究極のJKドリフト   作:肉ぶっかけわかめうどん

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雨中の行進

 妙義の山に降る雨は一向に弱まる様子が無い。

 道路を挟み濡れるのも構わず一堂に会する両陣営がそれぞれ話し合う内容はどちらもこの雨の事だった。

 

「……」

 

 慎吾を取り囲むように集まったナイトキッズの面々は、みな何も言わず、言えずにいた。しかし口に出さずとも何を言いたいかは慎吾には伝わっていた。

 

 この雨の中を本当に走る気か。

 

 ナイトキッズの面々は口と性格は悪くとも腕のある者は多い。層の厚さでは流石に敵わないものの、こちらの上位陣は赤城の一軍連中とも十分に戦えると慎吾と中里は信じている。そして、車を思いのままにコーナーで振り回せる腕があるからこそ、この雨に怖気ついている。

 

「慎吾」

 

 ナイトキッズの面々の輪を割って、中里が声を上げた。皆慌てて中里が前に出られるよう道を開ける。

 

「やる気か?」

「当たり前だろ」

 

 慎吾は即答だった。この即答に周囲の輪からはどよめきが漏れた。

 

「オレも、この雨が怖くないなんてことはねぇ。だけどよ、よく考えると別に今が悪い状況って訳でもねぇんだよ」

 

 一般に、ラリーではFFはFRより有利とされることが多い。路面が悪い状況ならば、駆動輪側が重い方が良いからだ。慎吾の愛車、シビックEG-6はFF車であり、高橋啓介のそれはFR車だ。

 またFDはハイパワーかつコーナー重視のマシンだ。すなわちそれだけ滑りやすい。

 さらにこの雨で視界が非常に悪化している。つまりコースへの熟練度の重要性が一段と高まった。

 

「条件は同じ……どころか、むしろこの天気はオレに有利だとも言える。なら、こっちに退く理由はなくなる。こんな好条件で迎えうてるなんて機会もう来ないだろうしな。やるしかねぇ」

 

 慎吾の覚悟に、それを聞いていた一同が思わず息をのむ。

 

「そうか手ごわいぜ、高橋啓介は」

「そりゃお前が負けるぐらいだからな。でも、オレだって……」

「下りならぜってー負けねぇ、か?」

「横取りしてんじゃねぇよ。けっ」

 

 慎吾は中里を睨みつけて舌打ちを一つ打った。そのまま中里の隣を通り抜けて愛車へと歩いていく。

 

「頼むぞ、後はお前だけなんだ」

 

 中里は去っていく背中に向けて小さく呟いた。

 

 

 

 一方、高橋涼介を輪の中心に置く赤城側では、涼介が史浩に詰め寄られていた。

 

「どうするんだ、涼介?」

「どうするってもな……」

 

 不安そうに空を見上げる史浩からの心配の声を受けて、涼介は道路の端を見た。そこには飲み物片手に車の中で足を休める啓介がいる。外に出ると靴底が濡れてしまうから休憩も車内で行うのだ。

 

「啓介はやる気のようだし、それを無理に止めるのもな」

「大丈夫なのか?」

「不安要素が無くはない」

「不安だって?」

 

 史浩は驚いた。いつも冷静沈着、かつ寡黙に計画を立てる男がはっきり不安と口にするのは珍しい。

 

「こういう、環境が悪い中での戦いについてはまだ教えてないんだ」

「お、おい」

 

 啓介の転機となった秋名の戦いから約一か月。もちろん涼介としては己の全てを叩きこむ気概でいたのだが、時間が無さ過ぎてさすがに基本以外には手が回っていなかった。

 

「一か月で可能な限りは詰め込んだし、ナイトキッズと渡り合うには不足は無かったはずなんだが、この雨は予想外だったな」

「それってヤバいんじゃ……」

「まあ、車を動かす基本たるペダルワークは固まりつつあるし、啓介の対応力なら行けるだろうとは思っている。それに、雨そのものは悪いものでもない」

 

 涼介は傘の下から手の平を出した。白い手の平に水滴が垂れ、手とシャツの袖がたちまち濡れ鼠と化す。

 

「こんな雨の中で赤城を走った経験はあるか?」

「いや、小雨ぐらいならともかくこれはさすがに……」

「そうだろう。道が平坦で綺麗なサーキットですら、ドライとウェットでは大違いだ。公道でのウェットに至っては完全に別物レベル。つまり」

「……コースへの熟練度が、実質ゼロ?」

「そうだ。オレ達にとっても、そして向こうにとっても初めて走るコースという事になる。挑戦者側であるにもかかわらず完全に対等な条件での対決になるんだ。これはこれで悪くない」

 

 後は啓介の腕を信じるのみ。そう言うと、涼介は話を打ち切った。

 

 

 

 

 口数少なく見守るギャラリー達の視線に包まれて、バトルが開始される。雨音でカウントダウンが聞きとりづらいため、声ではなく手の動きを誰もが注視していた。

 

「GO!」

 

 振り下ろされた瞬間に、二台が動き出した。

 濡れた路面、濡れたタイヤ。濡れた靴底とペダル。何もかもが滑りやすくなっている状態ではいつものようなロケットスタートなど出来ようハズもない。これが本当にバトルの開幕の瞬間なのかと思わず耳を疑うほど静かで滑らかなスタートだった。

 しかし一度ゴムが路面を捉えさえすればそこからは大きく加速できる。探るようなペダルワークでエンジンを唸らせ、闇夜の中でも目立つ赤と黄色が第一コーナー目掛け駆ける。

 

 慎吾はアクセルを踏み足しながら、ちらりと助手席の外を見た。窓一枚隔てた先にいるFDの中のあの野郎と目が合ったような気がした。

 バトルが始まってまず最初に行われるものはポジション争いだ。第一コーナーへのアプローチの瞬間に、どちらが逃げてどちらが追うかの勝負となるかが決まる。

 秋名のように第一コーナーまでが長いか、あるいは上りでの四駆のように両車の加速性能に余程の差が無い限り、ここではイン側にその決定権がある。即ち慎吾が譲るかどうかだ。

 

 そして慎吾はここで譲る気など毛頭無かった。

 

(この状況なら先行一択だろ。前に合わせて走るなんてできるか!)

 

 後追いはどうしても先行車にある程度合わせる必要がある。前が減速しているのにこちらが減速しなければどうなるかは火を見るよりも明らかだ。かわして抜けるなら良いが、逃げ道が無い状況でそうなったらどうする。例えば、前を行くFDが操作を誤って制御不能な状態にでもなったら?

 

(ダブルクラッシュだなんて笑えない結末だぜ)

 

 こんな状況でのアタックに不安は山ほどある。まずは前に出て、落ち着いて自分の走りができるようにすべきだ。

 他の事を考える必要はない。EG-6は優秀なマシンだ。乾いた路面や平坦な場所ではFDには及ぶまいが、このずぶ濡れの下り勾配という戦場では間違いなく優位に立てる。ここにドライバーの地の利まで加わるのだ。

 ミスさえしなければ勝てる。そう思えば不安も幾分和らいだ。

 

 

 

 啓介は走るシビックの後ろ姿に思わず口笛を吹いた。

 後追いを選んだことに特に理由は無い。ただ向こうが先に行きたそうなので好きにさせただけの結果だった。ついでに観察もしてやろうとコーナーを二つ、三つと抜ける姿を目で追っていたが、相手は啓介の予想を良い方向に裏切るものだった。

 チームの二番手という事で無意識に中里より下に見てしまっていたが、それは間違いだったようだ。

 

 コーナーの途中でブレーキの作動を示す赤い光が明滅している。左足ブレーキで荷重を抜いているのだ。右手のステア、右足のスロットル、左手のサイドブレーキに左足のブレーキ。四肢全てがそれぞれ繊細かつ丁寧な仕事をしている。純粋に技量だけで比べるなら中里よりこいつの方が上手いまであるかもしれない。

 

 啓介は与り知らぬ事であるが、慎吾の武器は右手をステアに固定して戦うガムテープデスマッチを通して培った制御である。車を思い通りの方向に進ませる手綱捌きは高橋涼介や藤原拓海といった超一級と比べれば見劣りはすれど、そこらの峠の走り屋など歯牙にもかけぬ水準に達していた。

 下り限定とはいえ、圧倒的なパワーを誇る中里のGTRと真っ向から張り合えていたのは伊達ではないのである。余計な事せず普通に戦った方が多分強い。中里は常々そう思っていたりする。

 

(ただちょーっとビビり過ぎじゃねぇか?)

 

 自分の足元の感触からすればもうひと踏みぐらいはできそうだが、このシビックはそれをしてこない。この雨に恐れをなしているのかもしれない。

 

 ここを越えれば下りに入る。下りに入ってすぐに仕掛けてみよう。

 

 

 

 ある者は傘を差し、またある者は木陰に身を寄せ、またまたある者は諦めて濡れるがまま下りの時を待つギャラリー達に混じって、拓海とイツキは一つ傘の下で静かに耳をそばだてていた。雨の音に紛れて走行音が聞こえ始めたような気がするのだ。

 

「来たかな?」

「……多分、下りに入ったぐらいじゃないかな」

 

 近くのギャラリー達も気付き始めたようで、話声が一斉に身をひそめ、視線が山上に向いているのが分かる。

 

「……来たぞ!」

 

 雨音に負けぬような大声で誰かが叫んだ。それと同時にヘッドライトの光が目に入る。イツキはマシンが目の前にあるその僅かな時を逃すまいと目を凝らす。

 

「シビックが前!」

 

 視界を狭める傘から身を乗り出し、イツキは迫る赤いシビックを、そしてその後方にピタリと張り付くFDをしかと見る。

 中の野郎は気に入らないが、車はやはり格好良い。中の野郎はとっても気に入らないが。やはりこの下りだけはレッドサンズに勝ってもらいたいものである。

 

(行けー、ぶち抜いてやれーっ!)

 

 そんなイツキの心の声が通じたのか、イツキの目の前でFDが動いた。インベタのラインを取るシビックに対し、FDが大きく外に出て仕掛けに行ったのだ。路面の凹みにたまった水が激しく吹き上がり、路肩のギャラリー達に降りかかった。

 

「うおーっ!?」

 

 まさかその瞬間が目の前で見られるのか。願ってみるものである。かつて敵であった事は一旦忘れて全力で声援を送る事にした。しかしその時、落ち着いた、どこか冷酷に聞こえるような声がイツキの耳を打った。

 

「……あ、無理」

 

 隣に立つ声の主にその意味を尋ねるより先に、周囲から悲鳴に似た絶叫が上がった。

 

 

 

 外から仕掛けてやろうと軽い気持ちでアウト側に出た一秒前の判断を、啓介は今激しく後悔していた。

 全身の毛穴が一斉に開き、氷のような冷や汗が激しくそこから溢れ出してくる。

 外に出た瞬間、タイヤが路面の凹みに乗った感触があった。それだけなら何の問題も無いはずだった。しかし一瞬とはいえ四つのタイヤに掛かる荷重のバランスが狂った事が予想をはるかに上回る事態を引き起こしつつある。

 ただほんの少し、ラインが外にズレただけのはずだった。普段であれば意識するまでもなく手足が自動に修正するであろう。しかし、FDは今も啓介の意思に反して外に膨らみ続けている。

 

 啓介は今日にいたるまでの特訓期間中に兄から教わった一節を思い出していた。

 

『雨の日は晴れた日とは別の走行ラインが必要になる。センターラインより向こうは逆バンクで使えないものと思え』

 

(アニキが言ってたのはこう言う事か……ちょっとはみ出しただけじゃねぇか!)

 

 話に聞くと実際に体験するとでは大違いだ。分かったつもりで分かっていなかった。コーナー中にわざと外に出るというのは一人だけの練習走行ではまず描かない、バトル時にしか使わないラインである。涼介であれば使わなかったか、あるいは最初から計算に入れておくかしただろう。知識や技量とはまた違う、経験の違いがここに出たか。また兄からの課題が増える事だけは間違いない。

 

(止まれ、止まれ……!)

 

 課題は今は横に置いておく。後の事は後で悩めば良い。今はとにかくFDのコースアウトを防がねばならない。

 慎重に手足を動かし、タイヤに逃げた荷重を乗せ直す。無理せずガードレールの限界まで膨らみ余計な力を逃がす。こういう時は焦らず耐えるのが大事だ。

 

(よーし……)

 

 タイヤの手ごたえが回復してきた。

 

(今だ、登れFD!)

 

 駆動力を路面に伝える。これ以上流れさえしなければ何とか保つだろう。逆バンクの斜面に逆らうようロータリーに鞭を入れれば、FDは主の意思通りしっかりと食らい付いてくれた。

 

 なんとか一息ついた啓介であったが、その顔は晴れない。今の失敗によって発覚したより大きな問題が立ちはだかっているからだ。

 

(センターラインより向こうには出られない。じゃあ、どうすりゃ良い?)

 

 センターラインより向こうは使えない。つまり道路の半分は無いものとして扱わねばならない。ただでさえ狭い峠道がさらに半分になっている。車3台どころか2台並べるかも怪しい。この道幅の中で啓介は目の前のシビックを追い抜かなくてはならないのだ。

 これで相手が下手なヤツならさしたる問題ではなかった。コーナーへの理想的な進入に失敗して膨らんだところで内から差してやるだけだ。しかしこのシビックにそういう期待はあまりできそうにない。姿勢制御に長けた相手が徹底してインに居座り『抜かせない走り』に徹している。

 

 思ったよりも厳しいバトルになりそうだ。啓介はやや距離の開いたシビックを目を細めて睨みつけた。

 

 

 

 FDが再びセンターラインの内側まで戻ってこれたのを見たギャラリー達が一斉に安堵の息を吐き、次いで急なアクシデントから見事に立て直して見せた技巧に称賛の声を上げる。

 

「……今何が起きたの?」

 

 イツキは隣の拓海に解説を求めた。イツキの目には突然FDが滑り出し、そして復帰したとしか映らなかった。滑っているのは分かるが、どうしてそうなったのかが分からないのだ。

 

「道路って、実は真っすぐじゃなくて左右に少し傾いてるんだよね。こういう雨の日にセンターラインをまたぐような動きをすると、ああいう風に外に飛んでいきそうになる事があるんだよ」

「へー」

「でも今の立て直しは良かった。やっぱり秋名の時よりずっと上手くなってるや」

 

 道路って傾いてるんだ。排水の都合とかそんな感じだろうか。法定速度なら気にならない程度のものでも、限界まで攻めてる状態だと問題になったりするらしい。

 

「なる事がある、って事は拓海ちゃんもあんな感じになったりした経験がある?」

「車乗り出した最初の頃とか。下手なくせに早く帰ろうと無理に飛ばして事故りそうになったことが何回もあるよ。あの頃は失敗ばっかりしてたっけ」

 

 とにかく上手いイメージしかない彼女にもへたっぴでミスばかりしていた初心者な頃があったらしい。考えてみれば当たり前のことであるが、正直今の彼女からは想像ができない。

 

「だからイツキも練習してれば上手くなれるよ。失敗しても何度もやってれば、きっと」

「う、うん……オレ、もっと頑張るよ」

 

 イツキはぐっとこぶしを握り締めた。今は足元にも及ばずとも、いつか後ろをついて行けるぐらいにはなってみたいものだ。

 

 

 ここにイツキよりも知識や経験が豊富な者、例えば沙雪あたりがいて彼女の言葉を聞いていたら思うだろう。普通の人は失敗などしない、と。

 並のドライバーが峠での限界アタック中にミスをすれば事故は免れない。そして事故れば無事では済まない。失敗イコール死が普通の人なのだ。

 何度失敗しても人も車もほぼ無傷と言う時点で普通の範疇を大きく逸脱している。凡人が絶対に真似をしてはいけないやり方だ。凡人は大人しくぶつかっても大事故にならない程度のスピードで練習しているべき、と。

 

 しかしそれを指摘するものはここにはいなかった。

 タイヤの滑り始める時の感触への恐怖がまだまだ拭えない未熟だが、イツキはもう少し勇気を出して踏み込んでみようと決意したのだった。

 

 

 決意を新たにしたところで、イツキは何やら下半身側に不快感を覚えた。

 先ほどまでは雨の湿気と合わさって蒸し暑いくらいだったのが、妙に冷たい。肌に張り付くような感覚もある。

 その不快感の正体を確かめんと視線を下にやれば、濡れて色が濃くなったズボンが見えた。

 

 とんだ贈物である。いや、ラリーでは走る車にタッチしたがるギャラリーも多いらしいし、水掛けられたなんて逆に自慢の種かもしれない。

 

「あ……」

 

 隣からも呟きが届いた。

 

 取り敢えず、見る物は見たのだし車に戻ろうか。バトルの結果は明日池谷先輩に聞こう。

 隣は見ないようにしながら、イツキはそうも決意した。

 

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