この素晴らしい世界にサウザンド・マスターを!(一話完結) 作:柑橘系林檎
原作:この素晴らしい世界に祝福を!
タグ:クロスオーバー この素晴らしい世界に祝福を! 魔法先生ネギま! ナギ・スプリングフィールド
どこかで誰かに危険が迫っているかもしれない。
だというのに、不謹慎かもしれないがワクワクしている自分がいる。
遠い昔、まだ幼かった頃の自分が初めて広い世界に飛び出していったあの日の心が弾むようなときめきが、未知の世界に飛び込んでいくあの興奮が、俺の胸を湧き立たせる。
それはもう久しく忘れていた感動だった。
もう、二度と戻らないと思っていた自由が、情熱が、この胸のど真ん中で熱く、熱く、再びまわり始める。もう一時だってじっとはしていられない。
俺は笑っていた。叫びたいような、身体をめちゃめちゃに動かしたいような、とにかく愉しくてしょうがなかった。
「かかってきやがれ異世界」
あの激動の日々を駆け抜けたように、再びあの輝きの中に、あの大空の彼方まで、地の果てまでも。
俺はもうどこまでだって行ける、どこまでだって辿り着いてみせる。
立ち止まっている時間は終わりだ。
俺は杖をぎゅっと握りしめた。軽く伸びをして、地面の感触を確かめるように爪先でトントンと叩き、ローブをはためかせ、一歩を踏み出す。
さあ、また旅に出よう。
拳が、交差した。
〝敵〟を打ち砕くべく放たれた渾身の拳は、しかし届くことは無かった。
俺に訪れたのは、身体を貫く衝撃だった。
鮮血が舞う。俺の血だ。相手の繰り出した拳が、肉を裂き、肋骨を砕き、胸から背中に貫通して、俺の心臓を抉り出していた。
小惑星アガルタ。
星の海に浮かぶそこが俺とアイツの決戦の地だった。
拳を交え、魔法を競い、何千、何万に及ぶ激突の果てに、俺は負けた。
自他共に認めるほどに負けず嫌いだったはずなのに、驚くほど気持ちは穏やかだった。俺を打ち破った相手が他ならぬコイツだったからか、それとも俺自身も終焉をむかえられたことに安堵していたからなのか……まあ、どっちでもいい。
胸が焼けるように熱い。胸に空いた風穴からは壊れた蛇口みたいに血が溢れ出して地面にぶちまけられている。今まで腹を貫かれたこともあった。肩からバッサリ斬られたこともある。全身の骨が砕かれるほど殴られたこともあった。しかしここまで致命的な一撃をもらったのはこれが初めてで、そして最後だろう。
痛みはもうない。
ダメージがある一点を超えると、意識の奥に生と死の境界線が見えるようになる。今までどれだけの激戦を潜り抜け、どれだけの傷を受けても、薄れていく意識を奮い立たせ、死の境界線のがけっぷちにぎりぎり手をひっかけて堪えてきた。そうやって戦ってきた、そうやって勝ってきた、そうやって生き足掻いてきた。
……でもこれはもうダメだ。
今まで決して超えまいと踏ん張ってきた境界線の向こう側に、ついにたどり着いてしまった。ああ、意識が死に引き込まれる感覚ってのはこういうもんか。身体を構成する細胞が、まるで荒縄を解していくみたいにバラバラにほどけていく。確固とした枠組みの中に納まっていた自分という存在が、少しずつ闇に溶けていく。
「みご……とだ」
吐血とともに吐き出された心からの賛辞は俺のものであり、俺の身体を乗っ取っていたヨルダのものでもあった。
『始まりの魔法使い』や 造物主ライフメーカー などと呼ばれる不滅の魔法使いにして、秘密結社『完全なる世界』を率いて世界を混乱の坩堝に叩き込んだ元凶にして災厄、ヨルダ・バォト。
無限に等しい魔力と、膨大な魔法の知識、そして不滅という反則級の特性を持っており、よしんば倒せたとしても自身を倒した相手の身体に憑依して乗っ取るという『報復型憑依能力』などというふざけた力を振るう最狂最悪の魔法使い。
俺自身も奴の術中に陥ることとなった。自分だけではヨルダを抑えきることができず外から力を借りて封印して、おまけに尻拭いまでやらせちまった。その結果が、このザマだった。
身体から血と一緒に命が零れ落ちていく。
全身から力が抜けていく。おれは膝から崩れ落ちた。自分の胸を貫いたままの相手の肩に取り縋るように倒れ込む。こいつは俺の体の重さを預けてもびくともしない。あの小さかったガキが、ずいぶん……デカくなったものだ。
そして、
「強く……なったな」
「父……さん」
そいつは……俺の息子であるネギ・スプリングフィールドに……俺は、ちゃんと笑いかけていられているだろうか。
こいつが生まれてもう十六年。どんな理由があろうとも傍にいてやれなかった事に変わりはない、ダメな父親だった。それでもいっちょ前に息子の成長を喜んでいる、どうしようもない自分がいる。
ネギはボロボロと涙を零していた。なりはデカくなろうとも泣き虫なのは変わらねえか。 まるで鏡を見ているみたいに、俺そっくりの顔に成長していた。けれども性格はどうにもアリカに……母親のほうに似たらしい。あいつは気が強くて意地っ張りで言葉がいちいちキツくてすぐに平手が飛んでくる跳ねっ返りっぷりだったが、一皮むけば涙脆くてなんでもかんでも自分一人で背負い込んじまう、俺とはまた別の方向にわがままなやつだった。顔のパーツは似たり寄ったりでも、そこに浮かぶ表情は俺とは似ても似つかない。本当に母親にそっくりで、不器用なくらい甘っちょろくて……優しい。
泣くなバカ、となじってやりたかった。なさけねえな、と背中を叩いてやりたかった。お前は俺を超えたんだから胸を張れ、と言ってやりたかった。
だけどもう俺には時間は残されていない。
もう俺がコイツにしてやれることは無い。
……いや、一つあった。大切なことが。
俺は最後の力を振り絞って、俺の胸を貫いたままのネギの手をつかんだ。「と……父さん?」とネギが困惑したような声を漏らした。
俺の心臓をつかんだままのネギの拳を無理やり引き抜く。
まだこれだけの血が俺の身体の中に残っていたのかと思えるほどの量の血が噴水のように噴き出た。ネギの手につかまれたままの俺の心臓はまだ脈動していた。さすが俺の心臓はしぶといぜ、などと、今わの際だというのに呑気な考えが俺の中に浮かんで消えた。
瞬動術でネギからできうる限り距離をとる。死に体だ、動ける距離はたかが知れてる。それでもできるだけ一歩でも遠くへ。
(あと少しでいい! まだ死んでくれるなよ、俺の身体ッ)
胸に空いた風穴を手で押さえる。ほんの少しでも血が出ていかないようにと、臓腑が体から零れ落ちないように。
それが今の俺にできるせめてもの延命行動だった。
「父さん!」
「お前は近づくな! 乗っ取られる!!」
もう二十年近く俺の身体を乗っ取っていやがったあの悪霊じみたクソ野郎を……厄災の元凶をネギにまで押し付けるわけにはいかない。
「アスナ!!」
「ハイ!」
誰何の叫びに答えてアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア……いや、今は神楽坂アスナだったか。
『黄昏の姫巫女』と呼ばれ、囚われの身であった少女は今はもうたくさんの友や仲間に囲まれていた。かつて俺の仲間の一人、ガトウがその命を賭して守った命は、まるで夏の日差しに咲くヒマワリのように眩く輝くような魂の色をしていた。
(こりゃあ甲斐あったじゃねえか、ガトウよ)
記憶の向こうで無精ひげが妙に似合う男がニヒルに笑っていた。
「あとは頼む……元気で……な……」
「――――っ、……――っ」
ネギやアスナが何かを叫んでいる。けれど、もう声も聞こえやしない。目も見えない。意識が遠のく。死の闇が俺を包み込んでいた。
……ああ、もうこれで終わりか。
そう悟った瞬間、脳裏を俺が辿った人生の光景が駆け巡る。
とんでもない悪ガキだった頃の思い出、魔法学校を中退して、魔法世界に飛び込んだ。気の向くままに世界を放浪して、気づいたら仲間が増え、いつしか魔法世界全体を覆う大戦の中に身を投じた。俺は強かった。少なくとも世界を相手取って我を押し通せるほどには。
史上最強の魔法使い『サウザンドマスター』ナギ・スプリングフィールド。
そう呼ばれ、『完全なる世界』を打ち倒し、大戦を終結に導いたことで俺は救世の大英雄と持て囃されるまでになった。
だが、本当に守りたかったものはいくつも取りこぼしてしまった。
目の前には愛する妻が――俺が守れなかった女、アリカがいる。こいつは戦争の罪を被せられて処刑されかかったときの思い出だ。
これがたとえ末期の夢だとしても、最後の最後の瞬間にもう一度アリカに出会えた。それがうれしかった。
何が正しかったのは今になってもよく分からない。それでも前に突き進んだことは間違いではなかったはずだ。
戦って、戦って、戦って、最後の最後まで戦い抜いた。我が事ながらずいぶん忙しない人生だった。気合と根性でどんな窮地だろうか打ち砕いてきた。仲間と共に世界を駆け巡り、幾多の敵を打倒し、この世界に蔓延する凶事に立ち向かってきた。
胸に宿った熱い情熱が俺を突き動かす。
過ぎ去った日々は遠く、辛いことも苦しいことも腐るほどあった。
それでも、それは今なおこの胸を熱く焦がすような、まばゆく光り輝く黄金の思い出達。
俺は自分の人生を走って、走って、走りぬいた。
後悔はあるし、もしあの時に戻れるなら、なんて未練がましい想いだって捨てきれない。
『俺は満足した、ああ、大満足だとも……なんでい、お前もそうなのか。始まりの魔法使い……いや、ヨルダ・バオト』
俺の身体を乗っ取っていたヨルダの意識に語り掛けるように触れてやっと気づいた。こいつも、もうネギたちになら世界の命運を託してもいいと思っていたことに……。誰よりも世界を見てきたコイツだからこそ、平和になりつつある今の世界を見て感じ入るものでもあったのかもしれない。こいつに対しては恨みごとは一つや二つどころじゃないくらいあるが……まあ、もういっか。
これで後顧の憂いは無い。
「じゃあな、ネギ」
後悔や負い目はあるが、倅の中に自身の生き様は残せた。
もうそれだけで上等な人生だった。
パチン、と指を鳴らすと、ネギの手に握られたままの俺の心臓は粉々に弾け飛んだ。
(俺の命は俺が持っていく。お前が背負うんじゃねえぞ)
そして、それが本当に最後の力だった。
「父さん!」
もう聞こえなくなっていたはずの耳に、ネギのその声だけがはっきりと届いた。
『なあ、アリカよ……俺たちのガキは立派に成長してたぜ』
走馬燈の向こうで、生まれたばかりのネギを抱きかかえてほほ笑む女房に語り掛ける。俺が守れなかった女、救世の大英雄などと呼ばれようが、守れなかった女房。
死後の世界なんてもんは欠片も信じちゃいなかったが、それでも今際の際になるとほんの少しだけ信じてみてもいいような気持ちになってくる。
……さあ、 あいつ アリカに会ったら最初にどんな話をしようか。……まああれだ、とりあえず一発殴られておくか。
そんなことに心を躍らせながら、ナギ・スプリングフィールドはその生涯に幕を閉じた。
……かに思えた。
「ナギ・スプリングフィールドさん、ようこそ死後の世界へ」
「は?」
∇ ∇ ∇
男は幾たびも世界を救ってきた。
最大の武器は並外れた跳躍力、条件さえそろえば何者にも侵せない無敵の突進力で数多の敵を轢断する。時に炎をも自在に操って並いる敵を焼き尽くしてきた。彼の活躍の場は陸のみにあらず、空でも海でも、宇宙でさえも、彼は常に覇者たりえる能力を持っていた。あらゆる局面に対応可能な変身能力を有しており、それぞれの姿かたちに沿った固有能力は彼の目的を達成するための助けとなってきた。
囚われの姫を救うため悪の大魔王に戦いを挑み、勝利を収めてきた無敵のヒーロー。
その男の名は。
「行けぇ――ッ、俺のマリオ!」
「ハン、私の操るヨッシーに盾突こうなんて百年早いのよっ!!」
画面の向こうで二つのカートが広大なレース場を舞台にデットヒートを繰り広げていた。
俺が操るのは言わずと知れた伝説の配管工マリオ、アクアが操るのは恐竜だかトカゲだか分からねえ愛すべき緑のあんちくしょうヨッシー。
「ヨッシーだかアッシーだかメッシーだか知らねえがっ、懲りずに何度も攫われる姫様を救い続けてきたマリオに勝てるかと思ってんのか! いい加減、城の防衛体制見直せよバカやろう!」
「ゲームの仕様にイチャモンつけてんじゃないわよ! マリオに虐げられ続けてきたヨッシーの暗黒面を舐めないことね、崖から崖にジャンプするのに飛距離が足りないからって跨っていたヨッシーを乗り捨てた上で足場にするって……クッパでさえやらないわよそんな非道なこと! アイツ部下には意外に優しいんだからね!」
「知らねえよ! なんでお前がヨッシーの代弁者みたいになってんだ!」
レースの舞台はクッパ城。高低差が激しく急カーブも多い、多種多様なギミックも満載で高難度のコースだ。
単純なドライビングテクニックはアクアに一日の長がある。だが戦いの駆け引きに関しては実戦だろうがゲームであろうが誰にも負けるつもりはない。アイテムを駆使して、誰を邪魔して誰を援護するのか、誰が何のアイテムを持っていて、それをどう利用するか。アクアはその辺分かりやすい。手に入れたアイテムはすぐ使おうとする。
「あらー、三位のナギさんが一位の私に向かってなにを粋がってるのかしら? 身の程を知りなさい!」
「ハッ、懲りもせず速攻一位に躍り出た奴がなにをほざいてんだ、また甲羅で狙い撃ちしてやるぜ!」
「バナナの皮に真っすぐ突っ込んでいってスピンしたおマヌケさんがナマ言ってんじゃないわよ!」
レースはすでに終盤、残すところあと一周。
二位のクッパを追い抜かし、俺が二位になった。あと残すは目の前を走るアクアが操作するヨッシーのみ。
「あ」
しまった、と思ったときにはもう遅かった。急カーブを曲がった直後の地面にまかれていたバナナの皮を踏んで、マリオは激しくスピンをした。
「あーはっはっはっは! また踏んだ! またバナナの皮踏んだ! プークスクス! プークスクス! チョーウケるんですけど!」
腹立つなコイツ……ッ!
人の神経をこうまで逆撫でできる笑い方を初めて見た。
「うっせ! 勝負はこれからだぜ!」
しかしスピンした隙にクッパとピーチに追い抜かされ四位になっていた。
「もうゴールまで間もなくだっていうのに、今のミスは致命的よ、あきらめたほうがいいんじゃなくて?」
などと、慈愛をたたえた瞳で子供に言い聞かせるように語り掛けてきたアクア。
……上等だぜっ。
「ここだ!」
俺はヘアピンカーブの壁際に一つ残されたアイテムをとった。「げ、まだアイテム残ってたの……ッ」と戦慄くアクアを他所に、アイテムルーレットは止まって……俺はニヤリと笑った。
「ひぃっ!」
アクアが小さく悲鳴を漏らした。
「覚悟は出来てんだろうな、コラ」
「わ、私はナギさんを信じているわよ? 強きをくじき弱きを助けるナギさんはそんなことしないわよね? いたいけなピーチ姫や可愛らしいキノピオだっているのにそんなこと……」
「行くぜオラァッ!」
「いぃぃぃぃぃ――やぁぁぁめてぇぇぇぇ――――ッ!」
『サンダー』
レースを繰り広げている自分を除く全てのキャラクターの頭上に落雷が降り注ぐ。雷のエフェクトを巻き散らしながらスピンするキャラクター達。
「しゃあっ! 貰ったぜこの勝負!」
「ま、まだよ! まだ私は負けていない!」
体制を立て直したアクア操るヨッシーが再加速する。間に合うか? いや意地でも間に合わせる。
ゴールはすでに目の前だ。
「ヨッシィィィィィ――――ッ!」
「マリオォォォォォ――――ッ!」
お互いの咆哮がゲーム画面に叩きつけられる。
ゴール寸前、お互いのマシンは横並びになり、そして、
『FINISH』
の文字がゲーム画面の踊る。ほぼ同時のゴール。俺たちはじっと息を飲んで、ゲーム画面を食い入るように見つめていた。順位がずらっと並ぶ。
【1 マリオ】
【2 ヨッシー】
【3 クッパ】
以下続く。
「っしゃおらぁぁぁあああああ――――ッ!!」
「わああああああああああああああ――ッ!?」
コントローラーを投げ捨て、勝どきを上げる俺とは対照的に地面に突っ伏して慟哭するアクア。
「なんでよ! なんでアンタは土壇場になればなるほどターボがかかるのよ!」
「おおっと負け惜しみか、そいつは見苦しいぜアクア。というわけでこのエンゼルパイは俺がもらった」
「ああっ、最後の一個! 楽しみにとっておいたのにぃっ!?」
封を開けて口に放り込もうとするが、それを阻止せんとアクアが腕にすがりついてビービー泣き始めた。子供かこいつは……。
「ほれ」
エンゼルパイを半分に割ってアクアの口の中に放り込むと、途端に泣き止んで口の中いっぱいにほうばった。口を両手で押さえ、こちらを警戒したように「むー」と睨みつける。
「取らねえよ。ゆっくり食え」
小動物みたいな動作に苦笑しながら俺も残り半分の菓子を食べ始める。
食べ終わったアクアがペットボトルの紅茶を一気に飲み干すと、また新しいゲームソフトを突き付けてきた。
「次はこのゲームで勝負よ!」
マリオカートの結果が大変不満だったらしいアクアが次に選んだゲームは『スマッシュブラザーズ』というタイトルだった。
「ほう、まだやろうってか。頭を使うこと以外は無敵とうたわれたこの俺とよ」
「皮肉られてんのよそれは」
なにか言っているがさっぱり聞こえないぜ!
「いいぜかかってきやがれ、と言いたいところだけどよ。お前そろそろ仕事に戻れよ」
「いいのよ、エリスに任せてきたから! あの子ならうまいことやってくれるわよ!」
「いいわけねえだろ、さっさと戻りな。先輩後輩って関係を盾にしてエリス様に迷惑かけんじゃねえよアクア」
しっしっと追い払う動作をする。それに対してアクアは大変不服らしく「なによー!」と噛みついてきた。
「なんでエリスは〝様〟付けで私は呼び捨てなの!?」
「そらまあ人徳……この場合、神徳か? その差だよ。ほれ、さっさと戻れ、休憩時間とか言ってもう一時間はここに居座ってんじゃねえか」
「いやここ私の私室だから。居座ってんのはアンタだから。なんで乙女の部屋で悠々自適の我が物顔で寝転んでるのよ」
そうは言うが、宛がわれた部屋は驚くほど何もないのだからしょうがない。ここなら暇つぶしになる娯楽品が結構ある。
俺はニカッと笑いアクアに向かってビシッと親指を立てた。
「部屋、借りてるぜ」
「いっそ清々しいわねアンタ……」
あきれたようにこちらを見遣るアクアだった。
あの日、ネギと戦った後、俺は死んだはずだった。
いや、正しく死んだ。意識を取り戻した俺を取り囲んでいたのは死後の世界に間違いはなかったのだから。まあ、想像していたのとはだいぶ赴きが違ったが。
本来ならそのまま転生なり、あの世に行くなりといった流れになるらしいが、俺の場合は死んだ場所がまずかったらしい。
小惑星アガルタ。
神というやつは基本的に縄張り……なんて表現は不敬かもしれないが、担当する領域みたいなものがあるらしい。それがアガルタの場合はまだまだ人類未踏の地だと思われていたため担当の神が決まっていなかったのだとか。それが致命的なバグを起こして、俺の魂は本来あるべき輪廻の輪から外れたと聞かされた。その上、システムにどういう誤作動が起こったか、俺がいた時代から何十年か前にまで魂が吹っ飛ばされたとも聞いた。
詳しくは知らないが、今は人類が宇宙に進出するどころか魔法文明と科学文明がお互いの存在を認識するよりさらに何十年か昔にまで遡るらしい。
俺の中にすでにヨルダはいない。
奴がどうなったのかは分からない。元々不滅なんてとんでもない特性を持った奴だ。俺とヨルダの間にあった繋がりから、奴がネギたちの手によって滅ぼされたというのは何となく伝わってきた。しかし奴の魂がその後どうなったかは定かでない。本当に滅んだのか、それとも俺同様にいずこかの時代、あるいは世界に吹き飛ばされたのか……ま、分からないもんは分からない。考えてもしゃあないか。
俺はとりあえず、という形で身の振り方、あるいは元の世界、元の時代に戻るまで神域であるこの空間に一時滞在することになった。
「どうなんのかね」
「なにが?」
ゲームで疲れたとか言って机に突っ伏していたアクアが訪ねる。仕事に戻れと言っても聞きやしない。そろそろいつものように首根っこ引っ掴んで執務室に放り込んできてやろうか。
神様とやらの一人(とてもそうは見えないが)である水の女神アクアは本来地球――それも日本の担当らしい。日本……なにかと接点の多い国である。俺が率いてい『紅き翼』のメンバーの一人である近衛詠春の故郷であり、息子であるネギが魔法学校卒業後に多くの時間を過ごした土地。俺自身もガキの時分に立ち寄った覚えがある。
生まれ故郷はイギリスだが、死んだときの状況から一番縁が深いとみなされたのが日本だった。あの場にいてヨルダに身体を乗っ取られていた俺に立ち向かってきたのはネギはもちろん、その教え子である子供たちは日本という地を中心にして縁を築いた者たちだったからだ。そんなこんなで俺の身柄を一時預かるとなったのがこのアクアであるが……。
俺は言っちゃあなんだが元々無神論者に近い考えであった。神なんているのか分からないものに縋るくらいなら自分で行動を起こして何とかしてきた。しかし俺の生まれたイギリスは土地柄宗教に関しては深い信仰心がある。感化されて、という訳ではないが俺の中にも少なからず神への崇敬の念はあったと思う。
それをこのぐうたら駄目神。こいつは神様ってものに対してのイメージを粉微塵に粉砕してくれた。
容姿のみを切り抜いて考えれば、確かに女神と呼ぶにふさわしい美貌である。
水色の神に完成されたプロポーション、顔の造形は文字通り神がかって整っている。
決して悪いヤツじゃないし見ようによっては愛嬌のある性格であるが、お調子者で子供みたいな構ってちゃんで喧嘩っ早く自由気ままで奔放と、神ってものに関しては致命的に向いていないんじゃないかと思っている。まあギリシャの神々のことを考えるとある意味〝神らしい〟というのも間違いではないけれどもよ。
そういえば雑誌やら漫画やらゲームや菓子類も日本の製品でアクアが下界に降臨して自分で買い集めているものらしい。やりたい放題だなコイツ。
俺は机に頬杖をついままアクアに返答した。
「俺のことだよ。どうしたもんかなと思ってな」
「なるようになるでしょ」
「それもそうなんだけどよ。カーッ! ダメだな。自分のことなのに自分で動けねえってのはどうにも気持ちの納まりが悪いったらないぜ」
俺のその言葉に最初は「ふーん」と気のない返事をしていたアクアだが、ふと何かに思い至ったように「あ!」と声を漏らし、顔を上げ、俺の目をじっと見つめてニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「ねえ、私にとっても素敵でナイスな案があるんだけど。のらない?」
そんな
「のらねえよ、胡散臭いこと極まりねえ」
何でよ!? とガーと喚きたてるアクアを無視しつつ俺は寝っ転がって、その辺に転がっていた雑誌を手に取った。
∇ ∇ ∇
「ねえねえナギさんたら~。ほら、ちょちょいと異世界に行って魔王を倒すだけの簡単なお仕事よ」
「またその話かよ。他を当たりな」
今日も今日とて俺はアクアからの勧誘を突っぱねる。
アクアの提案を要約すると、なんでもどこぞかの異世界で魔王とやらが暴れているからそいつを退治してほしいとのことだ。それを果たしたあかつきには創造神によりどんな願いでも叶えてもらえる権利を手に入れることができる、らしい。
俺がその提案を拒否してアクアが文句を垂れる。そんなやりとりはもう何度目になるだろうか。ここ、神域とやらでは時間の流れが下界と違うらしく、俺がここに来てからどのくらいの日数が経過したかはいまいち判然としない。これといってやることも無い俺は、娯楽品の多いアクアの私室に転がり込んで暇をつぶしていた。今は日本のコタツとやらに足を突っ込んで寝そべっている。コタツ……すばらしい発明品だ。詠春の故郷である日本で生まれた暖房器具。コタツに入り、掛け布団に包まって寝転んでいる時にふいに訪れる微睡みの心地良いことといったら、言葉にできない幸福感がある。詠春め、こんな秘密兵器を俺に隠していやがったとはとんでもない奴だ。
俺はコタツに寝転んで旅行雑誌を流し読みしており、アクアはその対面に座って天板の上に気怠そうに突っ伏している。
「ナギさんたら、べらぼうに強いんでしょ。
「おうよ、自慢じゃないが腕っぷしは最強だったぜ。幾千幾万を超える大群だろうが戦艦だろうかまとめて相手取って勝利を収めてきた」
激動の時代を生き抜き、大きな戦乱の渦の中において尚、最強と謳われた実力は自他共に認めるものだった……認めるものだった!(強調)
「その語り口でどこか自慢してないってのよ……でもナギさんて魔法使いってイメージじゃないわよね。どっちかって言うと、棍棒振りかざして雄たけび上げながら殴りかかっていくイメージだわ」
「チンパンジーか俺は」
さすがにそこまで考えなしで戦ってきたわけじゃなかった……はずだ。
「魔法使いって言えば、培った知識で世界の理を紐解き、詠唱を用いて神秘を顕現させ、携えた杖は叡智の象徴って言うじゃない。……ことごとくナギさんのイメージからかけ離れてるんだけど」
「知識はうろ覚えでフィーリング重視、詠唱はハナから覚えてないからアンチョコ必須、携えた杖は間合いの広い打撃武器だぜ。細かい事を放り投げてもても大体気合さえあればなんとかなるってもんさ」
「それのどこが魔法使いなの!?」
もはやあきれるのを通り越して顔を引きつらせるアクアだった。勝てばいいんだ、勝てば。
そんなふうに取り留めもなく駄弁って一時間近くになるだろうか。それにしてもコイツいつも神の仕事さぼってんな、と思っているとアクアがコタツの中にごそごそ潜り込んできたのを感じた。
「バアッ」
何をしたいんだコイツは。
コタツに寝転んだ俺の目の前に、掛け布団の中からアクアの頭がにょっきりと飛び出してきた。もぞもぞと身体をよじらせ、コタツの中で寝転んでいる俺の横に身体をねじ込ませてくる。顔が近い、うっとうしい。
「狭い、退け、邪魔だ。猫かお前は」
読んでいた雑誌を閉じて丸めて、ぐりぐりとアクアの頬に突きつける。
「ふぎゅっ! な、なによー、こんな美女神さまのご尊顔を邪魔だなんて罰が当たるわよ! 謝って! 今すぐ謝って!」
「あー、ハイハイ。悪かった悪かった、むくれんなよ」
菓子食うか? と問いかけると元気な「食べる!」の言葉が返ってきた。それでもぶつぶつと喧しかったもので、コタツから這い出て一応は話を聞く体裁を整えると、アクアも同じようにコタツから出てきた。
「もう、なにが不満なのよー。なんでも叶うのよ、生き返りたいとは思わないの?」
「別に思わねえなぁ」
「ええー、なんで?」
「なんでっつわれてもな……少なくとも俺は自分の死に場をあそこって定めて満足して死んだよ」
そりゃあ苦しかったことや後悔なんて腐るほどある。だからと言って全部なかったことにしてやり直したいかと言えばそんなことは微塵も思わない。
――手に入れたものと、手から零れ落ちたもの。果たしてどちらに重きを置くべきだったのか。
脳裏に浮かぶのは自分に向かって果敢に向かってきた
良い面構えをしていた。良い仲間たちに囲まれていた。俺に比肩するほどの力を手に入れ、そして超えていった。
胸を張って生きてきた。しかし愛する女を失ったときに一度心は砕かれ、それでも最後の最後に胸を張って逝けたのは、息子が紡いでくれた想いに触れたからこそだった。俺の嘆きや後悔が積み重なった過去がこの未来にたどり着く道程だったというのなら、ただそれだけで何もかもが報われた気がした。
「生き返れる可能性があるからってほいほいと飛びつくなんざ性に合わねえ。俺の生き様と死に様に泥ぬってくれるんじゃねーよ」
俺が少し強めの口調でそう言う放つと、アクアは「う゛」とバツが悪そうに視線を泳がし、唇を尖らせながらも「……もう、悪かったわよ」と謝罪の言葉を口にした。視線を落として気まずそうに口をもごもごさせているアクアを見ていると、どうにも幼子を見ているようなほんのりとして柔らかい情愛が心の瀬に浮かんでくる。目尻が下がるのを感じながら、アクアの頭をガシガシと撫でる。最初の内こそ「ちょっとっ、髪が乱れるでしょ!」と食ってかかってきたが、だんだん成すがままになっていった。
「ねえ、ナギさん」
俺の手の動きに合わせて頭をゆるゆると揺らしながらアクアはぽつりと口を開いた。
「んだよ?」
「生き返る気が無いなら、このまま……」
「このまま?」
「あーあーつまり……」
「つまり?」
照れくさそうに頬をわずかに朱に染めながら、言葉を咀嚼するように口の中で舌の動きをまごつかせ、「私の……」と言いかけ、一端区切り、一度大きく深呼吸して、意を決したように言葉を紡いだ。
「私の、下僕にならない?」
「え、なんて? よく聞こえなかったんだけれども、もう一度言ってくんね?」
「ちょぉおッ、イダイイダイ! 頭が割れるうぅぅぅっ!?」
喧嘩売ってんのかコイツは? いいぜ買ってやるよ。
頭を撫でていた指をそのまま突き立てて、ぎりぎりと頭を締め上げると、女神らしからぬ濁点のついた太い悲鳴を上げた。
「なにが下僕だコンニャロウ、俺の杖はとうの昔に意地っ張りなお姫さんに預けてんだよ」
もっとも、預けっぱなしのまま、もう返してもらうことはもうできそうになけれどもよ。
アクアは悲鳴と主張を入り混じらせながら、どったんばったんと身体をくねらせていた。
「ほらナギさんといると退屈しないし、なんか私たちってフィーリングも合うっぽしぃッ、……それになんだか最近エリスのナギさんに対する視線に妙なものを感じるから先手を打って囲い込んでおこうかと――ッ の゛ぉぉお゛おお――っ!!」
「下僕ってなんだ下僕って。百万歩譲ってお前の下に着くこと了承したとしても下僕はねえよ下僕は。神がそんなに偉いのか? 人間舐めんなよ」
「下僕ってのは物の例えで……天使よ天使! 私付きの天使にならないかって聞いてるの!」
「お前普段から天使をなんだと……は? 天使?」
「うん、天使」
俺が天使……。
想像してみる。
「…………ぶっ、わっははははははっ! 天使っ!? 俺が天使!? いっくらなんでもねえわ、似合わねえわ!! わはははははははっ!!!」
俺の性格と天使に対するイメージが剥離しすぎていておかしくてたまらなかった。ジャックあたりが聞いたら腸がよじれるほど笑うかもしれない。
「そんなにおかしいかしら、ナギさんが天使って……ナギさんが、天使……」
俺が腹を抱えて笑い転げている横で、思案顔になったアクアもしばらくすると「ぷ」と噴出した。指摘されて初めて明確に想像したらしい。
「あっはっはっはっはっはっ! 無いっ、無いわ! ナギさんが天使? そんなガキ大将みたいな
そうして二人でお互いの肩を叩きあったり床をゴロゴロと転がりながらしばらく大笑いした。
笑いが収まってきたところで、二人で「ひーひー」言いながらしばらく呼吸を整えるまでに結構な時間を要したと思う。心持ちをデフォルトに立て直したつもりだが、それでも口の端や眦に笑いを引きずっていた。
「たくっ、笑かしてくれるなよ」
「ええ、久しぶりにこんなに笑ったわ。ナギさんが天使? プークスクス、すっごい似合わないわね! なんて言うか……下手なコスプレ? 衣装に着られたクリスマス限定のアルバイト天使? 困っている人々に手を貸して助け導く天使っていうか、困って蹲っている人を背後からヤクザキックかましてハッパをかける路地裏のアウトローエンジェル――」
「大きなお世話だ。お前が言い出したんだろうが」
「ちょっと……っ、いふぁいいふぁいいふぁいっふぇびゃあああああ――ッ!」
自分でも笑ってたくせに! とのたまうアクアの両頬をつねって引っ張る。肌がもちもちしていた。なぜこいつはいつも一言二言多いんだ。
まさか死後の世界でこんなに騒がしい日々を送るとは思いもしなかった。
だけどこういうのは嫌いじゃない。
それでもいつか終わりは来る。まああまりに突然で、予想外の形ではあったが……。
「……まあ冗談はさておいて」
「あん?」
「ナギさん、創造神様の御力添えがあって分かったことなんだけど」
そう前置きをしてから、いつにない真剣な表情でアクアは思いがけない言葉を口にした。
「ナギさんの命は、どうもまだ尽きていないみたいなの」
「……おい、それってまさか」
「ええ、ナギ・スプリングフィールドという人間はまだ生きているわ」
生き返りなんてものには興味はない。
それでも、まだ死んでいないってんなら話は別だ。
命ある限り足掻き続けることは止めねえ。ここが行き止まりでもドン詰まりでもないっつうなら、精々最後の最後までもがき続けてやるさ。
俺は、ナギ・スプリングフィールドなのだから。
∇ ∇ ∇
それはこことは違う別の世界のお話。
戦乱の時代の幕開けは辺境の小さな争いが火種であった。しかしその小さな火の粉は、まるで野火が山を焼き尽くす大火になるように、大陸全土に瞬く間に広がり世界中の国々を巻き込んだ大きな戦争となった。
連合と帝国。
後に『大分裂戦争』と呼ばれることになる大戦の開幕により、世界は二つに割れ、衝突した。
侵攻を始めた帝国側の真の狙いは文明の発祥の聖地『オスティア』の奪還であった。
情勢は帝国側が有利。単純な軍事力の差では連合側に分があったが、帝国は強力な魔法力を根幹に据え、魔法文明としての歴史の厚み、そして最先端の魔法理論を武器に圧倒的な侵攻力を誇っていた。
連合側の戦線はじりじりと後退してゆき、やがて連合の喉元、全長3百キロにわたって屹立する巨大要塞『グレート・ブリッジ』を陥落させられたことで敗色が濃厚となった、その時。
うねりを上げる大きな時代の変遷のまっただ中に、その少年は躍り出た。
まだ十代も半ば。トレードマークは赤い髪。幼さが色濃く残る風貌に不敵な笑みをたたえ、身の丈を優に超える杖を振るう魔法使いの少年は、戦場を駆け抜けた。
国と国がぶつかる戦いの中で個人の力などいかほどのものだろうか。しかしその少年の力は〝個〟として括るにはあまりに強大だった。
世界最高クラスの膨大な魔力量を屋台骨に、恐ろしく研ぎ澄まされた戦闘勘、どんな魔法であろうと感覚的にその本質を捉え行使することのできる規格外の才能。少年はまごうことなき戦いの天才だった。
赤毛の魔法使いの少年はもちろんのことその仲間たちも一騎当千の強者ばかり。『
しかしそんな彼らには常に疑念があった。
この戦争はあまりに奇妙であると。
まるで何者かが必要以上に戦乱を助長して長引かせ、世界中に悲劇と混乱を振りまこうとしているようだと。
戦争を終わらせるために戦う。そんな矛盾を抱えながらも、彼らは真に倒すべき敵の存在を捉え始めていた。
そしてついに、彼らは戦争の奥に隠された真実を、世界の根幹に蔓延っていた闇を引きずりだすこととなる。
秘密結社『
その構成員は全世界に散らばっており、大国の中枢にまで入り込んだ彼らは大戦を意のままにコントロールしていた。構成員の中にはマフィアや死の商人といった戦争が長引くことが利益につながる者たちが多かったが、それらは組織の下っ端でしかない。その真の狙いまでは掴めずいたが、目的を達成するまでの道程で〝一度世界を滅ぼそうとしている〟事を掴んだ。
『
連合に追われ、敵対していた帝国にも当然頼ることなどできはしない。そして『
世界中が自分たちを敵と見定めている。それは孤立無援の状況であった。
そんな中で、その二人は出会った。
赤毛の魔法使いと、『オスティア』の若き姫君。
早くから戦争を陰で操る者たちの存在に気づいていたオスティアの姫君は、同じように彼の存在に気付いた紅き翼のメンバーにコンタクトをとってきたのだ。
飄々として細かい事にはこだわらないおちゃらけた性格の赤毛の魔法使いと、気が強くて頑固で融通が利かない性格の姫君は、一見するとそりが合わないように思えた。
しかし相反する二人だからこそ強く惹かれあったのかもしれない。
悲劇が蔓延する時代の中で、結ばれた小さくても強くゆるぎない絆。しかしそれを言葉にすることは無かった。立場が、時代が、状況が、それを許しはしなかったのだ。
――世界全てが敵。良いではないか、こちらの兵はたったの七人……だが最強の七人じゃ。ならば我等が世界を救おう。
我が騎士よ。我が盾となり、剣となれ。
そう告げられた赤毛の魔法使いは、顔にいつもの不敵な笑みを浮かべたまま、膝をつき静かに姫君へと
――いいぜ、俺の杖と翼、あんたに預けよう。
そうして彼らの反撃が始まった。
世界中に紛れ込んだ『
真実に気づき、彼らの歩みに同調する者も少しずつ増えていった。
一つ一つは小さな光だった。少しずつ、少しずつ、味方が増え、仲間が増え、そして世界を覆わんとする闇に対抗する光となった。
連合と帝国。いがみ合い、争ってきた国々の中にも紅き翼を支持してその志の元に集ってくる者たちも多くいた。そこには、もはや国や人種の垣根は無かった。
そしてついには『
その地こそ長きに亘った大分裂戦争終結の場所にして最終決戦の舞台。
世界最古の都、王都オスティア空中王宮最奥部【墓守り人の宮殿】である。
すでに「世界を無に帰す儀式」は始まっていた。本来なら帝国や連合の正規軍も説得し同調した上で決戦に挑みたかったが、もはや一刻の猶予も無かった。
『行くぜ!』
赤毛の魔法使いの号令と共に、最後の戦いが始まった。
宮殿外部に無数に蔓延る召喚魔の相手は混成部隊に任せ、紅き翼のメンバーたちは墓守り人の宮殿へと乗り込んでいった。彼らの前に立ちふさがったのは今まで何度も敵対してきた『
長きにわたる因縁に決着を。
ついに両者が雌雄を決するべく激突した。
その戦いは紅き翼の勝利に終わった……かに思えた。
全ての黒幕だと思っていた悪の魔法使いを倒した瞬間、突如として放たれた閃刃により赤毛の魔法使いは腹を打ち抜かれたのだ。
鮮血を巻き散らしながら倒れゆく赤毛の魔法使いの元に仲間たちが駆け寄る。
勝利を収めたと思っていた彼らをあざ笑うかのように、強大な魔力の奔流が彼らに襲いかかった。赤毛の少年をかばうようにその魔法の前に立ちふさがった仲間たちであるが、全員の総力を以てしても抗いきることはできなかった。
魔力の奔流が収まった時、すでにその場に立っていられる者はいなかった。
赤き翼のメンバー全員が地面に倒れ伏していた。
たったの一撃。
例え決戦を終えて余力が少なかったとはいえ、たったの一撃で無類の強さを誇っていた紅き翼は壊滅寸前の大打撃を受けたのだ。
ついに真の黒幕が、満身創痍の彼らの前に降り立った。
その者こそ戦乱の黒幕にして悲劇の元凶。『
始まりの魔法使い、『
彼我の戦力差は絶望的と言ってよかった。
例え紅き翼のメンバー全員が万全の状態であったとしても敗色濃厚な手練れである。世界最高峰の実力者がそろい踏みしたその決戦の地においても、別格中の別格。その力は魔法界において神にも等しいとさえ謳われていた。
体勢を立て直して再び挑もうにも、もはや「世界を無に帰す儀式」も完成間近となっている。全てが終わろうとしていた。だからこそ『
もはやどうすることも出来ないのかもしれないと、諦観的な感情がその場を支配する中、まだ抗おうとする者がいた。
――……その伝説は、本当の意味でそこから始まったのかもしれない。
『俺に任せな』
そう言って立ち上がったのは赤毛の魔法使いだった。
彼もまた満身創痍。生きているのが不思議なくらいの重傷を負っていた。血の気が引いた顔には死相を感じさせた。地面に赤く染め上げるほどの出血の量には間近に迫った死を感じさせた。
しかし当の本人はそんなこと知ったことかと言わんばかりに、いつものように不敵に笑っていた。いつだってそうだった。たとえそれがどれだけ絶望的な状況であろうと、打開策が見当たらなくとも、いつだって彼はあきらめようとしなかった。
『俺は勝つ! 任せとけ!!』
魔法で傷を応急処置的に塞ぎ、最後の決戦へと彼は赴く。世界の命運をかけた激戦はそうして始まった。
無限に等しい魔力を持ち、何千年という時の流れに身を置き叡智を蓄え続けた『
だが赤毛の魔法使いはどれだけの暴威に曝されようと膝を屈することは無かった。
喉には吐血がこびりついていた。詠唱を唱える呼気には血が入り混じっていた。身体に無事な部位など一つとして無い。少しでも気を抜けば遠のく意識を繋ぎ止めるために歯を食いしばり、折れた指で拳を握り、眼光は鋭く敵を射抜く。
赤毛の魔法使いは叫んだ。
『たとえ明日世界が滅ぶと知ろうともあきらめないのが人間ってもんだろうが!』
人の心の闇を知り尽くした『
最大の敵は倒した。しかし無情にも、すでに「世界を無に帰す儀式」は完成していた。
世界終焉の瞬間がすぐそこまで迫っていた。だが、ついに戦場にたどりついた帝国と連合の正規軍、そしてオスティアの姫君たち、その場に集ったすべての人々の力を束ねることで「世界を無に帰す儀式」の力を反転、打ち消すことに成功した。世界は救われたのだ。
そうして大戦を終結に導き、世界終焉の危機は回避した最大の功労者である『
これは『
「~~~~~ッ」
それを読み終えた少女は情動をこらえるかのように総身をぷるぷると震わせて、目を閉じて本の中の情景に想いを馳せていた。
その少女を膝の上にのせて、そんな様子を微笑ましそうに見守っているのは、彼女と同じく絹糸のように柔らかな金の髪の女性であった。
二人は姉妹だ。
それもやんごとなき血筋である
ベルゼルグ王家の第一王女アリカとその妹、第二王女アイリスは姉妹仲が良好なことで有名であった。アイリスは王族らしい凛とした立ち振る舞いを心掛けながらも、実は結構な寂しがり屋であることをアリカは誰よりも理解していた。
しょうがないことと言ってしまえばそこまでではあるが、近年活発化する魔王軍に対処すべく彼女たちの父と兄、つまるところベルゼルグ王家の王とその次期継承者は軍をひきいて国を留守にすることが多い。
王族たれと常に自信を戒め続けているアイリスにとって、姉であるアリカは数少ない等身大の自分で甘えられる相手であった。
「お姉さま! このお話すごいです、カッコいいです!」
アイリスが顔を上げ、きらきらとした瞳でアリカを見上げる。アリカはこの可愛らしい妹が瞳が星が瞬くように輝いている瞬間が好きだった。
「ん、なんじゃ?」
柔らかな声色で問いかけながら、さらさらとしたアイリスの髪を手串で軽く整えてやるアリカ。アイリスは姉の手の感触に心地よさそうに目を細めながら、全身で甘えるようにアリカのお腹に手を回して抱きついた。そのまま頭を撫でていると「んん~~」と気持ちよさそうに声を上げた。
「お姉さまはすごいです」
ぽつりと呟いたアイリスの言葉に「どうした、やぶからぼうに」と返すアリカ。
「お姉さまが書いたこのお話って、お姉さまが考えたんですか?」
アイリスがそう言って指さした本(と言ってもそれは手書きの原稿をそれっぽく纏めただけのものであるが)の表紙を撫でながら問いかけてきた。
「考えた……というと少しばかり違うかの」
そう答えるとアイリスは何が不満なのか頬を膨らませた。
「これこれ、もう十二になる娘が頬をリスのように膨らませるでない」
「だってお姉さま、どんな問いかけにも滔々とお答えになるのにこのお話のことについては言葉を濁すじゃないですか……」
「ふむ……だめか?」
「……アイリスにも秘密なのですか?」
この可愛らしい妹は隠し事をされているみたいで小さな疎外感を感じているらしい。
そう言われると弱いな、とアリカは少し困ったように眉根を寄せた。周囲には常に凛としていらっしゃるなどと憧憬の視線を向けられることが多いが、アリカ本人にすれば表情の起伏が少ないだけだと思っている。それでもやはり家族が相手となると鉄仮面も崩れやすくなるものだな、とむず痒いような照れくさいような気持になる。
「あ、あの別にお姉さまを困らせようとしたわけではなくてですねっ」
アリカの様子に、慌てたアイリスが否定の言葉を重ねようとするが「よい」とアリカは自分の人差し指をアイリスの唇に当てた。
「すまぬな、自分でもどうやって説明したらいいか分からぬ部分が多くてな。いつかちゃんと話す。それまで待っていてくれぬか?」
アリカの言葉にアイリスは「ハイ!」と元気な返事をした。
「もう夜も遅い。そろそろ自分の部屋に戻れ」
「……お姉さまといっしょに寝たいです。ダメですか?」
恐る恐るといった様子の妹の言葉にダメと言う気が欠片も起きない自分は、やはりだいぶ身内に甘いらしいと思いながら、アリカは「ちゃんとクレアや他の者にも一言告げてくるのじゃぞ」と言いながらアイリスの頭をひと撫でした。
ベッドですうすうと気持ちよさそうに寝息を立てているアイリスを起こさないように注意を払いながら、アリカはバルコニーに出た。
心地いい夜風に当たりながら、反芻するのは先ほどのアイリスの言葉だった。
――なぜこのお話のことについては言葉を濁すのですか?
自分でもどう説明すればいいのか分からない。
この物語は自分のかつての体験談……それは前世と呼んでいいのだろうか、このベルゼルグ王家に生を受ける前の人生で体験した出来事であると。
果たしてかつての自分……オスティアの王族として生きてきた半生を持つ自分にいかなる力が働いたのか。あるいはかつての自分に流れていた創造主の血が何事かの奇跡でも起こしたのだろうか。
生まれ変わりまではまだいい、かつての記憶が保たれたまま、というのも一先ず置いておく。だがかつての自分が生きていた世界と全く別の世界に生まれ落ちたのは一体どういうことなのだろうか。
仮に自分の魂、あるいは記憶が蓄積された情報体のようなものが、この世界に流れ着いたとしたら、それを引っ張ってきた因果のようなものが存在するのか。
疑問は尽きることない。今生が始まってからずっとだ。
いっそのことすべて忘れて、ただのベルゼルグの王族として生まれてこられたのならよかったのだろうか。
最初から〝欠けてしまったこと〟を知らなければ楽であったのだろうか。
だがそうと断じてしまうのはあまりに無情ではないだろうか。
オスティアの王族アリカ・アナルキア・エンテオフュシアはずっと王宮に閉じ込められた籠の鳥だった。だがあの男と出会って……雲のように自由で太陽のように眩く輝くあの赤い髪の無礼な男と出会ったことで、自分の人生は本当の意味で始まったのかもしれない。
「のう、ナギ……そして、我が愛し子、ネギよ。妾は……もう一度お前たちに会いたい。そう思うことは果たして罪であるのか」
今生の暮らしに不満などあろうはずもない。どういった因果なのか、また王族なんぞという面倒なものを背負って生まれてきてしまったが、尊敬できる父と兄、そして心優しく純粋な妹。これで不満などと言ってしまった罰が当たる。何より自分が許せない。
だが過去に、それどころか前世においてこの手から零れ落ちてしまったものに想いを馳せることは許されざることなのだろうか。
自分には王族としての責務がある。いずれは夫を貰い子をもうけねばならない。自分ももう十六.結婚するにはいい年だ。実際にそういった話は数多く王宮に舞い込んでいる。
それでも、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアとして生きてきた記憶がそれを許せずにいる。自分の夫はただ一人、馬鹿でお調子者で能天気で、そして誰よりも前を向いて胸を張って生き続けてきたナギ・スプリングフィールドだけだ。
……しかしそれでも全てを押し殺さねばならない。
それができねば、王族として、父の子として、兄の妹として、そしてアイリスの姉として、今生の愛しい時間をくれた家族に自分は最低限報いる権利さえ失ってしまう。
昨今の情勢は非常に厳しいものだ。
魔王軍の手により、各地で戦闘が勃発、多くの民草に戦火が忍び寄っている。
人々が勇者を、英雄を求めていた。
あの頃にまったくもってそっくりだ。
だがこの世界に、あの男はいない。なればこそ。
「妾ができること、やらねばならないこと」
この身はこのベルゼルグ王家が第一王女、アリカ。
自身の進むべき道がこの国人々の希望の種となるのなら、いよいよ覚悟を決めねばならない時が来たのかもしれない。
だがそれでも。
……今だけはこの頬を濡らす涙と、胸を締め付ける寂寞に身をやつすことをどうか許してほしい、とアリカはこの世界の主神である女神エリスに祈りをささげた。
その時、アリカの頭上で箒星が瞬いた。
それはまるで、新たな時代の到来を告げるかのように鮮烈な輝きを放っていた。
「しっかし、神様の世界までお役所仕事かい。世知辛いなオイ」
「しょ、しょうがないじゃない。こんなこと前代未聞なんだから」
「お、ってことは人類初ってわけか。さすがは俺だな」
「……ナギさんのそういうむやみやたらにポシティブなところは見習ってあげてもいいと思ったわ私」
そこは俺が初めてアクアと出会った場所だ。
死した魂が最初に女神に謁見する場所とでもいえばいいのか。ただっぴろい空間に俺とアクアは立っている。
死んでいないならとっとと元の世界に戻してくれ、と言ったがどうにも話はそんなに簡単ではなかったらしい。ようするに今回のようなケースは前例が無いから、元の世界に戻るためのお役所仕事的な手順を一から決めなければならないらしい。
「そこは勢いで押し通してくれよ」
「無茶言わないで。創造神様が絡んだ時点で横紙破りはあんまりできないのよ。この間も怒られたばっかりだったし」
「その口ぶり……すでに何度かやらかしてんのな」
問題はその生き返るための正式な手続きが出来上がって実際に俺が行使できるようになるまで下手したら数十年単位で時間がかかるかもしれないって点だった。もう少しばかり人間の時間尺度で融通を利かせてほしかった。
さすがにそんな時間は待てない。息子に年齢で抜かされるという訳の分からない事態になりそうだ。
そこで元からある『どんな願いも叶う』という超特権に俺は目を付けた……なんだかアクアの良いように動かなきゃいけなくなりそうだが、それぐらいは恩返しの一環だと思えば何のことはない。なんだかんだで命を取りこぼすことなく元の世界に戻るための道筋を示してもらったようなものなのだから。
「魔王討伐か。まあ細かいことは実際に現地で考えるとするか」
「そーそー、とりあえずはお気楽に考えとけばいいと思うわよ」
それでいいのかと思ったが、視線をアクアに向けると……。
それは初めて見るかもしれない。慈愛を称えた笑みを浮かべるアクアの姿があった。
「ナギ・スプリングフィールドさん。かつて世界を救った救世の英雄よ。今からあなたが向かう世界にあなたが背負わなければならない使命や義務は存在しません。あなたがたどり着く世界、あなたが旅をする道程、あなたが身を寄せる国や村、人々の生活に触れ、たくさんの人と会話を重ねてください。共に杯を交わすのもいいでしょう、あるいは対立することだってあるかもしれません。あなたはただ自分のために生きて、これからあなたが紡ぐであろう絆のために戦ってください。必要以上に気負う必要はありません。世界はあなたを歓迎してくれますよ」
アクアが女神らしい厳かな口調で「あなたの前途に祝福を」と告げてきた時だ。俺はふっと笑った。こう言ってはなんだがその様子はあまりに
「からかうわけじゃねーけど……常日頃からそういうふうな態度で過ごせば女神力が上がるんじゃね?」
俺の言葉にアクアは一瞬頬をひくつかせると、だいぶ笑顔の形が崩れ始めた表情で「いやねぇナギさんたら。女神力ってなによ女神力って。仮にそんなものがあるなら私はすでにカンスト済みよ」と返してきた。
俺は笑顔を浮かべたまま親指を立てた。
「ドンマイ」
「あーっもう!! せっかく人がそれなりに取り繕った感じで送り出してあげようかと思ったのに! だいなしよだいなし!!」
「取り繕ったって言ってやんの」
「うるさいわね! もうさっさと行っちゃいなさい!」
アクアの叫びと共に俺の足元に光がほとばしる。俺が使う魔法とは質がだいぶ違うが転移系に近い術式が、光の柱となって俺を包み込んだ。
「アクア」
「まだ何かあるの!?」
ぷりぷり怒ってる。俺のせいだが。ただこっちのほうが俺たちらしい。
「世話になった。楽しかったぜ、ありがとうよ」
俺がそう言うとアクアは一瞬顔を曇らせた。そこにどういった感情が込められていたかは知る由もないが、次の瞬間とんでもなくウザったい笑い顔を浮かべた。
「ナギさんが私に素直にお礼を言うなんてね! どうして最初からそうできないのかしら!」などと盛大にからかってきた。
なんというかこう……握り拳で頭をぐりぐりやってやりたい。
「…………まあ、アレよ。とりあえず楽しんできなさいな」
視界が光のカーテンに閉ざされる瞬間、そんな言葉が投げかけられた。
「……あいよ。まあちょっくら行ってくらぁ」
∇ ∇ ∇
それが夢だとすぐに気づけたのは、俺にとってもそれが印象的な出来事で、何度も繰り返し夢に見た光景だったからだ。
俺はひたすらに走っていた。
遠く彼方にまで広がる夜空の底を、炎が紅く焦がしていた。まるで巨人の赤い舌が大地を嘗め回すように、燃え盛る炎が丘陵地帯の上を這いずっている。木々が焼け、大地が焦げる。濛々と周囲に立ち込める煙はまるでグラディエーションのように闇夜と炎の境界線を曖昧にぼかしていた。
情報を掴んで急行したが、すでに遅かった。
もう戦いは始まっていた。
言葉にしてみればずいぶんチープな響きだが、それは現実の光景だった。
ウェスペルタティア王国。
魔法文明発祥の地と呼ばれ、巨大な空中大陸の上に築かれた王国だ。その王都であるオスティアは、今まさに戦火のまっただ中にあった。
それは帝国によるオスティア侵攻作戦が決行されたことを示していた。
国の周囲に浮かぶ戦艦の数は十や二十では利かない。まるで蟻が獲物に群がるような光景だ。鬼神兵と呼ばれる巨大な人型兵器も数十体規模で投入されていて、生半可な軍事力で対峙したところであっというまに跳ねのけられてしまう。ウェスペルタティア王国は歴史こそ古いが、国力は二大国と比べるまでもないほどに小さい。防衛線はやすやすと突破され、国の中枢である王都にまで敵の侵攻を許してしまっていた。
陥落も時間の問題であるオスティアに残された手段はそう多くなく、もはや最後の切り札を切らずにはいられないところにまで追い詰められていた……。
黄昏の姫巫女。
そう呼ばれる王族の少女が持つ力、『完全魔法無効化能力』はこの世界のあらゆる技術の根幹を支える魔法の力を文字通り無効化するという強力無比な力だ。追い詰められたオスティアがその力を兵器として利用する。そんなことは分かり切ったことだった。
だが気に入らねえ。
黄昏の姫巫女はまだ小さな少女だと聞く。
戦場に担ぎ出そうなんざ到底許せるものじゃなかった。
俺と仲間たちは戦場に急いだ。
そして最前線、帝国の舞台はすでにオスティア周辺を完全に包囲していた。いよいよ王手とばかりにオスティア目掛けて、帝国の戦艦から放たれた精霊砲は、しかし首都に届く前に消失した。防御したわけでも雲散したわけでもない。最初からそこになにも無かったように、欠片ほどの残滓も残さず消滅したのだ。
それこそが『完全魔法無効化能力』であり黄昏の姫巫女が前線に投入されたことを示していた。しかしそれは一時しのぎにしかならない。敵の侵攻を阻むことに成功したようだが、所詮は時間稼ぎだ。戸や窓をいかに堅固に補強しようとも家そのものを吹き飛ばす嵐に見舞われてはどうしようもない。物量があまりに違いすぎた。
鬼神兵が腕を伸ばした先にある塔は、完全魔法無効化能力が展開された中心。つまりそこに黄昏の姫巫女がいる。
そう察した俺は瞬動術で一瞬で距離を詰め、練り上げた魔力を握りしめた拳に込め、鬼神兵のどてっぱら目掛けて、打ち抜いたッ。
ドンッ、と衝撃に大気が震え。鬼神兵の上体がぐらりと揺れた。腹部から真っ二つになった鬼神兵の上半身が地に落ち、それを追いかけるように下半身も倒れる。その一撃によって生じた余波は、蛇がのたうつように大地を幾度も打ち据え、削り、抉り、周囲の敵を蹴散らした。
鬼神兵から守った塔の上で、呆然とこちらを見上げるオスティアの神官らしき男たちの中に、一人小さな女の子がいた。ああ、この子がそうか。
『お……お前は……
俺は内心でほくそ笑んだ。
そーかそーか、そこまで有名になっちまったか。いやー、まったく参った参った。
「そう!」
俺こそが、と威風堂々の名乗りを上げた……――
……軽く眠っていた。たぶん十分かそこらだろう。
俺は木立に背中を預けて座り込んだ姿勢のまま、微睡んだ眼で周囲にゆっくりと視線を這わした。
そこは林の中だ。シラカバのような白い樹皮の木々が、緑の大地の上にまるで降り始めの雨のようにぽつぽつと屹立している。
頭上では折り重なった葉によって濾過された陽光が柔らかく周囲を包み込んでいる、色濃い新芽の香気や小鳥のさえずり、虫の気配や草木が風に揺られる葉音が入り混じった豊かなさざめきが、この長閑な景色の中に揺蕩っていた。
目覚めがこんなにも甘い。
こんなに満ち足りたような気持ちは一体いつぶりだろうか。
【
だからこそ、俺自身のありのままの心だけを抱えて、この何気ないのどかな自然の中に身を置けることにたまらない幸福を感じる。
「そうか生きてるってのはこういうことだっけかな」
心がこんなにも軽い。草の絨毯の上にごろりと寝転がり、手のひらを木漏れ日の中に透かして見る。
「さて、どうっすっかな」
こうして異世界とやらにやってきたわけだが、とりあえずこれからどうしたもんかと頭をひねらせる。
アクアの事前説明ではこの世界には魔王なんてものがいて、そいつのせいで人類が脅かされているらしい。いくつもの王国が栄え、多種多様なモンスターがいて、悪の組織じみた連中がいて、そいつらを取りまとめる悪の大ボスがいる。
つくづくどっかで聞いたような話だ。
まあなんとかなるだろう。
「よう相棒、また世話になるぜ」
そう言った俺の手には杖が握られている。懐かしい感触だ。身長を超える大ぶりな杖で切っ先は左右交互に曲がった稲妻形。かつて動乱の時代を共に駆け抜け、息子であるネギに形見代わりに託した愛用の魔法発動媒体である杖だ。
異世界に転移するにあたりアクアが
『俺はこの〝拳〟で駆けあがってきた。今更余計なもんは逆に邪魔だ。必要ねえさ』
『そこはせめて〝杖〟って言っときなさいよ魔法使い……あ、そうか、じゃあ杖でいいわね』
なんていうやりとりの末、アクアがその場に呼び寄せたものは俺がかつて使っていたこの杖だった。ネギから取り上げてきたのかと思ったが、どうやら全く同じものを作り出したらしい。さらにおまけだと言って数々の魔法詠唱が記された俺手製のアンチョコも、当時と寸分たがわぬ物を用意してくれた。
そんな文字通りの神業に、俺はこの時改めてアクアが神なのだと思い知らされた。
まあその直後のドヤ顔があまりにうっとうしかったんで尊敬の念は放り投げたもんだが。
どうやらこの世界では魔法の体系がずいぶん違うらしい。それどころか各々の強さが一目でわかる冒険者カードというものの存在や、モンスターを倒すなどして貯めたポイントを使えば様々なスキルを修行なくして習得可能だという世界観。
まるでRPGゲームのようだ。
ひょっとして俺も周りに合わせた戦い方をしたほうがいいのか、と思ったが……面倒くせえ……。今までの通りの戦い方ができるなら、それでいいかと疑問はぽいっと投げ捨てる。
問題が出てくるようなら俺をこの世界に送り込んだアクアがどうにかするだろう、たぶん。
とりあえずはだ、もう少しばかりこの穏やかな時間を味合わせてもらおうかと、目を瞑ってもうひと眠りしようかと思った次の瞬間。
「――――あん?」
遠くのほうで微かに爆発音のようなものが聞こえた。僅かだが構成によって編み上げられた魔力の気配も感じる。
ここから遠くないどこかで誰かが魔法を使ったらしい。それも一発二発じゃない。断続的な魔力の鳴動のようなものを感じる。
半身を起こして、集中して気配を探る。
詳細までは分からないが、大きな気配が一つ……これは悪魔や魔族のものだろう。それと大小さまざまなモンスターの気配が数百ばかり集まっている。その全てが攻撃的で荒々しい意思を感じる。それと対峙するように二つの気配。たぶん人間だ。
「……戦ってんのかこりゃ」
さて、どうする? などと自分に問いかけるまでもない。俺は立ち上がって服に着いた土埃を払った。
――自分の中で錆びついていたスイッチが十数年ぶりに押されたのを感じた。
「ヘッ、向こうからトラブルが舞い込んできやがったか」
どこかで誰かに危険が迫っているかもしれない。
だというのに、不謹慎かもしれないがワクワクしている自分がいる。
遠い昔、まだ幼かった頃の自分が初めて広い世界に飛び出していったあの日の心が弾むようなときめきが、未知の世界に飛び込んでいくあの興奮が、俺の胸を湧き立たせる。
それはもう久しく忘れていた感動だった。
もう、二度と戻らないと思っていた自由が、情熱が、この胸のど真ん中で熱く、熱く、再びまわり始める。もう一時だってじっとはしていられない。
俺は笑っていた。叫びたいような、身体をめちゃめちゃに動かしたいような、とにかく愉しくてしょうがなかった。
「かかってきやがれ異世界」
あの激動の日々を駆け抜けたように、再びあの輝きの中に、あの大空の彼方まで、地の果てまでも。
俺はもうどこまでだって行ける、どこまでだって辿り着いてみせる。
立ち止まっている時間は終わりだ。
俺は杖をぎゅっと握りしめた。軽く伸びをして、地面の感触を確かめるように爪先でトントンと叩き、ローブをはためかせ、一歩を踏み出す。
――さあ、また旅に出よう。
空は高く、どこまでも澄み渡っていた。
∇ ∇ ∇
二人の少女は追われていた。
「なんなんですかアナタは!? こういうのはもうちょっとこう……セオリーってものがあるでしょうが、なんでいきなり最大戦力で問答無用で襲いかかってきてるんですか! せめて前口上くらい述べてくださいよ、なんなら今からやり直してもいいんですよ!?」
そう叫んでいるのは、追いかけまわされている二人の内の一人である紅魔族の少女、めぐみんだ。
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょおおおおお!」
めぐみんの発言に対して、鋭くツッコミをいれるゆんゆん。彼女もまた紅魔族であり、めぐみんとは同郷で同い年である。
二人の出身である紅魔の里は、まだ学校に通う子供を除けば住民は、習得が極めて困難とされる上級魔法を当たり前のように使える
空を、地を埋め尽くす多種多様なモンスターの軍勢。数は百やそこらではない。そしてそれをけしかけてきたのは、上位悪魔アーネス。
「あいにくだったね。本当ならじわじわとモンスターをけしかけてアンタたちの戦い方を分析する予定だったけれども、少しばかり事情が変わったのさ! さあ今度こそウォルバク様を渡してもらうよ!」
アーネスの狙いはめぐみんが両手で抱えている翼の生えた黒猫……のような生き物である。めぐみんはちょむすけと名付け
紆余曲折の果てに始まった両者の追走劇。幾度か直接的に激突したが、めぐみん達に周囲の状況が味方したこともあり上位悪魔であるアーネスを退けることに成功していた。
しかし今回は少しばかりマズい。
冒険者になるべく里をでためぐみんとゆんゆんの二人は水の都アルカンレティアを経由して、目的地である駆け出し冒険者の街アクセルに向かう途中であった。
大型の集合馬車に乗り合わせ、そして襲撃はすぐに起こった。
突如として進路をふさぐように現れた数十体のモンスター。それに対処すべく、二人は馬車から飛び出した。
そして二人は馬車から切り離された。
落雷のような魔法が馬車を引いていた馬の鼻先を掠めた。轟音と衝撃にパニックを起こした馬を御者が必死で制御しようとするが、それも叶わず馬車はしっちゃかめっちゃに走り出した。こんなどことも知れない原野に置いて行かれてはたまらないと馬車を追いかけるめぐみんとゆんゆんの前に、アーネスが現れる。その背後には数百体というモンスターの群れを引き連れていた。
「恥ずかしくないんですか! なに上位悪魔が人間相手にムキになってるんですか!」
「うるさいね! あんたたちには散々してやられてきたんだ! もうおごりや油断なんてもんは投げ捨てたさ!」
「あーもう! ゆんゆん、今こそあなたの出番です、あいつらに目にもの見せてやってください!」
「もう魔力きれかかってるわよ! 今こそ出番っていうのは、それこそめぐみんのほうでしょ!」
めぐみんの扱える唯一の魔法である爆裂魔法。それはあまりに魔力消費が大きく使い難いという点でネタ魔法などと揶揄されているが、威力においては人類の扱える魔法の中で最強クラスの魔法である。今のめぐみんで撃てるのは一発。それを撃ってしまえば自分の意思で動くこともままならなくなってしまうが、例え相手が上位悪魔であるアーネスだろうと打ち倒し、この切迫した状況を打破する切り札足りえる魔法である。
「今の私にそんな暇があるように見えますか!? うわきゃぁああ!」
群れから足の速いモンスターが飛び出してめぐみんに襲い掛かる。こけつまろびつその一撃を寸でのところで回避するめぐみん。そのモンスターはゆんゆんによって焼き払われたが、もはや限界はギリギリ、特に体力の乏しいめぐみんは追いかけまわされ、息も絶え絶えで爆裂魔法を放つための詠唱をする余裕は無いかった。
もはや捕まるのは時間の問題かもしれない、そう二人は焦っていた。
しかし、焦っているのは優位に立っているはずのアーネスもまた同じだった。
そもそも当初の予定である戦力分析を急遽変更して、強硬策に及んだのには理由があった。
……数十分前、突如この地に強大な気配を持った何者かが現れた。
それが何者かは分からない。巧妙に隠蔽されていたためおそらく気づいたのは、力ある存在である上位悪魔で、その地の近くにいた自分だけだろう。しかしそれが尋常な存在では無いということを、長き時を生きてきたアーネスは直感的に悟ってしまった。魔王や神とは違う。周囲を無差別に威圧するように力を垂れ流さず、まるで一個の生命体の中に世界の理すら変革しかねないほどの膨大な力を押し込めているような……巧妙に隠蔽しいた、とは思ったがもしそれが故意に隠蔽していたわけではないというのなら、力の流れそのものを完璧に掌握していなければ出来ない芸当だ。少なくともアーネスは後者のように感じた。もしそれが本当なら、自分の直感が間違っていなかったとしたら、それはなんという出鱈目な話だろうか。下手すれば天敵である神々よりよほど恐ろしい相手かもしれない。
もはや一片の猶予は無かった。
得体のしれない
それはまるで暗闇の中、凶暴な獣が蔓延る密林に放り込まれたような気分だ。どこに何が潜んでいるか分からない。地の底から響くような唸り声が背筋をおどろおどろしく撫でさすっているというのに肝心の獣の姿を捉えることはできない。もしかしたらその獣は自分を獲物と定め、喉元に食いつく瞬間を虎視眈々と狙っているかもしれないのだ。
狩る側から狩られる側へ。
経験したことのない焦燥が彼女から冷静な思考能力を奪っていた。何より彼女の主がそのイレギュラーに害される可能性が無いなどと誰が言い切れようか。主の半身の即時奪還。今のアーネスにそれ以外の選択肢は取りようがなかった。
……悪いねお嬢ちゃんたち、でもあんた達も悪いんだよ。
アーネスの瞳が細められた。双眸は冷酷に、暗く輝く。
余計な問答も警告も、もうするつもりはなかった。
獲物は十分消耗させた。ここまでよく持ったほうだが、もはやここまでだ。アーネスは二人に向かって一気に距離を詰めた。
「あ」
「え」
めぐみんとゆんゆんは目を見開いた。アーネスはそんな二人にニコリと柔らかく微笑み、「じゃあね」と決別の言葉を突きつけた。
爪が振るわれた。
鋼さえ易々と切り裂く、上位悪魔の爪が二人の首を目掛けて閃き、
「なっ」
しかし届くことはなかった。
いつの間にか。
「……やっぱり悪魔だったか」
そのローブ姿の赤毛の男が眼前に立っていた。まるで一瞬にして景色が挿げ替えられたように、アーネスの視界に……更に詳しく述べるなら紅魔族の少女二人とアーネスの間に、その男が飛び込んできていた。しかも男は振るわれたアーネスの爪を、指と指の間に自分の指を挟み込むようにして、事も無げに防いでいた。
ありえない。
上位悪魔の膂力は人間とは比べ物にならないほどに強い。それをまるで手を挙げて軽く挨拶するような気軽い動きで、アーネス渾身の一撃はあっさり受け止められた。
この男は
まさかこいつが、と驚愕に引きつった顔のアーネスに向かって、
「ハッ」
男は笑った。それは嘲りや侮りといったものは含んでおらず、例えるなら猛獣が威嚇するような猛々しい笑いだった。
背筋を走り抜けた悪寒に、アーネスは突き出した腕を引き戻して慌てて距離をとった。
アーネスと位置を入れ替えるようにして、モンスターの群れの中で先頭を走っていた一団が紅魔族の少女二人と男目掛けて勢いのままに一斉に飛び掛かった。
「飛べ」
ただ一言、男はそう告げると、掌を下から上に向けて振るった。まるで手ですくった水をかけるような動きは、次の瞬間猛烈な衝撃を伴ってモンスターやアーネスを襲った。
「なぁあああっ!?」
咄嗟に腕を交差させてガードしたアーネスだったが、大きく後方に吹き飛ばされた。地面は抉れ、砕けた岩がはじけ飛び石つぶてが雨のように周囲に巻き散らされた。直撃を受けたモンスターは散り散りに砕け、巻き込まれたモンスターもまた致命傷を負い、後方のモンスターを巻き込みながら大きく吹き飛ばされた。
「なんだ、今のは……ッ、魔力、なのかっ?」
魔法として構成を編み上げられた訳ではない。圧縮した魔力の塊をぶつけられたように思える。しかしただそれだけの一撃が下手すれば上級魔法を凌駕するような破壊力を持って放たれた。
男は慄くアーネスを追撃する様子も無く、背後の少女二人に振り返った。
めぐみんとゆんゆんの二人は何が起こったか理解しきれず口をぱくぱくと動かしていた。
「い、一体なんですか……っ」
何が起こったか、あなたは何者なのか、今のは一体、そういった諸々の意味を含め絞り出しためぐみんの言葉だった。
その言葉に返答するわけでもなく男は「ふーん」とつぶやきながら周囲をぐるりと見渡した。
周囲を数百にも及ぶモンスターの群れに囲まれ、目の前には上級悪魔。これはそれこそ腕利きの冒険者のパーティーが徒党を組んで挑むか、軍隊でも導入せねば打破できない差し迫った状況だ。にも関わらず、男は場違いなほどに自然体えあった。
「あなたは一体……?」
呆けたように紡がれる誰何の言葉に、ナギは不敵な笑みを浮かべた。
いつだったかそうしたように。
先ほど見た夢の続きをなぞる様に。
「俺の名はナギ・スプリングフィールド! またの名をサウザンドマスター!!」
今、かつて別世界で英雄とたたえられた男が、降り立った新たな世界に向けて堂々たる名乗りを上げた。