小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第十八手 不思議ちゃんが二人

 桐山のガキを最初にみたのは、あいつが俺の対局の記録係についた時だった。

 あいつはいまも小さいが、その時はほんとーに小さくて、頼りなさげで、俺は当然仕事ができるか心配だった。

 最近記録係の仕事を適当にする学生は多く、しかしだからと言ってそいつらがやってくれなくなるのも困るしで、結構俺たちも苦労していたのだ。このくらいの警戒は許してほしい。

 

 俺はすぐにあいつに、ちゃんと仕事はわかってるのか、長い時間じっと棋譜をつけていられるのかと尋ねた。

 あのおちびさん、そういう質問になれていたのだろう。

 もう何度かこなしたことがあると返答した上で、それでも仕事ぶりが気に障ったり、至らないところがあったら、直すから教えてほしいと言った。

 

 気弱そうな見た目だったのだけれど、ちゃんと俺の目を真っ直ぐにみて、はっきりと答えた声は明瞭で、あぁ…こいつは大丈夫だなと直感した。

 

 予想に違わず、桐山の仕事は良かった。

 ピクリとも動かず対局の邪魔にならない。静かにただそこにあり、場の空気に馴染んでいた。

 棋譜も丁寧で読みやすい。こうただ、字が綺麗なわけではないのだ。読みやすい棋譜というものを追求したらこうなったのだろうと思えるようなものだった。まぁ、面白みのなさや味気なさはあったが、こういう棋譜はある意味では理想だろう。

 

 あとは、そう。あの目がよかった。

 桐山は一心に盤上を見つめていた。ただの記録者ではなく、あいつ自身も勝負師としてだ。

 小学生のくせにたいしたもんだと、感心した。

 

 飯の時間になったとき、あいつに何を食べるのかと聞くと、コンビニの小さい袋を取り出し始めたので、おごってやることにした。なんだって、あんな小さいおにぎり一個で腹がもつものか。

 今日は俺も出前の気分ではなかったので、ちょうどいい。ついでに、なんだかこいつには興味があった。

 

 今年から奨励会に在籍しているというこいつは、何やら色々と大変らしい。

 昭和の時代でもあるまいし、親が死んで、子どもだけ取り残されるということは、どれほどのもんだろうか……。

 俺の勢いにちょっと押され気味ではあったものの、受け答えはしっかりしてるし、素直だし、なにより飯を食ってる姿には、癒やされた。

 将棋界は偏屈な奴や、かわいげの欠片もないやつも多い。

 そのせいか、桐山の毒されていない、擦れてない感じがとても良かった。

 

 おまけに軽く今の展開についてどう思うかと聞けば、一昨年の藤本九段のA級順位戦第2局と似てますね、ときたもんだ。

 相当勉強している。

 

 いいな。こいつ。

 逆境にあってもへこたれず、前をみて、そしてなにより将棋馬鹿な匂いがする。

 俺はひそかに、応援してやろうと思った。

 

 

 

 奨励会も順調そのもので、むしろ負けなしと聞いた時はやっぱりなと思ったし、ほかの棋士たちよりも少し先に、その存在を認知していたのは優越感を持った。

 桐山は人当たりは良いけれど、やはりもとは少し内気な性格なようで、ほぼ初対面のやつと、知り合いのやつの両方から飯にさそわれたら、当然知り合いの方についてくる。

 

 つまりは俺だ。

 記録係の仕事についたときは、必ずといっていいほど飯に連れ出した。

 最初あったころから、どうにも身体の大きさが成長しているように思えない。

 ガリガリ感は抜けないし、こいつはもっと食べないとだめだろう。

 

 その日は、たまたま中継が入る対局で、欠員がでた記録係の代わりに桐山が急遽駆り出された。

 外聞というのもあるらしく、あまり事務や上はまだ桐山のことを大っぴらにしたくないようだったが、今回は仕方ないのだろう。

 

 俺は、もう一度出てしまったのなら、同じだろうし、こいつがちゃんと仕事はしてるぞーというのを、視聴者に見せてやった。

 後から聞けば評判は上々だったようだし、桐山の事を気になってる奴は多かったようで、俺のファインプレーである。

 事務員にはやりすぎと怒られたが、気にしていない。

 

 遅かれ早かれ、あいつは注目される立場にたたされる。これは間違いないことだ。

 気分よく指し、快勝を決めた俺の対局の死活を見出した時にそう痛感した。

 

 宗谷の時と同じだ。

 こいつはすぐに俺たちに追いついてきて、そして目の前に座るだろう。

 

 

 桐山はいろんな棋士に可愛がられてて良いよなとか、あいつの強さに関係ないようなやっかみもちらほらと聞こえることもあったが、俺からしてみれば、なんてちいせぇ奴らかと思う。

 あんなんじゃだめだ。

 

 桐山は熱心でひたむきで、将棋にかける想いがケタ違いだ。

 けれど、どことなく寂しげで、その将棋を指している時とは真逆の少し心許ない雰囲気が、なんとなく庇護欲を誘う。

 あいつが可愛がられるのは理由があるし、それはあいつが受け取っても良いものだ。

 

 藤澤のおっさんに引き取られてからは、あいつの周りはだいぶ安定した。

 遠慮がちなところは変わってないけれど、それを押してもあいつを構う大人が増えた。

 特に藤澤門下の奴らはやべぇ……。

 全員、自分の息子か孫かのように可愛がっていたと思う。

 

 予想外だったのは、後藤の奴だ。

 あいつは素直じゃないし、絶対に認めんだろうが、桐山のことは気にかけてやっているみたいだった。

 子どもは嫌いだったろうに、珍しいと探りを入れてみたところ、なんとあいつの指す将棋はおもしれぇとのことだった。

 同門ということは、こいつは今のA級の中では一番桐山の指す将棋を知っているのだろうな。

 なんかずるいな……、俺も早く指したいものだ。

 

 

 

 プロ入りを決め、初の小学生プロ棋士となった桐山は随分とメディアに騒がれた。

 会長は、できるだけ仕事は選別していたし、あいつの周りが少しでも煩わしくないように気を使っているようだったが、それでも相当な取材やテレビの撮影があったようで、あれでよく舞い上がったり、萎縮したり、日常に影響が出ないものだと思った。

 あいつは、自然体でその辺りの対応も満点といっていいらしい。

 会長があれほど褒めるのは珍しいし、宗谷と比べまくって、あいつが当時桐山くらい動いてくれたら、どれほど楽だったか! と嘆いていた。

 

 面白そうなテレビの企画を後から知って、おれも出たかった! と会長室へ文句を言いに行ったこともある。

 なんだって、あの三人だったんだ? A級もっと呼んでもいいだろう。

 その時は、そろいも揃ってプロ棋士が三タテくらうなんて情けないと思ったが、後から棋譜をみて戦慄したのは秘密だ。

 

 特に宗谷との対局は……うーむ俺も並べて研究したいと思わざるをえなかった。

 

 

 

 

 

 身にまとっている雰囲気や、将棋への想いが他とは一線を画していると思っていた桐山は、俺の予想どおり頭角をあらわし、プロ入り後まだ一度も負けていない。

 

 テレビはそれを随分持ち上げて、世間も注目していた。

 日に日になんでもない対局でも、取材にくる記者が増えてきているらしい。

 桐山自身はそれを気にしていないようだが、この前のC2の順位戦など、対局相手がその雰囲気にのまれてしまって、まともな将棋になっていなかった。

 まったく情けない話である。

 

 ついに土橋ともあたって、連勝も途切れるかと思われたが、あいつはなんとかわしてみせた。

 突拍子もない手に冷静に対処していたし、なんとも生意気なことだ。

 次にあいつの連勝記録のカギを握るのは、俺との対局だろうと言われていた。

 

 どんな理由にせよ、注目されることは有り難いことで、期待の小学生棋士を阻む壁になれたとしたら、話題性抜群、俺の株があがる。

 対局自体も楽しみだったが、俺のメンツという男として譲れない一線のためにも大事な一局となった。

 

 俺は対局中に話すのが好きだ。

 最近のやつらはタイトル戦でもないのに静かに指しすぎじゃないだろうか。

 もっとも、集中力や思考力にそれが強く影響するなら、自分がベストの状態で挑むためにそうするのは悪いことではないと思うが……なんというか味気ない。

 

 特段気を使ってやることもないだろうと、桐山にもいつものように話しかけた。

 あいつは、気のない返事をしつつも、ちゃんと会話を成り立たせてくれたし、意外に付き合ってくれる方だった。

 宗谷なんぞ、ガン無視なので、それにくらべたら立派なもんだ。

 

 ただ、指し手はやはり生意気だった。

 なんだ!? あの手!?

 しかも、それに対する俺の一手も悪くはなかったと思うが、鋭くきりこまれそのまま攻められた。

 ……なんとも遠慮がない。

 

「よーし。桐山、時間あるし、オジサンが良い所に連れて行ってやろう。お前もプロになったんだしなー。飲めなくても、変な事覚える前に色々知っとくべきだ」

 

 負けてはしまったが、俺は気分が良かったので、あいつをよいところへ連れて行ってやることにした。

 大人の世界の一端を垣間見ておくのも、大事だろう。

 社会勉強だ。

 

「え……大丈夫です……。僕、明日学校あるので、帰りたいです」

 

 桐山は珍しく露骨に嫌そうにした。

 なんだその顔、失礼な奴だな。若手の奴らなんかおごりだったら喜び勇んでくるんだが。

 まだ、おこちゃまには未知の世界か。

 

「遠慮するなって、大丈夫! ちゃんと良い時間には返してやるよ。藤澤のおっさん怒らすと怖いからな」

 

 藤澤のおっさんは、今でこそ引退し、年齢も重ね、丸くなったような気がするが……タイトルを保持していた時、その厳格さは有名だった。

 声を荒らげて怒るような方ではないが、こう……静かな冷気が恐ろしかった。

 会長のアホがやりすぎてばか騒ぎになった時、それを諫めた姿は今でも覚えている。

 

「ちょっと待った、藤本九段! 何いってるんですか、絶対だめです!」

 

「そうですよ。こんな純粋な子をどこに連れて行く気ですか?」

 

 俺の言葉に、片づけに入っていた事務員が割って入る。

 なんだ? 失敬だな。

 

「俺の行きつけの店、変なとこじゃねーって」

 

「どうせキャバクラでしょ! 子どもをだしに使わない。桐山くんが今有名だからってそんな……」

 

 ……そんなつもりはない、ただ若いお嬢さん方はテレビが大好きで、小学生プロ棋士の桐山くんは確かにそこでも知られている。

 話題に出せば、めっちゃ盛り上がるから、本人を連れて行って、テキトーにジュースやフルーツを与えて横に座らせておけば、もっとつれるとか思ってはいない。断じて。

 

「キャバクラ……?」

 

 キョトンとした顔で桐山が繰り返す。

 ……小学生の口から出ると、なかなかに破壊力があるなこの言葉。

 

「わー!! 桐山くんが変な言葉覚えちゃった。忘れて! すぐに! まだ知らなくて良いから」

 

「どうしてくれるんですか! 藤本九段!」

 

「いや、俺のせいじゃないだろ? 今言ったのお前じゃんか!」

 

 おい。決定的な言葉を出したのは俺じゃねーぞ。

 やめてくれ、藤澤のおっさんに知られたら面倒だ。

 あの人は桐山のことを孫のように可愛がっているのだ。

 

「あーあ。関東の奴らに怒られますよ……“桐山くんを見守る会”の奴らになんていわれるか……」

 

 明らかに物騒で面倒な気配がする会について、問いただそうとしたら、部屋のふすまがスパンっと開いた。

 

 入ってきたのは、宗谷だ。

 珍しいこともある。対局やインタビューなどその他の仕事がないときは、ここにあらわれることはない奴なのに。

 俺の対局に興味があったのかと尋ねれば、

 

「藤本さん相手に桐山くんがどう戦うのかとても興味がありました。

 ね、あの飛車、凄く良かった。検討したい。駄目かな?」

 

 この返答。相変わらずのマイペースぶりだ。

 

「大丈夫です! 時間あります! 作ります!」

 

「おい、桐山おまえ……「宗谷名人どうぞ、場所提供しますよ。そのかわり、良い時間になったら声かけさせてもらいますからね。会長からも言い含められてますから」

 

 桐山は俺の時と違って、飛びつくように快諾した。

 おまけに事務の奴らまで手を貸しやがる。

 

 俺の言葉に一応悪いとおもったのだろう、先にお声かけしてもらってたけどごめんなさい。とぺこりと頭を下げる姿がかわいかったので許してやった。

 後ろで見てた宗谷の視線から、絶対に譲らないであろうことは分かったし。

 

 この不思議ちゃんコンビ、仲良くしてんだな……。

 

 

 

 そのまま帰るのは癪だったし、暇そうな事務員と若手を連れて、行きつけのキャバクラに乗り込んだ。

 最近知り合ったかわいいお気に入りの女の子がいる店だ。

 

 今日おれ負けちゃったんだよーといえば慰めてくれたし、相手があの桐山だと知るとすごーい、あのちっちゃい子ほんとに強いんだねーと大盛り上がりだった。

 おのれ桐山! 今度があったら叩きのめして、俺の株をあげるのに貢献してもらうからな!

 

 酒も入っていい気分になっていた事務員に“桐山くんを見守る会”について、探りをいれてみる。

 

「あー、別に正式な名簿があったり、会としての形があるわけじゃないんですよー。でも、関東の事務の奴らが集まって自然と出来てたみたいで」

 

「ようは情報共有ですかね。最初はいかにして桐山くんにおかしを食べさせるのかが議題だったみたいです」

 

「なんだ? 普通にやりゃーいいじゃねーか」

 

 菓子なんて渡せば食うだろ。

 

「それが、そう上手くいかなかったんですよ。桐山君施設に持って帰ってあっさり他の子にあげちゃってたみたいで」

 

「僕らとしてはそれでもいいんですけど、食べてエネルギーにしてほしいのは桐山君ですからね。結局一定数量をわたすと彼の口にも入るって分かってまとめてあげるのが流行ったらしいです」

 

 あの小さい不思議ちゃんは……自分で食べればいいものを、人が良いというか……酔狂なやつだ。

 そんなんだから、いつまでたってもでかくならん。

 

「そのあとは、記録係をしだして、棋士の方々もちょっと参加してて、藤澤門下に入ったあたりから、活動が活発化してるらしいです」

 

「あいつは知らねーんだろ」

 

「もちろんですよ。陰からそっと彼を見守って、少しでも健やかな成長を、というのが目的です」

 

 期待の新人だし、将棋界の子どもとして、大切にしていきたいという会長の方針とのことだ。

 つまりだ。あいつには親はいないけれど、おっそろしい保護者がたくさんいるらしい。

 

 

 

 いい感じに飲んでかえって寝た俺だったが、翌日藤澤のおっさんから電話が入って焦った。

 君が行くのは好きにしたら良いが、零に変なことは教えないように、とのことだ。

 

 事務が幸田にちくり、そこから話が流れたらしい。

 あれは本気だった。

 ガチのトーンだった。

 俺は桐山を連れ出すのは、やめておこうと思う。

 触らぬ神になんとやらだ。

 

 

 

 

 でも、面白いから構うのはやめられないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 




藤本さん良いキャラですよね。
原作での登場回、どれも印象強い笑

次は桐山くん初解説回を掲示板目線で。

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