転スラ世界に転生して砂になった話   作:黒千

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165話 二千年の旅路・後編

 

 ヴェルドラの襲来後、ルミナス達は廃墟となった夜薔薇宮(ナイトローズ)を放棄し新天地へと出発した。いずれはヒナタもよく知る地に神聖法皇国ルベリオスが興され、その地下には吸血鬼達の新たな都──夜想宮廷(ナイトガーデン)が作られることになる。

 

 クロエ、ヒナタ、トウマの三人も、ルミナス一行と別れて旅に出た。

 まずは拠点となる町か村を見付け、そこでしばらく過ごした後にまた別の地方へ移る、ということを以前のクロエも行っていたそうで、行動方針は固まっていた。

 

『今日はこの辺りで野宿かしら』

「俺には食事が必要ないけど、クロエはご飯食べないとね。手伝うよ」

「大丈夫だよ、いつも自分でやってたんだから」

 

 旅の荷物を下ろし、野営の準備を進める。

 

「あっ……お玉忘れちゃった」

「俺が『造形』したもので良かったら作ろうか?」

 

「確かこれ、食べられる野草よね……? なんか、苦い……」

「エグみ成分を『風化』させて取り除くから、味見してみて」

 

「お鍋の焦げがなかなか取れない……」

「俺がやるよ。焦げだけサラッと取ればいいんだ」

 

 ピカピカの鍋を見下ろし、クロエは複雑そうに呟く。

 

「……トウマって便利なのね」

「役に立つだろ?」

 

 クロエが眠りに就いた夜、不寝番のトウマとヒナタは思念会話で雑談に興じる。

 クロエはトウマから少し離れた場所で、枝の間に張ったタープの下で毛布を被り眠っていた。野営地にはトウマが小規模な結界を張って気温調節を施したため、秋口の夜という冷え込む時期でも充分な気温が保たれている。

 

『貴方って案外、世話焼きだったのね?』

 

 ヒナタから見て、トウマは少々意外なほど甲斐甲斐しくクロエに尽くした。砂で柔らかな寝床を作ることも出来るという申し出は、クロエに断られてしまっていたが。

 

『十歳の女の子が旅する方が無茶なんだから、楽していいと思うよ。もっと本気出していいなら、毎回グランピング用ログハウス建てたい』

『やめなさい』

 

 これでも自重しているというトウマの主張はともかく、旅は順調に進んだ。重要な水場の確保にはトウマの感知スキルが役立ち、水源のない場所ではクロエが魔法で水を生成する。前世なら苦労する場面でも、スキルや魔法によって解決することが多いのだ。

 

『トウマ、貴方は砂で魔法効果を再現するって聞いたけど』

「そうだよ。火や水を直接『造形』出来るんだ」

『じゃあ、回復魔法や補助魔法はどうするの?』

「魔法陣を作るんだよ。はいクロエ、状態清潔化(クリーンウォッシュ)」

「あっ、さっぱりした……!」

「良かった」

 

『携帯用の堅パンが少なくなってきたわね』

「こういう状況だから言うけど俺、無洗米と飯盒を出せるんだ」

『クロエのためだし止めないけれど、貴方のスキルは反則だわ……』

「あの私、お米って慣れてなくて……ちょっと苦手かも……」

「リムルは白いご飯大好きなんだけどな」

「が、頑張って食べてみる!」

「ベーコンの野草炒め作ろうか。ご飯に合うよ」

 

 

 クロエが以前のループで来たことがあるという村では、魔物化した鹿の群れに農作物を荒らされ人的被害も出たという事件が起きており、討伐を引き受けることになった。村長と交渉を進めるのはトウマで、その後ろではクロエとヒナタがこっそりと会話する。

 

『前はね、危ないから子供には任せられないって、なかなか話が進まなかったの』

『良識的な村だと思うわ。トウマがいてくれて良かったじゃない』

『……そうかもね』

 

 話が纏まり、クロエ達は村を出発する。

 感知スキルを用いて発見した棘角鹿(スパイクディア)の群れを窺うと、リーダー格の個体は枝分かれした鋭い角が大きく左右に広がる、一際凶悪な姿をしていた。

 

「クロエ、あのボスに勝てる?」

「うん。前は一人で勝ったもん」

「じゃあ任せるよ。俺は他の取り巻き全部だ、一体も近付けさせないから」

 

 トウマは宣言通りの働きをした。使用したのは初歩的な位置付けの元素魔法:風切飛矢(ウインドアロー)だったが──トウマの言う"瞬間造形"によって無尽蔵に生み出される風の矢の一斉射撃は、ヒナタの目にも壮観だった。

 クロエも棘角鹿(スパイクディア)のボスを魔法で撹乱しつつ、難なく撃破する。

 

「お疲れ、クロエ。怪我はない?」

「平気。何ともないよ」

「俺は討伐の証拠を回収するから、ちょっと休んでて」

「あの……トウマ」

「ん?」

 

 魔鹿の死骸へ向かおうとするトウマを、クロエが呼び止める。

 何か言いたげにトウマを見上げる意図がわからず、ヒナタもクロエの反応を待っていると──

 

「…………リムル先生なら、撫でてくれるのに」

 

 ややむくれた声と、上目遣いの視線。

 その可愛らしい仕草に庇護欲を刺激されそうになったヒナタへ、思念が届く。

 

『ヒナタ』

『私に許可を取らなくていいわよ……』

 

 それはつまり『クロエに指一本触れるな』というヒナタの警告を律儀に守っていたということだ。トウマは「俺でも良ければ」と口にして、黙ったままのクロエの頭にそっと片手を乗せた。少し恐る恐るとした、慎重な手の動き。

 

「ろ……四十点!」

「辛口」

 

 何かの意地を張っているようにしか思えないクロエと、相変わらずの柔らかな笑みで応じるトウマを、ヒナタは和む気持ちで見守っていた。

 

 

 まだ自由組合(ギルド)が存在せず、冒険者の立場が保障されていないこの時代では、旅人は余所者という扱いを受けることが多い。その上クロエのように目立つ容姿をした少女は、物盗りや人攫いなどの犯罪に巻き込まれる危険も増えるのが実情だ。

 しかし、クロエの傍らには常にトウマの姿があった。町から町へ移る度、必要以上に注目を集めるクロエの傍に立って不躾な視線を遮り、時には不審な者へ顔を向けて牽制を行う。

 

(本当に甲斐甲斐しいわね……)

 

 クロエの邪魔をしないという言葉を、トウマは完璧に実行した。注意を促すことはあっても行動を制限することはせず、クロエに寄り添って手助けをする。加えてトウマの振る舞いはレトラの頃よりも物静かで、世捨て人のような雰囲気さえ漂わせていた。

 

(クロエの保護者だという意識があるから? 前世の姿を取ったお陰で精神面も前世に近付いているの? それとも、未来でレトラに何かあったのかしら……?)

 

 何が彼をそうさせるのか、ヒナタには答えが出ない。

 だが、クロエの方には着実な変化があった。トウマへの警戒は次第に薄まり──野営の際には隣に座ってリムルの話題で盛り上がったり、寒いと言ってトウマのマントに潜り込んだり、一年ほど経つ頃には彼の膝枕で眠るようになったり。

 

『これはちょっと、流石にないと思うんだけど……』

『貴方がやったことの結果よ、諦めなさい』

 

 

 

 

 クロエ達は定期的にルベリオスを訪れた。

 友人であり協力者でもあるルミナスに、旅の土産話や情報共有をするためだ。

 

「クロエ、よく来てくれた。久々に会えて嬉しいぞ」

「うん、私も! ルミナスが元気そうでよかった」

 

 ヒナタにとっても変わらないルミナスの姿は喜ばしいものだったが、ヒナタには密かな悩みがあった。それは、ルミナスのトウマへの風当たりが未だに強いことである。

 

「貴様は……トウマであったな。まだクロエにくっついておるのか」

「ええ、もうしばらくは」

「わかっておろうな? 貴様の役目は、全てを賭してクロエを守ることじゃぞ」

「はい。俺が全力で守ります」

 

 素直に返答するトウマに、ルミナスが眉を顰める。

 ルイよ、という呼び掛けに応じて、見知った姿の吸血鬼が現れた。

 

「ロイと共にその者を少々鍛えてやるがいい。クロエ、我らは茶でも楽しむとしようぞ」

「あのね、ルミナス……」

「いいよクロエ。ルミナス様とゆっくりしてて」

 

 要するに、体のいい厄介払い。

 ヒナタは気まずさを感じながら、ルイに続いて部屋を出て行くトウマの後ろ姿を見送った。その片手には斧すら平気で受け止める黒杖が握られ、ひょいひょいと小気味よく揺れている。

 

(素振りしてるわ……)

 

 トウマならば、ルイとロイを相手取っても適度にあしらえるだろう──それはともかく、やはりトウマは邪魔者扱いを何とも思っていない。

 ティータイム中のクロエが、そっと取り成すようにトウマの人柄や活躍を語る姿は微笑ましくはあったが、ルミナスに効果があるようには思えなかった。

 何とかならないものかと悩んだヒナタは、トウマに持ち掛ける。

 

『ねえトウマ。ルミナス様に一度、レトラの姿を見せておいた方がいいんじゃないかしら』

『え? 何で?』

『今の貴方は名前も姿も、レトラと全然違うじゃない。未来でルミナス様がレトラと会った時、貴方だって気付かないかもしれないわよ』

『ああ、初めて会った魔王達の宴(ワルプルギス)ではメッチャ見られてたっけ……俺の姿を知ってた感じだったかも……?』

 

 トウマの真の姿を知ればルミナスの態度も和らぐのでは、と考えての提案だった。それはそれで、ルミナスがレトラを気に入っていた理由は容姿、という話にはなってしまうが。

 翌日、トウマはヒナタの案に従い、ルミナスへ進言した。

 

「ルミナス様。俺がリムルの弟で、砂妖魔(サンドマン)のレトラだということは度々お話しした通りです」

「しかも、あの邪竜に育てられたそうじゃな……まあ、あのトカゲのように傍迷惑な存在でないことは褒めてやっても良い」

「ありがとうございます──じゃなくて。未来で俺を見掛けることもあるかと思いますので、レトラの姿を知っておいて頂きたいんですが、よろしいですか?」

「ふむ……見せてみよ」

 

 ルミナスはソファの肘掛けに頬杖を突いたまま、億劫そうに答える。

 了承を得たトウマは、サラリと砂を零し始めた。黒髪の青年の姿が消え、再び現れたのは小柄な人影。細い肩、華奢な腰、サラサラとして指通りの良さそうな砂色の長髪。透き通るほどの白い肌に愛らしく色付く唇……そして、琥珀色に輝くぱっちりとした瞳。

 ヒナタの記憶通りの麗しき美少女──レトラ=テンペストの姿であった。

 

「………………」

 

 静寂の中。

 ルミナスの顎が、支えの手から浮く。

 組まれていた足が解かれ、背中がソファから離れる。

 

「さ…………っ」

 

 先に言え!! とルミナスは前のめりに悲鳴を上げた。

 

「貴様ッ……! それが本来の姿なら、初めからそう言うがいい! 貴様がその姿で会いに来ておれば、我らは良い友情を築き上げられたものを……!」

「この頃からルミナス様すぎる……」

 

 美しい顔でしみじみと呟き、レトラは再びトウマの姿に変化した。

 ルミナスは語気を強めてそれを咎める。

 

「待て、トウマ! 戻るでない! あの姿で居ればよかろう!?」

「俺のことはいいので、そのうちレトラに会ったら可愛がってやって下さい」

「どちらも貴様であろうが──そのうちとはいつじゃ?」

「そのうちです。その時の俺はまだ何も知りませんが、たぶんルミナス様と仲良くしたいと思ってますよ。あ、初対面のフリは忘れずにお願いします」

「…………」

 

 その後から、ルミナスの邪険な態度は徐々に落ち着き始めた。

 時々トウマにレトラの姿を強請るルミナスが見られるようにもなったが、ヒナタの知る限り、トウマがその要求に応じることは一度もなかった。

 

 

 

 

 旅を始めて十年余りが経過した。子供だったクロエは黒銀色の髪を持つ美しい少女へ成長し、外見は高校生ほどの年頃のまま止まっている。"仮面の勇者クロノア"としての活動も増えてきたある日、クロエは改まって切り出した。

 

「トウマ。私達、このまま一緒にいるのは良くないと思うの」

「そうだな。クロエは大人になったし、もう保護者は要らないね」

「違うの、そうじゃなくて……私、トウマに甘えちゃうから……」

「わかってるよ。これあげる」

「ペンダント? ……中に入ってるのは、砂?」

「うん、俺の砂。どこにいても駆け付けるから、必要になった時は俺を呼んで。じゃあクロエ、ヒナタ、気を付けて。またいつかどこかで」

『ええ、また会いましょう』

 

『寂しくなったわね、クロエ』

「ちょっとだけね。ふふっ、トウマがいなくても頑張らなきゃ」

 

 それからしばらくは、クロエとヒナタの二人旅が続いた。

 年月が経つにつれ、魔道士を名乗る英雄トーマの噂もよく耳にするようになった。伝え聞くにはかなりの神出鬼没さと荒唐無稽さで、明らかな作り話だの本物はもうこの世にいないだの、勝手な憶測が付け加えられるほどに信憑性のない存在とされていたが。

 

「トウマって、前から結構やらかしてたよね」

『ええ。魔法と言っておけば何でも通用すると思ってるところがダメね』

 

 トウマは己が砂妖魔(サンドマン)であることや、砂に関わる脅威的なスキルを持つことを隠したがっていた。そのため、物体を『風化』で瞬時に消し去り『造形』で再び作り出すことを『空間収納』と呼び、魔法を『造形』することを『詠唱破棄』と呼んで誤魔化していたが、そもそもそれらは一般的な技ではないのだ。

 現代よりも所有者の少ないユニークスキルや、古代の遺物たる魔宝道具(アーティファクト)によってようやく得られる効果を、一介の魔法使いが日常的に使っていたという伝説。後世の人々はそれを解明するため魔法理論や法術の研究に明け暮れた──という一連の動きが、世に伝わる"魔道士トーマの恩恵"である。

 

 トウマが不在の間も、クロエはルベリオスを訪れる。

 クロエの傍に黒髪の青年がいないことには、流石のルミナスからも言及があった。

 

「トウマはどうした? ……まさか」

「違うのルミナス。私が独り立ちしたくて、トウマと一緒にいるのをやめたのよ」

「そうか、ならば良い。知った顔に死なれては寝覚めが悪いからの」

 

 縁起でもないことを言わないで欲しい、とヒナタは思う。もしトウマの身に何かありレトラが戻らないとなれば、リムルに顔向け出来ないどころか世界の危機だ。

 たまには安否確認くらいすべきではないかとも考えたが、トウマに繋がる砂を渡されていたクロエは一度も彼を呼ぼうとはしなかった。いつかどこかで会えるまで頑張る、と笑うクロエを尊重し、ヒナタもその時を待つ。

 

 

 月日は流れ──再会の時がやって来る。

 

「えっ……トウマ?」

「クロエ、久しぶり。ヒナタも元気だった?」

『私に元気も何もないけど、元気よ』

 

 大量発生した魔物の大規模討伐のため、近隣で最も大きな街に腕の立つ者達が集められ、クロエとトウマはそこで再会した。

 討伐作戦は成功の内に幕を下ろし、二人は街の食堂で数十年ぶりに向かい合う。"聖人"となって久しいクロエも、砂の身体を持つトウマも、見た目は全く変わっていない。

 

「トウマはもうこの世にいないって噂もあったから、ちょっと心配してたのよ」

「冥界に行ってる時期があったから、間違ってないかも」

『冥界ですって? 悪魔界のこと?』

「探しものがあってさ。ほら、レオンが国を作る予定の大陸に地獄門があるだろ」

『危険なことをするわね……そこには"原初の悪魔"が出没するって話なのに』

「ああうん、会ったよ」

『あ、会った?』

「無事だったのよね……?」

「世界が無事じゃなくなるとこだったけど、止めといた」

『そ……そう』

 

 大陸の一つや二つ滅んでもおかしくない歴史的事件が、一言で語られて終わる。トウマの万能さは知っていたつもりだが、誰にも知られぬまま笑えない規模の偉業が為されていたことを知り、小言を言う気力も失せてしまった。

 積もる話をしながら食事を終えた後、口火を切ったのはクロエだ。

 

「あのね、トウマ……やっぱり、また一緒に旅しない?」

「……? 何か困ったことでもあった?」

「うん……あの……ヒナタがね」

「ヒナタが?」

「た、たまには白いご飯が食べたいって……!」

「そういうことなら早く俺を呼んで良かったのに!」

 

 寝耳に水ではあったが、ヒナタは何も言わなかった。クロエと味覚をリンクさせて食事を味わうことは可能とは言え、白米に釣られたわけではない。素直になり切れないクロエにお節介を焼く気分になっただけで、決して、白米に釣られたわけではないのだ。

 

 

 それからも何度かトウマと別れて旅をすることはあったが、二千年の旅路を往くクロエ達にとって世界は狭い。再会すれば共に旅をし、ふとした拍子に別行動を取り、再び出会う──その繰り返しでトウマと過ごした月日は優に千年を超えていた。

 

 もう何度目になるか知れない野営の夜。

 明朝の準備を終えたクロエが、倒木に座るトウマの隣に腰を下ろす。

 

「クロエ、もう寝る?」

「もう少ししたらね」

 

 最早クロエにもそれほど睡眠は必要ないが、習慣として眠るクロエと見張りのトウマという図式は変わっていない。今は眠る直前のささやかな一時だった。

 

「寒くない?」

「うーん、少し寒いみたい」

「それじゃ、寝るまでこれ着てて」

 

 トウマは羽織っていたマントを外し、間近に座るクロエの両肩に掛けてやる。

 ありがとうと笑ったクロエが、更にくすくすと笑みを零した。

 

「昔みたいに、マントに入れてくれないのね」

「クロエはもう大きくなったから」

 

 昔──子供のクロエが隣に座って「寒い」と告げれば、トウマは長いマントの片側を持ち上げてクロエを覆ってやっていた。クロエが何度もマントに潜り込むので、彼も学習するようになったのだ。それは、クロエが成長するまで続いた出来事だった。

 

「あのね……トウマ、私ね」

 

 身を包むマントを引き寄せて握り込み、クロエは隣からトウマを見上げた。

 うん、と静かな声が先を促す。

 

「トウマのこと、リムルさんの次に大好きよ」

「ありがとう。嬉しいよ」

 

 トウマが笑みを浮かべると、クロエも微笑みを返す。

 二人の語らいを邪魔せぬよう、ヒナタは穏やかな気持ちでそっと気配を鎮める。

 夜の深まる森に、心地良い時間が流れていた。

 

 

「…………もしかして俺、レオンより上に来てない? いいの? レオン泣かない?」

「レオンお兄ちゃんの話はしてないでしょ」

 

 

 

 

 

 千七百年の時が経った後──ジュラの大森林にて。

 クロエに身体の主導権を借りたヒナタが、仮面の勇者として"暴風竜"ヴェルドラを『無限牢獄』に封印する。ヒナタは迷宮の最下層でヴェルドラに負かされた雪辱を、ここで晴らしたのだ。

 

「よくやったぞヒナタ。あのトカゲの泣き顔を想像すると、胸がすくようじゃ」

「まあ、仕方ないよな……封印されてくれないと、リムルや俺がヴェルドラに会えないし」

 

 ルベリオスへ戻り事の顛末を語ると、しばらく前からクロエの中のヒナタと直接会話するようになっていたルミナスが、楽しそうに相槌を打つ。

 トウマはまだヴェルドラに会う時ではないからと、ルベリオスで留守番していた。

 

「クロエ、ありがとう。身体を返すわね」

『うん、でも……ヒナタにはもう少しこの身体に慣れておいて欲しいの。今まで言ってなかったけど、私はそろそろ消えると思うから』

 

 それはヒナタも薄々予想していたことだった。

 もうすぐこの世界に幼いレオンとクロエが異世界人としてやって来る。同一時空に同一存在が重複するという起こり得ない事態の反動で、ここにいるクロエは意識を失い、この世界へ来たばかりのクロエは更に先の時代へ飛ばされたと考えられる。そこからはヒナタが"仮面の勇者"を引き継ぐが、高校生のヒナタがこの世界へ転移して来る頃には、やはりヒナタの意識も消えてしまうのだ。

 

『ぼんやりとしか覚えてないけど、私とヒナタが消えた後、私は暴れてたみたいなの。あれはたぶん私とは別の人格で、破滅の意思の塊のような……』

 

 ヒナタは思い出す。クロエが名乗ることにした勇者"クロノア"の名をヒナタの提案で決めた時、何故かヒナタはユニークスキル『簒奪者(コエルモノ)』を失っている。

 以前リムルから、魔物に名付けをすると魔素が奪われるという話を聞いたことがあったが──今思えば、ヒナタは"クロノア"に力を奪われたに違いなかった。

 

「聖霊力の封印で聖櫃を作れば、現世から隔絶されるであろう。未来でお前達の魂を探し出し、完全な形で封印を解くと約束しようではないか。トウマよ、貴様はそれが実現した未来から来たとのことじゃったな?」

「はい。以前と同じ歴史をなぞれば、同じ未来に辿り着けるはずです」

 

 ルミナスと出会った当初は、トウマがクロエ達よりも先の未来から来たことは告げずにいた。ただでさえ前回以前に存在しなかったトウマの介入により、未来が変わってしまうことをクロエが恐れたためである。だが今ではそれもルミナスに打ち明けており、トウマのいた未来ではヒナタが無事に生き返っていると知らされたルミナスは嬉しげだった。

 

「私とクロエが聖櫃に入った後は、貴方はどうするの?」

「俺も、俺が転生して来るまでには自力で帰るよ」

 

 未来に向けた話し合いは夜更けまで続いた。それが一段落してからも、旅の話、リムルの話、お菓子の話、美容の話……と話題は尽きず、「女子会になってきたので」とトウマが引き上げた後も、三人は朝まで語り明かしたのだった。

 

 

 

 クロエの時間が終わりを迎える。

 滞在中の村の宿で、ベッドに腰掛けたクロエは朦朧としていた。

 

「ヒナタ……後のこと……」

『大丈夫よ、心配しないで』

「トウマ……疑ってて、ごめんね……」

「気にしてないよ。おやすみクロエ」

 

 間もなくクロエの意識が消失し、その後をヒナタが引き継ぐ。

 主人格を失ったことで暴れ出しそうなクロノアの凶暴な意思を捻じ伏せ、その負荷として発生する大きな圧力を感じながらも、ヒナタは気丈に振る舞った。

 

「トウマ、貴方は貴方の旅を続けてもいいのよ?」

「ヒナタと一緒に行くよ。宿主を支配しようとする破壊の意思って、他人事じゃなくてさ……もしもの時は、精神系スキルを持ってる俺も少しは助けになれるから」

「そうね……貴方がいるなら心強いわ」

 

 たとえ一人でもやり遂げるつもりだったが、トウマは共に行くと言ってくれた。彼らしい甲斐甲斐しさが自分にも向けられていることが面映ゆくもあり、少し気分が軽くなる。

 

「でも、シズ先生を助けたのは仮面の勇者一人よね?」

「うん、俺はシズさんには会えない。ヒナタがシズさんといる間は、姿を見せずに近くにいることにするよ」

 

 トウマと二百年以上の旅を続けたヒナタは、魔王レオンが放棄した城で若き日のシズを保護した。師へのせめてもの恩返しのつもりでシズとの時間を過ごし、最後の役目を果たす。

 シズからリムルへ、リムルからクロエへ、そしてクロエから託された仮面をシズへ──出所不明の仮面を在るべき場所へ戻したことで、長い旅は一つの山場を越えたのだ。

 

 シズを町に残して去ったヒナタは、限界に近付いていた。

 誰の目もない郊外へ出たことで緊張の糸が切れたか、気が遠くなり、足元が揺れる。いけない、と最後の力を振り絞って耐えようとするヒナタの身体を、支えた腕があった。

 

「ヒナタ、お疲れ様。後は俺が抑えるから楽にして」

 

 その声を耳元で聞いた瞬間、力が抜ける。圧力は消えていた。

 これまでヒナタは一度としてトウマに助けを求めなかったが、彼はそんなヒナタを尊重し、手助けが必要になるまで傍に居続けてくれたのだ。彼がそういう性分なのだとはわかっていても、無償の庇護を与えられていることを実感し、ヒナタはトウマの腕に身を沈めながら小さく微笑む。

 

(ああ、駄目ね。嬉しくなってしまうじゃない……)

 

 トウマの空間転移でルベリオスへ向かうと、ルミナスが封印の準備をして待っていた。

 聖櫃に入る前に、トウマに別れを告げる。

 

「それじゃ、トウマ……私ももう眠るわね」

「おやすみヒナタ。次会う俺にはまだ二千年の経験がないけど、またよろしく」

「ええ、また会いましょう。おやすみなさい」

 

 

 

 ──斯くして、舞台は再び現代へと移り変わる。

 

 

 

 

 




※タラシだった

今回の更新期間は終了です。ありがとうございました。



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