・潤いを君にお裾分け(楽京)
ある冬の日の放課後の一幕。
・甘いご褒美(楽紅)
陽務家で受験勉強に励む紅音と瑠美。
・勝利の女神はリモートで微笑む(楽玲)
プロゲーマーになった楽郎を応援する玲のお話。
・今日も誅して誅されて
きょうあるてぃめっとっちゃんのばくまつにっし。
・篠突く雨、遥か遠くの水槽の鮫
ある日の幕末でのレイドボスさんと俺たちの勇者の邂逅。
◇潤いを君にお裾分け
木枯らしの吹きすさぶ冬の日の放課後。
俺は寒さに身を震わせながら、京極と二人肩を並べて帰路につく。
「うぅ、今日は一段と冷えるな……」
「予報だと明日は雪が降るかもだってさ」
「げ、マジか…よりによって道場で朝稽古のある日に……」
今でさえ凍えそうだというのに、冷え切った道場の板の間はすり足で動く俺たちから容赦なく体温を奪っていくのだ。
氷の様に冷たくなった床を想像すると今から少々気が滅入る。
「軟弱なことを言わないでよ、そんなんじゃいつになってもレイドボスさんに勝てないよ?」
「そこはせめて國綱さんとかにしてくれよ……いや、それでもまだ勝てる気はしないけどさ」
レイドボスさんも國綱さんも今の俺にからすればどちらも途方も無く高い壁ではあるが、國綱さんは辛うじて現実の人間の範疇にとどまっていてくれる分だけまだマシだ。
「ふふふ、でもこないだの試合稽古は結構いい線いってたよ?」
「それでも結局一本も取れなかったからなぁ、先は長いぜ……痛っ」
「え、どうしたの楽郎?どこか怪我?」
話の途中で突如口元に鋭い痛みが走り、思わず小さな声が漏れる。
それを聞いた京極が心配そうに俺の様子を窺って……そこまで不安そうにしなくて大丈夫だって。
「いや、実は最近唇がガサガサで……口の端が切れたみたいだ」
「あー、冬は乾燥してるからね。リップとか塗って無いの?良かったら僕のやつ貸してあげようか?」
「サンキュー、でもいいや。気持ちだけ受け取っとくよ」
「え、何で……あっ、もしかして…!」
片手を上げて差し出されたリップを断ると、京極はきょとんと不思議そうな顔をした。
かと思いきや今度は何かに気付いたような声を上げ、何やら妙に底意地の悪そうな笑みを浮かべる。
……なんか変なこと考えてんなこいつ。
「ははぁん、さては間接キスを気にしてるとか?楽郎も可愛いところがあるじゃないか」
「何を言い出すのかと思いきや……今更お前相手にそんなこと気にする訳ねーだろ……マジで違うからニヤニヤすんな」
ここが幕末であれば即座に天誅していたくらい鬱陶しい。
間接ではないものも、それ以上のことだって経験済みだというのにこいつは何を言っているのか。
「俺、リップ苦手なんだよ。なんかベタベタするし、口に入ったら苦いし」
「そんなこと言ってたら冬の間辛くない?最近のはそこまでべたつきも気にならないし、味もそんなにしないよ?」
「んー、やっぱいいや。こんなん舐めときゃどうにかなるだろ」
尚も俺にリップを押し付けようとする京極をやんわりと制する。
実際のとこと唇がかさかさするくらい然程気にしてな……って、なんで京極は突然自分の唇にリップを塗り始めて……!?
「んんっ!?」
「んっ……ぷはっ」
「京極!?こんな往来でいきなり何を…!?」
突如大胆過ぎる行動に出た京極を引きはがし、慌てて辺りを確認する。
万が一國綱さんに今の光景を見られていようものなら、俺に待ち受けているのは紛れもなく、死──
生命の危機に瀕している俺を見て、京極は実に楽し気にクスクスと笑う。
……その頬が赤く染まっているのは、寒さや夕陽のせいだけではないのだろう。
「もうすっかり日も暮れたし、誰も見て無いからいいじゃないか。強情な楽郎にリップクリームのお裾分け……ご感想は?」
「………甘かった」
◇甘いご褒美
外は真夏の太陽が燦々と大地を照りつけて、蝉ですらも堪らず活動を停止する。そんな暑さ厳しい夏休みのある日のこと。
焦熱地獄と化した外界とは打って変わってクーラーの効いた快適な陽務家のリビングでは、カリカリとシャーペンを走らせる音と時折ノートをめくる音だけが響き渡る。
俺は目の前で必死に真檜高校の過去問を解いている二人を微笑ましい気持ちで見守りながら、横目で壁の時計を確認する……あと十分くらいか。
雨と鞭というほど大仰なものではないが、頑張った二人にはちょっとしたご褒美があってもいいだろう。
答案用紙とにらめっこして解答の見直しをしている瑠美と、計算が合わなかったのか、アワアワと筆算を繰り返す紅音の二人に気付かれないようにそっとソファから立ち上がって台所に移動する。
紅茶用のお湯を沸かしつつ、冷蔵庫から昨日のうちに買っておいた最近人気と話題のプリンを取り出した。
紅茶とプリンをお盆に乗せてリビングに戻ると丁度時間になったようで、端末にセットしていたアラームが試験(仮)の終わりを告げていた。
「終わったー!紅音、どうだった?」
「うう…最後の問題が終わらなかった……瑠美ちゃんは?」
「一応見直しもしたから大丈夫だと思いたいけどね…」
「二人ともお疲れさん、ちょっとテーブル空けてくれ。採点は俺がしとくから」
解放感と脳のガス欠で、ぐでーっと机に突っ伏す瑠美と紅音に苦笑しながら労いの声をかける。
のろのろと緩慢な動作で俺を見上げた二人は、俺の手の中にデザートがあることに気がつくとたちまち瞳を輝かせた。
「ああ、もう今日は漢字も数字もローマ字も見たくな……お兄ちゃん!そこに乗ってるのはまさか!?」
「わぁ!プリンだ!!」
「これ永遠様イチオシのケーキ屋さんの限定のやつ!!」
「お、やっぱり瑠美は知ってたか。受験勉強を頑張る二人に俺からのご褒美ってことで」
「楽郎さんありがとうございます!楽郎さんのそういう優しいところ、私大好きです!」
「……あ、ありがとな」
紅音から明け透けな好意をぶつけられるのはいつになっても慣れる気がしない。
不意打ちをくらい赤面する俺を見ながら、瑠美がぽつりと呟いた。
「……お兄ちゃん、紅茶に砂糖入れすぎじゃない?」
「無糖だよ!!」
◇勝利の女神はリモートで微笑む
「……そろそろでしょうか」
日付が変わって幾ばくかの時が過ぎ、夜の帳に町がすっかり包まれた頃。
普段であればとうに寝間着姿で床についている時間帯であるのだけれど、今日の私は化粧をしたまま外出用の衣服を身に纏い、一人リビングのソファに座っていた。
ビデオ通話用の大型モニターとウェブカメラに端末を繋いで現在時刻を確認すれば、
17時からの試合前に連絡すると言っていたから、予定に変更が無ければそろそろの筈だ。
約束の時を今か今かと待っていると、静まり返った部屋に彼専用に設定した着信音が鳴り響いた。
待ち望んでいたその音色に、すぐさま『通話』の文字をタップする。
『──もしもし、玲さん?』
一瞬画面がブレて、その後に愛しい夫の姿が映る。
その顔は三日前に連絡した時と何ら変わらず……否、どうやら髭剃りをさぼっていたようで、あごひげが少々伸びていた。
『っと、画面ちゃんと映ってる?』
「お疲れ様です、楽郎君。はい、きちんと映ってますよ…あなたが無精していたところまではっきりと」
『いやぁ、試合前の練習やらミーティングで忙しくて』
「もう、社会人として身だしなみはきちんとしないとダメですよ」
『まあまあ、どうせ俺はカボチャ頭での出場だから多めに見てよ』
「まったく、仕方のないひとですね」
爆薬分隊の一員として国際試合に出るという大役を任されているにも関わらず、一向に緊張した気配を見せない彼に苦笑する。
きっと楽郎君にとってはいつものゲームもこの試合も、等しく全力で取り組むべきものなのだろう。
出会った時から一貫して揺るがない彼のその姿勢が、私はとても好きだった。
『それより、そっちはもう深夜でしょ?こんな時間にゴメンね』
「いえ、私も楽郎君とお話したかったので気にしないでください」
『ありがとう、そう言って貰えて嬉しいよ』
ロンドンから連絡している楽郎君が時差を気にして面目なさげな顔をする。
とはいえ私としては彼以上に優先するべき事情など存在しないので問題ない。このあとの試合だってリアルタイムで中継を見て応援する所存である。
「窓の外の様子だとそちらはまだ随分と明るいんですね」
『こっちは緯度が高いからね、おかげでちょっと生活リズムが狂いそうで参るよ』
「……それは元々じゃないですか?」
『おっと手厳しい、これでもチームで動く時は早寝早起きを心掛けてるんだよ?』
「普段からそうしてくれると私も安心なんですが……」
『ははは……善処します』
「体調は大丈夫ですか?ご飯や水が合わなかったりしていませんか?」
『体はばっちり!……だけど食事はそろそろ日本食が恋しいよ。味噌汁と白米はジャスティスだね』
「ふふっ、それじゃああなたが帰ってくるときは腕を振るってご馳走を準備して待ってますね」
『やった、これはますます負けられないな。勝って堂々と凱旋帰国を果たしてみせるよ』
「ご武運を、あなたの勝利を信じています」
「ありがとう。やっぱり君は、俺の勝利の女神様だ」
◇今日も誅して誅されて
このゲームでそんなことをすれば、当然リスキル狙いの志士達が哀れな
襖から漏れる光と僕の足音に釣られて複数のプレイヤーが集まる気配を感じつつ、私はそれに構うことなく大胆に襖を開いて死地への一歩を踏み出した。
「ログイン天ちゅ…」
「ログボ天誅!」
「隙あり!余韻天誅っ!」
「甘いね、諸共天誅もーらいっ!」
「ぐっ、後ろの俺ごと…だと…」
襖の影から飛び出してきたプレイヤーが刀を振り下ろすより早く、抜刀と共に振り抜いた私の刃が相手の首と胴を泣き別れにする。
天誅後の隙を狙った背後からの襲撃はその場で屈むことによって回避。
振り向きざまの反撃に敢えて斬撃ではなく刺突を選択することで、肉盾貫通式天誅を狙っていた志士諸共串刺しにして返り討ちにする。
事ここに至って私がただのカモでは無いと悟ったようで、生き残った最後の襲撃者は慌てて後退って刀の間合いから逃れた。
「なんだこいつ!?初心者の癖に強……って、よく見たら京極ちゃんじゃん!」
「ふふん、まんまと引っかかってくれてありがとう……辞世の句、詠む?」
「……この恨み、いつか晴らさでおくべきか!姑息な手には、二度とかからぬ‼」
「ご丁寧な負け惜しみどうも!はい天誅、っと」
維新軍所属らしき彼はどうやら僕を知っていたらしい。そういえば前回のイベントで天誅した面子の中に居たような…?
後ろに飛びずさりながらもしっかり火縄銃を構える姿は流石は幕末志士というべきか。
しかしこの距離では火縄銃の導線が弾を放つよりも私の刀が相手の胴を断ち切る方が早い。
向こうもそれが分かったようで、悔しさ全開な表情で辞世の句を詠み自ら腹をかっさばいた。
ログイン地点に居た襲撃者を軒並み返り討ちにした私はそこでようやく残心を解いて刀を一旦鞘へと納めた。
「……うん、やっぱり今日の僕は絶好調だね!」
いつも以上に冴え渡る自分の剣さばきに確かな手応えを感じる。今ならランカーとだって互角に渡り合えそうだ。
今日はなんだか朝からとても調子が良かった。
朝稽古での楽郎との立ち合いでは1本も取られることなく全戦全勝、最近ちょっと勝率が上がって来たからと慢心していたあいつにはいい薬になっただろう。
後に続いた兄さんとの稽古では流石に勝つことは出来なかったものの、それでも常以上に伯仲した試合が出来たと自負している。
そして放課後の今、幕末にログインした僕はその好調の波が今だ途切れず続いていることを実感した。槍が降ろうが青龍偃月刀が降ろうが今の僕は止められない。
新たな獲物を探して意気揚々と城下町へと繰り出した、けれど……
「……うーん、こういう時に限って誰にも会えない」
普段ならば往来を歩いていれば呼ばずとも誰かしらに襲われるというのに、今日は妙に平和である。
どれほど殺る気が漲っていてもターゲットとなるプレイヤーが居ないのでは仕方ない。とりあえずお茶でも飲んで一息つこう。
そう考えた僕は近場の茶屋へと足を踏み入れようとして、
「お邪魔するよ。店主、緑茶と大福を一つ……」
「やあ、こんにちは」
「!??こ、こんにちは!?」
──レイドボスさんと遭遇した。
突然のボスキャラの登場に一瞬思考が停止するも、なんとか間を空けず言葉を返す。
まだ二秒経ってないよね!?
(先に仕掛ける?いや、微妙に位置取りが悪い。ここは会話を続けつつ慌てず期を見計らうべきだ)
今のところレイドボスさんが構える様子は無い。
柄頭に手を添えていつでも刀を抜けるように姿勢を整えて……背後から飛来した団子の串に首を貫かれ、僕のHPはゼロになる。
「しまった!?くそっ、覚えてろよ…!!」
ポリゴンとなって消えゆく最中、針千本がレイドボスさんに首を落とされる姿を視界におさめて僕は初期地点へとリスポーンした。
◇篠突く雨、遥か遠くの水槽の鮫
──雨が、降っている。
この場合の雨とは脇差や斬馬刀でも無ければプレイヤー達の血の雨でもなく、至って常識的な気象現象としての雨である。
別に、この世界で雨が降るのは然程珍しいことではない。
幕末は基本的に晴れの設定が多いが時に曇りや雨の日もあり、冬には雪が積もり一面の銀世界を作り出すくらいだ。
もっとも、その銀世界が瞬く間に真紅に染まるのもまた幕末の風物詩なのだが。
プレイヤーキラーが跳梁跋扈する蠱毒を管理するこの運営は人の心が無いように見えて風流を解する感性は持ち合わせているようで、有志による検証によればきちんと現実の季節に即した気候を設定しているというのだから大したものだ。
まあそんな訳なので突如激しい雨に見舞われて、長屋の軒下で雨宿りをすることも長くこのゲームをプレイしていればよくあることなのだが……
「止まないね、雨」
「……やまねえなぁ」
レイドボスことユラ君と肩を並べて、となると流石の俺も想定外だ。
「当千は、雨は好き?」
「俺ぁ濡れるのはあんまり好きじゃねえなぁ、カラッと晴れてる方が気分が良いや」
今のところはこいつは刀に手をかける気配は無い。
とはいえ当然油断は禁物。幕末に於いて誰よりも付き合いが長いと自負する俺ですらこいつのスイッチがどこで切り替わるのかは未だ把握できていない。
「ふうん」
奴が微かに口の端を上げて笑みを浮かべる。
すわ開戦かと腰の太刀に手が伸びかけるも、どうやらただ楽し気にしているだけだと気が付いてかろうじて踏みとどまる。
「当千らしいね」
「そうか?そういうユラ君は雨は好きなのかい?」
刀を抜くタイミングを図りながら会話を続けて間を保つ。
突くような激しい雨の音が邪魔をして、近くにいるはずのユラ君の声がやけに遠く感じられる。
「うーん……嫌いじゃ、ない?」
「へえ、そりゃまたどうして」
昂る戦意と緊迫感に包まれた俺と違い、こいつはいつだって自然体だ。
それが俺と奴との彼我の差の現れのようで、どうしようも無い悔しさに襲われる。
レイドボスの名は伊達じゃなく、その頂はあまりにも遠い。
だが──
「今日は遣らずの雨、だから」
「よくわからんが、雨宿りにもそろそろ飽きてきたところだ……行くぜ」
だが、それがどうした!
ここは幕末で俺は志士。だったらやることは一つだけ!!
悔しさも憤りも全てを殺意に変換し、天に責任転嫁する。
「やるの?」
「当たり前だろ?俺とお前が出会ったなら答えは決まってらあ!」
太刀を上段に振りかぶり鬨の声を上げる。
……以前、俺たち幕末プレイヤーを指して金魚鉢の鮫と称したのは祭囃子の奴だっただろうか。実に言い得て妙なたとえだ。
魚は水槽から出たら生きられない、鮫は止まれば死んでしまう。
だから今日も俺たちは、この金魚鉢の中を精一杯に泳ぎ回るのさ。
「ユラ君覚悟!天……誅っ!」
「……楽しい」