――――――――笑っていない。
あれだけ笑顔が特徴的なつばめ先輩が、今日一日ずっと笑顔で付き合ってくれていたはずのつばめ先輩が――――
笑っていない。
それは、石上優にとって正しく衝撃だった。
なんだ、何がいけなかった?
何か失言でもしたかと思ったが、焼肉屋を出るまでは普段どおりだったはずだ。そこから自分は心臓の揺れを抑えるのに必死でろくに言葉を発していない。
それが気に触ったのかとも思ったが、そんなことで急に不機嫌になるような人ではないはずだ。そもそも、アレは不機嫌とかそういう類のものではない。どちらかと言うと、何かを憎んでいるような、嫌っているような――――――
ねぇ、優くん。少し外歩こっか。
不意に、子安つばめが声を発した。
内容だけみればいつもどおりの子安つばめの語り、それでも、自分の名前が呼ばれたにも関わらず、石上はまるでそれが空中に無為に放り出された言葉であるかのように感じた。
とは言え、ここで断れる状況ではない。こんな状態での子安つばめとの別れなど受け入れられるはずがない。
―――――えぇ、わかりました
石上は、一歩踏み出すことにした
ソラマチの建物を出ると、外はもうすっかり日が沈み、夜の帳が降りていた。スカイツリーは夜間のライトアップを行って淡く輝き、空には綺麗な月が浮かんでいる。
どこに向かうのか子安つばめは口にしなかったが、歩く方向から浅草の方面に向かっているのだとわかる。つばめ先輩の家の方向的に浅草からの電車でも帰れるはずだから、一応、帰路についているということなんだろう。
スカイツリーとその施設を離れると、道幅の狭めな国道に出る。この時間に歩いてスカイツリーの方向に向かう人は少ないのか人通りはまばらであり、かわりに自動車のヘッドライトやテールランプがせわしなく道を照らす。
あれから、少し歩こうと声を発してから、子安つばめは無言のままだった。
何度か声をかけようかともおもったが、目の前の人が纏う言い得ぬ雰囲気がそれを邪魔していた。
――――――この辺でいいかな。
不意に、子安つばめはそう言って立ち止まった。
すでにスカイツリーの建物を出てから10分ほど歩いており、彼女としても沈黙のまま移動するのは限界だと思ったのだろう。
くしくもそれは隅田川にかかる橋の上であり、水面に反射した街の光が、子安つばめと自分の顔をゆらゆらと照らしていた。
―――――ねぇ、優くん。
子安つばめが言葉を続ける。
――――今日の私は、どう見えたかな?
そう、問いかけられた。
子安つばめがどう見えたか?
その質問が持つ意味に、石上は頭をめぐらせる。
額面通りに受け取ったのではダメなのかもしれない、けれどなんて答えれば――――
石上は答えを切望する。しかし、明確な意図は見えない。
そんな石上の様子を察したのだろう。再び子安つばめが口を開いた。
―――質問を変えるね。私は、よく笑って優しくて、楽しい先輩だったかな?
・・・。
迷う。一体つばめ先輩は何が言いたいのかと。それでも、答えを言わないわけにはいかない。
「そうだったと、思います。」
発した言葉は、想像以上に重く感じられた。
―――そっか、ありがとう。
子安つばめが感謝の言葉を述べる。けれど、その表情は相変わらず晴れないままだった。
―――――優くんはさ、こんな私のことが、好き?
――――――――っ!
今度の質問は、息が詰まった。
あのクリスマスでの騒動以来、自分とつばめ先輩の間では「好きである」という言葉が禁句のようになっていた。
それは、純粋に口にすると恥ずかしい言葉であるというのもそうだが、なによりも、次その言葉を口にしてしまえば、全てが終わってしまうような気がしていたのだ。
まるで、好きという確認をしてしまったがために全てが瓦解しかけた、あの夜の続きが始まるような気がして。
その石上の様子を肯定と取ったのか、否定と取ったのか、変わらない表情で、子安つばめは続ける。
―――――私さ。嘘つきなんだよ。
―――――いつも明るく振る舞って、優しげで、何も気にしないようなそぶりで生きてる。
―――――本当は嫌いなものもいっぱいあるし、落ち込むときだってある。何も考えたくない時も、目を背けたいことだってたくさんあるんだ。
―――――けれど、それを隠してる。
―――――明るく振る舞っていれば、誰かに攻撃されることもない。誰かに踏み入られることも、誰かに踏み入ることも。
――――浅く対応できる人間だから、浅くしか見られないし、浅く見るだけで済むんだ。
――――だけどさ、やっぱりそれってぜんぶ嘘なんだよ。
――――“浅い”皮を被って、自分の嫌なところを見られないように、誰かの嫌なところを見ないようにしてるだけなんだ。
――――本当の私は今みたいにちっぽけで、いつも笑顔を浮かべていられる人間じゃないんだよ。
――――ねぇ、優くん。
懺悔にも似た口上を経て、再び子安つばめが問いかける。
―――――優くんはさ、こんな私のことが、好き?
―――――――――――。
正直に言えば、言葉を発したくはなかった。あるいは、全てを否定してしまいたかった。
つばめ先輩は卑屈なところなんてどこにもなくて、いつも明るい人じゃないですかと。こんなの柄じゃないですよ、疲れてるんでしょうと。
それでも、その言葉を発することも、また、何も言わずにいることも、石上優には出来なかった。そんな楽観的な発言が出来ないほどには石上は人間を知っていて、それを笑い飛ばせるほどの闊達さを持ってはいなかった。
「確かに、つばめ先輩にはそういう面があるのかもしれません」
「醜くて、愚かで、目を背けたくなるような側面が」
一言一言を口にする度に、喉が干上がるような思いだった。
今自分がしていることは、ある人間が背負う負の肯定なのだ。自分が恋い焦がれ、今日一日のデートのために恋慕の念を積み重ねてきた相手を、自分は今、自分の言葉で貶めているのだ。
それがわかっていて、理解していて、それでも石上優は言葉を止めなかった。
言わなければならない。
「でもそれは、先輩が嘘つきであることにはならない」
「だって先輩は、確かに色々な人をその明るさで、優しさで、誰かを救っているじゃないですか」
言わなければならない。
どれだけ子安つばめ本人が否定しようと、それが嘘だと言われようと、自分は言わなければならない。
他ならぬ自分自身が、そんな子安つばめの優しさに、明るさに救われた人間なのだから。
だから、石上優は言葉を紡ぐのを止めない。
―――つばめ先輩、僕は、石上優は、あなたの優しさと明るさで助けられたと思っています。
―――確かにそれは、何かを隠すためのベールで、嘘のようなものなのかもしれない。
―――それでもっ!
僕は確かにあなたに助けられたんです!!!
―――弱さを隠すためのガワだったとか、嘘であるとか知ったこっちゃないんですよ!!
――――どれだけ嘘であろうと、間違っていようと、先輩はその優しさを、明るさによる結果を達成している!
そこに何の不正があると言うんですか!
石上優の叫びが、橋に響いた。
数瞬か、それとももっと長かったのか。
慣れない大声で息が上がり、下を向いていた石上に声が降りる。
――――――わたし、いいのかなぁ。こんなわたしでも、だれかにやさしくしていて・・・・。
震えたような、涙ぐんでいるようにも聴こえるか細い声だった。
あのときの自分は――――――暗い部屋の中で閉じこもっていた時の自分は、体育祭で恩人たちの顔さえ見えなくなっていたときの自分は、こんな声だったのだろうか。
ならば、言うべきことなど決まっている。
「当然じゃないですか、何をためらう要素があるって言うんです」
「その程度の“ペルソナ”、誰だって持ってますよ」
「それでも文句を言ってくるような輩がいるって言うのなら、そんなの―――――」
―――――うるせぇ、バーカって話ですよ
その時のつばめ先輩の笑顔は、やはり夏に咲く花のように綺麗だと思った。
あれから、涙を浮かべながらもいつもの明るさを取り戻した彼女と駅まであるいて帰路についた。
結局、自分の言葉でどこまで解決したのか、その程度をくわしく知ることは出来ない。ひょっとしたらあれはつばめ先輩の抱える秘密の氷山の一角であったのかもしれないし、存外につばめ先輩は自分でも自分の“外せないペルソナ”のことがわかっていて、それを自らの一員として肯定してくれる言葉が欲しかっただけなのかもしれない。
いずれにせよ、自分はもっと彼女のことを知る必要があるのだというのが、石上優の感想だった。もちろん、自分を知ってもらうことも。そうしていつか、きちんとつばめ先輩のことが理解できたとき、自分は彼女のことを“告らせる”ことができるのかもしれない。
・・・なんだか非常に遠い道のりのような気がするが、幸い、帰り際には次のデートの約束を取り付けることが出来た。
これはひょっとすると、思ったより早く告白のときは訪れるやもしれない――――
そんな取り留めのない思考を、石上優はめぐらせる。
そう、結局、総じて見れば、あのデートは成功であったと言えよう。肉体的な接触も、つばめ先輩に手を掴まれたくらいであると考えれば、実に健全なデートだったと言える。大団円である。残った懸念材料があるとすれば―――――
「それで、結局どんなデートだったのよ。話してみなさいよ」
「そうよ、石上くん。私もあなたと子安先輩がどんなデートを行ったのか非常に気になるわ。」
どうにか聞かれない方向に持っていきたかったのだが、藤原先輩が持ってきたおもしろゲームで最終的に負けた結果、自分はつばめ先輩とのデート内容を公開することになってしまった。
まさかあの橋の上の出来事まで言うわけにはいかないから適当なところで切り上げるが―――――
「ほら、石上。ちょっとデート内容を話すだけだって、ほら」
「そーですよ、石上くん!ゲームに負けた以上、罰ゲームの遂行は絶対です!」
・・・さて、どこから話したものだろうか―――――――
橋の上での石上くんのセリフはお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、白銀会長から石上への口上が基になっています。その後の「うるせぇバーカ」は言わずもがなですね。