7年前のある日を境にして、篠ノ之箒の誕生日である7月7日はいつも曇り空だった。
誕生日は成長の証として1年に1度、齢に数字を足していく特別な日である。大人になると老いを意識させられる憂鬱な日ではあるが、親という視点で見ると子供の誕生日は成長を祝う大切な日に違いない。子供にとっては親からの愛情を特に強く受ける日であることが多いことだろう。
一般的に誕生日は嬉しいものだ。やや特殊な家庭で育った箒とて例外ではない。両親や姉に祝ってもらった記憶はあまりないが、代わりに喜んでくれるお節介な幼馴染み、織斑一夏がいたからだ。
特別なことは何もなかった。ホールケーキなんてものはなく、誕生日プレゼントも一夏が小遣いで買える程度の品物。それでも彼が自分を見てくれる日はかけがえのないものだった。
幼い箒は幸せだった。
名前を奪われるあの日までは……
「……そういえば今日は七夕だった」
IS学園の臨海学校の最終日。銀の福音の暴走を食い止めて帰還し、一先ずの後始末を終えた後の民宿の廊下から外を見上げる。ふと後頭部に右手を伸ばして束ねられた髪の根元を撫でてみた。
……うん。しっくりとくる。
銀の福音との戦いで、今まで使っていたリボンを失ってしまった。同じタイミングで一夏が意識不明の重体となる大怪我を負ったこともあり、その喪失感は図りしれないものだった。
大きな支えになっていた一夏の存在。彼が箒らしいと言ってくれていたポニーテール。それらが失われた瞬間は生きた心地がしていなかった。
同時に気づかされた。
IS学園に入学してからの自分は生きている実感があったのだと。
楽しい世界で生きていきたい。その思いがあったからこそ、卑怯な真似をしてまで紅椿を欲した。
死んだ目をして過ごしてきた6年間にはなかった衝動が胸の内に生まれている。
諦観に沈む箒はもういない。
不格好でいいから自分のしたいことをするようになった。
「今日の空は雲ひとつない。星が良く見えそうだ」
一夏と離れ離れになってから、七夕でもある誕生日の度に空を見上げてきた。
姉や政府の都合で会うことが許されない自らと一夏の境遇を織姫と彦星に重ねていた。
でも見上げる度に夜空は分厚い雲に覆われていて、天の川は現れない。まるで『お前たちの運命だ』と夜空ですら嘲笑っているかのように感じられた。
箒は織姫などではない。だから彦星には会えない。
1年に1度彦星に会えるだけの織姫にすら嫉妬する。この6年はそんな誕生日を過ごしてきた。
だからだろうか。
空に雲一つないだけで涙腺が高まってきた。
もう3ヶ月も一夏と過ごしてきて、織姫よりも恵まれているというのに、まだこの日は箒にとって特別な日だと思い知る。
「あ……あれは一夏か?」
夜も更けて、こっそりと旅館を抜け出していく一夏の後ろ姿を見つけた。本当は顔がよく見えなかったのだが、IS学園の関係者しかいないこの旅館で上半身裸の水着姿など唯一の男性である一夏以外には考えられない。
「こんな時間に泳ぎに行くのか!? ISを動かせるようになっていたとはいえ、お前はまだ怪我人だろう!」
箒は慌てて追いかけようと1歩踏み出した。
しかしそこで足を止める。
悩んだ末に買っておきながらも自由時間に着ることのなかった新しい水着が箒の脳裏を過ぎった。
「……海に入るくらいならいいか」
怪我人でも海辺に行くくらいなら許されてもいいではないか。
今は自由時間ではない。勝手に出ていく一夏を呼び戻すために追いかけるのは当たり前のことだ。説得に時間がかかっても仕方がない。
自分も海に行くのなら水着を着ていくのが礼儀だろう。
今の海辺なら月明かりくらいしか光源がない。自由時間に恥ずかしくて着れなかった水着も今だけは着れる。
故に正当だ。
思考の中に現れた箒の顔をした天使と悪魔が同じことを言っている。
止めるものは何もない。
箒は新品の水着に着替えて民宿を飛び出していく。
彼がいるだろう、夜の海へ。
一夏は海を泳いでいた。箒が辿り着いたときにちょうど海から上がってきて近くの岩場に腰を下ろすところだった。
声を掛けるために近づく。その間も箒は一夏をじっと見つめていた。
一夏は夜空を見上げていた。釣られて箒も見上げる。旅館から見たときと違って明かりも屋根も邪魔していない。都会では見えないようなキラキラした夜空を光の川が流れている。
一夏も同じ景色を見てくれているのだろうか。
箒と同じ思いを抱いてくれているだろうか。
「い、一夏……?」
おずおずと声をかける。いつもハッキリとした態度を見せろと一夏には言っているくせに自分のことになるとこれである。
「箒……? そういえば、昨日海で見かけなかったけど――」
一夏の視線が胸元と腰付近へ向けられているのが痛いほどにわかってしまった。
箒の女性らしい部分を意識されている。昨日の自由時間にいなかったことも気づいてくれていると知れた。それだけでも水着を着てきた価値があるというもの。
「あ、あんまり、見ないで欲しい……。お、落ち着かないから……」
「す、すまん」
普段の強気な箒はどこかへ行ってしまった。そんな箒の変化を強く意識しているためか、一夏は慌てて身体の向きごと箒から視線を外す。
箒は一夏の傍に1mほどの距離を開けて座り込んだ。胸の高鳴りばかり気になって、一夏の顔を直視できない。
(だ、ダメだ。これはかなり気恥ずかしい)
無言の時間が過ぎていく。話題はないこともないが、七夕や天の川の話をするとどうしてもこれまでの6年間の話にもつながってしまう。この期に及んで、一夏に弱みを見せたくない箒は言いたいことも言えずにいる。
「そ、その水着、似合ってるな。……うん、いいんじゃないか?」
「っ……」
先に話題を振ったのは一夏だった。やはり水着に意識が持って行かれているらしい。見てもらいたかったのは事実だが、正直なところ水着の話題は恥ずかしいものがある。
それでも答えなくては。せっかくの一夏と2人で過ごす誕生日なのだから。
「こ、こ、これは、その……い、勢いで買ってしまって……い、いざ着ようとすると、恥ずかしくて……だな……」
ふと一夏に目を向けた箒だったが、目が合うと同時に目を背ける。背中を向けたまま、相手の呼吸の音に耳を澄ませている。
「……なあ、箒」
「な、なん……です、か?」
箒の口からなぜか敬語が出てきた。本人も意識してそう話しているわけではなく、単純に一夏に対する申し訳なさの表れだ。
「いや、その変な敬語はどうしてなんだ? 普通に喋ろうぜ」
「う……」
夕食時にも同じように敬語で返してしまったことを思い出す。
自分の未熟さのせいで一夏を傷つけた。そんな自分が許せないという気持ちが、誕生日を祝って欲しい思いを邪魔している。しかしそれを正直に言ってしまうのは違う。
「お、お前が……奥ゆかしい女がいいと言うからだろう……」
「いや、まあ、なんだ。箒はいつも通りでいいと思うぞ。そんな無理して合わせることないだろ、な?」
「う……む」
失敗した。この言い訳では一夏に迷惑をかけてしまっただけである。
箒はごほんと咳払いして態度を改めることにする。
「こ、これでいいか……?」
「おう。いつもの箒だな。そういえば髪大丈夫だったか? ちょっと焼けただろ?」
口調を直したら、一夏はすぐに別の心配をしてくる。
リボンと違って髪はISが保護してくれていた。問題ない。
「あ、ああ。リボンがなくなっただけで、大事ない。そ、それに、リボンも……その、新しいのをもらったしな……」
「お、おう。改めて、誕生日おめでとうな」
……本当に、軽く言ってくれるものだ。
ずっとその一言を待ち望んでいた。
七夕の夜空に願いを託して見上げ続けてきた。
ああ、私はここにいる。“篠ノ之箒”がここにいる。
崩壊しそうな涙腺はギリギリと持ちこたえていた。
一夏に顔を見せないように伏せたまま、精一杯の声で答える。
「う、うむ……。あ、あ……ありが……とぅ……」
上手く言えたのか、全然わからない。
一夏は鈍い上に部分的な難聴だ。でも不思議と、今の一夏にはちゃんと伝わってくれているような気がした。
今年の七夕は良く晴れていて、天の川は織姫と彦星をつなぐ。
だけどやはり箒と一夏は織姫と彦星ではない。
今日限りでは終わらせない。
彼女たちには明日以降も続いていく楽しい世界が待っているのだから。
箒ちゃんのヒロイン力を見せつける活動をしていきたい。