小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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ここからプロ棋士編になります。

対局の管理に関してですが、聖竜=棋聖、玉将=王将、棋匠=棋王、棋竜=王座、棋神=王位、獅子王=竜王との仮定でスケジュール管理してきますので、よろしくお願いします。
あくまで私の創作の中での話です。
竜王=獅子王なのは作中の描写から間違いないのですが、後のタイトル戦はちょっと微妙なところもあるのです。たぶんそっくりそのままじゃないというか。
公式は明言してませんから、こちらでとりあえず仮定で。



小学生プロ棋士編
第十四手 小学生プロ棋士


 6月頭。

 僕のプロ初めての公式戦は順位戦の一局目になった。

 四段の棋士は最初C級2組に入る。

 

 C級2組では、一年かけて10局対局しその中の上位3名だけが、昇級する。

 当然、今期からの参戦である僕の順位は低く、昇級のためには全勝に近い成績が必要だ。

 

 ちなみにB級2組まで、全勝者は昇級確定である。

 まず、ありえない話だけれど全勝が4人いれば4人昇級だ。だいたい全勝者一人と残りの枠が好成績順位上位者にとどまるので、枠を超えての昇級はまずないと言っていい。

 

 どんなに急いでも、A級に上がるまではC級1組、B級2組、B級1組と一年ずつ昇級する必要があるので、5年はかかってしまう。

 そのうえで10人いるA級棋士たちの総当たり戦を制し、挑戦者の資格を手に入れ、最も持ち時間が長い二日制の七番勝負で、名人に4勝して初めてそのタイトルを手に入れることが出来る。

 

 つまり、将棋人生を掛けての長きにわたる予選と、その時期のトップ棋士の集まりであるA級を勝ち抜き、挑戦権を手に入れ、その時代を象徴するともいわれる名人に勝たなければ、その栄誉を手にすることは出来ない。

 タイトル戦のなかでも最も古い歴史をもつタイトルでもあり、棋士たちはこぞってこのタイトルを生涯で一度は手にしたいと考える。

 数あるタイトルのなかでも名人は別格なのだ。

 

 当然僕も名人戦を目指す。前回の宗谷名人と持ち時間9時間の二日制対局七番勝負はもう忘れられない記憶だ。魂に刻み込まれていると言っていい。

 

 だからこそ、この順位戦、負けるわけにはいかない。たとえ他の棋戦と被ったとしても、優先して10戦全勝で確実に昇級しなければならない。

 他のタイトル戦はまた来年チャンスはくるけれど、順位戦だけはだめだ。

 ただでさえ、5年もかかるのに一年も名人戦が遠ざかる。

 

 あと、順位戦の特徴と言っていいのが、持ち時間の長さだ。

 予選といってもいいのに、6時間もある。

 その長さは、他の棋戦の本戦・予選の持ち時間の中で最も長く、しかも1日制のタイトル戦の持ち時間より長い。

 

 余談だが、対局開始はタイトル戦が午前9時であるのに対し、通常の予選や本戦対局と同じく午前10時開始であり、さらに昼食夕食の休憩まで挟む。

 そのため、対局が深夜に及ぶことや、日が変わっての終局も珍しくない。

 

 藤澤さんには遅くなったら絶対に、タクシーを使うようにと言い含められたので……もしそうなったらちゃんと使うつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 今日の対局相手は松本一砂さん。ひょんな事から今回、僕と同期で昇段することになった方だ。

 三段リーグでは残念ながら当たることができなかったので、プロになってから対局出来ればと考えていたが、まさかこんなに早くその機会がくるなんて思ってもみなかった。

 

「お久しぶりです。松本四段。昇段の会見の時以来ですね」

 

 僕からかけた声に、彼は肩をビクッと震わせたあと、驚いたようにこちらを見た。

 

「お、おう。久しぶり。今日はよろしくな。……ま、負けないからな! 気持ちだけは……」

 

 あれ? なんかめちゃくちゃ緊張されてる……?

 それもそうか、プロ初対局だもんな、下手に声を掛けない方が良かったかも……。

 一抹の不安を抱きつつも対局は開始した。

 順位戦のリーグ表における全ての対戦組み合わせと先手・後手は、抽選によって作成されるので、振り駒は無しだ。

 

 今日は僕が先手だ。

 

 暫くは様子見をしつつ、戦況をつくっていく。

 

 そして、35手目僕の7五歩。

 戦型は「角換わり」の出だしから

 後手の松本さんが角交換を拒否する形になった。

 

 ふむ、そうくるか。

 僕はまず4筋で歩を突き合わせ急戦調に仕掛けた。

 これに対して、松本さんもすぐさま7筋から反発して、闘志も満々に、いざ開戦。

 

 攻撃的な彼らしいと思う。

 笑ってはいけないのに、前と全く変わっていないその棋風に少し笑みがこぼれてしまった。

 

 でも、勇み足は禁物。

 

 角を捌いて飛車先から猛攻に出た松本さんの攻撃を丁寧に受け、局面を鎮める。

 そのあと、ズバッと踏み込むと、形勢はあっという間に僕の方へ傾いて、全85手で勝負あり。

 

 持ち時間を互いにほとんど使わなかったせいもあって、夕食をまたずしての終局である。

 

 感想戦も彼の勢いはすっかりなくなってしまって、早々とたたんでしまった。

 

 

 

 対局室を出て、しばらくしたあとに、追いかけて来た松本さんに呼び止められた。

 

「ごめんな! まともな感想戦も出来なくて。オレ、お前の同期としてはたぶん見劣りすると思うけど……それでも、これから強くなるから。ちゃんと覚えてくれよ、俺の名前。今日の対局スパっと負けちまったけど、楽しかった」

 

 肩で息をしながらの相変わらずの勢いに僕は少し引いてしまったけれど、とても嬉しかった。

 あぁ……暑苦しいところは相変わらずだけど、とても真っ直ぐだ。

 こんな奴が同期だとやりにくいだろうに、こうやって声を掛けてくれるなんて。

 

「ちゃんと覚えてますよ。松本一砂四段。これから長く対局していくことになる同期なんですから」

 

 すこし、照れ臭かったけどちゃんと答える。言葉にするって大事な事だ。以前の僕はそれがほんとに駄目だったから、余計に今回はきちんとしたいと思う。

 

「おぉ! そうか、良かった。うん。ちゃんと桐山がタイトルとったら俺が挑戦者としてとりに行くから、よろしくな」

 

「なんで僕がタイトルとってるのが前提なんですか、まだまだですよ」

 

 落ち込んでいた雰囲気から一転、元気よくそう言った彼に、おもわず笑ってしまった。

 

「へーーそうやってると、ちゃんと年相応なんだな」

 

「え? 何ですか?」

 

「桐山、奨励会だとほんとお人形さんみたいだったからさ。笑ったの今はじめてみた」

 

 そっちの方がいいぞ。と言われて僕は戸惑ってしまった。

 

 そんなに、固かったかな……うーん、そのつもりは無かったけど、確かにあの場所にいる時は将棋のことしか考えてなくて、あまり感情を表にだしていなかったような。

 

「おーい、いっちゃん何してんの? って桐山と一緒か。え? まさかもう終わっちゃった感じ?」

 

「あー! スミス、お前、初戦は緊張するから応援がてら観に行くわとか言ってたくせに!今頃かよ。もう終わったよ。負けだ、俺の!」

 

 僕はびっくりしてしまった。目の前に対局者がいるのに、はっきりこう言えるのってほんと凄い。

 

「あーごめんごめん、ちょっと所用があってね。そうかーいっちゃん負けちまったか。棋譜みせてよ、桐山との対局なら面白そう」

 

「あれ? スミスは桐山と知り合い?」

 

 僕の方にも、一勝まずはお疲れさまと声を掛けてくれたスミスさんの様子に、松本さんが尋ねた。

 

「おうよー記録係のときにちょっとな」

 

「その節はお世話になりました」

 

 あの時の失態は、ほんとうに忘れ去りたいくらいの記憶だが、ちゃんとお礼を言っておく。

 

「良いって、いいって。あんまり気にすんな。それから、将棋会館の事でも、対局の制度のことでも、その他の仕事でも、分からなかったり困ったりしたら相談してくれて良いからな」

 

 棋力はともかく、こういう事では先輩面させて、と笑って告げる彼にこれまた頭が下がる思いだった。

 前回の時から本当に良い先輩だ。

 

「おし! スミス、観戦にこれなかったお詫びとして、俺に必勝の手が無かったのか、一緒に検討しよう」

 

「えーこの内容でか、うーん角さばいちゃったのは不味かったんじゃない?」

 

 賑やかな二人のやりとりを眺めていると、後ろから声がかかった。

 

 

 

「おい、ちびすけ。終わったんなら帰るぞ」

 

 深く、響く声。

 仲良くしゃべっていた二人が、ピタリと黙って固まってしまった。

 

「あれ? 後藤さん、なんでいるんですか? 今日対局ないですよね?」

 

 振り返って答えた僕の返答に、彼は眉を寄せる。

 

「……爺さんに頼まれたんだよ、今日は門下のやつの対局はねぇ。おまえのお迎えに行きたがる幸田さんは地方で仕事。初戦だし、俺に行って来いってさ。たく面倒な……」

 

 本気で嫌そうな声だったけど、それなりに付き合いがある今の僕なら解る。これは照れ隠しも入っているのだ。

 実際来てくれている以上、彼はこの役目を嫌がったわけではない。

 ほんとうに嫌なら梃子でも動かぬ人なのだから。

 

「それは、すいませんでした。今日は電車ですか? 車ですか?」

 

「車。いくぞ、爺さんぜったい気合い入って良い飯とってる」

 

「わーー! それは急がないと! 松本さん、スミスさんお先に失礼しますね」

 

 師匠だったら何時までも待ってるとか言って、絶対用意してる。

 急いで帰らないと、と思って先輩棋士たちに声をかける。

 

「お……おう、おつかれさま」

 

「気を付けてな……桐山」

 

 信じられないといった顔をして、固まっている彼らの様子に首を傾げなから、僕は早くも背を向けて歩き始めている後藤さんの後について行こうとした。

 

 と、彼が突然立ち止まって、こちらを向く。

 

「松本」

 

「は、はい!」

 

「中盤まで悪くなかった。こいつ相手によく指せてたと思う。後半粗さが目立った。ただその棋風つらぬくなら、もっと戦略も磨いていけ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「難儀な奴が同期で、やり難いとおもうが、腐らずにな。お前の棋風面白いと思うぜ」

 

 突然、横に来ていた僕の頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃに撫でまわしながら、松本さんに声をかけていた。

 そして、そのまま背を向けて再び歩き出す。

 後藤さんのこういうところって、ずるいよなって最近思う。

 でも、僕の頭をぐしゃぐしゃにする必要は無いと思う。まったく。

 

 感激して固まっている松本さんと、唖然として固まっているスミスさんにもう一度、ぺこりとお辞儀をして、僕も帰路についた。

 

 車まで急ぐ彼に、追いついて僕も声をかける。

 

「今日、寄っていきますよね? お時間あるなら夕食の後、指しませんか?」

 

「あーー? たっく仕方ねぇな。ぼこぼこにしてやるから、泣くなよ。ちびすけ」

 

「もー! プロになったら止めてくれるって言ったじゃないですか、僕の名前は桐山です!」

 

「おまえが、公式戦で俺に勝てたらな」

 

「延びてる!」

 

 憤慨する僕を、後藤さんは鼻で笑った。

 もう、対局してくれるのは嬉しいし、さっきはちょっとカッコイイ大人だと思ったけど、やっぱ駄目だ。

 この人意地が悪い。

 

 帰宅後、案の定師匠はご馳走を用意してくれていたし、僕の1勝を奥さんと一緒に、とても喜んでくれた。

 そして、その後の対局だけど、1局目辛くも、負けた僕が再戦を申し込んで、次の対局は勝った。

 一勝一敗。痛み分け。この人との対局はやっぱり面白いなって思う。公式戦で当たるのが楽しみだ。

 

 

 

 

 


 

 6月下旬。

 聖竜戦のトーナメントの一次予選が始まった。

 C級1組以下の棋士と、女流棋士2人によるトーナメント形式で行われ、8人が二次予選に進むことが出来る。

 とりあえず僕は、二次予選出場のためにこの8人にはいらなければならない。

 今は、対局も少なくてきちんと準備ができるので、危なげなく1勝を重ねた。

 

 

 

 7月に入り朝日杯の一次予選もはじまった。

 このトーナメントは、タイトル戦ではないけれど、全棋士が参加する。つまり予選を突破し、12月から1月頃にある本戦に出場できて、そのマッチングによっては、宗谷さんと早々にあたるかもしれない。

 是非とも本戦入りを目指したい棋戦だ。

 

 一次予選にはアマチュアの選手10人ほどと女流棋士の方も参戦する。

 持ち時間は40分ととても短く、そのため一日に2局することも多い。

 

 その日あった対局はもちろん2勝した。

 

 同じ月にあった、順位戦の2戦目も、聖竜戦一次予選の対局も勝ち、7月末までに行われた全7局全勝。

 プロ入り後の連勝記録をひそかに重ねはじめた。

 

 

 

 

 8月。世の中は夏休みである。

 それでも変わらず将棋を指すだけの毎日の僕だったけれど、幸田さんの家に呼ばれて、ご飯をごちそうになったことがあった。

 香子さんもその場には、同席していて、幸田のお義母さんのご飯をとてもおいしそうに食べていた。

 

 食事の後に少し時間があったので、僕は彼女に話しかけた。

 

「あの、香子さん、お預かりしていたこの駒、お返しします」

 

 三段リーグ入りが決まった時、彼女に渡されていた一枚の香車の駒だ。

 今日までちゃんと無くさずに持っていた。

 

「なんだ。まだ持ってたんだ。律儀ね。ふーん。もういらないってこと?」

 

 彼女は返された駒をみてとても不服そうだった。

 

「違います。他の駒たちと一緒に居るべきだと思いました。歩だって駒箱の中で待ってますよ。この香車だけひとりは駄目です」

 

「相変わらず、優しいのね。そうかーじゃあここに返してあげないとね」

 

 彼女はカバンから出してきた、赤い見覚えのある駒袋から駒箱を取り出し、蓋を開けて僕の方へ付き出した。

 僕は静かにその箱のなかへ、駒をかえした。

 

「その駒箱。いつももって歩いてるんですか?」

 

「仕事のときはねー、お守りよ」

 

 ちょっと意外だったけれど、将棋が彼女にとって悪い印象で残っていないのが、少し救いだった。

 

「そうだーあんた生意気にテレビ出てたね。見たわよちゃんと三局とも。正直ちょっと面白かった。小さい貴方が、大人と渡り合って、勝っちゃってるんだから」

 

「あ、そうだ! それなら、島田八段との対局もみられたんですよね?」

 

「え? うん。一応ね、いちおう」

 

「香車すごかったでしょ! 中盤! あれが決め手だったんですよ」

 

 うん。やっぱりカッコイイ駒です。と僕が一人納得していると、彼女はお腹を抱えて笑い出した。

 

「あーもう、なによ、ほんと最高だわ。生意気だけど、そういうところ貴方らしいわよね。ね、一局指して。この駒使って、盤は父さんの借りましょ」

 

 彼女がまた指そうと言ってくれたのが、嬉しくて僕はすぐにうなずいた。

 幸田さんは将棋から離れていた娘がそう言ったのが、やはり嬉しかったのだろう。快く貸してくれた。

 

「はんでちょーだい。駒落ちね」

 

「いいですよ? 何枚ですか?」

 

「うーんとりあえず、二枚落ちから」

 

 とりあえず、と言われた意味が分からなかったけれど、それで対局した。

 そして、相変わらず手加減が下手な僕はすぐに勝ってしまって、彼女は、それじゃ次は四枚落ちで、と言ったのだ。

 まさか、自分が勝つまでやるのかと思ったその対局は、六枚落ちをしようとしたところで、幸田さんから待ったがかかった。

 どうやら、僕を藤澤さんの家に送る時間が来たようだ。

 

 彼女は少し残念そうな顔をしたけど、次は六枚落ちからね、と僕にいった。

 次があることに少し驚いたけれど、将棋を指してくれるのはやっぱり嬉しいから、僕はまた遊びに来ますと言ってしまった。

 

 

 

 帰りの車で幸田さんに、娘が何度もすまなかったなと言われた後に、でも君はすごく大人びていると思ったけれど、案外頑固なところもあるのだと分かって良かったよと笑われてしまった。

 

 そして、香子の事をありがとうとお礼を言われてしまった。

 

 君との対局でなにか吹っ切れたみたいで、今のあの娘の方が、楽しそうで良いと幸田さんが嬉しそうに言う。

 僕としては、何もできていなかったと思うけれど、少しでも力になれていたのかと、安心した。

 

 

 

 

 

 

 さて、8月の対局は、棋竜戦と、棋神戦の予選もはじまるので、対局数が一気に増えて来た。

 

 まず棋竜戦。一次予選と二次予選があることと、そのシード選出基準などが聖竜戦と少し似ている。

 ただこちらの方が予選もすこしだけ持ち時間が長めで2次予選に進める人数が6名とすくない。

 

 面白いのが、棋神戦だろう。このタイトル戦は、タイトルホルダーやA級棋士に対する上位棋士のシードがほぼない。前年シード4名の棋士以外の全ての棋士が、2回戦までに登場するのだ。

 予選の段階から番狂わせがおこることもある。

 予選通過枠は8名。

 予選に参加するすべての棋士を8つのグループに分けて、トーナメントを行う。それぞれ勝ち抜いた8名が本戦に出場となる。

 

 

 

 そして、僕が振り分けられた予選トーナメントのメンバーの中に土橋さんがいた。

 どうやらA級棋士との初めての公式戦は彼との対局になりそうだ。

 流石に予選一回戦から彼と当たることはなかったので、とりあえずは一勝した。

 

 

 

 

 

 9月、学校は新学期もはじまるけれど、僕は棋戦も増えて、少し休むことが多くなった。

 周りの子たちはテレビの影響もあってか、桐山は凄い試合に行ってるらしいから、仕方ないといった感じで応援してくれてる。

 驚いたのが、青木くんが相当僕の対局日程とか、内容とかを把握してることだ。

 施設の皆にも解説とかしてるらしい。

 僕は、桐山君がプロになるまえからのファンなんだからね! と言われて、素直に嬉しかった。

 

 

 

 聖竜戦と朝日杯の一次予選は無事突破して、棋竜戦の一次予選も順調。毎月ある順位戦も勝っていた。

 

 9月末までに行われた全15局を全勝し、プロ入り後の連勝記録は15連勝。

 

 そして、16戦目になるこの日、ついに最初の山場となるであろう、棋神戦予選三回戦で僕は、土橋八段と対局する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 予選のトーナメントが発表されてから、この日まで相当な時間を割いてこの対局に備えて来た。

 相手は研究熱心で面白いことが好きな土橋さんだ。まず間違いなく僕のことも出来る限り、調べてきているだろう。

 

 正直いって、これまでの公式戦ではそれほど、手の内を見せたつもりは無い。

 参考になるのは三局。あのテレビの企画で指した三局くらいだ。

 まだ、僕に勝機はある。

 

 

 

 対局前、僕は下座にいつも少し早目について心を落ち着かせる。

 この時間はわりと好きだ。

 

 あとからやってきた土橋さんが席について、対局をはじめようとしたとき、そっと僕に声を掛けた。

 

「宗谷くんから聞いてる。君との対局とても楽しみにしてきた。今日はよろしくね」

 

 ちょっとびっくりしたけど、やっぱりうれしい。僕だってほぼ半年ぶりくらいのA級棋士との対局なのだ。

 

 振り駒の結果、僕が先手だった。……なんだか大事な対局で先手を取れることが多い気がする。

 

 

 

 初手は角道を開く7六歩から、それに対して土橋さんも2手目に同じく3四歩と角道を開き、対局はスタートした。

 

 3手目に7筋の歩を突き越してみせる。この手にたいして、土橋さんは1筋の歩を突き、1四歩。

 僕の作戦を尋ねてきた。

 

 すこし悩んだけれど、一筋の端歩は受けずに7八飛を指し、「三間飛車」に構える。

 

 ここで、土橋さんは20分ほど考慮をとる。序盤から何か仕掛けてくる気だろうか。

 そして、おもむろに角頭の歩を突く、趣向の一手で2四歩と指した。

 

 なんだこの手?

 前例がない。序盤からこれほど、面白い手を打ってくるなんて、流石に土橋さんだ。

 これは今日は、ぜったい混戦になると気合いを引き締めた。

 

 あまり早計に指さない方が良いなと、僕も少し時間をつかって、 5八金左とした。

 

 その次の瞬間、土橋さんは8八角成とし、いきなり角交換!

 ぼくは慌てて、銀で角を払い同銀とする。

 

 角交換成立後すこし、形勢は不利になった。

 自陣の強化のために、二段目に駒を幅広く並べた僕に対し、土橋さんは2筋の歩を突いてから飛車に手をかけ「四間飛車」を展開しはじめた。

 

 あまり焦らずに、ぼくは通常の左側ではなく、自陣右側に「矢倉」の完成を目指すことにして、土橋さんの攻撃をいなしつつ、マイペースに、玉の入城を完了させた。

 

 でも、流石のA級棋士。ただでは囲いを完成させてはくれない。

 完成前に、3筋の歩を突き合わせ、仕掛けを開始し、僕の玉頭目掛けて襲いかかってきた。

 

 その仕掛けをなんとかいなしつつ、矢倉が囲いを完成させたあと、ぼくは飛車を8筋へと振り直した。

 

 それでも、居玉の土橋さんは強気に攻勢を強めてくる。頭上を連続で叩かれた直後に銀交換が成立。戦況は少しずつ荒れてきた。

 

 

 

 独創的な構想を描く相手に対し、あまり動じずに、あくまで自陣を固めつつひたすら好機を待った。

 

 そして、その時がやってきた。

 

 居玉のままだった土橋さんの玉目掛けて、直接襲い掛かり、形勢を一気にこちらに引き込む。

 そのまま攻撃の手を緩めることはなかった。

 いや、此処で緩めたら終わりである。

 絶対にこれで決めなければならない。

 

 そして、133手目までもつれこんで、対局は土橋さんの言葉で幕を閉じた。

 

 僕は、それでやっと一息つけた。

 久々に終盤も気が抜けなくて、ずっと緊張していた。

 ちょっとでも読み筋を間違えては危なかった。

 

「いやーすっごく面白かった。2四歩で意表をつけたと思ったのに、全然動じない。すっごい心臓。あんまり若手ぽくないね」

 

「えっと……それって褒めてるんでしょうか?」

 

「もちろん。通常との逆の矢倉に持ち込んだのも興味深かったなぁ…あれは何処かで指したことある?それともこの対局ではじめて?」

 

「公式戦ではもちろん初めてです」

 

「そっかそっか、いいね。この対局だけで面白い展開が10はあった!」

 

 対局後すぐそう声を掛けられての怒涛の質問に、目をまるくしてしまった。

 

「感想戦もいっぱいしたいけど、まずはちょっとお腹空いたね。外に食べに行こう。もう20時前だけど、この辺は結構開いてるから」

 

 20時と言われて驚く、僕の対局が此処まで長引いたのも今日がはじめてのことだ。

 

 負けた先輩棋士が奢ってあげるから、と言われて、恐縮してしまう。でも、土橋さんと対局の話はしたいから、ご厚意に甘えることにする。

 

「金曜日だし、少しくらい遅くなっても大丈夫なのかな? それとも門限あるの?」

 

 もし、大丈夫ならご飯のあと感想戦をしたいと言われて、僕は当然頷いた。

 連絡さえとっていれば、藤澤さんは許してくれる。

 そりゃあ、日付を超えるのは流石にまだ、駄目だけど……それでも数時間は土橋さんと感想戦ができる。

 

 結局僕らは、夕食中も今日の対局について、しゃべり続けたし、そのあと会館に帰った後も、途中からの派生手を考えて、指し続けた。

 土橋さんはまさにびっくり箱だった。

 え? それ悪手じゃ? みたいに一見僕がすぐ切り捨ててしまいそうな一手でもちゃんとみるのだ。そして、案外その先に道があったりもする。

 やっぱり将棋とは奥が深い。

 

 結局その日も相当盛り上がったのだけれど、会長がまた止めに来た。

 もう23時過ぎたから、いくらなんでも桐山は帰れと。

 土橋さんに対して、藤澤に連絡させるだけ宗谷よりはましだが、集中したらまったく他の事は眼中にないんだから、やっぱり同類だと呆れていた。

 

 土橋さんもそのまま帰宅することにしたらしく、会長に僕をタクシーで送っていけと厳命されていた。

 彼も、引き止めてしまったのは自分だし、すっかり時間を忘れてしまっていたのも悪いから、藤澤さんに話してあげると言ってくれて快く送ってくれた。

 集中して時間を忘れた責任は僕にもあるので、本当に申し訳ない……。

 

 家で待っていた藤澤さんは、こうなると思ったと呆れながら、笑っていた。

 僕には、お疲れ様の言葉と、お風呂にはいってすぐに寝なさいと言い、土橋さんには送ってくれたお礼と、また是非対局の話をしてやってほしいと言っていた。

 

 彼は、本当にそのつもりのようで、僕と連絡先を交換していった。

 時間がありそうな時に、また声をかけるからよろしくと言われた。

 意外とフットワークが軽いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 プロ入り後半年、僕は連勝記録を16勝に伸ばし、順調に棋戦を勝ち進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 




さぁ桐山くんの連勝記録はどこまでいくのでしょうね。
丁度、投稿をはじめて1週間となりました。
この先もよろしくお願いします。

次は、土橋さんの視点です。

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