釣りバカ提督は今日も一人で。 作:匿名
にしても釣り行きたいですねー。筏釣りをメインとしているのですが、そろそろダンゴを作り始めてもいい頃合いかなぁ……。
鎮守府の外の暗闇の中。僕は静かに歩いていた。
赤城さんとの戦術の勉強は五時間以上続き、なんとかキリのいいところまで進めることができた。ただ、まだ十分というには程遠い。
鳳翔さんの気遣いのおかけで、これから食事は執務室まで運んでもらうことになった。彼女の仕事を増やすのは申し訳なかったが、ありがたいことだ。
僕は成長することを決意した。逃げる事はやめにしたのだ。ただ、釣りをやめる気は全くない。一つ勘違いしないで欲しいのは、過去の釣りと今の釣りでは意味が違う。過去の釣りはただ楽しみに逃げるためにしていた。魚と海と釣りとそれに関わる人たちに、申し訳がたたない理由だった。でも、今からは違う。今からするのは息抜きとしての、純粋な趣味としての釣りだ。言ってしまえば、前に進むための補給時間だ。むしろしなければ進めない。
……と、適当な理由を取ってつけてはいるが、本当は僕が釣りバカだからだ。死んでも釣りはやめられない。ある種の中毒症状みたいなものだ。
鎮守府からある程度歩くと、道路沿いの街灯はなくなり、真の闇が広がるようになる。ヘッドライト*1のスイッチをつけて、僕は道を進んだ。目的地はいつもの防波堤だ。
今日するのはタコの手釣り*2。仕掛けもシンプルで今回は釣り糸というより紐のようなものを使う*3ことにしている。ただし、先の方はしっかりとハリス*4をつけている。流石に紐だけでは釣りづらいからだ。
そしてこの仕掛けで一番大事なのは、最も先端についた"タコジグ"*5だ。バッグの中を見ると、ひらひらとした蛍光色の足がライトに反射しているのが分かった。
やはり、釣りのことを考えていると気分が良くなる。僕にとって釣りは睡眠と同じくらいなら大事だ。
足下を照らしながら歩いていくと、あっという間に防波堤までついた。今はほとんど役立っていない灯台が、黙々とその職務をまっとうしているところだった。
その光が黒い海の方向へ向いた瞬間、防波堤の先に何かの影が見えた。しかし、回転する光はすぐに動き、よく見えない。そしてもう一度光が回ってきたとき、今度ははっきりと姿を捉えることができた。
「……潮ちゃん?」
一瞬の光に照らされた小さな背中は、確かに鎮守府で見たことがあった。
なぜこんな時間に、こんなところにいるのだろうか。
彼女に近づこうと一歩進んだところで、僕は足を止めた。
鈴谷さんは潮ちゃんもイジメに加担していたと言っていた。もし、これもその類の何かだとしたら……。
なんとなく嫌な予感がした。ただ、放っておくわけにもいかない。ここで釣りをしたいし、もし何か特別な理由でここにいるなら、提督としてそれを知るべきだろう。
再び足を進め、彼女の数歩後ろまで近づく。足音とライトに気づいたのか、彼女はすぐに振り向いた。なぜかライトの光が、彼女の頬に反射する。
「ひゃあ! て、提督。な、なななんでここここんなところにいい……」
短い悲鳴を上げて、彼女は壊れたレコードのような声を出し始めた。
「いや、僕は釣りを……って危ない!」
「えっ? きゃっ……」
僕の姿に驚いたのか、潮ちゃんは後退りをしていた。その後ろには、海があるのにも関わらずだ。
足を滑らせた彼女の体がだんだんと横を向いていく。僕は咄嗟に地面を蹴って、手を伸ばした。なんとかギリギリのところで左腕を掴むことができたが、彼女の重心はもう完全に地面にない。引き寄せながら、もう片方の手を回り込ませるようにして彼女の背中に入れ込む。
……一瞬、背中に強い衝撃が走り、息が止まった。気づくと手の届きそうなところに星が見えた。そして腕の中には柔らかい何かがある。
「……あ、あの。こ、これは……」
「えっ、あ、ごめん」
思わずして抱きしめるような形で彼女を自分の上に寝かせていた。手を引き寄せるところで思い切り後ろに体重をかけたせいで、こうなってしまったようだ。ヘッドライトが彼女の白い肌と赤くなった頬を照らして……うん?
僕はふと潮ちゃんの頬が濡れていることに気づいた。……どうやら海水ではなさそうだ。
彼女は僕が手を離すとすぐに立ち上がった。僕もそれを追って立ち上がる。
「えっと、潮ちゃんなんでこんなところに……」
僕が彼女の方を向き直りそう聞くと、途端に彼女は腰を曲げた。
「ごめんなさい。すみません! 潮が悪いんです。許して欲しいなんて、とても……とても言えません……」
「ちょっと待って。どうしたの、急に。それになんでこんなところに……」
彼女は俯いたまま、目を合わせてくれない。やはり、静かというか大人しい印象を受ける。こんな子が到底イジメに加担しているとは思えなかった。
そのまま、灯台の光が三週するまで沈黙が続いた。そしてようやく、彼女は口を開く。
「昼間の、ことです」
それだけ言って、彼女はまた沈黙を表した。
昼間のこと……昼食のことだろうか。それ以外に心当たりはない。
「えっと、潮ちゃん。僕はとりあえず何も言わないから、もし良ければ詳しく話してくれるかな?」
僕の提案に潮ちゃんは困惑した顔を浮かべた。目をあちこち泳がせて、焦っている様子も見て取れる。僕は何も言わずに、ただ彼女の判断を待った。
また、灯台の光が数周して、彼女は覚悟をしたのか、一度頷いて僕の目を見た。その目は、赤く充血している。
「私、提督のご飯にあんなことするの手伝ってしまったんです。やっちゃダメだって、分かってたんです。でも……もしみんなのイジメの標的が自分に変わったら……そう思うと怖くて、やるしかなかったんです。悪いのは潮です。自分のことしか考えられずに、言われるままにしてしまった潮が悪いんです。
今までだってそうです。提督が何をされているのか分かっていながら、何もせずただ傍観していました。ぶたれているところを見ても、誰かが提督の道具にイタズラしていても、それを見て見ぬふりをしました。
やろうと思えば、自分を犠牲にしてでも少しはイジメを止められたはずなんです。それができなくても、声をかけることぐらいはできたはずなんです。でも、結局できなかった……。
潮がしたことといったら、できないのに提督に手を差し伸べようと、ここで海を見ながら決意することくらいです。
とても許してください、なんて言えません。もう解体してくれたって構いません。敵の的にしてくれてもいいです。提督が望むのなら何でも……」
胸に置かれた拳を、彼女はギュッと握った。目も強く閉じている。頬には光を反射する粒が、また流れ始めていた。
そっと、彼女の肩に手を置いた。一瞬小さく肩が跳ねて、それから怯えた様子で彼女は目を開く。僕は微笑んで、一番柔らかい声を生み出した。
「潮ちゃん。僕は怒ってないし、君のことを恨んでもいない。誰のことも、僕は恨まない。恨めない。もとを辿れば、全部が僕の因果応報だから」
「でも、私は……」
「いいんだ。誰だって、一人になるのは怖い。暗闇の中で、置き去りにされるほど、恐ろしいことはないから」
「……」
潮ちゃんは焦っているような、そんな目を見せた。おそらく、なんでこの人は怒らないの? と疑問に思っているのだろう。
「だって、昼間、鈴谷さんに追い詰められていた僕を助けてくれたのは君だし、他にもきっと裏では色々してくれていたんだよね? それに、僕はみんなのことを、僕が悪いだけで本当はいい子達だと思っているから……」
「……てい、とく」
「僕は大丈夫。それより、君がそう言ってくれるだけで嬉しかったよ」
その言葉が止めとなったのか、彼女は口をへの字に曲げて、そして崩れ落ちるようにその場にうずくまってしまった。ライトが照らした地面に、いくつか小さな水たまりができる。
「ありがとうございます。ごめんなさい。潮が、潮が……」
彼女は嗚咽を交えながらも、感謝と謝罪の言葉を交互にひたすら繰り返した。僕は大丈だからと諭しながら、その背中をさする。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった言葉を、彼女は必死に僕に伝えた。
自分が弱かったこと。何もできなかったこと。本当は、なんとかしたかったこと。
もしかしたら、こんなに簡単に許すのは綺麗事だと思われるかもしれない。ただ、たとえ綺麗事でもいい。彼女が自分の気持ちを正直に伝えてくれたことが、純粋に嬉しかった。
彼女に寄り添うような形でしゃがみ込んだとき、持っていたバッグからキラリと何かが光を反射していることに気付いた。そういえば……とここに来た目的を思い出す。少し考えてから、泣き続ける彼女に一つ提案をした。
突拍子もないが、正直それ以外にできることも少ない。僕なりの和解というか、友好の証というか、そんなつもりで。
「潮ちゃん。せっかくだし、よかったら一緒に、釣りしない?」
「…-えっと、これでいいんですか?」
「そうそう。そんな感じ」
満点の星の下で僕らは並んで立ち、僕は彼女がタコ釣りをする様子を見守っていた。意外と彼女の筋はよく、僕の指示をすらすらと実行してみせた。
「海底につけて、二、三回コツコツ叩いて……」
「何も変わらなかったらそのままもう一回やって、それでもダメだったら、 イガイ*6のあたりまで上げて、少ししゃくって*7みてね」
「はい、分かりました」
彼女は真剣な表情で手を動かしている。まだ頬は光を反射しているが、声から察するに、随分と落ち着いてきているようだ。
「……何も来ませんね」
「じゃあ横にずれて、もう一回」
夜の海は波の音だけが響いていて、とても居心地が良い。釣り抜きであっても来ていいくらいだ。つい、星と水平線が交わるところを見ながらぼーっとしていると、潮ちゃんが隣で声を上げた。
「わ! 重たくなりました!」
「お、来たね。思い切り上げてアワセ*8て、それから引っ張り上げちゃおう」
潮ちゃんは背伸びをしながら一度大きく腕を掲げて、そして仕掛けを引っ張った。白い手に紐の重みが食い込んでいるのが見える。
「うーん、意外と重たいですね……」
「頑張れ。もう少しだよ」
「ぐぬぬ……てい!」
一気に引っ張り上げると、黒い海面から赤黒い影が飛んできた。水を滴らせて影は大きく宙を舞う。そして見事に潮ちゃんの頭にそれは着地した。
「きゃあ! と、取って、取ってください! お願いします」
頭にへばりついたタコに慌てた彼女は、腕をぶんぶんと振りながらそう訴えた。目に、先ほどと意味は違うが涙を溜めている。
「ちょっと力入れて引っ張り過ぎだね……そら、こうやって」
光沢をもった足*9をクネクネと黒い髪に絡ませるタコと、それに対抗しようとしている潮ちゃん。まるで宇宙人に乗っ取られそうになっているみたいだ。吹き出しそうになったが、怒られることは目に見えていたので鼻で息を逃してなんとか堪えた。
さっとタコのエラに指を入れて持ち上げる。意外とずっしりと重みがあった。頭から足先まで三十センチほどの、堤防で釣れる平均的なサイズのタコだ。
釣り上げた潮はヌメヌメした粘液が付いた髪を気にしながらも、タコをマジマジと見ていた。何か疑問に思っているのだろうか。首を傾げている。
「……墨、吐かないんですか?」
「ああ、意外とタコって墨吐かないんだよね*10アオリイカとかは凄いけど……」
あまり生きたタコに触れる機会がない人には勘違いされがちだが、タコが釣り上げられた後、墨を吐くことは滅多にない*11。水をかけられることはあっても、汚れがつくことは少ないので、服装もそこまで気にしなくて済む。
「ちょっとグロテスクだけど、失礼して」
タコの頭の後ろ側から指を入れ、それを一気にまくり上げた。タコの頭の皮はくるりと入れ替えって、白い中身が姿を現す。
「きゃっ! な、何してるんですか……」
「こうするとタコは動けなくなるんだよ。これで内臓や墨袋も取っておくと、処理も楽だし……」
「そ、そうなんですか……」
頭が真っ白になって、元気のなくなったタコの内臓を折り畳みナイフで切り取って海に捨てた*12。それから小さめのクーラーに入れる。それは冷たい底に力なく、だらりと四肢……いや、八肢を投げ出していた。
「潮ちゃん、どうかな? 釣り、楽しい?」
「……そうですね。まだ始めたばっかりですけど、もっとやってみたいです!」
潮ちゃんはそう言って、またタコジグを海面に放り込んだ。どうやら気に入ってくれたらしい。
何はともあれ、艦娘の釣り仲間ができたし、提督としても一歩進めた気がする。
「あ、凄い! また重くなりました!」
潮が小さく跳ねながらこっちを向いた。なんとも可愛らしい仕草だ。僕に対する人見知りも、いつの間にか治っていたらしい。
暗い墨のような夜に浮かぶ彼女の笑顔は、灯台のように輝いて見えた。
タコはたこ焼きに限る……。