朝日杯後のとある観戦記者の話
この道を選び、働きはじめて幾年か経った。
俺はまだまだ記者としても駆け出しで、手探りで仕事をしていた。
そんな俺が、桐山零に出会ったのは、彼が小学生名人となった日だ。
おそらく、あの日の失態を、俺は生涯忘れることはないだろう。
大学を卒業して、新聞社に就職を決めたのは数年前。
誰かに何かを発信する仕事に就きたかった事と、それなりに文章を書くことが好きだったからだ。
報道の道を選ばなかったのは、人前で話すことは苦手だったし、場合によっては記者ではなく映像系の裏方に回るなど、仕事に幅があったため。
その点新聞社であれば、希望は通らなくても、何かしら文字に携われるのではという思惑もあった。
活字離れが叫ばれるこのご時世だが、いまだに新聞は一定数の需要があるし、その長きにわたる歴史と築き上げた伝手なんかで、政界や一部の業界とは持ちつもたれつだった。
最近ではネットのニュースに力を入れている会社も多く、いつか消えると言われつつも、この先もなんらかの形で残っていくだろうと考えたし、そうなれるように尽力したいと思っていた。
しかしまぁ、入社してみれば理想と現実のはざまで葛藤することは多々あったし、ネタは脚で稼ぐなんていう風習はまだ残っており、理不尽な命令もあったりした。
それなりに、社会の洗礼を受けて、それでもやっぱり自分の記事が形になった時は嬉しかったから、俺はたぶんまだ向いている方なのだろうと思い、この仕事を続けていた。
最初に配属された部門が文化部だった事も俺には合っていたのかもしれない。
担当は数多あるが、俺が将棋担当も兼任するようになったのは、大学時代に将棋部で多少なりとも心得があったからだ。
観戦記者という仕事は、将棋の対局の観戦記を書かなければならない。
内容はもちろんだが、将棋をあまり知らない人も読めるように書く必要があり、それには多少の知識も必要だった。
得意戦型や棋風、最近の調子などの対局者紹介はもちろん、両者の対戦成績、関係性といった勝負の背景なども短く、分かりやすくまとめなければならない。
担当する観戦記者ごとに着眼点が異なるため、誰の観戦記かということは割と記憶に残る。
将棋ファンに良い観戦記だと思ってもらえるようなものを書けと、先輩には教わった。
栄転されて、担当を離れることになったベテランの先輩は、顔も広く、後を引き継ぐ俺に沢山の人を紹介してくれた。
観戦記者は対局の開始に立ち合い、終局まで検討に参加し、感想戦を見届ける。
棋士や将棋関係者とは良好な関係を築く必要があるのは、当然だった。
宗谷名人の台頭と七冠が起こした将棋ブームは、今は緩やかに低迷していて、将棋業界は次の盛り上がりを待ち望んでいた。
俺は将棋担当はしているものの、当然それだけが仕事というわけではなく、他にも担当や受け持つ記事はあったし、こう言ってはなんだが盛り下がっている将棋関連よりも、他の話題の方に心を惹かれていたのは事実だ。
記者として、情報収集をおろそかにしてはいけないと分かっていたはずだったのに、俺が彼にしてしまったことは、完全に此方の落ち度と言っていい。
将棋の大会は何もプロ棋士の棋戦だけではない。
アマや学生の大会ももちろん多く開催されている。
その中の一つ、小学生名人を決める大会があった。
将棋関連の大きな行事、ましてや自分の新聞社がスポンサーとして一部出資しており、当然取材にも出向く。
この中から未来の名人が出る可能性は大いにある。子どもの大会だからと言って甘くみるなよ、と先輩からは重ね重ね聞かされていた。
今年度の大会は大いに荒れたらしいと聞いたのは、会場に着いてから。
なんでも勝ち上がってきている子の中に、とても強い子がいるらしい。
そして、その場にいたどの記者もその子を他の大会で見たことが無かったというのだ。
突然降ってわいた新星、大いに興味をそそられた。まして、その子が優勝したものだから、これは大きい話題になると勇み足になった。
優勝者へのインタビュー。いつもの恒例行事。
子どもが相手なので、あまり奇をてらわず応えやすい基本的なインタビューにしようと思った。
そう、前情報をろくに調べもせず、挑んでしまったのだ。
「今、誰に一番気持ちを伝えたい? やっぱり家族とかかな?」
普通のよくある質問だった。喜びを誰に伝えたいのか。前の一文だけなら、まだセーフだっただろう。
けれど、後半の一言が余計だった。
隣にいた同業者のギョッとした視線に不思議に思った。
「え? 誰にですか? そう……ですね、遠くから応援してくれてるだろう家族に……ですかね」
なぜか固まった空気の中で、少し困ったように桐山くんが答えた。
その様子に、ほっとした様子だったのは隣の記者で、どうも様子がおかしいと思いながらも続けようとした俺の言葉を遮り、次の質問をしたのもその人だった。
後ろにいた記者からちょっと、と声が掛かり、首を振られて俺はようやく何かをしでかしたことに気が付いた。
これは大人しくした方がいいかと、続きのインタビューをすることは諦めた。
貴重な機会だし、この機にいいネタを獲る事も、無論大切だが、ことこの業界に関しては、他者を出し抜くというよりは、お互いに協力すべき場合の事が多い。
特に、俺に落ち度があるなら、将棋関係者からの心証が悪くなってしまう。リスクを冒したくはなかった。状況が把握できていないなら、大人しくすべきだろうと考えた。
後から思っても、この時の俺の判断は間違っていなかった。誰かを押しのけてまで、がつがついくタイプでなかったことに、自分で胸をなでおろしたものだ。
桐山零というその男の子の境遇について聞いたのは、インタビュー後すぐの事だった。
家族を事故で失ってからまだ一年も経っていない事、その後故郷を離れて、東京の施設にいること、大会には予選も含め、いつも一人で参加しに来ていた事。
懇々と説明されて、俺は頭を抱えてしまった。
優勝者のプロフィールすら知らずに、インタビューしていたことは誰の目にも明らかだっただろう。
そして、何より多感な時期のまだ幼い子に、亡くなった家族について問うような質問をしてしまった事を酷く後悔した。
確かにお涙頂戴ということで、その手の感動をあおる質問をする場合もあるが、それはいきなりしていいものではないし、配慮に欠ける。それくらいのプライドは俺にもあった。
わざわざドラマを求めているわけではないし、それは自然と生まれるから価値があるのだ。
それはもう落ち込み、同じ社から出てきている同僚には、忙しいかもしれないが、もっとこっちの仕事にも身を入れろと叱られた。
その通りなので、反論もできず、関係者に一通りの挨拶をした後、肩を落として会場を後にしようとした。
偶然、入り口で桐山くんをみかけた俺が、声をかけてしまったのは、反射と言ってもよかった。
呼びかけて立ち止まってくれた彼に、答えにくい質問をしてすまなかったと頭を下げる。彼はきょとんとした顔で首を傾げた。
「よくある質問でしたので、返って無いほうが遠慮されてるみたいに感じたと思います。僕は、家族の事が大好きですので、むしろちゃんと記事に書いてほしいです」
なんとも思っていないような顔でそう応えられて、俺の方が面を食らってしまった。
「スポンサーの新聞社の記者の方ですよね?」
「あ、あぁ。……あ! そうだ、もしよければこれ」
子どもだからと、名刺も渡さないのは失礼だろうと俺が、取引先に渡すように深々とそれを差し出すと、彼は慣れたように受け取った。
「あぁやっぱり。これから長い付き合いになるかもしれませんし、あまり気にしないでください。将棋について分かりやすく書いてくださるのを楽しみにしています」
子どもながらに、新聞社やスポンサーについて理解してる様子に、俺は調子を崩されっぱなしだった。
「長い付き合いになる……?」
「僕はプロになります。だから貴方が観戦記者を続けるなら、たぶんお会いすることも多いかと思いまして」
それでは、と一礼して帰路につく彼の後ろ姿を、俺はただポカンと見送ったのだ。
嫌がられるかと思えばフォローされて、これからもよろしくと言われてしまった。
やっと10歳になったばかりの少年に。
プロになると当たり前のように言われてしまった。
彼はまだ奨励会にも入っていないのに。
それなのに、この手の震えはなんだ。
おそらく、この会場の記者の誰よりも先に俺は気づいた。
皮肉なことに、そのきっかけは俺の失態だったわけだが。
あの子だ。
あの子が次の風を連れてくる。
宗谷冬司以来の、いやひょっとしたそれ以上の盛り上がりを、将棋界に起こすだろう。
追いかけなければ、これから先の逐一の彼の現状を。
突き動かされるように、走り出した俺は、まずこの小学生名人戦の彼の全棋譜を手に入れるべく、関係者への働きかけを急いだ。
桐山零、10歳。
将棋会館近くの児童施設に住み、今だ師事しているプロ棋士はいない。
父親が奨励会員だったらしく、将棋は彼から教わったのだろうか。
俺は、彼が奨励会に入るまでの全ての大会に赴いた。
声をかけるときもあったが、遠慮するときもあった。
そのうち彼が気づいた時は、俺に話しかけてくれるようになったので、目が合った場合は此方から行くようになった。
不思議なもので、才能がある子を見守ることがこれほど爽快なものだとは思ってもみなかった。
元々将棋が好きだったこともあり、俺はプロの棋戦はもちろんだが、一般棋戦へも熱心に取材をするようになった。
先輩から引き継いだ人脈だけでなく、そのうちに俺自身が築いた関係も沢山増えた。
そうするとより一層、観戦記には熱が入り、そして良いものが書けるようになっていった。
一定の評価が付くようになり、それは俺の自信にもなった。
そんな風に、俺が走りまわっているうちに、桐山くんは奨励会に入会していた。
やはり彼は強かった。
面白いくらいに勝ち続け、そして三段リーグに上りつめる。
俺が仕事としてタイトル戦を一つ追っている間に、瞬く間に変わっていく彼の現状に、目を見張ったものだ。
師匠がついた時のこともよく覚えている。
藤澤九段なら安心だと、一人で立とうとする少年をさり気無く支えてくれるだろうと思った。
三段リーグ無敗、入会以来54連勝。
異例の記録で彼はプロになった。
あの日、俺にプロになると言い切った日から、僅か2年しか経っていない。
昇段会見には、通常の5倍もの記者が訪れていた。
初の小学生プロ棋士の誕生である。
そりゃあ、世の中は沸いた。
よそから来ている記者たちは、遠慮も何もなく、彼に全てを尋ねた。
家族の事、施設の事、学校生活、師匠との関係。
将棋の事はもちろんだが、それ以外のことでも、彼は話題性に富んでいた。
正直、その質問いるか? 今聞くことか? と思うような質問もあったが、桐山くんは全てに丁寧に対応していた。横に藤澤師匠がいるとはいえ、とても落ち着いていた。たいしたものだと思う。
「いずれはタイトルが欲しい」とはっきりと語る彼の目には確かな決意があった。
それは、少年がただ夢を語っているだけには、思えないほど重いもの。
目を輝かせて希望に満ち溢れている、そんな感じではない。
自分が立つ場所は、誰かの夢で、目標であった場所であると、理解していた。
勝利したものの責任を、彼はその若さで感じているのだ。
託されたものを、誰かの想いを背負う覚悟があると、そう言ったのだ。
この会場のなかには、その様子を不遜だと、大口を叩いたと、そんなふうに軽く思う奴もいるだろう。
そんなレベルでしか、彼を量れない奴に、彼の事を書いてほしくないと心底そう思った。
現、将棋連盟の会長は、かなりのやり手である。世間に将棋ブームの兆しがみえるや否や、瞬く間に桐山くんを使った企画を打ち出した。
炎の三番勝負は高視聴率をとったし、新しい若手が将棋界を多いに盛り上げるだろうとこれからに期待したファンは多かった。
そして、実際、桐山零はその期待に大いに応えた。
並みの若手では彼の相手は難しいだろうと予想はしていたものの、プロ入り後敗ける気配が全くなかった。
彼に黒星がつくのはいつになるのか。本当に話題に事欠かない子だ。
気が付けば、その連勝記録は歴代の最高記録へと並ぼうとしていた。
日に日に、彼の対局を追う記者の数は増えていき、小学生プロ棋士の話題に沸いていた世間に、改めて将棋というものが何なのかを知ってもらう良い機会になっていった。
そして、朝日杯の本戦に彼が勝ち残ってきたことに、俺は心躍らせていた。
自社がスポンサーの棋戦である。
まだプロ一年目の四段が、本戦入りするだけでも珍しいのに、彼はそこに最多連勝記録の更新という、これまた将棋史に残る話題を引っ提げてきた。
本戦一試合目で、これまで宗谷名人が有していた記録に並び、そして勝ち進めば更新もあり得る。
世間の注目度はすさまじく、会社としてもその話題性から随分と気合いを入れた。
特集記事ももちろん書いた。
俺はそれを任されたことが誇らしかったし、安堵もしていた。
ここ数年、将棋担当として奮闘してきた。
そして、記者の中では誰よりも、桐山零の対局を観てきた自負があった。その事が正当に評価されたことが嬉しかった。
彼は、世間の期待に見事に応えてみせた。
宗谷名人の最多記録に並ぶだけでなく、それを見事更新してみせたのだ。
朝日杯ベスト4まで残っただけでも、充分すぎる結果である。
その上、なんともドラマチックなことに、準決勝の相手は、その宗谷名人となる。
この二人の対局はもっと先になると思っていただけに、この好カードに沸いたファンは多いだろう。
全129手のその対局は、桐山零の敗北で幕を閉じる。
俺が彼を追い始めてから、初めての敗北だった。
この……、この気持ちを、なんと表したらいいだろう。
彼を知ってからもうすぐ、3年になる。
この日俺は初めて、盤面を挟んだ相手に対し、敗けましたと頭を下げる彼を見たのだ。
プロ入り後、公式試合で43連勝。
常人には果たせない記録だったことは間違いない。
いつかは敗ける、分かってはいた、けれどなぜかずっと勝ってしまうようなそんな気持ちもあったのだ。
そして、それを阻んだのが宗谷名人だったことに、これまた興奮せざるを得なかった。
誰に聞いても、今の将棋界で一番強いと称される人物。
めっちゃくちゃ面白くないか⁉ 今の将棋界!!
それはもう声を大にして、方々に伝えてまわりたい程だった。
同時に、惜しいなとも思った、朝日杯は早指しと言っていい棋戦ルールだ。
この二人なら、もっとじっくり指し合えば、より面白い内容の将棋になったはずだ。
観戦記者は感想戦とその後のインタビューで、対局を終えた棋士たちの生の声を聞き取ることを、特に重視している。
当然距離は近かったし、桐山くんと宗谷名人の静かなやり取りも聞き取ることが出来た。
「タイトル戦の上座で君を待つ」と伝えた、現将棋界最強の男に、
「必ずその場に行ってみせます」と答えた期待の若手。
そのやり取りを傍で聞いた時、俺はおそらく決めたのだ。
これからやってくる将棋史の激動の日々を、将棋に選ばれた二人の天才たちの様子を、多くの人に伝えること。
使命と言うほどの事でもないが、俺の記者としての役割はこれだと思った。
記者としての人生をかけて、観戦記者としてのプライドを持って、俺は今日も対局を見届けるために、走り続ける。
桐山零に会い、ただがむしゃらに仕事をしていた男が、
記者として将棋と心中してもいいって意気込みになったのが、
初めて桐山零が敗けたのを観た時、っていうのが書きたかった。