小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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中学生プロ棋士編
第三十手 新しい部屋と新生活


  4月。新しい年度のはじまり。

 僕の入学式には、藤澤さんの奥さんの和子さんと、何故か幸田さんも来てくれた。

 

 私立駒橋中学校の制服は、詰め襟タイプの黒い服……まぁ俗に学ランって言われるタイプだと思う。

 僕としては遠慮したかったのに、どこからか聞きつけたテレビ局が学校に許可をとって取材に来ていた。

 学校側も私立だし宣伝になるから、こういう事には協力的みたいだ。

 正門前での撮影と軽いインタビュー。

 

 どうして、この学校を選んだのか?

 新しい学び舎の第一印象は?

 多忙になり始めている対局との両立は大丈夫そう?

 部活動とかはどうするつもり?

 気が早いけど、高校受験は考えてる?

 

 と、まぁ予想の範囲内の質問だった。

 学校を選んだ理由としては、まず会館とそれなりに近かったこととか、教育方針に惹かれたとか当たり障りなく。高校の事は濁しておいた。僕自身3年後どうしたいかなんてまだ分からないし。

 

 ついでに記念撮影をしたいといってくる記者がいたから、和子さんと幸田さんも巻き込んで写真をとってもらった。

 後から藤澤さんが見たら喜ぶと思うから。

 

 入学式はさすがに体育館の後ろから、そっと撮影するくらいにとどめてくれた。他の子の迷惑になったら困るから、そうしてくれると僕としても助かる。

 

 担任は本当に林田先生で、一安心だった。

 生徒の人数は20人を少し超えるくらい。少人数のクラス編成も売りにしている学校だった。

 教師の目がよく届くようにと言う事なのだろう。

 

 ただ、やっぱり正門前でのやりとりやテレビ局が来ている事が影響してか、

 桐山零だ……

 プロ棋士? なんだよね

 おれ、この前特集記事読んだ。

 なんか新記録を打ち立てたんでしょ?

 同じクラスとかちょっと嬉しい。

 

 ……周りが少し騒がしく落ち着きがない。

 良い意味で噂をしてくれているのは分かる。この辺も前の時とは大違いだなぁと思った。

 

 前中学生だったときは、将棋とかよく分からないものに打ち込んでいる根暗という扱いで、クラスでも空気扱いだったような記憶しかない。

 まぁ……僕もそれでいいと殻に閉じこもっていたから、仕方ないのだけど。

 

 ただ、前回同様に、遠巻きに見られているのは変わりなさそうだ。

 友人がつくれるか……少し心配になってきた。

 中学は一応給食だから、一人飯になることはないけど、林田先生に余計な心配はさせたくない。

 

 新学期、新しいクラスともなれば、とりあえず自己紹介とかがあるのは定番で、ボーッとしているうちに僕の番がきていた。

 

 林田先生が、おーい中学生プロ、出番だぞ!と僕の名前を呼ぶ。

 ……余計目立つから止めてほしかったんだけど、その瞬間クラスの皆がドッと笑ってすこし空気が柔らかくなった。

 どうせ、バレているのだし、この方が話しやすかったかもしれない。

 

「桐山零と言います。千駄谷小学校の出身です。趣味は将棋で、一応職業が棋士です」

 

 一応ってなんだよって先生のつっこみが入ったけど、スルーする。

 

「対局の都合上、お休みすることが多くなると思いますが、仲良くして頂けると嬉しいです。よろしくお願いします」

 

 一礼して席に帰る時、クラスの皆の顔を初めてまともに見た気がした。

 皆、好意的な視線をくれていたし、少なくとも最初の印象は悪くなかったみたいだ。

 

 とりあえず、ほっとして残りの子たちの紹介はちゃんと聞こうと耳を澄ます。

 そして、何人か後に前に立った人をみて、驚愕して息をのんだ。

 

「野口英作と申します。こんな苗字と身なりですのでよく歴史上の人物との関係を疑われますが、全くの無関係です。理科……特に化学の分野に興味があります。皆さんどうぞ良しなに」

 

 見間違えるわけが無かった。野口先輩だ……そうか、駒橋高校に進学しているなら、附属中にいてもおかしくない。

 それに、僕が編入するのが一年遅れていた前回と違って、ホントなら同い年。

 同級生になったんだ……なんだか、不思議な感じだ。

 

 不思議な貫録と雰囲気に、みんな彼に興味津々だった。すごく印象にのこるキャラクターを持っているし、人から好かれる不思議な人だ。

 

 また、仲良くなれたらいいなぁ……密かにそう思った。

 

 

 

 帰りは幸田さんの車にのって、藤澤さんのお見舞いにいった。制服姿をちゃんと見せたかったから、膝の手術が終わったばかりでまだベッドから降りられない状況だったけれど、お元気そうだった。

 良く似合っている、とあの大きな手で頭を撫でられるとやっぱり安心する。

 

 その後は、僕の家の様子をチェックする目的もあってか、和子さんも幸田さんも家に遊びに来た。

 いつ、だれが来るかわからないから家は綺麗にしている。

 冷蔵庫のなかも自炊するからちゃんと物が沢山入ってる。零くんはやっぱりしっかりしてるわねぇと褒めてもらえた。

 いくつか作り置きで、おかずを作ってくれたのも助かった。自分でも出来るけどやっぱり誰かに作ってもらえるのは嬉しい。

 シロもクロも大好きな和子さんが来てくれて少し嬉しそうだった。

 

 

 

 年度初めの島田研究会では、嬉しい報告も聞くことが出来た。

 

「あ、二海堂……。今日から参加するのか?」

 

 何時ものように通された居間で、重田さんともう一人座っていた姿に思わず声をあげてしまった。

 

「久しぶりだな桐山! なんと俺はこの4月から三段リーグ入りしたのだ!」

 

「あぁ……ちゃんと成績みてたよ。2月からの連勝凄かったな。この調子で一期抜け期待してる」

 

「任せておけ! お前と公式戦で当たらねばならないからな」

 

 昨年の冬に一度体調を崩して入院していた二海堂は、二段でほぼ全勝しなければ、今年の前期の三段リーグには間に合わないところだった。

 そのチャンスを逃さなかったのは凄いと思う。

 

「兄者に誘っていただいたから、この研究会には出来るだけ顔を出すぞ!」

 

「声がいちいちうるせぇよ……」

 

「む! それは申し訳ない」

 

 重田さんの毒舌はいつも通りだけど、二海堂がそれにまだ慣れていない様子なのが新鮮だった。

 

「桐山は新生活どうなんだ? 聞いたぞ、一人暮らし始めたんだろ」

 

「中学生で一人暮らしとか……なまいきだよな」

 

「重田くん!」

 

 島田さんの咎めるような声に、良いんですよと答えながら僕も近況を報告する。

 

「今はもう落ち着きました。猫たちもいますから寂しくないですよ」

 

「そうか……慣れない事も多くて、大変だろうけど、まぁなんか困ったら相談してくれていいからな。藤澤門下の人たちに良くしてもらってるみたいだけど」

 

 島田さんは安堵したように表情でそう続けた。

 何もかもちゃんとしようと頑張りすぎるなよっと言われて、やはり彼には何でもお見通しなような気がする。

 

「あと、なんか欲しいものとかないか? 五段の昇段祝いと引っ越し祝いを兼ねてなんか買ってやるよ」

 

「えっ、……そんな申し訳ないですよ」

 

「良いから、こういう時はもらっとくもんなの」

 

 島田さんは僕の頭にぽんっと手をおくて、言い聞かせるようにそう言った。

 すぐには思いつかないと返したら、今度遊びに行ったときに足りなさそうなものでも贈ると言われてしまった。

 

 

 

 研究会が終わって解散になる時に、二海堂がそっと声をかけてきた

 

「その……な、たまにでいいからお前の家、将棋指しに行ってもいいか?」

 

 ちょっと伺うように尋ねられて、少し驚いた。僕が断っても勝手にくるような奴だったのに。

 

「いいよ、VSしよう。はやくこっちに来てほしいからなぁ。応援する。僕も君とは指したいし」

 

 僕の返事に、パッと笑顔になって御礼に色々持っていくからと意気込む彼を止める方が大変だった。

 限度を知らない勢いで、何かを持って来られるとあの部屋に入りきらない気がする……と前回の記憶も少し思い出した。

 

 

 

 

 

 


 

 4月中旬、将棋大賞の授賞式が、将棋会館で行われた。

 事前に会長にいわれていた通り、僕もちゃんと出席した。土曜日にしてくれたのも有り難かった。

 記録部門の4つの賞である、最多対局賞、最多勝利賞、勝率一位賞、連勝賞の受賞は確定していたけれど、それに加えて選考の結果、新人賞と敢闘賞も頂くことになった。

 重ね重ね、ありがたいことである。

 普段は記者が来るくらいのこの授賞式にもカメラが入っていて、会長は嬉しそうだった。

 取材が入れば、それは連盟に資金が入ることにもつながるし、宣伝にもなるし、将棋界は盛り上がる。

 

「桐山五段おめでとうございます。プロデビューの年でしたが華々しい活躍でしたね」

 

「有り難うございます。自分でも驚いています。支えてくれて、応援してくれてる方々のおかげですね」

 

「連勝記録に加えて、勝率も歴代最高の記録となりました。このことについてどう思われますか?」

 

 そう、連勝記録のみならず勝率も歴代記録を更新してしまったらしいのだ。なんというか……少し心苦しい気持ちもある。

 だからといって、対局で手を抜くのもあり得ないし……準備を怠るようなことをしたくもなかったから仕方がない。

 

「一年目でしたから……対局のマッチングの良さもあったかと思います。今年に入って、成績が落ちることがないように、より一層努力したいと思います」

 

「今年度の目標がありましたら、お願いします」

 

「本戦を勝ち抜いて……できたらタイトルの挑戦権をひとつでもいいから取りたいです」

 

「私たちも中学生の挑戦者が誕生することを楽しみにしています」

 

「ご期待に添えるように、頑張ります」

 

 

 

 

 

 いくつかインタビューに答えて、会場を後にしようと思った僕に声がかかる。

 

「桐山くん、受賞おめでとう」

 

「宗谷名人! ありがとうございます。名人も最優秀棋士賞の受賞おめでとうございます」

 

 ここ何年かは、宗谷さんが独占しているその賞は、今年も彼の手に渡った。

 

「いつもは記録部門でもいくつか貰うんだけど、今年は君に全部とられちゃったからね」

 

「えぇ!? えぇ……とそれは、すいませんでした」

 

「謝らないで、僕は嬉しいんだ。それに、変わり映えしない面子ばかりが取ってもしかたない。停滞は面白くないからね」

 

 謝った僕に彼は、くすくすと小さく笑ってそう答えた。

 

「中学生になったんだってね。でもまだ小さいなぁ……」

 

 僕の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でる。

 慈しむようなその動きが、少し照れくさい。

 

「これでもちゃんと身長、伸びてますよ。そのうち宗谷名人にだって追いつきます」

 

「どうかな? まだ時間がかかりそうだ。将棋はすぐに追いついてきそうだけどね」

 

 そんなふうに返されるとは思わなくて、僕はおもわず彼の事をマジマジと見返した。

 

「本戦、まだどれも敗れてないだろ。楽しみにしてるよ」

 

「はい! きっと、挑戦者として貴方の前に座って見せます!」

 

 貴方とまたタイトル戦を競いたくて……少しでも多く対局したくて……僕はここまで戻ってきたのだから。

 

「そういえば……桐山くん、今一人暮らししてるんだって?」

 

「え? 何で知ってるんですか?」

 

「君の事は結構話題にあがるんだよ。僕たちの間でね」

 

 僕たち……がいったいどこまでの範囲なのかは分からないが、宗谷さんの耳にまで入ってるなんて……。

 もっとも、僕が師匠の家を出て一人暮らしをしていることは、しばらくはメディアに抜かれないようにしようという話になっている。

 この年齢の子が一人暮らしっていうのはやっぱり印象が悪いし、このまえのひったくりみたいなことが無いとも限らない。

 重々防犯にも注意しろと再三釘を刺された。

 だから、棋士たちの間だけで、話題になっているのだろう。

 

「新居には慣れた? ちゃんと研究できる体制は整えられてる?」

 

 藤澤さんのお宅はそういう意味では、とても良い環境だっただろうからね、と続けられた。

 確かに、師匠の家にあった棋譜の量は素晴らしかった。

 でも僕は、あの家の鍵を預からせてもらっているし、必要なら好きなだけ持って行っても良いとも言われた。

 

「引っ越しはバタバタしましたが、今は落ち着いてます。棋譜も紙で持っているものは少ないんですが、今はデータで管理してますよ」

 

 昨年長期休暇や、棋譜をさらうときに、なるべくデータ化してPCに入れたおいたおかげもあって、僕が持っている棋譜の量も相当増えているのだ。

 

「データ……ということはパソコンで?」

 

「はい。僕はこれから先も移動することが多いでしょうし、部屋は広くないのでそんなに沢山は置いておけないので」

 

 頷いた僕に宗谷さんは少し考え込んでいるようだった。

 

「君の世代はそういう事にも熱心だね……」

 

 その後に、ちょっと見てみたいなぁと小さく呟かれた声を僕はちゃんと拾っていた。

 

「あの……良かったら家に来ますか?」

 

 いきなりは失礼かもしれないけど、僕は気が付いたらそう声をかけてしまっていた。

 

「え、いいの? そんな急に……」

 

「同門の方がくることも多くて、お客様が来られる心積もりは何時もしてるんです。用事がないなら、どうぞ」

 

「うん。今日はもう大丈夫。嬉しいなぁ……君とは研究会もしてみたかったんだ」

 

 宗谷さんは本当に嬉しそうだったから、僕も言ってみて良かったと思えた。

 

 会館から電車で移動して、川沿いを歩いてマンションへ向かう。

 

 会話は少なかったけど、居心地の悪い沈黙ではなかった。

 彼の傍は、相変わらず静かで心地よい、不思議な感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ、狭いですけど……」

 

「おじゃまします。……っと!びっくりした」

 

「あぁっ、シロ駄目だよ! 僕のお客様だよ。行儀よくしてね」

 

 何時も僕が帰ってきたら、出迎えてくれるシロが後ろから入ってきた宗谷さんを思いっきり威嚇したのだ。

 毛を逆立てて唸り声を上げる姿は勇ましい。

 

「ごめんなさい。警戒心が強い子で……。あの? 今更ですが、猫は大丈夫ですか?」

 

「うん。むしろ、好きだよ。家でも祖母が飼ってるから」

 

 この子には、嫌われちゃったかな……とつぶやく宗谷さんの周りをシロはくるくる回って様子を窺っている。

 賢い子だから、もう威嚇はしてないけど尻尾は相変わらず臨戦態勢で、しっかりと警戒していた。

 

「初対面の人には、誰にでもこうなんです。どうも僕の代わりに警戒してくれてるつもりみたいで……」

 

 ひとしきり宗谷さんの匂いを嗅いで、一応納得したように離れるシロにただいまと声をかける。

 僕の足元によってきて何度も何度も身体を擦りつけて鳴き声をあげるのは、おかえりっと言ってくれてるみたいだ。

 

「頼もしいね。藤澤さんのお家の猫?」

 

「はい。良く懐いてくれていたので、今はお預かりしてるんです。もう一匹いるんですが、かなり怖がりだから出てこないかな……」

 

 クロはお客さんがいるときは、ほぼ姿を現さない。ベッドの下や、布団の中、猫用クッションの中でじっと寝ているのだ。

 

 適当な座布団を出して、宗谷さんに勧めておいた。

 あと、軽くお茶の準備をする。

 

「紅茶でいいですか?」

 

「ありがとう。なんでも大丈夫だよ」

 

 一応確認をとって、ぼくは棚から以前から馴染みの紅茶を取り出した。

 前の時、宗谷さんとも何回か研究会をさせてもらったことがある。その時彼が市販の中ではこれが一番好きだと言っていた商品。

 なんとなく覚えていて、特に拘りがない僕は、それから紅茶を買うときは同じものを買ってしまっていた。

 

 お茶請けに、あかりさんたちから引っ越し祝いに貰っていた三日月焼きを添えておこう。

 名人が気にいってくれたら僕も嬉しいし、お店の宣伝にもなるかなって思った。

 

 席に戻った時、彼が取り出してみている棋譜が目に入った。

 こんな僅かな時間でも、それを見てしまうのは、職業病なのかもしれない。

 

「それ、先月の玉将戦の第4局ですね。土橋九段との……」

 

 声を掛けた僕に、彼はパッと顔を上げた。

 

「流石……一目でわかるんだ」

 

「リアルタイムで見てましたから……あ!そうだ。紙の棋譜も持ってるんですが、それ打ち込み終わってるんです。見ますか?」

 

 最近の目ぼしい対局で、何度も研究したいような棋譜は紙でも置いてあるけど、まずデータでも保存してある。

 対局が無い日にこつこつしていくのが大切だ。

 

「あぁ……意外と見やすいんだね」

 

「こういうソフトも日々進化してますからね。タグ付けとか出来るんで、色々な用途別に分けれたりもするんですよ」

 

 二人してパソコンを覗き込んで、色々な操作をした。

 戦法ごとにソートしてみたり、年代で検索を掛けてみたり、棋士の名前で一覧をだしてみたりと、宗谷さんも途中から慣れたみたいで、とても興味深そうだった。

 宗谷さんの棋譜が今一番多く入っているのに気付かれて、僕はちょっと恥ずかしかったんだけど、なんだか彼が嬉しそうだったから、まぁ別にいいかと開き直ってしまった。

 

 そうこうしているうちに、やはり棋譜の内容にも目がとまるわけで、少し意見を交わしているとあっという間に時間がたってしまっていた。

 

 僕はシロに軽く足を齧られてようやくそれに気づいたのだ。

 

「イタッ! あぁ! ごめんねそろそろご飯の時間だったかな?」

 

 不満そうに、にゃーんと鳴いたシロを見た後、時計をみてびっくりした。

 

「えぇ!? もう9時まわってる!! 宗谷さん、お時間大丈夫なんですか?」

 

「ん? 明日は特に予定なかったから大丈夫だよ。それより随分長居しちゃったな……ごめん」

 

「僕は全然良いんですよ。明日日曜日ですし。あの、良かったらご飯食べていきますか?すっかり遅くなっちゃいましたが……」

 

 簡単なものしか作れないけど……と続けた僕に、宗谷さんは頷いた。

 僕が自炊しているのにも相当驚いていたけれど。

 

 手早く作れるものにする。豚肉を電子レンジで解凍してしまって、タレはあったはずだから生姜焼きにした。野菜は適当に冷蔵庫にあったものをみじん切りしてサラダにする。

 ご飯は冷凍もしてあるけど、せっかくお客さんが来てるんだしとはや炊きモードでさっと炊いてしまった。

 ちょっとだけ待つ時間があったから味噌汁も作った。乾燥わかめと麩だけが入った簡単なものだ。いつも一人だったらインスタントとかですませてしまうが、今日は二人分だし。

 

 ご飯をすっかり待たせてしまった猫たちにも、今日は特別に高い缶詰をあけた。

 クロはこういう時には、呼ばなくても出てきてご飯をたべる。餌を入れる音を良く知っている。

 

「はい、どうぞ。即席なので味はあまり期待しないでくださいね」

 

「……すごい。僕なんかよりもずっと上手だ」

 

 何時もはしまってある折り畳み式の机をだして、遅い晩御飯を並べた僕に宗谷さんは、感心したようにしばらく料理を見つめていた。

 

「たいしたもんじゃないですよ……」

 

「充分だよ。これだけ手早く作れるのは成人男性でも珍しい。少なくとも僕は絶対無理」

 

 はっきりとそう言い切るその様子に少し笑ってしまいながら、二人でご飯を食べた。

 外食を一緒にすることはあったけれど、僕が作ったことはなかったなぁと思い起こす。

 美味しいよ、と言って貰えて、一安心した。名人に変なものは食べさせられない。

 

 食後に紅茶を入れ直して、先ほど食べ損ねていた、三日月焼きも食べてもらった。

 

「お世話になってる和菓子屋さんのなんだ。うん。とっても美味しいよ。口当たりがやさしいね。祖母に買って帰ろうかな……」

 

「良かったです! 僕も大好きなんですよ。お店の場所、教えておきますね」

 

 気に入って貰えてよかった。自分の好きなものを肯定されると、とても嬉しい。いそいそとメモに住所を書いている僕を見ながら、宗谷さんが続けた。

 

「それから、この紅茶もありがとう。実はこれ、一番好きなやつ」

 

 柔らかく微笑みながらそう言われて、あぁ……その辺の好みは変わらないんだな、と懐かしいような、少し切ないような、不思議な感じがした。

 

 

 

 結局ご飯の後も、うっかり宗谷さんが持ち込んでいた玉将戦の検討をしだしてしまって、それからはあっという間だった。

 

 その対局は粘りに粘った土橋さんから宗谷さんが序盤のリードを守り切って、ギリギリ勝った対局だった。

 中盤のどこが鍵だったとか、終盤戦ひょっとしたらひっくり返せた手があったかもしれないとか、考え始めると切が無かったのだ。

 視点を変えたいということで、僕が宗谷さん側、宗谷さんが土橋さん側で途中から指し直したりしていたら…………

 

 気が付いたら窓の外が明るくなっていた。

 

 おまけに僕の携帯がけたたましくなる。

 

「桐山っ! おまえ宗谷どっかでみなかった? 会館出たあとホテルに行かなかったみたいなんだよ」

 

 電話は神宮寺会長からだった。宗谷さんは公にはしていないけれど、耳の調子が悪いときもあるから、会長は随分気にしているし、ホテルはだいたい馴染みのところをとる。

 失念していた。

 昨日彼が泊まる宿が無いわけが無かった。キャンセルでもなんでもいいから、一報入れるように気を回せなかったのは、僕も浮かれていたのだろう。

 

「……ごめんなさい、会長。宗谷さんいま、僕のうちに居ます……」

 

「あぁ! やっぱりな! 会館でおまえとしゃべってるの見た奴がいたから、もしかしてとは思ったんだよ」

 

「すいません。急に連絡が取れなかったらびっくりしますよね……」

 

「いーよいーよ、ホントはそっちの大人が自分でちゃんとしないといけない事だから。あいつ携帯にかけても出ないし……全く。ちょっと代わってくれる?」

 

 会長に言われて僕は、携帯を宗谷さんへと手渡した。

 

「もしもし……おはようございます。……え? 携帯ですか? あぁ充電切れてました。はい。……えぇ、気を付けます。

 ……仕事? 今日なにかありましたっけ? あぁそうだったような。分かってますよ、ちゃんと行きます。では」

 

 最初こそちゃんと頷いて会長の話を聞いていたようだけれど、途中から明らかにめんどくさそうになって、あっさりと通話を切ってしまった。

 どうも、宗谷さんの携帯の充電は切れてしまっていたらしい。

 

「ごめんね、桐山くん。君が謝ることなんてなかったのに」

 

 携帯を差し出しながら、彼が眉を下げたのがわかった。

 

「最初に誘ったのは僕ですから……、えっと、今日お仕事あったんですか?」

 

「午後から、取材が入ってたみたい。そういえば、そんな話だった気がする。悪いけど、シャワーだけ借りてもいいかな?」

 

「どうぞ。流しの前のドアを入ってすぐです」

 

 なんというか……相変わらずその辺の管理は、ぼんやりとしている方だな。会長が連絡をとりたかったのは、取材のことを忘れているかもしれないと危惧したからかもしれない。

 

 シャワーを浴びている間に、トーストでも焼いておこうと僕も立ち上がった。

 座り続けてすっかり足が固まってしまっている。

 

 ベットの上で寝ていたシロが、起きだしてきて、僕にむかって咎めるように鳴いた。

 ちゃんと夜寝なかったでしょ。と言われているようだった。

 今日だけは見逃してよと、僕は頭を撫でた。

 

 軽い朝食をたべて、宗谷さんを送り出した。

 すっかり長居をしたと呟いた後に、今度は僕が何か奢るからと言って、部屋を後にした。

 

 

 

 この体で初めて徹夜をしてしまった僕は、全部落ち着いたらどうにも眠くなってしまって……気が付いたら布団の上で猫たち2匹とお昼寝をしていた。

 

 でも、明日のことを気にせずに思う存分宗谷さんと指しあえたのは、本当に貴重なことだから、たぶん今度があっても僕はまた、同じことをするだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




師匠をオリキャラにしたのは、今の桐山くんを一人暮らしさせたら、きっと色んな人が来て面白いだろうなぁという算段もあったのです。
既存キャラ使ってるとその人の家をでないといけない流れが作り辛くて。
1人目を宗谷さんにするという予定は特にはなかったですが、なんか流れで。
元成人済みのイクメンだった桐山くんは人並みに料理はできます。奥さんのひなちゃんと一緒に料理をするのきっと好きだったのではと思うのです。

次は林田先生視点です

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