小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第十六手 得体の知れない生物

 その生意気な子どもの第一印象はコレだ。

 私たち奨励会員に、残酷な現実を突きつけてくる、得体の知れない生物。

 奨励会での対局は熾烈だ。

 三段リーグは鬼のすみかなんて言われるけど、その鬼のすみかにさえたどり着けず、地獄で燃え尽きて灰になる人なんて、掃いて捨てるほどいる。

 

 誰だって、灰になりたい訳ない。

 あがいて、もがいて、死に物狂いで、地獄の扉のその先の、栄光のプロの舞台にたどり着きたい。

 

 でも、その舞台にまで生き残っていけるのは、本当に一握りの人だけ。

 そして、そこで生き続けて、その頂に立てるのは極々一部。

 分かってる。

 私たちだって、物わかりの悪い子どもではない。

 ちゃんと知っている。

 でも、諦めたくないから奨励会にいる。

 自分がその、たった一握りの人間になれるのではないかと。

 万に一つの可能性に縋ってでも、叶えられたらと思うから奨励会にいる。

 

 でも、時々いるの。

 何でも無い顔をして、まるでここは通過点に過ぎないと、あっというまに、駆け抜けて行ってしまう子が。

 

 桐山零は、まさにそれだった。

 

 まだ小4の子ども。小さくて、頼りなさそうな子だった。

 それなのに、しっかりと前を向いて、私たちの前で挨拶をして、そして初日は、三タテ。

 浮き世離れしたような雰囲気で、誰とも話さず、付き添いの大人もいない。

 誰もが、この子は一体何なの?って思った。

 

 そして、成績が積み重なるごとに、その得体の知れなさに拍車がかかった。

 

 負け無し。

 誰も勝てなかった。

 勝てそうな人すらいなかった。

 対局を見ていたら分かる。

 何あれ。まるで指導対局よ。

 

 神様はなんて残酷なんだろう。

 あれだけの才能。見せつけられたら、こっちは堪らない。

 馬鹿にだって分かる。

 あの子は、プロになる子で、ゆくゆくはタイトルを手にする。

 そんな子どもだって。

 

 私だって、それなりに自信があって奨励会に入った。

 父はプロ棋士。

 子どものころから、将棋の駒が遊び道具で、気づいたらルールは覚えていた。

 始めた頃は同年代で、私が勝てない子なんていなかったんだから。

 

 でもね。夢はいつか覚めてしまう。

 父の英才教育という名の魔法の恩恵は切れてしまった。

 奨励会には、私以上の子は掃いて捨てるほどいた。

 あぁ……別に私は特別では無かったんだなって、そんな現実に気づいた。

 

 そんな、矢先に突然ふってわいた、こいつ。

 

 ほんと何なのよって思った。

 あれは、同じ人間じゃないなんて、皆と囁いてしまうほど。

 

 桐山零の家庭環境とか、特殊な事情とかもすぐに知れ渡った。

 勿論大変な生活だと思ったし、そんな状況でよく将棋の勉強が出来るなと思った。

 記録係の仕事だって誰よりも熱心だった。

 

 裏では、必死すぎるなんて馬鹿にしてる奨励会員もいたし、記録係をして可愛がってもらっている様子をみて、贔屓だなんて妬む器の小さい奴もいた。

 あれじゃ、駄目だ。

 

 たぶん、あそこまで必死になって、全てを捧げてるから、彼が出来上がったのだろう。

 

 でも、やっぱり腹が立つでしょ。

 私が何年もかけて、こつこつ、一歩ずつ登ってきた一級に、あっという間に上がってきてさ。

 おまけに、何よ。

 父さんの知り合いの子ども?

 内弟子にむかえるつもりだった?

 もう、ふざけないでよって感じ。

 だから、公園で声をかけられたとき、ついあたってしまった。

 

 羨ましかった。

 何年も将棋をしてきても、私には父さんの心の内なんて分からないのに、あの子には分かってるみたいだった。

 妬ましかった。

 お父さんがあの子を一瞬だって、うちにむかえ入れようとしていた事が。

 

 そんな、ドロドロとした醜い私の感情を全部ぶつけたって、あの桐山零は、淡々と正論を返してくるだけだった。

 なんだか、本当に頭にきちゃって、胸ぐらを掴んじゃったのは悪かったけど、私にだって色々思うところがあったわけ。

 

 奨励会での対局の時。

 あの子に、負けたら、奨励会を辞めようと何故かふとそう思った。

 少しは動揺すれば良いと、対局前に囁いてみたけど、ほんとに本心だった。

 

 でも、対局中はそんなこと忘れてしまった。

 なんだか、とても楽しかった。

 久しぶりに、あぁ私将棋を指してるって。

 なんだか、よく分からないぐちゃぐちゃの盤面の上で、何が何でも勝利がほしくてもがいてる訳じゃ無い。

 苛烈で、攻撃的な、それでいて、美しい道筋がみえるそんな棋譜をつくれた。

 

 自分の力ではないのは、はっきり分かっていた。

 でも、これは私とあの子で作った棋譜だ。

 あの子一人だったら、生まれなかった。

 

 そう思ったら、なんだかもう良いような気がした。

 満足してしまった。

 ここで、終わるのも悪くないなって。

 きっと、この奨励会という魔窟を離れることができたら、私はまた昔のように純粋に将棋を楽しめる日も来るってそう思えた。

 

 だって、今日は楽しかったから。

 こんなに、夢中にただただ、指す事も出来るのだと、私はようやく思い出せた。

 父さんは、急に私が奨励会を辞めると言うと、とても驚いていた。

 香子は、まだ認めないだろうなと思っていたって。

 

 その一言で、分かった。

 父さんは、知っていたのだ。

 私が決して万に一つも奨励会を抜けることが無いことを。

 そして、それを薄々感じ取りながらも、ずるずると認めることが出来なかった事を。

 

 でも、自分で決めなければ後悔が残るから、言えなかったらしい。

 父の親友は純粋な自らの意思で、それを決めることが出来なかったそうだ。

 

 だから、子ども達には、自分の意思でちゃんと選ばせたいと思っていたと。

 本当にギリギリ。

 もう本当に、駄目だと思っても、まだ決め切れていなかったら、自分から引導を渡すつもりだったらしい。

 

 でも、それって何か最後通告みたい。

 そう言われる前に自分で、あそこを離れられたのは良かった。

 

 歩は少しショックを受けていた。でも、自分はまだ奨励会すら経験していないから、挑戦はしたいそうだ。

 やめとけば良いのにという気持ちと、貴方も思い知れば良いと思う気持ちと半々くらいだった。

 もし、残酷な現実を見ても。

 それでも、まだ歯を食いしばって、歩が上を目指せるなら、それはひょっとしたらホンモノかもしれない。

 まぁ、それは、無いだろうけどね。

 

 零ほどじゃないけど、私もそこそこ将棋中心の生活だったから、奨励会をやめたあとは、時間を持て余した。

 

 次になにか出来ないかなぁと思いながら、美容院で読んでいたファッション雑誌に、モデルのオーディションの募集があった。

 こういうのって、もっと綺麗で可愛くて愛嬌がある子が受けたら良いと思っていたけど、私も案外いけたりしないだろうか。

 

 半分は、冗談だった。

 でも、半分は期待もあった。

 綺麗で、自分に自信があって、格好いい。

 そんな事を言ってくれた奴がいたせいだ。

 だから、妙な気持ちを持ってしまった。

 

 気の迷いもありつつ、受けたオーディションがまさかの合格で、そこから少しずつ、モデルの仕事をうけはじめた。

 この世界もなかなかに厳しい。

 華やかにみえて、当然裏では色々ある。

 

 でも、私はそれなりに地獄は見てきたし、精神面でへこたれるほど柔じゃなかった。

 無駄に鍛えられて度胸もあった。

 生意気だと陰口も言われたけれど、案外この業界、これくらいの方が生きやすいのかもしれない。

 

 新人にしては、仕事の内容も良い感じで、やり甲斐まで感じはじめて、ちょっと面白いなって思った。

 

 退会駒が届いたのは丁度そんな時。

 

 すぐゴミ箱に捨てようとして、出来なかった。

 楽しさ、喜び、嬉しさ、苛立ち、怒り、嫉妬、悔しさ、私の数年間の気持ちが全部この箱の中で煮詰まっている。そんな気がした。

 どうしようかと、箱をいじっていたら、ふと父さんの話を思い出した。

 

 そうだ。私も言葉をもらおう。

 私に引導を渡してくれた、あの生意気な子どもに。

 言葉は別になんだって良かった。

 

 零は目を白黒させながら、戸惑ったようにでも、しっかりと書いてくれた。

 

「遠雷」

 

 へー。雷か。

 悪くないかもって思った。

 理由を聞いたら、尚更だった。

 

 センス無いって言ったくせに、ほんと生意気。

 字だってめちゃくちゃ綺麗だった。

 

 この言葉のようになれたら良いな。

 人を惹きつけるそんな魅力のある女性に。

 

 絶対に直接は言ってやらないけど、私はその箱をお守りにした。

 必ず仕事鞄の中に入れて、私の一つの指針となった。

 

 ちょっとだけ、意趣返しと願掛けを込めて、香車の駒は零に預けた。

 あの子が、駒をどうしたって構わなかった。

 ただなんとなく、無敗でプロになったら、駒を返しに来る気はしていた。

 そうしたら、私はこの駒でなら、また将棋を指しても良いかなと思った。

 その最初の相手は、零がいいなと思った。

 良い勝負くらいになれるように、駒落ちで指そう。

 前までは年下相手に駒落ちなんて、死んでも嫌だったのになんでだろう。

 今は、その時が来たらいいなと思っている自分がいた。

 

 数ヶ月後。

 得体の知れない生物だったその子は、無敗で桐山零というプロ棋士になって、今も時々兄弟子である父のところに遊びに来る。

 そして、私はたまに時間が合えば、彼と将棋を指した。

 

 遠雷という文字が書かれたこの駒箱の駒で、それを書いたこの子と対局をする度に、私は何度だってあの日の新鮮な気持ちに戻ることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 




香子さんに贈った言葉、「遠雷」は原作の中のサブタイトルで使われていた言葉です。ほんとうにぴったりの言葉だと思う。
彼女との話はこれでひと段落です。
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