釣りバカ提督は今日も一人で。 作:匿名
文章の誤字脱字、分かりづらい言い回し、知識の勘違い等ありましたら、ざっくりと斬っていただけるとありがたいです。
また物語中に出てくる設定に矛盾や疑問点、不十分な点がありましたらご指摘いただけると早急に改善いたします。
何卒、よろしくお願いいたします。
一投目 独りぼっちの堤防
潮風が優しく頬を撫でていくのを感じながら、光の筋にも見えるライン*1をただ垂らすひととき。
……至福だ。至高だ。このために僕は生きてるんだ。
桃色のサビキ仕掛け*2が深く青い海の中にぽつりぽつりと漂っている。ただじっと、揺さぶられながらもその役目を果たすために。
鎮守府から徒歩十分ほどの立地にあるこの防波堤。一応海軍の敷地内であるため、一般人は入ることができない。例え、ただ釣りがしたいだけでも。
しかし、幸運なことに僕は提督だ。提督は海軍の所属。つまりボクは海軍の一員。ここの敷地の所有者の一員なのだ。なんの理由がなくても出入りできる。
もちろん、釣りだけが目的で提督になったわけじゃないが、せっかく楽しめる権利があるのだから。やらないのは損だ。
ふと、海面に銀色がチラチラと舞い始めるのが見えた。それに目をとられていると竿先からちょんちょんと振動が伝わってくる。
急かすように振動が早くなる。でもまだだ。まだ早い。
焦る気持ちを抑えこんで、タイミングを見極める。
鼓動が耳の奥をドンドン叩くが分かる。でもまだ上げるわけにはいかない。
じっと、じーっと待ちながら、海中を想像するんだ。
輝きをちらほらと見せる、銀色の葉が桃色の周りに集まり、それをすっと飲み込む。
仲間が暴れているのもいとわず、自分の食欲を満たすため、また食いつく。
そして、遂にはすべての針に銀色がまとわりつく。
……今だ!
ゆっくりと竿を持ち上げながら、軽くリールを巻く。すると糸の先に付い銀色の魚が次々と姿を現した。
いち、にー、さん……よし、6匹。全部の針についている。狙い通りだ。
竿を真上に上げて仕掛けを取り込み、1匹ずつ手早くはずしクーラーに入れる。既にその中は一面銀世界だ。
二時間程度でこれだけ釣れるとは。やはりここは穴場だ。まあ、誰も来ていない分、魚がたくさんいるだけだが。
いっぱいになったクーラーを覗き込みながら、優越感に浸る。これもまた最高の時間だ。
あまり誇れるようなことではないかもしれないが、ボクの特技は釣りだ。他のことはというと、まったくと言っていいほどダメダメで、それくらいしか特技と言えることがない。
魚を手にとって並び替え、上手くやればもう少しだけ魚が入りそうなことを確認する。なんとか5匹くらいは入りそうだ。
仕掛けのカゴ*3に餌を詰めようと、コマセ*4の入った箱に手を伸ばす。
「……提督。そろそろお帰りになった方がよろしいかと」
手にオキアミを掴みかけたところで、背後から聞き覚えのある声がした。
振り返るとそこには弓道着に身を包んだ女性が、眉一つ動かさず、凛とした表情で佇んでいた。
「加賀さん。すみません、わざわざ呼びに来てもらって」
彼女は加賀さん。提督としての僕の秘書を務めてくれている。頼りない僕の代わりに作戦を考えたり、訓練メニューを作ったりしてくれている。正直、彼女の方が提督らしいと思う。
「いえ、お気になさらず。あまり遅いと鳳翔さんの迷惑にもなりますので来ただけです」
「そうだね。もう帰ることにするよ」
彼女はポーカーフェイスというのだろうか。あまり感情をはっきり見せてくれない。ごくたまに言葉に突き刺さるまでの冷たい怒りを孕ませていたり、少しだけ頬を緩ませることはあったが、それも指で数える程度。僕が信用されていないのか。それとも元々そういう性格なのか。……前者の方の気がしないでもない。
「……それは、アジですか?」
加賀さんが銀色で溢れたクーラーを見て、尋ねてきた。
「ええ、豆アジって言うんです。言ってしまえばアジの幼魚*5ですね。大体十センチ以下のものは豆アジで、それ以上の大きさで成魚*6ではないものを小アジと言うそうです」
「……そうですか。相変わらず"魚だけ"に関しては博識のようで」
途中の一部分を強調する言い方に少し棘を感じた。でも、彼女の言うことは事実なのだから仕方がないといえばそこまでだ。
何も言い返さず、さっさと道具を片付けてしまうことにした。
慣れた手つきでしまっていくと、五分と掛からずに全てをタックルボックス*7にしまうことができた。
最後に余ったオキアミをウミネコ*8と小魚にお裾分けして、海水で箱を軽く洗う。
その間加賀さんはただ、黄昏色に染まった水平線を黙って見つめていた。
「片付けれましたので、行きましょう」
「分かりました」
夕暮れ時の海辺で男女二人きり。普通ならロマンチックな雰囲気に思われるかもしれないが、港町で育った僕には当たり前の日常だ。何の会話もなく、気まずいような雰囲気を漂わせながら家路を急ぐ。
ずしりと重みのあるクーラーが手を引いている。気を抜いた途端に地面と擦り付けてしまいそうだ。
「……今日の夜、これ揚げて食べようと思うんですけど、一緒にどうですか?」
ちょっとした僕の提案に、加賀さんはこちらを一瞥して、首を横に振ることで応えた。彼女はとても幸せそうにご飯を食べる。てっきり食事が好きなのかと思ったが、そうではないのかもしれない。あるいは、僕と"一緒に"食べたくないと思っているのかもしれない。
ただ、断られたというのは事実で、それはもうどうしようも無い。
その後はまた波音と二人分の足音だけが聞こえる道を、早歩きで進んだ。
鎮守府につくと、加賀さんは用事があると言ってすぐに空母寮の方へ戻っていった。僕は一人で鎮守府の奥にある自室に向かう。
誰ともすれ違うことなく、すんなりと部屋に着いた。軋む扉に鞭を打って開け、靴を脱ぐ。この部屋は鎮守府の中だというのに、まるでマンションの一室のような間取りをしている。実にその半分以上のスペースは釣り道具が占めているのだが。
入ってすぐに、僕は違和感を感じた。
部屋が何か違う。
朝出るときに見た風景と今見ている部屋とで間違い探しをすると、すぐにその違和感の正体は分かった。棚に置いてあったリール*9がいくつか無くなっているのだ。
でも、僕は至って冷静に、道具だけ適当に置いて部屋から一度出る。
そして真っ直ぐに艦娘の寮の後ろにあるゴミ捨て場に向かった。いくつかの袋を持ち上げて、中を確かめる。リールはすぐに見つかった。生ゴミの袋の中に、なぜか一緒にそれは入っていた。
「……鍵、作った方がいいのかなぁ」
生臭いリールを抱えて、僕はポツリと呟いた。僕の部屋からリールを盗み出し、生ゴミと一緒に捨てる。そんなことをする犯人は僕には分からない。ただ、毎日のように似たようなことが起きている。
昨日はロッド*10が一本折られていたし、一昨日は作っておいた仕掛けがいくつかハサミで切られていた。
それだけの頻度で被害に遭っているのに、何故犯人を突き止めようとしないか。疑問に思うかもしれない。でも、それにはちゃんと理由がある。
「……うわ、生ゴミの中から取り出したやつ、大事そうに抱えてるよ」
「ちょっと汚いかなぁ……」
「ちょっとどころじゃないでしょ。やっぱアイツ、不潔なんじゃない?」
どこからともなく、囁く声が聞こえてきた。
一人や二人の声ではない。何人も、何十人も囁いている。
犯人を突き止めようとしない理由。それは、容疑者が多すぎて突き止めようとしても不可能だからだ。
着任してしばらく経ってから、ずっとこんな調子だ。
どこの学校とか、職場とかでもあるイジメというやつだと思う。何をしたわけでもないのに、僕はその被害に遭っていた。
いや、そう言うと語弊がある。正確には、何もしていないから、何もできないダメ提督だからこそ、僕はイジメられている。彼女達の命は、提督である僕の手に預けられていると言うのに、肝心のその提督が何もできない能無しだったら、誰だって反抗したくなるだろう。悪いのは僕だ。何もできない、僕だけが悪い。
冷ややかな目線を背中に浴びながら、僕は部屋に戻り、片隅にある小さな流台でリールを洗い、今日使った竿を真水で濡らしたタオルで拭いた*11。
そのまま、部屋で釣りの情報誌を見て、時間を見計らい食堂に行きご飯を食べる。
人が少ない時間でも、そうでなくても、僕の周りにはいつも空席が目立っている。
こんな時に、誰かの楽しそうな顔でも見れたら気分が晴れるかもしれないが、僕の前では誰も笑ってくれない。……いや、一人だけ笑ってくれる人がいた。
「ご馳走様でした。鳳翔さん」
「お粗末様でした。今日のコロッケ、いかがでしたか? 少し衣が薄かったような気もしたんですが……」
「僕にはあれくらいがちょうどよかったです。もしかしたら、もっとサクサクを楽しみたいっていう娘もいるかもしれませんが、味はどっちにしても最高でした」
僕のあまり気の利かせられないような返答にも関わらず、鳳翔さんは笑顔を見せてそうですか、と頷いてくれた。
彼女の笑顔に、僕は何回も救われている。
部屋に戻った僕は、夕食の終了時間まで道具の点検と、ほんの少しだけ書類の点検もした。正直内容はちんぷんかんぷんで、加賀さんに言われた通りにやっているだけだが、上から指摘されたことは一度もない。それだけ彼女が優秀だということだ。
つまらない書類整理の時間は意外と早く過ぎてくれた。気づいた時には、時計は消灯時間を指していた。
重たいクーラーボックスを持って、暗い廊下を渡り、もう一度食堂に向かう。
食堂につくと、料理場から明かりが漏れているのが見えた。きっと鳳翔さんが明日の仕込みをしているのだろう。
「すみません! 鳳翔さん。今日も使わせてもらっていいですか?」
声を少しだけ張って言うと、奥からはーい構いませんよー、と返事が来た。
棚から揚げ物用の鍋*12やボウルなどを取り出す。
クーラーから豆アジを1匹ずつ取り出し、エラに手を入れて少し尻尾の方に下げるようにして引っ張ると、簡単に内臓が取れた。すんなり取るにはちょっとしたコツがいるが、慣れれば簡単にできる。銀世界を構成していた豆アジ達も、いつの間にかバットに並べられていた。
その上にまぶすように小麦粉を振りかける。あらかたできたら、1匹1匹、丁寧にまぶしつけて、雪を被らせたような格好にしてやる。
サラダ油*13を鍋に入れ、それが熱くなるまで待った後、豆アジを投入。軽く色付くまで揚げて、一度取り出し、それを繰り返す。
全部揚げ終わったら、再度2、3分油につける。こうすることで、骨が柔らかくなると同時に、サクサク感が増すのだ。
「うわぁ、美味しそうですねー」
横から覗き込むようにして、誰かが豆アジに目をつけた。じゅるりとよだれを垂らす音が聞こえる。
「赤城さん、油飛びますから危ないですよ」
「あ、ごめんなさい。ご注意ありがとうございます」
「食い意地あんまり張ってると、いつか痛い目に遭いますよ」
「てへへ、美味しそうな匂いがしたのでつい」
一航戦、赤城。加賀さんと並んで、彼女もこの鎮守府のリーダー的存在だ。そして、僕と仲がいい数少ない艦娘の一人でもある。
みんなの前では比較的頼れる素敵なお姉さん、と言った印象の彼女だが、食べ物が関わってくると途端に子供のように目を輝かせ、この世の幸せが全て彼女にやってきたのではないかと思わせるような笑顔で食事を取る姿はすごいギャップだ。
僕はたくさん釣ってくる割にあまり食べることはしないので、基本的に彼女に食べてもらっている。
「あれ、提督。半分しか皿に盛ってませんが、残りはどうするんですか?」
「ああ、残りは南蛮漬けにしますよ。朝のうちに南蛮酢を作って、野菜もつけておい……」
「提督」
言葉を遮って、赤城さんがこちらに体を向けてきた。いつにもまして、その表情は真剣だ。一体、どうしたのだろうか。
「赤城、さん……?」
赤城さんはなぜか一度大きく深呼吸して、さらりと一言。
「結婚しましょう」
そしてキメ顔。
きっと心の中では決まったー! と叫んでいるに違いない。彼女は変なところで真剣な演技をするのが上手いから、こちらとしても反応に困る。
「はいはい、そうですね」
「ちょっと流さないでくださいよ! もう唐揚げだけでも幸せなのに、南蛮漬けとか言われたら……もうKO確定です。落ちちゃいました」
「南蛮酢の中にですか?」
「そうそう。程よい酸味の中に、食欲が掻き立てられるちょっとの甘さを隠した南蛮酢の奥に……って何言わせるんですか。恋に落ちたんです」
「結局、どちらも酸っぱく終わりそうですね」
軽口を叩くと、赤城さんは顔を真っ赤にして僕の腕を叩いた。何だか地元の友達と話しているような感覚だ。
「提督。南蛮漬けのほう、冷蔵庫に入れておきますね」
いつの間にか鳳翔さんももう一方にやってきていた。どうやら仕込みはもう終わったらしい。
「お願いします」
「あー、そっか。漬けないといけないから、すぐに食べれないんですね。残念……」
「明日の朝、お出ししますから」
鳳翔さんが赤城さんをなだめている間に、盛り付け終わった豆アジの唐揚げを机に運ぶ。素早い動作で赤城さんは先回りして席についていた。目にも止まらない早技、とでも言おうか。鳳翔さんもやれやれと言い出そうにしている。
「提督、いいですか? まだですか?」
「ちょっと待ってください。今、塩胡椒とレモン持っていきますから」
「ガーリックパウダーもありますよ」
待てを指示された犬のような赤城さんは、箸をフライングで持って今か今かと待ち構えている。その集中力を戦闘に生かしたらどうなのか、とほとんど参加していない僕には言うことができない。
「……よし、それじゃあ召し上がれ」
「いただきます!」
赤城さんは早速頭から豆アジにかぶりつく。そして盆と正月が一度に来たような、そんな顔をした。
「んーふー」
もはや言葉も忘れたようだ。
「提督、ビールをお出ししましょうか?」
「あ、いただきます」
用意周到な鳳翔さんは、この料理を見越して何本か缶ビールを持ってきているようだ。この鎮守府には酒場は今のところないので、個人の所有物でしかアルコールを楽しむことはできない。一応酒保に売ってはいるのだが、銘柄はそこまで多くないので、外出届を出してわざわざ買いに行かないといけなかったりもする。
「……ふぅ、いいですね。こういうおつまみがあるのも」
「また釣ってきますから、楽しみにしててください」
鳳翔さんはゆっくりと缶を煽る。嗜む程度に飲んでいるらしいが、多分かなり強い。実際日本酒を一升飲んでも、全く言動がぶれなかったらしい。末恐ろしい人だ。
「提督、釣りをするのもよろしいですが……艦隊指揮の方も疎かにしては……」
鳳翔さんが心配そうにこちらに目を向けながらそう言う。きっとイジメのことも気にかけているのだろう。
「そう、ですね。本当ならもっとそっちの方もやらないといけないんですが……僕にはどうもセンスがなくて」
「あの時のこと、やっぱり引きずっちゃってるんですか?」
一息ついた赤城さんも、心配そうな声色を出した。
あの時のこと。
それは僕が提督に就いて間もない頃。初めての実戦に戸惑った僕は判断ミスをして、加賀さんを大破させてしまったのだ。
彼女自身、初めてのことですから仕方がないですと許してくれていたが、そのあとも僕は多くの失敗を犯してしまった。だから加賀さんに作戦は任せて、書類仕事だけやっている。そしてイジメから逃げるために、唯一心の安らぐ釣りをしている。
改めて考えてみると、僕は最低な人間だ。
「提督……? 大丈夫ですか?」
赤城さんが僕の顔を覗き込んできた。その頬には揚げ物のカスがついている。
「フフッ、大丈夫です。何でもないですから。ほっぺたにカスがついてますよ」
「えっ……ホントだ」
「慌てて食べるからですよ、赤城さん」
昼間はイジメられるけど、ほんの少しだけの幸せが感じられるこの時間があれば、僕は十分満ち足りていた。
「……提督。加賀さんのことなんですけど」
「どうかしたんですか?」
「いえ、たいしたことではないんですが……」
赤城さんは1匹丸々口の中に放り込んで、それをビールで流し込んでから続ける。
「最近悩んでることが多いんです。何に悩んでるかは言ってくれないんですけど……多分、提督のことですよ」
「……そう、ですか」
ビールの味が喉に染みる。お酒が飲めるようになってから二年ほどしか経っていないからか、まだこの味には少し対抗がある。ほろ苦く、そして体に入り込んでいくこの感覚に慣れていない。
少しずつでも、成長したいな。
心の中でそう言ったつもりだったが、どうやら洩れ出してしまっていたらしく、赤城さんが僕の背中を思いっきり叩いた。
「そうですよ! 提督! 少しずつでも、頑張ってみましょう」
「私たちも、出来る限りお支えしますから……」
鳳翔さんも、優しい笑みでそう言ってくれた。
「……分かりました。僕、頑張ります。いつか、みんなから認められるような提督に、なってみせます」
……僕は今まで自分に嘘をついてきたと思う。
ろくに努力もせず、少しやっただけでもう無理だと諦め、全てを投げ出していた。釣りは楽しかったから続いているだけだ。でも、このままじゃいけない。
変わらなければ、いけない。
みんなを見返すくらいの気持ちで、やってみせるさ。
僕の小さな胸に秘めた、ちょっとだけの勇気と決意に、僕らは飲みかけのビールで乾杯した。
僕のファイト*14が、こうして幕を開けた。