誰にだって趣味ってあるだろ?
それがあるから、仕事を頑張れる。日々の活力になる。毎日が少しだけ楽しくなる。
小説を読む人、ドラマを見る人、音楽を聴く人、タレントを応援する人、スポーツに打ち込む人、旅行に行く人、趣味は色々だ。
俺にとっては将棋がそうだった。
はまったのは少し遅く、高校生くらいの時だった。
自分で指してみても楽しかったし、ちょっとアマの大会に出たこともあったけど、まぁほぼ最初の方で敗退した。
それでも辞められない不思議な魅力があって、特に将棋を観ることは時間を重ねれば重ねるほど好きになった。
丁度将棋界が、中継や解説を熱心にし始めた時期と重なっていたからかもしれない。
プロ棋士たちは個性的で魅力あふれる方が多かった。
圧倒的な記録と、人間離れした実力で期待の新星だった宗谷冬司が七冠を懸けて戦い始めた時期が、俺が大学卒業してすぐの事だったのも大きい。
激動する将棋界の様子をこの目で見ることができた。
けれど、俺がもっとも応援していて、ずっとファンでいるのは、圧倒的な実力をもつ宗谷名人ではなく、当時はまだB級で、トーナメントの本戦にやっと名前を連ねはじめた若手棋士の島田さんだった。
宗谷世代といわれ、彼の成績の前では誰だって霞んでしまう。
それでも、胃痛もちで同じ歳、故郷を大切に想いながらゆっくりとではあるが、確実に頂きを目指して進んでいくその姿は、俺のヒーローだった。
圧倒的な存在は、かえって人に畏怖を覚えさせることもある。
島田さんの等身大の魅力が俺を惹きつけたのだと思う。
彼がB級1組に上がった、23歳の時。
俺は大学を卒業して、教員採用試験に落ち、非常勤として拾ってくれた駒橋高校でなんとか働き始めた。
高校教師の採用枠というのは、俺が考えているよりも随分と狭く、それは東京という学校が多い県であっても変わらなかった。
でも、腐らずまた来年頑張ろうと思えた。
新しいクラスで、確実に力を付けて行く彼をみていると勇気を貰った。
翌年、働きぶりが評価されて、非常勤枠から常勤にならないかと言われたのは、本当に運が良かったと思う。
どの職でも言えることだろうが、新人というものは大変だ。
新しいことばかり、上手くいかない事ばかりで、失敗が続いて心が折れそうになることもある。
けれど、望んだ道だ。
グッと歯を食いしばって、努力をした。
どれほど忙しい日々でも、彼の成績は時々チェックして、まだ少なかったけれど中継されることがあったら、見逃さずにパソコンにかじりついた。
敗戦が続けば自分の事のように悔しく、すばらしい内容で快勝すれば翌日は良い気分で仕事に向かえた。
数年もすれば俺も仕事になれてきて、クラスの担任を任されるようなり、より一層仕事にやり甲斐を感じていた。
少し余裕が出来て、詰め将棋の作成に手を出して、雑誌に投稿し始めたりもした。
島田さんがA級への昇級を決めたのはその頃だ。
ついにこの時が来たと随分テンションが上がったものだ。
そして、同じ年。
将棋界に激震が走った。
小学生プロ棋士誕生。
その話題はすぐにニュースで取り上げられ、俺は最初、信じられなかった。
どういう経歴をたどればそれほどの若さでプロになれるのか、考えもつかなかった。
桐山零くんというその子供の情報を手に入れるのは簡単だった。
メディアがここぞとばかりに競い合って、報道したからだ。
父親は昔奨励会に所属していたが、プロにはならず医師になったこと。
長野で家族と暮らしていたこと。
突然の事故で家族を失い、たった一人取り残されたこと。
親戚は誰も手を差し伸べてはくれなかったこと。
施設で暮らしながら、大会で好成績をおさめ奨励会に入会したこと。
記録係の仕事でお金を稼ぎながら通い続け、歴代最速でプロ入りを決めたこと。
現在は父親の師匠でもあったあの藤澤名誉九段に師事し、内弟子として生活していること。
……いったいどこの小説かドラマの主人公だ? と思いたくなるほど波乱万丈な人生。
その成績も内容もまるで現実離れしていた。
ほとんどの昇級・昇段の最年少記録を更新し、三段リーグの到達年齢も当然最年少。
おまけにリーグ無敗の18勝という好成績で四段昇段を決めただけでなく、なんと奨励会で行ったすべての棋戦で無敗だった。
ついでにいうなら、彼は公式戦で負けたことはただの一度もないらしい。
こんなの人間が残せる成績じゃないだろ、と畏怖さえした。
一体どんな子どもなのだろうかと思った。
けれど、動画サイトにあがっていた彼の記者会見の映像をみて、俺の彼に対する印象はガラッと変わった。
たしかに、子どもらしくはなかった。
受け答えは落ち着いていて、言い回しや敬語も完璧。
でも、家族や親戚の話題で瞳を揺らし寂しそうにしていたその表情が、施設の人たちの話題になってこぼれた笑顔が、師匠のことを語る時の嬉しそうな顔が、どこからどう見ても、その辺に居る子となんら変わりなかった。
すこし大人びているだけ……おそらくそれも環境上そうならざるを得なかっただけで、俺たちと同じじゃないかと思った。
応援したいな……と思った。
この才能がどこまで伸びていくのかも興味があった、それと同時に放っておけない魅力を持つ子どもだった。
将棋連盟の方もこの新星をきっかけに将棋界を盛り上げるつもりなのだろう。
異例のテレビ番組が企画された。
俺としては、桐山四段の相手の一人にA級入りを決めた島田八段が選ばれているのが本当にうれしくて、録画は保存版として絶対にDVDに落とそうと決意した。
こういっては何だが、人格者であるものの、キャラクターとしてのインパクトが大人しい島田八段が選ばれた理由はなんだったのだろうと考えていたが、対局前のインタビューで分かった。
奨励会時代、幹事としてお世話になった棋士。
師弟とはちがうけれど、桐山四段を見守って来ている。話題も多いのだろう。
対局前のトークが弾んでいた。
「僕が最初に記録係の仕事をしたいと持ち出したときに、つなぎを付けて下さったのは島田八段なんですよ。入会以来本当にお世話になりっぱなしで」
「そうだったんですか……島田八段は、最初どう思われたのですか? 記録係をする年齢としては、異例だったのでは?」
その節はありがとうございますと、頭を下げた桐山四段にインタビューアーは優しく相槌をうった。
「桐山四段がとてもしっかりしている子なのは、分かっていましたからね。熱意に負けまして。その後の仕事振りは素晴らしかったです。棋士たちの間でも良い意味で話題になったほどです」
「“小さい記録係”として、一部の将棋ファンの間でも有名だったそうですね。桐山四段が中継でうつっている動画今、人気らしいですよ」
「えっ……その頃の動画も出回ってるんですか……なんだか恥ずかしいなぁ」
照れたように笑う桐山四段をみながら、絶対にあとでその動画を検索しようと心に誓う。
「島田八段は桐山四段とのエピソードで想い出に残っていることはありますか?」
「そうですね……。成績なんかは皆さんもうご承知でしょうし……。入会当時からよく気がまわる優しい子でしたね。自分が貰ったお菓子を施設の子にあげるために食べずに持って帰ってたり。でも、自分の事にはあまり頓着していないみたいで、寒い中薄着でずっと会館に通ってきていたのには、気をもんだ覚えがあります」
島田八段の言葉をうけて、桐山四段がぱっと何かを思い出したように手を打った。
「あ! 島田八段から昇段祝いにと貰ったマフラー今年の冬も使いました」
「えぇ!? あれまだ持ってたの……そんな良いもんじゃないのに……」
「島田八段はどうして、マフラーを贈ろうと思ったのですか?」
「桐山四段は冬の寒い日でも、ずっと歩いて将棋会館にきてましたからね……。見ていられなくてつい……」
和やかな雰囲気で対談は進んだ。
桐山四段も、島田八段を尊敬しているというか……まぁなんというかとても懐いているのが良く分かった。
島田八段の柔らかい人柄がとても良く出ているし、これをきっかけにファンが増えないかなぁと思った。
対談の様子とは、一転。
対局の内容は大変厳しく、苛烈なものだった。
驚いたのは、桐山四段の雰囲気というか、オーラというか、対局前とは全く違った。
それはみて思ったのは、あぁこの子はもうちゃんと棋士なのだということ。
内容もそれは立派なものだった。
堅実に見えた島田八段の一手に、ほんの少しだけ垣間見えた隙をつき、一気に攻撃をしかけたのは、舌を巻いた。
俺では到底思いつかないし、あそこで攻めたところで次にはつなげないだろう。
それが出来ると踏んだ、彼の読みの深さは驚愕の一言につきる。
嵐が来る。
将棋界は変わる。変わらざるを得ない。
この少年にはそれだけの力がある。
行く末を見届けたいとこの日そう思った。
予想に違わず、桐山四段の活躍は素晴らしかった。
いや、予想以上だったと言っていい。
炎の三番勝負の全勝から一気に話題をよび、プロ入り後まだ一度も負けていない。
彼の連勝が増えていくたびに、それまでは将棋の話題などよっぽどじゃなければ出さなかった番組まで、取り上げはじめた。
小6の秋ごろ、朝日杯という全棋士参加のトーナメントで本戦入りをきめ、予選を突破しそうなタイトル戦が増え、A級棋士との対局にも勝った。桐山零という名前を聞いたことが無い人は、よっぽどテレビや雑誌などに興味が無い人くらいになった。
俺は島田さんの成績を追うのと同じくらい、彼の対局も夢中になって追った。
宗谷名人がもつ歴代最多の連勝記録が見えつつあった。これで興奮しないなんて、将棋ファンじゃない!
冬頃に一度、密着系のドキュメント番組に出演したのをきっかけに、彼の知名度はうなぎ上りだった。
普段の大人しい様子と、対局中とのギャップ。
小学生としての顔とプロ棋士としての顔。
とにかく話題に事欠かない子だった。
逆境の中で培われたであろう人柄もあって。あれでは好印象を抱かない人の方が少ないだろう。
宗谷名人との連勝記録に並ぶ対局と、新記録が打ち立てられるかもしれない対局が同じ日に行われる朝日杯だったことは、なんともドラマチックだった。
しかも相手は両方ともA級棋士。
中継もされるとあって、ネットではもうお祭り騒ぎだった。
柳原棋匠が投了と告げたとき、俺と同じように部屋で1人ガッツポーズとともに奇声をあげた将棋ファンはきっと多かったことだろう。
歴史的瞬間に俺たちは立ち合ったのだ。
次の対局が宗谷名人とのベスト4で都内のホテルで公開対局が行われると知った時、俺は何が何でも、見に行こうと思った。
将棋イベントに行くのは初めてではなかったけれど、予想をはるかに上回る記者と観戦目的の客の数にまず驚いた。
そして、対局の開始を待つ桐山四段を生で見たとき、戦慄した。
澄んだ水のような雰囲気を纏って、静かにそこに在った。
対局相手の宗谷名人のもつ研ぎ澄まされた雰囲気と相まって、そこだけ別世界かと思う程だった。
圧倒され、惹き込まれ、夢中になっているうちにあっという間に終わっていた。
そして、負けるとやはり悔しいのだと瞳を揺らして答えた桐山四段を見たとき、俺はやっと現実に戻ってきたような気がした。
あぁ……そうか、そうだよな。
誰だって勝つためにやってるんだ、悔しくないわけない。
そして、大盤解説で桐山四段が前にたったとき、俺はその小柄な体格をみて、あぁ本当に小学生なんだな……と感慨深かった。
踏み台にあがるのを少し躊躇している姿や、宗谷名人が駒を置くのを手伝っている姿をみると、会場中が穏やかな雰囲気に包まれた。
人智を超えたような対局を期待する一方で、彼のそういう人間味がある様子を見られると安心した。
両方の側面をもつその姿は会場にいた多くの人を惹きつけたことだろう。
無事に担任をしていた高3のクラスを卒業させた俺に、突然の辞令が下ったのは2月の末。
4月から附属中学の方で担任をもってほしいとのことだった。
持ちあがりで担任をすることが多い私立だったから、次は高1だろうと思っていたので、流石に驚いた。
理由は、産休に入る教員の代わりが見つからなかったことが一番大きかったが、次の入学生に気に掛けてあげてほしい子がいるとのことだった。
あまり、特別扱いをするのはどうか……とも思ったが、その生徒の名前を聞いたとき、信じられなくて校長に聞き返してしまった。
桐山四段が……いや、4月からはほぼ五段になることは確定か……とにかく、小学生プロから中学生プロになると相変わらず話題の渦中のその人が、駒橋中学校に入学してくるという。
あの忙しい中で、私立受験をしていたのも驚きだし、それなりの偏差値が要るうちに受かってきているのも驚きだし、俺が担任になるのはもう衝撃の一言だった。
駒橋高の校長や教頭、また中学の教頭にも将棋好きが何故か多い。
将棋の話題で上司と盛り上がれるから俺もそれは助かっていた。
ほんとは私も中学へ行きたいと嘆いている高校の校長を横目に、俺はなるべく彼のサポートが出来るように頑張ろうと気合いを入れた。
新入生説明会の後に、桐山四段がわざわざやってきたのには驚いた。
宜しくお願いしますと頭を下げるその姿は、卒が無いというか優等生そのものだった。
天才というものは、どこか浮き世離れした雰囲気があるだろうと予想していた分、俺は拍子抜けだった。
林田先生と呼びかけてくる声が何処か柔らかく、意外と人懐っこい性格なのだろうかとも思った。
意外と会話が弾んで、欠席するときの書類の書き方とか、テストや行事が重なったらどうするか等も具体的に話せたのは上々。
もっとも成績に関しては、事前に見させてもらったけれど全く問題なさそうだった。
進学クラスに所属がきまった生徒たちの物と比べても遜色ないどころか上位に食い込む。
辞退されたことに、進学担当者の教員が随分惜しそうだった。
理数系に属する科目の成績が特にとびぬけているのをみて、ご両親がご存命だったなら医者になって後を継ぐという将来もあったのかもしれないと思い至って、勝手に切なくなってしまった。
俺が帰り際の彼に、俺は一瞬迷ったけれど、我慢できずに切り出した。
「あのさ……、良かったらでいいんだけど、サイン貰えるかな?」
「え!?……えぇ、まぁたいした手間でも無いですし、基本的に断ることないので大丈夫ですよ。何に書いたらいいですか?」
桐山四段は少し驚いた後に、慣れたように鞄から筆ペンを取り出していた。
書く物によってはマッキーも持っているらしい。手慣れている。流石にプロとして注目をあびて、一年経っているから当たり前か。
俺は、いそいそと机の引き出しから色紙を取り出した。
担任になると決まった時から、チャンスがあったら絶対頼もうとおもって常に入れておくことにしたのだ。
「これにお願いします。名前もできたら……」
「はい。大丈夫ですよ。たぶん四段って書いた方がいいんですよね?」
「是非!いやーやっぱりよく分かってんなぁ。ひょっとして、ここ最近相当頼まれた?」
「えぇ……と、まぁそれなりには。今度の順位戦が終われば昇段しますから、タイミング良かったですね」
感心して呟いた俺に、桐山四段は曖昧に笑った。
たった一年間だけだった四段のサイン。欲しいと思う奴はいっぱいいる。
あまり、迷惑を掛けたくないとおもうけれど、ファンとしては本当に嬉しい。
そして、そんな俺たちの様子を伺っていた影が数人……。
「……んん、おほん。桐山くん、良かったら私の色紙にもお願いできないだろうか」
「私にも是非! この扇子にお願いしたい」
「教頭! 扇子なんてずるいですよ」
「何を言う!私は、準備が良いだけだ!」
中等部の教頭はわかる。なんで高等部の校長と教頭までいるんだ!? いったいどこから聞きつけてやってきたのやら……。
桐山四段は、苦笑しながらも全員に丁寧に対応していた。
はじめのうちは、教頭たちの勢いに、若干引き気味だったけど。
入学後どころか……入学前からこうなっちゃったか……と少し申し訳なく思う。
でも、すまん! その人たちは上司だからあまり強くは言えないんだ! それに俺もサイン貰っちゃったし。
事前に色々話せたし、新学期早々は特別なことはないだろうと思っていた俺のところに、連絡が入ったのは3月末のこと。
藤澤先生の急病により、急に引っ越す事になって、4月から一人暮らしをする。学校に提出した書類の住所欄や連絡先を変えたいと、電話があった時は、思わず数秒固まってしまった。
中学生で一人暮らしかよ!?新学期が始まる前から予想外すぎるだろ!?
どれだけ準備しても何かがおこりそうなこの先を思って、前途多難だな……とひとり小さく呟いた。
林田先生視点でした。
先生が桐山くんが意外と人懐っこいと思ったのは相手が先生だったからです。桐山くんは林田先生の事を良く知っているので最初から、心開いてる感じ。