小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第十五手 神の子ども達

「生まれた世代が違えば、彼は一番になれただろうに……」

 

 面と向かって言われたことはないけれど、僕の事をそう評価している人は一定数存在する。

 

 僕からしてみれば、寧ろ神様に感謝したいくらいなんだけどな。

 宗谷冬司という才能のかたまりと同じ歳で生まれさせてくれたことに。

 僕は彼とともに成長し、研鑽し、彼がもっとも輝く時代を最大限共にすることが出来る。

 そのことがどれほど幸運で素晴らしいことか、おそらく一番分かっているのは僕自身だ。

 だから、他の人にどう思われていてもかまわない。

 

 僕はこの環境に身を置けたことを運命だとすら思う。

 君は生涯をかけて思う存分将棋を指しなさいと、神様から言われた気がした。

 

 

 

 

 

 幼い頃に将棋に出会って、その奥深さに魅せられた。

 携帯ゲームもしたことはあったけど、ストーリーを終わらせたり、既存の要素をすべてコンプリートしてしまえばそれ以上はのぞめない。

 でも将棋は違った。

 どれほど、時間をかけても新しい発見があった。

 考えて、考えて、扉をやっと開いたと思ったらまた目の前に新しい扉が現れる。

 僕はそれを開けることにすっかりはまってしまって、気が付けば数十年……。

 今もまだ、終わりは見えない。

 そのことが面白くてしかたないのだ。

 

 両親は将棋にばかりこだわる僕の事を最初呆れていたけれど、それでも応援してくれた。

 今も一番の理解者であるし、僕のファンであってくれていると思う。

 最高のライバルと、最高の両親と、僕はこれ以上ないくらいの環境で将棋を指してくることが出来た。

 

 宗谷君とは育った環境だけみると対極に位置しているだろう。

 深く聞いたわけではないけれど、人の口には戸が立てられないわけで、彼がどういう経緯で、祖母と二人で暮らしているのかは知っている。

 そのためかは分からないけれど、出会ったころから、何処か浮き世離れした雰囲気と、独特のマイペースさを持つ子だった。

 その上で他の追随を許さない圧倒的才能が、更に彼の周りから人々を一歩引かせているように感じた。

 

 だけど、いつの時だったかな。

 たぶん何かの大会の感想戦だった。

 対局中に気になっていた一手が同じだったのだろう。二人して全く同じタイミングで、同じ駒を触ろうとして、顔を見合わせ、笑ってしまったことがあった。

 

 その時、僕と彼は同じ視点を観ることが出来ると初めて分かったのだ。

 敵わない強者じゃない、どこか違う生き物のように思えていた宗谷冬司が、一人の子供として目の前で笑いを堪えようとしていた。

 

 宗谷くんだって、沢山研究し、考え、努力してその対局に臨んでいる。

 彼だって分かりづらいけれど、笑うし、楽しそうだし、そして時には負けて、悔しがるのだ。

 

 先をいかれても良い。最初は成績が負けていても良い。

 いつか彼のライバルとして肩を並べ、将棋の研究が出来れば、それはとても楽しそうだと思った。

 

 だから、僕は焦らなかった。

 確実に、一歩ずつ、彼より3年遅かったけれどプロになって、着実に力を付けて、自分の将棋を確立していった。

 研究の成果が上手くかみ合わず、予選の突破を苦しんだ時もあった。

 そんなこともあるだろうよと、それほど落ち込みはしなかった。

 

 先輩棋士たちのデータも良く集まって、研究成果は年々たまってきて、ぼちぼちとトーナメントの本戦に出れるようになって、ついにタイトル戦にも挑戦した。

 

 初めて宗谷くんに挑んだのは聖竜戦だったと思う。

 その前夜祭の挨拶の後、彼に小さく待っていた。と言われたときの喜びは、もう言葉であらわすことは出来ないほどだった。

 

 その頃くらいから、僕たちは少しずつ個人的にも指すようになって、ちょっとお酒を飲み交わしたりして、まぁ少しだけ友達ぽいなと思ったこともある。

 

 だから、彼の耳のことを聞いたときは本当に驚いた。

 医者を薦めたりもしたけど、僕が知った時には本人が既に諦めてしまっていたのだ。

 

 大事な対局の駒音は不思議と響くから、それでよいのだと。

 

 僕との対局の日は調子が良い日が多いから、丁度良いと言われたとき、何と言ってよいのか本当に分からなくなってしまった。

 

 君はそれで良いの? 将棋以外はこの世界には魅力がないかい?

 僕は仕事で全国をまわったり、各地で色んなお土産を買ったり、一番は将棋だけどそれ以外にも面白いことがあるって知っていたから、よけい歯がゆかった。

 

 ただ、僕との感想戦が捗らない日があるのは残念だなと言われて、まだ間に合うんじゃないかと思った。

 惜しむ気持ちが少しでも残っているうちは可能性があると思った。

 なにかきっかけがあれば、復調することもあるいはあるのではないかと。

 そのきっかけが間に合うことを祈るばかりだった。

 

 

 そして、今年そのきっかけは訪れた。

 

 

 

 6月ごろに行われた名人戦。藤本さんと宗谷くんの対局は、宗谷くんの4勝。ストレート勝ちだった。

 藤本さんには悪いけれど、もうキレッキレッの圧勝だったと言っていい。

 宗谷くんの棋風にすら変化があった。

 若返ったというのは失礼だけれど、新鮮というか……そう、とても能動的な将棋だった。彼の方から珍しく仕掛けた場面もあったのだ。

 近年は受け手側というか、相手の戦法に乗っていくことが圧倒的に多かったので、これにはとても驚いた。

 

 何か心境の変化があったのだろうかと、僕は大変興味がでた。

 そして、知りたいと思ったことを我慢できるたちではない。

 

 偶然にも彼と東京の将棋のイベントで一緒になった日の夜、軽く指し合いながら話を振ってみた。

 

「宗谷くん、最近絶好調だよね」

 

「そうかな……」

 

 将棋盤に、まだ気を取られているのだろう、ぼんやりとした返事だった。

 でも、こういう様子には慣れているので、気にしない。

 

「うん。この前の名人戦の防衛なんてその最たる例だ。藤本さんの気合いも凄かったのに全く寄せ付けてなかった」

 

「藤本さんが挑戦者だったのは久々だったからなぁ……。4局とも全く違う内容になって面白かったよ」

 

 その時の将棋を思い出しているのだろう。意識が会話へ少し向いてきているのが分かった。

 

 全4局まったく違う内容になった名人戦だが、2局目に宗谷くんが先に穴熊を組みだしたのはかなり話題を呼んだ。

 

「最近は相手の戦術にのる指し回しが多かったけど、今回珍しくしかけにいってたよね?」

 

「うーん、この前とっても楽しい将棋が指せて、その時に思ったんだよね。この子が上がってきた時に、もっと面白く指すにはこのままじゃダメかなって」

 

 驚いて駒を持とうとした手を止めてしまった。彼にそこまで刺激を与える人物が現れたというのか。

 

「え? もしかして、この前の企画対局?」

 

「そう。桐山くん。今年からプロ入りしてる。……あ、あとまだ小学生だって」

 

 忘れていたら、また会長に怒られると呟く宗谷君に、僕はさらに驚いて、しばらくポカンと口をあけて固まってしまった。

 

 あの宗谷冬司が!

 人の名前と顔を覚えず、僕との会話のなかでは、ほら……あのすっごい居飛車党のこの前棋神戦のトーナメント決勝で大逆転した……みたいな将棋の内容でしか、ほぼ他人を認識していない宗谷くんが!

 新人の子の名前を覚えている。あまつさえその子の個人情報さえも!

 

「うわー僕ちょうど棋神戦の決勝リーグにかかりっきりで、ちゃんと観れてなかったからな……確か3局あったよね?」

 

 これは是が非でも、棋譜とその新人の桐山くんの情報を集めなければ。

 

「うん。島田と隈倉さんとも指してる。たぶん土橋くんも棋譜をみたら気に入るよ」

 

「島田さんたちとも指してるんだ。それはぜひとも僕も指したいな……」

 

 4月からプロ入りなら、参加棋戦はいつからで僕がその中でシード権を得てないタイトル戦は……とすぐ頭が回転する。

 

「土橋くんと桐山くんの対局みるのも楽しみ。運が良ければあたるよ。僕は……今年度中は無理だろうから、せめて来年度中にはあたりたい……」

 

 宗谷くんは現在、六冠である。棋匠以外の全てのタイトルをもっている。

 MHK杯や朝日杯、棋匠戦以外で彼と対局するには、挑戦者になる必要がある。

 桐山君の場合、MHK杯はすでに予選が終わっているので、来年度からの参加になるし……朝日杯くらいだろう。

 その点、僕のほうは、対戦の組みかたによっては予選で当たる可能性があるタイトル戦がいくつかある。

 

 

 

 そうなれば、良いなと思っていた願いが通じたのか、9月。僕は桐山くんとはじめて公式戦で戦うA級棋士になった。

 

 棋神戦のトーナメントが出た時点で、僕は出来る限り桐山君の情報をあつめた。

 彼が僕にあたるまでに負ける可能性など考えもしなかった。

 

 プロになってからの対局数はまだ少なく。奨励会まで遡ってみたけど、ピンッとくる棋譜はあまりなかった。

 言っては悪いが相手との棋力差がうかがえる内容だった。

 とりあえずは、例の企画対局と、いくつか気になった棋譜をさらってみて気が付く。

 彼はオールラウンダーだ。

 これだけの対戦数をみても、得意な戦法や苦手な戦法が全く見えてこなかった。

 そうして、さらに面白くなって研究を進めていて既視感を覚えた。

 この柔軟な攻守の切り替え方や、どこか常人には理解しがたい独特な読み回し……。

 

 そうだ、宗谷くんの棋風と似ている。

 

 そのことに気づいたとき、将棋の神様は最高だ! と本気で思った。

 

 僕の将棋人生で宗谷冬司ほどの才能に出会うことはないだろうと考えていた。

 彼は100年に一人の逸材といっても良いのだから。

 

 100年に一人の人物が、おなじ時代に二人いる。

 そして、一人は僕と同い年で、もう一人は間もなく全盛期を迎える僕たちへと挑戦してくる世代なのだ。

 これでわくわくしないなんて、どうかしてる!

 

 

 


 

 桐山くんとの対局の日、ぼくは色々な手を考えていたけど、結局まずありえないような一手をさしてみて、彼の反応をみたかった。

 定跡通りや型どおり、そんな綺麗な棋譜を残すことが多い彼はまだ混戦の対局がすくない。

 それが苦手ではないことは分かっているけれど、その対戦記録が欲しかった。

 

 

 流石に僕の指した2四歩に対して、すぐには反応しなかった。

 長考途中の彼の様子でじっくりと、この先を吟味しているのが分かる。

 不思議なもので、この若さでオーラというか雰囲気を持っている子だ。こういうところも、宗谷くんと似ている。

 

 彼の指し手は5八金。うん。悪くないね。でも予想の一つではあった。

 そこから僕が角交換にもちこんだのは意外だったのだろう、少し動揺がみられたようだったけれど、直ぐに対応してきた。

 

 戦況は僕が有利な感じで進み始めたけど、彼は落ち着いていた。

 通常あまり組まない方で矢倉を組立はじめる。僕が見た彼の棋譜でこんな戦法をとったことはない。

 実践ですぐに思いついたことに踏み切れる度胸と、それができるポテンシャルを持っている子だった。

 

 いろいろちょっかいを掛けて、揺さぶってみたけど、彼の矢倉は揺るがず、そして逆に手を出し過ぎた隙を一瞬でつかれて、そのまま追い込まれ、僕が投了。

 

 本当に面白い対局だった。

 終わってみて分かったのは、彼の棋風は確かに宗谷くんに似ているけれど、決して模倣のようなものではなかった。

 もうすでに自分の中で確固たる芯を持っていて、自信があって、そのうえでの柔軟な差し回しなのだ。

 桐山零の将棋をすでに持っている。

 

 感想戦も楽しかった。

 打てば響くようにいろんな手を返してくれる。

 食事中なのに盛り上がってしまった。

 おまけにその後、かなり遅くまで引き止めてしまう始末。

 

 会長にも呆れられたが、これが僕の両親にばれたら、お小言をくらうのは間違いない。

 小学生をそんな時間まで引き止めるなんて、と。

 

 夜も遅いし、桐山くんが叱られたら申し訳ないから送って行くついでに、彼の師匠の藤澤九段にも一言謝っておいた。

 藤澤九段は電話があった時点で予想は出来ていたからと、苦笑していた。

 桐山くんを叱ることもなく、お疲れ様と声をかけて、少しでも早く寝るようにと家の中へと迎え入れた。

 

 桐山くんの経歴はある程度知っていたから……というか雑誌やテレビが散々教えてくれていたし、彼の周りの環境が気になっていたけど、今は大丈夫だろうと感じた。

 

 幼い頃に逆境に陥って、将棋に出会って、のめり込む。この辺も宗谷くんと似ている。

 桐山くんもいろんなものを失って、今があるのだろうか。

 

 似た者同士の二人が出会って、宗谷くんの方には確実によい影響が出ていた。

 このまま刺激し合って、さらに将棋界を面白くしてくれたら嬉しい。

 

 ついでに僕も仲良くなって、もっと沢山対局したり、一緒に研究が出来たらと思ったから、連絡先も交換した。

 食事の時の話の流れで島田さんの研究会に入ってるそうだったし、知り合うのが遅れたぶんは、ちゃんと動かないとね。

 

 後日、宗谷くんと出会ったときに、交換していた連絡先を随分羨ましがられることなど、僕は知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次は香子さんの視点です。

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