俺が桐山を初めて認識したのは、あいつの奨励会初日だった。
以前から、凄い子が出て来たと会館で名前が挙がっていた少年。
第一印象は静かでおとなしそう、そして本当に小4かと思うくらい小さな子供だった。
会長や事務の方からも一言声が掛かっていたので、彼の境遇については知っている。
やはり施設だと満足のいくだけの食事が足りなかったり、多少のストレスがあったりするのだろうか、どこか発育不良も感じさせるほどだった。
噂通り一人で来ていて、事務処理も全て自分でこなしていた。
奨励会初日ともなれば、当時中学生だった俺でさえも山形から、親が付いてきてくれたのだが。職員の人も忙しいのだろうか。
周りは自分よりも年上、体格も大きい男たちばかりだ。それでも、彼に萎縮した様子はみられなかった。
そして、対局の内容も初日から3局すべて勝って、全勝。
初参加の奨励会に対する緊張を微塵も感じさせなかった。
見回りをしながら、何度か彼の盤を覗いてみたが子供同士にしては珍しいくらい美しい棋譜が出来上がっていた。
相手の子も初参戦の子に負けて悔しいだろうに、良い将棋を指せたと思ったのだろう。負けましたと伝えながらもどこか、納得した雰囲気が感じられた。
全ての対局が終わって片づけをした後、俺が奨励会員から少し遅れて部屋をあとにすると、人気の少ない自動販売の前の椅子に、桐山が座っていた。
帰らないのか? と声をかけると、流石に少し疲れた様子で少し時間をつぶしているのだと、困ったように笑った。
世間話をした後に、ココアを買って渡してやると、とても恐縮していたが大事そうにちまちまと飲むその様子に、年相応の幼さが垣間見えてなぜだかほっとした。
しかし、その後、施設以外の人で祝ってもらえたのは初めてだと言われて、この子の環境を想うと堪らない気持ちになった。うっかりその場で抱きしめてやりたくなったほどだ。
流石に、頭を撫でるにとどめたけれど。
俺はじっさま達をはじめ、村中の人々に応援されていたし、親も協力的だった。
奨励会に受かった時は、これが開の棋士人生への一歩だ! とそれはもう賑やかに祝われたものだ。
当時はもう大内先生の門下に入っていたし、先生をはじめとした先輩棋士たちにもこれから頑張れよ、と激励されたのを覚えている。
それが、ただのココア一本。社交辞令のひとつとして、告げたおめでとうの一言をこんなに喜ばれたら、俺はどうすればいい!?
そして、困ったことがあったら相談してくれと、その場で連絡先を交換して、彼の電話帳に登録された人数の少なさにまたダメージを受けるのだ。
その数僅か一桁。
後見人だという弁護士と、彼がいる養護施設とその職員、そして将棋会館の事務の番号しか入っていなかった。
桐山家関係の連絡先は一切入っていないことに、彼が辿ってきた道の険しさを垣間見た。
この子の周りの細く希薄な人間関係と、そんな中でたった一人この世界で立ち向かっていかなければならない境遇に、せめて気に掛けてやりたいとそう想った。
桐山からの最初の相談は記録係をやりたいというものだった。
棋譜がインターネットなどを通じて、楽に手に入るようになった現代、記録係はあまり人気のある仕事ではない。奨励会員だけでは足りず、若手プロ棋士が駆り出されるほどだ。
手伝ってくれるのは、有り難いけれど長丁場で小学生に任せるのは懸念もあった。
けれど本人が強く望んでいたし、子供らしくないくらいの落ち着きと集中力を持った子だ。
一度事務とも話して、やらせてみようと思った。
桐山の記録係は、当初多くの棋士に戸惑われたが、すぐに歓迎されるようになった。
棋譜は大人顔負けにきれいだったし、取り組む姿勢も近年まれにみる真面目さだった。
最近では、志願ではなく義務で駆り出されることも多くなった記録係は、その質の低下が問題視されているのだ。
棋譜をつけているはずなのに、居眠りをしていた……などという事例も少なくない。
だが、桐山のそんな失敗は一度も聞かなかった。昼休憩後の丁度眠くなる時間でも、いつもきちんと正座で真っ直ぐ背筋も伸ばして、淡々と記録をとり続けているらしい。
一度、俺の対局を担当することがあったので、チラッと様子を気にしてみたが、まさにその通りだった。
人形かとおもうほど動きが無い。
かと思ってふと眼鏡の奥のその目を注視すると、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように盤上に釘づけなのだ。
あんなに楽しそうに記録係をする子は見たことが無かった。
棋士たちもそれだけ、熱心に打ち込んでくれると悪い気はしない。おまけに幼い小学生で、彼の境遇を耳にすれば、構ってやりたいと思う人も少なくなかった。
桐山は仕事に来るときは、休憩時間内に施設に戻って昼食を食べて帰ってくることが時間的に厳しいと、大体がコンビニのおにぎりや惣菜パンを買ってきていた。それも、あまりお腹が空かないからと、一個の事が多い。
それを見ていた、一人の棋士がそんなんじゃ大きくなれない。ただでさえ小さいんだからと昼食を奢ったのをきっかけに、対局していた棋士が彼にお昼を奢りだした。
桐山はとても恐縮して、断ろうとするのだが、最後は有り難く頂いていた。俺としても遠慮せずに、是非そうしてほしいと思う。
小さい口で一生懸命頬張りながら、美味しい。といって笑ってくれると自身の子供が小さかった頃を想いだして和んだと何故か奢った棋士が満足そうだった。
桐山は奨励会が無い休日はほぼ記録係をしに来ていたといっても過言ではない。
普通の小学生ならほかにもっと、テレビをみたかったり、ゲームをしたかったり、外で遊びたいものなのではないだろうか……。
事務の人が自分の子供は日曜日は絶対に特撮ヒーローものを見るために、テレビにかじりついているけれど、桐山君は見ないの? と尋ねると、
あまりテレビに興味はないからチャンネルの選択権は他の子に譲っていると答えられたそうだ。
また、ある日仕事を入れ過ぎではと、それとなく水を向けた事務員が、涙目になって俺に訴えてきた。
曰く、「もー!! あの子どんだけ良い子なんですかっ。ただでさえ、手続きも何から全部自分でして、しっかりしてるって感心してたのに。来年の奨励会費もたまったとか喜んでるんですよ。こっちとしては、たまんないですよ……」
とのことらしい。
俺も記録係のことで、帰宅が遅くなったりすることもあるだろうと施設の人へ一応確認の連絡をとったことがあったが、驚くことに本当に何一つ、将棋について知らなかったのだ。
気になったりしないんですか? と尋ねたら、桐山君はしっかり自分で管理できているので……、と返事をされて唖然としてしまった。
30人もの子供の面倒をみているということは、そんなものなのかもしれない。手のかからない子ほど、自主性に任せている。悪く言えば、ほぼ放っておかれているわけだ。
それを聞いた事務の方々はより一層庇護欲が駆り立てられたようで、桐山の事をよく構うようになった。
お菓子をあげるととても喜ぶんですよ、と子供らしい一面を耳にして、その話を桐山に振ると、施設の仲間も喜んでいますと斜め上の返事が返ってきた。
どうやら、貰ったお菓子はだいたいがそのまま持ち帰って、誰かにあげているらしい。
自分だけだと気後れするやら、食べ切るには多い量だったやら、理由を並べていたが、如何ともしがたい……。
結局、本人の口にも確実に入るようにある程度まとめた数を、一度に渡すことが無難と落ち着いた。
そんなこんなで、3ヵ月もたった頃、彼の棋力の底知れなさを感じ始める。
最初は安定感のある手堅い戦法が得意なのだろうとみていたが、それだけでないことはすぐにわかった。
3ヵ月終わって全18局。そのすべての対局で勝利を収め、3級までストレートで昇級していた。
3級になると上位者や下位者両方との対局が入ることもあり、駒落ちの相手と対局することも、自身が駒落ちで相手と指すことも増える。
多くの子がそこで一旦足踏みをするのだが、桐山は未だ一敗もしなかった。
そして、毎回その内容を見ていると実感するのだ。
彼がまだ本気を出していないことに。
普通将棋は先手有利と言われている。それは先手が戦法を決めることが多いからだ。
居飛車、振り飛車、穴熊……各棋士にはそれぞれ得意な戦法がある。
奨励会にはいってきた若い子たちでもそろそろ得意戦法、苦手な戦法などが出てくる。
桐山は自分が先手でも自らが戦法を誘導することはなかった。いつも相手に合わせて相手の選択に乗っていくのだ。
けれど、泥仕合のような棋譜は全くといって見られない。
なにか不自然な力に導かれたかのように、あいつが残した棋譜はすっきりとして綺麗なものだった。
桐山の昇級は他の奨励会員からすると脅威でしかなかった。
特に上級位のものからすれば明日は我が身である。
何とか彼の昇級を止めたかったのだろう。
級位が上の棋力に自信がある奴が、次の奨励会で桐山と当たりたいと言ってくることが増えた。
彼の連勝記録にストップを掛けたかったようだ。
常識的に考えて、平手や下位の者と駒落ちで対戦するよりも、上位との対局の方が勝ちにくくなる。
対局を組むのは幹事の仕事だ。
俺は、偏りがないように級位差や成績にもよく気を付けて組むようにしていたが、そういう風に、意欲的に誰かと対局したいと言ってくる子も珍しくはなかった。
だいたいが、いつかは当たるのだからそれを楽しみにしておけと、流して終わる。
それでも、奨励会員にとって桐山がどれほど意識されているかが、よくわかった。
俺は、桐山はこのまま負けることなく昇段までいくような気がしていた。
少なくとも今の級位者に彼を止められそうな棋力を持つ者はいない。
まさに、別格だった。
師匠もおらず、まともに勉強もできないであろう環境でよくもここまで育ったものだ。
才能だけでは、片づけられない何かを感じた。
だが、そんなことは気にもならないくらいに心が躍った。
こいつはすぐに上がってくる。
そうすれば、盤を挟んで俺とも指すことになる。
背後から、迫ってくる得体のしれない気配に恐ろしさを感じながらも、どこか楽しみにしている自分が可笑しかった。
寒さも深まった頃。桐山は相変わらず黒のダッフルコートに埋もれるようにして、会館に通ってきていた。
この寒いときにも徒歩30分歩いてきていることには変わりないらしい。
せめてマフラーでも付けろっと声を掛けると、少し考えた後、今度買いにいきますとの返事だった。
あれは、その気が無いとみていいだろう。
また昇級祝いにかこつけて、その辺の安いマフラーを買い与えることに決めた。あまり高いと絶対に受け取らないと思ったので、その辺のさじ加減が大事だ。
桐山が入会してから数ヶ月が経っていたし、そろそろ師匠にあてはついたのかと、水を向けると、あいつはなんと、不思議そうな顔をしたのだ。
入会後一年以内に決めて、申請を出すように言われなかったか? と更に尋ねると、思い当たったのだろう、珍しく慌てていた。
普通なら入会時に決まっていなかったとしても、これだけ長く誰にも師事しないことは珍しい。
なんなら仲介もするぞ、と声を掛けた後に、桐山が困ったように少し考え込んで、島田七段では駄目でしょうかと言われたのには、驚かされた。
残念ながらB1にいるとはいえまだ三十路前の若輩者だ。
いつかは研究会でも開きたいとは考えているが、まだ弟子をとるような器でもなければ、歳も若すぎると俺自身が思っていた。
断られた桐山は、幹事もやられていてお忙しいでしょうと、もともと駄目元だったのだろうあっさりと納得した。
俺は代わりに、自分の師匠の大内先生を紹介しようかと持ち掛けた。
ただ、桐山より少し歳が上の二海堂を門下に迎えたばかりの頃だったし、先生もそのとき最後の弟子だといっていたので難しいだろうなとは思った。
その俺の雰囲気で察したのだろう。桐山は一応、入会したときに会長にも頼んでありますので、大丈夫です。お気遣い有り難うございますと辞退した。
引き際を弁えているというか、本当に10歳の子供らしくない子だった。
それとなく桐山に聞いたところ、将棋を教える師匠というより、将棋界で生きていくための儀礼的な保護者や後ろ盾を探している感じだった。
それゆえにもう前線を退いた年配の棋士の方に頼めればと考えているそうだ。
他に目を掛けている若手がいたり、自分の子供が若い棋士の方は避けたいと遠まわしに告げられた。
俺はその条件に、少し首を傾げたが、この子ほどの才能があって自分の将棋が完成している子であれば、却ってあれこれ手を出されるより、将棋に関しては放任の方が良いのかもしれないと思った。
それから、しばらく経って、幸田さんに呼び止められて桐山の奨励会での様子について聞かれた。
不思議に思って訳を尋ねると、記録係をしていた桐山をみて、かつて同じ門下でプロ棋士を目指した親友の子供だとすぐに気が付いたらしい。
桐山と話して、親戚で誰も引き取り手がおらず現在東京の施設で暮らしていて、師匠も決まっていないと知ったそうだ。
記録係をしていることから、奨励会に在籍していることはわかったので、自分の内弟子として家に迎えたいと持ち掛けたそうだ。
だが、その場で断られてしまったと酷く落ち込んでいた。
桐山は、幸田さんの娘さんが奨励会に在籍中で、弟くんも次の奨励会試験で入会しそうだということを知っていた。
施設でどんなに渇望しても貰えない親の愛情と庇護を求めている子供たちを見て、せっかくそれを手にしている幸田さんの子供たちから、僅かでも奪うようなことをしたくないと言われたらしい。
俺はその時になってなぜ桐山が、成長期の子供や弟子をもつ棋士を師匠候補としたくないのか、その真意が理解できた。
既に居る子供や弟子に与えられるべき感情が、自分に割かれる事を忌避しているのだ。
ましてや桐山は施設に居る。
それなりに経済的な余力があるプロ棋士ならば、幸田さんのように内弟子にして家に迎えようとしてくれる人がほとんどだろう。自分が育てる弟子を、少しでも勉強がしやすい環境に置きたいと考えると、当然の行動だ。
桐山は施設での暮らしをそれほど苦に思ってはいないようだったが、記録係をやりたがり、ほぼ毎日のように将棋会館にあらわれて将棋の勉強をしている様子を見るに、とても将棋に打ち込みやすい環境と言えない事は、一目瞭然である。
内弟子はプロを目指す彼にとっては、願ってもない環境のはすだ。
それをあっさりと断ってしまう程に、彼にとって家族とそれに近い親密な関係が、侵してはならない、尊いものなのだろうと伺えた。
僅か10歳の少年がそこまで、思い至るのに一体どれほど葛藤があったのだろうか。
おそらく桐山は失ったからこそ、誰よりもその大切さを理解している。
二度と自分がそれを手にすることがないことも分かっていて、そのうえで納得しているのだ。
彼の心中を想うと、俺も幸田さんも憐憫を抱かずにはいられなかった。
俺は幸田さんに桐山の成績を伝えて、このままのペースで行くと来年度には段に上がり、ひょっとするとそのまま、三段リーグまで到達するだろうと告げた。
入会からの昇級の速さにとても驚いていたが、それなら尚更師匠が必要だろうと、自分の弟子にすることは諦めたが、少しでも伝手をたよって探してみると決意を新たにしたようだった。
その後の奨励会で俺は桐山を呼び止めて、幸田さんの話を本当にそれでよかったのかと問いかけた。
良い話だったろうに、少し考えてみても良かったのではないかと。
彼の決意は固いようですぐに首を振った。
俺が、もっと自分の事だけ考えて、大人に迷惑をかけてもいいんだぞと言うと、
桐山はキョトンとした顔で俺を見つめかえして、もう慣れてしまったので平気です、と笑って答えるのだ。
その様子に大きなため息をついて、桐山の頭を思いっきり撫で回した。
こいつにはもう言っても難しそうだ。こっちから、構いにいくしかない。
そう再認識させられた、冬のある日の出来事だった。