「だから……俺はお前みたいなクソガキが大嫌いだと言っている!!」
「同じだね。私も君みたいな人だいっきらい」

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うつろわぬ世界と愛憎の回顧録の轍

 今も時々、夢に見る。

 遠い過去の話だ。どうしても忘れられない、あの記憶。

 その瞬間の夢だけを見ている。──夢から覚めれば、また理想との乖離に苦しむのだろうか。

 

 辛いだけでしかない。忘れたくても忘れられない。

 

 それに縋ることしかできないのだから。

 

 

「──」

 

 今日も手は動かない。

 それに、思うところこそあれ──今更でしかないのだと。

 そう、諦めている。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 俺は彼女が嫌いだ。

 

「ああもう、めちゃくちゃに動きやがって──!」

 

 太刀の猛攻が、奇猿狐の体を裂く。

 乱暴に、叩きつけるようでありながら、けれどもしっかり肉を断つだけの威力は持っているようで。

 斬りつけられた相手の血が、地面を濡らした。

 

 どうやって割り込むか、そのルートを考える。

 自分の戦闘スタイルには合わない彼女の戦い方だが──しかし、今はパートナーなのだ。そのくらい合わせられなくてどうする。

 文句は後で言えばいい。今は、狩りに集中する。

 確実な隙が浮かび上がった。そのルートが見える。

 そこに体を滑りこませるようにしてから、抜刀での斬撃を食らわせた。

 

「──!」

 

 悲鳴が上がる。怯んだ隙に、彼女が斬撃を振るった。

 それは先程までのように乱雑なものではない。

 尋常なものではない集中力で、丁寧に放たれた一閃だった。

 体を上手にねじり、割断のための力を捻出する動き。それは集中力とともに、相当な繊細さを要求される。

 体の動きだけではなく、手先の器用さまでも要求されるものだ。

 

「──ふッ!」

 

 そして、放たれた。流れるように二連撃。型に丁寧に収まった、基本に忠実なものだと言える。修練の成果が伺える一撃だ。

 力強い踏み込みから、前方への推進力が生まれる。

 横薙ぎ。先程よりも、より深く集中している。

 

 もう、俺など見えていないだろう。

 彼女の視界にあるのは狩るべき相手──奇猿狐こと、ケチャワチャだけ。

 俺は彼女の邪魔にならないように、地面に転がりながらケチャワチャの後ろに回り込む。

 起き上がり、重たい剣を背へと納刀した。

 

 彼女の連撃は止まらない。

 既に相手は起き上がっている。いつ反撃をもらってもおかしくない。

 ──だというのに。

 彼女は正面から、その渾身の一撃を放つ。

 ヒートアップして来ているのか、刃を振るう速度は最初よりもはるかに速い。

 

「──はぁッ!!」

 

 圧倒的な、その斬撃。

 神速と言えるほどの速度で放たれた縦斬りはケチャワチャの頭を引き裂く。

 だが、それでは足りない。まだ仕留められていない。

 死に体ではある。けれど、その体で奇猿狐は、相手へと一矢報いようと鉤爪を向けた。

 

 そこに、彼女が返す刃で二撃目を振り切った。

 

 今度は先程よりも遥かに強い一撃だ。下から跳ね上がった刃は、最期まで抗おうとした相手の命を完全に刈り取る。

 鉤爪は相手に届く寸前で零れ落ちた。あと少しで、相手に反撃をすることはできただろう。

 だが、そうはならなかった。

 

「──……終わった?」

「……みたいだぞ。お疲れ様」

「……ぷいっ」

 

 軽く突いて、反応を確かめた。

 とはいえ、こいつは別にゲリョスのように死んだふりをするようなやつではない。一時期あった狂竜化の問題は、もう既に沈静化されている。

 それに、暫く戦っていたのだ。弱り具合を考えるとだいたい討伐できた頃合いなので、これはあくまで念押しだ。

 確実に狩ったことを確認して、俺は彼女の言葉に返す。

 ……しかし。

 

「おい」

「なにかな」

「剥ぎ取らないのか?」

「君が剥ぎ取ってあっちいったらする」

「怒るぞお前」

 

 俺はこいつが嫌いだ。

 こいつは俺が嫌いだ。

 お互いにわかりきっていることだ。今更それに、なにか思うこともない。

 それなのに、俺たちがなぜ共に狩りをしていたのか。

 

 それはやむにやまれぬ事情があり……だとか、そんなことはない。

 ただ単純に、ことごとく向かいたいクエストが被った結果だった。

 また、それに奇跡的に同行者がいないというのもあり、実は俺はこれで三回も彼女と一緒に狩りをしている。

 ここまで来ると誰かの工作かと感じてしまうが、それは考えすぎで実際はただの偶然なのだろう。

 

 嫌な偶然だ。息が詰まる。

 帰ったら、飲んでしまおう。適当な友人でも誘って。

 

 ──そういえば、彼女は今も元気にしているのだろうか?

 

「……ちっ」

 

 うまくはぎ取れなかった。動揺のせいだろうか。腕が震えている。

 意識をそちらに向けて、ぎこちなくもナイフを当てる。

 しかし、うまくできない。こうなると、落ち着くまで待つ必要がある。

 下手にナイフを動かして折れても面倒だからだ。

 剥ぎ取りナイフは折れやすい。だから、丁寧にしなければ。

 

「……どこがほしいの?」

「は?」

「だから、どこの素材がほしいの?」

「……ああ、長骨だ」

「ん。あ、耳とかは言わないでね。私、剥ぎ取り上手じゃないから」

「長骨だけがひとつ足りなかったんだよ……」

 

 ん、と言ってこちらに剥ぎ取りナイフを渡せと催促してくる彼女に、柄を彼女に向けて渡す。

 受け取って、すぐに彼女は剥ぎ取りを始めようとした。

 

「……いや、やっぱいい」

 

 それを留める。

 こちらに目線を向ける彼女。

 それに対して、手を差し出していった。

 

「自分でやる」

「そう。じゃあ、あっちいって」

「……はいはい」

 

 剥ぎ取りナイフを返してもらい、多少離れた場所で待機する。

 ──彼女が何故剥ぎ取りを変わろうとしたのか。それは俺の不調を見抜いてのことだろう。

 だがこれは今に始まったことじゃない。もっと昔、彼女がハンターを始める前からのことだ。

 だから、今更なのだ。

 

 彼女のこういうところはよく知っている。

 優しさの味だ。

 翳りを知らない、花のような美徳。

 きっと彼女はとても心優しいのだろう。それこそ、嫌っている相手を助けてしまうくらいに。

 

 だから俺は、彼女のことが嫌いなのだ。

 

 

 

 

 彼女の名前はシャノ。見た目こそ成人もしてないだろう女だが年齢は不明。昔聞いたら怒られたので、ひょっとすると俺よりも年上なのかもしれない。

 女性はある程度の年を取るとそういうことを気にすると過去に言われた。

 だから、そういうことなのかもしれない。

 

 最初の狩りで交換したギルドカードを見つつ、そう考える。

 

「あ~んだザグザくん? 女からもらったもんじっと見つめやがってよぉ~」

「……ナンバか?」

「残念。俺は弟のナンパくんでした~」

 

 背後から話しかけてきた男が、俺の正面に座り酒を注文した。

 ため息をついた俺の様子を見て、向こうもため息をつく。

 

「お前なぁ……。落ち込んでる童貞オーラ全開のお前を慰めようとする英雄様の前でなんて態度だよ」

「お前のどこが英雄だ童貞。童貞はとっくに卒業したよバーカ」

「え、マジ? 相手は……ひょっとしてシャノちゃんか!? クソが、いっつも美少女引っ掛けやがって……」

「なんであいつとだよ。馬鹿じゃねぇのか」

「じゃあ誰がいるってんだぁ!? リーさんか!? リーさんなのか!? 死ね!」

「ええこわ……なんでそんな反応するんだ……」

 

 想像以上に面倒な反応だった。

 こいつの前ではこういう軽い冗談も言えないのだろうか。

 童貞だからだろうか?

 人を煽る前に自分も経験を積んできたらどうか。

 

 そうして話していると人もわらわらと集まってくる。

 俺はハンターとしてそこそこ歴も長く、親しい人も多いので、こうしてひとりが来るとどんどんと増えるのだ。

 そして酒を飲み、大概が馬鹿な話をする。

 

 特に猥談でわんさか盛り上がるところが、男と言う生き物のいかにアホかを知らしめていた。

 

「つまりさ、結局絵が最高なんだよなぁ……普通ありえないこともできるしさ」

「はーこれだから童貞は。つまりあれだろ? ガキに戻ってエッチなお姉さんに甘えたいんだろ? はーやだやだ、すっげぇいいじゃん俺も絵に逃げるわ」

「お前ら童貞拗らせすぎじゃない?」

「この空間の童貞使用量だけで世界の童貞の平均使用量押し上げてる気がする」

「俺の性癖がヤバいって……それ、弱すぎてヤバいって意味だよな?」

「キモすぎてヤバいってことだ!!」

「寝取り無理です勘弁してください」

 

 気づけば、そんなふうに会話が勝手に盛り上がっていた。

 しかし、こう盛り上がられると困るというか、なんというか。

 完全に入るタイミングを逃した気がする。

 というかどうして童貞という言葉だけでこうも盛り上がれるのだろうか。

 ひょっとして童貞という言葉にはなにか中毒性があるのだろうか?

 

 ドキドキノコをつまみに食った俺の思考は加速し、世界のあらゆる事象と掛け合わせて、世界の壁を超えた結論を完成させようとした瞬間だった。

 ちょいちょい、と肩を叩かれる。

 振り返ると、そこには彼女──シャノがいた。

 

 それで先程まで考えていたことがすべて吹き飛んだ。

 少しばかり、頬が赤い。飲んだのか、それとも興奮しているのか。

 手に持っている本のせいで、どちらなのかがわかりづらい。

 彼女は、自分のポーチから手に持っている本と、まったく同じ本を取り出した。

 俺に差し出してきたそれは手に収まりやすい、小さなサイズだ。その中に、びっしりと字が詰め込まれている。

 『どっせい伯爵の冒険』と題されたそれを、俺は彼女から受け取った。

 

「新刊出たから」

「おー……」

「読んだらまた、感想を聞かせて」

「わかった」

 

 それは、ひとりの貴族がハンターになり、冒険をする話。

 その途中で多くの、それぞれ違う人や危険なモンスターと出会い、時には敵対し、時には協力するというお話だ。

 タイトルからは信じられないほど現実に忠実に描かれた描写と、タイトルに反して硬派な展開は、なるほど人気がでるのも頷ける。

 シナリオは完全にシリアスなのに主人公の人柄のおかげでそれが緩和されている、という部分もまたおもしろい。

 特に狩場の描写とストーリーが俺は気に入った。

 ハンターとして活動していれば理解できる、細々な部分までしっかりと描かれているのだ。

 大剣を使うときに両刃のものを使うのか、そうでないのかの違いなどに関しては、大剣を使っている身としても参考になったりもする。作者はきっとハンターの経験があるのだろう。

 はじめは嫌いな相手に渡された本とあって渋い顔で読み始めた俺も、中盤からはついついのめりこんでしまったほどの完成度を誇る。

 

 そしてシャノは、そんな俺よりも遥かにこの本が好きなのだろう。

 彼女はこの本の話となると普段の表情の薄さが嘘のように明るくなり、そして早口になる。

 

「お前は読んだのか?」

「うん」

「どんな感じだ?」

「えっとね、今回は伯爵がクエストに出るんだけど乱入してきたモンスターと戦って死にかけていつもみたいに体が動かなくなったから療養にユクモ村にいくんだけどそこでまたひと悶着あってって感じのお話で今回もとっても完成度が高いし普段は勇猛果敢な伯爵が珍しく弱音を吐いたりもするからすっごく最高だよ」

「……。そうか」

 

 やっぱり彼女は、この本の話となると途端に早口だ。

 それだけこの本が好きなのだろう。

 だからこそ、彼女は勇猛であろうとする。

 ……彼女の戦闘スタイルは、きっとこの主人公の真似なのだ。

 それがすごく、俺は嫌いだ。

 

 彼女は俺にそれを渡して去っていった。

 よかった。これ以上考えていたら、また彼女になにか言ってしまいそうだったから。

 俺は彼女になにか言えるような立場じゃないのに。

 

 

 ──家でそれを読み終えた。

 今回もまたおもしろい話だった。特に、彼女が推していた伯爵の本音。

 突っ込んでいくのが怖くなったという伯爵が、それでも果敢に踏み込んでいくようになるまでの過程。

 作者は人の感情への理解が深いようだ。

 伯爵の感情は、痛いほどわかる。──それでも、恐れに時折目を瞑りながらも突っ込んでいく伯爵は、読んでいて眩しく思えた。

 

 お話だから、だろう。

 現実はこうもいかない。いくらやろうとしたって、人は恐怖を乗り越えられない。

 

 けれどもし、そういう人が現実にいれば。

 この伯爵が現実にいれば、彼はきっと俺が大嫌いな人間だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……まぁもう驚きもしないけどさ」

「流石にここまで同じになると、作為的なものを感じる」

「ああうん、俺も全く同じだ」

「……君、実は私のこと好きでしょ?」

「なんでだよ」

「だって、さすがにここまで一緒だと……ねぇ?」

「『ねぇ?』じゃねーよ。嫌いだって言ってんだろ」

 

 顔合わせから、移動。そこまでの動きはもう既に慣れた。

 狩猟相手はリオレイア。狩場は森丘だ。

 この前のケチャワチャと比較すると数段上の強敵である。

 とはいえ、何度か狩猟経験もある。よほどのことがない限り、クエスト失敗はしないだろう。

 問題があるとすれば彼女の動きだ。彼女がまた、周囲を見ずに出鱈目に剣を振り回すようであればこちらも迂闊に動けない。

 敵じゃなく味方に殺されてしまう。

 そんなことはないだろうが、考えずにはいられないものだ。

 

「何持ってきた?」

「閃光玉と……あとは回復薬とかかな」

「罠は持ってないか?」

「ない」

「俺は一応調合分も持ってきてる。もし手持ちのぶんがなくなったら、キャンプで作る感じで」

「ん」

「あとはペイントボールと閃光玉、モドリ玉とこやし玉に……」

「うげっ」

 

 彼女は、わかりやすく引いた。

 

「なんだよ、悪いか? 捕まったときとかこれあったら便利なんだぞ」

「え、でも臭いし……」

「使えるもんは全部使うんだよ! 臭いのと死ぬのどっちが嫌なんだ? ……てかペイントのほうが臭いだろ」

「……むぅ……でも汚いもん……」

「これだから場馴れしてないガキは……」

「はぁ!?」

 

 俺の言葉に、わかりやすくいきり立ったシャノ。

 

「モンスターのフン触ってるやつに言われたくないし……!」

「触ってねぇわ!!」

「っていうか、貸した本一緒のポーチに入れてないよね!? してたら一生軽蔑するから!」

「うんうん。してるって言ったら?」

「最ッ低!!」

 

 冗談だ。

 というか、モンスターのフンは触ってない。

 俺は基本的に調合は人に頼んでいる。失敗するよりははるかにマシだからだ。

 事情は彼女も知っての通りなので、そう言えばすぐに納得してくれた。

 

「……今の、かなり最低な冗談だよ……軽蔑する……」

「でもわざわざ何冊も買ってるんだろ? 別に一冊くらいいいじゃねーか」

「全部しっかり使ってるんだよ……ていうか読む用飾る用枕の下に敷く用机に並べる用棚に並べる用お風呂用布教用が五冊だから十一冊しか買ってないし」

「同じ本十一冊買ってる時点でおかしいってことに気づけよ。お前が買い占めるから手に入らない人もいるかもしれないんだぞ」

「残念だったね。私はしっかり在庫のある場所から集めてる……!」

「お前絶対将来後悔するぞ……」

「推薦文を書くまであるね……! 熱心なファンである私は手紙を沢山送るだけでなくしっかり作者さんに会って私の思いの丈をしっかりぶつけてきたんだ……!」

「迷惑なファンだなぁ……」

 

 作者がかわいそう。

 こいつの早口トーク、聞いている側はかなり疲れるからなぁ……。

 

 狩場について、最初にやることはまずは荷物を降ろすことである。

 大きい荷物などは、ベースキャンプなどに置いておくのだ。必要に応じて、荷車などで運ぶ。こうするのは、大タル爆弾などだ。

 今回は大型の荷物がないため、放置。

 ポーチを圧迫するとトラップツールなどは置いておいたほうがいいかもしれないが、まぁいいだろう。

 ポーチのどこになにがあるかは把握しているからだ。焦っても、間違えることはない。

 ハンターならばできなくてはならないことである。

 

「……ねぇ」

「あ?」

「リオレイアってどんなモンスター? あ、いや知ってるけどさ。どんな攻撃をしてくるの?」

「個体によって違うけど……突進とか、炎ブレスと……あとは尻尾での攻撃が多いな」

「ふーん……私に対応できそう?」

「どうだろうな。あいつ、結構厄介だし。……でもまぁ、攻めすぎなけりゃ大丈夫だろ」

「んー……そっか」

「気をつけないといけないのは、尻尾の毒棘だ。背中のはあんまり気にしなくていい」

「ん。ちゃんと解毒薬持ってるよ」

「そうか」

 

 ──ベースキャンプから出る。

 ここから先は、モンスターが生息する地域。

 危険が伴う場所であり、そこからは世間話のような会話はない。

 

 向かう場所はエリア5。飛竜の巣だ。

 一番疑わしいのはここだからだ。だが、向かうまでのどこかのエリアで出会うこともある。道中の油断は禁物だ。

 

 ……そうして警戒していたからこそ。

 だからこそ、上空からの不意の攻撃に対応できた。

 

 空からの強襲。

 緑の閃光が、ばちりと肌を震わせる。

 咄嗟に、横へと体を投げ出した。背後で、巨大なものが地面を叩く音。体にわずかに感じる、びりびりとした感覚。

 

「──シャノ! 大丈夫か!?」

「平気……!」

 

 すぐさま起き上がり、突然襲いかかってきた敵の姿を見る。

 それは、鋭さを感じさせる甲殻で身を覆っていた。

 尻尾は、まるで鋏のようであり──それが光を纏っている。おそらくは、電気だろう。

 こちらに突然襲いかかってきたことから、かなり気性は荒い。

 見たことのないモンスターだが、以上のことをまとめて、当てはまるモンスターを思い出す。

 

 ──電竜、ライゼクス。

 

 空戦はかのリオレウスに迫ると言われるほどのモンスターだ。

 少なくとも、今の俺たちに敵う相手ではないように思える。

 

「撤退するぞ!」

「で、でも……」

 

 彼女がどうして迷っているのか、よくわかった。

 この場には、遮蔽物がない。逃げるとなると一苦労だ。

 飛竜の巣ならば、空を飛ばないとやつらは追ってこれないのだが。

 しかし……となれば、自分たちから逃げるのは現実的ではない。

 

 ならば。

 

「持っててよかったな、こやし玉……!」

 

 ポーチから素早く、目的のものを取り出して投げつける。

 ライゼクスの顔に命中し、あまりの激臭にライゼクスが悲鳴を上げた。

 モンスターの嫌う臭いを発するそれは、ぶつけると相手を追い払うことができるのだ。

 しかし──それは相手を怒りに導く火種でもあった。

 

「──ギャァァアアアアアアアアアア!!」

 

 悲鳴のような咆哮だった。

 耳を劈く声で鼓膜を破らないように、耳を塞ぐ。

 声で、空気が揺らぐほどのそれ。

 

 しかしシャノは止まらずに、耳を抑えることすらなくそのままライゼクスに斬りかかった。

 おそらくは咆哮をいなしたのだ。なかなか難しいと聞くが……それをコンスタントにやってのけるのは、素直に尊敬する。

 

 彼女のスタイル的は、ヒートアップするにつれて動きが洗練されていく。

 それは逆に言えば──序盤は、それなりの動きでしかないということ。

 故に、ギアを早々に上げるために、序盤こそ果敢な攻めが要求される。

 

 だが今はそれが目的ではない。

 むしろ、そうされると困る。

 

「──っ、シャノ! ()()()()()()()()!」

「……わかって、るっ!」

 

 電撃を体の旋回で回避した彼女が、俺の言葉にそう返した。

 こちらにも放たれた電のブレスを、横に動いて回避する。

 相手の口から一直線に放たれるため、顔の動きをよく見ていれば回避は可能だ。

 

 踏み込もうとしたタイミングで、ヤツは後ろに飛び退いた。

 気づけば、頭が緑色を灯している。雷がまとわりついているのかもしれない。

 足を止めれば、向こうはすかさず突進で距離を詰めてきた。それは確実に、俺に届かない距離。

 だが、突進に合わせて頭の光がぐにゃりと姿を変え、伸びた。

 咄嗟に背負っていた大剣の腹を、体の前に突き出す。

 

「ぐ……!」

 

 雷が持ち手まで走り、腕が痺れる。

 いや、その程度で済んでよかったと思うべきだ。すぐに大剣を背負い、動けるようにする。

 

 ライゼクスは、俺を狙っているようだった。

 そりゃそうだ、顔面にこやし玉ぶつけられたんだから──!

 

「──っとぉ……!」

 

 尻尾から、雷の弾丸が発射された。口から吐き出されたものと違い、こちらは軌道が読みづらい。

 とはいえ、正確に狙ってくれたおかげで避けることはできた。

 

 シャノが、脚に張り付いて、懐から攻撃を仕掛ける。

 ライゼクスは俺を狙ってきているから、その隙に削ろうという魂胆だろう。

 もしくは、足元が安全だと見抜いたのかもしれない。

 そんな彼女が鬱陶しいのか、体を半分回転させて、尻尾で薙ぎ払おうとするライゼクス。

 こちらに背を向けている。

 大体の飛竜種は、もう一回転することが多い。

 としたら、ここは踏み込むチャンスだ。

 距離を詰められるなら詰めたほうがいい。

 狙われている俺が遠くにいたら、突進にシャノが巻き込まれる可能性もあるからだ。

 

 その判断で、距離を詰め──

 

 ──そして、直後に失策を悟った。

 

 尻尾から、ビームのように雷が放出される。なんとか体を左側に倒すことで正面からの直撃は免れたが、右半身に当たってしまった。

 防具の上からでも感じられる、強力な攻撃。

 当たった部分が焼けると同時に、全身に満遍なく痺れが広がっていく。

 

 真芯は避けたというのに、一瞬意識が飛びかけた。

 だが、それをなんとか抑え込み、そのまま動けるように頭を動かす。

 

 怯んだ隙を見せたら、おそらくは追撃がくる。

 ネコタクが助けてくれると過信はできない。場合によってはそれが間に合わず死ぬ。ヤツの苛烈な攻めなら、尚のことである。

 ならば、この状態でも俺ができることを。

 

 右腕は動かない。だが、左腕は多少の痺れ程度だ。

 左手でポーチをまさぐり、こやし玉を引っ張り出した。

 

「いい加減──」そして、投げた。「退散しろッ!!」

 

「グオォッッ!?」

 

 こちらを向いたライゼクスの顔面に、投げて当てた。

 それに今度こそ、臭いに堪えきれずに逃げ出そうとする動きを見る。

 

「シャノ、ペイント!」

「わかってる……!」

 

 完全に逃げられる前に、シャノがペイントボールを投げつけた。

 途端に周囲に激臭が走った。

 こやし玉なんて比ではないレベルの臭いだ。

 だが、それはあまり苦ではない。この臭いには慣れている。

 

 再び上空からの強襲がないか警戒するが、確実にライゼクスは逃げてくれた。それを確認し、回復薬をポーチから取り出す。

 急いで嚥下した。むせることはない。飲み方もしっかり訓練されている。

 むせるということは、隙を作るということだ。戦闘中に回復薬を飲むことの多いハンターがそんなことになってしまえば命に関わることもある。

 だからこそ、しっかりと体勢を作って飲むのだ。飲み終えたあとのガッツポーズも、そのためである。

 

「……体、大丈夫?」

「ん? あー、平気だ。そっちは攻撃食らってないか?」

「あ、うん。私は大丈夫だけど……傷の様子見せて」

「なんでだよ……」

 

 と、いいつつ、防具を少し(はだ)ける。防具の留め紐が緩くなっているから、また結び直さなくてはならない。

 見ると、先程の攻撃を食らった部分から木のように赤い跡が生えている。完全に雷の傷である。

 回復薬を飲んだから、すぐに治ってくれるだろう。

 防具を直す。きっちりと、緩みを残さず締めた。

 

「血は出てないね……小型モンスターはよってこないかな」

「でもライゼクスの血にはくるんじゃないか?」

「……むぅ……。それじゃあ、動ける?」

「おう。もう大丈夫だ」

「じゃあ移動しよ。リオレイアも探さないといけないし」

 

 ……そうだ。

 いきなり予想外の事態に時間を使ってしまったが、今回のクエストはリオレイアの狩猟。全然余裕があるとはいえ、クエストの制限時間の問題もあるから悠長にしてはいられない。

 

 

 

 ──のだが。

 

「……くっそ、あいつら一緒にいやがる……!」

「リオレイアってリオレウスと一緒じゃないんだ……。不倫? モンスターも不倫するんだねぇ」

「いや、マジでどうする……? 今突っ込むのは無理だし、離れるまで待つしかなくないだろ」

「リオレイア、ライゼクスと不倫する……の巻。これはあれかな……『貴方じゃもうだめなの……』みたいな感じなのかな?」

「寝取りは死ぬほど嫌いだ。純愛こそ正義」

「これだからめんどくさい童貞拗らせた男は……」

「童貞じゃねぇ!」

 

 童貞じゃねぇ!

 

「うっさ……なんで二回言ったの」

「小声だっただろうが……」

 

 俺が童貞であるかどうかは置いといて、どうするか。

 リオレイアとライゼクスはどうにも、お互いをよく意識しているようである。ライゼクスの落ち着いている様子から、そう思った。

 

 ライゼクスが動いた隙をつくべきだろう。しかし、それができるかと言えば不安が残る。

 リオレイアと戦っている間に、ライゼクスが戻ってきたりしたら目も当てられない。

 ハンターとなればそういう状況も経験するものであるが、たったふたりしかいないときに狭い場所で戦えるのか。

 とはいえ、それしかないならそうするしかない。

 ……なんにせよ、今は移動を待つだけだ。

 

 

 すこしして、ライゼクスが巣から飛び立った。

 ──好機。

 目的があって出たのなら、すぐには帰ってこないだろう。この隙をついて、狩るべきだ。

 シャノと視線を交わす。そして、飛竜の巣へと体を滑り込ませた。

 

 巣に入ってきたモノに対し、竜は敏感に反応する。すぐに体を起こし、こちらを睨めつけて警戒の姿勢に入った。

 

 その頭を、既に接近していたシャノの太刀が抉る。

 血が溢れ、警戒の状態から、リオレイアが敵対の姿勢に入った。

 ──咆哮。

 鼓膜が破けかねないほどのものだ。それに対して、シャノは太刀を頭の上で構えて対抗する。

 体を地面に転がして咆哮の圧から逃れる俺とは違い、彼女はその音と真っ向から対峙した。

 

 太刀で、衝撃を受ける。

 その瞬間、リオレイアの頭に深く斬撃が食い込んだ。

 痛烈なカウンターに、相手は行動を中断させられた。

 

 その隙をついて、俺はポーチからあるものを取り出す準備をする。

 怒り狂うリオレイアは先程より勢いを増して、絶叫した。

 

「──アアアァァァァァァァァァアアア!!」

 

「…………」

「──よし」

 

 シャノがなおも果敢に攻める様子を見ながら、俺はタイミングを計る。意表をつくのが重要だ。完璧なタイミングを狙っていけ。

 

 種族の習性を、利用する。

 

 ──リオス科のモンスターは、怒った直後に後ろに飛ぶのだ。

 

「──グォォァッ!?」

 

「タイミングばっちりぃッ!!」

「眩しい!?」

「大丈夫か!?」

「一言ほしかったかな!」

 

 リオレイアが背後に飛んだ瞬間に、閃光玉を使う。

 意表を突かれた相手は、制御を失って地面に落ちた。

 リオレイアに閃光玉を持ってきたのはこれが理由だ。シャノは普通に使うらしいが、リオス科のモンスターには狙いすましたこれがよく効く。

 

 大剣を担ぎ上げ、力を溜める。

 その力が最大になったタイミングで、放った。

 リオレイアの顔面に叩き込んだそれは、甲殻のそれではなく深く肉を切る重たい手応えで、有効打を確信する。

 

 シャノは翼を斬っていた。相手を飛ばせないように、だろうか?

 たしかに、チャンスになるとはいえ上空からのブレスとなると対応が難しい。

 翼への攻撃で、飛ぶ頻度を少しでも減らせられたらそれはそれでありだ。

 

 体を捻り、大剣に力を込めていく。今にも暴発しそうな力を押し留めつつ、剣へと伝えていく。

 ──そして、放った。

 重たい大剣から、鋭く速い斬撃が放たれた。筋力を使い込み、放ったそれは──狙いどおりに、リオレイアの頭に叩き込まれる。

 

 確実な手応え。だが、モンスターの生命力がそんなに甘いわけがない。

 まだまだ、攻撃を重ねる必要がある。急いで討伐しないといけないのだ。そのためにはどうすればいい?

 

 例えば有効な部位に、確実かつ丁寧に強力な一撃を叩き込みつづけたら。

 

 ……それはできない。

 できないから、あの手この手でどうにかしようと考えるのだ。

 

 リオレイアの様子を、少し離れて観察する。まだ閃光で目がやられているようで、どこに俺たちがいるのかをわかっていないようだった。

 出鱈目に吐き出される火球。尻尾を回転させて振り払おうとする動き。

 

 尻尾の回転に、大剣の溜め攻撃を重ねる。

 

 これは、安全かつ確実に柔らかい頭部へと攻撃が当てられる機会だ。

 叩き込んで、怯んだリオレイアの前で大剣を納刀した。

 

 ──この調子でいけば、なんとか狩れるだろう。

 先程出ていったばかりだ。ライゼクスはまだ戻らないだろう。

 ちゃんと狩れるのなら、そう急く必要はない。

 焦りは禁物だ。そう、それはいつだって首に刃を突きつけている。

 

 シャノの攻撃は勢いを増している。調子が出てきたのだろう。

 入り込むのが、本当に速い。

 それで周囲が疎かになる傾向にあるから少しだけ心配する。

 ……少しだけだが。

 

「──らぁっ!!」

 

 突進してくる姿に合わせて、体を跳ね上げる。

 相手とのすれ違いざまに、大剣の刃を叩きつけた。

 背中の棘をへし折りつつ、リオレイアの背へと着地する。

 すかさず剥ぎ取りナイフを持ち出して、何度も相手の背に突き立てた。

 

 暴れて振り落とそうとするリオレイア。

 しがみついて、それに堪える。そのままナイフを突き刺し続け、背中の甲殻が砕け散る──それと同時に、リオレイアは体勢を崩した。

 

 好機。

 頭部へと追撃を──

 

「──っ!」

 

 勘に任せ、体を前方へと飛ばす。

 風圧に飛ばされて、自分の想定よりも吹き飛び、頭から壁に激突する。

 防具がなければ危なかった。衝撃を吸収してくれなければ、万が一もあっただろう。

 

 後ろを一瞬、見る。

 そこには──

 

「……ちっ、今度は夫かよ!?」

 

 リオレウスが、こちらを睥睨していた。

 

 ……いや、だけではない。

 ペイントの臭いからするに、ライゼクスもこちらに戻ってきている。

 

「環境不安定すぎじゃないか!?」

 

 狩場の環境は当然、変動する。

 しかし、これまで乱入が多いのは確実におかしい。

 ……完全に。

 何かが狂っている。

 

 リタイアをするしかない。こんな状況になるとは、最初は思いもしなかった。

 ライゼクスだけなら対応できる。しかし、リオレウスまでやってくるとなると──

 厳しいなんてものではない。

 

「……シャノ! 逃げるぞ!」

 

 反応はない。

 彼女もリオレウスは認識しているのであろうが、リオレイアに斬りかかる手を止めない。

 

「…………馬鹿野郎が──!!」

 

 たしかに、気持ちはわかる。

 感覚的に、そろそろ狩れる。

 むしろここで引いて回復の機会を与えるほうが、まずいと考える気持ちだって──理解できるが。

 

 だが、三体の攻撃を捌きながら戦うことは難しいだろう。

 

「……クソッ! クソがッッッ!!」

 

 ライゼクスが降りてきた。

 リオレウスのブレスを、斜線から逸れて回避する。

 最悪だ。

 ただの依頼だったはずなのに、どうしてこうなった?

 確実にこなせるはずの依頼だった。

 無理のない依頼だった。……そのはずだったのだ。

 

 知っている。狩場の環境は容易に変動する。それらを正確に把握することはできない。

 そんなの、痛いほど知っている。

 いくらしっかりと吟味したところで、狩りに余裕なんてないことなどとっくに知っていたはずなのだ。

 

 シャノを置いて逃げる? それはできない。彼女が暴れる現状では無理やり撤退することも難しい。

 彼女はただ、真剣なだけだ。真剣すぎて視野が狭まっているだけ。

 

 それはなによりの才能だ。

 狩りのセンスだけじゃない。それではなく、盲目になれることは──才能である。

 

 とうに失った俺とは違って、才能がある。

 ああ、間違いなくそうだ。天性の才能だ。

 恐れ知らずというのは、何よりの才能なのだ。

 それに。

 

「……あっ」

 

 その声は、竜の威嚇の声の中にあってもよく響いた。

 少なくとも、俺にはそんな気がした。

 

 放った斬撃は、虚しくも雌火竜の甲殻に弾かれる。

 おそらくは、これまでの乱雑な斬撃で切れ味が落ちていたのだろう。

 彼女は肉質をあまり気にしない。だから、切れ味の消耗が速いのだ。

 

 致命的な隙。

 一対一ならまだしも、相手は三体。

 その隙は、確実に命取り。

 

 リオレウスの炎が迫る。

 ライゼクスの電撃が奔る。

 とどめには、リオレイアの尻尾の薙ぎ払い。

 

 当然だ。

 俺たちだって、倒しやすいものから先に狙う。

 それは、モンスターだって同じ。

 確実な隙に、確実な勝機を見たのだろう。

 

 俺は、シャノを蹴り飛ばした。

 

 巣穴の外へ。

 完全に外に出せてはいないが、だがさっきよりは逃げやすくなっただろう。

 無駄と思わず受けといてよかった、蹴りの講習。

 

 彼女の立ち位置に入れ替わった俺は、大剣を急いで取り出す。

 

 火竜のブレスが、大剣のガード越しに腕を焼いた。防具が若干焦げる。

 電竜の雷が、弾きあげられたガードをすり抜けて腹を撃つ。

 視界が明滅する。激痛で意識がはっきりしていても、それとは別の問題だ。頭は起きていても、体が追いつかない。

 動きの止まった俺の体を、リオレイアが弾き飛ばした。

 

 その衝撃で、巣穴の外にはじき出される。吹き飛んで、崖から落ちた。

 

 落下し、地面に頭を打って──それで、俺の意識は落ちる。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

「俺ちょっと頑丈すぎない?」

 

 ベースキャンプにて。

 意識を取り戻した俺が、先程の事態を経て一言。

 よくもまぁ、即死しなかったものだ。

 危なかったであろう体の傷が治りかけていることに、回復薬の偉大さを実感する。

 

 しかし倒れる前よりは体の調子は悪くなっている。回復にエネルギーを使ったのだろう。

 力尽きるといつもこうなるのだ。

 秘薬で消耗したぶんの体力を回復しておく。

 この業界で長いから、アイテムだけは揃っているのだ。

 

 体をなんとか持ち上げる。

 そして、すこしの距離を開けてしゃがみこんでいた彼女へと歩み寄った。

 

「…………ごめん」

「いや、別にいい。俺も昔なら同じ判断をしただろうし」

 

 支給品ボックスの前でしゃがみこんでいたシャノは、俺が近寄るなりそう発言した。

 とはいえ、経験不足故の無鉄砲というのは往々にしてあるものだ。それを責めるつもりはない。

 

「あのさ」

 

 と、彼女が言う。

 

「昔は太刀を使ってたんだよね」

「……。まぁな」

 

 そこそこ名前を知られていた。少なくとも、集会所では。

 だから、知っていることもあるだろう。

 にしても、どうして今なんだろうか。

 

「怪我で大剣に移行したって」

「まぁ、な」

 

 ……昔の話だ。

 仲間を助けて怪我をして、指先が覚束なくなったせいで、太刀を扱うことができなくなった。

 多少はできるにしても、そこにはかつて程の冴えはない。

 

「……それでも、君は私を庇うんだね」

「理由なんてねぇよ。そうしたいからしただけだ」

「それが理解できないんだよ」返ってきたのは真剣な声音だ。「君は、私のことを嫌いなんでしょ? それなのに庇うのって、おかしいよ」

「……まぁ、な……」

 

 それが道理、なのだろうか?

 俺にはわからない。わからないのだ、いつだって。

 

 

「俺はお前が嫌いだ」

「……うん」

「正確にはお前みたいな、憧れだけで身を滅ぼしそうなやつが心の底から嫌いだ。気づいたら人のために死んじまいそうだからな」

「……」

 

 シャノの大きな瞳が、まんまるに見開かれた。

 斜陽の翳りすら感じられない、青天の色味だった。

 

「……心配してくれてるの?」

「…………」

 

 心配。

 心配ときたか。

 そう言われると、若干そうなような気もする。

 一応否定しておく。

 

「違うぞ」

「で、でもそうじゃないかなっ? 今のって完全に、そういうあれじゃないかな?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

「はぐらかそうとしてる!?」

 

 実際は、どうなのだろう。

 心配。ああ、心配もあるのだろう。

 

「お前みたいな無鉄砲なやつを見てると、昔の俺を思い出すんだよ」

「……」

 

 ──昔の俺は、まごうことなき馬鹿だった。

 同時に天才だったのだろうと思う。それは技術などの単純な才能だけではない。

 

 無鉄砲さ。

 失敗を恐れないその戦い方こそが、昔の俺の一番の才能だったと思う。

 

 だが、とある竜との戦闘中に仲間を庇って死にかけ。

 それ以来、どうしても怖くなり──今の俺のまま、燻っている。

 

「知ってるよ」予想外に、彼女は言った。「リーさんから聞いてる」

「あいつに? 知り合いなのか?」

 

 ホン・マカ・リー。通称リー。

 かつての俺のパーティメンバーの名前だ。

 俺が怪我をしたあとに、ハンターを引退したと聞き──それ以来、彼女とは会っていない。

 今はどうしているのか、あやふやの中にある。

 

「伯爵の作者だよ」

「えっ」

 

 まさかのつながりに驚いた。

 同時に、納得した部分もあった。

 最新巻の伯爵の悩みは──俺が、彼女に零したことに酷似していたし。

 あの本の描く風景は、彼女と見た景色とそっくりだったからだ。

 

 思えば、彼女と見た景色はいつでも彩られて見えた。それは彼女が『気づき』にあふれていたからだ。

 空の青さも、陽の赤さも、彼女の水晶から入り込み、21グラムの色に染まった言葉に変換されて──それで、俺もその景色を共有できた。

 

「……あいつがねぇ……」

「君がモデルだって」

「そんなん作者聞けばわかるさ」

 

 ……別に俺はそんなに上等なものでもない。

 

 昔の俺は、ただ馬鹿だっただけだ。

 よくもまぁあれだけ美化できたものである。

 びっくりするほど、実態とは違う。

 

 ……でも。

 とはいえ、だ。

 

「──ひとつだけ、思いついた」

「え?」

「どうにか気分を上げて、狩りを達成する方法だよ。そこでひとつ質問だ」

 

 あいつにそこまで信頼されてるのなら、こんな窮地くらい昔みたいにぶち壊してやろう。

 命を賭けるくらい惹かれてたんだ。だったら、彼女の期待にくらい応えてやろう。

 それが、ザグザという男の生き方だ。

 

「お前、俺に命賭ける気とかある?」

「おっけー。でも私伯爵が完結するまでは死なないから……!」

「……ああ、お前はそういうやつだったよ」

 

 本気で死にそうにないのだから恐ろしい。

 準備は万端。肩を軽く回し、それで一瞬の腕の震えを感じ。

 まだ覚悟が決まっていないのだと、そう気づいた。

 

「なぁシャノ」

「何?」

「叩いてくれない?」

 

 殴り飛ばされた。

 

「うっし、ありがと」

「変態だ……」

 

 慄く彼女は無視するとして。

 

 

「さぁて、やりますか」

 

 

 これから行うのは、まさしく馬鹿の戦法である。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 戻ってきた火竜の巣。

 ……どうやらリオレイアだけの様子だ。

 男共は元気にやりあっているのだろうか。

 今、一匹の雌を巡って森丘の威信を賭けた戦いが始まっているのかもしれない。

 

 ──俺は飛び出した。

 背中が軽い。先程までとははるかに違う感覚。意識のもちようでこれだけ変化するものなのか、というほどの転換。

 意識の()()を晴らすように、先程までとは違う次元に立っているような気分だ。

 ──憶えている。思い出した。ならば引っ張り出せ。かつての俺の戦い方を。

 

 一瞬前とは違う地点に立っている感覚。

 極限の集中。

 それは、己の時間間隔すらねじ伏せる。

 一秒ごとに、自分が先とは次元の違う生物になっていくような感覚。

 

 リオレイアが咆哮しようとする一瞬の間。

 しかし、俺の溜めはもう終わっている。

 声が発される前に限界まで引き絞られた力が放出され、リオレイアの顔面に痛烈な一打を与える。

 顔面の鱗が弾け飛び、不格好な見た目になったリオレイアの頭に、体をねじって追撃をする。

 

 俺の攻撃は、リオレイアの頭を深くえぐり──そして、姿勢を低くしたシャノがそれを、剣を構えていなす。

 

 角度を変え、リオレイアの首に斬撃が叩き込まれた。

 

「あっぶねぇな! かするところだったぞ!」

「自分の計画した作戦なのに文句言うとか愚かすぎない?」

「なんだァ? テメェ……」

 

 ──リオレイアの攻撃が手に取るようにわかる。

 相手が次、何をするのかが確実にわかる。

 自分が最強になったような錯覚を覚える。

 

 もう何も怖くない。

 

「──チェンジ!!」

 

 後ずさったリオレイアへの追撃のタイミングで、声を放つ。

 

 そして、お互いの武器が宙に舞った。

 

「おっも……!」

「ヘイヘイヘーイ! この!! 重量!! 重い!! 軽い!! 重そうで軽いちょっと重いの至高!! 俺、斬る!!」

「元気だねぇ君!!」

 

 レイアの頭に、シャノが大剣の重みを生かした空中での振り下ろしを叩き込んだ。

 煩わしいのか、突進で轢き潰そうとしたのを、俺が掴んだ太刀でカウンターし阻止する。

 たまらず放ったのだろう尻尾回転を、シャノの前に出てから太刀を上段に構えた。

 

 何度も、繰り返した型。

 いくら狩技が尋常ではないほどの集中力を必要とするとしても。

 だからこそ取捨選択する必要があるのだとしても。

 

 今の俺には、全て関係がない。

 

 ──振り下ろした太刀の一撃は、かつてと全く(たが)うことのない感覚で。

 あっさりとリオレイアの尻尾を切り落とした。

 そして、相手の傷口から遅れてふたつの傷が()()ように弾ける。

 集中のしすぎで鼻血が出てきた。

 目も痛い。このまま戦い続けていると、気絶してまたベースキャンプに戻ることになるだろう。

 だが、それでも太刀の冴えは更に増した。

 

 そう、これが俺の考えた方法。

 シャノと昔の俺の戦い方は酷似している。きっと、テンション次第でどうにでもできるというところも同じだ。

 だが俺は大剣を触っていると、どうしてもギアが上がらない。太刀ほど扱いに慣れていないからだ。

 それに大剣は太刀と違って、繊細な立ち回りを要求されるのだ。どうしても攻め込める機会は減る。

 

 だから。

 戦闘の途中で武器を交換し、お互いのテンションを跳ね上げた状態を作り出すのだ。

 無茶苦茶な理屈だ。だが、それでも実際に通せたのであれば問題はない。

 太刀に触れた直後の俺なら、大剣を重たい太刀として扱うことができる。

 

「うぇぇ私のガーディアンソードに鼻血ついた……帰ったら洗わないと……」

 

 シャノがなにか言ったような気がするが聞こえない。

 聞こえないったら聞こえない。

 

 リオレイアの咆哮を切り裂き、そのまま一連の型を流し込む。

 何度も何度も練習してきた型だ。未だにそれは、俺の体に染み付いている。

 剣は速く、かつ丁寧に。

 

 ──まずい。手が震えてきた。

 というか目からも血が出てきた。

 

 テンション上がりすぎたかも。

 

 だが太刀は離さない。もう少しで狩れるのだ。

 斬撃を通した。

 ──納刀に遅れ、血が咲き乱れた。

 

「──チェンジ! チェンジ! チェンジ!!」

「いぇい! チェンジ!!」

 

 シャノと武器を交換する。

 危なかった、もう少しで完全に太刀に意識を持っていかれるところだった。

 

「……おとなしくとか人のこと言えないじゃん……!」

「俺はこういう人間だ慣れろ!」

 

 しかし、意外と太刀は扱えた。

 ……今度から、また使うことにしよう。

 

 ──巣穴に、影が戻ってくる。

 戻ってきたのは、血だらけのライゼクスだった。焦げた跡も見える。そして、着地の際にわずかにふらついたことから、やつは既に瀕死であることがわかった。

 

 間男が勝ったらしい。純愛が聞いて呆れる。これだから世の中はクソなのだ。

 俺の友人だって絵に逃げるくらいの世界。

 そんなだったら俺は童貞でいい。誇り高き童貞でいいのだ。

 

「引導を渡してやる」

「うわなんか調子乗り出した……」

「ライゼクスは任せろ」

 

 戦うということは大変だ。

 それでも、己の身が深く傷ついてもなお勝利を収めた相手に敬意を払い。

 

 大剣を回し、力を纏う。ボロボロの体で向かってくるライゼクスへと、抜刀と同時に体を捻じり、力を練り上げて。

 

 ──自分史上最大の斬撃を、放った。

 

 リオレウスとの戦闘で弱っていたのか。

 俺の溜め斬りの一撃で、ライゼクスは息絶えた。

 

 ──本来非情に獰猛であるライゼクスという種にはありえない、愛に殉じた良い男だったのだろう。

 それを、手にかけた。

 その事実が、相手を刈り取った瞬間に頭の中に過ぎる。

 

 ……覚悟をしていたことだ。

 俺たちと言葉は通じずとも、モンスターは生きている。必死に誰かを愛し、戦い、必死に生きているのだ。

 ハンターになり狩りをするということは、その懸命さを崩すこと。

 

 大人になって、その重さがわかった。

 俺だって、命ではないが──奪われた側だから。

 

 許せとは思わない。

 俺は、一生それを背負っていくしかないのだろう。

 

「終わったんだったら!! 早く!! 手伝って!!」

「──おう」

 

 シャノの言葉で、現実に引き戻される。

 

 まだ戦いは終わっていない。

 リオレイアの頭に一撃をぶつける。

 短くなった尻尾を振って回転するその動きを見て、大剣を担ぐ。

 そして、こちらに向く頭に合わせるように、

 

 振り向きに──溜め斬りを叩き込んだ。

 

 既に、相手は瀕死。

 シャノが太刀を振るう。

 だが、放たれようとする時点でブレの見えるものだ。命に届かない。そう確信する。

 だから。

 

 俺は、大剣をその場に放置し、彼女の後ろから彼女の手を引き、その軌道を修正する。

 滑らかに通った刃は、リオレイアの頭を深く引き裂いて──

 

「──らぁぁッッッ!!」

 

 次の刃を、共に放った。

 

 それで、ようやくリオレイアは力尽きた。

 ゆっくりと地面に倒れる。彼女はもう、二度と動かない。

 

 終わった。

 驚くほどあっさりと──困難だったクエストは、終わったのだった。

 

「……剥ぎ取り、しようか?」

「…………」

 

 彼女のそんな言葉を背で受けた。

 大剣を背負い直して、彼女に返す。

 

「──自分でやる」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「君って、ホントに馬鹿だよねぇ……昔からサ」

「お、まだその変な喋り方治ってなかったのか」

「そりゃあ、君が好きって言ってくれたからサ。別に良いじゃない?」

「ああ。お前って感じがして、すごくいいと思う」

「やー、くどかれちゃっタ。……」

「……」

「……据え膳だヨ?」

「いただきます」

「わーちょっと待っタ待っタうそうそ! 心の準備ぃー!!」

 

 ──こんなやりとりも、いつぶりだろうか。

 久しぶり……本当に久しぶりに会ったというのに、彼女はまったく変わらない。

 変わったようには見えない。

 俺とハンターをしていた頃と同じだ。

 

「……ちゃんと、前に進めたんだね。すっごく偉い」

「……おう」

「君が次は、胸を張って昔の自分を誇ってあげられるときを待ってるからサ。今は今の君を褒めてあげてネ?」

「──ああ。そうするよ」

 

 彼女の手を取った。

 

「言い忘れてた」恥ずかしくはない。言葉にできるようには、なっている。「ずっと前から大好きだ」

「知ってるよ」手を引っ張られ、口づけされた。「君が私のことをだい、だい、だーいすきってことくらいサ」

 

 

 

「バカップルおかえりー」

「お前さぁ……見てたのか? クソガキが」

「クソガキじゃないけどぉ!? 君って、ホント……はぁ……ほんと……」

「傷つくぞ」

「傷ついてるのは私なんだけど」

 

 そう言いながら、シャノと俺は並んで歩く。

 夕焼だ。

 目に痛いほどの赤が、どうにも心地よく思える。

 切実さを背負っているのだろう。

 朝焼とはまた違う、一つの事象。

 

「次の狩りはどうしようか」

「んー……次は、ねー……」

 

 んー、と共に少しの間唸り、

 

「「ネルスキュラ」」

 

 その声がかぶった。

 

「おっ……おまっ、わざとやってんじゃないだろうな!?」

「なんで自分がそんなに知られてると思うんだか……愚かすぎない? 君のほうこそわざとやってるんじゃない?」

「その理屈だとお前も愚かにならない?」

「人類は愚か……!」

「あいつを巻き込むなぶっ飛ばすぞお前!!」

「んぐぐぐぐぐぐぐ……のろけられたぅ……死ぬぅ……」

 

 ため息ひとつ。

 

 ──次の狩りもどうやらこいつと同じようだ。

 

「最悪だ……」

「最悪だねぇ……」

「十割お前のせいだけどな」

「貸してる本全部返してもらってもいいんだよ」

「論破されたわ。お前の負け」

「ふふん……あれ、ちょっと待ておかしいよ」

 

 俺は、自分が変わったように思えた。

 でもこういうやりとりをするに、実はなにも変わっていないのかもしれない。

 久しぶりにあった彼女──リーだって、俺からすれば何一つ変わっていないように見えた。

 

 結局、俺の中でほんの少しなにかが動いただけで、今までとはあんまり変わりもしないのだろう。

 前まで悲観しすぎていただけだ。

 手が動かなくても、どうにだってなる。

 好きな人に告白したって、それほど大きくなにかが変わることはない。

 嫌いなやつが実はそんなに嫌いじゃなくたって、そんなの何も変わりはしない。

 

 俺はこいつが嫌いだ。しかしそれは、好きになってもなにも変わらないはしないのかもしれない。

 

 世界は意外とそういうものらしかった。



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