六角形の結晶が、真っ白な空からゆらゆらゆらゆらと踊りながら落ちてくる。空気は肌を切り裂きそうなぐらいに
どこまでもどこまでも続く、雪の空と白い大地。気温は常に氷点下を下回っている。この世界の住民が太陽を拝めなくなって、どれだけの年月が流れたのか。この世界の住民が、温もりを感じなくなってどれだけの時間が経ったのか。
白い空に、太陽は無い。通常、太陽が無ければ世界は滅ぶ。ほぼ全ての生物は、とても生きていけない極寒により絶滅する。しかしそれでも、人は生きていた。東の遥か彼方で、御天道様の代わりを作り上げたことで。西の遥か彼方で、星を覆う冷気を操ることで。
「……はーー。今日も寒いねぇ」
ここは
誰も彼もが、彼女を巫女様と呼び称えている。ある者は尊敬の眼差しを、ある者は憧れの瞳を、ある者は視線を下げ、両手を合わせている。そんな有象無象の中で、一人の青年が顔をしかめていた。
彼もまた、凍える寒さの中だというのに薄着である。手にはファー付きの白いコートを持っているが、自分で着ようとはしない。細身の体を覆うのは、黒いスーツのみ。眼鏡の奥で光る青い瞳がギラついている。まるで仇を見付けた復讐者か、獲物を見付けたような捕食者のようだ。
「じゃあイースレイ。始めるから」
「……はい。リイヴ様、くれぐれも無理はなさらぬように」
「無理をするのがわたしの仕事だよ? だいじょーーぶっ。もう二年もやってるもん!」
これから行う事を前に、彼女はにっこりと笑う。イースレイと呼ばれた青年の心配など、微塵も必要としていないようだ。だが彼は、そんな彼女を見て奥歯を噛み締める。浮かぶ表情は、怒り一色。彼は激怒している。握った拳から血が流れているのは、気のせいじゃない。
そんな青年から目を外し、少女は腰に帯びた刀を引き抜く。子供が持つには長く重いであろう純白の刀が、その刀身を晒した。峰や刃でさえも、その刀は白く輝いている。
そして少女は両手で刀を力強く握り、静かに踊り始める。
彼女が始めた舞いは、
それは、十時間を以て行われる世界の守護。この世が寒さで滅びずにいるのは、ひとえに巫女が心身を捧げているからに過ぎない。もしも彼女が一日でも界律を行わなければ、世界は凍てつき静かに滅ぶだろう。
だから彼女は踊るのだ。齢十歳でありながら、この世界を護るために。あらゆる生命を、護るために。小さな背中に、大き過ぎるものを背負い込んで。
【綿々六花、深々と】
「巫女様、今日もありがとうございます」
「巫女様ーっ、今度遊んでねー!」
「巫女様、お屋敷に食料を届けておきました」
「巫女様、どうかご自愛なさってください」
「巫女様、クッキー焼いたんです。良ければどうぞ」
「巫女様っ」
「巫女様!」
「巫女様……っ」
十時間に及ぶ界律が終わり、巫女が氷の祭壇から降りると決して少なくない数の住民が一斉に群がった。まだ幼い子供の前で膝をつき、両手を合わせ頭を垂れる住民達は確かに彼女を愛している。いや、すがっていると言って良い。この世界『コラスィ』は巫女の力が失われれば
だからこそ、大人も子供も老人も、年端も行かぬ巫女を頼りにしているのだ。そんな人間達を前にして、薄着の上にコートを羽織った巫女リイヴは柔らかな笑顔を浮かべる。人間、と言うには些か肌が白過ぎるし、緑の瞳は妖しく輝いているような気がしないでもない。東の空に居座る光に当てられて、サイドだけが長い白髪が神々しく輝いている。背丈に至っては、140cmにも満たない。
「うん、いつもありがとねみんな。お陰さまでわたしはだいじょーぶ! ですっ!」
ふにゃりとした笑顔のまま両手でピースを作る姿は、ただの子供と大差無い。
自分の立場を理解しているからか、それとも生来の明るさがそうさせるのか。気丈に振る舞う姿は、とても子供らしく見えない。そんな彼女の後ろには、未だスーツ姿の青年イースレイが控えている。眼鏡の向こうにある青い瞳に、冷たい光が宿っているのは気のせいじゃない。
「……リイヴ様。お履き物を。裸足で外を歩いてはなりません」
巫女の後ろで、子供用のブーツを持った青年が
「うん、ありがとイースレイ。履かせてくれる?」
「はい。おみ足に触れることをお許し下さい」
「どーーぞ。特別だよ? かんしゃするよーーに」
「はい。それでは、失礼します」
少女の白い足に、青年の手が添えられる。腫れ物を扱うかのような優しい手付きがくすぐったいのか、リイヴは口許を手のひらで隠しながらくすくすと笑う。
イースレイの瞳には、雪のついた子供の足だけが映っている。巫女の足は傷ひとつない。傷ひとつ無いが、他の子供と比べると幾分か細いように見える。こんな足で、刀を振り回し十時間も舞っていたのだから驚きだ。
「もー、くすぐったいよイースレイ」
「すみません」
「でもありがとっ。お陰で足が冷たくない!」
「礼には及びません。リイヴ様、今日はもうこの辺りで」
「ん、じゃあ帰ろっか」
「はい。今日もお疲れ様でした」
刀を用いた十時間に及ぶ界律。大の大人でも音を上げそうな時間、リイヴはひとり舞い続けた。全てはこの世界を護るために。目に映る人々が生きていけるように。
それは、とてもとても子供がやってのけれる事ではない。平然と振舞い、にこやかに笑っている巫女ではあるが小さな身体には酷い疲労に苛まれている筈だ。一刻も早く休んだ方が良いだろう。けれども彼女は、群がる住民一人一人の手を取 って感謝とさよならを告げていく。すると住民達も、リイヴに感謝の言葉や挨拶を返していく。
その結果、巫女が帰路に着けるまでそれなりの時間が経ってしまう。
「……やっと帰れますね。大丈夫ですか?」
「うんっ。だいじょーぶだいじょーぶ!」
周囲を囲んでいた住人達は、それぞれの生活に戻る為に祭壇の前から解散した。まばらになっていく人々を最後まで見送ると、リイヴは両手を上げて伸びをする。んんーーっ、と声を漏らす姿が可愛らしい。しっかりと体を伸ばした巫女は下げた両手でイースレイの手を取った。
「じゃあ、帰ろっかイースレイ。今日の晩御飯はなーに?」
「そうですね。ローストビーフは如何ですか?」
「やった! にんにくソースも付けてね!」
「……分かりました。他にリクエストはありますか?」
「んーー……。おまかせ! イースレイのご飯は何でも美味しいもん」
今日の晩御飯が楽しみで仕方無いのか、巫女は年相応の笑顔を浮かべて歩き出す。イースレイの手をぐいぐい引っ張るのは、夕飯が楽しみ過ぎて早く帰りたいからだろうか。そんな彼女に右手を引っ張られながら、彼は空を見上げた。
六角形の結晶は、もう落ちてこない。身を裂くような寒さも、大分和らいでいるようだ。これが界律を行ったことによる結果だとするなら、ろくでもない話だ。
雪に覆われた道を、二人は歩いていく。殆どの住民はもう家の中に入っているようで、外には誰も居ない。三角形の家ばかりが目につく通りは、しんとしていて少し静か過ぎるぐらいだ。
「あ、そうだ。シチューも作ってね! それとサラダにグラタン、あとー」
「何でもお作りしますよ。ですが、食べ過ぎてお腹を痛めないで下さいね」
「わたしの胃袋は特別頑丈だって
「確かにその通りですけどね」
随分と食い意地が張った巫女である。疲れなんて微塵も見せず、楽しそうに笑うリイヴを見てイースレイは苦笑いを浮かべる。彼女のリクエスト通りに夕飯を作るのは、一人では大変だろう。しかし嫌な顔はしていない。彼にとって、何品もの料理を作ることはそこまで大変でも難しくもないようだ。
誰も居ない雪の通りを歩くこと、十分。二人が辿り着いたのは尖った屋根が特徴的の、大きな白い館だ。金属で作られた黒い柵と門に囲まれて、誰も寄せ付けようとしていない。庭には草木が植えられているようだが、全て雪を被っている。
開かれたままの門をくぐると、リイヴはイースレイの手を離して玄関へと駆ける。銀の装飾が施された大きな白い扉を小さな体で押し開くと、館の中に入っていった。そんな彼女を見守っていた青年はゆっくりとした歩調で玄関へと近付く。そして、館の中に入ること足を止めた。
開け放たれた扉の向こうでは、コートを脱ぎ捨てた巫女が両腕を大きく広げている。
「お帰りなさいイースレイ! 入って良いよっ」
まるで太陽のような満面の笑顔が、イースレイを迎えている。リイヴが浮かべる柔らかな笑みを見て、彼は優しく微笑んだ。
「……ただいま、リイヴ様。それでは失礼します」
小さな少女に迎えられた青年は、玄関を通ると後ろ手で静かに扉を閉じた。ちゃんと鍵を掛けて、戸締まりは万全だ。これで館の外からでは、館の中の事は分からないだろう。
リイヴはまだ、両腕を広げ笑顔を浮かべたままだ。明るい緑の瞳が、何かを望んでいる。そんな彼女を見たイースレイは、気恥ずかしそうに後頭部を掻き、そして片膝をついて両腕を広げる。それを合図にして、少女は青年の胸に勢い良く飛び込んだ。小さな体は軽く、柔らかく、そして冷たい。十時間以上も薄着で雪の中に居たのだ。体が凍えていて当然だ。
「……えへへっ。スレイはあったかいねぇ」
「リイヴの体が冷えてるんだよ。ほら、暖炉の前で暖かくしよう」
「うん、そうするーー」
「いや、離してくれないと動けないんだけど」
青年の胸に思いっきり抱き付いたままの少女は、少しだって両腕の力を緩めようとしない。それどころか、更に力を込めているぐらいだ。彼の腕の中から離れるつもりは微塵も感じられない。こんな調子だと、イースレイは動くのも大変だろう。現に少し困っているようだ。
「んぅーー、だっこーー」
「ったく。甘えたがりなんだから」
「えへへ……。だってあったかいんだもん……」
「はいはい。じゃあ部屋まで運ぶから、ちゃんと掴まっててな」
「わーーい! スレイ大好きっ」
結局イースレイは、リイヴを抱き上げて歩き始めた。腕の中の少女を甘えたがりと言うくせに、彼は彼で彼女を甘やかしている。だけど、このくらいは許されたって良いだろう。まだまだ甘えたがりで、遊びたがりであろう幼い子供なのに、外では巫女らしく振る舞っているのだ。そんな巫女が、他に誰も居ない家の中で近しい者に甘えたって誰も文句は言えない。言う権利など、どこにも無いのだ。
青年の腕の中、彼女は幸せそうに甘えている。小さな体を目一杯彼の体にくっ付け、笑っている。
赤い絨毯が敷かれた静まり返った広い廊下を通り抜け、階段を登る。それから再び廊下を歩き、二人は二階に有る部屋に入った。
「暖炉に火を入れるから、ちょっと離れてくれるか?」
その部屋には、暖炉とベッドがある。正確には、暖炉とベッドしかない。他に目立つものと言えば、窓を覆う黒いカーテンと壁に立て掛けられた真っ黒な刀。今リイヴが腰に帯びている物とは、まるで正反対。柄も鍔も鞘も、恐らくは刃さえも黒いのだろう。
「ぇーー」
「ぇーー、じゃない。ほら、リイヴ」
「むーー……。スレイのケチ」
「ケチじゃないって。ほら、ベッドに腰掛けて」
「……はーーい」
甘えたがりな子供を何とかベッドの上に腰掛けさせて、イースレイは暖炉に向かって指を鳴らす。すると、中に置かれている真新しい薪が独りでにごうごうと燃え始めた。冷えきっていた室内が、徐々に徐々に暖まっていく。
燃え盛る炎で部屋中が赤く照らされると同時に、腰掛けていたリイヴが力なく崩れ落ちた。ベッドの上に倒れた彼女は、少し息苦しそうにしている。ここに来て、疲れが色濃く出たのだろう。家に帰って来たことで、緊張の糸がプッツリと切れてしまったようだ。そんな彼女を見た青年は、顔をしかめつつも厚手の毛布を広げる。小さな体に優しく毛布をかけると、彼はベッドの脇で膝立ちになった。
「……大丈夫か? 夕飯が出来るたから起こすから、それまで寝てたら良い」
「んんっ……。へーーき。ちょっとね、疲れちゃっただけだから」
さっきまでの明るい笑顔はどこかへ消えてしまい、代わりにリイヴは弱々しい笑みを浮かべて大丈夫だと言う。が、どう見ても大丈夫ではない。当たり前だ。雪が降り積もる冷たい空気の中で、十時間も舞続けていたのだ。そんな事をしたら、大の大人だって疲労困憊になる。まして彼女は小さな子供。界律を終え帰宅した今、体力は底を突いていて当たり前だ。
「……」
「だいじょーぶ。そんな顔しないでー。ごはん食べてお風呂入って、沢山寝たら明日には元気だから」
こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、リイヴは巫女として気丈に振る舞う。しかしその強がりこそが、酷くイースレイの胸を抉るのだ。
世界を護るためとは言え、十時間に及ぶ界律を体が出来ていない少女にやらせるのは如何なものか。どうして街の住民は、それを当たり前と受け入れて誰ひとりとして巫女を助けようとはしないのか。
「…………、辛いなら、俺が代わるよ。界律の手順なら覚えてる。だから」
「……だめだよー。イースレイはカミサマに嫌われてるから、そんな事したら死んじゃうよ」
「でも!」
「だいじょーぶだから。お母様もやってたんだし。だから、ね?」
「…………、ああ。ごめん、変な心配させた」
「えへへ。どーいたしまして……」
無論、彼としては大人しくしているつもりは少しもない。リイヴの為ならば、きっとイースレイは何だってやるだろう。だがそれを彼女自身に駄目だと言われてしまったら、今だけでも大人しく引き下がるしかない。精一杯の強がりを見せられては、沈黙せざるを得ないのだ。本心では、目の前の少女の言うことを微塵も聞きたくなかったとしても。
疲れきって動けない気丈な巫女の頬を優しく撫でてから、青年は立ち上がる。その後、イースレイは踵で床を叩く。すると彼の影が蠢き、そして分裂。足元か不自然に現れたのは、紅い瞳を持った真っ黒な狼だ。
「何かあれば、こいつに話しかけて。直ぐに来るから」
「……ぅん。そーー……するね」
「……おやすみリイヴ。頼んだからな、ネロ」
間も無くベッドの上の少女は目蓋を閉じ、静かな寝息を立て始める。自分を呼び出した、或いは産み出した主人に向かって、
とは言え信頼しているのか、イースレイはネロにリイヴを任せて部屋を出る。これから向かうのはキッチンだろう。何せ巫女のリクエスト通りに夕飯を用意するには、結構な時間がかかる。
「……うるさい馬鹿。だからお前には任せないんだよ」
自分以外は誰も居ない廊下を歩きながら、青年は何かに向けて話し掛けた。虚空を見詰める青い目が、何かをそこに無いモノを捉えている。
「消えろ。お前の出番は、ここには無いよ」
イースレイが何と話しているかは分からない。だが、彼の瞳には確かに何かが見えているようだ。彼自身がその存在を拒絶するような、目に見えぬ何かが。
「……さて、急がないと。今日も大変だ」
シチューにグラタン、サラダにローストビーフ。これからイースレイは沢山の料理を一人で用意しなければならない。ゆっくりしている時間は、僅かでも存在していない。日々頑張る巫女のために、どうにかしたい助けたい女の子の為に、今は調理を頑張るよりしかないからだ。
それはどれだけ歯痒いことなのか。もしリイヴが何もかもを捨てて逃げ出したいと言ったら、その時彼は、多分……。
「クソ喰らえ。人間なんて大っ嫌いだよ」
クソ重いもん背負った幼女が好きです。幸せになって(なれ)(させるからな)
タグはストーリー進行に合わせて追加していきます。この時点でイースレイが何かに気付いた人は立派なオタクだと思います。わっかりやすいヒント置いてありますけどね!