大学生一年生になった八幡と、同じ大学の四年生はるのんの一幕。
浮気なんて、許されません。それが八幡自身の意識に関わらず。



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第1話

 比企谷八幡が大学生になってから、そろそろ三ヶ月が経とうとしていた。

 

 授業が終わると気が抜けたように話し出すのは、高校も大学も変わらない。

 どこか眠そうな気配が漂っているのは今が一限目だからだろうか。

 

 周囲がこれからの予定や趣味の話題などを話している中で、八幡は淡々と自分の荷物をリュックに突っこんでいく。

 大学生になったところでぼっちはぼっち。

 むしろクラスという括りがなくなった分、コミュ障とコミュ強の分断が更にはっきりとしたものになっていた。

 

(まぁ、変に話しかけられないから気楽ではあるんだが)

 

 酔狂な人物ぐらいだろう。

 

「あの、比企谷くん」

「……何だ?」

 

 話しかけてきたのは、同期の今井舞という女性だった。

 それ以上のことを八幡は知らない。

 他に彼女に関して知っていることと言えば、今年の一年生の中で最も告白されているらしい、という噂ぐらいだ。

 かくいう本人はその誰とも付き合う気がないらしく、すべての誘いを断っているとも聞く。

 

「来週のグループ課題、私と比企谷くんの発表になったでしょ。だから早めに話し合っておいた方がいいと思って」

「そんなにガッツリ準備がいるか、これ」

 

 一週間前に担当者が告げられる以上、課題の内容もそれに見合ったそこそこ簡単なものが二種類出されている。

 正直、どちらかをやるか決めておけば後は個人でどうにかなるレベルだ。

 

「いやいや、いるよ。絶対いるから。少なくとも私は必要だと思う」

「はぁ」

 

 やけに強い語気で今井は 

 

「分かった。じゃあ、昼で」

「ありがとう! じゃあお昼に中央テラスに集合ね!」

 

 そう言って今井は彼女の友だちのところへ戻っていく。

 

「誘えて良かった……」

「よく勇気出したね、舞」

 

 そんな会話は、幸か不幸か八幡の耳には届かない。

 ふぅ、と一息ついて彼は移動するべく立ち上がった。

 

 

◆ 

 

 

 昼のテラスは陽キャたちで賑わっていた。

 不規則に並んだ円形の机の間で思い思いの会話が行き交う中、八幡は一人端っこで肩身の狭い思いをしていた。

 

 予定の時間より早く来ているのは今現在付き合っている『彼女』の存在が大きいだろう。

 遅刻なんてしようものなら、どんな報復が待っているのか想像もしたくない。

   

「──っ」

 

 突然、首筋に冷たいものが当てられて思考が中断する。

 首に手を回しながら後ろを振り向くと、そこには冷えたマッ缶を持つ見知った顔があった。

 

「震えちゃって可愛い」

「は、陽乃さん!?」

「ひゃっはろー」

 

 雪ノ下陽乃。

 八幡が通っている大学の四年生であり、大学一の美女という言葉をほしいままにしている女性。

 そして八幡と付き合っている女性でもあった。

 

 ただ、大学内でその事実を知る者は少ない。

 八幡自身がそういう話題を開けっぴろげに話す性格ではないし、陽乃もそうした秘密の関係を良しとしていた。

 

 突然現れた支配者にテラス内の人間は浮き足立つ。

 だが彼らを一瞥することなく、彼女は短く切りそろえた髪を揺らしながら八幡の前にマッ缶を置いた。

 

「陽乃さん、どうしてここに?」

 

 傍に立つ彼女にそう尋ねながら、八幡は自分の背に冷や汗が流れていくのを感じていた。

 突き刺さる周りの視線も気にする余裕はない。

 

 今井と課題の話をすることはあらかじめ陽乃に伝えていた。

 女性とふたりきりになるのだ、報告せずにやろうものなら社会的に殺されてもおかしくない。

 陽乃はそれができる側の人間だ。

 

 ただ、連絡した時は課題のためならと結構軽く返事が返ってきた。

 そのはずなのだ。

 

「八幡の顔が見たくなっちゃって。それは差し入れ、飲んでいいよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 陽乃はテーブルに肘をつく。

 口元に浮かぶ愉しそうな笑みを惜しげもなくさらしながら。

 

 何かよからぬことが起きる。

 八幡は経験的にそう直感した。

 一旦心を落ち着かせるために、マッ缶の蓋を開けて口に運ぶ。

 

「浮気は許さないからね」

「ぶふっ」

「うわ、汚い」

「い、今のは卑怯じゃないですか!」

 

 確実に狙ったものだった。

 タイミングといい、選んできた差し入れのチョイスといい。

 八幡が袖で拭おうとすると、陽乃から待ったがかかる。 

 

「じっとしてなさい、お姉さんが口を拭いてあげるから」

「いや、自分でできますって──んぐ」

 

 口を拭く、どころの話ではなかった。 

 抗議の言葉は合わせた唇の先、陽乃の口の中に消えていく。

 紛れもないキス、だった。

 

 約三秒。

 その間、八幡は静止した。

 陽乃の顔がゆっくりと離れていくのを見て、ようやく彼の時は動き出す。

 

「ごちそうさま」

「……あの、困るんすけど」

 

 絞り出した言葉は、先ほど言えなかった抗議の一欠片だった。

 

 そう、色々と困るのだ。

 周囲からの視線やこれからの八幡の立場。

 

「比企谷、くん…?」

 

 そして、タイミングよくその光景を見せられた今井のことも。

 朝とはまた違う服装に見を包んだ彼女は、状況が飲みこめていないのか何度も瞬きを繰り返す。

 

「困らせなきゃ意味ないじゃない」

 

 陽乃は妖艶に笑う。

 ぺろりと唇を舐め、妖艶に微笑む。

 そしてその視線は八幡だけではなくやってきた今井にも向けられた。

 

 これ、私のだから。

 そう言わんばかりに。

 

「ふぅん、あなたが今井ちゃんかぁ」

 

 陽乃はふらっと離れていったかと思うと、今度は今井の方へと近づいていく。

 やってきて早々に睦ごとを見せられた彼女は、目の前で起こったことが分からずに呆然と立ち尽くしていた。

 

「授業の課題だって? 大変だね」

「え、あの、雪ノ下先輩は──」

「私のことは気にしないでいいよ。どうぞどうぞやっちゃって。なんなら私が教えてあげるよ」

「いえあの……」

 

 蛇に睨まれたカエルのように今井は竦み上がっている。

 

(生き生きしてるなぁ、陽乃さん……)

 

 ぼんやりと他人事のように考える。

 こうなった以上誰も彼女を止めることはできない。 

 冷たい風が、熱気のこもったテラスを嘲笑うかのように通り抜けていった。

 

 

 

 

 

 




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