悪役貴族の矜持   作:羽場

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第4話 悪役貴族の矜持

 1

 

 世界は色を取り戻していた。

 辺りは灰色の空間から玉座の間へと戻り、穴が空いた天井からは光が注いでいる。

 また魔法剣士を磔にしていた漆黒の杭は消え、女賢者を封じていた氷塊もバシャリと水へと変わった。

 

 その光景に、勇者は身体を横たえながらも、ほっと息を吐いた。

 魔王の力が及んでいない。間違いなく魔王は死んだのだ。

 

 見れば、女賢者はすぐに状況を把握したようだった。

 この場にもう一人増えていたことに驚いていたものの、まずはこちらに駆け寄って、治癒魔法をかけてくれた。

 

「俺はもういいから、悪役貴族を治療してやってくれ」

 

 わずか数秒の治癒魔法でなんとか体が動かせるまでになると、勇者は言った。

 あれだけの激戦である。悪役貴族が勝利したとはいえ、無事であるわけがなかった。

 

 実際、悪役貴族は力を使い果たしたのか、最後の一撃を放ったあと倒れて、そのままだ。

 生きている気配こそ感じるものの、起き上がる様子はない。

 

 ちなみに、魔法剣士も重傷ではあるのだが、こちらは治癒魔法の心得がある。

 自分で自分に拙い治癒魔法をかけていた。

 

「悪役貴族……?」

 

 どこか聞き覚えのあるかのように、女賢者が口の中で反芻した。

 その反応に、勇者もクスリとつい笑いをこぼしてしまう。

 

「ほら、学生時代に同じ教室だった……」

「あなた、なに言ってるの? 魔王を倒してはしゃぎたくなる気持ちはわからないでもないけど、面白くないわよ?」

 

 信じたくないのか。まるで信じていないのか。

 とにかくわかっているのは、女賢者の悪役貴族に対する印象は最悪だってことだ。

 

「いいから頼むよ。早くしないと、死んでしまうかも」

 

 その言葉に従って、タタッと女賢者が、倒れ伏す悪役貴族のもとへと駆けていく。

 そして実際に顔を見れば、女賢者もようやく誰かわかったようだった。

 常日頃より沈着な彼女が見せた、珍しい間の抜けた表情。それだけ意外だったのだろう。

 

「魔王を倒した凄いやつさ」

 

 まるで我がことのように語りつつ、勇者は女賢者に遅れて、ゆっくりと悪役貴族のもとへと向かう。

 ……だが、おかしい。治癒魔法をかける女賢者の顔面は、蒼白としていた。

 

 勇者は、まさか、と思ったが、まだ死んではいない。

 悪役貴族からは、確かに生きるものの気配を感じるのだ。

 しかし、それならば治せるはず。

 

 蒼白の原因は、勇者が悪役貴族のそばにたどり着いて、ようやくわかった。

 女賢者の治癒魔法がまるで効いていないのだ。

 

「女賢者!」

「わからない……、傷が塞がらないのよ……!」

 

 詠唱を変え、女賢者は別の治癒魔法も試そうとするが、それもまるで効かない。

 すると、女賢者の肩に手を置き、魔法を止める者があった。

 

「……もういい。この魔王城には、治さねばならない者たちがほかにもいる。魔力の無駄遣いはよせ」

 

 女呪術師だった。普段の心優しい彼女からは想像できない冷徹さだった。

 だからこそ、ふざけるな! と頭に血が上り、勇者は女呪術師の胸ぐらを掴もうとした。

 

 されど、その手はすぐに止まった。

 女呪術師は泣いていた。ハラハラと両の眼から涙をこぼしていたのだ。

 彼女の冷たい言葉の裏に、なんらかの理由があることは明白だった。

 

「私にはわかるんだ……。呼吸はしている、心臓は動いている……、でも、命はそこにない……!」

 

 もはや自分を隠さず、女呪術師は自らの無力さを吐き出すように言った。

 勇者は、馬鹿なと思った。悪役貴族に対する、『死』という残酷な一文字に愕然とした。

 

「思えば、最初からおかしかったな。瘴気があふれる《魔の領域》。精霊の加護なしには、ここまでたどり着けるはずがない」

 

 横から割って入るように、魔法剣士が女呪術師に同意した。

 それを引き継いで女呪術師が言う。

 

「魔王が放った死の呪法。死に魅入られれば、決して逃れることはできない。精霊の祝福を受けた私たちなら別だが、彼はそうじゃない。

 だから、なぜだと私は思った。簡単なことだったんだ。……彼はすでに死んでいた。死んでいた体をここまで引きずって、魔王に挑み、そして、討ち果たした……」

「そ、そんな馬鹿なことが……」

 

 勇者は困惑した。わけがわからない。だってさっきまで動いていた。戦っていた。

 死んだ者が動くはずはないのだ。

 

「――想い」

 

 涙を拭い、若干の沈黙ののち、女呪術師が言った。

 

「想い……?」

 

 そう勇者は聞き返すと、女呪術師は小さく頷いた。

 

「命を失ってでも、と考えるなにか。私たちが世界を救いたいと思う以上に、この男には死してなおも動くに足る理由があったのだろう」

 

 途端、女賢者がなにかに気付いたように目を丸くした。

 もちろん勇者も知っている。悪役貴族のかねてよりの固執を。

 知っていて、歯を食いしばった。

 

 まさかと思ったのだ。まさか、そんなことのために。

 そんなことのために悪役貴族は……。

 

「なにか手があるはずだ! 心臓が動いているなら、なにか!」

 

 諦めてなるものか、と勇者は叫んだ。

 しかし女呪術師は、やはり首を横に振るだけだった。

 

「……魔力が急激にしぼんでいる。この者はもう死を受け入れている」

「そんな……」

 

 そのときだった。

 

「ふん。うるさくて眠れやしない」

 

 ハッとなって、勇者は歓喜とともに振り返った。やった! とその胸の中で叫んだ。

 思えば、何百回殺されようとも死なないような憎たらしさだった。だから大丈夫だと。

 

 だが、悪役貴族の顔を見た瞬間、その考えが間違っていることを理解した。

 目はぼうっと虚空を眺めている。見えていないのだ。

 それは治癒魔法が依然として効いていない証左であり、死の運命は決して覆されないということ――。

 

「悪役貴族……」

 

 名前を呼びながら、悪役貴族のすぐそばに膝をつき、勇者は尋ねた。

 

「なんで……」

 

 なんで、の先の言葉を勇者は言えなかった。

 いかようにも取れる問いかけだ。実際、訊きたいことはいくつもあった。

 だが、悪役貴族の答えは一つだった。

 

「なんで? はっ、ただちょっとお前が気に入らないから、手柄を奪ってやろうと思ってね。それだけさ」

 

 悪役貴族はあらぬ方を眺めながら、なんてことのないように憎まれ口を叩いた。

 それは勇者の記憶にある、悪役貴族そのままの姿だった。

 

「……で、魔王は死んだのか?」

「……ああ」

「僕が倒したのか?」

「そうだ! キミが、キミが倒した!」

「ふっ、そうか。お前が倒せなかった魔王を僕が倒した……そう、僕が倒したんだ。僕が上で、お前が下。これでわかっただろう」

「ああ、キミが上だ! 俺なんかよりずっと! よくわかった、わかったから……!」

 

 なんと言葉を伝えればいいのか。

 イジメられ、憎んだこともあった。しかし、自分が勇者となり、その後の顛末を考えれば、胸に残ったのは同情だった。

 いつか、わかりあえれば。――そんなふうに思ったこともあったかもしれない。

 

 しかし、そんな機会はなく、学校もやめ、勇者として旅立った。

 その後は修業と、時折送られてくる魔王の刺客と戦う日々だ。

 人類の危機と与えられた使命の前に、悪役貴族のことなどとうに忘れ去っていた。

 

 ――だがキミは、ずっと……。

 

 その思いが、こんなにも胸を締め付ける。

 まるで自分をとんでもなく薄情であるかのように思わせる。

 

「ふふっ……わかればいいんだよ、わかれば」

 

 ニコリと悪役貴族が口元を緩ませた。

 それは、勇者が初めて見た笑みだった。記憶にある嘲るような笑みではない。

 悪役貴族の心からの笑み。

 

 ゆえに勇者は理解した。はっきりと理解してしまった。

 悪役貴族は、やはりただそれだけのために、死を否定し続けたのだと。

 そして、それがなされたのならば彼は……。

 

「おい弱虫、僕はもう少し寝るからさ。起きるまでに、焼きそば、パン……を……」

 

 悪役貴族の言葉は、最後まで紡がれはしなかった。

 

「悪役貴族……?」 

 

 勇者の問いかけにも応えない。

 悪役貴族は瞼を固く閉じ、口元には満足したような微笑をたたえていた。

 

「おい、返事をしろ! 悪役貴族! 悪役貴族!!」

 

 何度も何度も。

 勇者の哀しい声が魔王城に響いていた――。

 

 

 

 2

 

 後世において悪役貴族の活躍が語られることはない。

 

『魔王は勇者とその仲間たちによって倒された』

 

 これこそが、魔王討伐という英雄譚における絶対不可侵の中核。

 悪役貴族の名は、精鋭部隊の一人として登場するだけである。

 

 誓って言うが、生き残った精鋭部隊の者たちと一緒に凱旋した勇者は、ありのままを王に報告している。

 しかし、王は悪役貴族の功績を認めながらも、『魔王を倒したのは、あくまでも勇者でなければならない』という宗教上の理由を持ち出した。

 その背景には、悪役貴族の家柄にまつわる政治的理由があるのだが、それについては省略する。

 

 王の意向が国の最終決定になると、勇者はあらゆる地位を捨て、隠遁した。

 それは、この決定に対する反抗心であるのかもしれないし、あるいは、この決定を通させてしまった自分のいたらなさに責任を感じたのかもしれない。

 とにかく勇者はいなくなり、そしてそれ以後、勇者の姿を見た者は誰もいなかった。

 

 勇者の仲間たちについても少しだけ触れておく。

 まずは女賢者であるが、彼女は教会へ戻り、神の僕としての毎日を送っている。

 次代の教皇であるとの呼び声も高いが、これには乗り気でないらしい。

 

 次に魔法剣士。彼は教職へと戻ったものの、しばらく勤めたあとその職を辞した。

 今は里に帰り、私塾を開いて、子どもたちに勉強と剣術を教えている。

 

 精鋭部隊については、おおよそ三割の者が生き残った。

 いずれも世界を救ったという栄誉と、多大な報奨に与り、それぞれの生活へと戻っていった。

 

 そして最後に女呪術師。勇者の仲間たちの中で、唯一彼女だけは、その後の消息が掴めていなかった。

 ただし、これについては、おそらく勇者と共にいるのだろう、というのが大方の予想である。

 

 かくして、世界は平和になった。

 魔物たちも今ではまた魔の領域で、穏やかに暮らしている。

 

 再び魔王が蘇るのかどうかはわからない。

 蘇るとすれば、それはなにがきっかけなのか。そのとき魔物はどうなるのか。

 

 主を失った魔王城はどこまでも静かだった。

 数年前、ここで人類の命運をかけた激戦があったなどと、信じられないほどに。

 

 しかし、いまだ深く残る戦いの爪痕が、それを否定する。

 犠牲は大きかった。多くの戦士たちが、ここに眠っているのだ。

 もちろん、悪役貴族も――。

 

 

 

 3

 

 玉座の間にある、石が積まれただけの粗末な墓。

 そこで悪役貴族は静かな眠りについている。

 しかし、今日ばかりはほんのちょっぴりだけ賑やかだった。

 

「あれから十年。今も平和は続いているよ。でも、仮初の平和だ。魔物がいなくなれば、今度は人間同士が争う。愚かな話さ」

 

 腰に立派な剣を佩いた男が、悪役貴族の墓の前で言った。

 

「……魔王は星の軌道を正すと言っていたけど、今ならその言葉の意味が少しわかる気がするんだ。俺たち人間のたどる道は、魔王の言うように間違っているんじゃないかって」

 

 人間の愚かさ。かつて世界を救おうと命を懸けてまで尽力したからこそ、男には余計にそれが見えてしまう。

 そしてそれはまた、男の心をとても虚しくさせた。

 

「一か十かで語るのは感心しないな」

 

 答えたのは、隣にいる髑髏の杖を手にした女だった。

 

「まったく……、ここ最近ずっと悩んでいるかと思えば、それが原因だったわけか」

 

 言いながら、はぁ、と呆れたように女が大きくため息を吐いて、言葉を続ける。

 

「人間はそれほど完璧ではないよ。だからこそ、たくさん間違える。それを認めないのは、高遠な理想が過ぎるというものだ。けれど、間違いを省みて修正することができるのも、また人間というものじゃないのかい?」

「……できるかな?」

 

 男は少し考え込んだあと、そう尋ねた。

 

「少なくとも私はそう信じたいね。そもそも神様じゃないんだ。人の歩む道が正しいかどうかなんて、簡単にわかるものじゃないさ。

 もし仮にその答えを知るときが来るのであれば、それは私たちが死んで何百年、あるいは何千年も経ってからかな」

「気の長い話だ」

「そういうものだよ。私たちが刹那の時間に魂を焦がしたように、これから先、その時代その時代を人々が必死に生き、そうやって人の歴史は紡がれていく。

 けれど、それもまた星の歴史からすれば、ほんの一瞬でしかないのだろうね」

「……なんだか、難しいな」

「私たちにできることは終わった。あとは、なるようになれってことさ」

 

 女がニコリと笑って言い、男も何度かまぶたをパチクリとさせてから、クスリと笑みをこぼす。

 

「さあ、そろそろ帰ろう。子どもたちが心配する」

「ああ。……じゃあ悪役貴族、俺たちはもう行くから。また来年。今度は子どもたちも連れてくるよ」

 

 それを最後に男女の影は去り、玉座の間に再び静寂が訪れた。

 天井から射し込む光筋が照らすのは、ひとりぼっちとなった悪役貴族の墓――。

 

 しかし、そこには美しい花があった。

 そして、その花の隣には、おいしそうな焼きそばパンがいくつも置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、天井の穴から一羽の鳥がやってきた。

 茶色がかった、鳶に似た少し大きめの鳥だ。

 地上に降り立って、キョロキョロと視線をさまよわせている。

 

 その瞳が焼きそばパンを見つけるのは早かった。

 ひょこひょことパンに近寄って(ついば)めば、辺りに響かせたのは「クアッ!」という嬉しそうな鳴き声。

 

 よほど気に入ったのだろう。

 鳥は焼きそばパンのひとつを器用に咥えた。

 そして翼を広げ、再び天井の穴へ――どこまでも続く大空へと飛び立っていった。

 




これにて完結です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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