綿々六花、深深と   作:しろん

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血の臭い

 

 

 

 

 

「……酷いなこれは。現場っていうのは、いつもこうなのか?」

 

 黒い防寒具を着込んだイースレイは、顔をしかめて赤いマフラーで鼻を覆う。周囲に漂う悪臭を出来る限り吸い込みたくないのだろう。

 

「ええまぁ、どこもこんなものですよ。リイヴは?」

 

 目を覆いたくなるような光景を前にして、随分と背丈の低いメイドが煙草に火を点けた。肌が青白いのは体が凍えているからだろうか。彼女は、凍てついた世界で動き回るには随分と薄着に見える。青いコートを羽織ってはいるものの、前を開いていては防寒にはならなさそうだ。

 

「まだ寝てるよ。子供が起きてるような時間じゃないし」

「まだお子様のようですね。最後に会ったのは、……はて? いつでしたっけ?」

「三年ぐらい前かな」

 

 夜。いや、正確には夜だった時間。太陽が無いこの世界『コラスィ』は、例え夜中だろうと外は明るい。何故ならば東の最果てに、世界中を照らす烈火の飛禽(ひきん)が休むこと無く羽ばたき続けているからだ。だから、夜と言う時間も夜中と言える時間も存在しない。だが数百年前から残る習慣で、人々は寝ている時間を夜と言う。

 故に街の住民は、その殆どがまだ夢の中。雪が降り続ける外は(せき)としていて、生きた者など居ないのでは無いかと錯覚しそうなぐらいだ。

 

「それで、シトリー。君はこれをどう思う?」

「わざわざ聞きますかそれ? 見た通りでしょうに」

「…………」

「吸血鬼の仕業ですよ。遺体はひとつ残らず、全ての血液を抜かれています」

 

 二人の眼前に広がるのは、血を抜かれた死者とおびただしい量の血液がばら撒かれたリビングだ。被害者はこの三角形の家に住んでいた、若い家族達。子供を庇うように母親が倒れており腕の中には少女とおぼしき遺体。頭が半分も踏み潰されている。父親であろう男性の遺体は両腕が傷だらけ。襲撃者に、最後の最後まで抵抗して見せたのだろう。その結果命を落とし、家族すらも殺されてしまった訳なのだが。

 イースレイが鼻を塞いだのは、嫌気が差すぐらいに濃い鉄の臭いがしたからである。それと手で空気を扇ぎ、なるべく煙草の煙を吸い込まないようにもしている。彼は嗅覚が敏感のようだ。

 

「抜き取った血液は腹の中……って訳でも無いか。これ、何の目的があると思う?」

 

 眼鏡の向こう、青い瞳が見詰めるのは真っ白な壁に描かれた血の紋様。それは儀式的な行為に見えなくもないし、ただ思い付いたまま壁に描き殴ったように見える。善良な一家を惨殺した吸血鬼は、いったい何を考えてこのような真似をしたのか。生者を吸い殺し、奪い取った血で絵画を描く。真っ当な精神ではとても出来る事ではない。こんな真似をするのは、狂人か狂信者ぐらいのものだろう。

 

「被害者の血で絵画を描きたかった訳でもないでしょうね。ここ最近こういう手口が流行ってますが、詳しいことは知りませんよ」

「それでも聖職者?」

「お殺戮(はらい)担当ですので。それで、貴方はこれをどう思います?」

「どう思うも何も、終焉信仰以外に何かあるとは思えないけど。どうも最近の吸血鬼は、世界を滅ぼしたくて仕方ないみたいだね」

 

 血の絵画に歩み寄ったイースレイは、腰に帯びた黒塗りの刀を引き抜く。それは刃こぼれが酷く、よく見ると刀身に細かなヒビが入っているようだ。とても何かを斬れるような代物に思えない。しかし、彼が一振りすると血の紋様は壁ごと真っ二つに斬り裂かれた。

 

「……終焉はおとぎ話の類いでしょう? 聖女と聖騎士は信じてますが、そっちは信じられませんね」

「残念ながら、聖女も聖騎士も終焉も現実だよ。シトリー、せっかく来て貰ったのに悪いんだけど」

「はいはい、承りましたよご主人様。街を見て回ってきます」

「ご主人様呼びは止めろって。そんな関係でもないだろ」

「おや? 人様を欲望のままに押し倒したのはどちら様でしたっけ。餓えた殿方は女性の天敵ですね、ええ」

「だからそれは悪かったってば。何回も謝ってるじゃないか」

「とっくに赦してますよ。ただ貴方を困らせるのが趣味なので」

「…………」

 

 仲が良いのか悪いのか。どうにもイースレイは、このシトリーという聖職者(メイド)に頭が上がらないようだ。多分一生、今みたいに困らされてしまうのだろう。小さな彼女の発言にげんなりした彼は、ボロボロの刃を鞘に納める。カチン、と小気味良い音が鳴った。メイドの方は、吸い終わった煙草を現場に吐き捨て、新たな煙草を咥え出した。喫煙マナーと言うものは、彼女の中には存在していないらしい。

 

「じゃ、一通り見てきます。終わったら館に行くんで、リイヴにその旨を伝えておいてください。こんな寒い中、無視されたら堪りませんから」

 

 ひらひらと手を振って、シトリーは街の見回りに出た。血と煙草の臭いがする殺害現場に残されたイースレイは、踵で二度地面を叩く。すると彼の影が蠢き、建物全てを覆い隠した。狼に姿を変えたり、建物を隠すカーテンになったり、彼の影は随分と使い勝手が良く、そして働き者のようだ。

 簡単に現場の保存を済ませた青年は、白い息を吐き出しながら巫女が眠る館へ歩き出す。街は依然として静かなもので、他に人が起きている気配は無い。そんな静かな外を一人で歩いているのだから、雪を踏み潰す足音がやたらと大きく感じられる。

 

「どこのどいつだ。この街で終焉信仰なんて真似をした奴は……」

 

 一人になったからか、彼の内で抑えられていたであろうものが表に溢れ出す。奥歯を噛み締め、眉間に皺を寄せる姿は怒っていると言って良い。この街であんな凄惨な事件を起こした犯人を、腹の底から許せないのだろう。

 

「……ああっ、分かってるよそんな事は! 何とかするからお前は黙ってろ!!」

 

 寝静まった静かな街に、彼の怒号が響く。一人で歩いているのに、イースレイは誰と喋っているか。見えない誰かが、側に居たりするのだろうか。端から見れば、今の彼は異常者にしか見えない。

 

 

 

 

 

 

 

「……んぅ〜〜。スレイーー、どぉーこぉーー??」

 

 他に誰も居ない大きな広い館の中を、もこもこパジャマ姿の幼女が目蓋を閉じたまま毛布を引きずって歩いている。どうやら酷く寝惚けているようで、もしかしたら夢から醒めていないのかも。こんな彼女が世界を護る巫女なのだから驚きだ。外ではしっかりと振る舞っていても、家の中ではまだまだ年相応のお子さまだ。

 そんな寝惚けロリ巫女の後ろを闊歩しているのは、ネロと名付けられた赤い(まなこ)の影の狼。この狼も、イースレイの影から産み出された存在だ。どうやら外に出掛ける前に、彼が置いていったらしい。

 

「……んぃ〜〜……」

 

 イースレイが出掛けていることを眠りながら感じ取っていたのか、それとも寝たままベッドから抜け出したら彼が側に居なかったからか、どちらにしても今のリイヴはとてもとても不満げだ。すっかりヘソを曲げていて、けれども目を開けないでふらふらと廊下を歩いているのだから器用なものだ。

 壁や窓にぶつかりそうになりながら歩くこと数分。彼女は別の階に行くための階段の前でピタリと立ち止まる。寝惚けたまま降るのは危険だと思ったのか、もしくは階段を降りるのを面倒くさがったのか、半分以上は寝ている巫女は引きずった毛布にくるまり、階段に腰掛け壁に寄り掛かる。そんな彼女が寝相で転げ落ちないようにするためか、ネロはリイヴが腰掛けたひとつ下の段でおすわりをした。

 

「もー……。よなかにかってにでかけるんだから。やっぱりわたしがみてないと……むにゃ……」

 

 壁に寄り掛かり、座ったままの姿勢でリイヴは動くのを止める。もう起きていることが限界だったのか、機嫌を悪くしすぎて駄々をこねているのか、この場で寝ようとしている。暖炉の火で暖められた部屋とは違い、廊下や階段はとても冷たい。どう考えても眠るには適さない。こんなところで寝ている姿をイースレイが見たら、雷のひとつやふたつぐらいは落ちるだろう。

 

「……ひとりは、やだよぉ……」

 

 寒い館の中、年相応の言葉が漏れる。すると、遠くから軽く扉をノックする音が聞こえた。多分、イースレイが帰ってきたのだろう。ここは自分の住まう家でもあるのだから、そんな事をせずとも勝手に入ってくれば良いものを。

 主の帰宅を感じ取ったのか、行儀良く座っていたネロがリイヴの足に頭突きをする。

 

「……んぃ……。かえって、きたぁ?」

「…………」

 

 問い掛けても、ネロは何も言わない。鳴き声ひとつあげないし、唸ったりもしない。影から産まれた狼だからか、どうやら吠える能力は無いらしい。

 リイヴはまだ両目を開けない。動こうともしない。ただ壁に寄り掛かったまま、寝惚けすぎて回りが悪い舌で、どこかに向かって喋り出す。

 

「んーー。いーーよ、いーすれい。はいってきてーー……」

 その許可を最後に、リイヴは床の上にこてんと倒れた。間も無く聞こえてくる寝息は静かで、そして一定だ。もう動き回ることも、喋ることも無いだろう。

 そんな彼女を見守っていたネロの形が崩れ出す。水に溶ける雪だるまのように少しずつ姿を失っていく。やがて狼は完全な影へと姿を変える。その後、影は大きくいびつになり、中からイースレイが姿を現した。先程まで外に居たのだろう。肩や頭に雪が付いている。

 どうやらこの男、影から影へと移動できるらしい。

 

「こらリイヴ。夜中に出歩くのはダメだっていってるじゃないか」

 

 すやすやと眠りこけるリイヴを見て、まずイースレイは彼女を咎めた。が、あまり怒っていないようだ。取り敢えず叱ってはおくものの、寝ている巫女をわざわざ起こすような真似はしない。こんな風に甘く接するから、リイヴは寝たまま歩くのだろう。

 毛布に丸まった子供を、青年は優しく抱き上げる。そして足跡ひとつ立てぬよう細心の注意を払いながら、彼はリイヴの部屋へと向かっていく。寝惚けていた巫女とは違って、静かに歩いていても階段から部屋に辿り着くまでそんなに時間はかからない。

 

「ほら、ベッドに着いたから。ちゃんとあったかくして寝ること。良い?」

「…………んーー……」

「それと、読んだ本は片付けなさい」

 

 リイヴの部屋には、分厚い本が幾つも散らばっている。ベッドの上には柔らかそうなぬいぐるみやクッションが散乱しており、寝るには少し不便そうでもある。何より、外の光を通さない分厚いカーテンのせいで部屋全体が薄暗い。

 腕の中の巫女を優しくベッドに降ろしたイースレイは、再び踵で床を叩いた。すると弱まっていた暖炉の火が、勢いを取り戻す。彼は燃え盛る火の光を頼りに、床に散らばった本をひとつひとつ拾っていく。

 

「……こんな本、子供にはまだ早いと思うけどな」

 

 床に散らばっている本。それは全て医学書だ。彼が言う通り、子供が理解するには難しすぎる。そんな本を読み散らかしているのだから、ひょっとするとリイヴは医学に興味があるのかも。巫女を継いでいなければ、医者を目指していたのかもしれない。

 

「さて、こんなものかな」

 

 散らかっていた分厚い本全てを大きな本棚に戻すと、彼は両手を軽く叩き合わせて部屋を出ようと歩き始める。が、ベッドの脇で足を止めてしまった。理由は単純。立ち去ろうとしたイースレイの手を、寝ている筈のリイヴが掴み取ったからだ。

 毛布の中から目一杯伸ばされた右腕が、彼の左手をがっしりと掴んでいる。ちょっとやそっとの事では離してくれなさそうだ。

 

「……この甘えん坊。別に良いけどさ」

 

 柔らかな笑みを浮かべた青年は、掴まれた手をそのままにベッドの脇に腰を下ろす。ちょうどベッドの縁に寄り掛かるようになった彼は未だ眠りこけているリイヴの頭を優しく撫でた。すると、甘えん坊な彼女はイースレイの首に抱き付いた。左腕をしっかりと回して、離さないと言わんばかりに。

 こうもしっかりと抱き付かれてしまうと、身動きひとつ取れないだろう。それでもイースレイは笑顔を崩さず、目蓋を閉じた。こうなってしまった以上、大人しく添い寝する気のようだ。

 

「……お休みリイヴ。あと三時間ぐらいは、眠ってて良いから」

 

 優しい彼の言葉に、眠る巫女は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ……ちなみに。イースレイはすっかりシトリーからリイヴへの言伝を忘れていたので、色々と大変なことになった。具体的には館の門前に大量の吸い殻が捨てられていたり、寒い中長時間待たされて機嫌が悪くなったメイドさんに散々振り回されたり。

 もう彼女との約束は破らないでおこう。と、固く誓ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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