小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第二十一手 藤澤家の年末年始

 

 12月もあっという間に過ぎていき、学校は冬休みになった。

 棋戦は極めて順調に勝ち進んでいる。

 

 長期休暇はほぼ初日で宿題を終わらせて、将棋三昧の日々にはいるのが今の僕のパターン。

 

 以前の僕の年越しは川本家にお世話になりはじめるまでは、本当に将棋しかしてなかったし、一人でいるのと変わりないような状況だったんだけど、今年は色々と予定があった。

 

 

 

 クリスマスの日。

 僕はたまたま対局もなかったから、去年のように色々買い込んで、昼間は施設に遊びにいくことにした。

 

 

 

 ついでに三日月堂にもよって、最近隈倉さんから聞いたおすすめの洋菓子のセットをお歳暮として渡す。

 お店を手伝っていたあかりさんやひなちゃんにとても喜ばれた。

 お返しに、三日月堂のお歳暮セットを貰っちゃったけど。

 この後施設の皆にも、すっごく美味しいんだよ、と渡しておくというと、二人とも是非ごひいきに! と笑っていた。

 

 

 

 事前に青木くんから話を通していたので、職員の方もふくめ歓迎してくれた。

 ネットの中継で桐山君がうつってた! とか、ずっと勝ってるってニュースで言ってた! すごい! と無邪気に喜びかけよってくる、小さい子たちが可愛い。

 

 ついでに例のごとく、冬休みの宿題の勉強会もする。

 青木君も教える側になってて、彼の成長はほんとにすごいなぁと思った。

 

 

 

 夜はご馳走をつくるからと言われていて、早めに藤澤さんの家に帰った。

 ちょっとした飾り付けまで出していて、奥さんの和子さんはなんだかそわそわと嬉しそうだった。

 娘さんが小さい時を思い出して、楽しいそうだ。

 ほとんど、完成していたけど、僕もエプロンを付けて料理を手伝う。

 この小さな体にもなれて、手際の良さが以前と同じように戻ってきたから、ちゃんと戦力になるはずだ。

 

 

 

 クリスマスパーティという程でもないけれど、ご馳走があって、奥さんも藤澤さんも僕が喜んでいるのをほほえましそうにみてるものだから、なんだかくすぐったかった。

 僕のためだけに、誰かがこういう事をしてくれた経験がほとんどないものだから、不思議な感じがした。

 

 自分の家での食事があるからか、サッと寄って行った幸田さんはクリスマスプレゼントだといって、高そうな時計をくれた。

 プロ棋士に時間の管理はとても大切だ。

 でも……これ、絶対に小学生にあげるようなものじゃない気がする……。

 

 ついでにあらわれた菅原さんは、まえのはそろそろ充電が厳しいだろうと、なんと新しい携帯をくれた。

 

 零くんはしっかりしてるから、ネットも使えて棋戦中継が見られるのにしておいたからと言われて、頭が下がる思いだった。

 流石に今回は携帯料金だけは払うといったのだけど、それもうまくはぐらかされてしまった。

 自分で新しいの作れるのなら、つくって自分で払いたいけど……未成年には難しい。

 藤澤さんも貰っておきなさい。と言ってるので、協力はしてくれないだろう……。

 

 

 

 極めつけはその日の最後にやってきた。

 藤澤さんは、長い桐箱をもってきたのだ。

 

 あけてごらんといわれて、そっと箱の蓋をあける。

 深藍の美しい生地が目に入った。

 一目でわかった。これは正絹だ。ウールや木綿じゃない。

 染め色を最大限に生かした無地の生地。控えめな光沢がなんともいえない雰囲気を醸し出している。

 中途半端な大きさの僕に丁度良いサイズがあるわけもなく、間違いなくオーダーメイド。

 他に、袴、羽織、長襦袢、帯、足袋……、小物も合わせてまるっと一式揃っていた。

 

 僕もそんなに詳しい方ではないけれど、良いものであることは確信できた。

 いったいいくらかけたのか……相当な額になったはずだ。

 

「すいません。こんな良いもの……勿体ないくらいです……」

 

 口に出して、あ、違うなって思った。

 此処で言うべきなのは、こんな事じゃない。

 

「あの、ありがとうございます。とっても嬉しいです。大切にします。この着物に見合う舞台で指せるように、頑張ります」

 

 拙い言葉しかでないけれど、精一杯のお礼だった。

 藤澤さんはゆっくりと頷いて、僕の頭をなでてくれた。

 

「そう遠くない日に必要になるだろうと思ってね。それに、別にタイトル戦で着なくても良いんだよ。君がイベントに呼ばれることは多いだろう。長期の休みなら特にね。爺さん、ばあさんなんぞは、若い子が着物で来てくれたらそりゃあ喜ぶ」

 

 僕が高校生だった時は、制服での参加ばかりだったけど、確かにもう少しそういうところでファンサービスをしても良かったのかもしれない。

 もっとも、着物を買うような伝手も甲斐性もなかったし、着て行こうとする意思は全くといっていいほどなかったから、難しかっただろうけど。

 結局前の時は、タイトル戦までギリギリに延ばしたなぁとすこしだけ懐かしく思った。

 

「それに、着物は着慣れておいた方がいい。正月にでも一度着てみなさい。所作だったり、小さな動作一つが勝手が違って戸惑うだろうから。

 年明けには身内ばかりが集まる会がある。そこならいくら失敗しても、だれも笑わんよ」

 

「お弟子さんたちが集まりにくるんですか?」

 

 幸田さんの内弟子だった時、なんとなく行ったような覚えがあるような気もする。

 でも、独り立ちしてからは、あまりそういう誘いにも行かなかったのだけれど。今思えば、失礼なことだったと思う。

 

「そうだよ。来れる奴はみんな顔を見せてくれる。私からしたら、遠くにいる弟子にも会えるから、嬉しい日だ」

 

 穏やかに目を細めた藤澤さんは、その日をとても楽しみにしているようだった。

 

「小学生の君にいう事ではないのかもしれないがね、君は間違いなく将棋界を背負っていくことになるから、伝えておきたい。

 タイトルをもって、将棋界の顔になるということは名誉なことだけど、それなりに雑事と面倒もふりかかってくる」

 

 僕は以前初タイトルをとった時の、棋戦以外の様々な仕事を思い出した。最初は慣れずにいろいろと粗相もした。

 会長にも、研究会の島田さんにも随分と迷惑をかけてしまった。

 

「どこかの社長や、重鎮、大御所、まぁ偉い人や年配の方を相手にすることも多くなるだろう。そういう人の中には、礼儀や格式をとても大切になさる方もいる。

 零くんに悪気はなくても、些細なことが気に障ることもあるかもしれない」

 

 藤澤さんの言葉は重みがあった。

 前夜祭だったり、イベントだったり、多くの人に会ってきたから僕も覚えがある。

 応援してくれている人の気持ちには応えたいし、なるべく円滑に関係性が築けたら嬉しいし、そういう努力も怠ってはいけないだろう。

 

「私が将棋で君に教えられることは、はっきり言ってない。けれど、そういう立ち回りだったり作法だったら、長く生きてる分詳しいつもりだ。君が将棋をしやすいように、この世界で真っ直ぐ進んでいけるように、応援させておくれ」

 

「……はい。ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

 

 なんとなく、会長と宗谷さんの関係を思い出した。

 後ろ盾があるということは、それだけで随分と心強いものだ。

 

 

 

 

 

 今年ももう終わる。

 とりあえず、僕の棋戦の状況は、順位戦が10局中7局まで終わり、全勝中。この分なら年明けによほど崩れなければ、来年度C級1組へと昇級出来るだろう。

 6月一番に始まった聖竜戦が2次予選の最中で、あとすこしで突破できそう。

 夏休みごろから参戦中の棋神戦は予選突破をきめ、棋竜戦も一次予選を突破し、年明けからは2次予選に進む。

 

 結局プロ入り後9ヵ月あまり、一度も公式戦で負けることなく、連勝記録は33連勝まで伸びていた。

 宗谷さんの最高連勝記録の38勝まで、あと5勝だと、年末にわざわざ特番があったほどだ。

 記録に興味はないけれど、1月もできたら勝っていきたい。

 この冬最大の山場は、朝日杯の本戦になるだろう。

 おそらく年明け早々にベスト16とベスト8の対局がある。

 その2局を勝てば、勝ち上がってきた宗谷さんと対戦できるはずだ。

 他の棋戦も本戦入りや2次予選まで進めば、一筋縄ではいかない対局相手が多くなる。

 来年は、より一層楽しい棋士生活になりそうだ。

 

 

 


 

 年末はゆっくりとしたものだったけれど、年明けの藤澤さんのお宅はとても賑やかになった。

 元旦は流石に各々家族との時間を楽しんだのだろうけど、2日にはお弟子さんたちが集まって来て、軽い宴会のような感じになった。

 

 クリスマスの時にいわれた通り、僕は新しい着物を身に付けて、訪れた兄弟子たちの間をちょこちょこと動き回った。

 主には奥さんの和子さんの手伝いである。

 藤澤さんはそんなことしなくても良いと言ったけど、流石にこれは大変だろうし、一般的にこういう時は一番下が一番よく動くものだ。

 お節のお重がいくつかあったのだけど、あっという間になくなった。

 お酒もでてるから、ビール、日本酒、焼酎……まぁとにかく空になった瓶を回収したり、他の兄弟子がもちこんだものを藤澤さんに渡して開けてもらったりした。

 こういう席のお酒ってなんでこんなに早くなくなってしまうんだろうか……。

 

 将棋の門下らしく一応将棋盤もいくつか出てるし、指し合っている人もいるけれど、手元にはお酒がある。完全にゆるーい対局だ。

 動き回る僕を捕まえて、皆さん色々声を掛けてくれた。

 

 着物がとても似合っていると言ってくれた人。

 去年は凄い活躍だったなと褒めてくれた人。

 身長が伸びたと頭を撫でてくれた人。

 今年も良く勝てよ、と激励してくれた人。

 

 みなさんとても優しかった。

 あと、いらないと辞退したんだけど、全員がお年玉をくれたもんだから、かなりの額になってしまった……。

 一回の対局料をゆうに超える。へたをすれば対局の少ない月の給料に近い額だった。

 大事に置いておこうと思う。

 

「よう、ちびすけ。馬子にも衣裳だなー。ちっとは大人に見える」

 

「……後藤さん、こんにちは。あけましておめでとうございます」

 

「おう。今年は俺と一回ぐらい公式戦であたりそうだな」

 

 昨年は結局後藤さんと公式戦であたることはなかったのだ、とっても残念なことに。

 

「はやく、あたりたいです」

 

「お? 零くんはやる気だね。正宗とは家でだいぶ指してるだろうに」

 

 僕の言葉をきいた、藤澤さんが面白そうにそう言った。

 

「公式戦はやっぱり別ですから……それに! 僕が勝ったらちゃんと名前で呼んでくださいよ」

 

 後藤さんの僕に対する呼び方は相変わらず酷い。犬や猫を呼ぶように呼ばないでほしい。

 

「あー? あぁ、言ったなそんなこと。勝てたらな。考えてやる」

 

 詰め寄った僕を後藤さんは鼻で笑ったあと、ほらよ、とポチ袋を投げて来た。

 反射的に受け取ってしまって、返すにかえせない。

 それに、俺のだけ受け取らねーとか生意気って言われそう。

 

「やぁ零くん。見違えたよ。良い着物を貰ったんだね」

 

 幸田さんが掛けてくれた言葉の内容は後藤さんと変わらないのに、受ける印象は段違いだった。

 

「ありがとうございます。師匠が良い色を選んでくれました」

 

「うんうん。紺は若い子に良く似合ってるよ。零くんは動きも丁寧だね。とても慣れてるように見える」

 

 褒められて、少し照れてしまった。

 着物の所作とかも前回だいぶ気にして、身に付けたものだ。身体で覚えたことは忘れにくい。ちゃんとできているなら良かった。

 

「師匠が色々教えてくれるので、幸田さんも気になる所があったら教えてください」

 

「全く問題なさそうだがなぁ。この調子だったら、祈願祭や指し初めにも着物で出たらどうだろう?」

 

「それはいいな。ほとんどスーツ姿の棋士ばかりだから、零くんが着物だと取材に来た記者も喜ぶだろう」

 

 幸田さんの言葉に、藤澤さんが頷いた。

 

「え……? でも、着物の方すくないなら目立ちませんか? それに祈願祭は外なので、だいぶ汚してしまう可能性が……」

 

 あんまり、目立ちたくない僕としては避けたいところだ。

 

「どうせ、目立つのは制服でも目立つだろ。こんなチビが混ざるんだから」

 

 お酒を片手に、つまみをつついていた後藤さんが、ボソッとつぶやく。

 聞こえてますよ。しっかりと。あなたはどうしてそういう言い方しかできないかな……。

 

「着物は使って何ぼだよ。あげた方としてもその方がうれしい。一度着たらクリーニングに出すんだし、大丈夫さ」

 

「電車に乗りにくいだろう。当日は私が車を出してあげるから」

 

 藤澤さんと幸田さんにもそう言われて、結局お正月の伝統行事の参加は、着物でと決まってしまった。

 ごくまれに、着物をきてくる棋士の方がいらっしゃるけど、絶対目立つんだけどなぁ……。

 でも藤澤さんも幸田さんも嬉しそうだから、断れなかった。

 

 

 

 

 

 三が日が明けると、将棋界に一年の始まりを告げる恒例行事がある。

 棋士にお馴染みの千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で行われる「将棋堂祈願祭」と、そのあとに将棋会館の特別対局室で行われる「指し初め式」だ。

 

 将棋堂祈願祭は、鳩森八幡神社関係者と将棋関係者が集まって、将棋界の発展、棋力向上をお祈りする大切な行事。

 

 

 

 師匠は引退してるのと、足があまりよくないから、欠席するとのことで、当日僕の着物をきちんと着つけて送り出してくれた。

 

 幸田さんに連れられて、神社にあらわれた僕を会長がみつけると、でかした! と大きな声でいうものだから、新年のあいさつをしそびれてしまう……。

 

「いやー、さっすが藤澤だわ。良い着物もらったじゃん桐山くん! その上、正月から着てくるなんて、最高」

 

 幸田さんの背中もバシバシと叩いてナイスアシストと大喜びだった。

 そして、取材にきていた記者に声をかける。

 

「おーい。良いネタあげるよ。ほら、桐山四段の初着物だ。正月そうそう縁起がいいぞこりゃあ」

 

「ちょ……会長! そんなわざわざ呼ばなくても……」

 

「なーに言ってんの、ただでさえ毎年同じで大してみるところもないのに、こんな新しいネタださないでどーすんのよ! ほら、おじさんとツーショットね」

 

 ちゃっかり自分も写った会長と、あとから俺も、俺もとやってきた柳原さんと結局何枚か、写真を撮ることになった。

 

 ついでに、初めての祈願祭ということで、コメントまで求められる。

 とりあえず、初心を思い出して、差し障りなく答えておいた。

 

 始まる前からちょっと疲れてしまった僕は、隙をみて若手棋士の方々の集まる場所へと避難した。

 

「お! 桐山くん大人気だったな。よく似合ってるよその着物」

 

「スミスさん、一砂さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 

「おー! よろしくな! 今年も桐山とあたるの楽しみにしてるからな」

 

 馴染みの顔を見つけてかけよった僕に、二人は気さくに声を掛けてくれた。

 

 島田さんや重田さんも見かけて、新年のあいさつをした。

 二人とも、着物を褒めてくれて、島田さんは寒くないかーと持っていたカイロをこっそり分けてくれた。

 羽織を着ていても、少しだけ着物は寒いから助かった。

 

 

 

 馴染みの顔を見かけては、挨拶をしているうちに、祈願祭がはじまる時刻となる。

 

 鳩森八幡神社の神主さんにより、神道の祭事に先立って行う清めの儀礼である、修祓や、祭神に祭祀の意義や目的を奏上する、祝詞奏上などが執り行われる。

 

 だいたいにおいて、会長やタイトルホルダーやA級棋士が前の方でちゃんとやってくれるので、僕は後ろの方に並んでそれを見ていたらいい。

 もう何回も参加してる記憶があるから、流れも良く分かっていた。

 

 

 

 最後に神酒拝戴を行う。

 神酒を手に全員で乾杯をするけど、僕は飲むふりだけで、あとからこっそりスミスさんに飲んでもらった。

 興味あれば少しくらい飲めば良いのにと笑われたけど、もとからお酒はそれほど強くなかったから、止めておいたほうが無難だろう。

 

 ちなみに、将棋堂の扉が開き、室内にある大駒を直接見ることができるのはこの将棋堂祈願祭の時だけで、この光景がみられるのは、とても貴重なことだ。

 

 

 

 


 

 祈願祭の後は、将棋会館へ移動して、指し初め式となる。

 関東と関西ですこし、やり方に違いがあるが、関東だと出席者全員が1人1手ずつ、リレー形式で指し継いでいく。

 指す順番、組み合わせ、上座下座すら特に決まりはなく、盤の近くにいる人から順繰りに座っていき、一手を指す。

 出席者の顔触れは棋士、棋戦担当記者、観戦記者、棋士の知人など、主に将棋連盟の関係者や、鳩森神社の神主、子ども将棋教室の会員が参加することもあって、一般の方も参加できる。

 

 決まった順番がないため、面白い組み合わせが見られることも。

 タイトル保持者とその棋戦の担当記者、ベテラン棋士と小学生、女流棋士と神主など、普段は絶対にない対局光景になる。若手の棋士の場合、年配のアマの方へ敬意を表して上座を譲ったりもする。

 

 出席者の中で、慣れてない方もいるので、緊張で駒の動かし方を間違ったり、考えすぎて固まってしまったりする方も居るけど、そういう時こそ、その場にいる棋士たちの腕のみせどころだ。

 そっとアドバイスをしたり、気楽に楽しみましょうと声を掛けたりする。

 

 指し初め式は、厳かな儀式というよりも、仲間内の懇親会なような穏やかな雰囲気で行われていくものなのだ。

 

 

 

 会館に移動して、参加する方々の顔ぶれの中に、馴染みの顔をみつけて驚いた。

 よかったら来てねと言ったけどまさか、本当にきてくれるなんて!

 

「青木くん、いらっしゃい! 参加しにきてくれたんだね」

 

 かけ寄って声を掛けた僕に、知らない人ばかりで所在無げだった彼が顔をあげた。

 

「桐山くん。よかったぁ、ほんとに来てよかったのかと……。子どもは将棋教室とかの子ばかりみたいだったし……」

 

「そんなに堅い行事じゃないし、青木くんは僕の関係者枠ってことで、大丈夫。他に、僕の関係で来る人なんていないし」

 

 ちょっとクリスマスの時にポロッと言っただけだったから、来てくれるのだったら事務の人にでも頼んでおくのだった。

 ひとりで待つのは不安だっただろうに。

 

 それから、僕は会長に断って、ずっと青木くんの傍に居た。

 僕のお正月のはなしや、さっきの祈願祭では何をしたとか、反対に施設のお正月はどうだったかとか、話すことも、聞くこともいっぱいあった。

 

 

 

 指し初め式が始まる。

 順番が決まってないとはいっても、最初はやっぱり会長やタイトルホルダーが順々に指していくので、僕の順番はもう少し後。

 

 将棋スクールの小学生とかが、しっかりとした一手を指していくのは、ほほえましい。

 前のときも、僕はこの行事がきらいじゃなかったなぁと思った。

 

 藤澤門下の棋士の方が指した後、僕の名前が呼ばれた。

 まだ、はやいと思うんだけど……まぁ呼ばれたのならしかたない。他の若手の方もどうぞって感じだし。

 

 対面にすわる関係者はやっぱり青木くんがいいなぁと彼の姿を探した。

 部屋の後ろの方にいた彼を、僕の視線に気づいた馴染みの事務員さんが、そっと背中をおして、前へと連れてきてくれた。

 

 自分の顔を指さして、僕でいいの? といった表情の彼に、うんうんと何度も頷く。

 おそるおそる座った青木くんに、僕が笑ってみせると、彼はようやく肩の力を抜いてみせた。

 

 ちょっと込み入った盤面だったけど、彼はうんと頷くと、何かを思いついたように、しっかりとした手で駒を打った。

 ……いい手だ。

 施設をでるときに、ちょっとだけ将棋を勉強し始めてるといってたけど、本当だったんだなーと感心する。

 

 僕も応手を指して、顔をあげると、彼と目が合って、二人して笑ってしまった。

 パシャリとシャッターの音がする。

 取材に来てた記者さんには、僕が営業スマイルじゃなくて、ほんとに笑ってる珍しい写真を提供することになった。

 でも、お正月くらい良いよね。

 

 二人で次の方に交代するために、席を立つと、小さく拍手がおこった。

 青木君と二人して、照れてしまって、ペコペコと小さく頭を下げた。

 

 参加者全員が指すと切りの良い所で、盤面は指しかけのままにするのが、伝統である。

 これで、お正月の伝統行事はおわりだ。

 

 

 

 

 終了後、すこし興奮したような青木君と話す時間もとれた。

 

「緊張したけど、楽しかった。桐山君は普段、あんなところで指してるんだね」

 

「そうだよ。関西の方にいくこともあるけど、だいたいはここだね。

 青木君の一手すっごくよかったよ。プロでも使うくらいのだった」

 

「あーあれね。桐山くんがくれた。詰め将棋の本の36問目の流れに似てたかなって思ったんだ」

 

 それで、その通りに指してみようと思ったという彼に、僕はびっくりして、目を丸くしてしまった。

 確かにそうだ。あれは数手詰めの初心者用だから、わりと似た盤面が出ることはあるし、青木君の手番のときは間違いなく重なっていた。

 もっとも途中が似てるだけでは、その後の流れで詰まないようにいくらでも持っていけるから、すぐに別の形になってしまうんだけど。

 

「すごい。もしかして? 覚えてるの? 」

 

「あの本は特別で……何回も読んでるから……。それにね、桐山くんの対局の棋譜は全部みてるんだ。分からないことも多いけど、ネットで解説も結構あがってるし、最近ちょっとだけ分かってきて、観ていてもっと楽しい」

 

 照れくさそうに目を伏せた彼の言葉が、とても嬉しかった。

 青木くんが将棋に興味を持ったのは僕の影響だけど、それがきっかけで楽しいと思って貰えてるなんて!

 

「そっか……そうなんだ。よかったらまた本をあげるよ。僕は全部内容覚えちゃってるし」

 

「あ! じゃあまた交換しよう。僕のおすすめの物語の本と」

 

 青木くんは将棋も好きになってくれたけど、やっぱり一番は小説を読むことのようだ。でも、僕も他の趣味も共有できるのは嬉しい。

 以前彼から貰った本は、SF要素が入った少年たちの冒険譚だった。ほんとに面白くて、一気に読んでしまったほど。

 僕も読書は好きな方だし、彼のおすすめは期待できる。

 

 次に施設に遊びに行ったときに、交換する約束をした。

 その時、彼に返す本に感想を書いた紙でもそっと挟んでおこう。楽しい時間をありがとうと。

 自分の好きなものを肯定してもらえるのって、こんなに嬉しいことなんだなと思った。

 

 

 

 無事に新年の行事も終わって、1月。

 今月からは棋匠戦の予選と玉将戦の一次予選が始まって、ついに七大タイトルすべての棋戦へと参加していくことになる。

 全棋戦勝ち残ってしまっている僕は、今月の対局数は10局に迫りそうでかなり多忙だ……。

 どの対局にも本気で挑みたいけど、落としてはいけない順位戦と朝日杯の本戦だけは、しっかりと焦点を絞っていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 


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