釣りバカ提督は今日も一人で。   作:匿名

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 釣りに行きたい作者は「ファミリーフィッシング」をまた一から始めましたとさ……。

 今回は釣り要素薄めです。若干の戦闘要素が入ってますので、何かおかしな点がありましたらご指摘をお願いします。その都度修正いたします。




七投目 囁く夜風

 体がうまく動かない。肺に空気を取り込めないし、出すこともできない。

 

 焦ってはいけないことは重々承知している。ただ、シャツに滲む汗は動揺の色を隠しきれていない。湿っぽい暑さが、シャツと一緒に体に纏わり付く。

 

「電、あれだけ言っただろう? 信用しちゃダメだって……」

 

 響ちゃんが足音を立てながら、そっと釣竿を手にした電ちゃんに歩み寄った。口を開けたまま、呆然としている彼女の手を掴む。

 

「悪いことは言わないさ。さあ、帰ろう」

 

 こちらに目もくれることなく、優しく手を引く。自分が透明になっているのではないかと錯覚するほど、僕を気にも留めず極々自然に。まるで社交ダンスの相手を誘うように。

 

 しかし、電ちゃんはその場に立って一歩も動かない。首を横に振りながら、小さく口を開く。

 

「……で、でも」

 

「"でも"何だい?」

 

 囁くような声に響ちゃんは噛み付いた。その目からは、どんなことを言われても反論できるという自信と余裕が垣間見える。

 

「て、提督さんはとても優しくて……一緒に居たいんです」

 

「ほう。それは面白いね」

 

 響ちゃんは手を離さず、顔だけをこちらに向けた。首筋が冷える。

 

「君、とっても優しいらしいね……じゃあ、電から離れてあげてよ」

 

「……どうしてかな?」

 

「どうしてって、それは悪影響だからだよ。この子はとても繊細で傷つきやすいんだ。もし何かあったら責任取れるのかい?」

 

 自分が正義だと言わんばかりに、響ちゃんは呆れた顔をしてフッと息を洩らした。

 

「本当に優しい人だったら、そうしてくれるはずだよ」

 

 皮肉っぽく微笑み、彼女は手をヒラヒラさせた。

 

 ……どうするべきか。

 

 思考を巡らせ、必死に考える。

 

 僕としては電ちゃんとも、そしてゆくゆくは響ちゃんとも仲良くしたい。でも彼女はどうだ。僕のことを完全に敵としてしか認識していない。今この状況で無理に電ちゃんを引き止めれば、ただえさえ深い彼女との溝が割れることは避けられない。でも電ちゃんはそれを望んではいないだろう。

 

 でも。ただ。しかし。

 

 ……一向に考えがまとまらない。釣竿を握る手が無意識のうちに強くなる。駄目だ。完全にあがっている。こんな状態じゃ思いつけることも思いつかない。

 

「……何も言わないってことは、了承してくれたってことでいいのかな?」

 

 一呼吸置きたいのに、響ちゃんの口撃はそれを許してはくれなかった。

 

 額から垂れた汗が目に入り、じんわりと滲みる。それでも瞬きすらできない。

 

 視界が揺らぎ始めて、頭が真っ白になってくる。吐き出せない息が胸を押し付ける。

 

 ……ふと、僕の背中に手が置かれた。

 

「提督は人を傷つけるような方ではありません。私が保証します!」

 

 隣を見ると、潮ちゃんが唇を強く結んで肩を上下させていた。背中から微かに震えが伝わってきたが、それはむしろ彼女の決意と勇気を際立たせていた。

 

「潮姉さん……何を言ってるんだい? そんなことどうして分かるって言うのさ?」

 

 響ちゃんは驚き半分、呆れ半分でため息を吐きながら言った。潮ちゃんは普段滅多に聞かないような、大きな声で答える。

 

「ここ一ヶ月。私は提督のことを近くで見てきました。一緒に釣りも行きましたし、ご飯も食べました。少なくとも"あなた"よりは提督のことを分かっています」

 

「へぇ、そう。でもそれは嘘かもしれないよ?」

 

「嘘なんかじゃありません。本当の優しさだと、私は身に染みて知っています。それに……提督は嘘がつけるほど器用じゃありません!」

 

 ……もうちょっと言い方がある気もするが、この際どうだっていい。彼女が手伝ってくれれば2対1。数的有利が取れる。もっとも、相手がその程度で怯まないことは分かりきっていることだが。

 

「まあ、それは言えてるかもしれないね」

 

「だったら……」

 

「でも、潮姉さん。人間っていうのは、本人にその気がなくても私たちを傷つけることがあるんだ」

 

 響ちゃんが首筋に手をかけ、その銀の髪をそっと救い上げた。潮ちゃんは何かを思い出したかのように息を呑む。

 

 薄暗い夜の中、小さなランプの光が細い首をそっと浮かび上がらせた。

 

「……っ!」

 

 僕は唾を飲むことも、声を上げることもできなかった。ただ呆然とした。

 

 ……彼女が救い上げた髪の向こう。白いうなじに、離れたところから見ても分かる大きな傷がついていた。相当時間が経っているように見えるが、肌は未だに赤黒い。

 

「論より証拠ってよく言うだろう? これがそれかな」

 

「……で、でも」

 

「知らないとは言わせないよ?」

 

 声のトーンも、表情も変わっていないのに、その一言には強い圧がかかっていた。隣から激しくなる呼吸の音が聞こえ始めた。

 

「潮ちゃん? どうし……」

 

「ごめんなさい、提督。わ、私にはもう……」

 

 潮ちゃんは俯き、小さく呟いた。背中に置かれた手は力なくずり落ちる。

 

 あの傷が何なのか分からない。ただ、それが響ちゃんの敵意の原因の大部分を占めているであろうことは、潮ちゃんの様子から明らかだ。

 

「それじゃあ、提督。電は貰っていくね。大丈夫、君の元には二度と行かないようにきつく言っておくからさ。これからの心配も何もいらないよ」

 

 彼女が一層強く手を引いた。電ちゃんはよろけて、半ば無理やり引っ張られていく。

 

「……ちょっと待ってくれ」

 

 僕はようやく一声出した。額を垂れる汗もそのままに、まっすぐと目を向ける。

 

 潮ちゃんが声を上げてくれたおかげで、一呼吸置くことができた。一つだけ、賭けを思いついた。

 

 僕の声に響ちゃんは足を止めて、ゆっくりとこちらに体を向ける。

 

「何かな? 正直、なるべく君とは話したくないんだけど」

 

「……電ちゃんの意見を、もう少し聞いてあげてくれないか?」

 

 他人任せ。酷いかもしれないが、それが思いついた唯一の賭けだった。これ以外には何もできる気がしなかった。僕が何を言おうが、彼女に響かないことは明白で、だったら誰の言葉が届くかと言えば、一番近い電ちゃんの声だろう。

 

 我ながら情けない。言い訳もできない。電ちゃんに頼るほかない自分の手腕を恥じる。僕には力がないから、他人に頼る以外にできることはまだ少ない。いくら戦術の勉強をしても補えない部分がそこにはある。

 

 ……人見知りな少女に、僕は一縷(いちる)の望みを賭けるしかない。

 

「……君、本当に司令官なのかい? 人任せって、ねぇ」

 

「僕らが言い合ったところで、どうにもならないはずだよ。これは電ちゃんの問題だ。彼女の意見を尊重すべきだ」

 

「そんな決まりきったこと、聞くまでもないさ。電も本当は君のことなんて信じてないよ。怖いから、雰囲気に流されているんだ」

 

「そんなことは……」

 

「私は生まれてからずっと、電のことを近くで見てきた。一緒に過ごしてきた。少なくとも"君ら"よりも、彼女のことを分かっているよ。ね、潮姉さん?」

 

 青い目が、僕の隣に立つ少女を捉える。彼女は微かに震えていた。

 

「さて、これ以上は時間の無駄だね。潮姉さんも一度しっかりと考え直し……」

 

「響ちゃん!」

 

 電ちゃんの声が響ちゃんを引き止めた。一瞬時が止まったような感覚に包まれた。予想外だったのか、響ちゃんは目をパチクリさせている。

 

「……提督さんの言う通り、私の話を聞いてくれませんか?」

 

 絞り出すように電ちゃんが声を出す。僕の言葉が引き金となったのか、それとも無理をさせる重りになってしまったのか。どちらともとれるような話し方だった。

 

 ただ彼女がどうにかしてくれようとしていることだけは確かだ。ここは任せるしかない。

 

「電? 一体何を……」

 

「私は提督さんと……色んな"人"達と仲良くしたいのです!」

 

 空気を切り裂くような電ちゃんの言葉が辺りを揺らした。途端に響ちゃんの目の色が変わる。

 

 彼女は掴んでいた手を離し、勢いよく電ちゃんの胸ぐらを引き寄せた。

 

「電! 人間がどんな生き物か忘れたのか?!」

 

 鼻が当たりそうな距離で、彼女は捲し立てた。電ちゃんはそれに対して激しく首を横に振る。

 

「忘れてないです! "あの人"がしてくれたこと、私たちにくれたもの、一緒に過ごした楽しかった時間。全部、忘れてないです!」

 

「確かにあの人はそうかもしれない。でもあの人も結局は人間で……」

 

「響ちゃんこそ忘れちゃったんじゃないですか! 優しくて、元気で、いつも頼れる私のお姉ちゃんは何処へ行ってしまったんですか!」

 

 電ちゃんの目元が、ランプの光を反射して光る。彼女は小さく震えながら、響ちゃんの肩を掴み揺さぶる。

 

「響ちゃん、目を覚ましてください。また一緒に……」

 

「目を覚ますのは君の方だよ、電。いい加減、幻想は捨てるんだ。あれは全部夢だったんだよ。悪い悪い夢だったんだ」

 

「そんなこと……」

 

「あるんだよ、そんなこと。今から人間が優しくしてくれたとして、私の傷痕は治るのかい? 感じた痛みはなくなるのかい?」

 

 響ちゃんは胸ぐらから手を離した。そして穏やかな表情を見せる。まるで自分が冷静であるかのように装っている。色のない目から、そんな状態ではないことは明白だと言うのに。

 

 彼女はゆっくりと電ちゃんへと近づく。

 

「ねぇ、電。"あの人"は私たちに確かに幸福をくれたかもしれない。でも、それは絶望に落とすための餌だったんだよ。彼女は悪くないかもしれない。私たちはまんまと"人間"の作った罠に引っかかった……」

 

 パシンッ。

 

 闇夜に一つ、甲高い音が響いた。一瞬、何が起こったか僕にも分からなかった。

 

「……私の好きな響ちゃんはそんなこと言いません!」.

 

 ふと気づいた時には、頬を抑える響ちゃんと、振り向きもせずに走り去る電ちゃんがいた。

 

 慌てて潮ちゃんが電ちゃんの後を追いかけて行き、僕は呆然としたままそこに佇むことしかできずにいた。

 

「……電。どうして、どうして……人間なんかのことを……」

 

 響ちゃんがうずくまり、嗚咽を洩らし始めてようやく、僕は動くことができた。

 

 と言っても何をすればいいかも分からず、ただ響ちゃんの背中を撫でることしかできなかったのだが。

 

 あんなに僕を睨んでいた彼女の背中はとても小さく、か弱かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは独り言だよ。ただ風に聞いてもらっているだけさ」

 

 響ちゃんは河原のへりに腰掛けて、しゃがれ声でそう言った。目には未だに煌めきが残っている。

 

 僕は何も言わずに、彼女の独り言(かぜ)に耳を済ませることにした。

 

「数年前のこと。私が前にいた鎮守府の提督は変人だったんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 あの鎮守府はなんというか、いい意味でおかしかったよ。艦娘と提督の距離がとても近かったんだ。私と電は毎朝提督に寝癖を治してもらっていたし、一緒にお風呂に入ってた。

 

 ……あ、もちろん提督は女性だよ。そうだね、今いる鎮守府の〈提督〉より2、3歳上の歳だと思う。明るくて、カッコいい人だった。

 

 その提督、名前はアカネさんって言うんだけど、自分のやりたいことはなんでもやる人だった。

 

 空母を見て弓道をやってみたり、漫画を描いている子を見て自分も描いてみたり。本当になんでも。

 

 彼女も鎮守府(ここ)の〈提督〉によく似た思想を持っていて、艦娘だからと言わずに、私たちと友達のように、時に自分の子供のように、尊敬すべき偉人のように接してくれた。幸せだった、本当に。あの日々はその一言に尽きるよ。

 

 ……彼女について語り尽くすには、ちょっと時間がないから、またの機会にしようか。

 

 それで、私達はもちろん艦娘だから、戦わないといけなかった。アカネさんは私達が戦うことが好きではなかったけど、平和のために、みんなのために、そして自分とその艦娘(家族)のためにって言い聞かせて、指揮を執っていた。

 

 彼女の目標はいつも『平和』にあった。

 

 私達が"普通の幸せ"を手に入れられるようにってのも、大きな理由だと言っていたよ。そのこともあってか、彼女は常に昇進を求めていた。上に行って、もっと色んな艦娘達(友達や家族)を作って、みんなで楽しくできる世界にしたい。そんな想いがひしひしと伝わってきたよ。

 

 それで、ある時。大規模な作戦に参加することになってね。上手くやれば昇進にも近づく、もしかするとすぐに昇進ってのもありえるくらいのものだった。

 

 その作戦内容なんだけど、敵主力部隊の殲滅が目的だった。

 

『目撃、戦闘事例が相次いだ敵のエリート空母とその取り巻きを叩く』

 

 この作戦は四部隊合同でね。本部の精鋭遊撃部隊の協力もあった。

 

 作戦内容はこう。私達が先鋒部隊となって、敵艦を捕捉した地点へと向かう。この時、他部隊は近くの離島の陰で待機。

 

 先鋒部隊は敵艦と数分間交戦。艤装のトラブルで戦闘続行が困難となり撤退……っていうシナリオの演技をする。弱った獲物が慌てて逃げていくんだ。追いたくなるのが生き物の性さ。

 

 連絡系統が麻痺したかのように見せかけて、チリヂリに逃げる。そうすれば敵艦も分かれて追ってくると踏んだんだ。あえて敵艦の方が数的有利を取れるように人数を調整したからね。向こうに分かれる躊躇を与えないようにしたんだ。

 

 そしてその後離島で待機している他部隊の元へと逃げていき、そこで二次戦闘開始。島の影からの奇襲での動揺、そして数的有利を取り返した私達が敵艦を撃沈。そういう流れだった。

 

 簡単に言えば誘導作戦だね。先鋒部隊には機動力が必要になるから、私や電みたいな駆逐艦がメインの部隊になった。流石にオンリーだと怪しまれるから、いくらかそれ以外も交ざったけど。

 

 作戦は慎重に計画され、不測の事態に備えていくつものプランを用意された。*1正直、失敗する気がしなかった。それくらいに綿密な計画だったんだ。

 

 迎えた作戦当日。

 

 私達が行こうとした時、アカネさんに呼び止められた。彼女は一人一人を鼓舞するために、声をかけてお守りを渡した。

 

 私には、なんていうんだっけ? ルアー?*2 だったかな。釣り道具の魚の模型みたいなのをくれたんだ。

 

 風さん(提督)なら分かると思うけど、ルアーって色んな種類があるらしくてね。デザイン重視の、ふざけているんじゃないかって思われるようなものもあるでしょ?*3

 

 私がもらったのはその仲間みたいなもので、真っ白な体に青いビーズの目が埋め込まれた、綺麗なものだった。本来針があるところにチェーンが通っていて、首にかけられるようになっていたよ。

 

 ……嬉しかったなぁ。アカネさん、釣りも始めようとしてて、その時に見つけたらしいんだ。

 

『響ちゃんみたいで可愛いから買っちゃった」って。

 

『無事に帰ってこられるように願いを込めてあるから、安心して自分のできることをしてね』って。

 

 あの時、電は確かヒマワリの髪留めをもらっていた筈だけど……最近見てないね。

 

 それで、作戦は始まった。

 

 私達先鋒部隊は指示通り、敵艦が確認されている海域に向かって、簡単にそれを捕捉することができたよ。

 

 そして戦闘(のふり)開始。一緒にいた島風ちゃんの名演技もあって、敵の誘導は簡単に始まったよ。

 

 私は電と龍田さんと一緒に誘導を始めた。

 

 確か駆逐艦3隻と空母ヲ級が私たちの後を追って来ていた。そこまでは想定内だった。でも、途端に作戦は崩れた。

 

 奴ら、全部分かってたんだ。私達が誘導しきるまでに全力で仕留めに来た。具体的にいうと、駆逐艦が途中で私達の航路を読んで先回りして、逆に挟撃にあったんだ。あの読み方は待機部隊が何処にいるか見当がついてないとできない動きだった。激しい戦闘が起こったよ。こちとらせいぜい駆逐艦二隻と軽巡一隻。制空権を取る取らないの話じゃないさ。圧倒的に不利な状況で戦わなければならなかった。

 

 ……途中で龍田さんが私達を先に行かせるために、止まって真っ向勝負をしかけた。もちろん、結果は分かっていたさ。彼女は、轟沈こそしなかったけど右手と左目を失った。

 

『天龍ちゃんとお揃いの眼帯ね』なんて言って気にしてないようなそぶりを見せていたけど、人のいないところでずっと泣いてたことに気づかないほど私は鈍臭くないよ……。

 

 一方私達だけど、龍田さんと別れた後、すぐに敵艦に追いつかれた。合流地点まであと少しってところだったんだ。

 

 もう駄目だと思ったけど、せめて電だけは助けたかった。どこかのドラマみたいに、敵艦の前に立ちはだかったよ。

 

 ……ご察しの通り、この傷はその時のものさ。傷が深すぎて、入渠では治らないんだ。ずっと、私に付き纏うんだ。

 

 こんなこと言うのはいけないことだと思うけど、龍田さんのことを見ると私はラッキーだったんだなって。

 

 これまでの話を聞いて、作戦は失敗したってことが分かるだろ?

 

 ……なんてね。実は作戦は成功したんだ。

 

 何故かって? 結論から言えば、全部計画通りだったんだ。

 

 本部の作戦立案者達は、深海棲艦がこの程度の作戦を読めないほど馬鹿じゃないことまで見越して、この計画を立てた。

 

 "私たちにうわべだけの誘導作戦を伝え、その誘導時に敵艦を消耗させる。そして消耗させた敵を仮初の合流地点から出て一気に叩く"

 

 最初からそういう作戦だったんだ。私達は囮だったんだよ。

 

 奇襲は島の陰からだと思い込んでいた深海棲艦達は、動揺のままに撃沈された。

 

 ……さて、ここで一つ疑問が浮かぶよね。

 

 あの人は、アカネさんはこれを知っていたのか。

 

 ……はっきり分からないけど、知っていたと思うよ。

 

 あの作戦の後、彼女のことを私は見ていない。すぐさま本部勤めに昇進したんだ。彼女からの直接の指示はほとんどなかったけど、先鋒部隊は予想以上の被害を受けていた。それはその艦隊を創り上げた提督に責任があるはずなのに、彼女は何故か昇進した。

 

 答えは簡単。本部に昇進を餌に釣られたのさ。きっとね。

 

 彼女は昇進を望んでいた。それは私達のためだったはずなのに、天秤では昇進の方が重かったらしいね。

 

 ……裏切られた気分だったよ。

 

 でもね。お守りをくれた時の彼女の言葉と笑顔がどうしても頭から離れないんだ。

 

 本当にあの人は昇進のために私達を犠牲にしたのか。何か裏があったんじゃないか。

 

 その真実は未だ分からない。

 

 一つだけ言えるのは、私はまだ彼女を信じている。

 

 彼女という"存在"をね。そして同時に、人間という"存在"を信じないことにした。

 

 ……矛盾してるだろう? でもこれが今の私なんだ。

 

 もしアカネさんが人間という生き物じゃなければ。彼女も艦娘だったら……例え深海棲艦であっても、きっともっと仲良くなれて、別の未来があったんだろうって思うことにしたんだ。

 

 今の〈提督〉に睨みをきかせてしまうのは、そのせいだよ。人間が嫌いで、怖いんだ。

 

 この人間も私を裏切ろうとしてるんだ。人間だからみんな裏切るんだって思うんだ。だから彼女が裏切ったことも自然なことなんだって、そういうことにしているんだ。

 

 結局全部私の我儘なんだ……」

 

 

 

 

 

 

 響ちゃんはこちらを見た。僕の見たことのない、優しい微笑みを浮かべて。底の知れない悲しみをたたえて。

 

「ねぇ、風さん(提督)。私はどうすればいい? どうして欲しい? いなくなって欲しいなら、私はそうする。慰めて欲しいなら、私はそうするよ」

 

「……」

 

 僕は、何を言えばいいか分からなかった。

 

 どうして欲しいかなんて、何もない。ただ僕は仲良くしたい。でも、ここでそれを言うのは本当の意味での救いにはならないだろう。

 

 彼女の目が僕を見つめる。真っ直ぐと、歪みのなく。僕が今までに見た誰よりも、救いを求めている目だった。

 

 ……だからだろうか。気づいた時には僕は言葉を口に出していた。

 

「自分を信じて欲しい」

 

「……えっ?」

 

「君には、自分をまず信じて欲しい。

 

 誰かを信じると言うことは、まずその人を信じる自分を信じるってことだと思うんだ。君には自信を持って欲しい。"その人"を信じることも、〈提督〉を信じることもしなくていい。まずは自分を信じるんだ」

 

 僕は風らしく、そっと囁く。

 

「そしたら、きっと本当に信じるってことができると思うんだ」

 

「本当に、信じる?」

 

「ああ。信じるって言うのは、一方的に誰かを信用することじゃない。互いに道を踏み外そうになった時に正し合う、双方向の関係だよ。アカネさんが道を踏み外したと思うなら、君が正してやればいい。時には一緒に道を踏み外したっていい。

 

 君の力で彼女を人間じゃなくしてあげよう。必ず裏切る、人間っていう型から外してあげればいい。僕はそうしてみて欲しいね」

 

 微笑んだ僕に対して、響ちゃんは俯いた。彼女の膝に、水滴でいくつか染みができる。しかし、僅かに見える彼女の口角は上がっていた。

 

「……ははは。そう、だね。それだけのことだったんだね。信じるっていうことを、よく理解していなかったみたいだ。あー、私、何してたんだか」

 

 響ちゃんは大笑いした。涙を目に溜めたまま、こぼさないように空を見つめて。

 

「風さん……ありがとう。私、色々と分かったよ」

 

「それはよかったよ」

 

「せっかくだし、そうだな。〈提督〉のこともとりあえず"人間"じゃなく〈提督〉としてみることにしようかな。評価をゼロに戻して、これからの活躍を見て決めることにするよ」

 

 響ちゃんは立ち上がり、スカートについた砂を払った。そして大きく一礼して、風に向かいお礼を叫んだ。

 

 風は去っていった。

 

 〈提督〉ぼくが立ち上がろうとすると、彼女は手を差し伸べてきた。

 

「……努力の姿勢から、今はプラスかな」

 

「なんの話だい?」

 

「さぁね」

 

 響ちゃんの細い手に引かれて、僕は立ち上がる。彼女の華奢な手には、想像もできない力が宿っているように感じた。

 

「電と仲直り……できるかな?」

 

「きっとね」

 

 通り過ぎていった風が彼女に何をもたらしたか。それは分からないが、やっぱりそろそろ風も少しは自信を持ってもいいのかもしれない。

 

 電ちゃんが去った方へ駆け出した背中と、揺れる髪に見え隠れする傷を眺めながら、僕は道具を片付けて始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……で、結局どうなったんだい? それ』

 

「今日、二人が一緒に執務室に来てくれた。響ちゃんはルアーをぶら下げて、電ちゃんはひまわりの髪留めをつけて。二人とも可愛らしかったよ」

 

『そいつはよかったな』

 

 電話口から聞こえる笑い声。豪快に笑う彼の姿が、それだけでも目に浮かんだ。

 

「それで、笹原にお願いがあるんだけど……」

 

『おう、大体分かったぞ……"アカネさん"のことだな?」

 

 彼は肉体派に見えて、実は非常に頭もいい。察しがいいことからもそれが窺えるだろう。

 

 本部とは彼も関わりが決して深いわけではない。でも、彼の方が交友関係が広いのは明らかで、頼れる人は彼くらいしか思いつかなかった。なんでもかんでも頼るのは駄目だと思うが、どうしようもないことならそうするしかない。

 

「うん。とりあえず探してほしい。どんな状況なのかまで知りたいけど……難しいかな?」

 

『うーん。何とも言えないな……できる限りはするから待っていてくれ』

 

「ありがとう。今度お礼するよ」

 

『おっ、何してくれるんだ?』

 

「ラーメン奢るよ。いい店を聞いたんだ」

 

 ちょうど昨日赤城さんに聞いた店がある。彼女の舌は十分信用にたるものだということはもう分かっている。お礼にもなるだろうし、僕も行ってみたい。

 

「『三八』っていうんだけど、美味しいらしいよ」

 

『ん? 『三八』?』

 

 反応を見る限り、彼も知っているようだ。でもまあ、それはそれで知っている店のメニューだから安心して奢りに行くことが……。

 

『あそこ、確か半年前から店主が癌治療のために店閉めてたはず……というか、あそこの店員にオレのダチがいるんだが、退院したけど復帰は来月になるって言ってたぞ?』

 

「えっ」

 

 ……赤城さんは"最近"の休みのことを聞かれて、あの店の名前を出した。少なくとも半年も前に行った店の名前が出てくるというのはおかしくないか? 

 

 今思うと、あの時彼女は少し動揺していたような気もする。もし店に行っていないとするなら彼女は何を?

 

『……おい? どした。大丈夫か』

 

「……あ、ああ、大丈夫」

 

 彼の言葉で飛んでいきかけた思考が戻る。

 

 きっと赤城さんのことだ。印象の残った店が咄嗟に出てきてしまったのだろう。

 

 心配もいらないはずだ。

 

 ふと海の声が聞こえて窓の外を見ると、遠くから積乱雲が登っていくのが見えた。不穏な気配が漂う空色に、僕の心は何故か揺れていた。

*1
誘導の初期段階で失敗した際、待機部隊を含めて四方からの挟撃を狙うことになっていたり、最悪の場合の逃走ルートも用意していたよ。

*2
魚を釣り上げる道具の一つで、魚の模型のような形をしている。基本的に小魚を食べるような大型の魚を釣るのに使われて、色んな種類があるらしいよ。

*3
例えば、空き缶のカラーリングがされたもの。メタリックに装飾された特撮映画風のものが実際にあるよ。




 追記 
 ちょっとした編集の事故がありまして、一瞬途中から切れていました……申し訳ありませんでしたm(_ _)m
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